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ある日突然、死んだ友人の幻影を見るようになった小説家、稔梨。彼女は友人の民俗学者と共に、海沿いの小さな集落に住む霊能力者のもとを訪れる。しかし彼女が尋ねたとき、集落は年に一度の祭『おわたり』の準備に大わらわだった。『おわたり』とは、その年に海で死んだ者たちの魂がいっせいに黄泉の国へと渡ること。 死者と生者が混在するひと夜。海は闇に溶け出し、人の秘密があふれ出す。
ぐるぐると、リープしたり、スリップしたり、トラベルしたり、ワープする。かつてあった喫茶店の常連の男が、跡地のベンチに佇み…思い出すのは今は疎遠になった弟と昔見たデパート屋上のイベント。そしてその日は男の妻の兄弟も駆けつけ、なにやら男の動向を伺っている。喫茶店の跡地にできるカフェ女性店長と、その幼馴染の工務店員、押しかけるユーチューバーも巻き込みながら、男の過去と現在が混在する世界へタイムスリップ!
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。
昭和30年代「快傑ハリマオ」というTV番組が人気を博しました。この荒唐無稽としか思えないヒーロー“ハリマオ”にはモデルとなった男が現在の福岡市南区曰佐に実在しました。日本男児だった彼が何故,異国でマレーの虎と恐れられ、貧しい地元の人からは慕われる義賊となったのか?ハリマオとは一体なんだったのか…。
QoiQoi第4回本公演。アーツカウンシル東京単年助成カテゴリーⅠ採択。オリジナル作品を書き下ろし、外部の新たなキャスト・スタッフと共に作り上げた挑戦作。劇場は語らない。笑い。涙。歓喜の拍手。多くの人々をただひたすら見てきた。劇場は思い出す。繰り返してきた人々の営みを。観客の眼差し、キャストの汗。スタッフの真剣な横顔。劇場は語らない。劇場は覚えていた。劇場は全て覚えていた。
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
劇団「柿喰う客」結成13年目に送る新作。13日の金曜日、恩師の13回忌に集まった美術系私立大学の同窓生13人を巡る物語が繰り広げられた。
Dance New Air 2016
私事だが最近結婚して、あらためて家族というものを目の当たりにしている。こちらの家族とあちらの家族、ぜんぜん違う。そこから生じる夫婦ふたりの生活スタイル・行動様式も当然違う。で、それぞれ両手を必死に伸ばして、わずかに触れ合う指先がその先の腕を互いにつかみ、ガッチリと離さないようにする。そうして家族は成立する。ひとつの細胞がどんどん分裂していくのが生命への過程ならば、家族は別々の個体がひとつに結合して
ノーラの決断は過去のもの?時を越えて響く注目の新演出!もうすぐクリスマス、ノーラは浮かれていた。可愛い我が子に、やさしい夫ヘルメル。夫の仕事も順風満帆だった。だが、ヘルメルの部下クログスタの訪問によってある重大な秘密が暴かれ、ノーラは自分が可愛がられるだけの「人形」であったと気づき…。女性解放運動にも大きな影響を与えた、「近代演劇の父」ヘンリック・イプセンの傑作社会劇。舞台をヨーロッパから昭和10
昇進が決まり東京の本社に移動することになった娘、文は父親をひとり実家に置いていくことに不安を覚えていた。そこで、文は父のかつての同級生で、寡婦である道子との再婚を斡旋する。しかし、父と道子が再会し距離を縮めていく様子を見ていた文は亡くなった母親のことを慮らずにはいられなかった。複雑な想いを抱えたまま東京への出発の日は近づいていく。文と父の暮らしている町の様子と町の子どもたちの成長を文の移り行く心情
第68回岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』の記念事業として、作品モチーフとなった岐阜県高山市「こどものほんや ピースランド」にて舞台芸術文化の流布を目的に行った本事業は、各新聞社にも取り上げられ、会場全体を使った続編の回遊型上演を開催した。絵本屋の特徴を活かし託児せずに親子で全回参加できる鑑賞機会として、演劇不毛の地と呼ばれていた岐阜県高山市に訪れる幅広い世代への芸術復興に貢献した。
大正七(一九一八)年十二月二十六日、宮沢賢治は、故郷花巻から東京に入院している妹・とし子の見舞いを目的に上野行きの夜行列車に乗り込んだ。その手には大きな革のトランクが握りしめられ、たくさんの願いが詰め込まれていた。「大好きな音楽を聞き、エスペラント語の勉強をする。そのためには家の重圧から逃れ、父の庇護の下を離れなければならない。そして何よりも真の生き方を探すことである」賢治は、東京に理想郷を求めて
シシオドリ発祥の地、といわれている三陸の伝承を元にした爽快なサバイバルコメディー。万葉集EDMあり!伊達商人ヒップホップあり!漁民ラテンロックあり!江戸時代の仙台藩を襲った慶長の大津波を題材に、苦境の中、いきいきと前を向く人々を通して、未来を担う子どもたちに「いのちの輝き」を伝えます。三陸沿岸地域は太古から、数多の災難に見舞われてきました。冷害、疫病、飢饉、・・・そして津波。それなのに、なぜ今日ま
同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することに。しかし、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深
日本が誇る浮世絵師、葛飾北斎。90年間の生涯で3万点を超える作品を残し、そのユニークな魅力は今でも多くの人に愛されています。今回わらび座の舞台では、生涯に渡って「生きる面白さ」を発見し続け、どこまでも納得のいく絵を求め描き続けた人間・葛飾北斎の生きざまを、日本発・オリジナルミュージカルとしてダイナミックに描きます。
笑っちゃうほど刺激的喜劇王モリエールの代表作に、新たな風が吹き込まれる!ドケチな主人公アルパゴンが再婚相手に選んだのは、貧しい家の娘…しかも息子の恋人?!結婚をあきらめさせようとする息子たちに、助っ人も加わりだまし合いが始まった。が、その時アルパゴンの金が盗まれてしまう! 怒り狂ったアルパゴン、犯人探しの先に待ち受けるのは───フランス人演出家ジャン・ランベール=ヴィルドが、SPACの俳優とともに
カナダのある町の法廷、被告席にいるのは若いネイティブ・インディアンのリタ・ジョー。判事の尋問の間、リタの回想は限りなく膨らむ。あるときは故郷の部落での懐かしい日々、、あるときは町に出てきてからの辛くみじめな暮らしだったりーーいつしかリタの罪名は次々と増えて行く・・・。けれどどんなに判事に諭されてもリタには罪の意識が確かなモノとして存在しない。文明社会の価値観が、自然のままに生きてきたネイティブたち
ワールドカップが開催される為、再開発によって⽴ち退きを迫られている、啓二(鳥谷宏之)と離婚した妻が建てた、とある地方の喫茶店。娘の可奈(村上穂乃佳)は啓司と親子で喫茶店を営み、いずれ継ぐのだろうとぼんやり考えていた。が、しかし、周りの友達や知り合いは立ち退きや、結婚などによってどんどんと地元を離れることを決めていく。可奈と啓司はただ二人、地元に取り残されてゆき…
天竺へ向かう途中、三蔵法師一行が立ち寄った海辺の村の小さな孤児院。バケモノの脅威に晒されながらも小さな幸せを守り続けていた孤児院には秘密があった。これは人魚を巡る人間とバケモノの過去を乗り越え心を通わす物語。
東京ノ温度2024年秋公演は、芥川龍之介の「童話」オマージュ作品です。純文学のイメージが強い芥川龍之介ですが、実は児童文学の執筆・普及にも熱心で、芥川自身が構想した童話集も刊行されています。今回はその芥川童話の世界を原点とした新作オリジナルストーリーを、Wキャストにて上演します。都内某所に、ひっそりとたたずむお屋敷がありました。そのお屋敷の主は「現代の魔術師」を名乗る、なんだか怪しげな人物でした。
コロナリポート
パフォーマーの入退場、音響や照明の変化などの舞台作品における様々な行為のきっかけ・手掛かり・合図を「キュー」と言う。Go To/Stay Home、緊急事態宣言発令/解除等、反復し持続する現在の「外」に出ることを体で試みるダンス作品。2021年初演。コロナリポート三部作『Sign』『Cue』『Out』。
作品中最大の見せ場、「底なし沼」のシーンを、50人という大人数でダイナミックに表現し、演出家・佐々木智広の大舞台での群集表現の秀逸さが認められる。月曜日の夜、東京郊外という場所にも関わらず、立ち見客が出るほどの盛況でフェスティバル当日券来場者過去最高を記録。
行き遅れた娘と男やもめの父を描いた、小津安二郎監督作品『秋刀魚の味』をモチーフに、2017年バー公演として外部に書き下ろし好評を博した同作品を全面改稿し、ブラッシュアップして再演。ギターを弾きたいと言い出した父と婚約破棄された娘、関西出身のバーの女、と謎のバイト。他者との会話を通して、すれ違い続けた親子が未来に一歩踏み出そうとする、東京の核家族の在り方と希望描いている。
大衆演劇女座長、五月洋子が見たのは現実なのか?それとも夢なのか?日本最高峰の一人芝居『化粧』こまつ座での上演決定!! さびれた芝居小屋の淋しい楽屋。その楽屋に遠くから客入れの演歌が流れ込んでくるやいなや、大衆演劇女座長、五月洋子は、座員一同に檄を飛ばし始める。開演前の化粧支度の最中も、口上や十八番の出し物、母もの芝居「伊三郎別れ旅」の稽古に余念がない。その慌ただしい楽屋に、洋子をたずねてくる人がい
ごく普通のイギリスの中流家庭に生まれた兄のトムと弟のフィギス。弟のフィギスは心の優しい子で人の気持ちを読み取る不思議な力を持っていた。そんな弟が、ある時奇妙な言葉を喋りだし、「自分はイラクの少年兵だ」と言い始める。フィギスは12歳、トムは15歳。湾岸戦争が始まった夏の事だった・・・。
複雑な人はなんでもない顔をしている。優しさゆえに心の傷を隠し、自分に嘘をついて暮らす人たちが自由を獲得するまでのいくつかの形を、個性ある登場人物たちで描く。曖昧な自意識で生きる華子。夫を介護する愛人。踊る愛人の娘と友人。生きる意味を探す息子。この家族がホームレスの協花と出会うことで変わる、家族の解体と再生の物語。女性の自由を奪う見えない抑圧に輪郭をひき、個人の尊厳が守られる新しい共同体の姿を探す。
老いにより記憶が彷徨いだすようになった母。娘の名前をも忘れる中で、若き日の自身の初恋を思い出すようになる。だがその初恋は、夫とは違う男性との思い出だった。新婚旅行の思い出を彷徨いながら、夫婦が見つけた答えとは?舞台となるのは、宮崎と湘南、そして二つの地を繋ぐ海。これは、ある男と女の物語。母と娘の視点で、家族の心の揺れと再生が描かれる。劇団初のツアーとなる宮崎で幕をあけた作品の、東京凱旋公演を撮影。
「家族」という普遍的なテーマを軸に、若者たちの熱気が溢れていた70年代<若者たち抗議活動に参加した「戦車闘争」や、若者のバイブルだった高野悦子著「二十歳の原点」、当時流行した歌やギャグなど>を青年と中年の世代がリアルな現代の悩みを抱えながら体験することで、徐々に変化し、違いを理解し合おうとする姿を描き、身近で普遍的な社会を炙り出す本作は、2021年の初演時も好評を博しました。
舞台は「観光地としての安楽死特区」──。この町では観光の目玉として、より安楽に、より尊厳を保った形での死に方を様々なサービスとして提供している。超高齢化社会と終活の問題、そして、究極の自由とも言うべき「死ぬ自由」という観点をベースに、それぞれが孤独に向き合うしかない「死」の問題を重層的かつ多角的にあぶり出す。
アマヤドリ活動休止前最終公演となる本作品。『写真撮影』という日常にありふれた行為をモチーフに、日本人の生活様式を過去・現在・未来を行き来しつつ主宰の実体験をベースに描いた四世代に渡る家族の物語。家族の形を世代を超えた対話によって浮かび上がらせてあらためて観客に問いかける作品。
むかしむかしグルシニアの地にひとりの権勢ゆるぎない権力者がいた。ある復活祭の日曜に、貴族たちの反乱によって領主は首を刎ねられる。混乱のさなか衣裳選びに夢中だった領主婦人は、若君ミヘルを置き去りにして都から逃亡する。台所女中のグルシェは戦地に赴く兵士シモンと婚約し、置き去りにされた若君ミヘルを助ける。北の山国に住む兄のもとへむかうグルシェは、追ってくる兵隊の手を逃れ、知恵と力の限りをつくしてミヘルを
かつてウクレレの生産量世界一だった群馬県。田舎の古い家のお盆の一日を描くことで、その土地の歴史と日本の戦後史の一断面を描いた静かな演劇。2020年上演予定だったがコロナで中止。座組を維持したまま翌年コロナ禍での上演となった。
岸田理生アバンギャルドフェスティバル リオフェス2024
寺山修司作「身毒丸」を岸田理生が台本を脚色、改定し、1995年、蜷川幸雄が演出、武田真治、白石加代子の主演で初演が公演、日本のみならず、ロンドン、バービカン劇場で大絶賛を得て、藤原竜也を天才新人と言わしめた。そんな「身毒丸」が令和の時代に「野外劇 身毒丸R」として復活。うだるような真夏の夜、月と星の灯りの元に夏風さやり、虚構と現実が蕩け合う。時代を廻り、世界の果てを越え、母子の物語は、何処へ辿り着
1952年、新派にて初演された『京時雨濡れ羽双鳥』は、京都鴨川に架かる木橋の下に住む謎多き女・ゆきを中心に、若い巡査や盲目の親子らが織りなす物語。(今回、俳優座としては初演)。『花子』は、娘の「花子」と養鶏している「花子」を対比する母親の思いをのどかな農村で展開する短編。1950年、俳優座創作劇研究会にて初演。ともに俳優座の座付作家であった田中千禾夫の戯曲。前者は能、後者は狂言に着想された二編を同
北欧の夏。淡い緑のまぶしい自然の中で、白い夢のようにたゆたう愛と死と、罪と悔恨、そしてその果てに曙の光のように仄見える赦しの影…フィヨルドの暗い水底の静寂のうちに水死したエイヨルフの亡骸の、仰向けのまま大きく見開いた二つの瞳がそのすべてを見つめている――おそらくは、われわれの心の奥の闇の底まで。
TV、映画、舞台で大活躍の若手実力派俳優として定評のある佐野史郎。TV『ずっとあなたが好きだった』で"冬彦さん"なる流行語を生み出した彼の原点は舞台である。劇団シェークスピアシアター、劇団状況劇場で演技の真髄を体得し、林海象監督の『夢見るように眠りたい』で映画デビュー。その後は独特のキャラクターで、またたく間に個性派役者の仲間入り。最近、本格的に舞台活動を開始した佐野史郎。劇作家、竹内銃一郎と組ん
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
ジョン・スタインベック原作の小説をフランク・ギャラ―ティが脚色本邦初演。1930年代に発生した干ばつと砂嵐を契機に、故郷オクラホマを追われ、カルフォルニアに移っていった貧困農民層の一族の逆境と不屈の物語。
演劇実験室・天井桟敷の創立メンバーであった東由多加が1968年に結成したミュージカル劇団「東京キッドブラザーズ」による1989〜1990年の全国ツアー公演。物語は郊外の町に男とその妹が引っ越して来るところから始まる。隣近所には、どこか普通ではない人たちが住んでいた。奇妙な人間模様が描きだすのは、私たちの心の中にある”街”のすがたである。「螢」のように消えつつある街に―愛をこめて。
ぼんぼん盆の十六日に地獄の地獄の蓋があく ────夭折した明治の女流作家・一葉を取り巻く5人の女性たちが織りなすこの世とあの世の境界線。景気で浮かれる上層と下層の間で、美しい文体で時代ともに生き抜いたあらゆる階級の女性達の頂上から底までを見た一葉...。24歳6か月の若さでこの世を去るまで多くの名作を発表した夭折した天才女流作家の"奇跡の14か月"とは...。
満月の人よ…満月の人とは天狗の意味である。神隠しは天狗の仕業と云う説がある…家人を遥か彼方に連れ去る。古今東西にある伝承だ。ここにひとつの家族がいる。かつて天狗に母親をさらわれた家族。が、父親と息子は泣かなかった…それどころか嫉妬した。どうして天狗は母親を選び、自分達を選ばなかったのだろうと。年月が流れた…天狗にさらわれた母親が帰って来た。そして今…彼らの奇妙な生活が始まる。
狸と人間と天狗が三つ巴で暮らす現代京都。狸の名門・下鴨家の三男・矢三郎は、天狗や人間にちょっかいを出しては愉快に暮らしていた。ある日、老天狗・赤玉先生の跡継ぎたる“二代目”が英国より帰朝すると、平和な街の気配は一変。矢三郎たち四兄弟は阿呆の誇りを胸に、それぞれの信条を、愛する者たちを、守り抜くことが出来るのか?人形劇と浪曲で贈る、狸と天狗と人間の三つ巴森羅万象エンターテイメント!
ある夫婦のはなし。子どもは10万人に1人の難病だった。海外での移植手術のために懸命な募金活動を行ったが、あと少しで目標額に届きそうな時に亡くなった。しばらくして。夫が妻に必要なくなったはずの募金活動を持ちかける。またしばらくして。ようやく目標額に達したその日。2人のもとに子どもが逃げ込んでくる。そこから事態は大きく変化していって・・・。
日本による韓国併合の時代に朝鮮北部に産まれた李仲燮は、朝鮮の大地を愛し幼い頃より絵に描いていた。一九三五年、支配国である日本に渡り 、東京帝国美術学校、文化学院美術科で絵を学ぶ。在学中に山本方子と出会い魅かれ合うが、戦局も逼迫して一人、実家のある元山(ウォンサン)へと戻った。思いを断ち切れない方子は終戦間近の一九四五年、危険な玄界灘を一人渡り仲燮と再会する。二人は結婚、山本方子は李南徳(イ・ナムド
ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人が初めて直接会う「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまい、ある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが届く。指示に従ってヤリタイたちが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。シタイは何の目的で白い粉を送ってきたのか? シタイは今どこにいるのか? そもそも、白い粉は何なのか? オンラインとオフライン。イメージと現実。生
『ある漁師の話』『覚めてる間は夢を見ない』『ぶらんこ』の3本の短編で紡がれる深津篤史の私戯曲的作品。震災で無くなった家、失踪した父の靴、入院先での妻との思い出など記憶の数々が描かれる。短編『覚めてる間は夢を見ない』は深津篤史の最期の作・演出作品。
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
自由の国でアメリカ人として生きていた日系移民たちは、ある日突然“日系”という理由だけで国家の敵とされ、強制収容所に移送されてしまう。アイデンティティを否定された中で、何に忠誠を誓い、何に信念を持って生きるのか― 葛藤しながらも、希望を見つけ前に進んでいく人々を描く。忠誠やアイデンティティというテーマと共に、本作の根幹で描かれているのが“家族愛”。それぞれの信念を貫いたがゆえの家族の分裂、そして再生
ロームシアター京都が主体的に作品製作に取り組み、劇場のレパートリー演目として時代を超えて末永く上演されることを念頭にプロデュースする「レパートリーの創造」シリーズ第二弾として、2019年2月に上演された本作。演出、補綴、キャスト、スタッフ一丸となって壮大なスケールで描いた話題作の再演。【あらすじ】大名・高安家の跡取りである俊徳丸は、才能と容姿に恵まれたがゆえに異母兄弟の次郎丸から疎まれ、継母の玉手
SUNA
演劇実験室◉万有引力 第5回公演(再演は第9回・10回・12回・21回・39回・56回)。イギリス、ブラジルツアーも含め、万有引力のオリジナルでは最も上演回数の多い作品。1986年には第40回エジンバラ国際芸術祭にてフリンジ・ファースト(最優秀賞)を受賞。1995年にブラジルに初上陸。この『SUNA』は、「距離」に関わる事物と人間の関係・役割をテーマに、観客と一緒に、劇場空間に巨大都市を持ち込もう
「喪主の練習をしたい」と言い始めた母。ご近所さんのお葬式がグダグダで本当に酷かったらしく「自分が喪主をする時にああはなりたくない」と近所の葬儀屋と手を組んで一からお葬式を学んでいく。職人気質で頑固な夫、親になかなか言い出せない秘密を抱えた長女、大学受験を辞めようとしている長男。バラバラな方向を見ている家族が、やる気が空回りする葬儀プランナーの指示のもとお葬式のリハーサルをやらされることになるのだが
あなたは嘘をつきますか?日常の曖昧な返事を含めて今までの人生で何回くらい嘘をついてきたか考えた事がありますか?例えば子供に「サンタさんはいるよ」と善良な嘘をつく時に、小さな痛みを感じますか?世の中は「言った、言わない」話で揉め事が絶えません。誰かが自分の尺度で真実を良いように解釈し「嘘」を正当化すれば、戦争だって起きる訳です。果たして嘘は必要なのか否か。人を騙すことは善なのか悪なのか。「芝居を見る
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
◎公演概要観終わった後、きっと優しくなれる劇です。高齢化社会の「今」を切り取るバカバカしくも切ないシニカルな芝居です。老人を取り巻く環境、その家族の葛藤。老若男女、誰にとっても未知なる老い先を演劇で切り取ります。◎あらすじ国無歳三(自立、まだらボケ)が老人仲間4人とともに有料老人介護施設から集団脱走。介護士の久留美と孫の菊代は旅に同行するハメになる。統率が取れていることを不思議に思う久留美。菊代は
シャッターが目立ち始めた駅前商店街のある町。変わらない車窓に流れる風景のような毎日を生きる母。そんなレールから、分岐を切り替えた「わたし」を責めるように響きわたる踏切の音。そして母が、わたしが目指した場所は…「笑っちゃうほど滑稽で、泣いちゃうぐらい いとおしい」物語。
「江の島」というキーワードは、「ここではないどこか」へ逃れたいという、生きづらさを象徴している。折しも、緊急事態宣言が出されるときに、人々は江の島に殺到した。やはり、誰しもが、男女問わず「ここではないどこか」を求めているのだろう。女性の生きづらさの問題は、女性だけの問題ではないのだ。この作品では3人の女性が自身の生き方を模索する姿を描く。
昭和の団塊世代を象徴する様な男、通称・九ちゃんは、同僚には疎まれるが何故かワンマン社長にはかわいがられている。社長は頑固一徹だが憎めない男、その妻は器量の大きな昭和の女だ。ある日、その社長が亡くなった。通夜の席、胸の内を熱く語る九ちゃんの姿を見た若い社員は、何故彼の仇名が「九ちゃん」なのかを知る。合理性と効率が求められる社会に変わりゆく中で、社長と九ちゃんと妻の間には、懐かしい昭和の人間味、友情が
神戸版
実家で飼っていた犬・スーパーポチが亡くなったと義姉からの電話を受ける大阪で暮らす菫。菫は恋人の登とともに福井に帰省する。兄の洋は妻の直生と戻ることのない旅に出るのだと自らの死を匂わせ、菫に実家を託そうとする。亡くなったスーパーポチは菫に伝えたかったものは。
2000年、アウシュビッツからホロコースト教育資料センターに遺品として届いた少女のかばん。表面には大きく『ハンナ・ブレイディ625 1931年5月16日生まれ 孤児』と書かれていた。春奈と純太の兄妹は、そのかばんを開けた途端、1938年のチェコスロバキア、ノブ・メストに暮らすユダヤ人一家ブレイディ家にたどり着き、娘「ハンナ」、息子「ジョージ」として暮らすことに……。ひとつのかばんから今世界中に広が