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[作品ノート]2つで1つとしてしまう とても幸せな諦めと 1つを2つにしてしまう へそまがりな微笑みの一人称デュエット。デュエットのカタチを試行する。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
内省的なパフォーマンスに多くの支持者をもつ、佐藤ペチカのソロ新作。水槽を抱えて旧博物館動物園駅の階段を降り、地下空間で水と遊戯し、やがて大きな向日葵のオブジェをまとう佐藤ペチカは、幼虫から蝶へと変態して地上へ向かう。地上と地下、生と死、内と外の関係を変容させていく、静かなスリルに満ちた映像作品。
「ドリームタイム」とは、オーストラリアのアボリジニーの時間感覚で、過去と現在と未来が同時に存在する神話的時間の流れ。この公演では、"私は何処から来て何処へ行くのか"という視点の元に<宇宙と大地、人間と人形、生と死>の間など、様々な境界線上にあるものをテーマに、古代的なもの、現代的なもの、未来的なものの時間が層を成して流れている様を多様な作品群の集合体として実験的ライブスタイルで上演した。
東日本大震災の年に行った公演「帰ㇽ」を作った動機は、震災原発の問題の後、世界不況も絡み合った閉塞感で人々が生きるという方向性を見失ってしまい崩壊へと向きかねないという危機感からです。舞踏家の使命として、舞台において、現在の世界に体を開き、誠実な一歩を歩む事により、お客様へ生きる事への共振をお伝えしたいと願ったのです。この世の命は全て祝福されている。帰ㇽ、命の肯定へ。死や崩壊すら再生への始まりです。
東京を拠点に活動するコンテンポラリーダンサー・振付家平山素子と、スウェーデンを拠点に活躍するダンサー・振付家の工藤聡による、国際共同ダンスプロジェクトかつて同じ教室で時を過ごした 2 人のダンサーが、それぞれのあゆみを重ね、いま再び舞台で出会う。
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
東京、アビニヨンで上演の伊藤キムと吉岡由美子のコラボ"綺女と珍獣プロジェクト"第2弾。コンセプトはパラレルソロ。同時進行していた二つのソロ(吉岡の"しおきばにて" と伊藤の"コレクター")がいつの間にかデュエットになっていく。両ソロともアウトサイダーたちをテーマに紡ぎ出された境界線上の踊り。Berlin Tagesspiegel 紙は、楽園で追いかけっこをして戯れている者たちの悦楽と追放された者た
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
土地に伝わる民俗芸能のように、自身が暮らす都市から生まれる芸能をつくる試みとして始動したシリーズ作品第一弾。
Baobab Re:born project
国内外のさまざまなフェスティバルに参加し、数多くの単独公演を開催するなど、注目を集めてきたダンスカンパニーBaobabの真骨頂的レパートリー作品を映像化。映像のはじめから中盤にかけてはドキュメンタリーテイストの内容で、団体を主宰する北尾亘と演者のダンスにかける想いを紐解いていく。後半パートでは閑散とした羽田空港のロビーを舞台に、既存のジャンルに捉われない、リズミカルで独特な躍動感のある群舞が繰り広
1980年に京都を拠点に創業された白虎社は、同年5月の旗揚げ公演『秘鳴の森』(立命館大学)を皮切りに81年にかけて関西圏の大学の学園祭を巡演した。本映像は80年10月、同志社大学での『鯢骨の森』を収める。上半身裸で輿を運ぶ役を担っているのは、学園祭実行委員会や学園祭スタッフの学生達。枕を頭につけて背中を向けて踊る男性群舞「背中の踊り」や女性の群舞「箒の踊り」など、後の複数の作品に取り入れられる要素
舞踏50年の記念に土方巽に捧げる公演として『幻想の地誌学』に続き、谷川渥『肉体の迷宮』を舞台化した作品である。「自分と異形の肉体との微妙な距離」を和栗自身の舞踏の支えに、自分という迷宮に取り組む。コンテンポラリーダンサーの関と共に、6人の女性舞踏手と土方舞踏譜を元に作品を制作している。その後も海外でのツアーや新作公演など、和栗の精力的な活動は続くが、日本国内において自身のカンパニー好善社としての公
東京日仏学院ホールにて初演。黒い衣装に包まれた山田せつ子が内省的な世界を動きに変換し続けていく。それに対し他の3人が神楽の稚児のように、緩やかなムーブメントを繰り返す。韓国の批評家・金泰源は「山田せつ子をはじめて見たときの衝撃は忘れられない。透明な意志と技巧の精密さは表現的ソロダンスの理想」と評した。現実を意識的に抽象化していくこの作品は、山田せつ子独自のダンスムーブメント、メソッドを明確にした。
1985年に日本で初めて開かれた舞踏フェスティバルを特集したNHK「芸術劇場」。フェスティバルは日本文化財団の主催で「舞踏懺悔録集成―七人の季節と城」と銘打って14日間にわたって7組の公演が行われた。舞踊評論家の合田成男による舞踏の紹介、土方巽の語りを始め、大駱駝艦「五輪書―根・柱・節―」、大野一雄・大野慶人「死海―ウインナーワルツと幽霊―」、田中泯+舞塾「晝の月」の公演映像を、インタビューを交え
本シリーズであえて“実験”の二文字を掲げるのは、この実験が作者である私自身にとっての実験であるからに他ならない。音楽や物語など、私にとっては外部の既存のものから得る刺激によって創作するのではなく、まずは空間及び動きの法則を仮定し、そこから何が生みだされるのかを創作過程において研究/記録すること。その科学的アプローチこそが本創作(実験)の趣旨である。(金森穣)
AsiaTOPAフェスティバル
「ButohBAR番狂わせ」第二弾の本作品はASIA TOPAフェスティバルで上演され、初日前、完売し大好評を博した。メルボルン在住の舞踏アーティストゆみうみうまれ演出のもと、舞踏、演劇、歌、キャバレエ、ビジュアルアートが融合し、屋内外の儀式的かつキテレツなパフォーマンスで「美しくも不完全な番狂わせ」をテーマとしている。静けさとカオスが行き来する中、舞踏マスター・竹之内淳志氏、音楽家小宮広子氏を含
東京とニューヨーク。インターネット糸電話で結ばれて、二都市の女性俳優たちが太平洋や日付変更線を超えて同時にひとつの作品を上演。これを遠距離恋愛と言わずしてなんと言おう!これまで様々な空間の劇的ポテンシャルを引き出してきたが、今回は二都市間に横たわる時間や空間までも劇場にしちゃえ、というグローバルな心意気の中、開演後911に見舞われ中断。ニューヨークの街が復活されないまま励まし合いながら再演に向かっ
9.11の惨事から20年後の2021年9月11日に、尾竹永子は自身にとっては初めてモノローグ(一人語り)の作品をソロ公演しました。ハドソン川の川縁、かつてのトレードセンターがあったすぐ近くの公園で朝の7時と夕方6時に行われた無料公演です。 この場所は9.11の1年後にEiko and Komaが 野外公演した場所でもあります。その時と同じクラリネット奏者 David Krekauerが再び共演しま
静岡県掛川市にあった「掛川座(かけがわざ)」の閉館イベント「私達の掛川座よ さようなら」で、白虎社の出前芸術体が上演した「ニュー逢魔が時ー掛川座封印によせてー」の記録。掛川座は明治42年に建てられた回り舞台も備えた本格的な芝居小屋で、戦後には映画も上映した。村松友視の講演や『掛川座: ぼくのシネマパラダイス』の著書もある土屋智宏の詩の朗読など様々なプログラムの最後に白虎社が登場、女性舞踏手は花火、
普段作品創作する時、身の回りについて(人間関係、風景、生死など)思考しそのアイディアを拾い上げて膨らませています。今作はもう一歩思考を外へ、社会にも触れていこうと考え創作しました。というのも、耳にする情報から日々それらを考えざるを得ないような情報に、もっと言えば侵食されている感覚を覚えることがあります。今作を観ていただき、お客様にさまざまなことを想像して頂けたら幸いです。[作品ノート]事柄は日々形
「リアルリアリティ」身体を省略し拡張する人はできるだけ動かなくてすむようにテクノロジーを駆使するそれに抗うつもりはない 楽がいいそれでもどこまで省略しようとするのか ふと不安になる人々の想像は 遥か彼方にある場所や 過去や未来にある時間をあたかも今ここにあるかのように具現化しようとするそれでも人は遠くでおこっている悲劇を想像することすらできないそこにある身体を共有することができないなにもない場所に
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅴ
「あんず動物紀」シリーズのうちの5作目にあたる、古川あんずのソロ作品。人間から離れている生き物を探究することでより人間がわかると考えていた古川は、原初の命に魅せられ、ロシアのフリーマーケットで手に入れた顕微鏡を愛用していた。作品は前半で虫の世界の目録的な提示、後半で虫というメタファーを通して人間世界を描く。1993年、ブラウンシュヴァイクにて初演。オランダ、フィンランド、ブラジル等各国で上演された
「コノ作品チョッとヤバいかもしれない。構成上「全裸」の景を置いた。完全な「真っ裸」、ものの勢でそのような仕儀と相成ったが、草月ホールに迷惑係らなくて「ホッ!」とだったかもしれない、イヤそんな事すら考えていなかったろう。今にして憶えばの話。」(武内)武内靖彦独舞集成・踏業22周年記念リサイタル。40周年には、同じく「舞踏よりの召喚」と銘打って記念リサイタルを開催した。
京都に拠点を置いていた白虎社は、着物のファッションショーへの出演など西陣織の関係者と数々のコラボレーションを行った。本公演は白虎社の代表作『ひばりと寝ジャカー男は寝床、女はおしゃれー』の初演。映像では冒頭の剃髪シーンは収録されていない。「西陣織工業組合100周年協賛公演・'84ロスアンジェルスオリンピック"シビル・ウォーズ”参加記念」と銘打った公演だったが、"シビル・ウォーズ”への参加は最終的には
2008年から2016年にかけて3回に渡って来日し、舞踏家大野慶人の稽古を体験したアナ・リタ・テオドーロによる、大野慶人の稽古についてのレクチャーパフォーマンス。「ねじれた体や白塗り」などの舞踏のクリシェを取り払ったところに何があるかに興味をもってリサーチを重ねたアナ・リタの、舞踏に対する外からの深い視線が生み出す新たな作品であると同時に、大野慶人の稽古に触れることのできる貴重な作品ともなっている
石井みどりが戦前に訪れた中国他、様々な夢の断片がコラージュされた作品。“夢はある時、においや色、光、熱の交錯などで夢幻の境地へ誘い、またある時は、まばたきの一瞬の間に想像的な旅となる。”
王様には秘密がありました。その秘密を知ってしまった床屋はふと思いました。「そもそもなんで王様の耳はロバの耳なんだろう?」イソップ寓話を新しい解釈でアレンジ。身体表現や生楽器、道具を使った見立ての表現などで描く絵本の世界のような新しいダンス劇。マイノリティの生きづらさは、大衆の理解と許容の意識で好転するかもしれない。そしてそれは何気ない純粋で小さな一言がきっかけかもしれない。そんな願いを込めた物語。
第13回青山バレエフェスティバルは「1998-1999 日本におけるフランス年 ~L’Année de la France au Japon~」の一環として開催された公演であり、公演の副題も「フランス」である。フランスにちなんだ振付家の作品や音楽などを中心に上演された。公演の目玉のひとつは、1998年5月にフランスの「バニョレ国際振付賞」国家選考・新人部門入賞作を受賞したベルナール・グランディエ振
1982年にニューヨークの地下鉄で無許可で撮影。出演メンバーはスクール・オブ・ハードロックス。
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は沖縄公演から紹介します。2009年2月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
「己の内奥の宇宙の目を向けること」‥‥‥これが舞踏の出発点であり、その目が何処についているのかが大切なことだ。足が二本に分かれてから我々は迷ってばかりいる。私は一本足の杭になり荒野に立っていたい。森羅万象の内に潜む秘密の階段は、我々の果てしない野に続く。私は急いで準備をするのだ。婚礼が始まる。風が吹いてくる。
風葬「風の中の羊歯」、火葬「火の中の卵」、水葬「水底の石」、鳥葬「鳥女の首」は、1983年から87年にかけて上演された吉本大輔の処女舞踏公演4部作である。この「葬送シリーズ」が、土葬「土の睡り(ねむり)」をもって5部作となる。原作:スタニスラフ・ド・ガラ咀嚼公夫人。
作品ノートdigitalisとは、ある花の名前。毒草でもあり、心臓の特効薬ともなる「毒にも薬にもならない役立たず」ではなく「毒にも薬にもなり」さらに美しい姿をしている人は「暴力的」であり「愛情」に満ち溢れている人は「暴力」によって、人と、社会と、世界とつながり、人は「愛」によって、人と、社会と、世界とつながっている現実から目をそらさずに、現実を受け止め、耐える力人々の空心を満たすための物我は時間の
50年にわたり舞踏家として活動している雪雄子の北国での生活を追う民族誌学映像作品。この映像は森と人、記憶から生命のかたちへの賛歌であり、森羅万象の宿る場で、日常の生活のなかから踊りが生まれる瞬間を記録したものである。2021年、米国地理学会や日本文化人類学会等で上映された。
関わりの可能性をいったい何が狭めていくのか?その法則を再現し、また逆に可能性を広げていく方法をも模索。舞台上における関わりの実験。
「消失」し続ける身体。そして「消失」しても、なおそこに「在る」ダンス。創作活動の出発点となった劇場で、自身の原点と立ち向かう三部作。果てしない身体の探求 舞踊を捉え直すために必要な逸脱 ルーツへ その先の詩体へ。1「遺された軌跡」2「Vanish」3「風景とともに」
アンモナイトの爪番外編
「奇妙な物質のささやきⅡO」と題された、様々の舞踏家達による日替わり連続公演の一演目として上演された本作は、石井と大森のソロとデュオとで構成される。ソロパートは即興舞踏に重点を置いて自在に展開し、デュオパートもきっかけの申し合わせのみで進行した。緩やかな、また即興性が高い構成の中で、それぞれが他者の肉体といかに混ざり合えるのかを試みた。
この作品は2010年に創作したものです。その時は70分くらいあったのですが思ったように出来ず、いつか再演してリベンジしたいと考えていた時に、海外で発表する機会を頂きこのバージョンを作り直しました。その時からも大分変化してしまいましたが、この作品を発表出来て嬉しいです。
レクチャーパフォーマンス
体育教員の目線から、なぜダンスが体育なのか等を問うた2016年初演『ダンスハ體育ナリ』の第二講。1937年に披露された「建國體操」を軸に体操との差異を歴史から紐解き、ダンスとは何かを問う。オリンピックに向けて建設中の国立競技場を遠目に、今一度踊り手としての立ち位置を確認する。Dance Archive Project2018参加。
モーリス・ベジャールに招聘されて渡欧した泉勝志がヨーロッパで活躍後帰国し、初めて発表した作品。サポーターにトゥシューズというスタイルを本作品で確立した。泉は自らが見た夢を数多くの絵画に残していたが、イメージのコラージュが溢れ出る作品となっている。
河野紗代子(音楽)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。「黄色」という色にどんな印象を抱くだろうか?太陽や星、菜の花やひまわりの元気で温かい色。反対に、踏切や信号、標識など危険を喚起する色。日本人には、黄色人種=アジア人ヘイトの問題があり、映画界では、紛争や貧困地域の描写に黄色い色を映像に重ねる「イエローフィルター」も近年問題視されている。本作では、「黄色」が持つ
「宮森敬子展記憶の海、Roseのプライド」(2023年3月1日〜4月9日/中村屋サロン美術館) にて、宮森作品と踊る新井英夫の即興ダンスプロジェクト。「新井さんのRose (私が勝手に呼んでいる、花、人間の持っている尊い何か)が見たいです…」と綴られた宮森とALS罹患後の新井との往復書簡の中で本プロジェクトのコンセプトが立ち上がっていった。展示会場の作品を順に巡りながら生まれた即興ダンスを阪巻正志
珍しいキノコ舞踊団が原美術館中庭で初の野外公演「フリル(ミニ)ワイルド in the Hara Museum Garden」を開催します。今回、満天の夜空(仮)と絶景のロケーションに囲まれて、果たしていったいナニが起こるのか?コードネームはワイルド。またもやアートディレクターに「生意気」を迎えたスーパーコラボです。ぜひお見逃しなく!レジェンド ウィル リターン!千年文化芸術祭特別賞、日本舞踊批評家
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大野一雄全作品上演計画第5回公演。1990年5月、イタリアのクレモナ市立ポンキエッリ劇場の委嘱作品として初演された。クレモナの工房を訪ね、樹木の選定から一挺のリュートが作られる工程を見て、日本人の自然観「花鳥風月」に想いをはせた作品。
メタファーとしての王の最期を描く。専制的な帝王が没落の道を辿る。将軍は背き、愛妾は逃げ、王は捕えられ処刑が言い渡される。王を捕えた者が次の王になる。それは昨日までの王の道化であった。死の直前の王。この人生の皮肉は「一場の夢」だ。青春の終焉、定年、或いは肉体の衰え、栄枯盛衰、大自然の四季の移ろいなどのメタファーとして描かれる。次の王が昨日までの道化なら、今までの王もかつては道化であった、という苦さ。
「国内ダンス留学@神戸」の参加者の卒業後の活動を考える場として始動します。企画の構造としては、国内外にて第一線で活躍している振付家を招聘し、卒業生はダンサーとして作品制作に取り組むことをベースにして、年毎によってアプローチを変えながら、強度のあるダンス作品の制作を目指します。そして、少しでも多くの魅力的なダンサーを輩出することも狙いの一つです。第1回目の今回は、イデビアン・クルーの振付家・井手茂太
如月小春さんの訃報が、2000年12月にニューヨーク滞在中の羊屋白玉に届いた。その後、小春さんの『DOLL』再演の依頼があり、初演から20年、『DOLL』は指輪ホテルの『情熱』となって蘇った。昭和58年に海に消えた少女たちが、平成15年、ビルの屋上のテニスコートに舞い降りた。女子高生の自殺を扱った作品『DOLL』。小春さんが遠投した「少女たちの死のゆくへ」を受け止め、「生の感触」として、さらに遠く
TOKYO DANCE TODAY #9
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。生年月日、出生地、血液型、三姉妹という共通点をもつ森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)。いつかは一緒に創作をと思い始めて数年、ユニークな劇場空間をもつ青山円形劇場にて、構想を共にし発表した作品。
モーツァルトは世界的秘密結社フリーメイソンの真の理想「全ての人間は神である」を歌劇『魔笛』に託した。21世紀には、その理想が実現される。その時、秘密結社は消滅し、すべての人間がフリーメイソンになる。
すべてのものに光を注ぎ、輝かせ、西空の雲を金色に染めて沈んでいく太陽に、若人は呼びかける。1968年初演。「芸術の先生は自然だ」と父から教わった芙二三枝子は元々「太陽」が好きだったが、人間界の煩わしさから宇宙にテーマを求めた60年代に改めて「太陽」というテーマに目覚め、66年には大作「太陽風」を発表している。また68年は“踊りはすべての人のもの”という考えを核に門下生やその教え子の子供達との合同公
「大きな絵を描き始めたのは夏だった」という「観る者」としての画家の視点と「大きな絵のモデルをしていた」という「被写体」としてのモデルの視点が、交錯するさまを描く。男女の心の機微を刻々と変化する空模様に喩えた詩のようにダンスは展開する。女は画家の言葉をかき消し、立場は反転。男は虚しく地を蹴り、女は精一杯空へと手をのばす。「Love is life that lasts forever」映画監督、デレ
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
Tokyo Real Undergroundでアーティスティック・ディレクターを務める川口隆夫が振付・演出を手がけた新作。舞踏家・吉本大輔とコンテンポラリーダンサー・酒井直之。数世代を分かつふたりが、迷宮に棲む怪物を通して新たなダンスの地平を切り拓く。映像作家・鈴木章浩は単なる舞台公演の記録ではなく、’60年代のアンダーグラウンド・フィルムを思わせる映像世界へと誘う。―迷宮の奥深く暗いところで息を
(フライヤーより)ダンスシーンも、衣替え!show-case「だんすにGONE」は、あなたの抱いていたイメージをガラリと衣替え!今をトキメク4人の第三世代が、ダンス本来のダイナミズムをそれぞれのエナジーで、それぞれのまったく新しい感覚で発信。さあ、今、あなたの目の前に真新しい鮮烈な輝きが!!
京ラクシュミー座 定例公演
サックスのシンプルな呼吸から触発され、自然に出来上がった作品です。わたくしの場合は音がとても重要な起爆剤になります。サックス奏者と今ここでたったふたりで創り上げていく歓びがわたくしの體を通して溢れています。そこから、あなたはわたし、わたしはあなた、わたしはすべて、すべてはわたし、あなたはすべて、すべてはあなた‥。どんどん統一意識に近づき、祈りが生まれました。
マーク・アテシュと共同制作した、カセキユウコのソロダンス。日常から非論理的で奇妙な出来事を浮かび上がらせる作家、内田百閒の同名物語に端を出発点とする。百閒はその独特な視点で、シンプルなエピソードから平凡な構造に裂け目を見つける。異界への扉は、一方には不安を与え、他方には奇妙なユーモアを出現させる。カセキはこの状況を不条理とユーモアとによって暴き出し、簡明に自己と肉体をこの世界に存在させる。1998
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ダンスがみたい!
「ダンスがみたい14.崩れる身体」参加作品。彼岸と此岸の間に揺れる男女のデュエット。2013年鳥居えびすの急逝により、本作は鳥居と田中陸奥子の最後のデュオ作品となった。
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2023年、日本フラメンコ協会主催・第11回アニフェリアにて初演された、協会初の舞踊作品『フラメンコのちから』。振付・演出・構成は、自身の舞踊団による『フラメンコ曽根崎心中』や、歌舞伎・宝塚作品でのフラメンコ演目の振付などで知られる、日本を代表する振付演出家・佐藤浩希。日本フラメンコ界のレジェンドから若手まで三世代のプロが集い、先人への敬意、歴史の継承、未来へと生きるちからを、鮮やかかつ華やかに描