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Noism設立15周年記念作品。「Fratres」とはA.ペルトの同名楽曲のタイトルであり、ラテン語で親族、兄弟、同士を意味している。他者との関わりが先鋭的に希薄になりつつある現代社会において、同士を求め、集団活動を標榜する舞踊団として、本作品を発表することは、創作及びその実演によって“その意味するところ”を“集団的に”見出すためである。その祈り、その儀式こそが本作品の主題である。
[1998年3月]長年パートナーシップを組むモリオ(美術)初参加作品。[1998年11月]関西初進出。
カンパニーデラシネラは見立ての技法を使い、身体性に着目した質の高い演出で、毎公演独自性のある表現の模索を続けています。本作は、デラシネラが2009年に発表した松本清張『点と線』を、改訂再演するものです。謎解きの思考に寄り添い、考え出されたトリックを身体で視覚化することにより、心の機微や情景を浮き上がらせます。
英国の振付師アントン・ドーリンに「こういうものは観たことがない」「この踊りのためにバッハは作曲したのではないか」といわしめた。それが石井みどりのブランデンブルグ・コンチェルトである。石井みどりのこだわりであるリズムの取り方、「溜め」(リズムの裏をとること)から動くこと、「盗み音」があること、「動中の静であること」、これは日本の伝統的な音のとりかたでもある。本作はこれらを象徴する石井みどり作品の代表
京ラクシュミー座 定例公演
サックスのシンプルな呼吸から触発され、自然に出来上がった作品です。わたくしの場合は音がとても重要な起爆剤になります。サックス奏者と今ここでたったふたりで創り上げていく歓びがわたくしの體を通して溢れています。そこから、あなたはわたし、わたしはあなた、わたしはすべて、すべてはわたし、あなたはすべて、すべてはあなた‥。どんどん統一意識に近づき、祈りが生まれました。
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
すべてのものに光を注ぎ、輝かせ、西空の雲を金色に染めて沈んでいく太陽に、若人は呼びかける。1968年初演。「芸術の先生は自然だ」と父から教わった芙二三枝子は元々「太陽」が好きだったが、人間界の煩わしさから宇宙にテーマを求めた60年代に改めて「太陽」というテーマに目覚め、66年には大作「太陽風」を発表している。また68年は“踊りはすべての人のもの”という考えを核に門下生やその教え子の子供達との合同公
80年代から作りためた小品をゴツゴツと並べたものを「ダンス☆ショー」と呼んできた。懐かしきリーダース・ダイジェストの通販で購入されたレコードを発見したことからまずは始まる。昭和の音楽が明るく単純な編曲で嬉々と演奏されていた。わたしは捻って捻り過ぎる癖があるので単純で明るい疑いのなさに圧倒される。単純で一本槍なダンス。凝らずにお遊戯のような動きで組み立てた小品の粒。初演新たな小品も織り混ぜてゴツゴツ
本作品は1967年に寺山修司が主宰する演劇実験室「天井棧敷」の旗上げ公演として上演されました。寺山作品初期に見られる母子の愛憎、寺山自身と母との確執をモデルに描いた作品となっています。B機関は演劇と舞踏の融合を目的として舞踏家の点滅が2016年から2023年まで主宰した演劇舞踏ユニットです。本作品は2017年に上演されたその第二回公演となっております。
きたまりは、2021年より太田省吾の戯曲をモティーフとする創作を続けている。太田独特の劇言語に潜んでいる揺れ動く身体性。さらに多様な楽器の生演奏との相互作用により、新たなダンスを切り拓こうとする試み。『老花夜想』(21年)、『棲家』(22年)に続くシリーズ第三弾は、謡曲「卒都婆小町」などを下敷きに書かれた日本現代演劇の画期をなす戯曲『小町風伝』をもとに、現存する最古の能楽堂・大江能楽堂にて「沈黙の
<輝かしき開拓者> 一世の開拓者の日に焼けたたくましい体、鋭いまなざし、白い髭、これまで見たことがない人間の姿に出会ってまるで優れた芸術作品を目の当たりにしたようだと衝撃を受け、その労働者たちの美しい働く姿を活かした作品を創作した。<よろこびの歌> 弓場農場へ到着した時の感動を小原明子がナレーションで語り、続けて「太陽が暑いから」「ヤマの仲間達」「よろこびの歌」とヤマ(弓場農場の通称)のテーマ曲(
ダンスの歴史にフォーカスをすることでダンスの「継承」と「再構築」の2つの視座からプログラムを構成した公演「ダンスの系譜学」で発表された酒井はな出演の2作品。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年10月に愛知県芸術劇場にて初演)世界中のバレエダンサーが踊り続けてきたフォーキン原作による『瀕死の白鳥』を、日本を代表するダンサーの酒井はなが、演劇作家の岡田利規と取
Noism0
2021年「境界」を共通テーマとした山田うんとのダブルビルで発表した金森穣作品。「近くて、遠い、此処」。果たして此処とは何処か。それが定まらない限り、何が近くて、何が遠いのかを理解することはできないが、現代情報社会では地球の裏側の出来事を“近い事”として理解し、目の前で繰り広げられる出来事を“遠い事”=自らに関係のない物事と捉えていることに対する金森自身の問題提起といえる作品。
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビー能シアター
金剛流能楽師として活動している田中春奈氏を迎え、現代演劇の分野で活動する俳優とともに、三保の松原、富士山を臨む美しい春の情景の中、天女と人間のやりとりを通じて照らし出す天女の純粋さ、この世の美しさを描いた能の名作をベイビーシアターとして創作初演する。これまで何度も上演されてきた本作を新たに乳幼児向けに上演し、現代演劇との融合を行うことで、新たな舞台芸術の可能性を追求する。
王様には秘密がありました。その秘密を知ってしまった床屋はふと思いました。「そもそもなんで王様の耳はロバの耳なんだろう?」イソップ寓話を新しい解釈でアレンジ。身体表現や生楽器、道具を使った見立ての表現などで描く絵本の世界のような新しいダンス劇。マイノリティの生きづらさは、大衆の理解と許容の意識で好転するかもしれない。そしてそれは何気ない純粋で小さな一言がきっかけかもしれない。そんな願いを込めた物語。
ダンスオーラルヒストリー
古い舞踊記録映像を見ながら、直接の関係者が体験を語るダンスオーラルヒストリー。本作では、1951年から邦正美に師事し、1959年に独立して札幌市に舞踊研究所を開設、その後、94歳の今(2026年1月)に至るまで現役の創作舞踊家として作品を発表し続けている能藤玲子が、邦の代表作「黄色い時間」について語る。邦が指導した「舞踊身体育成法」の内容や、作品創作に関わる邦の姿勢など、直接指導を受けた者ならでは
舞踊とは非言語表現である。だからこそ好きに発言(表現)できると思ったら大間違いである。社会的意味を持たない言語だからこそ、より観客の想像力に訴えかける言語(踊り)でなければならない。饒舌である必要はない。沈黙を恐れてはならない。人間(観客)には、聞こえない言葉を聞き取る能力があるのだから。(金森穣)
折田克子は縁起物といわれる「梟」を収集していた*。梟はギリシャ神話においては女神アテーナの象徴であるとされる。その梟を題材にし、梟の特性である夜行性、神秘性などを空間の中にどのように構築していくか、の追求のさまが描かれる作品である。*生きた梟は含まない。
9つの群舞作品で構成されている。「カテゴリー」と題された5つの場面は空間形成による抽象的な運動で表現し、他の4つは具象的なサブタイトル(愛情配置、特売場、平和利用、告別式)の題材から作品を構成している。1960年前後の社会不安が作品のモティフになり、平和への願望が強く表現されている。無音の8mm映像とオープンリールの音声が別々に残されている。
インドの音楽に乗せ、小道具をうまく使いこなしながら軽快な振付が重なっていく。折田克子自身の動きの特徴を存分に見ることができる作品となっている。
現代舞踊の異形ー肉体の超越と開示
舞踊批評家の市川雅がプロデュースした「現代舞踊の異形―肉体の超越と開示」展で上演された、笠井叡と大野一雄のデュオ作品。ビアズリーの小説「ヴィーナスとタンホイザー」を基とした作品で、ヴィーナス役を大野一雄が務めた。2020年3月には大野一雄の身体性を川口隆夫が、笠井叡の身体性を笠井瑞丈が踊り、他の笠井・大野デュオ2作品と共にリ・クリエイトされている。
多摩美シアタープロジェクト びびび vol.1
上演芸術の最前線で活躍するアーティストでもある教員と学生によるカンパニーが始動!舞台はアートマーザーの邸、寝室。約束の雨の夜、アートマーザーの一族が集結する。一族は皆、芸術家。アートマーザーは芸術的に眠ることを望んでいる。一族は協力しながら、歌ったりお話を聞かせたりして、アートマーザーを芸術的に眠らせなければならない。アートマーザーを納得させる大人守唄を一族は生み出せるのか━。
「ダンステレポーテーション」展
2020年5月にDance Base Yokohama(DaBY)のオープニングイベントとして予定されていたTRIAD DANCE DAYSにて、山﨑広太が振付ディレクターを務めるサイトスペシフィック・ダンスが中止になったことにより、唐津絵理(DaBY/愛知県芸術劇場)が企画・総合ディレクターとなる新プロジェクト「ダンステレポーテーション」が始動した。オンラインでの対話から始まる創作を経て、生まれ
邦正美は1964年にカリフォルニア州立大学フラトン校の演劇学科准教授に就任、後に舞踊学科を創設し、学科長を務めた。邦の舞踊教育は全人的成長を促すことを主眼とし、学生達が「踊りの道具」となることなく、踊りを通して創造性を育むことを旨としていた。「カルミナ・ブラーナ」は1966年11月に邦が4場面を振付けたものの再演。「Eternal Now」は「カルミナ・ブラーナ」と共に66年11月に上演された作品
生きながら死んでいる少女は無数に散りばめられたパラソルに紛れ乱舞する…… パラソルは、いつしか真紅の曼珠沙華になりカラカラと風になく風車に…… 十一面観音にみとられ、少女は湖底に横たわり、虚空には夜の月がのぼる。──月をめぐり、くりひろげられる少女と青年の混沌への道行き。形体(フォルム)と混沌(カオス)の本質的な出会いをめざす折田克子のダイナミックな豊穣の世界。
若手バレエダンサーを中心とした著名ガラ公演の第4回目。4回目の開催となり、本バレエフェスティバルは東京の夏の風物詩としてバレエ関係者の間で定着した。1989年1月末に第17回ローザンヌ国際バレエコンクールが青山劇場で開催されたことを受け、第4回青山バレエフェスティバルでは同コンクール上位入賞者6名が「1989年ローザンヌ国際バレエコンクール開催記念特別プログラム」を踊った。1989年のローザンヌ国
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
生まれて死ぬ。根源的な営みのダンス踊りの原初的な衝動や身体と結びつくような黒田育世振付による作品創造を中心に、2002年「旧バニョレ国際振付賞」横浜プラットフォームでの《ナショナル協議員賞》受賞をきっかけに活動を本格化したカンパニー。2017年初演『THE RELIGION OF BIRDS』は、チベットに伝えられる経典「鳥の仏教」をベースとしている。食べる、生きる、死ぬ……鳥たちによる祈りと魂の
アクトと舞踊を癒合させ独自の世界観をもった舞踊作品。出ない蛇口に集まった3人のそれぞれの人生が交差し、死生感を問う。消えない欲望、欲望をかくしながらの葛藤、時間が経過する老いへの恐怖。人間は水がなくては生きていけない。人間の生命の宿命をもち、身体の中へ流れていく水は、命を吹き込み、優しさや愛を生む。戦いは水をも止めてしまい、自然を破壊する。人間の欲望が自然より傲慢ではならない。生きるへーると平和の
風に色があるか否かは知らないがうつろう風のなかには、確かにそれぞれの景色が棲んでいる。風の景色を見た時から人は踊りを知る。しあわせなことに景色を見たのが、少年の頃であれば、少年は必ずダンサーになる。だが不幸なことに、知らなければ何事もなく終わってしまったであろう人生のなかばで風の景色を知ってしまった人は哀しい。
舞踊公演
歴史的な文脈を踏まえつつ、斬新な切り口で歌舞伎作品を現代化してみせる木ノ下歌舞伎。本作『娘道成寺』は、2008年に『三番叟/娘道成寺』の二本立てで初演し、2012年に30分に短縮した長唄音源を用いて初上演。その後、2017年には長唄の録音音源をほぼ全曲使用した60分のフルヴァージョンとして再創作し、再演を重ねるたびに進化してきました。演出・振付・出演は、きたまり。長唄を基に、背景や心情から、演目そ
Noism初、映像のための舞踊作品。2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、世界中を取り巻く環境は大きく変化した。“公演の記録映像の配信”ではなく、この社会状況下だからこそ生まれる“映像で観ることを前提とした舞踊作品”として金森穣が創作したNoism初の「映像舞踊」。Filmyで現在有料配信中。
平成25年度沖縄県伝統芸能公演 組踊が2倍楽しくなる鑑賞教室
プログラム・組踊抜粋舞踊「女特牛節」 踊り手:山城 亜矢乃・組踊抜粋舞踊「高平良万歳」 踊り手:伊佐 幸子、与那嶺 綾子・ダイジェスト:組踊「二童敵討」を楽しむために 解説:知花 小百合・組踊「二童敵討」〈あらすじ〉阿麻和利(あまおへ)は、天下を取るため邪魔者であった護佐丸(ぐさまる)を首里王府へ嘘偽りを告げ、攻め滅ぼします。残された護佐丸の息子・鶴松(ちるまち)と亀千代(かじみゅう)は、父の敵で
(フライヤーより)演劇・舞踊・音楽・美術・写真などの新しい作品創りをめざす若者がジャンルをこえてコラボレーションを試みるために集まりました。かつてベルギーのムードラで活躍し、現在ダンサーとして国内の各バレエ団やダンスカンパニーで活躍している鬼才・中村しんじがエディット・ピアフの〈愛と死〉をモチーフに作品創りをはじめました。一人のバレリーナを通して浮かびあがってくるわれわれにとってのピアフとは? 小
ストラヴィンスキーの「春の祭典」やラヴェルの「ボレロ」など、数々の名曲に挑み独特の音楽世界をダンス作品として発表してきた平山素子が、劇作家シェイクスピアが残した言葉や劇世界をモチーフに、初めて本格的な演劇的ダンス作品として2015年に発表した『POISON~シェイクスピアを喰らう~』から4年。俳優の河内大和ら初演メンバーに加え、ダンス集団TABATHAの四戸由香、Noism退団後初舞台となる中川賢
北村明子はアジア各地を深くリサーチする「Cross Transit project」を展開してきたが、本作は「日本とアイルランド〜中央アジアへと発展していく長期国際共同制作」である。北村を含めた7人のダンサーの動きは、高度な制動と繊細な表現、そして刃物のような鋭利さに満ちている。人が営む生活の身振りにはその土地の文化が織り込まれているが、それらをダンスに取り込むことで観客の記憶に働きかけてくるよ
「FLAMENCO GALA TOKYO 2022」は、1927年竣工の歴史的建造物であるスパニッシュ様式の洋館・小笠原伯爵邸を舞台に開催されたフラメンコ公演イベント。日本フラメンコ協会が、コロナ禍の文化支援事業「AFF2!(Arts for the Future 2)」を活用して主催した。来場者は邸宅内を巡りながら、パティオでの群舞やラウンジでの演奏、ダイニングをタブラオに見立てたステージを体験
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岸田理生アバンギャルドフェスティバル リオフェス2024
寺山修司作「身毒丸」を岸田理生が台本を脚色、改定し、1995年、蜷川幸雄が演出、武田真治、白石加代子の主演で初演が公演、日本のみならず、ロンドン、バービカン劇場で大絶賛を得て、藤原竜也を天才新人と言わしめた。そんな「身毒丸」が令和の時代に「野外劇 身毒丸R」として復活。うだるような真夏の夜、月と星の灯りの元に夏風さやり、虚構と現実が蕩け合う。時代を廻り、世界の果てを越え、母子の物語は、何処へ辿り着
本シリーズであえて“実験”の二文字を掲げるのは、この実験が作者である私自身にとっての実験であるからに他ならない。音楽や物語など、私にとっては外部の既存のものから得る刺激によって創作するのではなく、まずは空間及び動きの法則を仮定し、そこから何が生みだされるのかを創作過程において研究/記録すること。その科学的アプローチこそが本創作(実験)の趣旨である。(金森穣)
身体の中は小宇宙であるとよく言う。 エネルギー体である 私、あなた、社会、自 然、宇宙、 電子エネルギーにより、 それぞれが細かく振動する事 によって共鳴し合って世界の バランスを保っている。 そういった物理学の観点からモーション (動き)とエモーション(感情)、そしてそれ が世界にまで共鳴して 行くことを提示し た作品。かつて生きていた人、生活。肉 体は滅びても エネルギー体は滅びずにこ の地球
Noism0+Noism1 ディアギレフ生誕150周年
「東西文化の融合」を20年来のテーマとしている金森穣が、オペラ『蝶々夫人』に影響を与えたともいえるピエール・ロティの小説『お菊さん』をもとに新たに台本を書き起こした上で振付。ストラヴィンスキーの「結婚」で踊る舞踊家たちは全員人形として描かれ、ロティが描写(蔑視)する日本人を隠喩している。Noism×鼓童「鬼」と同時上演され、本作品も「鬼」をテーマとしている。
DaBYアソシエイトコレオグラファーの鈴木竜が、他ジャンルのアーティストらと協働するコレクティブな手法で創作した作品を発表した「鈴木竜トリプルビル」で上演された3作品のうちのひとつ。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年12月に愛知県芸術劇場にて初演)4名のダンスアーティストらがそれぞれの振付を繰り返し入れ替えて踊る本作。「振り付ける」という非対称的な行為を
石井みどりの初期の作品に「ひめゆりの塔」があるが、時を経て直接的な表現から抽象的な表現に昇華させた作品が「魂魄」。フォーレのレクイエムを使用した鎮魂の舞で、戦争の悲惨さを憂い、また人々を踊りや音楽で癒したい気持ちが強く表れた作品である。
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
(フライヤーより)トンガリぼうしの魔法つかい、プリンさんのもとに、アメリカのチャックとサリーからSOS⁉「お願い、すぐにアメリカに来て!」二人の住む町で、凶悪な銀行強盗ビリー・ザ・キャットがあばれまわっているのだ。チャックは「拳銃を持たせればアメリカで一番」と評判のブルドッグ・ホリディに弟子入り。ビリーと決闘だ!場所は、町はずれのサボテン牧場。はたしてチャックはビリーに勝てるだろうか。心配するパパ
(フライヤーより)交流からパートナーシップへ 日韓共同で企画・制作し、韓日交互に開催するダンス同時代の感性は日本も韓国もみんな違ってみんな面白い
東京芸術祭2022 芸劇オータムセレクション
現代社会におけるコミュニケーションの諸問題を独自の手法で描き出す劇作家・山本卓卓のテキストと、老若男女から電車や犬に至るまで25役を巧みに踊り演じ分けるダンサー・北尾亘の身体がコラボレート。国内外を旅して再演を続ける、演劇×ダンスの異色傑作。
(フライヤーより)1992年にはじまった〈日韓ダンスフェスティバル〉は韓日の共通点と差異をともに受け止め、同時代に生きる若い芸術家の課題や問題点を切り開いてきた歴史があります。もちろん道のりはまだまだ続きます。この遥かな道のりに新たな風を起こし、国は違えど相通ずる個々の内なる姿を鮮明にし、21世紀のダンスの現場を構築していきたい…。そんな思いで、一時中断されていた〈日韓ダンスフェスティバル〉の名称
(フライヤーより)ダンスシーンも、衣替え!show-case「だんすにGONE」は、あなたの抱いていたイメージをガラリと衣替え!今をトキメク4人の第三世代が、ダンス本来のダイナミズムをそれぞれのエナジーで、それぞれのまったく新しい感覚で発信。さあ、今、あなたの目の前に真新しい鮮烈な輝きが!!
ーやわらかい月が地球に接近しありとあらゆる硬質な突起を発生させ地球がその本質をあらわにしたころの記憶を人類はほんとうに喪失してしまったのだろうか。
本作は、芥川龍之介の短編小説「桃太郎」(1924年発表)を基に、伝統舞踊の視点からこの物語を舞台空間作品として再解釈する試みです。鬼たちが持っていた架空の伝統舞踊を創作し、舞踊の継承と断絶を可視化することで、文化や身体表現の在り方を問いかけます。
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
夕日を浴びて畑から馬車に乗って帰宅する少女たち、威勢よく滑走するたくましい少女たちの姿に感動とインスピレーションを受けた作品。1961年にユバ農場に入植した小原明子が弓場農場で創作した最初の踊り。
(フライヤーより)異文化の対峙と交流!日本人作曲家がシャーマニズムを主題に作曲し、フランス人たちが舞台化するサウンドスケープ。
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
明治ニ十六年に、九世市川團十郎により初演された歌舞伎舞踊。大奥のお鏡曳きの余興に、小姓弥生が手獅子を持って踊るうち、獅子の精が乗移り、獅子の狂いになるさまを描きます。前半では、石橋の物語を中心に、川崎音頭、飛騨踊、二枚扇の踊りを経て、手に持った獅子頭に引かれての花道の引っ込みなど、後半では胡蝶の精をあしらって長い毛を振る豪快な「狂い」「髪洗い」などが見どころとなっています。
華麗な音楽・唱え・舞踊の斬新な組み合わせによる歌舞劇「組踊」は、300年ほど前、清の冊封使を迎える饗宴のために、琉球王国の役人・踊奉行(芸能の最高責任者)であった玉城朝薫によって生み出されました。この「組踊」の誕生秘話を、沖縄初の芥川賞作家 大城立裕の「花の碑」を原作とした沖縄言葉による朗読劇に仕立てました。今なお大切に上演されている〈朝薫の五番〉の中から、組踊「執心鐘入」「二童敵射」と合わせてお
(フライヤーより)現代の社会に生きる私たちは、様々な技術の発展により、世界中で情報を瞬時に共有することができる豊かさを享受しています。しかし、その一方で、技術を持つ者と持たない者の間に格差が生じ、その格差は、民族や国家、人権や性、富める者と貧しき者の間に、争いをも生み出しています。ダンスも例外ではありません。ここ20~30年間で、世界中がダンスを共有し、その境界はたやすく超えられたかに見えますが、
沈黙に満ちた静寂の中、一組の男女が踊っている。身体を伸縮させ、空間を変容させながら、沈黙の対話を続けている。沈黙に満ちた静寂の中、音楽が生まれる。空間を明滅させ、身体を変容させながら、沈黙を奏で始める。沈黙と沈黙の拮抗。その間に生まれる第3の沈黙。再び訪れた静寂の中、一組の男女が踊っている。そこにある静寂は、かつてのそれとは異なる沈黙に満ちている。(金森穣)