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健之助、40歳。何にも全然うまくいかないけど、まだまだ頑張って、生きていたい!食べたことない料理(シチリアのやつ)とか食べたいし、なんならモテたい!そんな折、健之助は自分が光っていることに気づく。健之助がいっぱい生きて、ちゃんと死ぬまでの演劇。
戦争中…空襲も受けない小さな村。そこにも戦争の影が忍びよる。村に敵軍が忍び寄るという噂が…案山子を沢山つくり日本軍にみたて、敵を追い払おうとする妙案が浮かぶ。終戦間近の穏やかな村で起こる騒動。可笑しくも哀しき物語。
1967年、秋浜悟史自身の作・演出により第1回紀伊國屋演劇賞を受賞した記念作。東北地方のある寒村。ほらんばか(ほら事語り)と呼ばれる男と姉妹の奏でる愛の不協和音。秋浜悟史追悼公演として、鵜山仁の演出により上演。
路上
雑遊オープンの頃からひらひらと続けてきた、川村毅・新作+小林勝也・主演<都市を彷徨う男が巻き込まれる形而上的スラプスティック・コメディ>路上シリーズ。2020年 劇場の灯が消えCovid 19厳戒態勢の中、雑遊にて上演した新作『路上5―東京自粛』から2年半。あの新宿の根無し草、村上・田宮・セシルが帰ってきた! 劇作家たちの場として、雑遊にて2022年一年間を掛けて開催したT Crossroad 短
1887年、アリゾナ州トゥームストーン、寂れかけた西部の町に、かつて悪名をはせた名うてのガンマンたちが続々と集まってくる。彼らはかつてこの町で行われた伝説のガンファイト「OK牧場の決闘」をショーとして再現するために集められたのだ。企画したのはサム・クレメンズ(マーク・トウェイン)。全米から集まった見物客の前でショーは無事に終わり、ガンマンたちは大金を手にする。しかしそれは企画者サムの仕掛けた罠であ
2021年再演版
男性キャストのみによる、ごく小さな日常の一コマを巡る物語。しょうもないけれど、誰もが身に覚えのある小さな「裏切り」を素材とし、信頼とは何か? という胃の痛くなるようなテーマを浮かび上がらせます。とある休日、ロードバイクで旅行に出掛けたサラリーマン五人組は、山深い温泉宿に立ち寄った。ささいなことから言い争いを始める五人。口論は、やがて思わぬ方向に発展していき、遂には修復し得ないほどの混乱に……。
谷崎潤一郎の『痴人の愛』を、男女逆転させペヤンヌマキ独自の視点で現代的に描くブス会版『痴人の愛』。仕事人間の40歳独身女性の“私”は美しい少年ナオミと出会い、「小鳥を飼うような心持」で同棲を始める。人見知りで垢抜けない少年だったナオミは次第にその美貌を利用して奔放な振る舞いを見せるようになり・・・。
桜田門に始まって、京の都では連日連夜の血の嵐が吹き荒れ、とうとう1867年維新回天に至った日本はすっかり身も心も生まれ変わるわけだが…同年、戊辰の戦真っ只中の祖国を遠く離れ、パリで開かれた万博に日本は初めて参加していた。幕府肝入りの日本文化遠征軍。中でも目玉は、当時フランスでのベストセラー「三銃士」を和風に表現しようという、何とも無茶苦茶極まった、名も知れぬ幕末浪人達による「お芝居」の上演だった。
ある日、綿子と不倫相手の木村が会っていた帰り道で、木村は車に轢かれてしまう。遠くから事故を見ていた綿子は助けずにその場を去り、大学講師の夫と、夫の連れ子である中学生の息子の居る家へと帰ってゆく。やがて綿子は訃報を聞くが家族の前では悲しむことができず、自身の行動を後悔し始める。そんな時、綿子は夫から家族関係の再構築を提案され、木村の死を抱えたまま流されるように再構築を始める。
上方落語『地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたはむれ)』よりともかくこの亡者の連中は、世間ずれしていると申しますか、世渡り上手と申しますか、クレージーといいますか、良く言えばファンキーといえるのでしょう・・・まぁ、閻魔様も手を焼く連中でございます。噺家が、言葉を用いて観客の想像力をかき立て、楽しませる芸であるのとは真逆に、SOUKIはマイムという黙芸で挑む。
岸田戯曲のとてつもない面白さと奥深さに打ちのめされたKERAが贈る「岸田國士一幕劇コレクション」第二弾。円形劇場を縦横無尽に駆け巡るパノラミックな和装劇!実直なパン屋一家(志賀廣太郎、長田奈麻、新谷真弓、森田甘露)を予期せぬ出来事が次々と襲い、茶の間がいきなり怒涛のSF的展開へ突入する表題作『麵麭屋文六の思案』と続編『遂に「知らん」文六』。無邪気な子どもたちの歌声が響く学園で、大人たちの愛憎劇が繰
僕たち”bit(ビット)”はゴミ捨て場で働くミニロボだ。どんな大きなゴミも僕らの一口にかかれば、イチコロさ。ガジガジガジガジ!今日も景気よくガラクタをぶっ壊してたら、「痛い!」中から、戦争用ロボが出てきた。やばい。
スケッチコメディカンパニーであるNanoriの旗揚げ公演。劇場芸術としてのコントを創作するというコンセプトの元、コント(寸劇)を暗転なしでシームレスに繋げ、悲劇性を含んだ表現も含め「笑い」だけではない可能性を模索した。
千葉雅子×土田英生舞台製作事業
二十年前。暴力団組織の組長の妻だった女と鉄砲玉だった男。二人は抗争の時、ホテルにいた。関係がバレることを恐れた二人は逃亡する。その抗争は男の犯行ということにされ、警察から指名手配されてしまう。年月は流れ。彼らは名前を変えて、とある地方都市で隠れて暮らしている。女は五十歳を過ぎてもスナックで働き、男はヒモのようになっている。行きどころもない二人はしかし仲睦まじく暮らして来た。そんな二人の日常に、忘れ
くちびるの会長編演劇公演第7弾。《あらすじ》主な舞台は、愛知県三河地方にある、農村部。東京で恋人と同棲しながら脚本家を目指す、川村明利(32)にもとに、ある日、兄の雅史(35)から電話がかかってくる「親父の様子がおかしい、ちょっと様子見に行ってくれないか」。明利が帰省すると、なんと徹は「象」になっていた。明利は葛藤する。果たして、「象」となったどうすれば良いのか。
音楽の手法でのマッシュアップは、異なる音源からトラックの一部をそれぞれ取り出してミックスし、一つの曲にするものである。本作は、短篇シリーズ『図書館的人生』で今まで上演されてきた『青の記憶』、『輪廻TM』、『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』、『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』、『東の海の笑わない「帝王」』、『いずれ誰もがコソ泥だ、後は野となれ山となれ』の六篇を使ったマッシュアップ。過去現在未来に存在する
クリスマス禁止令が施行されている近未来、命がけでクリスマスを守ろうとしている人々がいた……。畑澤聖悟、工藤千夏の共作作品。風刺に満ちたブラックコメディ。あなたは何を信じ、何を守るのか。なべげんがお送りするクリスマス・ドラマの決定版。
壁に染みがある。見ようによっては女性の顔に見える。ある日、彼女に話しかけてみる。ある日、彼女を動かしてみる。こうしていつの日か、幻だと思っていた彼女にも、彼女の人生があると気づく。彼女の名は、シミュラクラ
1ヶ月間で5本の短編を組み合わせて30ステージを上演した『雨降りのヌエ』。その31日間、開館中は滞在し、上演以外の仕込み、場当たり、ミーティング、ばらしなど上演に関わることから、公演とは直接かかわらない過去作品の上演や、舞台美術のデッサン、対談イベントなど劇団員の文化の関心をイベントにして無料公開し続けた記録。演劇は上演だけでなく、その裏側や周辺を見ることができる企画のことが映像で伝えている。
昭和8年。日本の女子スポーツは発展途上。「女が人前で足を出すとは何事か!」と才能ある選手が出ても世論がその芽を摘む有様。そんな時代、日本初の女子体育高等師範学校が設立される。100m走で日本記録を出した早乙女撫子もその学校に入ることになった。撫子にとって、学校生活は刺激的で発見の連続。女子スポーツを取り巻くあらゆるものを経験しながら、撫子は自分にとってスポーツとは何か問いながら成長して行く。
主なターゲットは幼児で、幼稚園・保育園での上演やファミリー向けの一般公演を主に行っている。1本目の『ねずみのおんがくかい』は人形が音楽に合わせて動く、人形劇の根源的な楽しさを感じることのできる作品。2本目の『ぶんぶくちゃがま』は、人形の動きや、2人のおもしろおかしいやり取りなど、幼児が楽しめるしかけを入れつつ、2人の関係をしっかり描いた作品であり大人も楽しめるストーリーになっている。
ここは 1960 年代のようなアメリカかもしれない。一人の経営者が離婚を発表した。機に、誰もが恋し恋される愛の当事者になった。女は言う。 「このタバコの煙はやがて消えるけど、私の想いはずっと消えないわ」男は言った。 「灰になるほどに燃えるような恋をするっていうのは?」 男と女の恋模様はいつだって煙の中だったのさ。スラステ初のシンギング・スーパーロマンティックコメディミュージカル!
かつて俳優だった男は語る。「俺は演劇を辞めた!」と。しかし彼がそう話す場所は舞台上で、その姿は観客に見られており、それは劇そのものである。彼がいるのは未だに劇の中の…
テレビ局内の気象予報士が全員インフルエンザに感染してしまい、唯一無事なアフリカのガテリマ駐在アナウンサー兼気象予報士の遠藤が、現地から日本の天気予報を生中継する。現地ガテリマでは、民主化デモが進行中。暴徒も放送に映り込む中、生放送で中継を行う。
世界的パンデミックが起きた現代日本を舞台に繰り広げられる妖怪たちの戦い。世間一般で古くから忌み嫌われる存在とされ、表舞台に姿を表すことがなかった社会的マイノリティである彼らに、新型細菌を拡散した嫌疑がかけられる!?ガギグゲゲ!の雄叫びと共に始まる、妖怪たちの種族存亡を賭けた闘争の物語。
坂口修一リーディング公演
悪役レスラーの父親と、そんな父がどうしても好きになれない息子が衝突を繰り返しながらも、やがて本当の絆を結ぶまでを描く、中島らもの名作短編小説を演出・岩崎正裕、俳優・坂口修一によりリーディング公演として上演。プロレス好きの教師が、国語の授業で中島らもの「お父さんのバックドロップ」を読み上げる。合間に思わずプロレス豆知識が飛び出し、授業はたびたび中断する。とある生徒との確執のあった教師は、朗読を通して
18世紀、文豪ゲーテの書簡小説「若きウェルテルの悩み」は理性が全てに勝るという啓蒙主義を背景に恋愛の挫折と自殺という不条理を描いた。本作品はこの設定を現代の小学生に移行。成人が演ずる子供には将来の夢と思春期の未熟が同居する。秘密の共有、孤立、イジメ、性への執着。上田テルオはその姿の絶望を転校前の友人に書き送る。ロッテと呼ばれる少女が現れ、小説の執筆を勧め、テルオは魂の救済とロッテへの恋に震える。
変な人がやってきては帰っていくコントが多いことから、新喜劇システムを取り入れた本作。「ちょっと良いことを人にする」母親ゆずりのモットーで生きる親切な寿司屋八木光太郎は立ち退きを迫られていた。再開発問題にゆれ、存続をあきらめた日の出商店街の面々をよそに、八木は一発逆転の秘策を迷惑メールフォルダの中に見出す。そして奇跡が起こるその前に、7Aちゃん家の暴れ草刈り機が人を轢き始めた…!
草サッカーの練習試合のために集まった町役場の職員たち。そして始まる作戦会議。だが、その内容は試合に勝つためのものではなく、なぜか負けるためのものだった。相手は町一番の大企業、いわゆる『接待サッカー』である。しかし、一人の新人職員がその作戦に異議を唱える。「僕、負けたくありません」圧倒的な正論に、ヘリクツで新人を丸め込もうと立ち向かう11人の戦士(同僚)たち‼最後に笑うのは正論か、ヘリクツか ――。
青森市内にある県立高校合宿所。3年2組のサマーキャンプ。2泊3日の学習合宿である。館内で「ともこを見た」という女子が早退する。ともこは学校の屋上から転落死したクラスメート。サマーキャンプは騒然となるのだが……。
超個性派俳優、遂に激突!絶妙且つ軽快な会話によって繰り広げられる、少しほろ苦い大人のコメディ!!!20年前に建てられた瀟酒なマンション「ヴィラ・グランデ 青山」の中庭に民谷史章(竹中直人)と、その友人であり仕事仲間でもある陣野圭作(生瀬勝久)がいる。二人は、はそれぞれこのマンションの一室を同時期に購入したが、陣野は最近、母親とのの同居を決めて引っ越した。二人はここで知り合い、20年余りの間にたくさ
玉造小劇店配給芝居vol.35
人間は12回生まれ変わるという。最初に登場するひとりの少女(のような者)は今までに10回生まれ変わったが、いつも身体と心が一致していないような感覚で満足のいく人生を歩めたことがないと語る。ある日、天界で偶然出会った阿弥陀様に「次に生まれ変わるときにはそれが解消できるでしょうか?」と問い、少女は自分の10回の人生を阿弥陀様に見せることにする。果たして少女の答えは出るのだろうか?あと2回生まれ変わる人
わ芝居~その参
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、頼みの番頭は病死、残ったのは病弱で婿の来手のない跡取り娘のシズ一人。せめて一代だけでも繋げれば、シズが死んだ後は分家に吸収すればいい。そして白羽の矢が立ったのが、分家の手代、伊助であった。計画は順調に思われたのだが…。転がりゆく人々の運命が辿り着く先は…「それやったら」まぁいいか。という日本人特有の曖昧な処世術で繋がって行く女たちのしたたかな物語、完全版・狂言v
おなじみのピーターパンのお話である。とはいっても、ピーターパンもすっかり大人しくなって、相変わらず夜中に子ども部屋に忍び込み、子どもたちをさらってネバーランドへ連れ出してくれるものの、ちっとも冒険をさせてくれない。でも、そこはネバーランド、冒険は向こうからやってきて、ピーターパンも子どもたちも、海賊たちと闘うことになるのだが…。 誰もが知っているピーターパンとはちょっと違う、歌って踊って、大いに笑
これはももちの世界の新作舞台。舞台は架空の日本。1948年、巣鴨プリズンで死刑宣告を待っていたA級戦犯・桐野健人は、神の祝福を受けたことにより釈放される。その後、健人は初代皇帝として長年君臨し続けるが……。神の気まぐれに支配された世界で繰り広げられる、世にも奇妙な政治劇が現在日本を逆照射する。
隆盛の世、古都。後世にその名が残るか、否か。和歌集の編纂と友情と嫉妬と葛藤とをかしさと。“吾と汝の和歌性の違いであるぞ”栄華極めし歌人たちの、雅なる物語。
「……がさつだったが、物事すべて明るく輝いていたあの時代。物資は乏しかったがお互いの間に優しさが満ち溢れていたあの創世期。お腹には何も入っていなかったが、胸にはちきれそうな、理想と希望があったあの頃。」──あの『キャッツ』がロンドンで誕生する十年前に、井上ひさしが世に送り出した、ネコだけが主役のミュージカル『十一ぴきのねこ』。現代演劇を牽引する長塚圭史が、この作品で井上戯曲を初演出にして初ミュージ
ルー大柴の魅力は、日本人離れした破天荒な演技ではなかろうか。そのルーツは、高校卒業後にヨーロッパ、アメリカをヒッチハイクした経験から来ているのであろう。路上で馬の釘を加工して、アクセサリーを売りながらの生活はどんな役者修行よりも貴重な体験だったに違いない。帰国後、役者を志し勝新太郎が主宰する勝アカデミー第一期生として小堺一機らと一緒に勉強をする。その後、アンダーグラウンド劇等を経て、関根勤の「カン
某県某市の「広庭」地区。住民による行政サービス代行が始まって数年。さまざまな事情を抱えた住民委員全員が集まって今日、「この先、広庭地区を存続させるか消滅させるか」という重要な問題の結論を出すことになったのだが、多数決の結果はなんと、全員が「消滅賛成」。なぜ住民委員は全員が消滅に手を挙げたのか。――いよいよ人口減少社会に足を踏み入れた日本。もはやこの「自治体消滅」の問題は絵空事ではない。これまで当た
あらすじ・あるネジ工場で働いている男のもとに20年以上前に離婚した元妻との息子から会いたいと連絡が来る。同僚らと話すうちに息子の会いたいという理由が心配になって、再会をためらうようになる。
物語は、一九九七年に風船で海外渡航を決行し行方不明になった「風船おじさん」が題材。芝居はこの夢物語のような出来事を現実の犯罪をモチーフに数々の話題作を創ってきた山崎哲が、現代社会や今日の家庭の問題と絡めながらあぶり出してゆくもので、個性的で巧みな演技力を持つ蟹江がどう演じるか興味深い。
昭和38年(1963年)、秋の東京。オリンピア・スターパークは、アジア圏初のオリンピックとして、国を挙げて準備に余念のない東京五輪に合わせ建設されたホテルも備えた複合娯楽施設。12月の開館を前に、施設の宣伝のためにプレ・オープン・パーティは行われていた。しかし、この施設の施主だった実業家・諸星光作(山崎一)は既にこの世にいない。その遺志を継ぎ、娘・瞳(小池栄子)が切り盛りしており、瞳のいとこ・丸山
とある港町、偽装葬儀によって、徴兵逃れをしている若者たちが増えていました。神父はそれを知って、ボヘミヤの王子に耳打ちします。王子はおもしろがって、その若者たちをあつめて海賊をつくろうと考えます……戦争の足音が近づいていたある日、妙な海賊団が結成されました。どこの国にも属さない、誰の持ち物でもない、独立自営の海賊たち。自由と平等を愛し、人殺しをしない、海賊らしくない海賊が、若さって何だ! 自由って何
黒川と6人の俳優による、二人芝居6本勝負!コント「転校生」/コント「発見器」/コント「奥さまは魔女です!」/コント「喜劇王 犬養チョップ」/コント「ファンタスティック歌劇団」/コント「魔法少女チヅコ」/おまけ「○○探偵○○!」
ヤングヴィク劇場(ロンドン)のレジデント・ディレクターであり、英国演劇界期待の俊英、ウィリアム・オルドロイドがジャン・ポール・サルトルの戯曲の演出を手掛けた作品。英国演劇界きってのスター俳優、エドマンド・キーンはその天才的な演技とともに狂気ともいうべき破滅的な私生活を送る男としても名を馳せている。浮名を流した女性は数知れず、大酒のみで借金まみれ。キーンの新たなターゲットの女性はデンマーク大使夫人の
3LDKの高見家に住むのは、会社勤めのお父さん、専業主婦のお母さん、バリバリキャリアウーマンの娘、大学生の息子。一見どこにでもありそうなフツーの一家だが、ある日、お母さんのお母さんが、アキレス腱を切ったことを理由に同居を求めてやってくる。なんとか同居を断りたい高見家だったが、追い打ちをかけるようにお父さんのお父さんまでもが独り暮らしの家を売り払い、同居を求めて乗り込んで来てしまう。ずるずると窮屈な
わ芝居~その弐
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、番頭は病死、残ったのは跡取り娘の病弱なシズ一人。病弱な娘には婿の来手がなくこのままでは本家がつぶれると、親戚一同困っていた。せめて一代だけでも繋げれば、何とかなるかもと考え都合のいい男として白羽の矢が立ったのが手代・伊助であった。伊助は断れず、本家の旦那に就任してしまう。計画は順調に思われたのだが…。古典芸能とのコラボ企画として誕生した「わ芝居」シリーズ第二弾。
公演のタイトルである「米」から派生する様々な単語や表現を多角的に分析、変換、分解、結合させ、無関係な場面の数々をオムニバス形式で展開し、それら喜劇的な各話は最後にはキャッチコピーである「実って、すみません。」を表す一つの世界観に収束していく作品である。2015年に発表した”米”を、新たなバージョンへと書き換えて一日限りの上演。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
ロンドンの方で上演された「男たちの番か?(原題:Men’s Turn?)」。日本人キャストによる日本版が上演されている。今日は昼と夜の二公演。マチネが無事に幕を降ろし、ソワレが幕を開けた。おかしい。聞こえてくるはずの台詞が聞こえてこない。代わりに聞こえてきたのはバウンダリーマイクすらも拾わぬ微かな寝息。彼、本番中の舞台の上で寝ているじゃない。
【あらすじ】舞台は南三陸沿いにある古ぼけた理髪店。夜の7時過ぎ、営業を終えた店内で、従業員の佳子が店主の倉田の髭を当たっている。佳子がこの店で働くようになって一月半、倉田にとって彼女の存在が密かな喜びとなりつつあった。佳子と二人きりで過ごすひとときに、胸がいっぱいの様子だが、店の外は濃い霧が立ち込め、何かが起こりそうな予感...。するとそこに、店の扉を開け一人の男が入ってきた。霧が晴れるまで休ませ
ところは関東のある小都市、某不動産会社のバックアップで、リゾート開発をめざしていた保守党の市長が、愛人宅で急死した。後援会が後継者選びに苦心する間に、反対派閥の県議がはやばやと立候補を宣言し、不動産会社もそっちへ寝返る。あわてた市長派は、大学助教授である市長の娘婿に白羽の矢を立て、東京から呼び戻した。理想家肌の助教授は、教育文化都市の建設を説き、クリーン選挙を条件として立候補を承諾した。ところが選
統合失調症で失踪する友人をめぐる、青春物語。乱反射する肉体と感情 出来事を組成する「やってやってしまったこと」「伝えたかったこと」「言ってしまったこと」の乖離を圧倒的リアリズムで描く、唯一の加藤拓也の世界。更新されていく口語とドラマ演劇
柿喰う客フェスティバル2017
食べ物を探して森にやってきた兄(北村まりこ)と妹(永田紗茅)。ひょんなことから、人さらい(守谷勇人)に攫われ、妹はお金持ち(村松洸希)の家へ、兄はサーカス団に売られてしまう。兄は有名になり妹を迎えに行くために、サーカス団で芸を磨くことを決め、団長(とよだ恭兵)や見世物女(七味まゆ味)に教えを乞う。しかし、その大人気のサーカス団の秘密は…!?
山奥の小さな会社で問題が起きた。解決を迫られる総務部部長。けれど誰が悪いのかは分からない。それぞれに言い分があって誰もが正しい。真っ向から意見は対立し会社内の人間関係は最悪だ。ああ、このままでは会社の先行きすら危ない……。社会の分断が進む中、少しでも光を見られるような作品を創ることを目標にMONOの原点であり得意な会話劇にこだわり、会議室を舞台に何が正しいのかを巡って間抜けで真面目な会話の応酬を描
ケラリーノ・サンドロヴィッチと緒川たまきのユニット、ケムリ研究室の旗揚げ公演として2020年に上演された作品の再演。コロナ禍の閉塞感を吹き飛ばした多幸感溢れるロマンティック・コメディが一部新しいキャストを迎えさらにパワーアップ。
旗揚げからのベストセレクションと新作で構成。「吹き出し3」/コント「注文の多い風俗店」/映像「昭和」/コント「狂言病」/映像「漁村」/コント「スパイ大作戦」/コント「身体~ファイナル」
舞台には電信柱が1本。その下にゴザを敷いて座り込んだ男が、通りかかった男に声をかける。「おままごと、せぇへんか?」そして誰も、これを断るわけにはいかない。我々の日常生活における、あらゆる厳粛なできごと、深刻な現実でさえ、いつの間にか「おままごと」に変質させられていく、悲惨で滑稽なものがたり。
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「テイクミー・テイクミー!」オミトおばぁが行く!英語交じりのウチナーグチで観光バスをヒッチハイク。乗り込んできたオミトおばぁ、ガイドと風変わりな運転手を巻き込み、口説、ニューミュージック、カチャーシー、ダンス、琉球舞踊・・・・・なんでもござれ・・・笑い転げながらお客もろともバスはとんでもないところへ・・・