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歯痛、吐き気、生理不順……。人気作家・早智子の体を次々と異変が襲う。歯科・内科・産婦人科と、病院を転々と渡り歩いても原因はつかめない。だが理由は明白。早智子は尋常ならざる拒食と過食を繰り返していたのだ……。スリム(S)とファット(F)という身体の変化を繰り返す中で、早智子が自分の心の奥底に見たものは……? とどまることを知らない世のダイエットブームを背景に、過酷なダイエットに走る現代女性の深層心理
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
『むこうの世界』へ旅立つことを夢見て、さすらう人々の群れ。いつしか、その夢は立ち消え、現実的世界に引き戻されてしまう…。寺山修司没後十年、鄭義信が寺山の劇世界をベースに描く少年の希望と世界の果て。寺山劇の単なる復元ではなく、全編に寺山作品の断片をちりばめ、寺山が愛用した「世界の果て」というモチーフを使いながら鄭自身の劇世界に寺山修司を引き寄せる形で新しい物語を作り上げた。
ブレヒトルネッサンス
劇団創立20周年記念公演。明治初年、「お江戸」から「東京」と名がかわった品川の宿。泣く子も黙る大悪党、剃刀左平次を真ん中に、泥棒と乞食と娼婦たちがくりひろげる三つ巴の仁義なき戦い。「金」と「セックス」の栄光をもとめて、最後に笑う者はいったい誰か?黒色テント「ブレヒトルネッサンス」第一弾。
井伏銀太郎短編集 冬のコレクション
舞鶴に生まれ育った姉妹「みちよ」と「すみ」。二人の従姉妹で同じ家に住む「あきえ」。三人の女性の恋模様を、戦前の記憶、戦中の傷、戦後の生活とともに描きます。昭和を駆けぬけ、常によりそって生きてきた女性達の人生の記録。2018年~2020年に京都府舞鶴市で実施した「まいづる物語プロジェクト」。その集大成として執筆されるも、コロナ禍により上演できなかった戯曲『よりそう人』を、劇団で初上演した作品。
望月昌志は若くして作家としての名声を手に入れ、妻の久子と鎌倉の古い息遣いが聞こえるような洋館に暮らしている。二人の静かな日々が孕んでいた「小さな疑問」。自身に向けられたそれは、幻聴となって昌志を苛み、義妹の広子や彼の作品を信奉する有坂らとのただならぬ仲へと彼を落としこむ。知らぬふりを通す妻。それゆえさらに乱れる夫の心。夫婦の苦しい愛はもつれていく。春雨の降る日、今はもう春の色さえ忘れてしまったと嘆
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
多摩郊外の、シェアハウスに改築された古い家。今は別のまちに暮らす家主、宮地達夫の老いによって土地ごと売りに出されることが決まっている。3月下旬、ある金曜日の夕方、居住者たちが集まるささやかなパーティーがひらかれる。部屋を見渡すとそこここに、小さな傷あとやしみがあり、そこから家に流れた時間が広がりだす。かつて商店だった頃の記憶、昔暮らしていた家族の姿、街だってどんどんと変わっていった。その全てが混ざ
江戸川乱歩の児童文学の金字塔。変装を得意とする盗賊「怪人二十面相」と日本一の名探偵「明智小五郎」との、力と力、知恵と知恵が火花を散らす大闘争の物語。子供の頃、誰もがワクワクしながらページをめくったあの興奮はそのままに、肉薄すればするほど揺らぐ二十面相の「存在」をつまびらかにあぶり出す。作曲家の増田真結氏を迎え、「光と音」、「身体と音」で織り成す、全く新しい『怪人二十面相』。
ある出入国在留管理局で、外国人が死亡した……。留学生であった彼女は、体調不良になり仮放免による外部の医療機関への診療を求めていた……。何故、彼女は入管内の医療機関で診療されたのか。入管内部の実態に、ある記者が迫る……。
作品概要ノルウェーの文豪・イプセンが1882年に書いた大作「民衆の敵」。圧倒的多数の民意が一つの正義を圧し潰す。世論に抗い、多数派を否定し、科学的事実に基づき、独り闘う医師の姿を滑稽なまでに誇張して描いたこの作品を、斎藤歩の新演出と音楽、イデビアン・クルーの井手茂太を振付に迎え、ジョブキタ北八劇場で上演します。
アイホールダンスコレクション
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毎日毎日どうやったら楽しく暮らせるかを研究している、いおり博士と、博士の理科室にやってくるこうじくんが繰り広げる、コメディ&パフォーマンスショー。遠心力や空気砲、形も大きさも違うものの重さなど、日常の身の回りで起こるあたりまえだけど不思議な現象を取り上げ展開します。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
紙おしばい
くちびるの会が行う、子ども向け演劇表現「紙おしばい」の第四弾目となる作品。第三弾作品『こだぬききょうだいのおつかい』の続編にあたる。《あらすじ》こだぬきのポンが、白いキツネのコンたろうと出会い、様々な困難を力を合わせて乗り越えていくことで、自分と違う他者の存在を認め、努力の大切さを学ぶ物語。
朗らかな初日の光さやけく新春らしからぬ、不穏な不穏な時代のお噺。我が国はここを先途と諸外国に対し獅子奮迅の勢いで躍進するも虚しく敗退し、米、英、仏、露によって分割統治されるに致り、国民は臥薪嘗胆、クチビル噛み締め刻苦勉励の毎日であります。さてここに御座すは絵師、記者、軍人、撮影技師、人形師、弁士、等々。自由に往来すること叶わぬご時世の中、鹿児島から天下の米国様にご神木を献上するべく特別に発行された
約300人の中から選ばれた13歳から34歳までのあたらしい俳優たちと、全編関西弁に書き換えられたあたらしい言葉たち。アイホールから出発するあたらしい「みず色の空、そら色の水」
女がいる。女は壊れてしまったのだった。あるいは、壊れゆこうとしている。または、いま壊れつづけている。女は〈彼女〉について語りはじめる。徹底的に壊し、そしてまた壊された〈彼女〉についての話を。そして、あなたたちはそれを見る/聞く。消費と暴力。労働と身体。そして、キャラクターと人間。虚構と現実は別のものなのか?2019年に5ステージだけの上演ながら好評を博した一人芝居を、ダブルキャストで再演。
【あらすじ】戦前、早稲田大学と慶應義塾大学による早慶戦は全国を沸かせる人気であった。しかし戦争が始まると、アメリカ生まれの「野球」は、敵国のスポーツとして政府から弾圧を受ける。両大学の野球部員たちは「野球の灯を消さない」と必死の抵抗をするが、徴兵猶予解除が決定し学徒出陣をすることとなってしまう。出兵を前に「最後にもう一度野球がしたい!」との熱い思いが、様々な壁を越え、「最後の早慶戦」の実現へと実を
厚木シアタープロジェクト ネクストステップ第9回公演劇団扉座第65回公演
昭和12年9月。浅草のレビュー小屋。 そこから突然姿を消した座付き作家・菊谷栄(有馬自由)は、いま、青森から満洲へ出兵しようとしていた。座員たちの最後のメッセージを届けようと、北乃祭(横山結衣)は故郷・青森へと向かう。祭が届ける、その伝令とは――?
時事ネタ劇団として現代を風刺してきた笑の内閣が、風刺そのものを風刺するため古典に進出。挑戦するは、風刺喜劇の大先輩モリエール。―1665年12月、モリエールがかねてから目をかけていた若手劇作家ジャン・ラシーヌによる裏切り行為が発覚する。育てた恩を仇で返したラシーヌに落とし前をつけさせるため、呼び出すモリエール。2人の長い夜がはじまる……。
カラフルな絵本の世界にようこそ!子どもから大人まで三世代で楽しめる年齢不問のエンターテインメント!ご存じ世界で初めて飛行に成功した ライト兄弟の物語!!︎ ではなく… ライト兄弟に憧れたある兄弟が、 亡き父の夢を果たす為 さまざまな困難に挑戦するおはなし
いつも一緒だった四人。高校生だったある夏、二人が事故で死亡した。そして月日が流れ……今、四人は話に花を咲かせている。想い出話から現在のことまで話題は様々だ。しかし大人になった二人と高校生のままの死んだ二人の会話は食い違う。人と人 との関係。それはどうしたって相対的にならざるを得ず、しかしそれではどうにも消化できない個々の想いもあり……。そんな浮き世をシンプルに描いた作品。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
太宰治の代表作「走れメロス」を、バラエティ溢れすぎる俳優たちはどう料理するのか?人生経験からなる圧倒的な声で、心揺さぶる語り部たち!電動車いすで、観客の周りを走り回るメロスたち!見る者の固定概念が崩れる時、手話が歌い、唄が踊り始める・・・客席を巻き込む前人未踏の体感型エンターテイメント!!
『才能があるのは俺のほうだ』 日本漫画文化の草創期、北沢楽天と岡本一平という二人の天才が現れる。 天才同士の葛藤と苦悩を描き漫画文化のルーツにせまる。
鴻上尚史主宰の「虚構の劇団」記念すべき第1回公演!グローブ・ジャングルとは、公園にある丸い形をしたジャングルジム。今日も、公園で、ぐるぐると、複雑な地球は回されることを待っている。ロンドンの日本人コミュニティを舞台に描かれるネット社会で傷付いた女性の再生の物語。
『リセット』の3つのコンセプト-〈登場人物をリセットする〉この芝居には過去の作品に登場した人物がキャラクターもそのままに、続編のように再登場します。例えば『ONとOFFのセレナーデ』の葬儀屋のヤリタイと看護婦の深町、『眠れる森の死体』の外科医の猪瀬・境など。つまり、過去の作品の登場人物たちがこの『リセット』という作品にリセットされるわけです。〈観客がリセットする〉この作品では時間的つながり、登場人
2020年10月〜11月に開催された現代アートイベント「原泉アートデイズ!2020」の参加アーティストとして、静岡県掛川市原泉地区での滞在制作に5ヶ月間取り組み、集落の田園風景を舞台にしたパフォーマンス『風景によせて2020』を発表した。本映像は、この作品の演出・構成を務めた中谷がクリエイションを振り返ったインタビューと、現地での制作過程を体感できるドキュメンタリー映像を収録している。
(フライヤーより)西暦2500世紀の超未来、考古学者が空中からある化石を発掘する。それはその時代すでに姿を消していた「演劇」というものの化石であった。考古学者は「演劇」の復元を試みる。’89年初演の名作『ゆるやかなトンビリラロの身だしなみ』を題材にした新作。1つの舞台上に複数の演劇、ダンス、パフォーマンスが併存する独自のスタイル→《ハイパー・コラージュ》を用いて、「演劇」そのものを「演劇」にします
天下分け目の関ヶ原の戦いの武将たちの戦略と、その裏にある、画策・苦悩・葛藤の人間臭さを描いた作品。時代を大きく動かしたものとはなにか。主君と家臣、親友、親子、いつの間にか愛し合っていた二人・・・。人と人で結ばれた強い絆が時代に翻弄されていく。
東京からやって来た妙齢の美人女性客に不動産屋の男が薦めた一軒家は、その界隈でも有名な“お化け屋敷”だった。韓国テハンノで大ヒットロングランとなったコメディ作品「コギ」を、韓国からオリジナル作品の演出家ミン・ボッキを招聘し、日本人俳優とともにリメイクした。
時代は現代、場所は砂漠。『砂漠監視隊』の7名の男性監視員が砂をみつめるだけの日々を過ごしている。他には何も起こらない。そんな中、遠くから聞こえるかすかな声。その声を聞いた者は砂の向こうに姿を消していく。たいていが帰ってこない。帰ってきた者も、その間の記憶が消えている。残された者は恐れ慄く。自分たちもいつか、あの声を聞くかもしれないと。
1945年8月24日、強制連行された朝鮮人を乗せて浮島丸が青森県大湊から出港、釜山港へ向かうはずが突然進路を変え、京都の舞鶴港沖にて爆沈する。ある日、ソウルに住む金潤植のもとに正体不明の荷物が届く。それは日本の青森県むつ市に住む芳子という女性から送られてきたものだった。潤植は、不審な荷物を送り返す。芳子は、その荷物が潤植の物だと主張し、再び送り返す。その荷物が日本と韓国を行きかううちに、次第に荷物
初日の幕が開く直前、パレスチナの俳優が一人こない。俳優たちは、満席の客を前に、この危機をどう乗り越えようか途方に暮れる。すべてを賭けて稽古してきた日々を思いながら、俳優たちは即興で舞台をやり遂げようとする。ティティはパレスチナを語り、日本人、在日朝鮮人は自分を語る。わたしたちは何故演劇をやっているのか?わたしたち、とは何なのか?パレスチナと日本の異なった現実が交錯し、溶けあい、同時代を生きるわたし
時は戦国。極楽島の海賊たちは、潮の渦巻く瀬戸内海の水先案内人として、ささやかだが自由な暮らしを送っていた。しかし、天下統一を目指す秀吉は、極楽島を瀬戸内海の要塞にしようと、明け渡しを命じてくる。全てを島民の合議(話し合い)によって決めてきた極楽島は、秀吉の配下になる事を拒み、戦う覚悟を決めた。秀吉方は刺客の伝二郎を送りこむが、彼は島の住人の海のように自由で広い心に次第に惹かれ始め、極楽島を救いたい
古典芸能である能の構造を脱構築し、身体と映像のコラボレーションによる現代の舞台芸術作品として甦らせた。コロナ禍によって失われたかに見える世界と、日食の瞬間にだけ地球からも見ることが出来る太陽コロナを重ねて描き、夢と現実の狭間の浜辺で、ありえたかもしれない過去/ありえるかもしれない未来として漂う自らの幽霊と邂逅する少女の姿が描かれる。
古典作品を未来の設定に置き換え、新たな視点で共感を得ようという試み。本作はシェイクスピア『ロミオとジュリエット』を題材に、500年後の未来を描きます。未だ因縁に縛られたモンタギュー家とキャピュレット家。ある日ロメオは、ごみ溜めの中に捨てられている一体のアンドロイドと出会い一目惚れするが、彼女はキャピュレット家の謹製ジュリエッタだった。
"1981年、早稲田大学大隈講堂で劇団「第三舞台」の旗揚げ作品として上演された、第三舞台の代表作を、紀伊國屋ホール開場50年記念公演として17年ぶりに上演。 本作は、上演される時期のの世相に沿う形で内容を常に進化させ、再演を行っている。 玩具メーカー「立花トーイ」の世界と、ベケット「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした世界を、5人の登場人物が駆け巡る。 "
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
失うことが進化だとすれば、僕たちはこれからもどんどん失うだろう。どんどん失って、いつかすぽんと消えてしまう。失ってゆく、というのはどういう感覚なんだろう。失いつつあるそのさなか、ひとはなにを思うのだろう。忘れることと失うことはいったいどのくらい違うのだろう。僕は毎晩僕の尾骶骨に問いかける。ちいさな骨が寄り添うように集まった、その名残の部分に問いかける—— ひとりの男とその妻、女、
長野県のとある村にある公民館。近隣との合併により村が二つに分かれるという問題を抱えながらも、毎年恒例のお祭りの準備をする若妻会の女たち。御神輿の飾りを作ったり、男性が舞を舞うための男性器を模した木の棒に赤い絵具を塗り直しながら、女たちの戦いは静かに始まる。認知症の親を抱えた妻、シングルマザーとして子を生む女、その子の父親が自分の夫ではないかと疑う妻、彼女たちは激しい言葉を用いて相手を攻撃する。村が
時間に打ち捨てられた湖畔の劇場は今や無人の廃墟。のはずが、何かが中で蠢いている。貝殻がうず高く積まれた山から異臭が漂う。真夜中に群れる真っ黒な浮浪者の影。彼らはヤチマタの境を越えてやってくる。魔人猿田彦が巡回する半透明有刺鉄線の柵を隔て、ヒラフ貝の吐息が織りなす脆弱な虚構の物語と、荒野をさすらう流賊達の無頼な生き様が、渦を巻いて混ざり合い、警告の鐘を奏で、やがて湖底の怪物の目を覚ましてしまう。
ちがう空間、ちがう世界の物語–人と自然が共存する豊かな町・スターシア。まわりを森や山に囲まれた平野部に位置するその町の民たちは、険しい危地を超える術を持たず内部だけでひっそりと暮らしていた。何者にも侵されぬ聖地のように、世界の事を知らぬまま。それはこれからも続いていくはずだった。森の向こうから一人の少年がやってくるまでは。
この作品のキッカケは、バッタ研究者によるベストセラー『バッタを倒しにアフリカへ』。バッタが気になり始めた「んまつーポス」の3人が興味をもって調べたところ、日本には445種ものバッタの仲間がいて、イソップ童話「アリとキリギリス」のキリギリスもその1種だった。将来に備えることの大切さを説く「アリとキリギリス」において、キリギリスはアリから「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と言われる
ある日、彼は同僚の女性にひどく怒られた。しかし3日後、その内容をどうしても20パーセントしか思い出せないでいた。鮮やかに憶えているのは彼女の前歯についていた口紅の色だった。
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
ドキュメンタリー・シアター
ドキュメンタリー・シアター。今から11年前の2010年、宮崎県下に「非常事態宣言」を発令させた家畜伝染病「口蹄疫ウイルス」の猛威。本作は、その感染爆発に翻弄された関係者・約90人にインタビュー取材を行って得た証言だけで戯曲を構成。その生々しい声は現在、世界を脅かし続けている「新型コロナウイルス」と闘う今の私たちの胸にも鋭く突き刺さる。これはかつて、宮崎県域でウイルスと闘った人々の切実な「心の叫び」
旧約聖書に登場する「バベルの塔」では同じ言葉を話す人々が知恵を出し合い、人類が団結できる一つの象徴 "ジッグラト"(高い塔)を皆でつくろうと語られている。だが、完成間近になると、雲の上から大きな力が降り注ぎ、一つだった言語がバラバラとなる。意思疎通が出来なくなった人々は、世界各地に離散し、今の世界が出来上がっていったそう。そんな物語を和楽器、舞踊、演劇を使って再創造する。
人が蠅のようにバタバタと死んでいくアフリカを逃れてエリージオとファドゥールは希望を求めてやってっ来た。しかしここでは、自殺ビルから毎日人が降って行き、街路では銃が乱射され、高速道路では自殺者が大渋滞を引き起こし、人は人に冷淡になっていく――。ある日ふたりに目の前で赤毛の女が海に入って死ぬ。翌日、ファドゥールと盲目の踊り子アブゾルートが出会いこの世界の片隅で生きる人びとがつながりはじめる……。
舞台は、第二次世界大戦が終わって間もない日本。戦時中に掘られた横穴の中で、3人の男女が出会い、生き埋めになる。生死の極限状態で、彼らの思想と挫折、そして後悔が語られる。彼らはどう生きたかったのか、そしてどう生きられなかったのか。本公演ではこの戯曲を、ワンルームマンションの一室を穴と見立て、彼らの苦しみを現代の閉塞感と生き苦しさに重ね、女性の一人芝居として上演した。
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スウェーデンでは毎年クリスマスにTV放映されるという人気作品。子どもたちが初めて遭遇する「人間の死」を扱いながら、センチメンタルにならずにドライに描かれています。いるはずのない孫が現れることによって、おじいさんは最後の炎を燃やします。祖父母と同居することが少なくなってきた現代の子どもたちも、ウルフとともにおじいさんとのかけがえのない時間が大切であることを体験することができます。[あらすじ]ある日ベ
(フライヤーより)僕たちの一夜の奇妙なアルバイト。それは明日取り壊される古い屋敷の床下に埋められた"ある物"を掘り起こすことだった。正義と邪悪が交錯し、夢と絶望が裏取引を繰り返す都会の真ん中に、忽然と姿を現わした現代の羅生門で、僕たちが見たものはいったい何か──。鋭く斬新な切り口で、都会人の心に潜む鬼を浮きぼりにする、ネオクラシック•シアター第2弾、善人会議「新羅生門」。時空の枠を飛び越えて、今を
2019年の三鷹で描かれた、公務を担う母と定年を迎えた父の別れ。女と男、妻と夫の、過去から今から次へのお話。実話を基に子が脚本を書いて演出し、実父も出演する、母と家族の歴史。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
1903年大阪万博で起こった学術「人類館」事件をモチーフに、沖縄近現代史が描かれている。しかし、歴史の流れをそのまま反映したのではなく、時間と空間が交錯する中で、沖縄戦やベトナム戦、そして復帰運動など沖縄を取り巻く出来事がダイナミックに描かれている。反植民地主義・反戦劇。戯曲「人類館」は、二つの構造を持っている。人類館を起点として、そこでまき起る、もしくはまき返される幻想(回想)シーンの、恣意的、