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Dance New Air 2014
迷い蝶というものがある。台風で予期せぬ場所に飛ばされ、海 を渡っても、その同一性を作り替えて生き続ける蝶のことだ。こ の共同制作もまた、たくさんの問いに導かれ海を渡り、相手の 中に自分を探す旅路を続けながら他者との新たな関わり方を 発見する。 “Suwung”とは、“目には見えないが、何かがそこに存在する ことを感じる”、という感覚を表すジャワ語である“。空”の中に存 在を感じ、現実と虚構を合理的
今はなき、法政大学学生会館学館大ホールにて上演。当時は学生の自主管理下で様々なイヴェントが企画され、本作も演劇企画の黒いスポットライト(1974-2004)の主催。「オンディーヌ」とは、ギリシャ神話に登場する水の精(人魚姫)で、ジロードゥー、アンデルセン、劇団四季、寺山修司たちも作品化している。指輪ホテルは『この世の病、オンディーヌ。愛を併発して蔓延する。特効薬はない。』をテーマに、会場を豊穣な赤
博士の生命に対する執着から産み出された不完全な生命体の物語。愛する人の死を受け止められない。愛する人と過ごす幸せな未来を願う人々。生から死、死から生の輪廻の輪から外され壊れていく一人の男。命と云う神秘に見せられ、ただ全てを知りたかった一人の博士。恐ろしく悲しい物語だ。
あれから30年近くたっただろうか。未だに見えていないです。掴みかけては逃して、やり過ごして、疲れて寝る。寝るよ今日も。夢の見るよ。地獄のようなまぶしい夢を見るよ。沢山のさよらなに見守られながら、天国のような日々を鳴らす。また明日。
ダンスがみたい!
大学卒業後53年。一日に1~2回は笑うから、合わせて四万回近く笑った勘定になる。その笑いを棺に詰めあの世に旅立つ人生を考えています。(若松談)自由ダンスを提唱する若松の、エッセイ風なダンス。地蔵像の前の踊りから始まり、歌あり、詩の朗読あり。客席やバックヤードで弟子達が合唱する。「歌って踊るというのではなく、人生のあがきでもあります。少し言いたいことがあるプリコラージュな身体」夕焼けの中で、一人踊る
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演シリーズの第3回目。3日間にわたって計3公演が開催された。ヴァルナ国際バレエコンクールやキエフ国際バレエコンクールの上位入賞者などを中心に、将来を嘱望される国内外の若手バレエダンサーが多数出演している。第3回の芸術監督は工藤大貳。工藤大貳は東京で生まれ、服部・島田バレエ団を経てフランスに移住した。フランスでは著名な振付家の作品を踊る一方で、バレエ教師としてダン
[作品ノート]見せること隠すこと見えそうで見えないこと見えても見えないこと自分ですらみることができな自分の顔をさらけ出して生きているという一大事
「ダンスの持つ抗えない魅力を、ダンサー自身が取り戻す事」を第一のテーマに、踊り尽くした末の、意味や記号から解き放たれた体から初めて生まれる関係性を提示した作品。「欲望も抑圧も、産まれた時からお皿に並べられていて、好きも嫌いもないままについ手が伸びちゃう程には食っちゃ寝て、その分大きくなったら誰かに食べられて、どんどこシェアされて循環してるこの体の緑。かなり。」
若手バレエダンサーを中心とした著名ガラ公演の第8回。第8回目は「プティパ175」と題し、古典バレエで大きな功績を遺した振付家マリウス・プティパの生誕175周年を記念した公演となった。プティパはフランスに生まれ、ロシアで活躍し、古典バレエの基礎と形式を築いた偉大な振付家である。上演された作品はすべてマリウス・プティパ振付であり、『ライモンダ』、『エスメラルダ』、『バヤデルカ』、『騎兵隊の休息』、『ハ
大野慶人を被写体とする16ミリフィルム映像。2018年に大野慶人宅で発見されたものだが、撮影の経緯など詳細はわかっていない。無音の映像で、制作途上のフィルムである可能性もある。1969年に開催された大野慶人ソロ公演のポスター写真に衣装とメークが酷似しており、公演を準備している時期に鎌倉の海で撮影されたものではないかと推測されている。
作品ノートdigitalisとは、ある花の名前。毒草でもあり、心臓の特効薬ともなる「毒にも薬にもならない役立たず」ではなく「毒にも薬にもなり」さらに美しい姿をしている人は「暴力的」であり「愛情」に満ち溢れている人は「暴力」によって、人と、社会と、世界とつながり、人は「愛」によって、人と、社会と、世界とつながっている現実から目をそらさずに、現実を受け止め、耐える力人々の空心を満たすための物我は時間の
「ヘッダ・ガーブレル」を、三東瑠璃の演出・振り付けで立ち上げたコンテンポラリー・ダンス作品。三東自身がヘッダとして出演し、Co. Ruri Mitoのダンサー青柳万智子、安心院かな、金愛珠、斉藤稚紗冬がコロスで出演。さらに映像出演として森山未來、杉山剛志、中村あさき、宮河愛一郎が登場。
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
TROPE シリーズ
「家具と身体の問答」家具の持つアフォーダンスをダンサーの身体がいかように引き出せるか答えの無い「問答」のような形でホワイト・キューブの舞台で繰り広げる。
Dance New Air 2020 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.3
二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって安住の場所はどこだったのか。 私の愛情はどこへ向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか。 それとも世界に私は属しているのだろうか。(イサム・ノグチ) 自身の生い立ちに起因する不確かな帰属意識に苦しみ、その救いを創作に求め続けた彫刻家、イサム・ノグチ。彼が建築家の谷口吉郎と共に手 がけた本会場「旧ノグチ・ルーム」は
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
Dance New Air 2018
ある一定のルールと空間の中でスポーツが行われるように、小林は本作の中で自身のフィールドを構成する。性的な偏見や性差別的な筋書きに支配された人間により制限されることのない、自由なスタジアムをギャラリー空間に表すことを目指している。小林が問いかけるのは、危険と安全の狭間に立っている身 体的職業のどこに、その自由が存在するのか。運動競技における身体と、アーティストとしての身体、その双方のプロフェッショ
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビーシアター
テーマは、狩猟採集社会のコミュニケーション。「ひととどうぶつがはなしができて 森や風や、さまざまなものに心をかよわすことことができて、ひとびとは、うたうように おどるように おしゃべりをしている・・・。そんな場所がこの地球のどこかにあらならば、あかちゃんは誰よりもその場所のことがよくわかるのかもしれない・・・」森や動物と密接な関係をもつ狩猟採集社会の文化にインスピレーションをうけ創作された本作は、
いっしゅんのじかんをつかまえるだいじにふくろにとっておくはてさてごあんないこっちのじかんとあっちのじかんぶつけてみたらどうなるか?しりたいひとはいらっしゃいみてみたいならいらっしゃい
1983年にニューヨークのセントマークス教会で100名のパフォーマーによって公演された作品を元に、よりそのパフォーマンスを凝縮、様々なアングルやスローモーション、モンタージュ、サウンドスケープなどを駆使し、私たちが目にする空間をはるかに超えた空間を包み込む新しい映像的コレオグラフィーを創り出した。
元藤燁子は、土方巽由来の舞踏の表現を「マンダラ」として捉え、踊りに美術や照明、音楽が共鳴する舞踏の表現を目指してきた。そしてまた、文化が爛熟した江戸時代の粋で洗練された表象を自らの舞踏に取り入れることにも努めてきた。本作では、アスベスト館の小ぶりな空間を生かして、元藤はその卓越した舞踊の技術をもって小粋な踊りを披露しつつ、舞踏手たちの技術的な習練の成果を生かした作品に仕上げている。
「ダンステレポーテーション」展
2020年5月にDance Base Yokohama(DaBY)のオープニングイベントとして予定されていたTRIAD DANCE DAYSにて、山﨑広太が振付ディレクターを務めるサイトスペシフィック・ダンスが中止になったことにより、唐津絵理(DaBY/愛知県芸術劇場)が企画・総合ディレクターとなる新プロジェクト「ダンステレポーテーション」が始動した。オンラインでの対話から始まる創作を経て、生まれ
大野一雄【赤レンガ倉庫】舞踏公演
横浜新港埠頭赤レンガ倉庫前の三号上屋にて総勢150人の出演者で上演された。曽我蕭白を始め、鰈や狼など多彩なイメージを花開かせながら、舞踏家だけでなく、音楽家や写真家、地元の合唱団までを巻き込んでの一大スペクタクル。映像はフル・バージョン。
凹 へこみ、じやなくて「くぼみ」と読みます。 予期せぬくぼみに足止め喰らって困惑している私達、、、 でもこの場所は確かに何かを見つける場所でもあり気付きの場所でもある。 そう信じてその「何か」を探そうと思います。 願わくば劇場に足を運んで下さった貴方の前で見つけたい、と思います。(コロナ禍での企画公演)
若手ダンサーを中心とした著名バレエガラ公演の第5回目。本公演の特徴のひとつは、公演直前までブルガリアのヴァルナで開催されていたヴァルナ国際バレエコンクールの入賞者7名が出演した点である。上記7名に第17回ローザンヌ国際バレエコンクール入賞者として宮内真理子が、また第18回ローザンヌバレエコンクール入賞者として荒井祐子が加わり、「ヴァルナ/ローザンヌ国際バレエコンクール入賞者デモンストレーション」が
螺旋とは命の形。朝顔の蔦に、銀河の構造に、DNAにと、螺旋はいたるところで私達をとりまく。生・住・異・滅、森羅万象の中で螺旋が舞踏する。私達は肉体という夢の中で、上昇と下降の真っ只中に、宙づりだ。しかし、案ずることはない。形にならないもの、目に見えないものの中にこそ真実が潜むことを知っているのだから。舞踏はひとつの道しるべ。新しい土地にこそ種は蒔かれるべきだ。見たこともない新しい芽を出す日を待とう
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は沖縄公演から紹介します。2009年2月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
Dance New Air 2016
私は「私」になる為に装う。舞台が求める「私」と私の間を埋めるため、衣装に着替えてステージに立つ。装うことで私は自分を護り、身を隠し、演出し,誇張し、ときに他を偽り、また威圧する。装いは私と「私」との輪郭の隙間を埋め、ときにはそれを消滅させる。「La Mode (ラ・モード)」は現代の宗教とも言われるファッションを軸に、浮かび上がる<境界>を視覚化させたパフォーマンス作品である。60分のこの作品の中
暗闇に「肉市」の文字がジワジワと燃えて始まる。客席から盲目の老婆をさらい舞台で三味線を弾かせ、華麗に舞う石井。その後、黒子4人に抱えられ妖しいストリップを披露する。大きな布を覆った獅子舞の如き怪物が舞台を旋回。狂気の石井が大鎌を振回し枯れ草男の正体を暴く。鉄兜を被った男を電気グラインダーで研磨し、火花と黄燐の鬼火が暗闇の世界を彩る。最後に出演者をステージ上に並ばせ、石井の感謝の舞いでフィナーレ。
(フライヤーより)演劇・舞踊・音楽・美術・写真などの新しい作品創りをめざす若者がジャンルをこえてコラボレーションを試みるために集まりました。かつてベルギーのムードラで活躍し、現在ダンサーとして国内の各バレエ団やダンスカンパニーで活躍している鬼才・中村しんじがエディット・ピアフの〈愛と死〉をモチーフに作品創りをはじめました。一人のバレリーナを通して浮かびあがってくるわれわれにとってのピアフとは? 小
処女舞踏公演4部作「葬送シリーズ」のうちの「火葬」。原作:スタニスラフ・ド・ガラ咀嚼公夫人。チラシにはエルネスト・サバト「トンネル」からの抜粋が掲載されている。「…冷酷なほど厳然として / 目的地に向って航路を保ち続ける、船長の姿を想像してください。 / でも / なぜその目的地に向かうのか / 分かっていないのです。」
音楽はマリア・カラスとバッハのアレンジのみで構成。「肉体の絶対的なコントロール、その信じ難い力と同時に肉体の極限的な脆さをも示す」(フェスティバルアートディレクター・ペーター・ビュ / フィガロ紙1997/8/7)、「数光年分のステレオタイプを持つ女性像、それをすみずみまで探索する。誰もがそこに居合わせる。驚くべき方法で全身を変貌させながら心の状態を語る」(デュ・テアートル1997/秋号 NO.1
(フライヤーより)ニューヨークを中心に活躍するアキスタジオカンパニーが、この夏、青山円形劇場にやってきます。ピエロ、バレリーナ、ロボット、兵隊、ネコ、そして、トム博士。人形たちと7つの不思議な箱の物語。箱の中には、なにがあるのかな⁉夢と冒険のドレミファンタジー。さあ、みんなもいっしょに、オモチャの国に出かけよう!!!
上でもなく、下でもない。野外のようでもあり、また室内。家族のようでもありまた他人同士でもあるような。コーヒーカップをテーブルに置くとそこは野外の芝生である。 ―じゅんじゅんじゅんじゅんを振付に迎えて製作。舞台美術に大阪のクリエイティヴ集団graf、音楽製作にdumb typeの山中透が全面協力した。モノクロームサーカスの身体を100%活かしつつも、新たな世界観へ導く意欲作
瀬戸内国際芸術祭2013より、小豆島での演劇活動を継続的に行ってきた劇団「ままごと」。これまで坂手エリアを中心に、島の歴史や記憶から創作した《おさんぽ演劇》や島民と共につくり上げた肝試し演劇《小豆島きもだめスイッチ》、珈琲や軽食のほかに演劇やダンスパフォーマンスも販売する喫茶店《喫茶ままごと》など、様々な形態の演劇作品を創作・上演してきた。瀬戸内国際芸術祭2019で上演したのは、ままごととダンサー
レクチャーパフォーマンス
ダンスがなぜ体育なのか、なぜ女子=ダンスなのかなど、体育教員の経験から感じた疑問を問い直すレクチャー・パフォーマンス。やはり体育教員だった大野一雄を軸に、幻のラジオ体操等に触れながら日本のダンスの来歴を振り返る。Dance Archive Project2016にて初演。
北方舞踏派の代表作を抜粋した映像集。「塩首」(1975)、 「月下の畝」(1982)、「鷹ざしき」(1984)、「蝦夷面」(1989)の四作が収められている。「塩首」は初演の第一日目よりの記録で、ビショップ山田が黒塗りで登場する。二日目は土方の指示で白塗りになったが映像が残されていない。「蝦夷面」の部分は「My Heart Beat」というタイトルが付けられている。
作品ノート:いつから、善悪のガイネンがあるのでしょう。 いつから、つぶすは涙で、なでるは微笑みなのでしょう。 それが入れ換わるその日、もうすぐそこだと、 きっとど真ん中だねと、太陽が追いかけてくるのを無視して 真っ白な月の下ステップを踏んだ。
TOKYO DANCE TODAY #8
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。世界的に活躍する中村恩恵が振付を手がけ、鈴木ユキオ、平原慎太郎の2人が共同振付・出演した作品。音楽・演奏はロック、ジャズ、現代音楽、ポップミュージック、あらゆる音楽シーンを横断、即興音楽とコンポジションの融合を図り、劇団「維新派」の音楽監督としても知られる内橋和久が務める。
This is weather news.いつも想像してみる。こうなればいい、こうなればいいって。This is weather news.でもそうなることなんてほとんどない。This is weather news.明日は、晴れなのか、雨なのか、本当は決まってる。This is weather news.This is weather news.私たちにはそれが分からない。でもそれを悲しいとは思
「君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』より足元を覆いつくすアスファルトのように、深淵は僕たちの日常に寄り添っている。足元に砕け散ったフロントガラスの破片のように僕たちの身体は今ここに放り出されている。深淵に映り込む影が、僕たち自身の姿であり、身体そのものであるのなら、明晰とは、ただそこから逃れることなく、ただここにあることを、ただひたすら見つめ
[作品ノート]黒い制服姿の女子3人。レモンを巡る、束の間の断想。静かで、奇妙で、どこか懐かしい。そわそわ、じりじり、ゆるりゆるり。意地悪な泣き笑い。そして、爆弾が――。
能舞台との交響
「すべての動きが絶妙で優雅」と評された三条万里子の代表作「鳥」は1975年、ニューヨークのバーナード・カレッジにて初演。百人の小ホールから二千人入る大劇場まで、約20年間踊られた。「能舞台との交響」(企画:能楽笛方藤田六郎兵衞)では能舞台という空間で、"伝統と逸脱が混在"する。カザルスがアンコールには必ず弾いたという「鳥の歌」を何度も聴いた三条は、内部から「わたしの動き」が、必然的な動きが溢れ出た
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は別府公演から紹介します。2009年1月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
TOKYO DANCE TODAY #4
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第4弾。「カンパニーデラシネラ」を主宰する小野寺修二の作・演出・出演作品。ダンス・マイム・芝居を混在させ、偶然と必然の迷宮に漂う人間を描く。
姿が見える時の心、心が見える時の姿…というようなダンスを目指す。常に、一人で踊ること、ソロダンスというものについて考えている。80年初頭に開始した頃、私はいつも不自由さだけを感じていた。たった一言の台詞がないことやそこに私のカラダを支える誰かがいないことを。ソロダンスが「意味を背負って一人で立つ」ことだとようやく分かり始めたのが、この「TOO BRIGHT TO SEE, TOO DARK TO
部屋の中から外へ 心の内も外へ外が内吸う人 吸われる人出口を探している人
チューダーの解釈する、ウィリアム・シェイクスピアによる悲運の恋愛物語『ロミオとジュリエット』。その中からパ・ド・ドゥを抜粋する。
第一部静寂な夜の部屋。しかしここはどこなのだろう。整然とした散乱があたりを支配している。略奪? 偽装現場か? 見えない塵がうず高く積もって層を成し、その一部がこちらを向いている。一人また一人と登場人物は何かを抱え踊り始める。頻繁に上体が折られ、足の間や膝下に手が行き交う。次第にダンスは自身を曝出し、虚ろな地上を撃つ強さでほとばしる。第二部冒頭ソロが始まる。デュオからトリオ、さらに展開していくシー
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」やラヴェルの「ボレロ」など、数々の名曲に挑み独特の音楽世界をダンス作品として発表してきた平山素子が、劇作家シェイクスピアが残した言葉や劇世界をモチーフに、初めて本格的な演劇的ダンス作品として2015年に発表した『POISON~シェイクスピアを喰らう~』から4年。俳優の河内大和ら初演メンバーに加え、ダンス集団TABATHAの四戸由香、Noism退団後初舞台となる中川賢
TOKYO DANCE TODAY #9
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。生年月日、出生地、血液型、三姉妹という共通点をもつ森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)。いつかは一緒に創作をと思い始めて数年、ユニークな劇場空間をもつ青山円形劇場にて、構想を共にし発表した作品。
初の海外ツアー作品。イギリスのカーディフで世界初演を果たし、ロンドン、北米ポートランド、ニューヨークを巡って、東京と大阪で凱旋公演をした。本編は、ニューヨーク、ジャパンソサエティ上演時の記録。当時の指輪ホテルは、女性パフォーマーのみで構成される作品群が多く、死生観、社会観、世界観のあり方を、女性の生活史を通して提示していた。観客には、「Mean Girls!」や「Stunning!」と声をかけられ
日本文化の研究者のジョン・ソルトの演出で、井原西鶴の「好色一代女」を下敷きにした舞踏作品。江戸時代に生きた人たちの感情を舞踏表現に昇華することを目指して、主演の元藤燁子にとっても新境地というべき作品となる。三味線と唄の西松布咏を客演に迎え、高田恵篤とアスベスト館の舞踏手たちが加わり、小唄、端唄、地唄、それに現代詩で西鶴の男と女の世界を現代に生かした作品。
空中に庭園を築こうという中世人の夢想は贅をこらすことによって半ば実現したといわれています。空中庭園にしつらえた五つの部屋には、五つの幻想(ゆめ)が置かれており、泉閣士は、次々にその扉を開き、皆様を幻想の部屋に誘います。
本作は、2020年12月、山﨑広太と西村未奈により、フロリダ州立大学、マギーアレシー国立振付センター (MANCC)にて共同で創作を開始した新作『幽霊、他の、あるいは、あなた』のワークインプログレス。自然の複雑で静的な世界の中で、二人の異なる歴史、知覚、細分化された内部の風景を受け入れることができるフラクタルで気象のような身体、そして老いる時間を調査する。
ダンスの歴史にフォーカスをすることでダンスの「継承」と「再構築」の2つの視座からプログラムを構成した公演「ダンスの系譜学」で発表された中村恩恵による2作品。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年10月に愛知県芸術劇場にて初演)言葉にならなかった声に耳を澄ませた中村恩恵の作品『BLACK ROOM』と、イリ・キリアンが中村のために振り付けた『BLACKBIRD
1994年4月に始まった大野一雄全作品上演計画第1回公演「睡蓮」の追加公演。神奈川文化賞受賞記念。モネの「睡蓮」より想を得て、1987年6月にシュツットガルトで初演された。初演は、次男で共演者でもある大野慶人が全面的に演出した最初の作品。
大野一雄の最も古い弟子の一人である上杉満代が踊る、第1回大野一雄フェスティバル(2004)参加作品。踊りは神奈川県立歴史博物館玄関前から始まり、舞姫はおびただしい数の大野一雄の衣装が吊り下げられている旧富士銀行(BankART1929 馬車道ホール、現東京藝術大学大学院)へと運ばれる。
作品ノート:ヒトの移動は10万年前にアフリカ大陸から始まったと言われている。 そして今現在も世界で起こっている。 移動するという行為はあらゆる文明の発展を促しているが、同時に衝突を引き起こす原因ともなっている。 身体の移動行為自体が、コミュニケーションを誘発させる。ヒトは何故身体を移動させるのか。 どれだけ移動してみたところで、それは小さな庭を行き来しているに過ぎないのだ。 それでも、私たちには身