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《作品ノート》「記録」に焦点をあてた本作品では、「いま」をとどめようとする行為である「記録」と舞台でのライブ表現によって、つかんだ先からさらさらとすり抜けていく「いま」というものの感触を表現する。
石井みどりが戦前に訪れた中国他、様々な夢の断片がコラージュされた作品。“夢はある時、においや色、光、熱の交錯などで夢幻の境地へ誘い、またある時は、まばたきの一瞬の間に想像的な旅となる。”
写真家・八木咲との共同制作作品。写真家とのライブセッションや、写真家自身プロジェクターを手に、空間に映像を投影したりなど、さまざまな仕掛けで舞台上に流れ続ける時間を「瞬間」に捉え直す。その行為は、まるで、過去と現在そして未来を少しずつずらしながら体験する時間旅行のようでもあり、観客はいつの間にか、自分自身の身体がカメラになったように、その空間をおもいおもいに切り取り始める。新しい「体験型」のダンス
「LOWという高み」LOWとは、輝ける最高の頂の遥か天空を飛翔し続ける鶏の名前である。LOWというコトバを支えるいっさいの価値、いっさいの物語を超え出うるとはおよそ、地上から追いやられた生き物の目の低さで私を見いだすことに他ならない。
うわすべりを紡いでいたら、いつのまにか愛だった。時間をかけて裏返したら、魂だった。近づきすぎたか、遠く離れすぎたか、見えなくなった。足音がしたので、応えたらやっぱり雨が降ってきた。たまたまそこにおっさんと一緒に雨宿りをした。しずかに。ほんとしずかに。ほんとグルービィに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ダンスボックス・ソロダンス・シリーズ」では、100席の小劇場空間ならではの緊密さを
2005年度Leni-Basso+Haus der Kulturen der Welt(ベルリン)共同制作作品海外の劇場との共同制作作品として海外にてワールド・プレミアがされた初の作品。Leni-Bassoにしては珍しく物語的な要素を含んだ劇的な展開をもち、神話的な世界観をもつ。発条トのメンバーであった粟津裕介が全曲オリジナルスコアを提供している。オランダ9都市を含む、10カ国19都市で上演された
「11PM(いれぶんぴーえむ)」は日本テレビ系列で放映されたお色気から社会問題までを取り上げる伝説の深夜番組。本映像は、1985年(当時は番組が23時20分始まりで「11PM+20」と呼ばれた)、86年、88年の同番組に白虎社がゲスト出演した回を集めている。85年は「肉体は芸術です!? 脱いでじっくり考えよう!! ハダカ哲学バラエティー」、86年は「ハダカの芸術大集合!」と題され、大須賀勇へのイン
(フライヤーより)世界の先駆的なコンテンポラリーダンスの関係者が2年に一度集う、ダンスビエンナーレ。その第1回を2002年夏に開催します。文化によるにぎわいの場を創造し、世界のダンスの動向や潮流を知り、ネットワークを広げ、ダンスや演劇の文化的土俵をさらに豊かにしたいと考えます。
京ラクシュミー座 定例公演
サックスのシンプルな呼吸から触発され、自然に出来上がった作品です。わたくしの場合は音がとても重要な起爆剤になります。サックス奏者と今ここでたったふたりで創り上げていく歓びがわたくしの體を通して溢れています。そこから、あなたはわたし、わたしはあなた、わたしはすべて、すべてはわたし、あなたはすべて、すべてはあなた‥。どんどん統一意識に近づき、祈りが生まれました。
Dance New Air 2014
「アソビ」とは大人のゲーム。人生の贅沢な楽しみ。冒険、争い、 競争、芝居、ダンス、セックス...快楽、解放、高揚に身を委ねるあ らゆる行為。日本においてそれは男にだけ許された行為。女は そんな無駄な行為に身をやつすことなどできない。『ASOBI』は、ポルノグラフィーにしろフェティシズムにしろ、ある いは劇場で見るお芝居にしろ、そうした大人のゲームが基本的 に「のぞき」によって成り立っていることを暴
土方巽の文学作品『病める舞姫』を、土方の稽古を受けた田辺知美と、2013年から大野一雄を踊るようになった川口隆夫が読み解き、「誰もが知らない向こう側の昏さ、甦えりめいた始まり」へと誘う。初演は2012年5月。舞踏アーカイヴプロジェクト参加。
作品ノート:日々、悶絶しております。 いえ、悶絶のてまえ一歩でもんもんと。 しかし、その一味 意外と美味しいかも。 3000円くらいの自己肯定、味わっていってください。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
内省的なパフォーマンスに多くの支持者をもつ、佐藤ペチカのソロ新作。水槽を抱えて旧博物館動物園駅の階段を降り、地下空間で水と遊戯し、やがて大きな向日葵のオブジェをまとう佐藤ペチカは、幼虫から蝶へと変態して地上へ向かう。地上と地下、生と死、内と外の関係を変容させていく、静かなスリルに満ちた映像作品。
秀島実の6場からなるソロ舞踏公演。第6場の「O氏」は舞踏家の大野一雄のことで、秀島は1976年に完成した大野の映画「O氏の死者の書」に出演している。構成:Ⅰ 父の方向にⅡ 私は喜んで貰おうと思ったⅢ キャンディ キャンディ キャンディⅣ 南極ののペンギンⅤ 高田永子さん考 -トワのホホエミ- Ⅵ 「O氏と私」
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は八戸公演と福岡公演から紹介します。2008年11月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティ
大野一雄の代表作。1981年初演。西洋料理を得意とし、琴をよくしたモダンな母親の想い出が核となっている。プログラムには、幼い子供達を亡くし拝む母のこと(「花電車」)、死の床にある母の言葉(「遺言」)などのテキストが掲載され、具体的なモチーフを伺い知ることも可能だが、舞台上の動きは抽象的である。作品中に登場する「おぜん」は、母を象徴している。
山崎広太とアフリカのコンテンポラリーダンスの先駆的指導者、ジャンメイ・アコギーが共同振付した作品。 アフリカで起きたルワンダの惨劇ジェノサイトを描き、人間の本質に鋭く迫る作品として、初演以来各国のフェスティバルで高く評価されている。 2003年から、山崎の足掛け1年に及びセネガル滞在によって製作。アフリカンダンス、コンテンポラリーダンス、舞踏が影響、触発しあい、その未知な領域へ踏み込み創造しようと
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
作品ノート:テーマは「感情の記号化」。情報化社会の中で人間の感情表現がとぼしくなっていると感じた体験を元に創作しました。インターネットを使ったコミュニケーションは、嬉しいときも悲しいときも真顏で、それに応じた顔文字や記号を送信します。この繰り返しによって、本来は無限の可能性を持つ表情は記号化され、それに伴い我々の感情までもがシンプルになっているのではないでしょうか。「K(-A-)O」は人間の顔を感
「あらゆるやわらかいものは、やがて硬いものの支配下におかれるだろう」と土方巽は言った。「硬いもの」とは何か。鉄か、風に耐える丸太の皮か、精神の硬度そのものか?「ヨーロッパの踊りは結晶、ダイヤモンドです。その皮をこうむいてね、朝顔ですよ、舞踏は」とも。舞踏とは何か、日本人の肉体とは何か。「花」「エロス」「結晶」をテーマにシャープで硬質な舞踏を展開、肉体のもつロマンティズム、エロティシズムを描く。
[作品ノート]自分のためにやっているけど、まだまだ青いっす (マトロン)。依然不安定なコンピュータの舞台芸術への介入には、未だ危うさが生じる。だが、危ぶむなかれ。危ぶめば、道は無し。歩めばその一歩が道となる(ボリボリ)。ぽつねん、ぽつねんボーイとぶつぶつ言いながらこのビデオ、城戸マトロン晃一プロモーションビデオを少しづつ制作しはじめたのは2年前の夏頃からで、あるときビデオ画面のつぶつぶを剥がしてみ
KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2年にわたりリサーチと制作に取り組んできた、松本奈々子と西本健吾によるパフォーマンス・ユニット「チーム・チープロ」。2021年にリサーチを開始したふたりが最初に掲げたテーマは「ワルツ」だった。コロナ禍で「接触」が憚られるなか、京都に存在したとされるダンス芸妓の史実を起点に戦前京都と現代と接続し、想像上の他者とワルツを踊る作品を発表。続
「ワタクシというものをすべての起点としてしか考えられないことから来る不幸と幸福。それらを大きな器の中に入れてシェイクしたらどんな味になるのだろうか。からだという器からズブズブと零れ落ちてしまう蜜を持ったものたちは、そこここに痕跡を残し身を隠すことができない。巧妙に足跡を消しても匂いがあたりにかすかに残る。そのような人々はあきらめて、ダンスを踊る他はない。互いの匂いが混じりあい、私の匂いがかき消され
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
Tokyo Real Undergroundでアーティスティック・ディレクターを務める川口隆夫が振付・演出を手がけた新作。舞踏家・吉本大輔とコンテンポラリーダンサー・酒井直之。数世代を分かつふたりが、迷宮に棲む怪物を通して新たなダンスの地平を切り拓く。映像作家・鈴木章浩は単なる舞台公演の記録ではなく、’60年代のアンダーグラウンド・フィルムを思わせる映像世界へと誘う。―迷宮の奥深く暗いところで息を
地上を あとに 水を 纏いに 行く。 人を 脱ぎ 新しい 喪の ドア。机 上に 盲 目の 自己家畜化家達。 ソックスを脱いで わたしの 身がわりを 飲みに行く。座るのはまだ早い。
日々ニュースで流れてはすぐに忘れられていく数々の出来事や問題と私たちの生活との距離について扱った作品。10分に再構成したバージョンの作品が、横浜ダンスコレクション2020 コンペティションⅡにて奨励賞受賞。
ゆみうみうまれのDasSHOKU舞踏キャバレエ・シリーズ最初の作品。シリーズのスローガンは「ショックと癒しがクロスする、クロスカルチャーキャバレエ」。日本文化のサブカルチャーや、一般に馴染みのない暗い世界に踏み込み、日本女性へのステレオタイプも含む、文化に対する固定観念や表面的なイメージを取り払い、脱色する。アナーキーで美しい舞踏に風刺的なキャバレエを組み合わせた新しいスタイル、舞踏キャバレエを確
ニューヨーク州北部にあるキャッツキル山地に住んでいた時に制作した作品で、1983年にカンポ・カルチュラル・センターにて初演され、1984年、ニューヨークのダンス・シアター・ワークショップ冬季シーズンで再演された。1984年の再演時にはNIGHT TIDEと共に上演、初めてのベッシー賞(ニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞)を受賞した。
生きづらさを感じるあなたたちへ。身体、社会、日本をえぐる。2008年、日本中を震撼させた秋葉原連続殺傷事件に触発され、「身体、社会、日本」をテーマに取り組んだ2008年作品。作品の上演に先立ち、フリーペーパーを刊行、身体を見失った現代の日本人に届けようとする試みをおこなった。ごみが散乱した舞台上にさらされた14人の男女の身体、伊東篤宏とHIKOによる生演奏、今ここに在る身体を直截的に描き切った作品
1999年からOguriとその妻Roxanneが続けているシリーズ「Flower of the Season」。その一環として上演されたOguriのソロ作品で、30年来のコラボレーターである作曲家のポール・チャベスも生で音風景をつくりだした。プログラムノートにはポール・ボウルズの言葉、「あと何回満月を眺めるか? せいぜい20回だろう。人は無限の機会があると思い込んでいる」が引用されていた。
幼い記憶から夏みたいなものを引っ張り出してたらいつの間にか朝になってた白い息が空に浮かんで重ねた裏返しとか普段通りの雨とか好きだった気がする嘘だった気がする沢山ある人生の中輝ける場所探せるだけで良いのかもしれないね(ワンダフルライフって なんだろうか)ああ なんか今なら唄える気がするよ一緒に歌ってくれないかワンコーラスでいいんだけど
横浜ダンスコレクション 1996 バニョレ国際振付賞ジャパンプラットフォーム ナショナル協議員賞受賞作品
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅰ
「あんず動物紀」シリーズ第一弾。他にも虫やワニなどが取り上げられることとなるこのシリーズでは、「この世とあの世の混沌とした暗い記憶から呼び覚まされる」動物たちの声を作品化している。1987年フライブルク(ドイツ)にて初演。ー若者の窮極の目的地は やはりあの居心地のよい火の焚かれた部屋。まっ先に飛んできた犬。窓の中には案外な偽善者。ー
Dance New Air 2018 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.2
人と人が在る中に生まれる縁。人と関わることによって変化していく世界観。絡まり、千切れたり、先入観や見解に縛られた足かせをほどいて、隣にあるその縁を再び結んでいく。
1986年ベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバルに参加した古川あんずが、ベルリン芸術アカデミーの庭で踊る。最初にミリアム・ゴルトシュミットによってドイツ語で朗読されるテキストは、土方巽による1985年の講演『衰弱体の採集』からの抜粋。池の中から始まる踊りには「MARY CAKEWALK 」「 FOR A.X. 」「 Last Tango in Berlin」と名がつけられている。
[2006年8月(ワークインプログレス)]"オーストラリアー日本 ダンスエクスチェンジ2006"参加・文化庁。オーストラリア・メルボルンにて滞在制作。
2008年から2016年にかけて3回に渡って来日し、舞踏家大野慶人の稽古を体験したアナ・リタ・テオドーロによる、大野慶人の稽古についてのレクチャーパフォーマンス。「ねじれた体や白塗り」などの舞踏のクリシェを取り払ったところに何があるかに興味をもってリサーチを重ねたアナ・リタの、舞踏に対する外からの深い視線が生み出す新たな作品であると同時に、大野慶人の稽古に触れることのできる貴重な作品ともなっている
「微妙なバランスが崩れてしまうこと、そこからダンスが始まる。わたしは感覚を凍らせる眩暈を愛している。ポーの小説『メエルシュトレエムに呑まれて』の漁師のように、眩暈の世界に身をゆだねたい」。大野一雄フェスティバル2013参加作品。
鳥籠か「檻」のように囲む16発×3面=48発の照明。 ダンサーの身体を平面に閉じ込める井上信太のフェイク・ファー。 発信器のように身体に取り付けられた筋電センサーやLED照明、 光ファイバー、バイオメタル。 You-tubeにて130万ヒットを突破し、今最も世界の注目を浴びる メディア・アーティスト、真鍋大度+石橋素が全面参加し、身体の表層 と深層をまさにデータ化し、音響化、視覚化。ヴィジュアルデ
元藤燁子からの誘いで古巣であるアスベスト館で週一回のワークショップを開講した和栗由紀夫が、「土方巽メソッド研究会」と名付けた会で、土方巽の孫弟子にあたる受講生と行った第一回目の公演。鼈甲飴とはフォルムのことで、それは人の形を指している。一人一人が自分の形を見つけ出す、そうあってほしいという思いをこめて和栗が名づけた。
「コノ作品チョッとヤバいかもしれない。構成上「全裸」の景を置いた。完全な「真っ裸」、ものの勢でそのような仕儀と相成ったが、草月ホールに迷惑係らなくて「ホッ!」とだったかもしれない、イヤそんな事すら考えていなかったろう。今にして憶えばの話。」(武内)武内靖彦独舞集成・踏業22周年記念リサイタル。40周年には、同じく「舞踏よりの召喚」と銘打って記念リサイタルを開催した。
この作品は2010年に創作したものです。その時は70分くらいあったのですが思ったように出来ず、いつか再演してリベンジしたいと考えていた時に、海外で発表する機会を頂きこのバージョンを作り直しました。その時からも大分変化してしまいましたが、この作品を発表出来て嬉しいです。
音楽の贈り物(ポトラッチ)
1985年3月から渋谷ジャンジャンにて行われたシリーズ「音楽の贈り物(ポトラッチ)」の第二弾。毎回様々なジャンルからの演奏家を招き、古川あんずのダンスとの共演を試みた。第一回は山下洋輔(ピアノ)、第三回は安倍圭子(マリンバ)、最終回には杵屋弥十介(三味線)が出演した。プログラム 1.ヒロシマのメンデルスゾーン / 2.アリババと40人の盗賊 / 3.シャーロック・ホームズの冒険
肉体の劇場
2008年の6月より“肉(肉体)”にちなんで、毎月29日に開催された連続舞踏公演シリーズ「肉体の劇場」の第1弾。第1部を「舞踏というジャンルの間口を拡げるような」自由で実験的な舞台、第2部を原田伸雄のソロ中心の舞踏という2部構成を基本とした。2011年5月29日をもって3年間の連続公演シリーズは幕を下ろした。「身体論がはやり、いつしか『肉体』という言葉が使われなくなったが、『身体』ではきれいすぎる
『裂記号』シリーズ三作目。ダンサー三人は各自抱えた鏡の中だけを凝視し、日常的歩行やあおむけに倒れるなど単純な動作を行う。その後、スタジオ内のモノを鏡に映しこみ、その名や特徴を発語する。二人は廊下へ出て、観客は声の移動と内容から動きを察する。一人が舞台裏経由で戻ると、一人が消える。その循環は、鏡を置き、モノを直視する時も繰り返され、何も見ない記憶からの発語へと続く。最後に空間に対する動きが行われる。
大野一雄フェスティバル2010参加作品。大野一雄と親交が深かったピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団から、中心ダンサーのジュリー・アンヌ・スタンザクとエディー・マルティネスが来日、大野慶人と共同制作した。2009年に他界したピナ・バウシュ、2010年6月に他界した大野一雄、双方のレガシーが出会った作品。
(フライヤーより)心の琴線に触れて人は集う何かが動く 何かが始まるこの長き一日の終わりに
作品ノート:母親(ママ、おかあさん、おふくろ)とは、子を産み、育てる女性、もしくは、精子と結合し子供へと成長した卵子を提供した女性のこと。その定義は、非ヒト動物にも拡張可能であり、クローン化した体細胞を提供した動物を含めることもできる。母親の、社会的・文化的・宗教的な定義と役割は、複雑かつ相違があり、普遍的に許容可能な定義を特定することは難しい。̶Wikipedia より引用
沈黙に満ちた静寂の中、一組の男女が踊っている。身体を伸縮させ、空間を変容させながら、沈黙の対話を続けている。沈黙に満ちた静寂の中、音楽が生まれる。空間を明滅させ、身体を変容させながら、沈黙を奏で始める。沈黙と沈黙の拮抗。その間に生まれる第3の沈黙。再び訪れた静寂の中、一組の男女が踊っている。そこにある静寂は、かつてのそれとは異なる沈黙に満ちている。(金森穣)
作品ノート:そもそもこの作品は、Aokidがグループ作品のオーディションに対し て、1人と彼の「仲間たち」で応募したのをきっかけに始まった。2次 審査にあがり、彼はせっかくだからと、生身の人間を誘うことにした。 そこで出現したもう1人の男。 奴は一体何者なのか?2人のHUMANがあそびだす!
男は演出家。家では夫、父、息子。オイディプス演出中に発病し、入院する。癌と疑い、医師、家族、友人に真実を教えるよう迫る。嘘と隠蔽の中、彼はオイディプスと自らの行動を比較。不治と察しつつ、家族の思い遣りを傷つけまいとする。オイディプスに重ね合わせ死を見据えるうち、日本の風土や人情を容認する気持ちになる。クリスマス、友人と家族と共に、そのひと時を心から楽しもうとする。外にはすべての汚れを払う雪が舞う。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
パフォーマンス作品《Ice Cream Torch / Ceremony》は、2014年から小林勇輝が継続的に発表しているプロジェクト「Life of Athletics」の最新作で、写真による三部作《Ice Cream Torch / Flag》《Ice Cream Torch / Relay》 《Ice Cream Torch / Flame》 とともに構成される。本作では、地上と地下とを繋ぐ
MiMiBiドキュメンタリー
一言に「障がい者」と言っても、障がいの数、人の数だけ異なる身体性や感覚がある。障がいのある人と無い人とで単純に分けられるようなものではない。初めて Mi-Mi-Bi の練習を見た時に、世間一般で伝えられるような「障がい者」のイメージはなく、内側から見たら単純明快に「私とあなたは違うよね」という至極当たり前なことの中に自分自身も放り込まれていた気がした。「あなたと私は違う」の中では、障がい者も健常者
DaBYアソシエイトコレオグラファーの鈴木竜が、他ジャンルのアーティストらと協働するコレクティブな手法で創作した作品を発表した「鈴木竜トリプルビル」で上演された3作品のうちのひとつ。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年12月に愛知県芸術劇場にて初演)2022年に大幅なリクリエイションを行い、「DaBYパフォーミングアーツ・セレクション2022 in Tok
ブルックリン音楽アカデミー・ネクスト・ウェーブ・フェスティバルからの委嘱作品。お茶で染めた絹布と綿布、乾いた葉、赤のペンキで巨大な樹をつくった。プログラムには、「樹は自らの想い出に傷ついている」とある。私達は二人共完全に全裸で、自然の夜の音を使った。THIRSTと共に第2回ネクスト・ウェーブ・フェスティバルで発表。1989年にはスパイラル・ホールでTHIRSTと共に上演、76年に日本を離れてから初
「あなたが体験した、あるいは見聞きした、伝説的な出来事を教えてください。」 関西コンテンポラリーダンス界において生み出され、語り継がれてきた、ダンスにまつわる数々の「伝説」=不確かな異常体験。近年、国際的なフェスティバルでの活躍もめざましい中間アヤカが手がける『踊場伝説』は、史実には残らず口伝でしか掬い取れない、そうした現象の一端を起点としている。クリエイションは、ある種の社会学的アプローチのも
1980年代に上演された吉本大輔の処女舞踏公演4部作「葬送」シリーズのひとつ。風葬「風の中の羊歯」、火葬「火の中の卵」、水葬「水底の石」につづく鳥葬である。ポーランド、スイス公演を経て、東京にて再演された。原作:スタニスラフ・ド・ガラ咀嚼公夫人。チラシにはロートレアモンの言葉がひいてある。 墓堀人よ!都市の廃墟を眺めることは美しい。 / だが然し、人間の廃墟を眺めることはいっそう美麗だ!
レクチャーパフォーマンス
ダンスがなぜ体育なのか、なぜ女子=ダンスなのかなど、体育教員の経験から感じた疑問を問い直すレクチャー・パフォーマンス。やはり体育教員だった大野一雄を軸に、幻のラジオ体操等に触れながら日本のダンスの来歴を振り返る。Dance Archive Project2016にて初演。
STUDIO 200 LIVE PIECES
1982年に中野テルプシコールで始まった川仁宏と田中トシのデュオユニット・マウスピースはその後、加藤啓、古屋俊彦などのコラボレーションを得て継続した。 アントナン・アルトーに触発された声の身体性と即興ライブをひとつの系として、ジャンルの横断と、複数の関係のまん中から生まれ消えるライブパフォーマンスを実験した。「ダブル・バインド」は実質的にマウスピースとして最後の活動となった。