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婚期をのがした三姉妹が「もうこうなったら身内しかいない」と親戚の男たちを自分たちの家に招く。長女に「若い女子との合コンがある」と誘われてやってきた男たちは、それが呼び出す口実で三姉妹しかいないことを知る。男たちが意気消沈する中、三姉妹も男たちも一緒に酒を飲み盛り上がる。そしてしばらくすると、男たちは眠ってしまう。実は、長女がその酒に睡眠薬を入れていたのだ。三姉妹も意識がもうろうとする中、「一緒に眠
小説家を志して、芸大に進学した千夏と、縫製工場で働く母・昭子。決して裕福ではないが、笑いの絶えない母娘の二人暮らし。その裏には、小さなわだかまりが横たわっているが、そこに触れないことが暗黙の了解となっている。あるとき、昭子の会社に中途採用でやってきた木村からの提案で、サーカスを観に行く約束が交わされた。ひょんなことから、千夏の幼馴染で、密かに思いを寄せる光輝と、昭子の同僚で、千夏が憧れる女性、透子
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
小学生の頃、いじめられていた女が見違えるように綺麗になって同窓会の二次会に現れた。しかし、そこには見知らぬ女がおり、自分もクラスメイトだと言って同窓会に参加する。そして彼女は誰も触れたがらない、それぞれの過去について話し始めた。
現代大阪のどうしようもなさを笑う、“怪獣の出ない怪獣演劇”第31回公演である「ゴメラの逆襲 大阪万博危機一髪」は、2025年に開催される大阪万博の問題点を徹底的に茶会した風刺コメディ。万博会場に怪獣を運ぼうとして失敗、逃げ出し大阪の街が破壊されるというあらすじから、現在の大阪の様々な問題点、大阪の歴史などを振り返りつつ、怪獣ドラマ(舞台上に怪獣は出ないけど)が大好きな人も楽しめる馬鹿馬鹿しいコメデ
ダンボールで出来たカラフルなタイルで彩ったプールを劇場に作りあげ、観客はプールサイドから観劇する。妖艶で退廃的な”ROMANCEPOOL”に満ちる生命エネルギー。FUKAIPRODUCE羽衣初期の名刺代わりの作品。
いつ高シリーズ
誰もいない夜の校舎でひとりきり、昼間に集めた声を聴く。それがあたしの唯一のたのしみ。昼間の校舎に、あたしはいない。あたしは、あたしのいなかった時間を盗み聞きして、あたしのいなかった校舎を歩く。昼と夜を重ね合わせるんだ。
仕事場、私生活。ちっとも上手くいかない。私は他の人と何かが違う。病院で検査を受けたら、ただの性格の問題と診断された。僕は/私はどうやら『普通』らしい。ここからどこに向かえばいいのか。発達障害グレーゾーンをテーマに描く、青年団リンク やしゃご第4回公演。
パントマイムやダンス、クラウニング、演劇、影絵、マジックなど、ジャンルを越えた独創的なアイデア、様々な視覚的表現、ダイナミックな身体表現で豊かに物語を描き、子どもから大人まで楽しめる舞台芸術作品。「テアトルノアール」という照明の特殊な仕掛けにより、観客から全く見えない闇を舞台上に出現させます。目の前で人形が動き出したり、俳優やオブジェが突然現れたり消えたり、、、。従来の舞台の常識を覆す全く新たな舞
ある日、次女が帰ると家中が何者かによって荒らされている。簡単に考えれば空き巣だが、現金など金目のものに手をつけられていないことが、なおのこと何が目的で行われたことなのか、不安を増大させる。
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、レズビアンであるというカミングアウトを含んだ未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を聞き、それぞれの欲望について語りはじめようと
人は何によってできているのだろう。自分ではない「誰か」として、ぼろぼろ忘れながら、忘れ物を毎日しているような気分で生きている気もする。他者の知覚を追体験することはできるのか。「痕跡」「傷」について、顔を巡る旅をします。映像撮影に小宮山菜子さんを迎えての無観客配信作品です。
罪を犯した女の一生を辿る、滑稽ながら切ない怪作。現在活動休止中のガレキの太鼓が、「女だらけの人間賛歌」と銘打って行った。旗揚げ2年目で、口コミサイト全国4位に躍進した代表作の、再演。アゴラ劇場の前を、キャンセル待ちが長い列を作った。肩を震わせ泣いたあの子の、人生の物語ひざまずいて許しを乞えば、どこから始められるだろう私が何かをやったとて、誰に関係なんぞあるあなたが何かをやったとて、私の目には入らな
1組のカップルが暮らす部屋のリビングに、共通の知人がふいに現れる。彼女が死んでいることを2人はもう知っていて、けれどもそれを迎え入れる。つかの間の再会と乾杯。なぜか、家に帰れなくなったという見ず知らずの他人も後から合流して過ごしていると、生きるものと死んだものの境目が溶け合って、いつの間にか夜が明ける。
こどもとつくる舞台vol.2
こどもたちの発想により作られた物語や絵を、ダンスや歌や芝居にして上演する企画“こどもとつくる舞台”の第2弾。オノマトペやたのしい音楽、みんなが知っている遊びも用いた、0歳から大人まで楽しめる、全世代に向けた舞台作品。
時折、激しい吹雪が吹き荒れる真冬の札幌。終電頃、「西線11条」の電停。東京から仕事で札幌に来たばかりの男が、道路の真ん中にある市電の停車場で、ススキノに向かうために電車を待っていると、そこに一人、また一人、電車を待つ人たちが現れる。現れた人たちは、そこで炊飯器にお米と水を入れ、ご飯を炊き始め、やがて炊飯器からは、仄かに白い湯気が立ち昇る。実在する市電の停車場「西線11条」で、本当にあったかもしれな
舞台は、第二次世界大戦が終わって間もない日本。戦時中に掘られた横穴の中で、3人の男女が出会い、生き埋めになる。生死の極限状態で、彼らの思想と挫折、そして後悔が語られる。彼らはどう生きたかったのか、そしてどう生きられなかったのか。本公演ではこの戯曲を、ワンルームマンションの一室を穴と見立て、彼らの苦しみを現代の閉塞感と生き苦しさに重ね、女性の一人芝居として上演した。
王家の娘、エレクトラ。彼女の父は、母とその愛人によって暗殺された。その後、愛人は王位についたが、復讐を恐れ、エレクトラと幼い弟(オレステス)を排除する。弟は亡命し、エレクトラは王宮から追放、貧しい農夫のもとに嫁がされる。やがて、時は流れる。エレクトラのもとへ成長した弟オレステスが帰国する。彼は父の仇を討つため、愛人のもとへ向かう。エレクトラもまた、母を誘き寄せ、復讐の機会をうかがう。
(パンフレットより)「マームとジプシー的、真夜中の考察と、季節の移り変わりとは無関係に、移行していく真夜中のイメージ。で、朝は訪れるのか、どうか、っていう。」というわけで、今回は、真夜中、という時間にだけに取り組んだ、でもしかし、果たして、この真夜中に、朝は訪れるのか。今夜もまた、夜が明けないまま、朝を迎えることになるのだろうか。僕は、これからも、終わることのない真夜中、を、行くのだろうか。また、
いっしゅんのじかんをつかまえるだいじにふくろにとっておくはてさてごあんないこっちのじかんとあっちのじかんぶつけてみたらどうなるか?しりたいひとはいらっしゃいみてみたいならいらっしゃい
「私がアデコの人生をサポートしますよ。出来る範囲で」春の日曜日の午後。桜は散った。彼女たちは交通事故で入院中の同僚のお見舞い帰りにカフェでお茶をしている。今日は寿退社した別の同僚の結婚式の余興の打ち合わせをしなければいけないのだけど気分じゃない。入院中の彼女の治療痕があまりにもショッキングだったから。「目に見える身体の一部欠損」を負った彼女をどのようにサポートしていくか。それぞれの生活・事情・思い
1994年に青年団プロデュース公演として、第七病棟の緑魔子を客演に迎え、「唐十郎さんや石橋蓮司さんが少女のイメージで捉える緑魔子さんとは違う現在の彼女」を登場させて話題となった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や『青森挽歌』、内田百閒の『阿房列車』、寺山修司の『コメット・イケヤ』などを題材にとり、3 人の男女の複雑に絡み合う想いを、行く先が定かでない曲がりくねった線路の上を走る列車に乗せて描く。
1908年(明治41年)、日本鉄道がスコットランドに発注した比羅夫丸と田村丸が青函航路に就航。日本に初めて導入される最新鋭のタービン船である。日露戦争に勝った日本は世界の一等国の仲間入り。近代化はどんどん進んでゆく。比羅夫丸と田村丸は日本の物流を支える主役として脚光を浴び続けるが、その栄光は長く続かない。本作は運輸史、船舶史の観点で捉え直す明治、大正、昭和である。
2016 年日本社会に衝撃を与えた知的障害者を狙った大量殺人事件から作者が感じたことを出発に創作された。優生思想、老い、をテーマに現代社会の価値基準を問う批評性を持った作品。タイトルの「妖精」は「みえないもの」の隠喩。社会のなかでみえないようにされているものついての問題集である。一部は落語、二部は音楽、三部はセミナー、とそれぞれ異なったスタイルの三部から構成され、主に一人の俳優によって演じられる。
`90年に『科学する精神』として初演。`96年に続編『北限の猿』との2本立で全国ツアー中に、こまばアゴラ劇場で収録。遺伝子操作で新しい人類を誕生させようよする生物学実験室の若い研究者たちの怠惰な生活…。恋愛中心の青春群像劇、また最先端の情報を盛り込んだSFとしても楽しめるエンタテイメント作品。
これは、まだわたしがトーンポリシングという言葉を知らなかった頃。感情的になってもいい、感情は否定できない。感情にまつわる諸々を包括して肯定したいという思いと、でも、落ち着いて言葉をかわしたいという矛盾や葛藤から書いたもので、部屋の中で繰り広げられる、目に見えるもの、見えないもの、もうなくなってしまったものや、これから先に思いを馳せていく、ささやかなお話です(小野晃太郎)
時事ネタ劇団として現代を風刺してきた笑の内閣が、風刺そのものを風刺するため古典に進出。挑戦するは、風刺喜劇の大先輩モリエール。―1665年12月、モリエールがかねてから目をかけていた若手劇作家ジャン・ラシーヌによる裏切り行為が発覚する。育てた恩を仇で返したラシーヌに落とし前をつけさせるため、呼び出すモリエール。2人の長い夜がはじまる……。
何処かの地方都市、とある葬儀場の祭壇脇のフリースペース。椅子が数脚おかれた参列者が気楽に腰を下ろせる空間だ。楡原家の質素な通夜読経を終えた比較的穏やかな時間帯なのだが、故人を偲ぶ関係者に加え、遅れてきた弔問客、明日の告別式を前に、打ち合わせや準備にせわしい斎場スタッフでいささかバタバタしてもいる。どうやらたまたま重なった地元の名士の葬儀が、影響してもいるらしい。そんな中、行方不明だった家族の情報が
長野県のとある村にある公民館。近隣との合併により村が二つに分かれるという問題を抱えながらも、毎年恒例のお祭りの準備をする若妻会の女たち。御神輿の飾りを作ったり、男性が舞を舞うための男性器を模した木の棒に赤い絵具を塗り直しながら、女たちの戦いは静かに始まる。認知症の親を抱えた妻、シングルマザーとして子を生む女、その子の父親が自分の夫ではないかと疑う妻、彼女たちは激しい言葉を用いて相手を攻撃する。村が
閉じていること。だからスペースが生まれる。開かれる。ドラマはそこから生まれる。これは作品の作り方の話でもある。といっても、いつもそういう作り方をしているのだけど。今回が特別なのではない。しかし、今回はあえて、閉じている、という事を強調しておく。僕たち自身も閉じていた。そこに意味があったのだと思う。これからは変わってもいいかもしれない。開かれたカンパニー?ダンス?に。ハードコアダンスってとっつきづら
いつ高シリーズ
高校を舞台にした青春群像劇本作は「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」が舞台の連作群像劇です。教室、下駄箱、屋上、図書室、学内のあらゆる場所で「まなざし」をテーマに様々な物語を発表します。俳優はシリーズを通して同じ登場人物を演じ、作品ごとに主人公が代わります。学内で起こる小さな事件の”ここ”と”あそこ”がまなざしで繋がれてゆき、シリーズ全体で大きな物語となっていく様をぜひお楽
変人か、偉人か? 狂人か、天才か? 志願兵として前線にいたウィトゲンシュタインが、暗号混じりの 文章で日記帳に書きつけた『論理哲学論考』の草稿、そこから浮かび上がる、軍隊生活、死との戦い、「仕 事」への責務と欲求、愛、そして自殺の誘惑。かの有名な「語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」 という言葉の裏に隠されたウィトゲンシュタインの真意と祈りを、戦火の東部戦線という背景が炙り出す。
あらすじ いつか王子さまが……。銀行員の女のもとに中東の国の王子の花嫁を探しているという男が現れた。はたして、彼が話す国や王子は実在するのか……詐欺事件は、うさぎ庵流の迷宮へ。渡辺源四郎商店の俳優、工藤由佳子、工藤静香のために、うさぎ庵工藤千夏が作・演出。渡辺源四郎商店工藤支店というユニット名で発表された。
青森県のとある町。市町村合併に反対し、現在は高齢化率が50%を超える自治体。 学校区単位の運動会は廃止され、地区運動会と一体化された。明日は来年廃止が決定した地域イベント「かかし祭り」が行われようとしている。地域おこし協力隊など新たな移住者の受け入れに苦慮しながらも、新旧町民による「まち」への問いかけが、思いもよらぬ展開へと発展する。
25世紀。地球は、無くなる一年前を迎えていた。語り合う人間の男と宇宙人の女。宇宙人は今日、人間から名前をもらった。宇宙人は人間のことをたくさん尋ねた。人間は話した。戦争の歴史。日本の四季。神さまのこと。科学の発展。有名な小説。ほとんどがこの世界からなくなったものだけど、一年後には、本当に全てがなくなってしまうけれど、人間の男は宇宙人の女に聞かせてやった。宇宙人の女が死んだところから、物語は始まる。
ある汚いシェアハウスに、日本人と中国人とベトナム人が住んでいました。皆は貧乏ながらに割と楽しく暮らしていましたが、ひとりひとり、悩みを持っていました。ある日、技能実習生のベトナム人が、一通の手紙を残して失踪してしまいました。そこには、ギリ判別できる文字で「ごめんなさい」と書いてありました。2020年、日本の夏の話。
新型コロナウイルスが猛威を奮っていた2021年9月8日、こまばアゴラ劇場で有観客上演と配信を実施。犬にまつわる短編劇2作と短編小説5作品の朗読で構成されたうさぎ庵的不思議世界が、短編上演の合間の換気や消毒でパンデミックという不条理な現実を凌駕する。
江戸川乱歩の児童文学の金字塔。変装を得意とする盗賊「怪人二十面相」と日本一の名探偵「明智小五郎」との、力と力、知恵と知恵が火花を散らす大闘争の物語。子供の頃、誰もがワクワクしながらページをめくったあの興奮はそのままに、肉薄すればするほど揺らぐ二十面相の「存在」をつまびらかにあぶり出す。作曲家の増田真結氏を迎え、「光と音」、「身体と音」で織り成す、全く新しい『怪人二十面相』。
■あらすじ太古より山に住む謎のいきもの・獸(ケモノ)。〈青い山〉と〈白い山〉の間を走る、大きな谷の集落に住む山のひとびとは、獸ととくに接することなく、しかし存在は常に感じながら、日々共に生活してきた。あるとき、獸ははじめて人を殺す。憤った集落の男たちは討伐に向かうが、皆返り討ちに遭う。生き残った数少ない者たちは獸を恐れ、集落を捨てて山を降りる中、猟師・シラスは鋭い目で森を睨みつけながら 山を登り続
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
主を失ったある山小屋に人々が集まってくる。彼らは亡くなった主にさまざまな因縁を持っているがそこはもはや空っぽになった場所で、もうそのしがらみから解放されたはずなのにまとわりつくような何かが彼らをその場所に留める。家族から国家までさまざまな場所にいる「父」や「父的な何か」を切り口にわたしたちが生きる今を描く。
その日、男はその地に向かっていた。あらゆる公共の交通機関が止まった。しかし、男はその地に行かなければならなかった・・・。
女は長崎県佐世保市で結婚をし、夫と二人で暮らしていたが、夫の同僚との不倫が原因で、夫と別れ、その同僚の男と広島県福山市で暮らすようになった。しかしその生活もうまくいかず、単身四国の坂出市へと逃れて来たのだった。 六年後、そのアパートに夫が現れる。女は夫の訪問に驚くが、夫が死期の迫った身であることを知り、とりとめもない世間話を始めるのだった。しかし男の来訪は、女の妄想かもしれないのだった。
関わりの可能性をいったい何が狭めていくのか?その法則を再現し、また逆に可能性を広げていく方法をも模索。舞台上における関わりの実験。
『カガクするココロ』『北限の猿』に続く、カガクシリーズの完結編の初演を収録。202X年、ヨーロッパの大戦で死亡した天才科学者の脳だけが生きのこる。その脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話…。急速に進歩する脳研究の世界を舞台に「人間とは何か」を問いかける問題作。
1991年3月、パキスタンのインダス川で川下りをしていた日本人大学生3人が 強盗団に誘拐される事件が起きた。3人のうち1人は伝達係として解放されたが、残りの2人は44日間、監禁される。彼らは帰国後、週刊誌のカメラマンに追われ、 激しいバッシングにさらされる。しかし、大学卒業後に彼が選んだ道はまさにその「週刊誌カメラマン」だった。実際に起きた事件をもとに、メディアの欺瞞、日本社会の同調圧力を描く。
何人かの不倫してる人に話を聞かせてもらって笑っちゃうくらい興味深かったので、それを集めて一人の女の人の話にします。女の人に限らず、倫理的なコトって、当たり前だけど誰もいないところでは、つまりいわゆる社会ってものが存在しない場面では全く意味がなくて、人生はそういう、ちゃんとした社会の中の時間と、ちゃんとしてない時間が交互にやってくるわけで、みんな、その狭間でウワーとなってるんじゃないかしら。
下北沢ウェーブにて初演、STスポットで再演し『TV Bros. 2017年のベスト演劇』に選出、2020年コロナ禍に突入した直後にこまばアゴラ劇場にて上演した再々演版の『弟兄』。本作は劇作家自身が名前を出しながら学生時代に受けたいじめから話が始まり、本人役を俳優が演じることによって事実と演劇のフィクションが同時進行するコロナ禍以前のゆうめい代表作。現在も数々の媒体で取り上げられるなど反響を呼んだ。
シェイクスピア のロマンス劇『冬物語』を原典に、作中で描かれなかった16年の「時」を描く。『冬物語』では、「時」という登場人物の語りで、あっという間に飛び越えられてしまう16年間の歳月。「王妃ハーマイオニとはどんな人物だったのか」「16年の歳月を経て、再び人前に現れるまで、一体彼女に何が起こったのか」を出発点に、物語を創造する。『冬物語』というタイトルは、「寒い冬、外に出る愉しみが制限される状況下
私たちは、家族だった。結婚式場の控え室。新婦の女はウェディングドレスに身を包み、煙草に火をつける。彼女の視線の先には、初老の男たち二人。夫婦のようにも見える彼らのやり取りを“娘”である女は慣れた様子で眺めていた。“父”の一人である男の走馬灯として語られる、奇妙な家族のありふれた物語。
「長い正月」は、とある家族の1924年から2024年までの"100年の正月"を定点観測する、ささやかな大河劇。「人生は短い。この正月は長い」がキャッチコピー。誰にも平等に訪れる"正月"という時間を100年の長いレンジで扱い、戦争、震災、コロナ…といった歴史的事象を織り交ぜつつも、市井の人々の暮らしと営みに光を当て、ドラマを見出した。戯曲は上演後、演劇批評誌「紙背」に掲載。
『幸福な島の夜』は「最も不気味な他者としての自己」をテーマとする演劇作品。絶対的なものなど何もない現代においては、あらゆるものが少し見方を変えるだけで、見知らぬ不気味なものに見えてしまう。そこでは「自己」という存在すら突如として見慣れないものに感じられ、全く捉えられない、不可解なものとして立ち現れてくる。不安定なものたちが不安定なまま点在するこの世界の「現実」の様相を、寓話的な物語を通じて描く。
前向きに生きる。これは簡単なことではありません。前向きに努めながらも、何一つ報われないまま人生が終わることなどよくあることです。だからって後ろ向きはまっぴらごめんです。前のめりになるくらい前向きに人生を歩もうではありませんか? 後ろ向きな人生が、あることをきっかけにパッ!と前を向いたときに生み出される、生きることへのエネルギーを私は信じたいです。これは後ろ向きな男が前向きに人生を見つめなおす作品で
山道を走る、ピンク色の車。その車には若い夫婦が乗っていた。ワガママな妻と“いないもの”とされている夫。彼らはヒッチハイクをしていた一人の女を興味本位で車に乗せる。そして意気投合した女と妻は、あたらしい生活を始めるための旅に出るが、二人の旅先には“いないはず”の夫がいた。
北海道空知地方、夕張。1980年代初頭。かつて良質な製鉄用コークスを産出し、高度経済成長を支えたこの地方の鉱山も、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていた。「石炭から石油へ」「炭鉱から観光へ」国策で推し進められてきたはずの産業は、急激な転換を迫られ、混迷し、国からも企業からも見放され衰退していく。それから約20年後、2000年代、財政破綻後の夕張。再建の道は絶望的とされ
くちびるの会長編演劇公演第7弾。《あらすじ》主な舞台は、愛知県三河地方にある、農村部。東京で恋人と同棲しながら脚本家を目指す、川村明利(32)にもとに、ある日、兄の雅史(35)から電話がかかってくる「親父の様子がおかしい、ちょっと様子見に行ってくれないか」。明利が帰省すると、なんと徹は「象」になっていた。明利は葛藤する。果たして、「象」となったどうすれば良いのか。
クリスマス禁止令が施行されている近未来、命がけでクリスマスを守ろうとしている人々がいた……。畑澤聖悟、工藤千夏の共作作品。風刺に満ちたブラックコメディ。あなたは何を信じ、何を守るのか。なべげんがお送りするクリスマス・ドラマの決定版。
畑澤聖悟が死刑員制度という架空の制度を土台に作・演出した『どんとゆけ』『あしたはどっちだ』に登場する青木しのの前日譚として、工藤千夏が作・演出を担当した作品。元・医師が死刑囚という設定の物語は、死刑、安楽死・尊厳死について深く考えさせる。
エレベーターに閉じ込められた二人の男。偶然乗り合わせた二人のはずが…。息もつかせぬシーソーゲーム!お堅いサラリーマンとゆるゆるフリーター。二人の間には一体何が?次から次へと明らかになる秘密!はたして二人は無事に外に出られるのか!?
海岸沿いに透明な壁が建てられた。その壁を通して眺める海は、いくつもの過去が折り重なってみえるらしい。 たくさんの人たちが壁のもとに集まってくる。目の見えない綱渡り師、透明人間の恋人を探す女性、窓ガラス清掃をする元役者、スノードームをつくる 観光客、ミノタウロスとくだんのあいだに生まれた未来のみえないこども。「私、フチになりたいんだ。麦わら帽子のフチとか、ルパンが盗む絵画の額縁とか、コップのフチ子と