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金子鈴幸が約一年半ぶりに作・演出を手がけた新作公演。2022年の日本においてどのような物語が【有効】なのか?という問いを出発点に、人間の持つ「どうしようもない部分」に光を当てるような作品となっている。とあるラーメン屋の店主、まさこ。彼女はラーメン界でも「元アイドル」という異色の肩書きで営業していた。「究極の一杯」を探求し、ラーメン道を日々邁進する彼女。その日もいつもと変わらない一日のはずだったが…
劇団青年座創立50周年記念公演 第3弾
生まれついてけもののように生きていくしかない哀しい定めの男たちがたむろする安楽亭。そこに場違いな男がフラリ現れた。「俺は知ってるぜ。この店がどんな店か。」男は酔い潰れ、嗚咽する。ある夜、与兵衛が傷ついた若者を担ぎ込んで来た。身なりからして真面目そうなこの男もまた事情ありのようだ。「いったい、何をしたの。」おみつの言葉に身の上を話し出す富次郎。その時、他人とは関わらなかった安楽亭の男たちの血が騒ぎ始
『聖ミカエラ学園漂流記』は、数十人の女生徒たちによる反逆のカーニバルを描く。それは暗黒の宝塚による金網デスマッチに駆け抜ける少女十字軍の叛乱なのである。悪魔と手を結ぶトリックスターには、美少女・美加理が扮し、「聖ミカエラ学園」は音を立てて崩れる。30余の女子中学生、女子高校生たちが歌うものは果たして何か? そして彼女たちは、どこに漂流するのか? 讃美歌と文部省唱歌の交叉する中、美少女・美加理が火を
僕は、あくまで僕が行う演劇において、社会や未来や観客や人類に対しての「問い」を持つべきだという考えに取り憑かれて創作をしています。年齢や出身地なんか関係ない。運命や希望や絶望などとも関係ない。僕だけのオリジナルな、完全無欠かつ純粋無垢で邪悪で妖艶で現実的で蠱惑的で幻想的で残酷な「問い」を持つこと。かといってそれはさも「問い」らしくあらないこと。「問い」ぶらないこと。「問い」を生み出そうとか、そうい
脚本執筆前の小沢佑太(脚本・演出)による宣言文(一部抜粋)です。「僕が初めて東北のまちを訪れたのは2014年7月、震災後4年目を迎える夏でした。あれから2年に1回、観光として東北に行っています。13年の月日が経ち、その間にも各地で大きな災害が毎年のように起こっています。そこにある小さな想いを汲んで、変わっていくもの・変わらないものに目を向けて、丁寧に繊細に素直に描いてみようと思います。」
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」を下敷きにした鄭義信による日本未発表の音楽劇。2014年4月に韓国のソウル獎忠洞(チャンチュンドン)の国立劇場タロルム劇場で初演。元宝塚歌劇団月組男役トップスターの剣幸と、劇団☆新感線の右近健一を客演に迎え、ピッコロ劇団と関西で活躍する俳優陣が結集しておくる、歌って踊って笑って泣ける関西風シェイクスピア音楽劇。
世間を震撼させたバスジャック事件「新鷺梁津事件」から十年。イラストレーター志望のキム・リカとルームシェアし、ネット記事の執筆とアルバイトでその日暮らしを続ける自称ライターの三浦小豆は週刊誌連載を狙い、被害者たちへの取材を始める。彼らは変わりゆく社会の中で、風化しつつある「事件後」を生きていた。事件の影響で片腕を失った青野尚子の電動義手手術への支援を求めるクラウドファンディングが立ち上がる中、ネット
とある町の外れにあるおもちゃリサイクル工場。いつもの社員と派遣パートの女達が働く部署に、お仕事マッチングアプリに登録したばかりの68歳の男が初めて仕事に来る。「おもちゃが一つ足りない」という些細な事件をきっかけに隠れていたそれぞれの心の中がみえてきて...。音楽やダンスも取り入れて客席と一体になる今作は子どもの心も掴み大人の心にも響く。人々の日々の営みをユーモアたっぷりに描いた、パショパショ流プロ
朗らかな初日の光さやけく新春らしからぬ、不穏な不穏な時代のお噺。我が国はここを先途と諸外国に対し獅子奮迅の勢いで躍進するも虚しく敗退し、米、英、仏、露によって分割統治されるに致り、国民は臥薪嘗胆、クチビル噛み締め刻苦勉励の毎日であります。さてここに御座すは絵師、記者、軍人、撮影技師、人形師、弁士、等々。自由に往来すること叶わぬご時世の中、鹿児島から天下の米国様にご神木を献上するべく特別に発行された
「国家と芸術家」シリーズ
「動物農場」「一九八四年」で知られるイギリスの小説家ジョージ・オーウェルの評伝劇。第二次世界大戦下、まだ無名の小説家だったオーウェルことエリック・アーサー・ブレアが、大英帝国の崇高な理念と帝国主義の欺瞞に板挟みになりながら、どう成長していったのかを、彼を取り巻くイギリス在住インド人たち(親日派・親英派双方)と、彼の妻アイリーン、そして、女性小説家キャサリン・バーデキンとの交流を通して描いた。
青山円形劇場プロデュース
120名の女子高校生が参加した「青山演劇ワークショップ」で選抜された21名が、平田オリザ戯曲特有の「同時多発」会話で繰り広げられる群像劇に挑み、話題を集めた作品。ある日、クラスにおかしな転校生がやって来た。「朝、目覚めたらこの学校の転校生になっていた」という。カフカの『変身』をモチーフに、最も多感な年頃の感性を、彼女たちの実際の生活に取材しながらユーモアたっぷりに描く。
第六回本公演
名も無い教室、並んだ8台のアンドロイド。今日も、休み時間は繰り返される。かつてアンドロイドが一台、『女王』役の頬を殴ってクラスから逃げ出した。そこへやってきた転校生は言う、「私は人間です」と。クラスは次第に人間という『バグ』によって狂わされていく…。クラス全員がアンドロイドという”設定”でプログラムされた通りの休み時間を繰り返し続ける、女子高生たちの多視点群像劇。
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
昭和のはじめ、食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸は荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。重労働と粗悪な飯で身体を悪くした漁夫や雑夫が、何人も北の海で死んでいく。「このままでは殺される」遂に自分たちの力でストライキを起こし“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、彼らは立ち上がった。もう一度。
若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
劇団鹿殺し 15周年記念公演
時は戦乱の世。幾多の武将が名を馳せる中、月見草のように闇に咲く名も無き侍たちがいた。強さとは何か?死ぬべき時はいつか?生きる意味とは?はぐれ雲に問い続ける刃の光。流れた血のあとに、月の涙が零れ落ちる。合戦の騒乱を生バンドに乗せ、足軽が管楽器を吹く。嘆きのギター、進軍のベース、生きる鼓動がドラムに乗り移る。劇団鹿殺しが挑む「新世代パンク時代劇」参上!
2つの劇場で、2つの物語が、絡み合いながら並行して2時間リアルタイムに進行するノンストップシチュエーションコメディ!!その2ndでの上演作品は「ファイティング・ブロードキャスト」出演者が来ない、スタッフが足りない、セットが違う…。生放送成功のために奮闘するケーブルTV局の物語。
あらすじいなくなった親友にそっくりのヒサダさんに出会うカップル。夫がいなくなり、姪と暮らしている女、近所に住むおばさん。日常がちょっと変に歪んでいく、ふたりの遠出。遠くに行きたいけど、行けない。今いる場所に、かつていた場所が重なっていく。これは都市生活者冒険譚である。
あらすじ櫻井真希(28)は東京で新人ライターとして働いている。ある日、実家大阪の父から中国に住む祖母が亡くなったこと電話で知らされる。この電話をきっかけに、真希が閉ざしていた過去が少しずつ鮮明に思い出されていく。それは、約10年間病気であった母を家族と支え、歩んできた記憶であった。中国で生まれた母の、日本での苦悩。それを理解しきれない家族の苦悩。家族内に存在する二つの苦悩の狭間で葛藤、衝突の中、櫻
高校。表現選択科目「演劇」の授業時間帯。「演劇」の授業を選択した生徒たちは、一癖も二癖もある問題児。自称演劇人の非常勤講師によるやる気のない「演劇」の授業は、ただの不良の巣窟と化してしまうが、無気力と惰性の時間の連続は、彼女たちの絆を深めていった。しかし、ある時、その授業が研究授業として発表しなくてはならなくなる 。非常勤講師の提案に 、全員で『走れメロス』を題材にした芝居を作ることになるが…不良
獣三作
正木円治は、“寝取られ”の性癖を持つ夫婦やカップルとSNSで出会い、公認で依頼者のパートナーとセックスをする活動をしている。ある日、円治は星野夫婦から、精子提供という名の“孕ませ”の依頼を受ける。悩む円治だったが、認知はしないことを約束し依頼を引き受ける。医療機関を介さずに精子提供を行う男と、第三者に寝取られる事で愛を確認し合う夫婦の、現在とこれまで。生きづらい世の中を描いた《人と人と人》の物語。
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
2021年再演版
男性キャストのみによる、ごく小さな日常の一コマを巡る物語。しょうもないけれど、誰もが身に覚えのある小さな「裏切り」を素材とし、信頼とは何か? という胃の痛くなるようなテーマを浮かび上がらせます。とある休日、ロードバイクで旅行に出掛けたサラリーマン五人組は、山深い温泉宿に立ち寄った。ささいなことから言い争いを始める五人。口論は、やがて思わぬ方向に発展していき、遂には修復し得ないほどの混乱に……。
シャッターが目立ち始めた駅前商店街のある町。変わらない車窓に流れる風景のような毎日を生きる母。そんなレールから、分岐を切り替えた「わたし」を責めるように響きわたる踏切の音。そして母が、わたしが目指した場所は…「笑っちゃうほど滑稽で、泣いちゃうぐらい いとおしい」物語。
――綺麗な毒には花がある。 『完璧な女子力』を求める女子高生は、森の奥に建つ巨大なメイド喫茶でアルバイトを始める。勤務初日の夜、メイド長が突然死。騒めくメイド達は「これは『御主人様』の仕業だ」と噂する。店には、メイドを次々殺していく、怪人『御主人様』の呪いがかかっていた。 耽美!耽美!暴力的耽美!演劇集団白昼夢が、虚構で性別を破壊する。
「場所にこびりついた記憶」と「記憶の空洞」をテーマに、メンバー各自の地元に赴き、その場の記憶を拾い上げ、その場に居た私たちにしか掴めないものを探した2週間の「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」そこから、記憶というテーマはずらさずに、演劇史や過去の創作物を進歩史観に照らし合わせ、ちぎってはつなげて生み出した「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」最終章。
18世紀、文豪ゲーテの書簡小説「若きウェルテルの悩み」は理性が全てに勝るという啓蒙主義を背景に恋愛の挫折と自殺という不条理を描いた。本作品はこの設定を現代の小学生に移行。成人が演ずる子供には将来の夢と思春期の未熟が同居する。秘密の共有、孤立、イジメ、性への執着。上田テルオはその姿の絶望を転校前の友人に書き送る。ロッテと呼ばれる少女が現れ、小説の執筆を勧め、テルオは魂の救済とロッテへの恋に震える。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
ゴミが生きる町=ダストタウン誰が呼び始めたのか、そう揶揄される荒んだ街で人々は絶望の中にあった。頻発する戦争と長引く不作の影響で深刻な経済危機の中、悪政は第3身分の市民たちに重くのしかかり、誰もが明日を生きる気力すら失いかけていた。ただ一人、ダストタウンの少女・イトハをのぞいては…解けぬ呪縛、境界が敷かれたどん底の時代で、ただ真っ直ぐな愛に突き進む一人の男の、悲哀に満ちた破滅の物語ー
電信柱が一本、その下に、ひしゃげた事故車が一台。夕焼けの中、ヨシ、ダイスケ、ヒロシ、サブローが集まっている。胡散臭い「ショーバイ」を始めようとする彼らのもとに、ケイコ、ヤスエ、フーコがやってくる。彼女たちは、ミッキーの子を妊娠したため父親の怒りを買い、家に閉じ込められているミヨコを連れ出す計画を持ち掛ける。ミッキーとミヨコは、「トーキョー」へ行くらしい。ミッキーに金を工面してやろうとする元彼女のサ
椿組2023年春公演
「あんた、わたしの一生は小説よかもっと小説のごたるばい」 老女たちは薄羽かげろうのような私をはじきとばして、目のまえにずしりと坐りました。その姿には階級と民族と女とが、虹のようにひらいていると私には思えました。 『私は何かを一生懸命に探していたのです』・・・・森崎和江著「まっくら」より。 戦後、筑豊に生きる女炭坑夫ら百年の聲を聴き歩いた森崎和江。 彼女の出逢った男と女の物語・・・「負けられるか!」
彼にとって、彼女は一切であった。娘であり、母であり、獣であり、マドンナであった…。すぐれた東洋美術史学者であり、類まれな万葉調の歌人であり、また独創を重んじた書家として名を成した會津八一。そんな彼の、遠縁の娘きい子との神聖な恋。彼を慕って集まってきた教え子たち。彼らがやがて巻き込まれていく、幾つかの過激な事件、そして戦争の影…。
都内などで原因不明の高齢者連続死亡事案が発生した。死亡した全員の容姿がまるで若返ったような状態であること、彼らが同じ地区出身者であることが浮かび上がるー。調査のため、市役所職員の前田とともに山奥の集落に向かった佐知子は大雨の中、事故に遭ってしまう。ぼんやりと揺れる灯りの先に見たものは……。日本限界突破集落地獄外道祭文‼
椿組2019年春公演
昭和11年。2.26事件前夜、若者は東京へ降り立った。そして事件、帝都では戒厳令が発せられ首謀者15名に銃殺刑執行。やがて時代は不穏な霧に包まれ坂を転げ落ちていく・・・大陸の事変、それは日常。そんな中、若者が飛び込んだ先は浅草花月劇場、そこには「アキレタヤツラ」が居た。若者は数多(あまた)のものに出会う。文学、詩人、大衆芸能、築地の演劇人、転向者、踊り子、そしてマドンナ・・・北海道・稚内、浅草花月
明治百五十年異聞
あの「太平洋食堂」が再々開店!あらすじ:明治末期の大逆事件を廻る演劇。日露戦争開戦の年、大石誠之助は洋食レストランを開いた。アメリカ帰りの誠之助は、ドクトルと呼ばれ町の人々に親しまれる。とびきりシニカルでへそ曲がりの誠之助は、時代に抗い、社会に声をあげ続け、人々の間に騒動を巻き起こす。同じころ、浄土真宗僧侶の高萩懸命は南無阿弥陀仏を唱えながら煩悶していた。「なぜ、人に上下があるのか?」熊野・新宮を
どこにいるのか、袴垂れ。どこへいくのか、袴垂れ。 理想を掲げた共同体がどこから生まれ、どこへ行きつくのか…現代日本の抱える問題に鋭く切り込む!軽快で絶妙なセリフの応酬、変幻自在のムーブメントに乞うご期待!
2020年第20回AAF戯曲賞特別賞を受賞した作品。コロナ禍による緊急事態宣言中の2020年の日本を主な舞台に、当時を生きた人々へのインタビュー、ニュース、社会情勢をもとに書かれた50本の短編作品を、長編として編纂したもの。緊急事態宣言中にDV避難を余儀なくされた若者を軸に展開される、コロナ禍を舞台にした群像劇。
ちがう空間、ちがう世界の物語–人と自然が共存する豊かな町・スターシア。まわりを森や山に囲まれた平野部に位置するその町の民たちは、険しい危地を超える術を持たず内部だけでひっそりと暮らしていた。何者にも侵されぬ聖地のように、世界の事を知らぬまま。それはこれからも続いていくはずだった。森の向こうから一人の少年がやってくるまでは。
これはたぶん、ストーカー的に誰かを好きな女の人の話で、その恋は全く報われていない、報われる気配がない(というか相手が実在するのかも怪しい)、のだけれど、それゆえにかえって独自の深化をとげて、不思議な塩梅で彼女を支えています。それは、執着といえば執着で、でも不思議とねじくれたところなくスキッとしている。他人に迷惑かけてない。ヘルシー!すっかり擦り切れて、ヤサグレかけていたところに降りそそぐ、甘い露。
椿組2019年夏・花園神社野外劇
戦後生まれの初の芥川賞作家・中上健次の熊野三部作「岬」「枯木灘」「地の果て至上の時」を元に青木豪が纏め上げた熊野に生きた男の物語。芙蓉咲く紀州・熊野の「路地」で、地を這うように生きた”秋幸”という男とその家族の「血の物語」である。「この土地が、山々と川に閉ざされ、海にも閉ざされていて、そこで人間が、虫のように、犬のように生きている。」中上健次・作「岬」より。血と地の因習の中から抜け出そうとしても纏
なんでだろう。この部屋が、どうしても嫌いになれない。繁華街に佇むそのアパートの一室は、隣に建った看板のせいで窓からの眺めがまるで見えなかった。毎夜看板の光が色とりどりに揺れるその部屋で、伊野夏子は死んだ。二十歳を迎える少し前に、彼女はしずかに幽霊になった。数年後。そこに引っ越してきた津島一郎に自分の姿が見えていることに、夏子は気付いた。一朗は恋人を持たず、友人も少なかった。夏子は彼を気に入った─約
1930年代、アメリカ西部の広大なカリフォルニアの大地。幼い子供のように純朴で無邪気な大男レニーと、聡明なジョージは、ある農場からやっとの思いで逃げ出してくる。いつも面倒を起こすレニーを、持て余しながらも見捨てられないジョージ。二人は、自分達の小さな家と農場を持ち自由な生活を営むという、ささやかな楽園への夢を語り合いながら、次の農場へと向かう。季節ごとの仕事を求めて農場を転々とする渡り労働者の生活
人工流れ星「金平糖1.0」を巡る愛と笑いと未来の群像劇人工的に作り出す流れ星を開発したハウトは、人工流れ星に「金平糖1.0」と名前を付けて初披露を控えている。一方、新聞記者の青は自然に人が手を加えることを批判している。そこへオカルト研究会のおバカな高校生二人と、娘を事故で亡くした教師も加わり、運命が交差し、すれ違っていく。年齢も境遇も様々な5人それぞれの運命が、最後には1つの結末を迎える!
転校してみたら常識が通用しないやつらばかりだった。試験中に歌いだす不良、すぐに刃物を探す少女、ずっと話さない男。新しい環境に戸惑っていると、一人の教師が言った。「じゃあ、演劇部作る?」その一方で、家は崩壊しようとしていた。水は、すぐそこまで来ていた。フィクションを超える現実と戦う人々に送る 全然笑えないコメディ。「もう笑うしかないよ。だって、水浸しなんだもの。」
1888年、フランスアルル地方。ゴッホが画家の共同生活場所・創作拠点として作った【黄色い家】に集ったゴーギャン・スーラ・シニャックらは、喧嘩を繰り返しながらも互いを高め合い、親交を育んでいた。そこに、主人を喪ったメイドのアルルが【黄色い家】の戸を叩く。「知られてはいけないが残さなくてはいけない」絵を描く為に。各々が自らの想いを乗せて筆を走らせる中、変化していく想いと時代と環境に翻弄され続ける画家た
己の正義のために、悪にはさらなる悪をもって、自由を追い求める兄・・・己の生を呪い、自らの欲望に忠実に、他人を徹底的に欺き利用する弟・・・この2人の兄弟の行き着く先には、どのような世界が広がっているのであろうか・・・?ドイツ疾風怒涛期を代表する傑作古典を通して、混迷する現代にひとすじの光を照射する!
「エバーグリーンONLINE」というネットゲームの世界とそこに集う現実の人々のそれぞれの生き方が交錯する群像劇。2006年に同劇場で上演されたシアターシンクタンク万化の「エバーグリーン・オンライン」を大幅ブラッシュアップ。
TRASHMASTERS vol.35
とある町。原発の産業廃棄物受け入れによる交付金で図書館や劇場など公的機関の建設を目論む首長は、受け入れに対する反対勢力との会合に参加した。会合は互いに相容れず散会に終わる。やがて、産廃を受け入れて町興しをしようとする市長側と、反対勢力の間で町が二分する……。震災から10年が経ち、東北では原発が再稼働するという。これは幸福か、それとも……。狂おしいほどに駆け引きが横行する町に未来はあるのか……。
日本の劇団羽衣は、東京下北沢の本多劇場で『人体』というタイトルの新作公演を行なっていた。しかしその公演は、次第に謎の存在に乗っ取られていく。謎の存在とは何か?人体を流れる血か!?人体に潜む愛か!?宇宙人か!?はたまた観客か!?今、人体たちの大冒険が始まる!FUKAIPRODUCE羽衣の妙ージカル『プラトニック・ボディ・スクラム』開幕!!表現活動や劇団員の生活の苦しみというディティールと、「ごっこ遊
さいたまゴールド・シアター第4回公演
近未来。安楽死法が施行された日本では、老人は延命医療よりも「最適な死」「りっぱな最期」をのぞむように求められていた。エコロジーという名の下に排除され、それぞれの場所で追いつめられていく老人たち――。そんな時、ある老人ホームでかつてのアイドル歌手の死亡が報じられると同時に、その死には不審な点が多いことがわかった。元ファンクラブのメンバーたちは彼女の入所していた老人ホームに乗り込み、謝罪を要求するにと
ダンボールで出来たカラフルなタイルで彩ったプールを劇場に作りあげ、観客はプールサイドから観劇する。妖艶で退廃的な”ROMANCEPOOL”に満ちる生命エネルギー。FUKAIPRODUCE羽衣初期の名刺代わりの作品。
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
「国家と芸術家」シリーズ
1920年代初頭に「乳白色の下地」という独自の技法を確立し、日本人として初めてパリで成功した画家、藤田嗣治。彼の人生の内、パリ時代(1913年~29年)と、日本に帰国後、トレードマークのおかっぱ頭を丸刈りにし、軍部の協力要請に従って、「アッツ島玉砕」等の戦争画の創作をしていく太平洋戦争時代(1938年~45年)を取り上げた評伝劇。
あるとき鶏がささやいた。そのままでいいのか。お前はコントロールする側じゃないか。支配する喜びを知れ。だがなにも実現できなかった。またあるとき牛がいなないた。そのままでいいじゃないか。大きいからこそできることがある。実現できる喜びを知れ。だがコントロール不能だった。中国は言う。鶏口なるも牛後となるなかれ。日本はどうだ?“起業”をテーマにパラレルワールドに描く2つの物語。はたらくすべてのひとたちへ。
六人の修道女を巡るマジックリアルな群像劇いつかわからないが、一世紀ほど過去を思わせる。どこかわからないが、ヨーロッパを思わせる山の麓に建つ、山荘。その石造りの山荘は半世紀ほど前、村の人々によって建てられ、以降も村人が管理している。かつては祠だったその場所は、キリスト教で言うところの聖人をまつり讃えるべく建てられた。ちょうど百年前、村の長老が病に倒れ、ある修道院から修道院長が呼ばれた。彼女の祈りによ
FUKAIPRODUCE羽衣10周年記念特別公演
円形のスタジアムの中で、都会の孤独を描く妙ージカル。結局さ 傑作さ 人生悲劇でも喜劇でもねーが。
バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の大建設現場。自由奔放な協同組合の人気者、ワーリャを巡る男達。「安売り女」と陰口を叩かれながら、そんな事を気にも留めず我が道をゆくワーリャ。恋人、友人、仲間たちとの交流の中でワーリャは自立した大人の女性へと成長してゆく。彼女を変えたものは一体なんだったのか……恋愛、友情、そして働く人間たちの葛藤を描いた青春群像劇。
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
優柔不断で頼りにならない映画監督、人の迷惑かえりみない完全主義者の女性キャメラマン、険悪な仲の二人の主演女優、そして文句の多いエキストラ…、助監督は切れかかり、制作助手は孤軍奮闘…。映画撮影現場の出口が見えない、笑いと涙の人間模様。