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エリック・サティの「梨の形をした3つの小品」を使用し、口をあけて食べる仕草を振付に入れながらも絵画的でロマンティックな作品に仕上げている。
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歌人、山中智恵子の作品「鳥首」からインスパイアされた作品で、古代の祭祀的な要素を含んでいる。ソロ中心の作品が多い中で、この作品には佐東みわこ、杉山景子が出演している。巨大な被り物を付けた山田が敢えて跛行的な歩行を続け、身体の在り方への新たな視点を模索しているのがわかる。土、水、紙などで空間を構成しつつ、身振り、行為と、踊ることの境界を越えるような振り付けが特徴的に現れている。
TOKYO DANCE TODAY #8
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。世界的に活躍する中村恩恵が振付を手がけ、鈴木ユキオ、平原慎太郎の2人が共同振付・出演した作品。音楽・演奏はロック、ジャズ、現代音楽、ポップミュージック、あらゆる音楽シーンを横断、即興音楽とコンポジションの融合を図り、劇団「維新派」の音楽監督としても知られる内橋和久が務める。
dance for camera
エイコ&コマの映像作品。1977年の舞台作品FUR SEAL(オットセイ)を映像化予定だったが、撮影現場で動きをつくり直した。1983年11月に、野生のオットセイが棲息するカリフォルニアのポイントレイズ国定海岸でピーター・ヤプルの協力を得て撮影し、1984年3月、ARC Videodance(ニューヨーク)のジェフ・ブッシュの協力で編集した。元々は無音の予定だったが、エイコが波の音を挿入。アメリカ
『「さ迷える愛・序破急」三部作』
コロナ禍の中で三度の延期を経て、今年11月に初演された「さ迷える愛・序破急」三部作の完結編『心と地』の舞台はなんと宇宙。発達し続ける資本主義と強化される管理社会の行く末を問うSF作品です。
【作品ノート】2019年頃に感じていた、何だか静かで人類が世界に退屈したような絶望感がある。それが前回の横浜ダンスコレクションで上演した「サイクロン・クロニクル」が纏っていた空気感でもあった。2020年2月以降、その絶望感が一気に沸点に達して吹きこぼれ、今も尚ぐらぐらと煮立っている。そして、その鍋の中に生成されているのはデカダン的な新たな終末感である。 その中で新しく作品を作ることになり、浮かび上
東京とニューヨーク。インターネット糸電話で結ばれて、二都市の女性俳優たちが太平洋や日付変更線を超えて同時にひとつの作品を上演。これを遠距離恋愛と言わずしてなんと言おう!これまで様々な空間の劇的ポテンシャルを引き出してきたが、今回は二都市間に横たわる時間や空間までも劇場にしちゃえ、というグローバルな心意気の中、開演後911に見舞われ中断。ニューヨークの街が復活されないまま励まし合いながら再演に向かっ
作品ノート:BANANAりんごはどれですか?バナナをさす。母親は言葉を失った。人の思いは、心の中で像をつくり、音と結びつき、言葉として発せられる。母親が笑う、私も笑う。ただそれだけのことだ。
(フライヤーより抜粋)今回は、’87年暮れの青山劇場公演「Can't stop Dancin'」と前回の「ダンスコレクション」でもうすっかりおなじみの名倉ジャズ・ダンス・スタジオのフレッシュなメンバーに加え、多彩なゲストも出演します。その熱いダンス・スピリッツはきっと、肉体表現の美しさ・楽しさを、ダンス・ファンにはもちろん、広く一般の方々にも伝えてくれることでしょう。時は春。さあ、青山円形劇場で、
日本の夏1960〜64
タイトルは、土方巽自身が自らの舞踏を表すアフォリズムとなっている。本作は、水戸芸術館での「日本の夏1960―64」の参加作品として、元藤燁子が構成・演出。1960年代前半期の美術における前衛活動を回顧する展覧会に、前衛美術家と協同した土方巽のオマージュとして発表。「肉体の叛乱」のフィナーレのシーンの巨大な写真パネルが吊られたエントランスのフロアで、元藤のほか、大野一雄、大野慶人らが踊った。
1982年にニューヨークの地下鉄で無許可で撮影。出演メンバーはスクール・オブ・ハードロックス。
第一部静寂な夜の部屋。しかしここはどこなのだろう。整然とした散乱があたりを支配している。略奪? 偽装現場か? 見えない塵がうず高く積もって層を成し、その一部がこちらを向いている。一人また一人と登場人物は何かを抱え踊り始める。頻繁に上体が折られ、足の間や膝下に手が行き交う。次第にダンスは自身を曝出し、虚ろな地上を撃つ強さでほとばしる。第二部冒頭ソロが始まる。デュオからトリオ、さらに展開していくシー
舞踏の最初の作品とされる「禁色」初演から50周年を記念して、大野一雄フェスティバル2009で同作を徹底解剖した三日間の第三夜。大野慶人による土方巽の振付作品他、60年代に土方作品に参加した舞踏家が小品を踊り継ぐ。大野一雄の指人形も登場。
作品ノート:2015年に初演(20分)。何もない事や、説明の出来ないものを形にするクリエーションの中で、様々な「実験」を試み、ダンサーを[実験用ラット]のように見立てた。2017年の本公演(60分)では「目次」を用いて進行。ラット達に薬品や刺激を与え、精神的な環境に置き反応を見ていく。共通の説明書(振付)と各々にタスクを与え、ダンサー自身も実験を試みた。ダンスは形? 肉体? ダンスは必要か? 違和
白虎社初の熊野野外公演の記録。オリジナルは8mmで撮影されており、公演の一部が別の音楽と共に編集されている。大須賀勇が凧にのって運ばれてくるシーンや、声は聞こえないものの蛭田早苗と会山軽子の「じゃがたらお春-怒り鶏・泣き鶏」が収録されている。白虎社は1980年から熊野において夏期舞踏体験+芸能文化セミナー体験合宿を毎年のように開催し、恒例となった合宿生の成果発表はこの公演と同じタイトルで行われてい
今はなき、法政大学学生会館学館大ホールにて上演。当時は学生の自主管理下で様々なイヴェントが企画され、本作も演劇企画の黒いスポットライト(1974-2004)の主催。「オンディーヌ」とは、ギリシャ神話に登場する水の精(人魚姫)で、ジロードゥー、アンデルセン、劇団四季、寺山修司たちも作品化している。指輪ホテルは『この世の病、オンディーヌ。愛を併発して蔓延する。特効薬はない。』をテーマに、会場を豊穣な赤
音楽でつづる文学
鎌倉時代に成立し、平家の栄華と没落を描いた軍記物語「平家物語」は、後世の芸術にも様々な影響を与えました。香川県高松市の屋島を舞台として、那須与一の扇の的討ちも大変有名な伝説として様々な形で残されました。平家琵琶と地歌箏曲、そして福岡県で現在唯一伝承されている幸若舞を取り上げます。幸若舞は織田信長が好んで舞ったといわれています。今回は「扇の的」と共に、とりわけ名前が知られている「敦盛」を上演します。
作品ノート二人のダンサーとミュージシャン。それぞれのやり方で同じ時間を刻む。それは、身体と声と音と空間で戯れながら積み上げる時間のタワー
本シリーズであえて“実験”の二文字を掲げるのは、この実験が作者である私自身にとっての実験であるからに他ならない。音楽や物語など、私にとっては外部の既存のものから得る刺激によって創作するのではなく、まずは空間及び動きの法則を仮定し、そこから何が生みだされるのかを創作過程において研究/記録すること。その科学的アプローチこそが本創作(実験)の趣旨である。(金森穣)
白虎社は公演以外でも「出前芸術体」として、「からだ」と「芸術」を出前、一般家庭のパーティからコンサートやCM出演まで幅広く出没した。本映像には以下の白虎社出演部分が収められている。・石井聰亙監督「アインシュテルツェンテ・ノイバウテン 半分人間」(1986)・布袋寅泰ソロ・コンサート「GUITARHYTHM」より”WIND BLOWS INSIDE OF EYES”(1988)・TBSテレビ「ザ・ベ
大野一雄舞踏公演
東京国際舞台芸術フェスティバル参加作品。織部賞グランプリ受賞記念公演。前年に臀部を打ち、一人で歩くことが困難となった大野一雄が、時に大野慶人に支えられ、時に座ったまま、命を踊る。大野一雄単独の劇場公演としては、これが最後の舞台となった。
大胆で個性的な製品で知られた京都の老舗着物メーカー小松屋の「蔵人グループ」の旗上げショー。会場は京都国際会館のエントランス野外で、当日は雷雨に見舞われたが無事に開催された。着物地を素材とした「16世紀吠える男どもの衣装」を白虎社の男性舞踏手がまとって踊る。白虎社のニュースレターに掲載された「蔵人」の広告には、「蔵人とは〇〇に逆らって造った 本当はプライベートブランドです」とある。
「今度、好善社では、楼閣に翼第四弾として、「人間の水」を上演致します。人間の内に流れる生命の起源に遡る旅です。その水は拡がり、凝縮し、動いています。私は、周りを流れる闇や光に出逢いながら、身体の中の、微妙に揺れる星あかりを頼りに、進んでいきます。そこにはどんな風が吹いているのでしょう(後略)」―和栗由紀夫「自分自身に出逢う旅が、舞踏なのだよ」と和栗に伝えたマレビト土方巽への追想公演。
幾つもの夜を超えて会いに行く。もしも変わり果てた姿であろうと、たどり着いてみせる。難しい考えを羅列すると虚しくなるけど、幾つもの夜を超えて会いに行く。すきま風が吹く度、ふと我に返ってしまうけど、きっとたどり着いてみせる。何をもらってたんだっけ。分からなくなっちゃったけど、幾つもの夜を超えて君に会いに行く。それだけは間違いない。
A rabbit chased by tiny Alice chased by the author Carol. Who is chasing who? And who am I? You are here in the wonderland where you would never find the entrance or the exit. You have no idea where y
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演の第12回目。副題が「バレエへの道」であり、まだバレエ学校で研鑽を積んでいる若手ダンサーが様々な国から集うこととなった。公演だけでなくダンサー同士の交流も公演開催の目的として掲げられている。アメリカからはセントラル・ペンシルバニア・ユース・バレエから8名、またウクライナからはキエフ国立バレエ学校より4名が参加した。コロラド・バレエ団、ウクライナ国立オペラ劇場、
詩人の白石かずこの「ポエトリー・レストラン・シアター」に白虎社の舞踏手が出演し、白石の朗読と井上敬三によるサックス演奏とで踊った。白石はジャズの演奏家だけでなく舞踏家とのコラボレーションも多く、白虎社の夏期合宿にも顔を出していた。約3週間後に京都KBSホールでの「ミナカタクマグスのようなテレビジョン」上演を控えていたこともあり、蛭田早苗のソロや男性舞踏手の石を打つ踊りの動きなどは同作品でも見られる
イサドラ・ダンカンやトルストイの孫娘との結婚など、派手な人間関係を持ったロシアの詩人セルゲイ・A・エセーニンは‟最後の田園詩人”として自然を詠い、農婦を聖母マリアに比した。自らを「何かから離れる詩人」とみなした束縛を恐れ放浪する天性。そのラストメッセージから『人生は一場の笑、生が偉大なものでないのに、死だけが偉大であり得ようはずがない』と意を汲み、登場人物を道化としてエセ―ニンに対比させている。
シェイクスピアの恋愛悲劇『ロミオとジュリエット』とプロコフィエフの音楽をもとにした、金森穣創作の劇的舞踊『ROMEO&JULIETS』。Noismの舞踊家に加えてSPAC-静岡県舞台芸術センターの俳優が出演。舞踊家達の雄弁な身体と旋律のように言葉を操る俳優の身体が、対峙しながらも重層的に鳴り響く。その先に現れるのは、舞踊でも演劇でもない「劇的舞踊」でしか描けない“ロミオとジュリエットたち”の物語。
9.11の惨事から20年後の2021年9月11日に、尾竹永子は自身にとっては初めてモノローグ(一人語り)の作品をソロ公演しました。ハドソン川の川縁、かつてのトレードセンターがあったすぐ近くの公園で朝の7時と夕方6時に行われた無料公演です。 この場所は9.11の1年後にEiko and Komaが 野外公演した場所でもあります。その時と同じクラリネット奏者 David Krekauerが再び共演しま
super reflection
万華鏡のように映し映され合いながら動き続ける複数の身体。ある瞬間に、通じ合えたような束の間の安堵を味わったり。またある瞬間には、はたと逃れようのない個/孤を自覚させられたり。肉体の間に働く求心的な引力と摩擦、衝突、その営みが「super reflection」となる瞬間を求め続けている。
土方メモリアル
舞踏の創始者<土方辰巳>の初期の軌跡を巡る総合企画。当時の貴重なフィルム作品の上映、舞踏の黎明期をともにしたゲストを迎えてのトーク、そして舞踏公演。土方巽へ捧げるオマージュ。エドガー・アランポー原作の『大鴉』は、30数年前土方が振付した元藤とのデュオ作品。公演直前に元藤が妊娠、待望の赤子と引き換えについに上演されなかった幻の作品。代わりに土方は誕生した我が子に「大鴉」と命名した。当時、土方はフォー
本作品は1967年に寺山修司が主宰する演劇実験室「天井棧敷」の旗上げ公演として上演されました。寺山作品初期に見られる母子の愛憎、寺山自身と母との確執をモデルに描いた作品となっています。B機関は演劇と舞踏の融合を目的として舞踏家の点滅が2016年から2023年まで主宰した演劇舞踏ユニットです。本作品は2017年に上演されたその第二回公演となっております。
STUDIO 200 LIVE PIECES
1982年に中野テルプシコールで始まった川仁宏と田中トシのデュオユニット・マウスピースはその後、加藤啓、古屋俊彦などのコラボレーションを得て継続した。 アントナン・アルトーに触発された声の身体性と即興ライブをひとつの系として、ジャンルの横断と、複数の関係のまん中から生まれ消えるライブパフォーマンスを実験した。「ダブル・バインド」は実質的にマウスピースとして最後の活動となった。
初舞台がレ・シルフィードだった若松にとってシルフィードは青春の響きを持っていた。イサドラ・ダンカンのショパン集をフォーキンが監修、グラズノフやケラーがショパンの曲をバラバラに変造し組曲を創り上げ、ラ・シルフィードをもじってレ・シルフィードと名付けた。これはモダンバレエの始まりでもある。羽衣、シルフィードともに男性の理想だった。理想は現実となった時消え去り、達することのできない理想ほど美しい。
この作品は2010年に創作したものです。その時は70分くらいあったのですが思ったように出来ず、いつか再演してリベンジしたいと考えていた時に、海外で発表する機会を頂きこのバージョンを作り直しました。その時からも大分変化してしまいましたが、この作品を発表出来て嬉しいです。
そこにいること。いやおうなくそこに「他者」がいることの魅力。いやおうなくそこに「他者」がいることの恐怖。レミングとは、ヨーロッパやアメリカの北部地方に生息するネズミに似た小形の動物。爆発的に大増殖して大群で移動する。本作品は上演地でダンサーを募集、選出して製作する新たな作品スタイルの提案でもある。カンパニーダンサーと地元ダンサーがそれぞれの身体の垣根をとり払ってつくる、シンプルな構造から生まれる作
バレンタインデーにちなんだ『愛』と『美』をテーマした芸術家達による饗宴。クリムトの『接吻』や、ベレスケスの『マルガリータ王女』など、世界の代表的な絵画作品とその背景を題材に新しいクリエーションとして表現します。美術館内を歩き、ゆっくりと名画を鑑賞するかのようにバレエと音楽をお楽しみください。
振付家・コンテンポラリーダンサーとして日本のダンスシーンをリードしてきた平山素子、三味線の新たな未来を切り拓く若きパイオニア本條秀慈郎、アイヌの伝承音楽ウポポを唄う床絵美。相異なる3つのジャンルで活躍する3人のコラボレートにより立ち上げられる、新作音楽舞踊劇。アイルランドの詩人で劇作家のW.B.イェイツが能楽に想を得て執筆した戯曲「鷹の井戸」に出てくる“不死の水”をモチーフに、夢幻の世界を描き出す
----〜である 存在する----自分自身であること----自分自身でありながら他者と存在すること----------他者と存在しながら自分自身である続けることアンビバレントな感情、自信、コンプレックス、独立、依存、競争、協力、諦めなどをキーワードとし、「存在する」ということについて身体的、心理的な側面から考察。
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宮沢賢治は、よくわからない不確かな存在を「ガドルフの百合」と名付けました。ここにいるのかいないのか、そこにあるのかないのか、お互いの距離を感じなければいけない状況が、むしろ私たちの身体感覚を鋭くしている気がします。この作品は上郷クローブ座のある元上郷中学校全体を舞台にした回遊型パフォーマンスです。ダンスや演劇、美術、映像、音楽などが紡ぎ出す時間と場所へ、一緒に距離のない旅に出ます。
2010年12月東京初演。あらゆる歴史的過去から切り離され、縹渺とした現代性の荒野に生きる人間の状況を直截的な手法で浮き彫りにしたもの。大災害や破滅を示唆する舞踏は、間もなく起きる大震災や放射能汚染を予知したものとも評された。欧米やロシア、ウクライナ、イスラエル、メキシコ、インドネシアでも上演され極度に乾いた世界観は各地で衝撃を与えている。
真綿が張られた1本の大きな枝が右手首に括られ、肩に背負われている。あたかも巨大な羽のように見える。傾いた首はゆっくりと傾き続け、静かにゆらゆらと動く。微細な振動だけが踊ることを形成していく。踊ることの衝動に真っ直ぐに向かいあったこの作品を観たニューヨーク・ヴィレッジ・ヴォイスの批評家デボラ・ジョーイットは「舞踏のジャンヌ・ダルク」と評した。山田せつ子のダンスの原点ともなる作品。
パッヘルベルのカノンに振付けた群舞。空間に広がりのある振付に時折印象的な仕草が混ざり、裸足の少女達の戯れが清々しい。音楽を伴奏として扱うことなく音楽と溶け合うような一体感のある作品である。
大野一雄全作品上演計画第4回公演。初演は1981年、土方巽演出。1995年の再演では大野慶人が演出し、劇場空間全体を母の胎内と見立てて舞台上にも客席を配置した。「胎児の夢」「宇宙の夢」「母の見た白晝夢」「鰈のダンス」「愛の夢」の五部構成。
[作品ノート] “The Broken Heart”は、2001年夏、アメリカ、メイン州で行われたベイツダンスフェスティバルで初演される。 この作品は、失恋した時の感情の変化を表したもので、 “創造的なアイデアに富んでおり、まるで昆虫の動きを見ているよう。”と評される。
水を司る龍の棲む夜叉ヶ池。今庄の里を日照りから救うために龍神に身を捧げた娘は、夜叉姫として信仰を集め、「白雪姫」として泉鏡花の小説「夜叉ヶ池」にも描かれている。今庄町の古い茅葺きの民家の庭に舞台をしつらえ、治水を願う里の人びと、旱魃をもたらす魔神など夜叉ヶ池をめぐる様々な精が登場。日照りに苦しむ里を、白雪姫が自らを呪縛している鐘を割り、恵みの雨をもたらすという伝説を舞踏によって、あらたに演じる。
(フライヤーより)韓日ダンスフェスティバル(ソウル)日韓の若い才能たちの出会い「日韓ダンスコンタクト」日韓ダンス交流と韓国ダンスのいま「コリア ダンス ミュージアム」
-杜のホールはしもとにて3日間のワークショップを行い、その受講者により行われた発表。互いに会話をしながら相手の仕草などを書き留め、再現可能な動きとするインストラクション、矛盾した動きを同時に行うことで体に反応を生じさせるインストラクション、体にイメージを与えることで体の質を変化させるインストラクションという3種類を受講生全員が一つずつ考え、それらを音声によるインストラクションとして編集。普通の買い
身体の中は小宇宙であるとよく言う。 エネルギー体である 私、あなた、社会、自 然、宇宙、 電子エネルギーにより、 それぞれが細かく振動する事 によって共鳴し合って世界の バランスを保っている。 そういった物理学の観点からモーション (動き)とエモーション(感情)、そしてそれ が世界にまで共鳴して 行くことを提示し た作品。かつて生きていた人、生活。肉 体は滅びても エネルギー体は滅びずにこ の地球
山田せつ子が、公演表記を「舞踏」から「ダンス」と変えた分岐点になる作品。池袋西武スタジオ200の無機的空間が青銅色の壁面、錆の浮いた鉄や廃材、白砂を使った内藤久義のインスタレーションによって、地上の果て、異界へ通ずるステージとなった。荘村清志のギター「インターナショナル」に始まり、HIROKIのシンササイザー音が山田の緊張と放散の求心的なダンスと交差し、よりシンプルに生成された世界を展開した。
部屋の中から外へ 心の内も外へ外が内吸う人 吸われる人出口を探している人
(フライヤーより)HIMIKOにインスパイアされていく中韓日・東アジアの新星アーティストたち男と女の無限の循環-HIMIKO=太陽への回帰闇と光・色彩とムーブメントによる2003年最も注目のダンスパフォーマンス
(フライヤーより)日韓の劇場間ネットワークとして2003年スタート東京・青山円形劇場とソウル・シアターゼロとが共同で若手アーティストの作品上演の機会アーティストコミュニケーションの場として企画・制作参加アーティストは連続してソウルと東京で作品を上演している
農業革命時、身体は生産材として重要な役割を担ってきた。しかし、時代の変化とともに、工業化と情報化が進み、身体を拡張する『脱身体/ポスト身体』の時代へと急速に変化してきている現代。本作では、失われゆく身体への価値を再提示するため、日本全国の農耕祭祀、考古学、民俗信仰などをリサーチし、日本文化の水脈を掘り下げていくことで、「様式化される以前の身体性」をテーマに創作される注目のダンス作品。
本企画では、観客と演者の距離を取り払い、劇場空間では感じられない一体感を創出します。第一部は音楽×ダンス(芸術)の魅力を間近に感じていただける機会とします。 第二部は距離の近さを活かしたトークセッションを、スペシャルゲストにコシノヒロコ氏、髙島崚輔芦屋市長、野村大祐芦屋市教育長、苫野一徳芦屋市教育アドバイザーをお迎えし、【教育×哲学×芸術】をテーマに、カジュアルな雰囲気で来場者の方々と共に対話の
大野一雄フェスティバル2005(第2回)にて上演された大野慶人のソロ作品。自らの来歴を振り返り、大事なモーメントを与えてくれた人に感謝を捧げる構成で、父である舞踏家大野一雄の代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」の最初のシーンで使われた帽子とケープをつけて踊る場面もある。カーテンコールでは慶人が一雄の車椅子を押して登場、万雷の拍手に囲まれた。各場のタイトルは次の通り。シティボーイ / 土方巽に、一心に感謝
切られては 伸び縛られては 舞う曲がっても 捻れても 芯はまっすぐ