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宮沢賢治は、よくわからない不確かな存在を「ガドルフの百合」と名付けました。ここにいるのかいないのか、そこにあるのかないのか、お互いの距離を感じなければいけない状況が、むしろ私たちの身体感覚を鋭くしている気がします。この作品は上郷クローブ座のある元上郷中学校全体を舞台にした回遊型パフォーマンスです。ダンスや演劇、美術、映像、音楽などが紡ぎ出す時間と場所へ、一緒に距離のない旅に出ます。
ダッショク舞踏キャバレエシリーズ
メルボルン在住パフォーマンス・アーティストとして活躍するゆみうみうまれと、 大阪発 世界を駆けめぐる劇団 GUMBO による舞踏キャバレエ狂想劇! 揺れる感覚、ぶれる思考、はぐれるアイデンティティー、ずれるコミュニケーション・・・舞踏にキャバレエをミック スさせた ゆみうみうまれの踊りと、劇団 GUMBO の色鮮やかなコメディに、オーストラリア、シンガポール、そし て日本人ゲストアーティストの多彩
Dance New Air 2020 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.3
二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって安住の場所はどこだったのか。 私の愛情はどこへ向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか。 それとも世界に私は属しているのだろうか。(イサム・ノグチ) 自身の生い立ちに起因する不確かな帰属意識に苦しみ、その救いを創作に求め続けた彫刻家、イサム・ノグチ。彼が建築家の谷口吉郎と共に手 がけた本会場「旧ノグチ・ルーム」は
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時は昭和。1964年東京オリンピックの裏で開かれていた、もう一つの『民族の祭典』――その名も【キリンピック】。人間ではなく妖怪がアスリートとして集合する、百鬼夜行のスポーツ大会!この物語は、世界初の妖怪五輪開催に向けて宮内庁の精鋭達が熱く命を燃やす、汗と涙と肉と神秘のドキュメンタリー。
せんとう。裸でたたかう。労りと労いとハピネス。
【作品ノート】「私は、私の身体を選んで、生まれてきた。この身体に起こる全てのことを、この身体で経験することを選んだ。そして、私はこの身体をどうするか、この身体とともにどう生きていくかを、自由に選ぶことができる。」もし、そう思えたら、あなたはあなたの人生の全てを愛することができますか?あなたの人生と、私の人生に、愛を込めて。
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
本作は、2020年12月、山﨑広太と西村未奈により、フロリダ州立大学、マギーアレシー国立振付センター (MANCC)にて共同で創作を開始した新作『幽霊、他の、あるいは、あなた』のワークインプログレス。自然の複雑で静的な世界の中で、二人の異なる歴史、知覚、細分化された内部の風景を受け入れることができるフラクタルで気象のような身体、そして老いる時間を調査する。
ベルリンを拠点に活動する「劇団ティクバ」。NPO法人ダンスボックスによってはじめられた「循環プロジェクト」。障がいのあるなしの境界を超えて、舞台表現と向き合うこの2つのプロジェクトは、2009年から国際共同プログラムを継続。今回のKYOTOEXPERIMENTでさらなる展開をみせる。振付、演出を手がけるのは、2008~2009年に文化庁の研修員として訪れたベルリンで、ティクバと出会ったダンサー・振
(フライヤーより)アンドロイドは夢を見る。静止した地球が見ている太古の夢を……。「昔、ヒトは翼をもち、光のなかを翔んでいた。」託された幾千万の想いがひとりの少女に光の翼を与えた。
(フライヤーより)世界の先駆的なコンテンポラリーダンスの関係者が2年に一度集う、ダンスビエンナーレ。その第1回を2002年夏に開催します。文化によるにぎわいの場を創造し、世界のダンスの動向や潮流を知り、ネットワークを広げ、ダンスや演劇の文化的土俵をさらに豊かにしたいと考えます。
笠井叡が8名の多国籍ダンサーを振り付ける「Das Shinkiro」。2005年4月ベルリンのHaus Der Kulturen Der Welt(世界文化の家)での、オーディションとワークショップによって開始され、6月のフェスティバルIN TRANSITで初演、好評を博した。舞踏の創世記を築き、今も時代の先端で踊り続ける笠井が、ドイツ、オーストリア、イギリス、アメリカ、イランなど多国籍ダンサーと
最小単位の「ひとつの身体」は舞台上でどう変容するのか---。「ひとつの身体」とは何か、という謎。上村なおかソロダンス第4弾。出演者は上村なおか、ひとり。
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
1978年に宮崎駿が初監督したアニメーションシリーズ『未来少年コナン』を舞台化。日本ではミュージカル『100万回生きたねこ』や村上春樹原作の『ねじまき鳥クロニクル』などを手掛け、その唯一無二の空間演出で観客を魅了し続けているインバル・ピントと多彩なクリエイターダビッド・マンブッフが共に演出を担当。コンテンポラリーダンス、歌や音楽、美術、衣裳、照明などを巧みに操り、芸術的かつ身体的な表現で創る新しい
ヘルシンキ市立ダンス・カンパニー委託作品。古川あんずは同カンパニーからの委託で1994年には『春の祭典』を、1995年には『KEPPI(杖)』を振付けている。本作では、アマゾン河で見た色が交わらないまま流れる水やアフリカの女性が壺に朝露を集める姿、ヘルシンキ沖の凍った海など、古川に印象を残した様々な「水」の体験が下敷きとなっている。Act1退屈した男 / 心の誕生 / 隻手音声 / 水の神話Act
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
小説家恒川光太郎による沖縄を舞台にした怪談短編小説『私はフーイー』を原案に、ダンス作品として創造した、民話的夢幻物語。MWMW第一作目。
Dance New Air 2016
私は「私」になる為に装う。舞台が求める「私」と私の間を埋めるため、衣装に着替えてステージに立つ。装うことで私は自分を護り、身を隠し、演出し,誇張し、ときに他を偽り、また威圧する。装いは私と「私」との輪郭の隙間を埋め、ときにはそれを消滅させる。「La Mode (ラ・モード)」は現代の宗教とも言われるファッションを軸に、浮かび上がる<境界>を視覚化させたパフォーマンス作品である。60分のこの作品の中
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
舞踊とは非言語表現である。だからこそ好きに発言(表現)できると思ったら大間違いである。社会的意味を持たない言語だからこそ、より観客の想像力に訴えかける言語(踊り)でなければならない。饒舌である必要はない。沈黙を恐れてはならない。人間(観客)には、聞こえない言葉を聞き取る能力があるのだから。(金森穣)
「ダンステレポーテーション」展
2020年5月にDance Base Yokohama(DaBY)のオープニングイベントとして予定されていたTRIAD DANCE DAYSにて、山﨑広太が振付ディレクターを務めるサイトスペシフィック・ダンスが中止になったことにより、唐津絵理(DaBY/愛知県芸術劇場)が企画・総合ディレクターとなる新プロジェクト「ダンステレポーテーション」が始動した。オンラインでの対話から始まる創作を経て、生まれ
日本コンテンポラリーダンス界のゴッドマザー黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」は、1992年に初演をむかえ、本公演で12回目の公演となります。ジャズ音楽の形式をダンス作品の構造に持ち込み、即興をベースとして進行される当作品は、ダンサーの力量や感性等によって大きく左右され、また公演毎に様々な表情を見せます。また、今回は生演奏でのミュージシャンとの共演により、舞台芸
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は最終公演、スペシャルin東京公演から紹介します。2009年5月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。鈴木ユキオ(金魚)
シェイクスピアの恋愛悲劇『ロミオとジュリエット』とプロコフィエフの音楽をもとにした、金森穣創作の劇的舞踊『ROMEO&JULIETS』。Noismの舞踊家に加えてSPAC-静岡県舞台芸術センターの俳優が出演。舞踊家達の雄弁な身体と旋律のように言葉を操る俳優の身体が、対峙しながらも重層的に鳴り響く。その先に現れるのは、舞踊でも演劇でもない「劇的舞踊」でしか描けない“ロミオとジュリエットたち”の物語。
この作品は、本作のために書かれたスコア『Into a dream』をもとにダンスの時間を立ち上げます。異なる身体言語を持つ3人のダンサーは未知のタイムラインの奏者であり、走者でもあります。ただ踊るのでもなく、ただ居るのでもなく、ただ感じるのでもない方法で、そのために、そのために、そのために、そのために、それより僕〈と〉踊りませんか。
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2年にわたりリサーチと制作に取り組んできた、松本奈々子と西本健吾によるパフォーマンス・ユニット「チーム・チープロ」。2021年にリサーチを開始したふたりが最初に掲げたテーマは「ワルツ」だった。コロナ禍で「接触」が憚られるなか、京都に存在したとされるダンス芸妓の史実を起点に戦前京都と現代と接続し、想像上の他者とワルツを踊る作品を発表。続
1986年スパイラル ESPACE AVENTURE『ダンスの季節の女たち』第2夜:黒沢美香公演で上演した(初演 1985年 俳優座)ラジオの国民的体操をモチーフとした作品。ーーースパイラル ESPACE AVENTURE『ダンスの季節の女たち』について スパイラルホールは劇場であり、ギャラリーであり、倉庫でもあり・・・つまり、どんな風にも使える空間です。 スパイラルでは、舞踊によってこの空間へ挑
KAVC 新しい劇場のためのwork:02
コロナ禍をエンターテイメント化した実験作。新型コロナウイルスの無い世界からやって来た人々が無菌を感染させて行く。劇場観劇と配信観劇の二種類のチケットを販売。
東北芸術工科大学主催の山形ビエンナーレ2022「現代山形考 藻が湖伝説」参加作品。第一部は文翔館議場ホールの前庭で山形の市街や文翔館の外観を背景に、庭内を集団で移動しながらゲーテ『ファウスト』の物語を上演。第二部は「現代山形考 藻が湖伝説」の展示会場となった議場ホールの中で登場人物は自身の旅路を会場内で自由に動き回りながら表現し、観客も自由に動き回り美術品や上演を鑑賞できる形式をとった。
本作は、脳外科医ペンフィールドが提唱する「脳内のホムンクルス」という概念から、脳との繋がりの中で、本来は一番大きな面積を占めると言われる手、指先の「触覚」に着目した。未曾有の感染症の影響、テクノロジーの発達において、人と触れ合うことが圧倒的に減った今。「触覚の不在」をテーマに、現代社会を生きる「私」という人間のあり方、人との繋がりについてダンス、美術、映像、音楽から思考した作品。
河野紗代子(ピアノ)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。海は刻々と表情を変え、様々なブルーを見せてくれる。キラキラとした心躍る水色のブルー。時間の流れがゆっくりに感じる水中の瑠璃色のブルー。吸い込まれそうな夜の濃紺のブルー。荒れ狂った波の限りなく灰色に近いブルー。「青」という色が持つミステリアスな多面性をピアノとダンスで描く。
別離についての13編の詩からなる踊り手の自著『詩集 透明な綾』をモチーフに2つのソロダンスを上演。その日の体と場へ応答し即興性を歓迎する自作の[solo_a]、大谷悠による振付を踊る[solo_b]の2作。詩集に寄せて制作された、鈴木彩加による美術作品が会場に佇み、終演後にはIchizo Yoshiokaによる楽曲を配布。’25 11月、再構成・再創作した『透明な綾(11月、駒ヶ林にて)』を、下町
一人の女と一人の少女が、出会い、互いの分身であるように、2本の樹木の上に横たわり、時を過ごす。眠り、言葉を交わし、外界へのイメージを広げる。ここはどこなのか、聞こえる声が時間を呼び起こす。孤独だけれど満たされている二人の遊びは、人の根源的な信頼と出会いを育て、この奇妙で孤独な遊びが世界へのドアを開けていく。
Dance Performance LIVE
舞踊家の苫野美亜が国内で活躍しているバレエダンサー達とともに、日本ユニセフ協会の協力を得て開催したチャリティーコンサート。ピアノ・ヴァイオリン・チェロの音色とオリジナリティ溢れるダンサーとの共演。
予測できない出来事=ブラック・スワンの出現を予言したナシーム・ニコラス・タレブの著作「ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質」からタイトルを引用した2008年作品。4脚の椅子、4人の男女を空間に並置し、不確実な時代の身体を抑制的な身振りで描き出した作品である。「大野一雄フェスティバル2008」参加作品としてBankART Studio NYK 屋外においても上演をおこなった。
「ダンスの持つ抗えない魅力を、ダンサー自身が取り戻す事」を第一のテーマに、踊り尽くした末の、意味や記号から解き放たれた体から初めて生まれる関係性を提示した作品。「欲望も抑圧も、産まれた時からお皿に並べられていて、好きも嫌いもないままについ手が伸びちゃう程には食っちゃ寝て、その分大きくなったら誰かに食べられて、どんどこシェアされて循環してるこの体の緑。かなり。」
Noism0
2021年「境界」を共通テーマとした山田うんとのダブルビルで発表した金森穣作品。「近くて、遠い、此処」。果たして此処とは何処か。それが定まらない限り、何が近くて、何が遠いのかを理解することはできないが、現代情報社会では地球の裏側の出来事を“近い事”として理解し、目の前で繰り広げられる出来事を“遠い事”=自らに関係のない物事と捉えていることに対する金森自身の問題提起といえる作品。
-2020年に世界中を巻き込んだ試練は、パフォーミング・アーツの存在意義を見つめ直す機会となりました。人と人、国と国、ジェンダー、人種、民族、宗教の問題、そして生と死について。これまでも私たちの目前に数多の問題がありましたが、新たな先行きの見えない状況は驚くほどの勢力で私たちを阻んでいます。しかしながら、全世界に同じ問題が降り掛かったこのタイミングこそ、新しい芸術・表現が創生される時なのです。今こ
Dance New Air 2014
迷い蝶というものがある。台風で予期せぬ場所に飛ばされ、海 を渡っても、その同一性を作り替えて生き続ける蝶のことだ。こ の共同制作もまた、たくさんの問いに導かれ海を渡り、相手の 中に自分を探す旅路を続けながら他者との新たな関わり方を 発見する。 “Suwung”とは、“目には見えないが、何かがそこに存在する ことを感じる”、という感覚を表すジャワ語である“。空”の中に存 在を感じ、現実と虚構を合理的
漫画・アニメ・⼩説と様々なメディアミックスを展開している⼈気作品「⽂豪ストレイドッグス」。本作は、舞台シリーズ最終章として、TVアニメ「文豪ストレイドッグス」第3シーズンを原作に、舞台ならではの表現で「共喰い」のエピソードを描きました。
風の庭プロジェクト2007
ユニット風舞妙韻による俳句から生まれる風楽作品。第1回風の庭プロジェクトで構想・総合指導:田中トシ。アルテゾンス・ド・コーポ、ニレ・アートとのコラボレーションにより風の家(サンパウロ)の砂舞台で催された。それは家族、庭、コミュニテイーそして身体と自然を廻ぐるパフォーマンスアート。2007年サンパウロ州文化局文化活動プログラム(Pac)の助成で実現。
闇の底の底空の果ての果て潜っていく闇に着床する種いのちの珠を孕む垂直に あいだを紡ぎながら丁寧に歩を進める重力の底深い空そこに咲く花
この作品は、再演でもなく再現でもない。9人の身体の新たな起点だ。三東瑠璃は2024年12月末から2025年1月にかけて行う東京 – 北米ツアー公演のために、代表作:『Matou』、『Where we were born』を再構築した。本編は2024年12月末、すみだパークギャラリーささやにて収録。東京公演のみ上演された、Evoke Dance Studioによる、開場中パフォーマンスも併せて収録し
Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021の「エリア50代」で初演された、笠井叡振付・平山素子のソロダンス『J.S.バッハ作曲“フーガの技法”1.2.6.9番によるダンス』が、スケールアップして再誕!クラシック、jazz、ポップス…と様々なフィールドで活動を展開する、片山柊(愛知公演)、佐藤浩一(横浜公演)という2人の若手ピアニストを迎え、ダンスと音楽で『フーガの技法』とい
ヒトが環境やオブジェクトからどのような情報を読み取り自らの行動を決めているかという、認知心理学的な視点から作品を創作してきたハラサオリ。知覚と認知をテーマとした本作では、非常事態下におけるヒトの社会行動に焦点を当て、大都市でありながら常に災害のリスクと隣り合わせにある東京という街で生まれ育ったハラが、避難訓練や集団下校といった日本特有の身体教育の経験や記憶を振付家として再考察した。2020年11月
いのちのかたりつぎ 〜色とりどりの物語がつむぐ、震災のこと〜
海辺のある小学校の机の上には9年間そのままになっていた一本の牛乳瓶がありました。”フクシマ”と呼ばれた被災地の、過去・未来・現在の時空を超える言葉をつむぐ命の合唱。福島で活動し、第1回「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」外国語部門等受賞歴のある詩人・和合亮一の詩をもとに、東北に縁のある出演者・スタッフにより制作された作品。本当に祈るべきものは、未来にある。
舞台上で、あかりを動かしたらどうなるかと言うアイデアと日本の美について考えるところから作品を作り始めた。IchIとは日本語で「1」を表すとともに、2つの「I」(英語でいう私)が何かを挟んで見つめている様である。すべての人は別の顔を持っている。私自身も私の中に住まう誰かを感じ、暗闇の中でその人に出会う。そして私はその人と話し始めた。この作品は天志が彼自身を探す旅である。愛のように、あるいは夢物語のよ
瀬戸内国際芸術祭の会場である直島の本村地区の様々な場を使いダンスを埋め込むことで直島全体がまるで劇場であるかのような感覚を鑑賞者が味わえるサイト・スペシフィックダンス作品
アクトと舞踊を癒合させ独自の世界観をもった舞踊作品。出ない蛇口に集まった3人のそれぞれの人生が交差し、死生感を問う。消えない欲望、欲望をかくしながらの葛藤、時間が経過する老いへの恐怖。人間は水がなくては生きていけない。人間の生命の宿命をもち、身体の中へ流れていく水は、命を吹き込み、優しさや愛を生む。戦いは水をも止めてしまい、自然を破壊する。人間の欲望が自然より傲慢ではならない。生きるへーると平和の
DaBYアソシエイトコレオグラファーの鈴木竜が、他ジャンルのアーティストらと協働するコレクティブな手法で創作した作品を発表した「鈴木竜トリプルビル」で上演された3作品のうちのひとつ。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年12月に愛知県芸術劇場にて初演)2022年に大幅なリクリエイションを行い、「DaBYパフォーミングアーツ・セレクション2022 in Tok
私たちはカラダのことを知っているようで私たちはカラダのことをまだ知っていないあなたの中にある私私の中にあるあなた私はまだ私を見たことがないあなたを通して私を見る私を通してあなたは見る凹凸世界は変わり続け身体は変わり続け凹凸私たちの最後の破片を探す旅は続く私たちのカラダはまだ不完全だから身体を所有した時から私たちの旅は始まった
OrganWorks「人間を眼差す三部作」の一作目「聖獣- live with a sun」は2019年東京世田谷パブリックシアターで上演されたダンス作品。昆虫の世界を描くことで人間との類似点と相違点を導き出し、人間とは何かということを問う。ダンサーの身体性を昆虫の性質や習性を模倣し人間から遠ざければ遠ざける程人間の身体が見える構造になっている。
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は沖縄公演から紹介します。2009年2月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
Lightシリーズ
― 最近私は、新幹線に乗る機会がたびたびある中、車窓の向こうに広がる家、家、家に地を這う蔦のイメージを想いうかべた。生き物のような家、家、家…。そんな発想から今回の「家」の創作が始まった。どこへ辿り着いたのか自分でもわからない作品ではあるが、この家の中に入って行こうと思っている。― ケイ タケイ1969年から続く「Light」シリーズのPart53初演。まだ2類相当だった新型コロナウイルスの影響で
沈黙に満ちた静寂の中、一組の男女が踊っている。身体を伸縮させ、空間を変容させながら、沈黙の対話を続けている。沈黙に満ちた静寂の中、音楽が生まれる。空間を明滅させ、身体を変容させながら、沈黙を奏で始める。沈黙と沈黙の拮抗。その間に生まれる第3の沈黙。再び訪れた静寂の中、一組の男女が踊っている。そこにある静寂は、かつてのそれとは異なる沈黙に満ちている。(金森穣)
「静」は白拍子静御前の伝説をもとに、箏奏者八木未知依と照明家三浦あさ子と制作したコラボレーション。民俗芸能へのリサーチに基づき白拍子の巫女と遊女という両極の女性像について考察をした。能楽(『道成寺』『檜垣』等)に残されている乱拍子とは本来は気が狂うようなリズムに乗せられるような舞ではないかと考え、道成寺縁起へとストーリーを展開し、静の思いと祈りのの強さ、女性としての儚さをあらわにした。
「見えない壁」等の一般にイメージされるいわゆる「パントマイム」に囚われず、ダンス・コント・台詞芝居・歌・プロジェクションマッピング、そしてYouTubeでのメインコンテンツであるワンカット撮影といった様々なパフォーマンスをミックス。 パントマイムならではの身体性や空間の使い方を際立たせ、YouTubeのファンもそうでない人も、老若男女誰しもが楽しめるようなエンターテイメントを目指して構成されてい