表示件数
東京都のゴミ収集袋に指定がなく,中身の見えない黒いゴミ袋が全盛だった1990年。うち捨てられた失踪中の弁護士、ゴミ収集を生業とする者たち、夜ごと集まり「パパ」と呼ばれる初老の男にゴミを届ける娘たち、娘を探す夫婦・・・ビルの谷間の高架下で出会った孤独な魂が、救済の雪を待望する。同時に「不特定多数の娘を持った『リア王』の物語」として、フェミニズム問題をも視座に入れたシェイクスピア作品への新解釈を示す。
昇進が決まり東京の本社に移動することになった娘、文は父親をひとり実家に置いていくことに不安を覚えていた。そこで、文は父のかつての同級生で、寡婦である道子との再婚を斡旋する。しかし、父と道子が再会し距離を縮めていく様子を見ていた文は亡くなった母親のことを慮らずにはいられなかった。複雑な想いを抱えたまま東京への出発の日は近づいていく。文と父の暮らしている町の様子と町の子どもたちの成長を文の移り行く心情
インドはカルカッタのうらぶれた安宿の一室。舞台中央に、このホテルには不似合いに大きいシングルベッドが二つ。クーラーの効かないおんぼろホテルの狭い一室に、鼠のように閉じ込められてしまった2人の男の眠れぬ一夜のお話。有薗芳記と流山児祥による二人芝居。
殺人事件の犯人は双子で、主犯格の弟「幸司」は死刑、補助役の兄「憲司」は無期懲役がそれぞれ確定する。刑務官たちは死刑囚となった幸司と日々接するうちに、「死刑の在り方」について自らに問い直していく。というのも死刑囚となった幸司は驚くほどの真人間へと更正していくのだが、無期懲役の憲司は自分の罪に真摯に向き合っているとは言い難かったからである。刑務官たちの心は揺れる。死刑は廃止すべきと考える者、刑が確定し
トーコは大阪生まれの大阪育ち。特に夢もないまま、テレクラでサクラのバイトをしている。ある日、子供の頃に失踪した母親がよく口ずさんでいたハミングを、自分も口にしていることに気づく。母親と同じような運命を自分も辿るのではないかという恐れを抱きながら、彼女は複数の男性と付き合うことがやめられない。父親との和解、恋人からのプロポーズ…。揺れ惑う彼女はある夜、衝動的に夜行バスに飛び乗ったのだった。
きぬよ63歳。夫に先立たれ、楽しみと言えば野良猫にエサをあげること。そんな野良猫も最近は姿を見ていない。そんな折、昔の劇団仲間が訪ねてきた。彼らの説得で、しぶしぶ芝居の稽古を始めるきぬよ。だが数十年ぶりの芝居は楽しかった。きぬよに認知症の傾向があり心配になって実家に戻ってきた、きぬよの一人娘のなおみ。きぬよとなおみのこれまでとこれからの物語。きぬよ、人生最後の大舞台の幕があがる!!
あらすじ:場面はエレベーター。3人が乗っているところに遠藤が乗り込み、清掃員の蒼木が「何階ですか?」と尋ねる。遠藤が「5階です」と答えると、短い昇降の後、再び遠藤がエレベーターに乗り込む場面に戻ってしまう。困惑した4人はループから抜け出そうと3階で降りたり共通点を探したり試行錯誤するが、最後には「どうせ繰り返すなら死んでも生き返るのでは」と考え、自殺を試みる人まで現れる。
「背筋も凍るラブコメディ」コロナ禍においても、濃密な会話劇を世に送り出してきた、お座敷コブラの「斯くして」は、背筋も凍るラブコメディ。そして、今作では、ヒロインの「沙織(さおり)」と、主人公に想いを寄せる「美依(みい)」の 2 役を女性 2 名が各回役を入れ替えて、一人の男を巡る愛憎を演じ分け、合計 4 通りの俳優陣による化学反応を楽しめる作りとなっている。
アンデルセンの掌編集『絵のない絵本』をもとに、泊篤志、イトウワカナ、ごまのはえの3名の劇作家が描く多彩な世界。「月がみていた」というシチュエーションで描かれた様々な劇世界を、想像力に乗って旅する短篇演劇集。
時間に打ち捨てられた湖畔の劇場は今や無人の廃墟。のはずが、何かが中で蠢いている。貝殻がうず高く積まれた山から異臭が漂う。真夜中に群れる真っ黒な浮浪者の影。彼らはヤチマタの境を越えてやってくる。魔人猿田彦が巡回する半透明有刺鉄線の柵を隔て、ヒラフ貝の吐息が織りなす脆弱な虚構の物語と、荒野をさすらう流賊達の無頼な生き様が、渦を巻いて混ざり合い、警告の鐘を奏で、やがて湖底の怪物の目を覚ましてしまう。
これは、 どこにでもある町の、よく眠ることができる夫婦の、 ある「静かな一日」のお話です。でも本当は「静かな一日」など、どこにもありません。私たちが住んでいる現実に「静かな一日」が、どこにもないっ!のと同じように。私たちは後ろ向きになって、徐々に、南に傾いていく家を見上げながら、日陰を選んで、畏れを飲み込み、日々を生きます。形は決して残りません。形は決して残りません。日々を、私たちはただ日々を積み
パワハラが起きてしまった劇団の稽古場とアルバイト先の往復で疲れ切ってしまった青年を主人公に、どうすればそんな厳しい毎日から抜け出すことができるのかを描いた「ハラスメント・コメディ」
水生生物の採取観察を趣味にしている男3人。グループ名は「沼部」。偶然新種のイモリを発見してしまったことからテレビに出演したり地域のちょっとした人気者に。それから10年、40代になった彼らのもとに、当時を取材したいという男が現れる。仲間、恋、嫉妬、その男の取材で当時を振り返るうち、過去の事件が炙り出されてくる。10年前、何が起こり、何が起こらなかったのか。両生類はなぜ陸地を目指したのか…。
若き天才科学者たちが集められ、世界的な先進技術を研究する、とある電気機器メーカーの研究所。科学者たちは今、ヒト型のロボットを製造するというテーマに没頭していた。しかし、そこで生まれたいくつかの最先端技術は、アメリカの国防省に売られていたのだった……ずば抜けた頭脳と、子供のような純真で傷つきやすい精神を持つ、若き科学者たちの青春グラフティ。稽古場でのエチュードを重ねて創られた異色作。
昭和17年に生まれ、3歳の時に満州から引き上げてきた十和子の激動の人生。少女時代の初恋は実らず、夢と現実の違いに打ちのめされそうなとき、幸せにすると誓う男が現れ結婚したのが運のツキだった。男はDVモラハラ夫と化し、日々息子と泣き暮らした。やっと離婚して実家に逃げ帰るが、老いた母に女中のようにこきつかわれる日々。両親の介護を終え、晴れて自分の人生を歩み始めた十和子の元へ、震災で失業した息子が救いを求
天竺へ向かう途中、三蔵法師一行が立ち寄った海辺の村の小さな孤児院。バケモノの脅威に晒されながらも小さな幸せを守り続けていた孤児院には秘密があった。これは人魚を巡る人間とバケモノの過去を乗り越え心を通わす物語。
厚木シアタープロジェクト ネクストステップ第9回公演劇団扉座第65回公演
昭和12年9月。浅草のレビュー小屋。 そこから突然姿を消した座付き作家・菊谷栄(有馬自由)は、いま、青森から満洲へ出兵しようとしていた。座員たちの最後のメッセージを届けようと、北乃祭(横山結衣)は故郷・青森へと向かう。祭が届ける、その伝令とは――?
物語は陸奥の一隅、鄙びた商店を襲った強盗放火事件から始まる、一万年の昔、日本の地よりさらに東北へ移動せざるをえなかったある縄文の一族の物語。そこには争うことを避け続ける臆病者の知恵があった。千島列島、カムチャッカ、アリューシャンを越えて氷河溶解のベーリング海峡。一本の縄を頼りに奇跡の海峡越えを果たして初めてアメリカ大陸を踏みしめた臆病者達こそ、北南米先住民の祖先となるモンゴロイド。その「争わぬ知恵
時折、激しい吹雪が吹き荒れる真冬の札幌。終電頃、「西線11条」の電停。東京から仕事で札幌に来たばかりの男が、道路の真ん中にある市電の停車場で、ススキノに向かうために電車を待っていると、そこに一人、また一人、電車を待つ人たちが現れる。現れた人たちは、そこで炊飯器にお米と水を入れ、ご飯を炊き始め、やがて炊飯器からは、仄かに白い湯気が立ち昇る。実在する市電の停車場「西線11条」で、本当にあったかもしれな
北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ
劇場とアーティストが2年間タッグを組み、地域の人々や表現者との交流など時間をかけて『地域』を知る1年目を経て、2年目に劇場オリジナル作品を創作するシリーズ第2弾。近未来の研修施設を舞台に繰り広げる、ある疑似家族の物語。「家族」という関係は何を隠し、何をさらしてしまうのか?疑似家族だからこその「家族」への願いを描く。
とある森林にて、狐に囲まれた一人の女が発見された。 発見時、その女、マリアは記憶が完全になく、1冊のノートを大事そうに抱えていた。 その中身は「>」記号に埋め尽くされている解読不可能のものであり、 マリアはそれが、屋根裏部屋で見つけた祖母の日記であるとかたくなに主張する。 彼女の失われたルーツを探ろうと、『劇団芸能革命』は演劇探偵を開始。その調査による情報をもとに、 劇団芸能革命は失われたマリアの
望月昌志は若くして作家としての名声を手に入れ、妻の久子と鎌倉の古い息遣いが聞こえるような洋館に暮らしている。二人の静かな日々が孕んでいた「小さな疑問」。自身に向けられたそれは、幻聴となって昌志を苛み、義妹の広子や彼の作品を信奉する有坂らとのただならぬ仲へと彼を落としこむ。知らぬふりを通す妻。それゆえさらに乱れる夫の心。夫婦の苦しい愛はもつれていく。春雨の降る日、今はもう春の色さえ忘れてしまったと嘆
物語をやろうと思ったけど、とっくに僕らは物語の上に生きていました。どれぐらい距離が離れたらクソみたいな人生が最強の物語になるんだよ。小さい頃から大人になっても僕らはずっと
紀元前221年、圧倒的な野望の力で戦国の中華をついに統一した秦の始皇帝は、死を間近にして、東海の彼方に浮かぶという神仙の霊山に不老不死の夢を抱き、奇跡の果実を探そうとする。命を受けた方士ジョフツは三千人の童男童女を従え、歴史的大移民船団を仕立てて東の海へ漕ぎ出し、大航海の末、ついに日本の富士山麓にて不老不死の実『ときじくのかくのこのみ』を見つけ出したか、そうでないのか。その後、ジョフツは秦に帰るこ
「えっと、一人とばして翔君なの」写真の説明をした人はそう言った。ああ、とばされたのは私。いつも忘れられる……だからなるべく派手な服を着ている。育った環境に強烈に縛られている愚かな家族。鎖から解き放たれていく様子を愉快に描く劇団代表作。
本作品は1967年に寺山修司が主宰する演劇実験室「天井棧敷」の旗上げ公演として上演されました。寺山作品初期に見られる母子の愛憎、寺山自身と母との確執をモデルに描いた作品となっています。B機関は演劇と舞踏の融合を目的として舞踏家の点滅が2016年から2023年まで主宰した演劇舞踏ユニットです。本作品は2017年に上演されたその第二回公演となっております。
淋しい放火魔ツトムが放ったマッチの火は、古い廃墟を灰にしただけでなく、その地に封印されていた古い物語を甦らせた。ツトムを巻き込んで、ロマンと愛憎のドラマが繰り広げられる。現代の物語作家・横内謙介の名を世に知らしめた初期の傑作。
SINSAI 10th
東日本大震災の被災地の出来事を元に創作した作品集
さて今回の芝居は、十年がひと昔なら、ふた昔半以上前の東京のはなしです。この時代を「昔のはなし」と思うか「ほんの昨日のはなし」思うかは、見る側の「その時代」への個人的な思い入れによって変わってくるでしょう。ただ言えることは「その時代」が、感覚的な距離感の違いはあったとしても、手繰り寄せれば間違いなくストレートに現在に継ながっているということです。(フライヤーより)
西瓜糖第9回公演
昭和40年代の東京 文化人類学の教授である城戸崎裕介(中尾)は妻・志穂(山像)娘・裕子(磯部)と平穏で暖かな日々を送っていた。そこに不意に訪れた輝くばかりの田舎の青年、坂幹人(三津谷)。そしてまた、導かれるようにやってくる一人の女――澤野麻巳(奥山)。一つ屋根の下に集う者たちの糸が、少しずつ少しずつ絡まりだし、不協和音を奏でていく……。
知っていますか?かつて、呪法劇という学問があったことを。それが、あまりに強大な力を持つがゆえ、歴史の闇に隠されたことを。呪法劇とは芝居をやると言う儀式によって、霊的なるものを地上に降臨させ超常的な力を借りることです。おぼんろは1600年代に残された伝説的な文献を日本で初めて翻訳し、当時の儀式を再現しました。『ゲマニョ幽霊』はロシア・ポーランド戦争が行われた頃、ラマエが描いた物語とされています。誰が
「俺の頭ん中にゃちっちゃな部屋があって、木造モルタルのその古いアパートで 誰かがひっそりと待ってるんだ。そこから俺は出かけたのに違いないが、出かけてもなんだかそこに帰るために出かけてるみたいでね、どこかに踏み込んで「おかえり」なんて声かけられたら、俺、狂うかもしれない。」地図を売り歩く中年のサラリーマンが迷い込んだ古いアパート。平家なのに中に入ると大きな階段のあるアパートの、その階段から、男の幼い
かつて伝説の番組とまでよばれた、とある深夜ラジオの最終回。この番組に10年間投稿を続けてきたハガキ職人たちが、有楽町のカラオケボックスに集まった。しかし誰も、何も、喋らない。人間関係不得意な彼らは、繋がりを求めて番組に投稿し、だけど現実世界では誰とも繋がることができない。不器用な男たちが必死に繋がりを求め、もがき続けるワンシチュエーションナンセンスコメディ。
QoiQoi第3回本公演、文化庁AFF2採択。2020年から続けている福島県でのリサーチをもとに、家族の心のつながりを描いた意欲作。あらすじ今から遠い遠い未来の話。父親の死がきっかけで、10年ぶりに実家に帰ってきた長男、与人。与人の帰りをよく思っていない弟、愛生。2人を見守る母、聡子。あの時の事故で壊れた家族の歯車が、再び前に進み出す。
とある地方地域の市議会。市長の答弁の最中に議員席からいびきが聞こえてきた。市長は、その様子をSNSに投稿したことで議会議員たちから呼び出されることとなった。この作品は市長と議会の対立、及び議会側に寄り添うメディア、これらを他人事のように取り上げるネットメディアといった三つの要素をモチーフにし、地方政治の腐敗について原因と問題点を観客と共有し、積極的に政治に参加できる社会を目指し製作されました。
嵐のあくる日も杉は自らの花粉をまいた。陽をあび、水をすすり、風に葉をゆらした。理由なんてないのだ。それが彼らの生活だから。自然と暮らしを独自観点で描く、かまどキッチンの『生活感演劇』。
何号室か忘れてしまった部屋のなかで向かいあう駅のホームのこちらがわでちらつく光でいっぱいの水槽のまえで始まりも終わりもないものについて今ようやく考えはじめた者たちのために舞台美術先行のクリエイションを行い、〈やがては忘れてしまう些細なできごとや気持ち〉を、交差するあるいは並行する空間で描き出す。白いたんぽぽ初の大阪公演。WINGCUP2023最優秀賞受賞。
「見えない壁」等の一般にイメージされるいわゆる「パントマイム」に囚われず、ダンス・コント・台詞芝居・歌・プロジェクションマッピング、そしてYouTubeでのメインコンテンツであるワンカット撮影といった様々なパフォーマンスをミックス。 パントマイムならではの身体性や空間の使い方を際立たせ、YouTubeのファンもそうでない人も、老若男女誰しもが楽しめるようなエンターテイメントを目指して構成されてい
冬芽TheatreWeeks WEEK2
「それぞれの限定された視点からモノローグを語ることにより、逆に外に広がる世界・他者のことを想像していく」ということを下地にした『スコープ作品群』の中の一作。クリスマスが近づいたある夜、パートナーとの何気ない会話から、男は追憶の旅に出る。男の追憶は、以前お付き合いしていた方のもの、パートナーのもの、幽霊のものへと移り変わっていく。過去・現在・未来の往来の中で「人と人が一緒に居ること」をじんわりと感じ
三島由紀夫没後五十年 プラス1
愛が見せる地獄・芸術という名の狂気。この世ならぬ様を描かんとする絵師の執念に、美しき乙女は命を差し出し業火の贄となる。幼年期の三島由紀夫が芸術と美への感性を育む素地であった歌舞伎。そのオマージュである「三島歌舞伎」の第一作『地獄變』、極彩色の世界を花組芝居が総力を挙げてネオかぶきへと昇華する!時は平安の頃。絵師・良秀は、天下一の腕前だと都で評判を得ていたが、高慢で変わり者だと噂される男だった。彼に
昭和12年大阪北浜にある布団問屋の分家、岡崎商店。店主は岡崎陽介という若者である。 ある日、陽介の妹が学校で初潮を迎えたことを男の子たちにからかわれ、不注意で道に飛び出し事故で亡くなってしまう。それを知った陽介は、生理への偏見を無くすため、生理用品の開発・販売、そして性教育の普及活動を手がける会社を興す。知人や周りの女性に生理のことを尋ねまわり、変人と言われながらも研究・開発を進めていくのだった。
海に浮かぶは自然と花の沖縄。その鮮やかさからはかけ離れた、ユニーブル中谷402号室。築35年の湿気雨漏り大歓迎のお部屋に、女の子が2人住んでいました。2人は貯金箱を持っており、大切に貯金し合っていました。ある日、2人でゲームをやる事になりました。しかしそのゲームが思わぬ方向に行き、大喧嘩になってしまいました。人間だから言えないこと。人間だから言いたい事。だけど、女子だからおかしな争いになってしまう
変わったもの変わらないもの現われたもの現われないもの全て埋めてしまおうかほんの少しの間だけ東日本大震災直後の被災地の物語
メロスは、妹の結婚の品を買うのに町を訪れたが様子がひどく暗く落ち込んでいた。その原因が多くの人を処刑している暴君と聞き激怒する。創作の契機に壇一雄と井伏鱒二との熱海の宿でのエピソードがある。太宰治が借金をしていた壇に対し井伏との談笑に明け暮れて約束を反故にした経過がある。壇に責められた太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」と逆に聞き返し、友情を信じられるか否かの問答を吹っかけたという。
舞鶴に生まれ育った姉妹「みちよ」と「すみ」。二人の従姉妹で同じ家に住む「あきえ」。三人の女性の恋模様を、戦前の記憶、戦中の傷、戦後の生活とともに描きます。昭和を駆けぬけ、常によりそって生きてきた女性達の人生の記録。2018年~2020年に京都府舞鶴市で実施した「まいづる物語プロジェクト」。その集大成として執筆されるも、コロナ禍により上演できなかった戯曲『よりそう人』を、劇団で初上演した作品。
杮落し特別公演
そこは、廃業した病院か…?15人の老若男女が一室にいる。どうやら昨夜、終電が行った後、そこへ集まってしまったらしい。世代間の対立と時代のストレスが、やがて、それぞれの今と背景を浮かび上がらせる。未来に希望を持てないことを、うすうす感じながらの現代を、私達は、どう生きて行くのだろう…。15人の登場人物達が、密室で、これまでと今を旅するが、その先に見える「人の消えた街」は、どう再生に向かうのか。
「あの日 私の世界は変わった 春は忘れない 私の悲しみを」2011年3月、弟はこの世を去った。通っていた大学の渡り廊下から落ちて死んだ。その大学で准教授だった父と、証券会社で働く僕はどうもそりが合わない。正直、弟のことも苦手だった。だけどあいつのことばかり考えてしまう。こんな春の日には。家族の喪失と再生の物語。
大金をめぐるifから始まる物語。40人余に及ぶ登場人物をたった6人の俳優ですべてこなすというトンデモナイ芝居ですが、大人のメルヘン童話を読むような軽い気持ちでご覧下さい。
プラハ在住の人形劇師・沢則行と、札幌在住の俳優・演出家・劇作家・斎藤歩。北海道出身の舞台芸術家2人による、人形劇と演劇の狭間を衝く舞台芸術作品を創造。旧樺太で北方先住民が彫った木の人形・セワポロロと、礼文島で出土したの海獣の骨でできた人形・歯牙女性像が、北海道の北の果て、日本海に面した抜海(ばっかい)の海岸線で出会う、人形劇と演劇を併せ持った物語。
その茂みの先には…あらゆるものが息を潜め、様々な思惑がうごめく鬱蒼としたジャングル。そこに直面したとき人は進むのか、諦めるのか、武器を手に闘うのか。現代社会をジャングルに見立て、さまよう人間の姿をユーモア溢れる怒涛のドタバタ劇でおもしろおかしく、時に鋭くえぐり出す。
ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
脚本執筆前の小沢佑太(脚本・演出)による宣言文(一部抜粋)です。「僕が初めて東北のまちを訪れたのは2014年7月、震災後4年目を迎える夏でした。あれから2年に1回、観光として東北に行っています。13年の月日が経ち、その間にも各地で大きな災害が毎年のように起こっています。そこにある小さな想いを汲んで、変わっていくもの・変わらないものに目を向けて、丁寧に繊細に素直に描いてみようと思います。」
人は何によってできているのだろう。自分ではない「誰か」として、ぼろぼろ忘れながら、忘れ物を毎日しているような気分で生きている気もする。他者の知覚を追体験することはできるのか。「痕跡」「傷」について、顔を巡る旅をします。映像撮影に小宮山菜子さんを迎えての無観客配信作品です。
巌流島の決闘に向かうまでの佐々木小次郎の旅を大胆に脚色した本作は、パフォーマンス性の高い作品作りに定評のあるウォーリー木下が作・演出を務め、関西を拠点にパントマイムの第一線で活躍するマイム俳優のいいむろなおきが出演する、身体表現と映像のコラボレーションで魅せるパフォーマンス演劇である。本作は 2008 年に大阪・HEP HALL での初演後、韓国の招聘公演を経て13 年ぶり
健之助、40歳。何にも全然うまくいかないけど、まだまだ頑張って、生きていたい!食べたことない料理(シチリアのやつ)とか食べたいし、なんならモテたい!そんな折、健之助は自分が光っていることに気づく。健之助がいっぱい生きて、ちゃんと死ぬまでの演劇。
一書に曰く、闇に覆われた神代の時代。磐戸にひきこもった太陽神アマテラスの魂をうつつの世に引き戻したものは、俳優(ワザオギ)の元祖アメノウズメ。そのオカメな若い女神が、逆さ桶の上で即興で演じた、ハレンチかつステキなバカ踊りだった。これが日本の演劇のはじまり。そしてこのワザオギの子孫を、どういうわけか猿女(サルメ)と呼ぶ。サルメの血は、いつの時代も踊り続ける宿命を負う。今この時代にも。サルメは生きてい
地下採掘工場で働くロボット・ゼロ助は人間の女性・リコに恋心を抱く。遠い戦場へ徴兵されるも彼女のもとを目指し、戦い殺戮カラクリに自分を改造し、地下六千メートルを掘り進む。
戦後復興の立役者と言われる吉田茂。戦後混乱の中、強烈なワンマンリーダーシップで政界を率いた第45代内閣総理大臣吉田茂は、GHQとの交渉で成立させた日本国憲法公布時の首相である。そんな吉田を通して「憲法とは」「天皇とは」「戦後とは」を問いかける。「闇の将軍」三部作に次ぐ新しい政争劇をここに。
東京からやって来た妙齢の美人女性客に不動産屋の男が薦めた一軒家は、その界隈でも有名な“お化け屋敷”だった。韓国テハンノで大ヒットロングランとなったコメディ作品「コギ」を、韓国からオリジナル作品の演出家ミン・ボッキを招聘し、日本人俳優とともにリメイクした。
朗らかな初日の光さやけく新春らしからぬ、不穏な不穏な時代のお噺。我が国はここを先途と諸外国に対し獅子奮迅の勢いで躍進するも虚しく敗退し、米、英、仏、露によって分割統治されるに致り、国民は臥薪嘗胆、クチビル噛み締め刻苦勉励の毎日であります。さてここに御座すは絵師、記者、軍人、撮影技師、人形師、弁士、等々。自由に往来すること叶わぬご時世の中、鹿児島から天下の米国様にご神木を献上するべく特別に発行された