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祖母を亡くした青年ひろとピアノから生まれた少女の出会いから始まる、人と人ならざるものの魂の形を巡る話。あらすじ:ピアノを壊した。少女は二本足で立っていた。命は巡れど魂は形を変えないなら時間が流れてもあの時が残るならろうそくの火を吹き消すまでのみじかい逃避行をしよう。取れない電話に背を向けて広い大地に夢を見て誰が僕を見つけてもキューちゃんは僕を探さない。
昇進が決まり東京の本社に移動することになった娘、文は父親をひとり実家に置いていくことに不安を覚えていた。そこで、文は父のかつての同級生で、寡婦である道子との再婚を斡旋する。しかし、父と道子が再会し距離を縮めていく様子を見ていた文は亡くなった母親のことを慮らずにはいられなかった。複雑な想いを抱えたまま東京への出発の日は近づいていく。文と父の暮らしている町の様子と町の子どもたちの成長を文の移り行く心情
会社は倒産し、工場は停止、町には失業者が溢れ破綻寸前のギュレンという町に、巨額の富を持ち世界一の億万長者となったとなった女性クレーレが帰郷する。市を代表する市長らを筆頭に、貧窮したギュレンの人々は、クレーレからの多大な寄付金を目当てに歓迎セレモニーを行う。そこにはクレーレの青春時代に付き合っていたイルも参加する。対するクレーレは、昔の恋人が犯した自分への裏切りを償わせるために、彼の死をもって巨額の
開校50年という節目に廃校する高校。最後の卒業生とかつてその高校に通っていた者の魂たち。出会いがあれば別れがある。「さようなら」の向こうに、何があるのか。そこに残る余韻は、どこにつながっているの。時を超え生死を超えひとつの終焉を共有する人々の、「接続」をめぐる物語。フルキャストオーディションを経て数百名の中から選ばれた24名。2チームによるダブルキャストでお届けします。
天竺へ向かう途中、三蔵法師一行が立ち寄った海辺の村の小さな孤児院。バケモノの脅威に晒されながらも小さな幸せを守り続けていた孤児院には秘密があった。これは人魚を巡る人間とバケモノの過去を乗り越え心を通わす物語。
小劇場演劇の記念碑的な作品である北村想の名作「寿歌」を、愛知人形劇センターが人形劇と演劇のコラボレートする新しい舞台作品として企画制作。核戦争の終わったある関西の地方都市。人影もまるでなくなった荒野を行く旅芸人のゲサクとキョウコ。そこにいきなり現れる不思議な芸を持ったヤスオ。ゲサクとキョウコのあてのない旅路にヤスオが加わり、家財道具をリヤカーに積んで三人は荒野を進む。目指すはどこか…。
1本の老木をめぐる3つの物語。時代の転換点に浮かび上がる多様な思考。チェーホフの名作『桜の園』をベースに矢内原美邦が独自の視点で描いた1本の老木をめぐる3つの物語。この木を伐るか、否か。そこにはそれぞれの主張があり、賛成があり、反対があり、いくら言葉を費やしても果たしてそこに正解はない。言葉は意味を失い、時間を失い、どこか遠くのほうをさまよいはじめる。もう誰も信じない... 君が「そうだ!」という
libido:SFシリーズ
孤独な地中の世界。でも地中は覚えてるかもしれない、今の僕らを、そして地上の世界をーー枯れ果てた地上を彷徨い歩くヒト2人。地中に繋がる井戸を覗けば、モグラ、スパイ、役人、風呂屋、学芸員、管理人、モグラ、モグラ・・地下で見るのは夢か、うつつか。オリジナル脚本でお届けするlibido:SFシリーズ第2弾!
「キミがどんなに世界に軽蔑されても、ボクはキミを軽蔑する世界のほうを軽蔑するし、してきた。」第66回岸田國士戯曲賞受賞作『バナナの花は食べられる』で描いた“人情”のその先、“愛”のフェーズ━━━本作をもって劇団公演では作家に専念すると宣言した山本卓卓が、夫婦という最小単位のコミュニティから日本社会を浮かび上がらせ、罵倒や暴力の先にある人間の優しさと愛を描く。
映画『田園に死す』(1974年公開)は寺山修司の自伝的映画とよばれ「世界のテラヤマ」の名を決定付けた作品。「母殺し」、「家出」、「蛍火」、「恐山」など寺山劇世界(ワールド)の集大成が、ここにあり、終生こだわり続けた《記憶とは何か?》《私とは何か?》というテーマを提示している。2009年流山児祥:企画制作、天野天街:脚色・演出、J・Aシーザー:音楽で上演。スズナリ連日超満員札止めのロングラン公演とな
すれ違う愛情や嫉妬心、悲しみ、激情を古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」の幾多の登場人物からビーマとドラウパディという特徴的な人物を取り出し、古今東西に通じる男女の心の機微を、夏目漱石の「夢十夜」の形を借りて奏でる詩的で幻想的な作品です。
作・演出: 武田一度-昨日の風はどこ行きかいな 知らんわい 明日の波はどこ行きかいな 厳寒のオホーツク サヨナラは 今夜の口唇昭和30年代初頭、遠洋漁業で一攫千金を夢見る甲板員達の物語。作・演出 武田一度本物の漁船4隻とクレーン車3台を使った空飛ぶ漁船団を大阪の繁華街に飛ばす。建築用丸太1500本 漁船4隻 クレーン車3台
人はなぜ体を鍛えるのか。まずは、そのことについて深く考える必要があるだろう。体を鍛えて筋肉量を増やしていくことに、いったい何の意味があるというのだろう? 何が私たちを筋トレへと、駆り立てるのだろう? 踊る毛抜と踊るダンベル。シャル・ウィー・ダンス? 程なくして私たちも踊りだす。ワン・ツー・スリー、リズムに合わせて。歌舞伎十八番のひとつ『毛抜』と、三島由紀夫の肉体論が、今、響きあう!
それは地球史46億年の記憶を備えた石。ヒトの記憶と共に新しく生まれ育っていく……不思議な詩を口ずさむ少女が棲む石だらけの世界に、ある日、七人の老人たちがやって来た。老人たちが目指す約束の地とは? 少女の正体は? 耳を澄ましてごらん、ほら、石が泣いている……アナタ、記憶ヲ美化シテハ、イケマセン……演劇舎螳螂、初の東京・大阪連続公演で送る小松杏里の「レプリカ」以来約二年ぶりの新作書きおろしSTROMA
「お葬式」と「オンラインゲーム」を題材に生きづらさを抱える3人の登場人物が、死なずに生活をする話。
貧しい農村に身を置いた宮沢賢治は、儘ならぬ現実と崇高な理想、そのあわいで悪戦苦闘しながら、まっすぐに理想に向かおうとした。早世した彼の生涯を、父・政次郎は「天馬」に例えた。また、妹のトシも大変な才女でありながら、若くしてこの世を去っている。宝石のような二人に先立たれた親を想いながら、東北の俳優たちと『銀河鉄道の夜』を、賢治が愛した演劇を用いて、“劇”を、する。滅多に星空を見上げなくなった、わたした
男は理想郷を探して彷徨い、人々は野生を求めて山を経巡る。京都を拠点に創作を行う劇団・烏丸ストロークロック。2011年の東日本大震災を契機に、日本人の自然観に大きな影響を与えたと考えられる山岳信仰を題材に選び、仙台での滞在制作といくつかの短編劇創作を経て、2018年に誕生した『まほろばの景』。ロームシアター京都と東京芸術劇場にて上演し、話題となった初演後、さらに東北地方の神楽や修験道に関する現地取材
1987年、月蝕歌劇団旗上げ作品の再演。七里ヶ浜に転覆したボートに乗っていた少年たちは何処に消えた? 血を吐く美少女の正体は何か? 戦前の帝都に出現する女神の目的は? 因果の小車の渦の中、真白き富士の嶺♪緑の江の島♪の旋律にのせてハーメルンの笛吹き伝説と女子挺身隊が結合する!
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
近松門左衛門の『曾根崎心中』と四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を、「生活は汚れである」という世界観のもとにドッキングした作品。心中に失敗した男女の愛が落ち延びて生活するうちに萎びてゆくドラマを、古語による台詞と非日常的・非生活的な身体で描いた。生活に近い言葉や身体ではなく、コンフリクトを抱えた俳優の身体の中に、生活のドラマを追求した。
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
第1回 人間座「田畑実」戯曲賞 受賞作品。秋から冬にかけて。豊かな緑色の町並みから、冬の白色に変わるまで。渋滞のテールランプの赤い灯りの線が、いつもそこに寄り添う。朝日ヶ丘は群馬県郊外に位置し、街全体が盆地にすっぽり収まっている。13年前に新しい高速道路が敷かれ、街の中央に大きなサービスエリアが置かれた。そこは次第に発達し、今では町の主産業になっている。朝日ヶ丘自体には、高速道路の入り口は存在しな
実話から生まれたいのちの寓話が今、語りかける。ある南の島。ガジュマルの木に逃げ込んだ兵士二人は、敗戦に気づかず、二年間も孤独な戦争を続けた――人間のあらゆる心情を巧みに演じ分け、観る者の心に深く刻みつける山西惇が、再び本土出身の"上官"を演じる。注目の新キャスト・松下洸平は、柔らかく、おおらかな存在感で島出身の"新兵"に挑む。歌手・普天間かおりをガジュマルに棲みつく精霊"語る女"に抜擢。琉歌に乗せ
1985年8月に起きた日本航空機の墜落事故を特異な発想と批判的な笑いで描きながら、深い鎮魂の思いを込めた作品。初演は1986年。家族が夢中になって見入るテレビから、インタビューから逃れて事故の生存者であるCAが飛び出してくる場面を皮切りに、日航がコマーシャル界に復帰する撮影現場など、虚実の間をぬう奇想なドラマが展開。やがて現代の表層的な戯画である茶の間の光景が、事故で失われた人々のかけがえのない生
「長い正月」は、とある家族の1924年から2024年までの"100年の正月"を定点観測する、ささやかな大河劇。「人生は短い。この正月は長い」がキャッチコピー。誰にも平等に訪れる"正月"という時間を100年の長いレンジで扱い、戦争、震災、コロナ…といった歴史的事象を織り交ぜつつも、市井の人々の暮らしと営みに光を当て、ドラマを見出した。戯曲は上演後、演劇批評誌「紙背」に掲載。
実在の人物である、文学者・医者のユダヤ系ポーランド人、ヤヌシュ・コルチャックの後半生を描く。第一次世界大戦後、ユダヤ系とポーランド系の孤児院を運営するコルチャック。その孤児院は、厳しい管理や強制ではなく、子ども達の自治を実践していた。子どもを一人の人間として尊重し、彼らの自治による世界を実現するという、革新的な彼の主張は、1989年に国連で制定された「子どもの権利条約」に生かされている。ナチスのユ
アルゼンチンの小説『脱獄計画』を原案に、かつて作られた上演にまつわるインタビュー。インタビュアーであるロビンは、上演で何が起こったのかを探っていくはずだったが、徐々に当時の「出演者」による再現に巻き込まれていく。徐々に明らかになっていく、「演出家」という存在の目論見。それは『脱獄計画』の解釈として語られる、演じることと死にまつわる、奇妙な演技論だった。
岸田理生アバンギャルドフェスティバル リオフェス2024
寺山修司作「身毒丸」を岸田理生が台本を脚色、改定し、1995年、蜷川幸雄が演出、武田真治、白石加代子の主演で初演が公演、日本のみならず、ロンドン、バービカン劇場で大絶賛を得て、藤原竜也を天才新人と言わしめた。そんな「身毒丸」が令和の時代に「野外劇 身毒丸R」として復活。うだるような真夏の夜、月と星の灯りの元に夏風さやり、虚構と現実が蕩け合う。時代を廻り、世界の果てを越え、母子の物語は、何処へ辿り着
「喪主の練習をしたい」と言い始めた母。ご近所さんのお葬式がグダグダで本当に酷かったらしく「自分が喪主をする時にああはなりたくない」と近所の葬儀屋と手を組んで一からお葬式を学んでいく。職人気質で頑固な夫、親になかなか言い出せない秘密を抱えた長女、大学受験を辞めようとしている長男。バラバラな方向を見ている家族が、やる気が空回りする葬儀プランナーの指示のもとお葬式のリハーサルをやらされることになるのだが
どこにいるのか、袴垂れ。どこへいくのか、袴垂れ。 理想を掲げた共同体がどこから生まれ、どこへ行きつくのか…現代日本の抱える問題に鋭く切り込む!軽快で絶妙なセリフの応酬、変幻自在のムーブメントに乞うご期待!
深津篤史の作品のモチーフの一つである阪神淡路大震災を描く作品。舞台は、倉庫の様にも、船の甲板のようにも見える。亡くなった友人の命日に集まる男女4人、別居中の妻を震災で失った男や別れ話の女性カップルなど、喪失感を抱えた人々が非日常の時間の中で交錯する。
『父と暮せば』で原爆投下後のヒロシマを描いた井上ひさしが、桜隊の史実をもとに原爆投下直前の広島の3日間を舞台に、戦時下でも演劇を愛し、芝居の力を信じ、「一人ではできないことをしている、一人の人間の力をはるかに超えたなにか大きなもの、なにか豊かなもの、なにかたのしいもの、それを望んで、それをたしかに手にいれている」と身も心も捧げた人々の苦難と喜びを、笑いと歌声を交えながら描く“演劇讃歌”の物語。
ワタナベエンターテインメントDiverse Theater企画。その名の通り「多様さ」ワタナベエンターテインメントが新たに⽴ち上げた様々なクリエーター、プロデューサーとのコラボレーションにより、演劇の可能性を拡げるプロジェクトです。第⼆弾として、劇団チョコレートケーキの古川健、日澤雄介とのコラボになります。
ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利しローマに凱旋する。民衆はタイタスに、空位だったローマ皇帝になるよう要望するがタイタスは固辞し、かわりに先帝の長男サターナイナスを指名する。新皇帝サターナイナスは、捕虜であるゴート人の女王タモーラを妻にする。タモーラはタイタスに強いうらみをもっている。愛人アーロンや息子たちを使い、皇后という立場を最大限に利用して、タイタス一家を次々
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害を逃れてオランダ・アムステルダムの隠れ家に潜伏したユダヤ人一家の少女、アンネ・フランクの生涯を描いた作品、ミュージカル化
近未来、夏。高原のサナトリウムには、不治の病におかされた患者たちが多く入院している。 下界から隔絶されたサナトリウムの面会室で、死を待つということの意味が、ゆっくりと流れる時間の中で 淡々と語られていく。 患者たちとそこを訪れる面会の人々や医師たちとの死や時間に対する観念の差異を浮き彫りにしながら、軽 妙な会話を交えて、サナトリウムでの何も起こらない静かな午後が描かれる。
“現代アイルランド演劇界のチェーホフ” ブライアン・フリールの名作。アイルランドの北西部、バリーベッグのはずれの村。ひっそりと暮らすマンディ姉妹はそれぞれの悩みや、緊張の中で助けあって生きている。この片田舎にも近代化の波が押しよせ、経済的な不如意に苦しみ、兄・ジャックの送還の余波でマンディ一家はだんだん崩壊していく・・・・・・。オリジナル曲にアイリッシュダンス、姉妹を取り巻く人物達との激しい言葉
いのちのかたりつぎ 〜色とりどりの物語がつむぐ、震災のこと〜
海辺のある小学校の机の上には9年間そのままになっていた一本の牛乳瓶がありました。”フクシマ”と呼ばれた被災地の、過去・未来・現在の時空を超える言葉をつむぐ命の合唱。福島で活動し、第1回「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」外国語部門等受賞歴のある詩人・和合亮一の詩をもとに、東北に縁のある出演者・スタッフにより制作された作品。本当に祈るべきものは、未来にある。
日印友好交流年記念事業として、範宙遊泳とThe Tadpole Repertoryが国際共同制作。よくあるとある街を舞台に、見知らぬ6人が、自分自身に、そして互いに向き合いながら、自分の居場所を探して時を織りなしていく。欲望と病、愛と寂しさ、影ある過去と霧がかる現在(いま)。そこにある事実はただ一つ、ここからは逃げ出せない、ということ——。
罪を犯した女の一生を辿る、滑稽ながら切ない怪作。現在活動休止中のガレキの太鼓が、「女だらけの人間賛歌」と銘打って行った。旗揚げ2年目で、口コミサイト全国4位に躍進した代表作の、再演。アゴラ劇場の前を、キャンセル待ちが長い列を作った。肩を震わせ泣いたあの子の、人生の物語ひざまずいて許しを乞えば、どこから始められるだろう私が何かをやったとて、誰に関係なんぞあるあなたが何かをやったとて、私の目には入らな
令和3年度 次世代応援企画 break a leg
「令和3年度 次世代応援企画break a leg」に選出され、AI・HALL と共催で公演を行った〈集団暴力シリーズ〉の一作。「革命」を謳い原始共産主義を採用する集団農場を舞台に、「精神的指導者」亡き後の世襲を巡る抗争を描いた作品。カルト化した集団内での、資本や身体への〈所有〉および〈執着〉を巡る議論から、現代における〈信仰〉の現在地を問い直す。
心地良い昼下がり、竹本家の居間には亡くなった大学教授である主人・竹本信盛を偲び、親交のあった面々が集まっていた。思い出話に花を咲かせる彼らのもとに、信盛の「遺言」を預かったと言う弁護士が現れ、信盛の遺産を相続するべき「愛人」を探していると告げる——。弦巻啓太の代表的なシチュエーション・コメディを劇団員だけでリメイク!(第9回サンピアザ劇場神谷演劇賞大賞受賞作)
ドキュメンタリー
ぽつねんとある自動販売機を止まり木のようにして集まる3人の人物の雑談から始まり、缶ジュースの風味が浸透するように境目なく様々な記憶や風景が現れては消え、過去や未来、人物がいるのかいないのかさえ揺蕩っていく。その中自動販売機だけは形を変えず、その場に存在し続ける。監視者なのか、なにかを促すモノリスなのか。感覚的なようで、人物たちの感情は一連のストーリーとして確かに繋がってるニュースタンダード会話劇。
玉造小劇店配給芝居vol.35
人間は12回生まれ変わるという。最初に登場するひとりの少女(のような者)は今までに10回生まれ変わったが、いつも身体と心が一致していないような感覚で満足のいく人生を歩めたことがないと語る。ある日、天界で偶然出会った阿弥陀様に「次に生まれ変わるときにはそれが解消できるでしょうか?」と問い、少女は自分の10回の人生を阿弥陀様に見せることにする。果たして少女の答えは出るのだろうか?あと2回生まれ変わる人
深い闇の中に、鋭く射し込むスポットライト。魂に響くヘンデルの名曲と台詞。苛酷な運命に操られる若者たちの悲劇を、幻想的な美しさと、力強いタッチで浮かびあがらせる。ワレリー・ベリャコーヴィチが世界を驚かせた魔法の演出!!天才演出家ワレリー、凄艶華麗なる剣幸、そして、抜群のアンサンブルで魅せるピッコロ劇団、ついに“劇突”。
ニッポン全国、今夜もパソコン通信であちこちに会話の花が咲く。ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人もそんな仲間だ。ところが初めて直接に顔を合わせる「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまう。そしてある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが。指示に従ってヤリタイが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。それは小夜子にも天涯孤独にも届けられていた。シタイは何
フィクションでありながらノンフィクションめいた説得力を持つ「奇譚集」をヒントに、演劇で実際に目の前で演じることによる真実味と嘘の融合を目指す。言葉の響きとして思いついた「ハンアイ」と、博愛(=すべての人を広く愛する)ととても似た意味ではあるが、意味合いとして偶然に合致した「汎愛=分け隔てのない愛」に、「奇譚集=ちょっとおかしな、嘘じゃないみたいなまるっきり嘘の話」を組み合わせた作品を3作品上演。
1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
己の正義のために、悪にはさらなる悪をもって、自由を追い求める兄・・・己の生を呪い、自らの欲望に忠実に、他人を徹底的に欺き利用する弟・・・この2人の兄弟の行き着く先には、どのような世界が広がっているのであろうか・・・?ドイツ疾風怒涛期を代表する傑作古典を通して、混迷する現代にひとすじの光を照射する!
老人の家で泥棒中に事故で死んだ少女メグは、善悪同ポイントで天国にも地獄にも行けず、魂のエネルギーが尽きるまで現世に戻される。しかしそこは皮肉にも2年前、自身が襲ったマッコール老人の家だった。老人は死期を前に「4つの願い」があり、メグは天国へ行くためしぶしぶ手伝うことになる。老人の切なる願いと少女の魂の行方を描く、笑いと感動のハートウォーミングな霊魂騒動! 劇団京芸・人形劇団京芸 創立60周年記念合
チェコの作家、フランツ・カフカの「変身」のオペラ化。後に、『変身』と改題した。国内では高等学校公演や公文協公演に加え、1999年東京文化会館リニューアル記念公演として上演し、2009年には、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、チェコでの海外公演もおこなった。
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
ロシアを中心とした三国干渉により、朝鮮半島での影響力が弱まった日本は、新公司として三浦梧楼を赴任させる。1895年10月8日、三浦を中心とした「暗殺団」が朝鮮王朝の王妃を殺害した。この乙未事変は、その後の朝鮮半島の侵略・植民地支配の大きな節目となった。韓国・朝鮮人には決して忘れることのできないこの事件を日本で知る人は少ない。外交史上他に類をみない蛮行をめぐって繰り広げられる人間模様を描いた作品。
独裁政権下での人間の尊厳と正義を描く、チリの劇作家アリエル・ドーフマンの名作。1990年に発表されて以来、そのセンセーショナルな展開が世界中に衝撃を与え、今もなお繰り返し上演されています。演出家・弦巻啓太が若い頃から取り組みたいと熱望していたこの問題作を、2023年、青井陽治氏の翻訳でついに舞台化しました。
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
ひきこもりとある家族の物語。舞台は、感染症が蔓延した都市。感染リスクから逃れるために地方に移住する人などもいる中、とある場所で夜中に「ひきこもりを治すことができる」と言われる人物に会うために集まった人々が、朝を迎えるまでを描いた物語。
バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の大建設現場。自由奔放な協同組合の人気者、ワーリャを巡る男達。「安売り女」と陰口を叩かれながら、そんな事を気にも留めず我が道をゆくワーリャ。恋人、友人、仲間たちとの交流の中でワーリャは自立した大人の女性へと成長してゆく。彼女を変えたものは一体なんだったのか……恋愛、友情、そして働く人間たちの葛藤を描いた青春群像劇。
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
さいたまゴールド・シアター第4回公演
近未来。安楽死法が施行された日本では、老人は延命医療よりも「最適な死」「りっぱな最期」をのぞむように求められていた。エコロジーという名の下に排除され、それぞれの場所で追いつめられていく老人たち――。そんな時、ある老人ホームでかつてのアイドル歌手の死亡が報じられると同時に、その死には不審な点が多いことがわかった。元ファンクラブのメンバーたちは彼女の入所していた老人ホームに乗り込み、謝罪を要求するにと
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。