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亡骸が腐敗し朽ちるまでを描いた仏教絵画【九相図】をテーマに脚本&演出家と、俳優、ダンサーが共にパフォーマンスを創作します。
瞽女(ごぜ)は、「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する日本の女性の盲人芸能者。近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である。1919年(大正八)年。高田市大瀧山天林寺では、瞽女たちの年に一度の祭りともいうべき妙音講が執り行われていた。儀式も終わり、瞽女たちが無礼講となっている中、境内の影に身
<劇団初めての単独ツアー作品>昼でも薄暗い竹やぶの中にある思いを込めて踏み込んでいく夫婦。同じくして、自暴自棄になりその竹やぶで自殺しようとする男とそれに着いてきた後輩。事故により竹やぶに不時着した地球外生物の兄弟。すでに竹やぶに住んでいた親子。それぞれが出会って交わされていく対話から覗き観るそれぞれの思惑。
日印友好交流年記念事業として、範宙遊泳とThe Tadpole Repertoryが国際共同制作。よくあるとある街を舞台に、見知らぬ6人が、自分自身に、そして互いに向き合いながら、自分の居場所を探して時を織りなしていく。欲望と病、愛と寂しさ、影ある過去と霧がかる現在(いま)。そこにある事実はただ一つ、ここからは逃げ出せない、ということ——。
あらゆるものが砂と化した世界に、ただひとつ存在する王国で催される〈最終演劇〉 そこにフラリと現れた詩人の正体は? そして演じることによって息づく旅芸人たちの目的とは? 観ることを義務づけられた王国の観客たちが反乱の声を上げる時、退廃によって呼び起こされた魂の叫びが、今〈真実〉に向けて解き放たれる! 贋物[レプリカ]こそが、真実なのか?
東京成人演劇部vol.1
大人計画主宰、松尾スズキが演劇部を始動。8050問題の親子、ドキュメンタリー作家志望の学生と教授を描く安藤玉恵との2人芝居。第71回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)受賞80代で認知症気味の母親エイコ(安藤玉恵)と、ニートでアルコール依存症の50代の息子オサム(松尾スズキ)。貧困生活を送っている2人を、ドキュメンタリー作家志望の女子大生アサダ(安藤玉恵・2役)が撮影し密着していた。エイコの年金を当てに
MWMWは死なない
本作は、「遭遇」をコンセプトに、舞台芸術における当たり前のことが、ある時から当たり前でなくなったと気づいたことから生まれました。日々の選択や分岐を経て私たちは今ここで生きている。私たちが共に踊り、その瞬間を観客と共有することは奇跡のようなことだと思いました。点と点は繋がっては離れたり、線になったら長くなる。日常は偶然や必然の出会いの繰り返しであり、今この時も私たちは遭遇している。
東北芸術工科大学主催の山形ビエンナーレ2022「現代山形考 藻が湖伝説」参加作品。第一部は文翔館議場ホールの前庭で山形の市街や文翔館の外観を背景に、庭内を集団で移動しながらゲーテ『ファウスト』の物語を上演。第二部は「現代山形考 藻が湖伝説」の展示会場となった議場ホールの中で登場人物は自身の旅路を会場内で自由に動き回りながら表現し、観客も自由に動き回り美術品や上演を鑑賞できる形式をとった。
荒廃した時代。ある男が羅生門に辿り着き、死人の髪の毛を抜く女と出会う。男は女の行為を忌み嫌い、何故そんなことをするのかと問いただす。激しく言葉を交わすうちに、男は段々と自分の過去を思い出していく。「人の行く道は天秤のようなものだ。どちらに傾くか分かりはせん・・。」魂を揺さぶるダンスと心を震わす生演奏と共にあなたの心に問いかける人は生きるために何を得て、何を失うのか
「お葬式」と「オンラインゲーム」を題材に生きづらさを抱える3人の登場人物が、死なずに生活をする話。
ジャック・プレヴェールの映画、『天井棧敷の人々』の翻案作品。 登場人物を、男性役含め全て女性キャストにて描く。犯罪者ラスネールと少女マリーがギャランスと共に記憶の旅に出かける。映画ではギャランスとバチストは結ばれないが、魂として再開し想いを昇華させる。深海洋燈版・天井棧敷の人々。愛、音楽、舞踊、華やかな世界の裏側に隠れた人間の本当の恐ろしさに光を当てる。
老人の家で泥棒中に事故で死んだ少女メグは、善悪同ポイントで天国にも地獄にも行けず、魂のエネルギーが尽きるまで現世に戻される。しかしそこは皮肉にも2年前、自身が襲ったマッコール老人の家だった。老人は死期を前に「4つの願い」があり、メグは天国へ行くためしぶしぶ手伝うことになる。老人の切なる願いと少女の魂の行方を描く、笑いと感動のハートウォーミングな霊魂騒動! 劇団京芸・人形劇団京芸 創立60周年記念合
こまつ座「戦後"命"の三部作」の記念すべき第一作。魅力あふれる新しい俳優を迎え堂々上演。
拠り所なき「この世」に捧げる、生と死のセンス・オブ・ワンダー。《セミヘブン(その世)》、それは「この世」と「あの世」の間にあるもの。人々がいのちをアップロードしてクラウド化する社会に、とある母子がいた。中年を迎えた息子を、年老いた母は忘れつつある―劇団しようよ、旗揚げ10周年の〈救済劇〉
1985年8月に起きた日本航空機の墜落事故を特異な発想と批判的な笑いで描きながら、深い鎮魂の思いを込めた作品。初演は1986年。家族が夢中になって見入るテレビから、インタビューから逃れて事故の生存者であるCAが飛び出してくる場面を皮切りに、日航がコマーシャル界に復帰する撮影現場など、虚実の間をぬう奇想なドラマが展開。やがて現代の表層的な戯画である茶の間の光景が、事故で失われた人々のかけがえのない生
遥か彼方の生と死が繋がり出す、演劇カンパニー・ヌトミックが描く新作音楽劇。父の弔いのために海岸へ訪れた私は、とある女性と出会う。この景色に見覚えがある、と呟く女性は、ふとしたことから1万年前の記憶を語りだす。思い出を辿って現れる人々は口々に話しだし、出会うはずのない物事が重なり合い、混線した記憶の中、私たちは船を漕ぎ出して……。全編を通じた生演奏とラップのような語り、歌と台詞の境界を行き来する声に
sunday play#3
およそ100人のある一日を5人の役者がサンプリング。そして、ある一日を超えて、永遠とか、そういうものに少しでも近づこうとする話。
チェコの作家、フランツ・カフカの「変身」のオペラ化。後に、『変身』と改題した。国内では高等学校公演や公文協公演に加え、1999年東京文化会館リニューアル記念公演として上演し、2009年には、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、チェコでの海外公演もおこなった。
流れこむ景色があなたのからだをつつんでとかす― 俳優・辻村優子によるリラクゼーション型パフォーマンス「ほぐしばいシリーズ」の第3弾。観客は施術台の上で横になり、テキストの発話と手技による施術を体験します。発話される言葉は複数人から採取され、実際には存在しない景色を描写。辻村の語りと施術の交差により、観客の感覚の中に新たな〈景色〉が立ち上がります。
双子の少年たちの日記として描かれた原作小説『悪童日記』は、その文体が非常に無機質な点が特徴です。そこで今作品では、『悪童日記』の物語ではなく、文体を立体的に立ち上げることで、双子の目がとらえた戦時下の片田舎の風景を描くことに挑戦しました。5つの無機質な台と5人の俳優、抑揚を排した発語を使って、非常時にあらわになる人間の本質と、無機質な文体の奥にしまい込まれた双子の感情を炙り出します。
コロナリポート
パフォーマーの入退場、音響や照明の変化などの舞台作品における様々な行為のきっかけ・手掛かり・合図を「キュー」と言う。Go To/Stay Home、緊急事態宣言発令/解除等、反復し持続する現在の「外」に出ることを体で試みるダンス作品。2021年初演。コロナリポート三部作『Sign』『Cue』『Out』。
それは、忘れていたのだ。きれいに。ほんと、きれいに。箱入り娘というか温室育ちというかそんな感じで育てたもんだから全く外へ出ようとしない。だからどうか外の景色を見せてやってください。そう頼まれて僕が会ったその子は僕の口元にとびきり顔を近づけておねがいをしてきた。もう、…いいから。そんなの、いいから。旅しようよ。そう、この星が朽ちるくらい長い永い時間をかけて。
それは地球史46億年の記憶を備えた石。ヒトの記憶と共に新しく生まれ育っていく……不思議な詩を口ずさむ少女が棲む石だらけの世界に、ある日、七人の老人たちがやって来た。老人たちが目指す約束の地とは? 少女の正体は? 耳を澄ましてごらん、ほら、石が泣いている……アナタ、記憶ヲ美化シテハ、イケマセン……演劇舎螳螂、初の東京・大阪連続公演で送る小松杏里の「レプリカ」以来約二年ぶりの新作書きおろしSTROMA
これは夢遊の物語。彼女らは日本の中国侵略政策の犠牲となり、かつて”満州”と呼ばれた地に送り込まれ、敗戦後四十七年を捨て置かれた激動昭和の落し子である。その残像の中に去来する一人一人の影と呟き合い、罵り合う慚愧と悔恨の綴れ織である。日本および日本人を深くえぐり、人間の暗部をあらわにして喜劇的側面を描出するに得意な藤田傳の劇団俳優座に初めての書き下ろし作品。
アマヤドリ活動休止前最終公演となる本作品。『写真撮影』という日常にありふれた行為をモチーフに、日本人の生活様式を過去・現在・未来を行き来しつつ主宰の実体験をベースに描いた四世代に渡る家族の物語。家族の形を世代を超えた対話によって浮かび上がらせてあらためて観客に問いかける作品。
大正時代から昭和初期、種田山頭火と尾崎法哉という二人の偉大な俳人によって、季語や五七五という定型句にとらわれない自由律俳句が大いに花開く。制約がない句形だからこそ、俳人たちの技量、センス、感受性が問われる。そのためには、自らの人生をすべて賭けることをしてでも、美しい言葉や最も相応しい律を研鑽しなくてはならない。美しい日本語とはどういうものか、さらに、人間の真の自由な生き方とはどういうものか……。ネ
時代が遺すは事実か真実か。吉良上野介、赤穂浪士、忠臣蔵...正義も悪も、世の中が変われば見方も変わる。歴史のからくりと人間のドラマが交錯する、現代(いま)をも鋭く切り取る物語が東憲司の手で再々演。討ち入り当日、密室でお犬様と炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介はどんな思いで首をはねられるまでの二時間を過ごしたのか。吉良の目線から、その知的な興味を駆使して語られるスリリングな舞台運びは、忠臣蔵のもう一つ
先入観による視野/思考の偏りをテーマに人間を描いた。具体性にあえて重きをおかず、登場人物の観念、価値観、哲学に対しての着目を試みた。いわば「アンチ先入観」のような作品を目指しつつ、それら全てが先入観によって形成されている堂々巡りな構成に、しかしそれはあくまで副産物に見える/むしろ見えないようなリアリズム劇を創作した。
21XX年の世界で突如流行り始めた未知の感染病。 大理石のような白い斑点が体のどこかにできたが最後、人は生きながら腐敗してゆく。 パンデミックに伴う世界恐慌が巻き起こり、世の中が戦争へと突入していくさなか、特効薬を発見したという一人の女性医師が現れるが・・・。
1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
舞台劇
生きとし生けるもの全てと対話した宮沢賢治。彼の歴史は愛の軌跡である。最愛の妹、一番の理解者であったトシと、彼が自由に羽ばたいた創作の宇宙「イーハトーブ」。莫大なエネルギーを費やしながら生きた、37年という短い生涯の中で、彼が夢に描いた「イーハトーブ」から発信され続ける、自然や生物を尊び、争いごとのない平和な世界を願うメッセージ。
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。
1987年、月蝕歌劇団旗上げ作品の再演。七里ヶ浜に転覆したボートに乗っていた少年たちは何処に消えた? 血を吐く美少女の正体は何か? 戦前の帝都に出現する女神の目的は? 因果の小車の渦の中、真白き富士の嶺♪緑の江の島♪の旋律にのせてハーメルンの笛吹き伝説と女子挺身隊が結合する!
昇進が決まり東京の本社に移動することになった娘、文は父親をひとり実家に置いていくことに不安を覚えていた。そこで、文は父のかつての同級生で、寡婦である道子との再婚を斡旋する。しかし、父と道子が再会し距離を縮めていく様子を見ていた文は亡くなった母親のことを慮らずにはいられなかった。複雑な想いを抱えたまま東京への出発の日は近づいていく。文と父の暮らしている町の様子と町の子どもたちの成長を文の移り行く心情
ひきこもりとある家族の物語。舞台は、感染症が蔓延した都市。感染リスクから逃れるために地方に移住する人などもいる中、とある場所で夜中に「ひきこもりを治すことができる」と言われる人物に会うために集まった人々が、朝を迎えるまでを描いた物語。
演劇をやめて久しい土井は、かつて出演した演劇作品の「演出家」の弟を名乗る人物から、演劇の上演を依頼される。そこで土井が受け取ったのは、アンドレイ・タルコフスキーのある映画をもとに書かれた、演劇と救済にまつわる、一本の奇妙な戯曲だった――。初演を経て、演出、演技を全面的にブラッシュアップした、東京公演版「フェイク・読書会演劇」。
ある朝目を覚ました女は、妙な既視感に襲われる。「私また、昨日にいる--。」その夜から夢に現れた鴉とともに、繰り返される一日からの脱出を試みる彼女だが……。やがて起こる日食、そして鴉によって語られる「盗まれた手紙」の正体とは?エドガー・アラン・ポーからパウル・ツェランに至る西洋詩の系譜と、2000年代日本のオタクカルチャーが形成した「セカイ系」を融合させ、現代の会話劇として舞台化。
「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズで知られる漫画家・荒木飛呂彦の作品を、森山未來主演で初の舞台化。死刑宣告を受けた男が体験する摩訶不思議な世界を描くサスペンス。死刑宣告を受けて、監獄に収容された男。そこは、監獄と呼ぶにはあまりにも豪華な部屋だった。行き届いた調度品は、まるで高級住宅のよう。だが、男が生活を始めた途端、その部屋のすべてが、男を処刑しようとうごめきだす。脱出しようともがくうちに、いつしか
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
原爆投下から3年後の広島を舞台に、父と娘の精緻な対話が織りあげる、ほのかな恋の物語。しかし核兵器の、人類の存在をも脅かすそのおぞましい力は、可憐な娘の心にも大きな傷跡を残していた。生きる喜びを失くしてしまった娘にふたたび希望の光を蘇らせるために、いま、父は全身全霊で娘に語りかける。
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
本作『ストリーム』は、コロナ下で起こった時間感覚の変化をテーマに制作された三部作『Sign』『Cue』『Out』のスピンオフとして、2020年から現在までの出来事を元にした、捩子のモノローグで構成されたソロ作品です。芸術活動、仕事、病、子育て、戦争、経済、死、ダンス…コロナだけではない、私たちの日常と生に並走する様々な“with-ウィズ”について話すことからパフォーマンスを立ち上げます。
バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の大建設現場。自由奔放な協同組合の人気者、ワーリャを巡る男達。「安売り女」と陰口を叩かれながら、そんな事を気にも留めず我が道をゆくワーリャ。恋人、友人、仲間たちとの交流の中でワーリャは自立した大人の女性へと成長してゆく。彼女を変えたものは一体なんだったのか……恋愛、友情、そして働く人間たちの葛藤を描いた青春群像劇。
「強く、なりたい」そう思って、双子は身体を殴り合った。「強く、なりたい」そう思って、双子は罵詈雑言を浴びせ合った。「強く、なりたい」そう思って、双子は大人よりも賢くなった。これは、双子の少年たちが過ごした日々の記録。「強く、なりたい」そう願った彼ら 2 人の行く先は...。
輸血をしなければ助からない患者が病院に搬送されてきた。しかしその患者は信仰上の理由で輸血を禁じる宗教団体の信者の息子。医師の説得にどうしても応じない・・・「正しい」と主張する人を説得することは難しい。正しさと正しさの衝突を描く。
1930年代、アメリカ西部の広大なカリフォルニアの大地。幼い子供のように純朴で無邪気な大男レニーと、聡明なジョージは、ある農場からやっとの思いで逃げ出してくる。いつも面倒を起こすレニーを、持て余しながらも見捨てられないジョージ。二人は、自分達の小さな家と農場を持ち自由な生活を営むという、ささやかな楽園への夢を語り合いながら、次の農場へと向かう。季節ごとの仕事を求めて農場を転々とする渡り労働者の生活
ごく普通のイギリスの中流家庭に生まれた兄のトムと弟のフィギス。弟のフィギスは心の優しい子で人の気持ちを読み取る不思議な力を持っていた。そんな弟が、ある時奇妙な言葉を喋りだし、「自分はイラクの少年兵だ」と言い始める。フィギスは12歳、トムは15歳。湾岸戦争が始まった夏の事だった・・・。
THEATRE E9 KYOTO アソシエイト・アーティスト公演
純子は同棲している彼氏からある童話を聴かされる。そこでは彼氏が元々蛙魚という生き物であったことが語られるが、そんなフィクションめいた話を純子は何故か信じ始めてしまう。また、その話の結末にてルクレという蛙魚の友達のような存在が死んだまま水底に捨てられたことを純子は忘れられないでいた。純子は、バイト先の同僚の野口と虚構の旅に出て少しでもルクレに近づこうとする。そして、彼女は水底で、ある女性と邂逅する。
ミュージカル
遠い遠い神話の時代。日本の国を生んだ男神と女神は天上と黄泉に分かれて互いに憎しみあい、地上ではこの神々の子孫が輝と闇の一族に分かれて相争っていた。輝の神を祀る村に拾われ育てられた狭也はある日、輝と敵対する闇の一族の巫女「水の乙女」として水色の勾玉を渡される。それを拒絶し、輝の王子である月代王へ憧れ、都に赴いた狭也は、輝の神の末の王子、稚羽矢と運命的に出会う。輝と闇どちらの神の影響も受けず荒ぶる「大
あらすじ「だから、周りの人に聞いてみようと思います。どうすればいいのか」よく考え事をしている最中に終着点を見失う伊藤。そんな伊藤はたった一人の友人の一言に悩まされることになる。いつものように考えても仕方がないと、周囲の人間に悩みを打ち明ける。伊藤が辿り着いた終着点とは。
金もない、女にもモテない、さえない葬儀屋の主人・早川は、女房に仕事も家庭も夜の営みもダメだダメだと攻められてばかり。そんな早川のもとに、美しい女が現れて、自分は“死神”だと名乗るのでした。美人過ぎる死神の名前は“ロロ”。ロロは早川に金儲けの話を持ちかけます。死神が寝込んでいる病人の枕元にいる時はその患者は死ぬけれど、足元にいれば病人は助かる、死神を追い払う呪文を教えるから、金持ちの病人を助けて金儲
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。2021年夏、ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後"命"の三部作」第三作が待望の再演。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。井上ひさしの遺志を受け継いだス
アルゼンチンの小説『脱獄計画』を原案に、かつて作られた上演にまつわるインタビュー。インタビュアーであるロビンは、上演で何が起こったのかを探っていくはずだったが、徐々に当時の「出演者」による再現に巻き込まれていく。徐々に明らかになっていく、「演出家」という存在の目論見。それは『脱獄計画』の解釈として語られる、演じることと死にまつわる、奇妙な演技論だった。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
観世元雅によって書かれた室町時代の能「隅田川」を原案に、現代の母親・子供、そのあり方を考える舞台作品。原案で象徴的に描かれる、子供を失くした母親の『涙』を中心のモチーフに置き、同じように子供を失くしても泣けなかった(愛することができなかった)母親を主人公とした。そして相思相愛ではない親子の形と彼らが生活する社会システムを提示し、現代の諸問題を取り上げた。製作にあたり、隅田川、木母寺、隅田宿など物語
第25回及び第26回OMS 戯曲賞佳作連続受賞した後に大賞を受賞した作品。人と人の関係性を戯曲により深く書き込み、創作した作品です。客演には、CoRich 舞台芸術まつり! 2018 春・グランプリを受賞し、コトリ会議に 3 回目の出演となるオパンポン創造社の野村有志、前回ツアーから連続出演する京都を拠点に活動する安住の地代表の中村彩乃、初参加の浜本克弥(小骨座)の 3 人を迎える。神戸アートビレ
老人ホームサンライズで働き始める介護職員A子。彼女が体験する福祉の現場は想像以上に過酷なものだっ た。しかし、そこで入居者のB二郎と出会う。仕事に翻弄されながらも福祉という繋がりの中で2人の間に 生まれる友愛、そして1人の人を看取るまでを芝居で表現。後半は、B二郎の歩んできた道のりをたどる30 分間の舞踏で構成する、演劇とダンスを使った、A子とB二郎、ふたりの絆の物語。
演劇落語は矢内文章の脚本・演出で、古典落語の素材をリスペクトしながら坂口修一との二人芝居でみせる現代演劇シリーズ。今回は「皿屋敷」「死神」を題材としている。ともに古典落語の有名な噺であるが、二人芝居に置き換えることでそれぞれの持つ人間のおかしさ、悲しさが肉体を伴って表現される。
第32回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞した話題作『養生』の全国ツアー版。原体験をもとにショッピングモールや百貨店の内装夜勤現場を舞台に描いた本作は時間と空間が交錯しながら選択肢の少ない現代を生きる人々の姿を鋭くもユーモラスに映し出す。第68回岸田國士戯曲賞を受賞した池田亮がゆうめい結成10周年の集大成として戯曲・演出・美術をさらに進化させた、新たな代表作をカンパニー初となる6都市全国ツアーで上演。
世田谷シルク第11回公演
クリスマスの晩、チルチルとミチルは、老婆の娘の病気を治すために、幸せの象徴とされる青い鳥をさがしに旅に出ます。行先は、「思い出の国」、「夜の国」、「森の国」、「死の国」、「贅沢な国」、「やさしさの国」、「未来の国」。しかしどこに行っても青い鳥は見つかりません。そこで二人は帰宅し老婆にそのことを告げようとすると、老婆は家の中にずっといた鳥を欲しがりました。よく見ると、その鳥は青く変化していたのです。
1954年民藝初演のアーサー・ミラーの傑作戯曲。1984年は滝沢修の新演出・主演で5度目の上演、文化庁移動芸術祭をふくむ全国公演を続け、翌年1月には東京でアンコール上演。