表示件数
シャッターが目立ち始めた駅前商店街のある町。変わらない車窓に流れる風景のような毎日を生きる母。そんなレールから、分岐を切り替えた「わたし」を責めるように響きわたる踏切の音。そして母が、わたしが目指した場所は…「笑っちゃうほど滑稽で、泣いちゃうぐらい いとおしい」物語。
タイトルは「かわ」です。割と若い方々が三途的な川を前に、眺めたり渡ろうとしたり「やっぱこえーわ」となって帰宅したりする話をします。渡る前にも後にも、どの場所でも安心して過ごせるきっかけに少しでもなれますよう作っていけたらと思います。
2010年に上演され、第55回岸田國士戯曲賞の最終候補にもノミネートされた丸尾丸一郎の代表作が、新たな脚本と演出により小劇場で蘇る。「子供の頃から、スーパースタ―になりたかった。でも、スーパースタ―になる人は星を持ってる。俺は相変わらず星を掴めないかと試行錯誤してる。一生悩み続けるドン・キホーテや」。解体の決まった団地に立て籠もり、売れない漫画を描き続ける男の妄想が暴走する!
「生きづらさ」を抱える大人たちが、オスカー・ワイルドの『サロメ』をモチーフに、演劇を作りながら、時にはいさかいなども起こりつつ、互いに励まし合い明日へと生きていく姿を描いています。演出の扇田拓也さん、音楽の後藤浩明さんをはじめとした出演者やスタッフの力により、「生きづらさ」に苦しむ人を描きながらも「優しさ」を感じさせる演劇作品になっています。
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
青森県舞台芸術創造発信事業 PROJECT NOVEMBER'98公演 弘前劇場プロデュース vol.3
県内演劇人の共同作業で演劇を制作し、県内外で発表する『青森県舞台芸術創造発信事業』( PROJECT NOVEMBER'98)の公演。舞台はとある地方の湖に面した瀟洒なホテルのロビー。ひとつの家族の集合と離散を主旋律にして、いろいろな変奏曲が様々な登場人物によって演じられる。複雑に絡み合う物語を通して、一見平板な日常が、個人にとっては劇的な空間であることを描く。
父が死んだ。「死んでしまえ!」と何度も思ったあの父が、医療ミスで死んだ。医者として最先端技術に邁進していた父。その死に対して意外にも浮かぶ無念の思い。父と母の出会いから別れまで一つの夫婦の物語を岩井は見つめ直す。父は何を信じ、母は何を信じていたのか。生きる意味とは何か。なぜ一緒に生き続けたのか。人と人が共に生きるとはどういうことなのか。たくさんの記憶と出来事を辿るその先に答えは見つかるのだろうか。
舞台は小さなふし工場、富田商店。切り盛りするのは富田家の次女喜美子。工場の経営は厳しく加えてコロナ禍が追い打ちをかける。姉のしおりは左腕が不自由だが快活で目立つ。長年姉と比べられてきた喜美子は素直に助けを求められない。コロナによって止まった世の中、不謹慎ながらホッとした喜美子。せっかく止まった工場をしおりはまた動かそうとしている。埋まらない姉妹の溝。そんな折、喜美子は忍び込んだ空き巣と出くわす。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
ケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきのユニット、ケムリ研究室の旗揚げ公演として2020年に上演された作品の再演。コロナ禍の閉塞感を吹き飛ばした多幸感溢れるロマンティック・コメディが一部新しいキャストを迎えさらにパワーアップ。
――綺麗な毒には花がある。 『完璧な女子力』を求める女子高生は、森の奥に建つ巨大なメイド喫茶でアルバイトを始める。勤務初日の夜、メイド長が突然死。騒めくメイド達は「これは『御主人様』の仕業だ」と噂する。店には、メイドを次々殺していく、怪人『御主人様』の呪いがかかっていた。 耽美!耽美!暴力的耽美!演劇集団白昼夢が、虚構で性別を破壊する。
同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することに。しかし、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深
2015年7月、安全保障関連法案が衆議院で可決された夜、歴史学者の父が自殺を選んだ。通夜に集まる三兄弟と、父の関係者たち。沖縄戦を生き延びた父は何故、この時に自殺を選んだのか、何が、誰が父を追い込んだのか、その責任は何処に、誰にあるのか。一家の中で議論が始まる。やがて議論は白熱し、戦後民主主義の問題点にまで言及することになる。
新宿・歌舞伎町を舞台に、夜に籠る人々とエレメントたち。デリヘル「新宿セミヘブン」のヒカリ、ララ、新入り・似鳥さんを軸に、嘘とフェイクが交差する。誰かが願った“雨”が街を島国に変え、仮初の住人たちは潮騒に耳を澄ます――プレイタイムが終わるまでは。
雑然とした空気が漂うある地方都市の駅前。冬、ある女の失踪をきっかけに出会いとすれ違いを繰り返し、やがて街全体を巻き込む大きな事件が起きる。そこには人の「死」の軽さがあった。避けられない終わりへ対峙する、間に合わない者たちの群像劇。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の台詞を縦横無尽に再構成し、ソネット詩や歌も加えて生み出された、もうひとつの『ロミオとジュリエット』。老夫婦の愛と別離を描いた物語。独創的な手腕で原作を巧みに再構成したのは、NTl『リーマン・トリロージー』のベン・パワー。翻訳監修はシェイクスピア37戯曲の完訳を成し遂げた松岡和子。老夫婦となったロミオとジュリエットを演じるのは、土居裕子と大森博史。荒井遼の演
1958年、長嶋茂雄が巨人軍デビューを果たし、東京タワーが竣工した。まだ米軍統治下にあった沖縄の高校が甲子園に初出場したその日、沖縄の道路から車が消えた―野球による本土完全復帰にかけたオトナ達のセイシュン―
ソ連の作家ミハイル・ブルガーコフを題材とした評伝劇。ブルガーコフは、その著作が「反革命的」であるとソ連では出版禁止や上演禁止になった作家だが、その才能はスターリンにも認められており、それゆえモスクワ芸術座から生誕60年を記念したスターリンの評伝劇の執筆が彼に依頼された。本作は、このスターリンの評伝劇を書いていた時期1938~1940年のブルガーコフを取り上げ、独裁者スターリンとの関係を描いた作品。
東京に、大きな空のあったころ。祖母から聞いた話と、祖父から聞けなかった話。その光と影を紡いで結ぶ物語。銭湯帰りに見上げる月を、ライカ犬を乗せた宇宙船スプートニクが横切ってゆく。この高台の町の片隅に、戦前から続く工業所を営む一家が暮らしていた・・。作者が自らの系譜を辿り、曾祖父母の人生をモチーフに創作。昭和四十四年の夏と、昭和三十三年の春夏秋冬を舞台に、戦後を生きた市井の人々を瑞々しく描く群像劇。
都内などで原因不明の高齢者連続死亡事案が発生した。死亡した全員の容姿がまるで若返ったような状態であること、彼らが同じ地区出身者であることが浮かび上がるー。調査のため、市役所職員の前田とともに山奥の集落に向かった佐知子は大雨の中、事故に遭ってしまう。ぼんやりと揺れる灯りの先に見たものは……。日本限界突破集落地獄外道祭文‼
電信柱が一本、その下に、ひしゃげた事故車が一台。夕焼けの中、ヨシ、ダイスケ、ヒロシ、サブローが集まっている。胡散臭い「ショーバイ」を始めようとする彼らのもとに、ケイコ、ヤスエ、フーコがやってくる。彼女たちは、ミッキーの子を妊娠したため父親の怒りを買い、家に閉じ込められているミヨコを連れ出す計画を持ち掛ける。ミッキーとミヨコは、「トーキョー」へ行くらしい。ミッキーに金を工面してやろうとする元彼女のサ
少し未来のとある国の話。徐々に下がる婚姻率に危機感を覚えた政府は「互助・共助のための結婚法」を立案、施行しようとする。それは、性別や人数、恋愛関係の有無に関わらず、ケア関係にある人間たちが「結婚」できることになる法律だった。家制度や恋愛から解き放たれた「結婚」はより多くの人生を生きる方へ導くのか。シェイクスピア『夏の夜の夢』と同じ名を持つ登場人物たちで語られる「結婚」についての物語。
僕は、あくまで僕が行う演劇において、社会や未来や観客や人類に対しての「問い」を持つべきだという考えに取り憑かれて創作をしています。年齢や出身地なんか関係ない。運命や希望や絶望などとも関係ない。僕だけのオリジナルな、完全無欠かつ純粋無垢で邪悪で妖艶で現実的で蠱惑的で幻想的で残酷な「問い」を持つこと。かといってそれはさも「問い」らしくあらないこと。「問い」ぶらないこと。「問い」を生み出そうとか、そうい
東京芸術祭2022 芸劇オータムセレクション
現代社会におけるコミュニケーションの諸問題を独自の手法で描き出す劇作家・山本卓卓のテキストと、老若男女から電車や犬に至るまで25役を巧みに踊り演じ分けるダンサー・北尾亘の身体がコラボレート。国内外を旅して再演を続ける、演劇×ダンスの異色傑作。
都内郊外マンション。住人は城田兄弟、兄トモユキ。弟アユム。兄には知的障がいがある。弟の口利きで、兄弟ともに工場で働き、弟の恋人の舞子や幼馴染の西の協力を得て兄弟は平和に生きていた。アユムと舞子は彼女の両親に結婚の挨拶に行くが、兄の障がいを理由に反対される。兄の誕生日。工場の皆や友人を交えての誕生日会。その日、トモユキが施設に入ることが出席者に露見。弟は周りの人間から糾弾される。
sunday play#3
およそ100人のある一日を5人の役者がサンプリング。そして、ある一日を超えて、永遠とか、そういうものに少しでも近づこうとする話。
12人の俳優による妙ージカル(妙なミュージカル)。舞台奥に12基の墓石が一列に並んでいる。西洋の戦場跡に並ぶ、戦死した兵士の古い墓のよう。墓石には12人の俳優の名が、それぞれ刻まれている。雪が静かに、そして激しく降り続けている。その中で、小学生から老夫妻までの幅広い6組のカップルの模様が、歌と踊りを交えて展開される。2014年初演作の改訂再演。降り続ける雪、役者名が刻まれた墓、という印象的なビジュ
獣三作
正木円治は、“寝取られ”の性癖を持つ夫婦やカップルとSNSで出会い、公認で依頼者のパートナーとセックスをする活動をしている。ある日、円治は星野夫婦から、精子提供という名の“孕ませ”の依頼を受ける。悩む円治だったが、認知はしないことを約束し依頼を引き受ける。医療機関を介さずに精子提供を行う男と、第三者に寝取られる事で愛を確認し合う夫婦の、現在とこれまで。生きづらい世の中を描いた《人と人と人》の物語。
己の正義のために、悪にはさらなる悪をもって、自由を追い求める兄・・・己の生を呪い、自らの欲望に忠実に、他人を徹底的に欺き利用する弟・・・この2人の兄弟の行き着く先には、どのような世界が広がっているのであろうか・・・?ドイツ疾風怒涛期を代表する傑作古典を通して、混迷する現代にひとすじの光を照射する!
2024年新札発行モデルの津田梅子を扱った舞台上演は関西ではまだほとんどなく、加えてその生涯を知るきっかけもあまりない。彼女は「津田塾大学」の創設者である以上に「日本の女性教育の向上」に大きく貢献した人物でもある。その生涯の一部を新進気鋭作家・南出謙吾が描くことで今の社会に「女性の地位」に対して改めて一石を投じたい。
カナダのある町の法廷、被告席にいるのは若いネイティブ・インディアンのリタ・ジョー。判事の尋問の間、リタの回想は限りなく膨らむ。あるときは故郷の部落での懐かしい日々、、あるときは町に出てきてからの辛くみじめな暮らしだったりーーいつしかリタの罪名は次々と増えて行く・・・。けれどどんなに判事に諭されてもリタには罪の意識が確かなモノとして存在しない。文明社会の価値観が、自然のままに生きてきたネイティブたち
昭和4年、上野は谷中の太平洋画会研究所のアトリエで真剣に裸婦のデッサンに取り組む若き画家、靉光(あいみつ)、井上長三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介たち。そんな頃、まだすすきと大根畑におおわれた低湿地帯、池袋にポツリポツリとアトリエが建ち始める。貧乏画家たちは、一人また一人とそこに集まり、やがてその一帯は芸術家の街と化した。そろいもそろって酒好き、女好き、喧嘩っ早い。けれどいったん絵を描きはじめた
さいたまゴールド・シアター第4回公演
近未来。安楽死法が施行された日本では、老人は延命医療よりも「最適な死」「りっぱな最期」をのぞむように求められていた。エコロジーという名の下に排除され、それぞれの場所で追いつめられていく老人たち――。そんな時、ある老人ホームでかつてのアイドル歌手の死亡が報じられると同時に、その死には不審な点が多いことがわかった。元ファンクラブのメンバーたちは彼女の入所していた老人ホームに乗り込み、謝罪を要求するにと
一人のマダムの華麗なる人生が、幕を閉じようとしているその夜、屋敷に集まった家族や友人、知人たちマダムはゆっくりと、思い出を語り始めるその人生はやはり華麗だった
ゴーリキーの『どん底』は日本でも100年以上前から数多く上演され、劇団民藝では創立10周年と40周年の節目に上演しましたが、その歴史的傑作が吉永仁郎氏により戦後間もない東京を舞台にした創作劇へと大胆に生まれ変わりました。闇市を頼りに底辺でたくましく生きる人々のユーモア溢れる群像劇。劇団創立70周年記念作品。
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
ダンボールで出来たカラフルなタイルで彩ったプールを劇場に作りあげ、観客はプールサイドから観劇する。妖艶で退廃的な”ROMANCEPOOL”に満ちる生命エネルギー。FUKAIPRODUCE羽衣初期の名刺代わりの作品。
「わたしは、フィクションなんかに救われない」。大量消費されるフィクションを疑い、その危うさを見つめ、それでもなおフィクションをつくり続ける葛藤をテーマに、売れない小説家と周りの人間関係を描き、この物語の隙間から逃れ出ようとする“役を持たない男”がフィクションの虚構を暴き出す。東京で生まれ育ち、下町に住みながら人々の生活、息づかいを作品として紡いできた山田が、瑞々しい感性で描いた群像劇。
マグカル・シアター in KAAT
神奈川県で実施している“マグカル・シアター”の中から年間一団体にKAATでの上演機会を提供する“マグカル・シアター in KAAT”に選出されての創作。この作品は人類学者の深海菊絵氏監修のもと「ポリアモリー(POLYAMORY)」(同時に複数の人と合意のうえで愛の関係を築く生きかた)について描かれた演劇です。今作では、他者がどのように世界に触れているのか、という問いを演劇でひろげています。
椿組2019年夏・花園神社野外劇
戦後生まれの初の芥川賞作家・中上健次の熊野三部作「岬」「枯木灘」「地の果て至上の時」を元に青木豪が纏め上げた熊野に生きた男の物語。芙蓉咲く紀州・熊野の「路地」で、地を這うように生きた”秋幸”という男とその家族の「血の物語」である。「この土地が、山々と川に閉ざされ、海にも閉ざされていて、そこで人間が、虫のように、犬のように生きている。」中上健次・作「岬」より。血と地の因習の中から抜け出そうとしても纏
2021年再演版
男性キャストのみによる、ごく小さな日常の一コマを巡る物語。しょうもないけれど、誰もが身に覚えのある小さな「裏切り」を素材とし、信頼とは何か? という胃の痛くなるようなテーマを浮かび上がらせます。とある休日、ロードバイクで旅行に出掛けたサラリーマン五人組は、山深い温泉宿に立ち寄った。ささいなことから言い争いを始める五人。口論は、やがて思わぬ方向に発展していき、遂には修復し得ないほどの混乱に……。
ダンサー狩りの時代。人々は「ダンサー」と「非ダンサー」に識別され、ダンサーと認定された者は「収容所」に収監される。収容所は管理システムを意味する名前で現実的には存在しない。ダンサーと認定された人々は一見以前と変わりない日々を送っているが…「私は誰なのか。ダンサーなのか。何故ダンサーなのか。ダンサーとして何を求められているのか」…やがて歴史という物語隙間に身を隠した1人の紛れもないダンサーと出会う。
近未来、夏。高原のサナトリウムには、不治の病におかされた患者たちが多く入院している。 下界から隔絶されたサナトリウムの面会室で、死を待つということの意味が、ゆっくりと流れる時間の中で 淡々と語られていく。 患者たちとそこを訪れる面会の人々や医師たちとの死や時間に対する観念の差異を浮き彫りにしながら、軽 妙な会話を交えて、サナトリウムでの何も起こらない静かな午後が描かれる。
TRASHMASTERS vol.34
とある町の、台風による水害に苦しむ地方の、公民館。その日も台風は勢力を保ったまま接近していた。そこには青年団のメンバーが、祭りの開催について協議するために集められていた。祭りの開催から、災害対策、人命の格差まで話は及び、会議は紛糾する。やがて会議は終わり、解散したのだが……付近で土砂崩れが発生し公民館は停電、町の中心からも孤立する。そこに、土砂崩れに巻き込まれた青年団員が運び込まれてくる……
脚本執筆前の小沢佑太(脚本・演出)による宣言文(一部抜粋)です。「僕が初めて東北のまちを訪れたのは2014年7月、震災後4年目を迎える夏でした。あれから2年に1回、観光として東北に行っています。13年の月日が経ち、その間にも各地で大きな災害が毎年のように起こっています。そこにある小さな想いを汲んで、変わっていくもの・変わらないものに目を向けて、丁寧に繊細に素直に描いてみようと思います。」
「国家と芸術家」シリーズ
カレル・チャペックの作家人生を、チェコスロバキア共和国の誕生と消滅(1918年~1939年)の出来事と対比させながら、カレルが、国家や民主主義とどう向き合い、ファシズムにどう抵抗したのか、を描く。兄で芸術家(画家・作家)のヨゼフ、恋人(やがて妻になる)で女優のオルガ、ユダヤ人の軍医で作家の親友ランゲル、交流のあったチェコスロバキアの初代大統領トマーシュ・マサリク等が活躍する群像劇。
金子鈴幸が約一年半ぶりに作・演出を手がけた新作公演。2022年の日本においてどのような物語が【有効】なのか?という問いを出発点に、人間の持つ「どうしようもない部分」に光を当てるような作品となっている。とあるラーメン屋の店主、まさこ。彼女はラーメン界でも「元アイドル」という異色の肩書きで営業していた。「究極の一杯」を探求し、ラーメン道を日々邁進する彼女。その日もいつもと変わらない一日のはずだったが…
有名なカレー屋に向かうカップルがいて、手応えのないライブを終えたバンドマンがいて、劇団で売れようとしてたのに一人だけ事務所に入って後ろめたい役者がいる街で、「まぁそんなことはほっといて銭湯でも行こうよ」とはしゃいでると「うるせぇんだよ」とヤバイ目をした男に絡まれる。あーあと思ってツイッターを見ると噂がかけめぐっている。「下北で向井秀徳が路上ライブやってるらしい」 2010〜2020年のあいだに移ろ
「国家と芸術家」シリーズ
1920年代初頭に「乳白色の下地」という独自の技法を確立し、日本人として初めてパリで成功した画家、藤田嗣治。彼の人生の内、パリ時代(1913年~29年)と、日本に帰国後、トレードマークのおかっぱ頭を丸刈りにし、軍部の協力要請に従って、「アッツ島玉砕」等の戦争画の創作をしていく太平洋戦争時代(1938年~45年)を取り上げた評伝劇。
ここは落下する飛行船。上空1000000000kmで、ついに故障した飛行船。地面に到着するまでが、あと七日間の飛行船。四人の女と四人の男。何をして過ごそうか。
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース
あの名作のリメイク決定版⁉KERAが新たに読みかえる「ドン・キホーテ」を、個性と実力を兼ね備えた俳優陣で上演!
彼にとって、彼女は一切であった。娘であり、母であり、獣であり、マドンナであった…。すぐれた東洋美術史学者であり、類まれな万葉調の歌人であり、また独創を重んじた書家として名を成した會津八一。そんな彼の、遠縁の娘きい子との神聖な恋。彼を慕って集まってきた教え子たち。彼らがやがて巻き込まれていく、幾つかの過激な事件、そして戦争の影…。
下北ウェーブ2019
本多劇場主催「下北ウェーブ2019」にて選出・上演。初演(題『うたたね姫』)は2014年、松戸市での滞在制作を通し、再開発される街と、そこに適応できない人々の姿を描いた。再創作版では、かつて自ら書いた戯曲に共感できないという違和感を出発点に、普段の知覚外にある社会事象を扱った。「その程度で悩むな」という意見の暴力性と向き合うことで、見えにくい痛みや、世界の多様性をあぶり出した。
1988年夏、横浜のJR貨物・東高島駅構内の運河に艀(はしけ)を浮かべ舞台にし、水と火を駆使した壮大な野外劇。作・演出の川村毅の地元・横浜市の協力により実現した。30名の第三エロチカ劇団員総出演に加え、エキストラコマンドも多数出演。当時20代の川村がテーマにしてきた、アンドロイド/人造人間/レプリカントを通して現代人に問う『ニッポン・ウォーズ』(84年)『ラスト・フランケンシュタイン』(86年)か
遠くない未来の日本。瀬戸内海の原発事故により中国地方東部が放射性物質により汚染され、帰還困難区域に指定された世界。事故から8年経過した頃、帰還困難区域で身元不明の男が発見された。男は記憶を失っていたが、遺伝子検索技術を用いて家族と再会できた。しかし、一向に記憶が戻る気配のない男に、男の姉は違和感を感じていた……。2020年度劇作家協会新人戯曲最終候補作品をテノヒラサイズが上演。
ゴミが生きる町=ダストタウン誰が呼び始めたのか、そう揶揄される荒んだ街で人々は絶望の中にあった。頻発する戦争と長引く不作の影響で深刻な経済危機の中、悪政は第3身分の市民たちに重くのしかかり、誰もが明日を生きる気力すら失いかけていた。ただ一人、ダストタウンの少女・イトハをのぞいては…解けぬ呪縛、境界が敷かれたどん底の時代で、ただ真っ直ぐな愛に突き進む一人の男の、悲哀に満ちた破滅の物語ー
日本初の障害がある人たちのアートセンターとして2004年、奈良県にオープンした「たんぽぽの家 アートセンターHANA」の演劇プログラム”HANA PLAY”から生まれた作品。障害のあるメンバーが経験した出来事と、かつて創作を共にし、数年前に突然この世を去った仲間の人生を重ね合わせた物語。幾多の逸話と記憶が響き合うドラマと、フィクションと現実を行き来するような演技がメンバーたちの個性をきわだたせ、と
COCOON PRODUCTION 2023
青年が老婆を拾った。社会にうまく馴染めず、派遣のピエロの仕事でギリギリ生活をしている青年(竜星涼)。しかしそんなピエロ業も、決してうまくはいっていない。ある日、道端の老婆(高橋惠子)に手品で花束を渡すと、老婆はどこまでもついてきた。そして、青年の部屋にまで上がってきた。すぐに老婆を帰そうとするも…、青年と老婆の不思議な共同生活が始まっていく。青年を心配する兄夫婦(藤井隆/山田真歩)、仕事先の女性社
「認知症」から発想した岩崎正裕の作・演出作品。舞台にはピアノがひとつ、弾けなくなった演奏家が迷い込む世界をそのままに描いていく。記憶とはなにか、失くしてしまうことは悲惨なのか、迷宮をめぐる物語。 ピアノの生演奏でクラシックの名曲を多数ちりばめた構成で、劇団の新たな側面を打ち出したと高い評価を得た。
その男に世界が注目する。メールボックスには数多の言語が飛び交い、オフィスには世界中からやってくる。その理由はただ一つ。彼が世界最高峰のクリエイティブ・ディレクター。であるということ。