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自分はどこからやってきたのか、をテーマに実験的ソロダンスシリーズ「てふてふ」は木佐貫邦子23歳1982年に開始している。その7作目となる「てふてふ七」は、前作である「てふてふ六」で様々な光と闇を見た挙句に出涸らし状態となった身体が次のステージへと這い出て来て吠える再生物語である。「てふてふ六」までが、妄想の数々で形成されていたとすれば、この「てふてふ七」はその妄想の枯渇から立ち現れた内的な現実の形
作品ノート:溢れる欲求は動物レベルで活動し続ける。内容や実質と対比される一定の外見的な姿をした混沌とする世界。よごれても、きれいでなくても、感情に素直な肉体ひとつを使って生きる。
ダッショク舞踏キャバレエシリーズ
メルボルン在住パフォーマンス・アーティストとして活躍するゆみうみうまれと、 大阪発 世界を駆けめぐる劇団 GUMBO による舞踏キャバレエ狂想劇! 揺れる感覚、ぶれる思考、はぐれるアイデンティティー、ずれるコミュニケーション・・・舞踏にキャバレエをミック スさせた ゆみうみうまれの踊りと、劇団 GUMBO の色鮮やかなコメディに、オーストラリア、シンガポール、そし て日本人ゲストアーティストの多彩
今回の公演タイトル「Antipiol(アンティピオル)」は、「分裂症の少女の手記」(セシュエー著)の本のなかで実際に病院で腫物に使われていた軟膏の名前。少女は精神疾患で入院中に聞こえた幻聴の声をアンティピオルさんと呼ぶ。嘲笑し命令する声のアンティピオルとの闘い。彼女だけでなく誰でも心の中にある自分でもわからない感情、押さえつけられた思い、トラウマなどが何かのきっかけでアンティピオルのように現れるも
アダムとイヴは蛇に勧められ知恵の実を食べ、神の怒りを買う。楽園を追われた人類は、知恵により世界を創り、楽しい都会の生活がもたらされる。人間は変化・進化するが、異常者も生む。暴行を受けた少女は精神を病み両親は苦悩する。医師団はアダムとイヴ、蛇の二重性を持つ。療養の地で少女は蛇を踏み、ショックから快方に向かう。蛇の助けで知の世界に帰る…神話が現代に再生する。人間の喜びが自然と混じりあって表現される。
採石場跡地である巨大洞窟の奥行200mのスロープ部分を山に見たてて舞台とし、山にこもらざるをえなかった異人達の“藍”のように心にしみていく情感を描いた。そこに登場するのは、山姥、座頭、股旅者、捨てられていった姥達ら。それぞれが山に生き、深めていった“心の藍”を表現した。真夏でも気温7.8℃の地下空間に、踊り手の息遣いや足音、そして楽隊の演奏が物哀しくも力強く響きわたった。この公演では山田まさし一座
作品ノート: 園。庭。庭園。土があって、木を植えて、水があって、花を咲かせる。特に計画して作った庭。楽園・余暇。
京都を拠点に創作を続ける「砂連尾理+寺田みさこ」が、1年ぶりに新作を発表します。TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002「次代を担う振付家賞」受賞以来、毎年新作を発表してきた砂連尾と寺田が、今回は異なる手法を元に作品を立ち上げました。砂連尾と寺田の振付を二人とは異なる他者の身体へ振付し、そんな他者の身体を通過した振りを改めて二人が踊り直してみたときに、そのダンスは砂連尾、寺田の
コンテンポラリーダンス ソロ作品
新型コロナウィルスの蔓延からこれまで、長い時間をかけて、心の中の深く暗い部分に巣食い・広がって来たのは自分の死を・大事な人の死を恐れ、感染経路が分からないまま忍び寄ってくるウィルスや人々の行動に恐怖し、感染により社会から居場所を失ってしまう事に怯え、人を疑い・疑われる事が恐くなり、離れた家族と会えない事以上に帰って来て欲しくないと心の距離まで離れてしまう、人に心があるから生まれてくる、そんな沢山の
フィールドワークを軸とした国際共同制作を数多く手がける北村明子による新たな試み「Xstream project」の第一弾。フィリピンと日本のアーティストが共演する舞台で、現代のアニミズム・シャーマニズムの在り方を問う。
舞踏の最初の作品とされる「禁色」初演から50周年を記念して、大野一雄フェスティバル2009で同作を徹底解剖した三日間の第三夜。大野慶人による土方巽の振付作品他、60年代に土方作品に参加した舞踏家が小品を踊り継ぐ。大野一雄の指人形も登場。
作品ノート:母親(ママ、おかあさん、おふくろ)とは、子を産み、育てる女性、もしくは、精子と結合し子供へと成長した卵子を提供した女性のこと。その定義は、非ヒト動物にも拡張可能であり、クローン化した体細胞を提供した動物を含めることもできる。母親の、社会的・文化的・宗教的な定義と役割は、複雑かつ相違があり、普遍的に許容可能な定義を特定することは難しい。̶Wikipedia より引用
「キメラ」、「漂流教室」、「光の王国」のダンスビデオ作品三部作。白虎社は1987年9月にメルボルンのフェスティバルに参加、公演終了後にアボリジニーの聖地と言われる赤い砂漠等で撮影した。1987年東京国際ビデオビエンナーレにてグランプリ・ファンドを受賞。
田に沈む数限りない歴史のあしあとを踏む砺波平野の風をめしませ、「嬶ァ烈伝」。城端町細野の田んぼの上に造られた野外劇場で、田の神様の力を借り、カミさん(嬶ァ)の底力を踊る。観客は開演2時間前の日の暮れる前から屋台や出し物も楽しんだ。
[作品ノート] 消滅願望消えるということ そこに在ったということそこに在ったということ 確かに在ったということ
大野一雄フェスティバルで観客の楽しみのひとつとなっていた、横浜の街を移動しながらダンス公演を観覧する「横浜ダンス界隈」。2008年は「移動シアター/DoCodeMo System」を導入、伊勢佐木町から新港埠頭までの日常の場を「劇場」に転化した。
劇団民藝の北林谷栄を中心に活動していたと思われる「しのぶ会」第2回にて、大野一雄が2作品を踊った。「一艘のカヌー桜の木の下を往く」は白石かずこの詩を下敷きにした作品で、この年の2月にあった江口隆哉の追悼公演でも上演している。リスト作曲「愛の夢」は主に大野一雄の代表作「わたしのお母さん」の最後に踊られるが、一曲踊るという機会には度々選ばれた曲である。
作品ノート:2015年に初演(20分)。何もない事や、説明の出来ないものを形にするクリエーションの中で、様々な「実験」を試み、ダンサーを[実験用ラット]のように見立てた。2017年の本公演(60分)では「目次」を用いて進行。ラット達に薬品や刺激を与え、精神的な環境に置き反応を見ていく。共通の説明書(振付)と各々にタスクを与え、ダンサー自身も実験を試みた。ダンスは形? 肉体? ダンスは必要か? 違和
大胆で個性的な製品で知られた京都の老舗着物メーカー小松屋の「蔵人グループ」の旗上げショー。会場は京都国際会館のエントランス野外で、当日は雷雨に見舞われたが無事に開催された。着物地を素材とした「16世紀吠える男どもの衣装」を白虎社の男性舞踏手がまとって踊る。白虎社のニュースレターに掲載された「蔵人」の広告には、「蔵人とは〇〇に逆らって造った 本当はプライベートブランドです」とある。
本作品“BU” は、主に「舞」・「武」・「無」の3つの「ぶ」をアイデアの中心に据え、自分自身の人間として、そしてアーティストとしてのアイデンティティーを自分の中に見つけるために作りました。舞、武、無、歩、撫、不などたくさんの「ぶ」から得たアイデアをもとに進むべき道を探すために作った作品です。道はどこで始まり、どこで終わるのだろう? (中略) もし刀を握ったその瞬間が始まりで死が終わりだとするならば
(フライヤーより)韓日ダンスフェスティバル(ソウル)日韓の若い才能たちの出会い「日韓ダンスコンタクト」日韓ダンス交流と韓国ダンスのいま「コリア ダンス ミュージアム」
作品ノート:引く、なぞる、延びる、繋ぐ、辿る、越える、描く。細く、どこまでも、長く、いつまでも。
1998年3月、舞踏家・山田一平(ビショップ山田)はキーウに滞在し、ウクライナ国立キーウ・シェフチェンコ劇場バレエ団のバレエダンサーを振付けた。当時ウクライナの国民的スターだったアンナ・クシニリューワを始め、バレエしか知らなかったダンサー達の舞踏との出会いだった。その時生れた作品「暗黒の翼」(ウクライナ国立歌劇場にて上演)をリメイクし、ほぼ同じキャストで東京公演が実現した。
好善社第二回舞踏公演。チラシより:土方巽氏に師事して以来、1979年「楼閣に翼」を舞台に好善社を設立。それから彼(和栗由紀夫)はパタリと沈黙し、ひたすら江戸小紋の染めの仕事に入る。そして7年後の今日の出来事である。1985年、スタジオ200で行われた「東北歌舞伎計画」に参助しながら、浮上する機会を暖めてきた。彼にとっての舞踏が燃焼し始めるこの時期は、亡き土方巽氏を思えば無念の心境であろう(彫刻家・
TOKYO DANCE TODAY #9
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。生年月日、出生地、血液型、三姉妹という共通点をもつ森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)。いつかは一緒に創作をと思い始めて数年、ユニークな劇場空間をもつ青山円形劇場にて、構想を共にし発表した作品。
ギリヤーク尼ヶ崎が街頭公演30周年を記念して初めて制作した記録映画。当時のギリヤークは膝の半月板を損傷、いつまで踊れるかと苦悩していた。踊りを永遠に見てもらえるように映像に残そうと制作を決意、「じょんがら一代」「念力」など全9演目を収録している。札幌、京都などでの公演の様子とともに、自叙伝的な要素も入れて故郷函館を訪れるシーンなどで構成。1998年制作。制作・監督・主演、ギリヤーク尼ヶ崎。カラー7
YAMADA Un Co.
本作は東京芸術劇場で映像作品を作って有料配信し、劇場公演は地方でのみ行われた。 木々や花が溢れる庭で男女が踊るロマンティックなデュオから、無機質な病室でのダンス等、「視聴者の視線を強制的に導く映像の強み」を活かしている(むろん映像にあることは基本的に舞台上でも行われている)。 山田は「2020年のオマージュ」が本作のサブテーマだといっているが、それはコロナ禍や、延期された2020年東京オリンピック
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演の第15回目である。公演の副題は「ラストコンサート」。1986年から毎年開催されてきた青山バレエフェスティバルは、第15回でいったん終止符を打つこととなった。そもそも国際的バレエコンクールで入賞を果たした若手バレエダンサーを中心としたフェスティバルであり、古典作品からの抜粋上演が多かったが、回を重ねていくうちに創作作品の上演も増え、また海外からのコンテンポラリ
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
-杜のホールはしもとにて3日間のワークショップを行い、その受講者により行われた発表。互いに会話をしながら相手の仕草などを書き留め、再現可能な動きとするインストラクション、矛盾した動きを同時に行うことで体に反応を生じさせるインストラクション、体にイメージを与えることで体の質を変化させるインストラクションという3種類を受講生全員が一つずつ考え、それらを音声によるインストラクションとして編集。普通の買い
「国内ダンス留学@神戸」の参加者の卒業後の活動を考える場として始動します。企画の構造としては、国内外にて第一線で活躍している振付家を招聘し、卒業生はダンサーとして作品制作に取り組むことをベースにして、年毎によってアプローチを変えながら、強度のあるダンス作品の制作を目指します。そして、少しでも多くの魅力的なダンサーを輩出することも狙いの一つです。第1回目の今回は、イデビアン・クルーの振付家・井手茂太
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
さあクイズです。次のうち、心臓のないものが5つあります。どれでしょう。銀杏の木 / トマト / 幼虫 / ミミズ / 小夜啼鳥 / ホモサピエンス / サバ / オウムガイ / きのこ / 蛸 / 象 / ウイルス / 蜂 / あんず1941年、東條英機が「撤兵問題は心臓だ」と言った年、私の母は12歳。1965年、ベトナムはリベラリズムの心臓だとジョンソン大統領が北爆を始めた年、私は12歳。198
1997年夏、釜山国際海浜舞踊祭に参加する福士正一の活動を追ったドキュメンタリー。福士が自らの舞踊哲学を語るインタビューのほか、福士に強い影響を与えた舞踏家森繁哉と民俗学者赤坂憲雄の対談、共に活動する福士輝子等の話しを通して、ユニークな活動を浮き彫りにしている。釜山の市場や海岸で即興で踊りながら見知らぬ人々の中に入り、その場その場で心の交流を生み出す様は、福士の活動スタイルの真骨頂を表している。
東京とニューヨーク。インターネット糸電話で結ばれて、二都市の女性俳優たちが太平洋や日付変更線を超えて同時にひとつの作品を上演。これを遠距離恋愛と言わずしてなんと言おう!これまで様々な空間の劇的ポテンシャルを引き出してきたが、今回は二都市間に横たわる時間や空間までも劇場にしちゃえ、というグローバルな心意気の中、開演後911に見舞われ中断。ニューヨークの街が復活されないまま励まし合いながら再演に向かっ
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会場はまさかの巨大スタジアム!パフォーミングアーツと、スポーツの狭間で繰り広げられる〈スペクタクル=見せ物〉人と人が殴りあい、肉体を衝突させあうスリリングなパフォーマンスで人々を魅了し、いまや現代アートの領域でも活発に活動するcontact Gonzo。舞台作品としては、写真家のホンマタカシを巻きこんだ作品や、パフォーマンスが発する音のみを多チャンネルスピーカーから聞かせる音響作品など、透徹した思
最小単位の「ひとつの身体」は舞台上でどう変容するのか---。「ひとつの身体」とは何か、という謎。上村なおかソロダンス第4弾。出演者は上村なおか、ひとり。
Noism0+Noism1
新潟を拠点に世界へ向けて創作と発信を続ける2つの芸術集団による初の共演。作曲家・原田敬子の「鬼」をテーマにした楽曲に、金森穣が創作した“新潟をテーマにした作品”。鬼伝説の由来を金工師、鉱山の歴史との関係から考察する1冊の研究書から、鬼=鉱山=佐渡(新潟)がつながり、佐渡に初めて遊郭を開いたとされる清音尼、役行者、そして「鬼」という3つのキーワードに基づいて音楽的インスピレーションから創作。
作品ノート:お座敷のふすまの向こうのお庭のむこう無効のなみだは誰に 降
2001年にシアタートラムで初演され、海外でも高い評価を得た舞踏家・笠井叡の独舞の代表作『花粉革命』。同作を、息子である笠井瑞丈の身体で再演した。上演の度に、演出・振付に手を加え、熟成されてきた作品を、次代の表現者に引き継ぐ試み。
大倉摩矢子、初の長編ソロ舞踏。自身の幼少期の体験や母への想いを基に即興舞踏で体現。第35回舞踊批評家協会賞 新人賞受賞作。まるで穴の中でぐるぐるとまわりつづけているかのようなあれやこれやの堂々めぐり。そこから飛び立つ白い鳥。穴をうめようとすることよりも穴のまんまでいいんじゃないか。ただしその穴の優しい暗さに溺れてしまうこと勿れ。そんな微熱に毒薬を。
東洋の精神性にも魅了された彫刻家ウィム・デ・ハーン(1913~1967)を追悼したダンスムービー(1976年)。物語はアムステルダムにある「マヘレ橋」から始まる。十字架のような木彫りの作品を抱えて歩く石井満隆と、後を付いていく友人達。その後、ウィムが日本人の捕虜だったことを想起させるような囚われた一室でのおどりがあり、ウィムのアトリエで披露される石井の少女のおどりがある。最後は着物姿の石井が吊るさ
第1回大野一雄フェスティバル(2004)参加作品。解体され再生中だったレストラン相生での特別公演。加藤郁也詩集『形而情學』による高井富子の「形而情學」シリーズは土方巽の演出で1967年に始まり、土方を始め大野一雄や笠井叡も出演した。
1999年、大野一雄は第1回ミケランジェロ・アントニオーニ賞を受賞。ベネツィア・ビエンナーレで「セレブレーション:大野一雄作品アンソロジー」として2日間の公演が行われ、1日目の終演後に舞台上でそのまま授賞式が行われた。大野一雄の代表作である「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」「死海」等から数曲を抜粋したアンソロジー公演である「セレブレーション」と、授賞式を収録。
作品ノート:人間を含む自然物の衰え美しい自然サイクル腐る果物 老いる肌 無数の時が刻み込まれた自然物とその消滅と生成不自然な消滅垣間見える人間の欲今を生きる為の纏わりついて消えない欲生まれる抵抗と矛盾
時はエドワード王時代の1900年代。リラの花咲く月明りの庭で、カロラインのお別れのパーティーが開かれている。彼女は強いられた結婚のために、愛してもいない男のもとに嫁がねばならない。客の中には彼女の愛する若者もいる。彼と会って最後の別れを惜しもうというのが、このパーティに寄せるカロラインの最大の願いなのである。また、この場には婚約者の前の愛人も来ており、何とか彼を翻意させて、もう一度自分の手に取り戻
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演の第12回目。副題が「バレエへの道」であり、まだバレエ学校で研鑽を積んでいる若手ダンサーが様々な国から集うこととなった。公演だけでなくダンサー同士の交流も公演開催の目的として掲げられている。アメリカからはセントラル・ペンシルバニア・ユース・バレエから8名、またウクライナからはキエフ国立バレエ学校より4名が参加した。コロラド・バレエ団、ウクライナ国立オペラ劇場、
Monochrome Circus『震災3部作』2作目。震災後の価値観の変動や揺らぎをコンタクト・インプロヴィゼーションのデュエットによって繊細に表現。
本作は、脳外科医ペンフィールドが提唱する「脳内のホムンクルス」という概念から、脳との繋がりの中で、本来は一番大きな面積を占めると言われる手、指先の「触覚」に着目した。未曾有の感染症の影響、テクノロジーの発達において、人と触れ合うことが圧倒的に減った今。「触覚の不在」をテーマに、現代社会を生きる「私」という人間のあり方、人との繋がりについてダンス、美術、映像、音楽から思考した作品。
メタファーとしての王の最期を描く。専制的な帝王が没落の道を辿る。将軍は背き、愛妾は逃げ、王は捕えられ処刑が言い渡される。王を捕えた者が次の王になる。それは昨日までの王の道化であった。死の直前の王。この人生の皮肉は「一場の夢」だ。青春の終焉、定年、或いは肉体の衰え、栄枯盛衰、大自然の四季の移ろいなどのメタファーとして描かれる。次の王が昨日までの道化なら、今までの王もかつては道化であった、という苦さ。
マーク・アテシュと共同制作した、カセキユウコのソロダンス。日常から非論理的で奇妙な出来事を浮かび上がらせる作家、内田百閒の同名物語に端を出発点とする。百閒はその独特な視点で、シンプルなエピソードから平凡な構造に裂け目を見つける。異界への扉は、一方には不安を与え、他方には奇妙なユーモアを出現させる。カセキはこの状況を不条理とユーモアとによって暴き出し、簡明に自己と肉体をこの世界に存在させる。1998
作品ノート:日々、悶絶しております。 いえ、悶絶のてまえ一歩でもんもんと。 しかし、その一味 意外と美味しいかも。 3000円くらいの自己肯定、味わっていってください。
舞踊公演
歴史的な文脈を踏まえつつ、斬新な切り口で歌舞伎作品を現代化してみせる木ノ下歌舞伎。本作『娘道成寺』は、2008年に『三番叟/娘道成寺』の二本立てで初演し、2012年に30分に短縮した長唄音源を用いて初上演。その後、2017年には長唄の録音音源をほぼ全曲使用した60分のフルヴァージョンとして再創作し、再演を重ねるたびに進化してきました。演出・振付・出演は、きたまり。長唄を基に、背景や心情から、演目そ
大野一雄に捧げるアルバム「The Crying Light」をリリースし、大野一雄をミューズと慕うアントニーが来日。大野一雄の映像「O氏の死者の書」と、一雄の次男で舞踏家である大野慶人との共演を果たした。後にイギリス、ブラジルでも上演を重ねた。
この作品のキッカケは、バッタ研究者によるベストセラー『バッタを倒しにアフリカへ』。バッタが気になり始めた「んまつーポス」の3人が興味をもって調べたところ、日本には445種ものバッタの仲間がいて、イソップ童話「アリとキリギリス」のキリギリスもその1種だった。将来に備えることの大切さを説く「アリとキリギリス」において、キリギリスはアリから「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と言われる
何もない、 あまりにも変化のない日常の繰り返しに踏みとどまる事を選択する。一人で、 すっと立ちながら生きていかねばならないという思い、と同時に、 人は決して一人では生きていけるものではないという思い。 存在することの痛みを感じながら生きていく。
2022年10月21日(金)〜23日(日)、象の鼻テラスにて、ザ・フォーサイス・カンパニーをはじめ世界の第一線で活躍してきたアーティスト安藤洋子が率いる ZOU-NO-HANA BALLET PROJECT の実験的パフォーマンス「Walk Installation ARUKU vol.3」を開催しました。アーティストのジヨン・イ(韓国)による映像インスタレーションとともに、濃密なクリエーションを
新長田アートマフィア2022 実録
神戸市長田区の新長田地域を中心に独自の拠点を運営しながら、表現活動を支援する人々の集合体[新長田アートマフィア]。各々の拠点は、病院、クライミング・ジム、古民家、コミュニティ・スペース、多世代シェアハウス、アトリエ、事務所、劇場、自宅のように用途も属性も多岐にわたります。2017年、新長田アートマフィアからダンス部が生まれました。まちに関わる仕事も表現活動のようである、彼らの普段の活動と新作上演と
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2