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折口信夫の「死者の書」を2017年に邦楽作品化し、2023年に松本幸四郎と尾上紫によって舞踊が付けられ「今藤政太郎作品演奏会」にて上演した。「した した」と始まる折口の「死者の書」のことばの音楽性を実際の音楽に結実させ、更に国立小劇場の劇場機構を十二分に使い、音楽作品でありながら舞踊作品また劇場上演作品として三位一体を実現した。今藤政太郎と織田紘二による解説付き。
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今回の公演タイトル「Antipiol(アンティピオル)」は、「分裂症の少女の手記」(セシュエー著)の本のなかで実際に病院で腫物に使われていた軟膏の名前。少女は精神疾患で入院中に聞こえた幻聴の声をアンティピオルさんと呼ぶ。嘲笑し命令する声のアンティピオルとの闘い。彼女だけでなく誰でも心の中にある自分でもわからない感情、押さえつけられた思い、トラウマなどが何かのきっかけでアンティピオルのように現れるも
拠り所なき「この世」に捧げる、生と死のセンス・オブ・ワンダー。《セミヘブン(その世)》、それは「この世」と「あの世」の間にあるもの。人々がいのちをアップロードしてクラウド化する社会に、とある母子がいた。中年を迎えた息子を、年老いた母は忘れつつある―劇団しようよ、旗揚げ10周年の〈救済劇〉
「私は東京生まれです」「2020年のオリンピックを歓迎します」「今年セックスをしていない人」…。「はい」か「いいえ」か、さまざまな問いかけに応えて舞台上を移動し、時には自らの経験や考えをマイクの前で語るのは、東京都の人口統計(国籍、年齢、性別、居住区、世帯構成)を反映した100人の市民。 23区を「代表」 する彼らが劇場空間に描き出した「トーキョー」は、 この都市の標準的な姿か、演じられたイメージ
おしゃべりだった兄の話をしようと思って、中学2年生の兄は世界の中心だったと思うんです。兄が高校1年生の時、兄の不幸の始まりでした。先に言っておくと、兄はこの先壊れます。あともう一つ言っておきますと、これは「演劇」の話ではなくて、まずこれは「兄」という「人間」の話で。壊れていく「兄」と、滅んだ「僕」と。あと兄に関わった、兄を愛したり憎んだりした「周りの人達」の。まぁ別に大した話じゃありません。
(フライヤーより)演劇・舞踊・音楽・美術・写真などの新しい作品創りをめざす若者がジャンルをこえてコラボレーションを試みるために集まりました。かつてベルギーのムードラで活躍し、現在ダンサーとして国内の各バレエ団やダンスカンパニーで活躍している鬼才・中村しんじがエディット・ピアフの〈愛と死〉をモチーフに作品創りをはじめました。一人のバレリーナを通して浮かびあがってくるわれわれにとってのピアフとは? 小
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
時代が遺すは事実か真実か。吉良上野介、赤穂浪士、忠臣蔵...正義も悪も、世の中が変われば見方も変わる。歴史のからくりと人間のドラマが交錯する、現代(いま)をも鋭く切り取る物語が東憲司の手で再々演。討ち入り当日、密室でお犬様と炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介はどんな思いで首をはねられるまでの二時間を過ごしたのか。吉良の目線から、その知的な興味を駆使して語られるスリリングな舞台運びは、忠臣蔵のもう一つ
遥か彼方の生と死が繋がり出す、演劇カンパニー・ヌトミックが描く新作音楽劇。父の弔いのために海岸へ訪れた私は、とある女性と出会う。この景色に見覚えがある、と呟く女性は、ふとしたことから1万年前の記憶を語りだす。思い出を辿って現れる人々は口々に話しだし、出会うはずのない物事が重なり合い、混線した記憶の中、私たちは船を漕ぎ出して……。全編を通じた生演奏とラップのような語り、歌と台詞の境界を行き来する声に
2020年のコロナ第一波の時期に書きはじめ発表した作品。日々更新される新型コロナウイルスの感染者数・死亡者数を聞き、見るなかで、数でまとめられる一人ひとりに名前が、顔が、声が、人生があること、確かに「1」として存在していることを表現しようと創作された。〈あらすじ〉とある一室。一人の女性が暇を持て余している。 リハビリだと言いながら酒を飲む、喋る。 今まで出会った人たちのこと、だらしのない生活、忘れ
頑張り屋さんの13歳の少女Aが、難病の少女Bのケアについて、少女Bの母親から学校のクラスへの強い介入を受ける。自身もネグレクトを受け孤独な少女Aは、唯一心を許す担任の男性教師の中に自分の居場所を作るため、自ら少女Bのケアを買って出て、少女Bから男性担任教師との二人の時間を取り戻そうとする。幼い決意が招く、「罪と罰」の物語。「ほんの少し、ボタンを掛け違えた人の悲劇に寄り添う」がモットーの坂本企画が、
ひよわな漫画少年と、バンカラ・明石との友情を描いた「ゴッドファーザーの息子」、戦時中、蝶に魅入られ駆け巡る山で、一人の少年と出会う「ゼフィルス」、青春であるべき中学時代の軍事教練、勤労動員、大阪大空襲、そして終戦を描いた「紙の砦」。手塚治虫の3作品を原作に紡ぎだす、少年・大寒鉄郎の物語。
これは夢遊の物語。彼女らは日本の中国侵略政策の犠牲となり、かつて”満州”と呼ばれた地に送り込まれ、敗戦後四十七年を捨て置かれた激動昭和の落し子である。その残像の中に去来する一人一人の影と呟き合い、罵り合う慚愧と悔恨の綴れ織である。日本および日本人を深くえぐり、人間の暗部をあらわにして喜劇的側面を描出するに得意な藤田傳の劇団俳優座に初めての書き下ろし作品。
伝説の舞台が32年ぶりに蘇る!言葉の錬金術師寺山修司の愛と死の物語。白井晃新演出で、新たな物語へ・・・。21世紀版「中国の不思議な役人」、ここにあらたな純愛の物語が誕生する。
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。
AsiaTOPAフェスティバル
「ButohBAR番狂わせ」第二弾の本作品はASIA TOPAフェスティバルで上演され、初日前、完売し大好評を博した。メルボルン在住の舞踏アーティストゆみうみうまれ演出のもと、舞踏、演劇、歌、キャバレエ、ビジュアルアートが融合し、屋内外の儀式的かつキテレツなパフォーマンスで「美しくも不完全な番狂わせ」をテーマとしている。静けさとカオスが行き来する中、舞踏マスター・竹之内淳志氏、音楽家小宮広子氏を含
2016年に起きた津久井やまゆり園事件を題材にした作品。能力と命の価値を結びつける能力主義の問題に対して演劇には何ができるかという問いかけのもと、「私たちはともに生きていくことができる」という感覚を共有することを目指して制作された。「生産性のない人間には生きる価値がない」と主張する青年と、重度の知的障害を持つ青年の魂が音楽を媒介にしてまじりあっていく様子を描く。
あかちゃんとおとなのための音楽劇 ベイビーシアター
夫が、 死んだ妻を生き返らせるため地獄にやってくる。「振り返ってはならない」 たったひとつのこの約束を守り、 夫は妻と共に戻ってくることができるのか。ギリシャ神話をモチーフにしたオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を、歌やリトミックをベースにしたダンスとともに彩る。あかちゃんと、 あかちゃんを迎え入れた大人たちに贈る、愛の物語。
「あの日 私の世界は変わった 春は忘れない 私の悲しみを」2011年3月、弟はこの世を去った。通っていた大学の渡り廊下から落ちて死んだ。その大学で准教授だった父と、証券会社で働く僕はどうもそりが合わない。正直、弟のことも苦手だった。だけどあいつのことばかり考えてしまう。こんな春の日には。家族の喪失と再生の物語。
アマヤドリ活動休止前最終公演となる本作品。『写真撮影』という日常にありふれた行為をモチーフに、日本人の生活様式を過去・現在・未来を行き来しつつ主宰の実体験をベースに描いた四世代に渡る家族の物語。家族の形を世代を超えた対話によって浮かび上がらせてあらためて観客に問いかける作品。
『デカメロン』は14世紀のペストの流行拡大を背景に書かれた。では現代、コロナの騒擾を抜けだしたら私たちは何を語りあうのか。舞台は避難所。疫病、戦争、災害――人々が何から逃れているのかははっきりしない。舞台上では『人類への提言』という鼎談がおこなわれている。そこに突然闖入してくる『デカメロン』の中の物語、あるいは脈絡のない言葉の朗読。場面と場面の行間から私たちを取り囲む「悪夢」が見えて来る。
近未来、夏。高原のサナトリウムには、不治の病におかされた患者たちが多く入院している。 下界から隔絶されたサナトリウムの面会室で、死を待つということの意味が、ゆっくりと流れる時間の中で 淡々と語られていく。 患者たちとそこを訪れる面会の人々や医師たちとの死や時間に対する観念の差異を浮き彫りにしながら、軽 妙な会話を交えて、サナトリウムでの何も起こらない静かな午後が描かれる。
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。2021年夏、ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後"命"の三部作」第三作が待望の再演。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。井上ひさしの遺志を受け継いだス
ゾンビ音楽でつづる死への行進。オペラの新領域がここに拓かれる! 死神に先導され、恐怖に踊りつつ死に赴く人々の列を描いた「死の舞踏」。死の普遍性を伝えるものとして、中世ヨーロッパ以来、さまざまな芸術作品、文学に引用されてきたイメージを、現代のアーティストによる「オペラ」として上演する試みがここに始まった。 クリエーションの起点となるのは、コンピューター制御された指がリコーダーやクラリネットなどの楽器
ルウはヒモ状態の欧彦に手切れ金10万円を渡し、新しい彼氏の満太郎と同棲を始めるが、10日もしないうちに有り金を使い果たした欧彦が戻って来てしまう。何故か始まる3人の同居生活。そして、欧彦はルウの親友の杏と付き合い始める。モヤモヤしたルウは、欧彦と再び関係を持ってしまう。こんな関係よくない…と、欧彦に諭され混乱したルウは、欧彦に「死んでほしい」と、頼むのだった。
碧血碑――。北海道・函館にある、戊辰戦争で死んだ旧幕府軍の侍を祀った碑である。義に殉じた男の血は三年経つと、碧色の宝石に変わるという、荘子にある故事から命名された。太平洋戦争直後の焼け跡。碧血碑を前に、倭人を憎むアイヌの男と、アイヌを憎む倭人の男の、義を巡る友情譚。
貧しい農村に身を置いた宮沢賢治は、儘ならぬ現実と崇高な理想、そのあわいで悪戦苦闘しながら、まっすぐに理想に向かおうとした。早世した彼の生涯を、父・政次郎は「天馬」に例えた。また、妹のトシも大変な才女でありながら、若くしてこの世を去っている。宝石のような二人に先立たれた親を想いながら、東北の俳優たちと『銀河鉄道の夜』を、賢治が愛した演劇を用いて、“劇”を、する。滅多に星空を見上げなくなった、わたした
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
2008年の初演以降、全国各地で上演され続けている柴幸男の代表作でありマスターピース。《歩く》ことから浮かび上がる一人の女性の「はじめの一歩」から「さいごの一歩」までを、数人の俳優が入れ代わりながら歩き続け演じていく。本映像は、2011年に上演された横浜赤レンガ倉庫での公演を収録。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
看護師・萩谷あきの住むマンションに暮らす女たちは、奇妙な怪奇現象に悩まされていた。あきの死んだ母親が、あきの捨てたゴミをマンションに持ち帰ってくるのだ。そして10月31日、渋谷の街では花火が上がり、ハロウィンが奇妙な盛り上がりを見せていた。終わらないハロウィンをきっかけに、世界は滅び始めていく。
sunday play#3
およそ100人のある一日を5人の役者がサンプリング。そして、ある一日を超えて、永遠とか、そういうものに少しでも近づこうとする話。
ダンスの歴史にフォーカスをすることでダンスの「継承」と「再構築」の2つの視座からプログラムを構成した公演「ダンスの系譜学」で発表された酒井はな出演の2作品。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年10月に愛知県芸術劇場にて初演)世界中のバレエダンサーが踊り続けてきたフォーキン原作による『瀕死の白鳥』を、日本を代表するダンサーの酒井はなが、演劇作家の岡田利規と取
双子の少年たちの日記として描かれた原作小説『悪童日記』は、その文体が非常に無機質な点が特徴です。そこで今作品では、『悪童日記』の物語ではなく、文体を立体的に立ち上げることで、双子の目がとらえた戦時下の片田舎の風景を描くことに挑戦しました。5つの無機質な台と5人の俳優、抑揚を排した発語を使って、非常時にあらわになる人間の本質と、無機質な文体の奥にしまい込まれた双子の感情を炙り出します。
アーサ・ミラーのアメリカ演劇史上最高の傑作。平凡なセールスマンの悲劇を過去と現在を巧みに交叉させながら描いた作品。この録画は巡演前の舞台稽古として日大芸術学部の講堂で上演したものを収録。
神戸版
実家で飼っていた犬・スーパーポチが亡くなったと義姉からの電話を受ける大阪で暮らす菫。菫は恋人の登とともに福井に帰省する。兄の洋は妻の直生と戻ることのない旅に出るのだと自らの死を匂わせ、菫に実家を託そうとする。亡くなったスーパーポチは菫に伝えたかったものは。
これは、 どこにでもある町の、よく眠ることができる夫婦の、 ある「静かな一日」のお話です。でも本当は「静かな一日」など、どこにもありません。私たちが住んでいる現実に「静かな一日」が、どこにもないっ!のと同じように。私たちは後ろ向きになって、徐々に、南に傾いていく家を見上げながら、日陰を選んで、畏れを飲み込み、日々を生きます。形は決して残りません。形は決して残りません。日々を、私たちはただ日々を積み
ホーボーズ・ソングとは、さすらう人達の歌。はみ出し、弾き飛ばされ、飛び出し、居場所をなくし、居場所を追われ、居場所を捨てた人達を歌う歌。あるいは、ホーボーと呼ばれた人が歌う歌。例えば、賛成派と反対派に分かれて内戦を続ける日本があったとしたら。ある男に与えられた任務は、捕虜を尋問し秘密を聞き出すこと。その尋問相手は、かつての恋人だった。沈黙する恋人に、男は二人きりの取調室で混乱した。監視カメラのレン
アルベール・カミュのベストセラー小説『ペスト』をダンボールシアターが人形劇にしました。アルジェリアの港町オランにペストが蔓延し、都市が閉鎖される中、人々が絶望の中で生きる姿を描いた物語です。パンデミックによって大きく変化してしまった世の中。不安に駆られる日々を過ごす人々は、何を選択し、どう生きていくことができるのか。今や誰もが共感するこの作品を、コロナ禍に無観客公演にて上演し、映像に収めました。
後に2代目藪原検校と呼ばれる男七之助は7歳のとき流行病で視力を失った。これには深い因縁があり、彼がこの世に生まれる前、父の七兵衛が金欲しさに按摩の杉の市を殺したのだった。視力を失い母に先立たれ父にも逃げられ天涯孤独となった七之助は悪事を尽くして検校の地位まで上り詰める。世間からの尊敬と羨望の眼差しの元、有り余る金で贅沢三昧の日々を送る。だが彼はそんな生活を持余すようになり、ある行動を起こす。
元々は大衆浴場だった場所が舞台。しかし、廃業して随分と時間が経って、随分とひび割れていたり、水草が生えたりしている奇妙な空間。そこでは女たちが働いている。あたりが暗くなってくると、やがて、男が女たちのもとを訪れる…。どこまでが本当で、どこからが嘘なのかわからない幻想的な会話が続く…。川端康成の「眠れる美女」をモチーフに、幻想的に、儚く、不思議な物語が立ち上がる。
第32回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞した話題作『養生』の全国ツアー版。原体験をもとにショッピングモールや百貨店の内装夜勤現場を舞台に描いた本作は時間と空間が交錯しながら選択肢の少ない現代を生きる人々の姿を鋭くもユーモラスに映し出す。第68回岸田國士戯曲賞を受賞した池田亮がゆうめい結成10周年の集大成として戯曲・演出・美術をさらに進化させた、新たな代表作をカンパニー初となる6都市全国ツアーで上演。
柳美里を中心とする劇団「青春五月党」による一人芝居&マイム。テーマは生と死。
若き編集者・福島は運命の夜を迎えていた。今夜中に原稿を取ってこなければ、クビになるのは間違いない。彼が原稿を取りに向かうのは3人の作家。その名も、宮澤賢治、太宰治、中原中也。果たして作家たちの新作は無事に書き上がるのか。そもそも福島は、なぜ作家たちに会っているのか。抜きさしならない長い一夜の夜明けが近づいてくる。
“現代アイルランド演劇界のチェーホフ” ブライアン・フリールの名作。アイルランドの北西部、バリーベッグのはずれの村。ひっそりと暮らすマンディ姉妹はそれぞれの悩みや、緊張の中で助けあって生きている。この片田舎にも近代化の波が押しよせ、経済的な不如意に苦しみ、兄・ジャックの送還の余波でマンディ一家はだんだん崩壊していく・・・・・・。オリジナル曲にアイリッシュダンス、姉妹を取り巻く人物達との激しい言葉
玉造小劇店配給芝居vol.35
人間は12回生まれ変わるという。最初に登場するひとりの少女(のような者)は今までに10回生まれ変わったが、いつも身体と心が一致していないような感覚で満足のいく人生を歩めたことがないと語る。ある日、天界で偶然出会った阿弥陀様に「次に生まれ変わるときにはそれが解消できるでしょうか?」と問い、少女は自分の10回の人生を阿弥陀様に見せることにする。果たして少女の答えは出るのだろうか?あと2回生まれ変わる人
お笑いのライブで知り合った楠木と菖蒲は、互いの友人を誘って親交を深めて行く。二人の紹介で知り合ったシトロネラとヒソップは恋に落ち、ほどなく結婚式をあげるが、その直後シトロネラは水を飲むと湖になってしまうという奇病に侵される。二人の闘病生活は次第に疲弊しついにシトロネラに死の宣告が訪れる。ボリス・ヴィアン作『うたかたの日々』を大胆にアレンジしSF的世界観をシュールな舞台表現で描いた乱舞する愛の讃歌。
朗らかな初日の光さやけく新春らしからぬ、不穏な不穏な時代のお噺。我が国はここを先途と諸外国に対し獅子奮迅の勢いで躍進するも虚しく敗退し、米、英、仏、露によって分割統治されるに致り、国民は臥薪嘗胆、クチビル噛み締め刻苦勉励の毎日であります。さてここに御座すは絵師、記者、軍人、撮影技師、人形師、弁士、等々。自由に往来すること叶わぬご時世の中、鹿児島から天下の米国様にご神木を献上するべく特別に発行された
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
観世元雅によって書かれた室町時代の能「隅田川」を原案に、現代の母親・子供、そのあり方を考える舞台作品。原案で象徴的に描かれる、子供を失くした母親の『涙』を中心のモチーフに置き、同じように子供を失くしても泣けなかった(愛することができなかった)母親を主人公とした。そして相思相愛ではない親子の形と彼らが生活する社会システムを提示し、現代の諸問題を取り上げた。製作にあたり、隅田川、木母寺、隅田宿など物語
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
私の心にそっと触れて
「記憶を廻る、ある医師と妻たちの愛憎劇―愛は記憶されるのか?」高齢化社会の難治の病であるアルツハイマー病。病気の進行により、記憶によって形作られる個人のライフ・ヒストリーが不確かとなり、パーソナリティーまでも変貌する時、愛はどう記憶されるのだろうか? 本作はアルツハイマー病で記憶を失っていく医師と、消えゆく過去に翻弄される家族の物語である。初演を改作、新たなキャストとTA-netによる同時舞台手話
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
ドキュメンタリー
ぽつねんとある自動販売機を止まり木のようにして集まる3人の人物の雑談から始まり、缶ジュースの風味が浸透するように境目なく様々な記憶や風景が現れては消え、過去や未来、人物がいるのかいないのかさえ揺蕩っていく。その中自動販売機だけは形を変えず、その場に存在し続ける。監視者なのか、なにかを促すモノリスなのか。感覚的なようで、人物たちの感情は一連のストーリーとして確かに繋がってるニュースタンダード会話劇。
深い闇の中に、鋭く射し込むスポットライト。魂に響くヘンデルの名曲と台詞。苛酷な運命に操られる若者たちの悲劇を、幻想的な美しさと、力強いタッチで浮かびあがらせる。ワレリー・ベリャコーヴィチが世界を驚かせた魔法の演出!!天才演出家ワレリー、凄艶華麗なる剣幸、そして、抜群のアンサンブルで魅せるピッコロ劇団、ついに“劇突”。
岸田理生アバンギャルドフェスティバル リオフェス2024
寺山修司作「身毒丸」を岸田理生が台本を脚色、改定し、1995年、蜷川幸雄が演出、武田真治、白石加代子の主演で初演が公演、日本のみならず、ロンドン、バービカン劇場で大絶賛を得て、藤原竜也を天才新人と言わしめた。そんな「身毒丸」が令和の時代に「野外劇 身毒丸R」として復活。うだるような真夏の夜、月と星の灯りの元に夏風さやり、虚構と現実が蕩け合う。時代を廻り、世界の果てを越え、母子の物語は、何処へ辿り着
1987年、月蝕歌劇団旗上げ作品の再演。七里ヶ浜に転覆したボートに乗っていた少年たちは何処に消えた? 血を吐く美少女の正体は何か? 戦前の帝都に出現する女神の目的は? 因果の小車の渦の中、真白き富士の嶺♪緑の江の島♪の旋律にのせてハーメルンの笛吹き伝説と女子挺身隊が結合する!
大正時代から昭和初期、種田山頭火と尾崎法哉という二人の偉大な俳人によって、季語や五七五という定型句にとらわれない自由律俳句が大いに花開く。制約がない句形だからこそ、俳人たちの技量、センス、感受性が問われる。そのためには、自らの人生をすべて賭けることをしてでも、美しい言葉や最も相応しい律を研鑽しなくてはならない。美しい日本語とはどういうものか、さらに、人間の真の自由な生き方とはどういうものか……。ネ
ジャック・プレヴェールの映画、『天井棧敷の人々』の翻案作品。 登場人物を、男性役含め全て女性キャストにて描く。犯罪者ラスネールと少女マリーがギャランスと共に記憶の旅に出かける。映画ではギャランスとバチストは結ばれないが、魂として再開し想いを昇華させる。深海洋燈版・天井棧敷の人々。愛、音楽、舞踊、華やかな世界の裏側に隠れた人間の本当の恐ろしさに光を当てる。
実話から生まれたいのちの寓話が今、語りかける。ある南の島。ガジュマルの木に逃げ込んだ兵士二人は、敗戦に気づかず、二年間も孤独な戦争を続けた――人間のあらゆる心情を巧みに演じ分け、観る者の心に深く刻みつける山西惇が、再び本土出身の"上官"を演じる。注目の新キャスト・松下洸平は、柔らかく、おおらかな存在感で島出身の"新兵"に挑む。歌手・普天間かおりをガジュマルに棲みつく精霊"語る女"に抜擢。琉歌に乗せ