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Dance New Air 2018 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.2
人と人が在る中に生まれる縁。人と関わることによって変化していく世界観。絡まり、千切れたり、先入観や見解に縛られた足かせをほどいて、隣にあるその縁を再び結んでいく。
無駄な時間の記録
「無駄な時間の記録」は、2021年に開始した、スコアを元にダンスを立ち上げるプロジェクトです。このプロジェクトでは、スコアによってダンスを正確に記述・保存することより、それを用いることでダンスを一旦作者の身体から引き離し、それを巡ってフラットで開かれたコミュニケーションを立ち上げ、新たな表現の形を生み出していく可能性に着目しています。2021年は、4名のダンサー/振付家が、スコアを組み込んだ形でソ
「君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』より足元を覆いつくすアスファルトのように、深淵は僕たちの日常に寄り添っている。足元に砕け散ったフロントガラスの破片のように僕たちの身体は今ここに放り出されている。深淵に映り込む影が、僕たち自身の姿であり、身体そのものであるのなら、明晰とは、ただそこから逃れることなく、ただここにあることを、ただひたすら見つめ
Dance New Air 2016
私事だが最近結婚して、あらためて家族というものを目の当たりにしている。こちらの家族とあちらの家族、ぜんぜん違う。そこから生じる夫婦ふたりの生活スタイル・行動様式も当然違う。で、それぞれ両手を必死に伸ばして、わずかに触れ合う指先がその先の腕を互いにつかみ、ガッチリと離さないようにする。そうして家族は成立する。ひとつの細胞がどんどん分裂していくのが生命への過程ならば、家族は別々の個体がひとつに結合して
私たちはカラダのことを知っているようで私たちはカラダのことをまだ知っていないあなたの中にある私私の中にあるあなた私はまだ私を見たことがないあなたを通して私を見る私を通してあなたは見る凹凸世界は変わり続け身体は変わり続け凹凸私たちの最後の破片を探す旅は続く私たちのカラダはまだ不完全だから身体を所有した時から私たちの旅は始まった
YAMADA Un Co.
本作は東京芸術劇場で映像作品を作って有料配信し、劇場公演は地方でのみ行われた。 木々や花が溢れる庭で男女が踊るロマンティックなデュオから、無機質な病室でのダンス等、「視聴者の視線を強制的に導く映像の強み」を活かしている(むろん映像にあることは基本的に舞台上でも行われている)。 山田は「2020年のオマージュ」が本作のサブテーマだといっているが、それはコロナ禍や、延期された2020年東京オリンピック
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は別府公演から紹介します。2009年1月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
「いますぐそいつを脱げ」「なぁに、世界なんてまた作ればいいんだ。2人で!今宵から!」世界的ベストセラー小説「百年の孤独」にパパ・タラフマラが挑む! 設立時からの念願が24年の時を経て実現した。超現実的で、生々しく、時にユーモラスな、ブエンディーア一族百年史。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」からインスパイアーされた本作は、現実と非現実の境目を自在に行き来しながら、性欲に溺れ、孤独に悶える、悲しくも
Dance New Air 2016
ふちを歩く。外が白か黒か分からない。上を見る。下を見る。真っ直ぐ歩いてるようで同じ所をグルグルしているよう。帰ろうかなとか、寝ようかなとか、巡るだけでは出会えない。まだ死ねない。
「静」は白拍子静御前の伝説をもとに、箏奏者八木未知依と照明家三浦あさ子と制作したコラボレーション。民俗芸能へのリサーチに基づき白拍子の巫女と遊女という両極の女性像について考察をした。能楽(『道成寺』『檜垣』等)に残されている乱拍子とは本来は気が狂うようなリズムに乗せられるような舞ではないかと考え、道成寺縁起へとストーリーを展開し、静の思いと祈りのの強さ、女性としての儚さをあらわにした。
Dance New Air 2014
迷い蝶というものがある。台風で予期せぬ場所に飛ばされ、海 を渡っても、その同一性を作り替えて生き続ける蝶のことだ。こ の共同制作もまた、たくさんの問いに導かれ海を渡り、相手の 中に自分を探す旅路を続けながら他者との新たな関わり方を 発見する。 “Suwung”とは、“目には見えないが、何かがそこに存在する ことを感じる”、という感覚を表すジャワ語である“。空”の中に存 在を感じ、現実と虚構を合理的
【作品ノート】光、音、映像、身体一あらゆるエレメントをハイブリッドに融合 することで「特定のエネルギー状態にある絵」を舞台上に現前 化させる梅田宏明の創作哲学は、実質的な処女作である本作 で早くも確立されている。写真芸術からダンスに転身した梅田 のなかには、「ダンスをグラフィックアートとして平面的に見せ たい」というビジョンが当初からあり、その構想を反映するか のようにここでは、速度感を持って明滅
王様には秘密がありました。その秘密を知ってしまった床屋はふと思いました。「そもそもなんで王様の耳はロバの耳なんだろう?」イソップ寓話を新しい解釈でアレンジ。身体表現や生楽器、道具を使った見立ての表現などで描く絵本の世界のような新しいダンス劇。マイノリティの生きづらさは、大衆の理解と許容の意識で好転するかもしれない。そしてそれは何気ない純粋で小さな一言がきっかけかもしれない。そんな願いを込めた物語。
ダンス、ファッション、音楽、テクノロジーなどのコラボレーションによる新たな可能性を提示するパフォーミング・アーツ『Xhiasma-キアスマ』プロジェクト。 人が溢れる多忙な都市で、誰にも関わらず、一見自己完結が可能に思えてしまう毎日は、「生」の実感や、他者への関心も希薄になる。人と人との繋がりをコンセプトに創作・上演された『enchaîne』から2年、ダンサー・振付家の湯浅永麻、ファッションデザイ
せんとう。裸でたたかう。労りと労いとハピネス。
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
舞台上にゾロゾロと現れるのは、普段着の男女28人。誰もが一度は耳にしたことのあるポップソングをバックに黙々と身体を動かす彼らに、年齢や職業、 ダンスの経験をはじめ、特別な共通点はない。舞台手前でDJ役を務めるスタッフが突如舞台にあがり<プライベート·ダンサー>にのせて見事なダンスを披露したり、<ばら色の人生>では場内の照明がすべてピンクになったり……歌詞にあわせたペタな振付や演出に、観客は笑い、感
舞踊公演
歴史的な文脈を踏まえつつ、斬新な切り口で歌舞伎作品を現代化してみせる木ノ下歌舞伎。本作『娘道成寺』は、2008年に『三番叟/娘道成寺』の二本立てで初演し、2012年に30分に短縮した長唄音源を用いて初上演。その後、2017年には長唄の録音音源をほぼ全曲使用した60分のフルヴァージョンとして再創作し、再演を重ねるたびに進化してきました。演出・振付・出演は、きたまり。長唄を基に、背景や心情から、演目そ
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【作品ノート】一言では収まらないほどたくさんの問題や出来事がいっぺんに やってきた2020年。全世界でコロナウイルスが猛威をふるい、ストレスや意見の違いが表面化し、分断や差別、ヘイト、ハラスメントがネットでも実社会でも横行しています。同時に、それらと向き合い、 戦う人も増えてきています。2019年に受賞した前作「亡命入門: 夢ノ国」は、差別意識と分断、コンテンポラリーダンス界の自明性 など、所謂「
Dance New Air 2016
「ディクテ」とは 韓国系アメリカ人アーティスト、作家であるテレサ・ハッキョン・チャにより1982年 に出版された叙情詩的実験書。多様な文体による文章、図案、写真、他言語を用いて、テ レサ・ハッキョン・チャ自身、チャの母親、朝鮮独立闘争3・1に関わったユ・グアンス ン、カール・ドライヤー監督の無声映画におけるジャンヌ・ダルク、19世紀カソリック 教徒聖女テレーズ・マルタンなどのメタファーを行き来し、
舞台上で、あかりを動かしたらどうなるかと言うアイデアと日本の美について考えるところから作品を作り始めた。IchIとは日本語で「1」を表すとともに、2つの「I」(英語でいう私)が何かを挟んで見つめている様である。すべての人は別の顔を持っている。私自身も私の中に住まう誰かを感じ、暗闇の中でその人に出会う。そして私はその人と話し始めた。この作品は天志が彼自身を探す旅である。愛のように、あるいは夢物語のよ
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
Dance New Air 2014
幸せとは。無意識でも意識的でも、選んだ結果で今がある。 「赤い靴」を選ぶ人生、選ばない人生。「赤い靴」を履かずにいられない欲望の源は、何にあるのか、「赤い靴」に焦点を合わせない女は、何に怯えているのか。思いも掛けないきっかけで、もともと眠っていた種は目を覚ます。 女は無意識に危ないことを知っている。 それを幸せと呼ぶのか、呼ばないのか。
(フライヤーより)猛スピードで時代を駆け続けるダンスから見れば、時代は星虹(スターボー)なのだろうか?はじきだされた饒舌はやがて暗黒の磁場へと旋回し重力を失う。時代がダンスを要求しているのではなくて、ダンスが時代に別れを告げるとき、壮絶なダンスのパレードも旋回し始める。1966年早春のダンスコレクション 饒舌と静謐 旋回と浮遊 記憶と忘我 光と演奏 いま東京ダンスコレクション されど東京ダンスコレ
この作品の始まりは2006年夏のセッションハウスでの沖至さん、藤田佐和子さんとの即興セッションでした。その後岡山で、今回使用している曲を使っての作品の流れとタイトルの「青空散歩」が産まれました。この作品はさまざまな場所で上演する機会に恵まれ、再演を重ねるにつれ作品そのものも育っていっています。今回、東京での初演をこの中野テルプシコールで行います。現実と夢の間の、生と死の間の、時空をかいま見ることが
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
【作品ノート】透明な沸点と露点そのブラックホールをすぎるとある青い世界に柔らかい光が溢れているはざまに耳を澄まし光の波紋をうつす瞳うねりつづける細胞のひとつひとつをミモザの花にしたら少しはこの世を灯せるだろうか
ストラヴィンスキーの「春の祭典」やラヴェルの「ボレロ」など、数々の名曲に挑み独特の音楽世界をダンス作品として発表してきた平山素子が、劇作家シェイクスピアが残した言葉や劇世界をモチーフに、初めて本格的な演劇的ダンス作品として2015年に発表した『POISON~シェイクスピアを喰らう~』から4年。俳優の河内大和ら初演メンバーに加え、ダンス集団TABATHAの四戸由香、Noism退団後初舞台となる中川賢
文明のパレードであり、物質のパレードである。野外劇場で初演され、日本の「舞台芸術の新しい領域を開いた」と評される作品。台詞を全く用いず、従来の演劇、舞踊といった枠組みを越えて新たな劇表現を獲得したこの作品は、パパ・タラフマラの大きな転換点となった。人の生み出した物が、むしろ人を動かして先へ先へと進んでいく。そのような文明のエネルギーを視覚化し、生命と物のパレードとして描く。ロケットを想起さ せる7
(フライヤーより)つねに新しいダンスの可能性を模索し、各方面から熱い注目を集める3人のダンサーたち。今回は、それぞれがもつ世界をステップアップさせ、ダンスの概念を超えたエネルギッシュなステージをつくります。ダンスコラボレーション 2何かが動きはじめる。
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
(フライヤーより抜粋)猛スピードで駆け抜けるダンスからみれば、時代は星虹なのだろうか?はじき出された饒舌はやがて暗黒の磁場へと旋回し、重力を失うダンスが時代に別れを告げる時、アジアに舞い降りる若龍たち
ヒトが環境やオブジェクトからどのような情報を読み取り自らの行動を決めているかという、認知心理学的な視点から作品を創作してきたハラサオリ。知覚と認知をテーマとした本作では、非常事態下におけるヒトの社会行動に焦点を当て、大都市でありながら常に災害のリスクと隣り合わせにある東京という街で生まれ育ったハラが、避難訓練や集団下校といった日本特有の身体教育の経験や記憶を振付家として再考察した。2020年11月
カラフルな絵本の世界にようこそ!子どもから大人まで三世代で楽しめる年齢不問のエンターテインメント!ご存じ世界で初めて飛行に成功した ライト兄弟の物語!!︎ ではなく… ライト兄弟に憧れたある兄弟が、 亡き父の夢を果たす為 さまざまな困難に挑戦するおはなし
あれから30年近くたっただろうか。未だに見えていないです。掴みかけては逃して、やり過ごして、疲れて寝る。寝るよ今日も。夢の見るよ。地獄のようなまぶしい夢を見るよ。沢山のさよらなに見守られながら、天国のような日々を鳴らす。また明日。
Dance New Air 2018
6月初旬、なんら先入観も持たず、会場にて行われる初回の打ち合わせに向かいました。そこには、僕たちにとっては初めて見る形状の 舞台となる、イサム・ノグチさんの石庭「天国」という名の作品が美しく広がっておりました。さらに、今回コラボレーションさせて頂く、草月流山田幸泉先生のシンプルな竹ひごという素材から織りなす、温かみと自然の美しさを追求した作品集とアイデアを拝見させて頂き、この環境でパフォーマンスを
自らの身体と向き合いながら唯一無二の表現を創り上げてきたハンディキャップのダンサーと、エクスペリメンタル/ジャズ/ポップ/ワールドほか様々なフィールドで活躍する音楽家が1対1で対峙した舞台公演。「障がい」とは何か?私たちを分け隔てるものは何か?私たちが多様性と呼んでいるコトの姿とは?パフォーミングアーツが提示する、ダイバーシティーの現在形。
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は最終公演、スペシャルin東京公演から紹介します。2009年5月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。鈴木ユキオ(金魚)
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は沖縄公演から紹介します。2009年2月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
闇の底の底空の果ての果て潜っていく闇に着床する種いのちの珠を孕む垂直に あいだを紡ぎながら丁寧に歩を進める重力の底深い空そこに咲く花
漫画・アニメ・⼩説と様々なメディアミックスを展開している⼈気作品「⽂豪ストレイドッグス」。本作は、舞台シリーズ最終章として、TVアニメ「文豪ストレイドッグス」第3シーズンを原作に、舞台ならではの表現で「共喰い」のエピソードを描きました。
TOKYO DANCE TODAY #9
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。生年月日、出生地、血液型、三姉妹という共通点をもつ森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)。いつかは一緒に創作をと思い始めて数年、ユニークな劇場空間をもつ青山円形劇場にて、構想を共にし発表した作品。
チェロからオートハープまで自在に操る天空ミュージシャン坂本弘道を迎えて、リアルな妄想空間を爆走!
傍観を許さない、目と心を奪う強靭なダンサーとダンス・BATIK=黒田育世新作。舞台。大きく円形に張り出し。後方横幅一杯にトタンの壁。構成。ワイヤで浮遊、穏やかに口笛を吹く育チャンは、母に呼ばれ喜び。しかし、他の子に依る母をみて、激しく嘆き、痙攣。母のスカート下で治まる。が安息も一時。母の心はしばし離れ、子は孤独な自分に出会うこととなる。愛されつつ疎まれる、母を感じながら失い続けていく、痛切な幼児体
(フライヤーより)西暦2500世紀の超未来、考古学者が空中からある化石を発掘する。それはその時代すでに姿を消していた「演劇」というものの化石であった。考古学者は「演劇」の復元を試みる。’89年初演の名作『ゆるやかなトンビリラロの身だしなみ』を題材にした新作。1つの舞台上に複数の演劇、ダンス、パフォーマンスが併存する独自のスタイル→《ハイパー・コラージュ》を用いて、「演劇」そのものを「演劇」にします
KAVC 新しい劇場のためのwork:02
コロナ禍をエンターテイメント化した実験作。新型コロナウイルスの無い世界からやって来た人々が無菌を感染させて行く。劇場観劇と配信観劇の二種類のチケットを販売。
Dance New Air 2018
ある一定のルールと空間の中でスポーツが行われるように、小林は本作の中で自身のフィールドを構成する。性的な偏見や性差別的な筋書きに支配された人間により制限されることのない、自由なスタジアムをギャラリー空間に表すことを目指している。小林が問いかけるのは、危険と安全の狭間に立っている身 体的職業のどこに、その自由が存在するのか。運動競技における身体と、アーティストとしての身体、その双方のプロフェッショ
本作は、2020年12月、山﨑広太と西村未奈により、フロリダ州立大学、マギーアレシー国立振付センター (MANCC)にて共同で創作を開始した新作『幽霊、他の、あるいは、あなた』のワークインプログレス。自然の複雑で静的な世界の中で、二人の異なる歴史、知覚、細分化された内部の風景を受け入れることができるフラクタルで気象のような身体、そして老いる時間を調査する。
「国内ダンス留学@神戸」の参加者の卒業後の活動を考える場として始動します。企画の構造としては、国内外にて第一線で活躍している振付家を招聘し、卒業生はダンサーとして作品制作に取り組むことをベースにして、年毎によってアプローチを変えながら、強度のあるダンス作品の制作を目指します。そして、少しでも多くの魅力的なダンサーを輩出することも狙いの一つです。第1回目の今回は、イデビアン・クルーの振付家・井手茂太
コンテンポラリーダンス ソロ作品
新型コロナウィルスの蔓延からこれまで、長い時間をかけて、心の中の深く暗い部分に巣食い・広がって来たのは自分の死を・大事な人の死を恐れ、感染経路が分からないまま忍び寄ってくるウィルスや人々の行動に恐怖し、感染により社会から居場所を失ってしまう事に怯え、人を疑い・疑われる事が恐くなり、離れた家族と会えない事以上に帰って来て欲しくないと心の距離まで離れてしまう、人に心があるから生まれてくる、そんな沢山の
Noism0+Noism1 ディアギレフ生誕150周年
「東西文化の融合」を20年来のテーマとしている金森穣が、オペラ『蝶々夫人』に影響を与えたともいえるピエール・ロティの小説『お菊さん』をもとに新たに台本を書き起こした上で振付。ストラヴィンスキーの「結婚」で踊る舞踊家たちは全員人形として描かれ、ロティが描写(蔑視)する日本人を隠喩している。Noism×鼓童「鬼」と同時上演され、本作品も「鬼」をテーマとしている。
(フライヤーより抜粋)今回は、’87年暮れの青山劇場公演「Can't stop Dancin'」と前回の「ダンスコレクション」でもうすっかりおなじみの名倉ジャズ・ダンス・スタジオのフレッシュなメンバーに加え、多彩なゲストも出演します。その熱いダンス・スピリッツはきっと、肉体表現の美しさ・楽しさを、ダンス・ファンにはもちろん、広く一般の方々にも伝えてくれることでしょう。時は春。さあ、青山円形劇場で、
日本のコンテンポラリーダンス界を牽引する振付家の黒田育世が、Noism05から振付委嘱され2005年に初演した話題作。
この作品は、本作のために書かれたスコア『Into a dream』をもとにダンスの時間を立ち上げます。異なる身体言語を持つ3人のダンサーは未知のタイムラインの奏者であり、走者でもあります。ただ踊るのでもなく、ただ居るのでもなく、ただ感じるのでもない方法で、そのために、そのために、そのために、そのために、それより僕〈と〉踊りませんか。
ベルリンを拠点に活動する「劇団ティクバ」。NPO法人ダンスボックスによってはじめられた「循環プロジェクト」。障がいのあるなしの境界を超えて、舞台表現と向き合うこの2つのプロジェクトは、2009年から国際共同プログラムを継続。今回のKYOTOEXPERIMENTでさらなる展開をみせる。振付、演出を手がけるのは、2008~2009年に文化庁の研修員として訪れたベルリンで、ティクバと出会ったダンサー・振
幼い記憶から夏みたいなものを引っ張り出してたらいつの間にか朝になってた白い息が空に浮かんで重ねた裏返しとか普段通りの雨とか好きだった気がする嘘だった気がする沢山ある人生の中輝ける場所探せるだけで良いのかもしれないね(ワンダフルライフって なんだろうか)ああ なんか今なら唄える気がするよ一緒に歌ってくれないかワンコーラスでいいんだけど
「ダンステレポーテーション」展
2020年5月にDance Base Yokohama(DaBY)のオープニングイベントとして予定されていたTRIAD DANCE DAYSにて、山﨑広太が振付ディレクターを務めるサイトスペシフィック・ダンスが中止になったことにより、唐津絵理(DaBY/愛知県芸術劇場)が企画・総合ディレクターとなる新プロジェクト「ダンステレポーテーション」が始動した。オンラインでの対話から始まる創作を経て、生まれ
「ダンスの持つ抗えない魅力を、ダンサー自身が取り戻す事」を第一のテーマに、踊り尽くした末の、意味や記号から解き放たれた体から初めて生まれる関係性を提示した作品。「欲望も抑圧も、産まれた時からお皿に並べられていて、好きも嫌いもないままについ手が伸びちゃう程には食っちゃ寝て、その分大きくなったら誰かに食べられて、どんどこシェアされて循環してるこの体の緑。かなり。」