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昭和のはじめ、食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸は荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。重労働と粗悪な飯で身体を悪くした漁夫や雑夫が、何人も北の海で死んでいく。「このままでは殺される」遂に自分たちの力でストライキを起こし“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、彼らは立ち上がった。もう一度。
民主主義の理想に燃えた戦後。日本国憲法が生まれたその時代を伯爵家のクリスマスを舞台に描いた斎藤憐の傑作戯曲。オリジナル台本をもとに、丹野郁弓による新演出、客演の岡本健一をはじめスタッフ・キャストを一新しての上演。2018年三越劇場版の全国巡演。
長野県飯山小学校の教師瀬川丑松は誰にも言えない秘密があった。出自のことだ。常々父から身分を隠すことを訓戒とされていた。親友の土屋銀之助や生徒たちにも勿論黙っていた。しかし人権家猪子蓮太郎の著書に感化され、人生の葛藤を抱え深く悩むようになった。いっぽう丑松や銀之助のことが目障りだった校長は、新任の勝野文平を味方に引き入れ丑松たちを放りだす口実を探す。そんな時に丑松へ父親が亡くなった報せが届く。また敬
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
20年ほど前、雪山にUMAが出るという噂で、一躍有名になった尾白温泉町。その地で土産屋を営む阿波野家の次男正雄がスカウトされた。しれは禁煙、不幸続きだた阿波野家と町にとって明るいニュースとなるのか?15年前のあの日、なぜ町民はUMAを殺さなくてはならなかったのか?雪深い町で業深い人間たちが起こすとんでもない冬のお話。(喜劇です)
軍国少女であり、軍国の小学校教師であった自分への深い憤りと懺悔。「教育」への限りない理想と情熱を、北森竜太の青春に託して書き上げた三浦綾子の傑作長編小説「銃口」を舞台化。2007年まで全国巡演を続けるとともに、2005年には韓国国内14か所24回の巡演も行った。
結婚式前夜に繰り広げられるコメディープレイ花嫁とその友人である花嫁付添い人との女同士の友情とは、結婚とは?結婚式前夜花婿までまきこんでくりひろげられる結婚式前夜の大騒動。オーストラリアの作家の初作品
80歳になった元先生の元に、60歳になった元生徒がお金の相談にやって来た。元生徒は、理不尽な取り立てにあっている。元先生は、面倒を見ていた元生徒が銀行の支店長をしているので、相談に行くが無碍な態度をとられ、貸してもらえなかつた。怒った元先生は冗談のつもりで、銀行強盗に入ってやると啖呵を切ってしまった。まさか元先生と元生徒が、本当に銀行強盗をしようとは、その時、誰も思っていなかった。
独りでは寂しすぎる街に迷いこんだ、それはそれは、恋でした。
新劇100年 珠玉の一幕劇集
ひでりの夏。雨乞いの太鼓が絶え間なく鳴っている夜。田んぼの水を求めて、闇の中を跳梁する水泥棒たち。盗まれてはならじと寝ずの水番をする友作と末吉。甲斐性なしの末吉は、結婚相手のお民に愛想づかしをされて、婿入りするはずの家を追い出されてきたばかり。ところがやってきた水泥棒を捕えてみたら、あろうことか、泥棒はお民だった。
実在の人物である、文学者・医者のユダヤ系ポーランド人、ヤヌシュ・コルチャックの後半生を描く。第一次世界大戦後、ユダヤ系とポーランド系の孤児院を運営するコルチャック。その孤児院は、厳しい管理や強制ではなく、子ども達の自治を実践していた。子どもを一人の人間として尊重し、彼らの自治による世界を実現するという、革新的な彼の主張は、1989年に国連で制定された「子どもの権利条約」に生かされている。ナチスのユ
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ネコMAM-MA公演第三弾「紅葉と親父」高倉良文が手掛ける珠玉の短編集!ネコMAM-MAとは高倉良文が立ち上げたひとりぼっち演劇ユニット。主に短編作品を武器に1日だけのイベント主体で活動。公演はソーシャルディスタンスを大切に、劇場内消毒、空間除菌、スタッフはマスク手袋着用を義務付け。作品途中に場内換気も行います。
邦楽 華麗なる技
邦楽の「技」と通じてその楽しさを堪能するシリーズ。演じ手を彩り支える重要な役割を担うお囃子の多彩な音楽表現に迫ります。対談 藤舎呂船、小塩さとみ六世藤舎呂船構成囃子組曲「まつり」 笛 藤舎名生 囃子 藤舎呂雪、藤舎円秀、藤舎清之、藤舎呂英、望月太津之長唄「黒髪」 唄 今藤長一郎 三味線 今藤美治郎 笛 藤舎名生長唄「紀州道成寺」 唄 今藤長一郎、東音味見純、杵屋
『リビング』とは単純に「生きている」という意味です。「あるがままの」「現代の」「生活」という意味もあります。日本語だと「リビングルーム」の略語としても使う、かなり意味の広い言葉です。実現したいのは、私たち人間のちっぽけで不合理な存在のしかたを俯瞰できるような舞台です。《ハイパー・コラージュ》手法を駆使して今までにも増した新鮮な空間に出会いたいと考えています。(安田雅弘)
マスクプレイミュージカル
「ジョンとマイケルは木の葉に乗って!僕とウェンディは、ちょっと疲れるけど自分で飛んでいくのさ!さあ、ネバーランドへひとっ飛びだ!!」J.Mバリーの名作が、ファンタジックなマスクプレイミュージカルになりました。舞台機構を駆使した大がかりな演出が見物です。国内は勿論アジア各国でも大評判の作品で再演を重ねています。2003年11月から2004年12月までの間に、国内144日247ステージ、海外では台湾、
ー3万5,000回人間って、1日に最大それくらいの”決断”をするんだって。「いつの間にか」が増えてきたのはいつからだろう。それすらもいつの間にか、だったかもしれない。私は、今、それをやめます。
「何らかの社会的マイノリティーや、多数派から疎外される要因を抱えながらも、自己や他者を肯定し生きる人」を募っての公演。ソートン・ワイルダーの「わが町」を踏まえ、出演者の経験を織り交ぜたエピソードを積みあげ、日常の裏に潜む社会の冷酷さ、潜在的な差別意識、人間の生の儚さと弱さを、何気ない生活の断片から、日常の裏に潜む冷酷さを表出させた作品。
スコットランドの王位簒奪を目論むマクベスは、マクベス夫人と共にあらゆる裏切りや陰謀を企て国王ダンカンを暗殺し、王位に就くも、その猜疑心と暴政により自らの身の破滅を招くのだった。結城座では1982年の初演以来幾度も再演され、代表的なレパートリーの一つとなった作品。1986年のベオグラード国際演劇祭では特別賞を受賞 するなど、「結城座のみが演じ得るマクベス」として、海外でも高い評価を受けた。
THE STAGE ラッキードッグ1
2.5次元ミュージカル/舞台
結城座旗揚げ385周年記念公演の第三弾として、三代目両川船遊が40年来温めてきた 企画であるフランツ・カフカの名作「変身」を上演。脚本・演出には、劇団 温泉ドラゴン代表・演出家として、人間の本質に迫る骨太で重厚な舞台を創造する現代演劇の牽引者の一人シライケイタ氏を迎え、人形デザインには若手油絵画家の谷原菜子氏を起用しました。谷原氏の特異な表現はカフカ作品の不条理な世界と響き合います。
マスクプレイミュージカル
劇団創立30周年記念作品です。公募して選定された脚本を、約半年間、演出家を中心に社内でチームを組み、ブラッシュアップを重ねました。全編にマジック、ブラックアート、舞台機構を駆使した仕掛けを多用し、記念作品にふさわしいスケールの大きな作品になりました。海外公演でもマジカルな展開が、大きな評判を呼びました。ランプの出現シーン、魔法の絨毯が空高く飛んでいくシーンなど必見です。
THE STAGE ラッキードッグ1
2.5次元ミュージカル/舞台
THE STAGE ラッキードッグ1
2.5次元ミュージカル/舞台
木下順二・宇野重吉コンビによる民話劇の上演。木下順二作「おんにょろ盛衰記」「三年寝太郎」の2本立て公演として〈宇野重吉一座〉ののぼりを立てて全国の市町村を巡演。
瞽女(ごぜ)は、「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する日本の女性の盲人芸能者。近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である。1919年(大正八)年。高田市大瀧山天林寺では、瞽女たちの年に一度の祭りともいうべき妙音講が執り行われていた。儀式も終わり、瞽女たちが無礼講となっている中、境内の影に身
海と横丁の物語故郷の、海辺の町を舞台に、様々な人間模様や風景が描かれる。小池が故郷をモチーフに制作。日本という風土を強く意識させる。世界中の一流劇場で公演し続けてきた作品。演出家小池博史の原風景である、60年代の海辺の町をモチーフとした作品。 「船」とはその町と外の世界を結ぶもの、外の世界への出口でもある。ノスタル ジーに満ちた海辺の町の光景を詩情を湛えて描きつつ、人間の内にある素朴 で満たされな
五歳の時に母親と生き別れ、父親を失い天涯孤独の身でやくざ者となった番場の忠太郎。江戸まで来て、柳橋の料亭で女将をしている女性が自分の母親・おはまだと知る。しかし突然現れた忠太郎におはまは、どうせ金目当てのヤクザな渡世人としか取り合わず、息子は死んだと必死にすがりつく忠太郎を無常に突き放した。忠太郎は落胆して去る。目を閉じれば優しい母親の姿が瞼に浮かぶ…。
ある漁村にふらりとやって来た女アミコは異常なほどの蟹が好きだった。身寄りのないアミコを家に置いてやる漁師の男ゲソン。女を追ってアヤしい男がやって来て事態は混乱する。やがて、アミコはカニを食べ過ぎてついに蟹アレルギーになってしまう。もう蟹が食べられないと悲しむアミコ。そんな頃、漁師たちは数々の漁師の命を奪った伝説の13本脚の蟹との闘いに挑むのだった。
昭和15年、朝鮮・水原(スウォン)郡。日本政府による「創氏改名」の任にあたる日本人青年と、親日家でありながら改名を拒んでいる地主。その家に700年に渡り伝えられる、一族の系譜がつづられた「族譜」に圧倒されながらも説得を重ねるが、やがて地主の周辺で日本政府による圧力がかかり始める…。朝鮮半島における「創氏改名」政策の真実を描いた原作を舞台化。国家と文化のありようを問う。
1985年8月に起きた日本航空機の墜落事故を特異な発想と批判的な笑いで描きながら、深い鎮魂の思いを込めた作品。初演は1986年。家族が夢中になって見入るテレビから、インタビューから逃れて事故の生存者であるCAが飛び出してくる場面を皮切りに、日航がコマーシャル界に復帰する撮影現場など、虚実の間をぬう奇想なドラマが展開。やがて現代の表層的な戯画である茶の間の光景が、事故で失われた人々のかけがえのない生
滑川五郎ダンスアートリサイタル。滑川五郎は、観客も舞台装置として組み込むなど、印象的な場づくりをした。このソロ公演では、観客は入場時に「てつびこ」(鉄響)と名付けられた数センチの鉄棒を渡され、舞台の中盤でそれを一斉に鳴らす。舞台床全体には鉄板が敷かれ、ノイズをあげて回る大きな電動コマや吊るされた銀色のバネや鉄板など、さまざまな舞台装置と滑川の身体との交感と共振が繰り広げられた。チラシには次のように
昭和のはじめ、食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸は荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。重労働と粗悪な飯で身体を悪くした漁夫や雑夫が、何人も北の海で死んでいく。「このままでは殺される」遂に自分たちの力でストライキを起こし“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、彼らは立ち上がった。もう一度。
(フライヤーより抜粋)何ということはない、日常生活のすきまから、ちょっとだけ顔をだしているおもろくて、やがて哀しき出来事達。そんな、誰もが持っている些細な出来事達を、紡いで、紡いで、少~しだけお見せします。子供部屋に生まれ、育ち、いろいろあってやがて最後に見るものは…。
1986年に起きた大島三原山の噴火に触発されて描かれた、人類の暴挙から生まれた怪獣「ゴジラ」が、人間の可憐な少女に恋をするという育奇想天外な恋物語。怪獣「ゴジラ」を等身大の俳優が演じ、観客との共同幻想で、舞台に巨大な「ゴジラ」を登場させた。大島元町に住む一之瀬家では、長女やよいからの「会ってもらいたいひとがいる」という電話に、上へ下への大騒ぎ。しかしそこに現れたのは「ゴジラ」だった。家族は猛反対、
Wキャスト(大原櫻子、村井良大、桜井玲香、小野塚勇人、澤田杏菜、鞆琉那)
太平洋戦争下の広島県呉市に生きる人々の物語を通し、慎ましくも美しい人々の営みを繊細に描き出した、こうの史代によるコミック「この世界の片隅に」を、アンジェラ・アキの音楽によって初のミュージカル化。絵を描くことが大好きな主人公・浦野すずの視点によって、幼少期から結婚、そして幾多の苦難を乗り越えて自分の居場所を見つけていくまでの物語。
ヴェニスの軍人であり、ムーア人のオセロー。彼は美しいデズデモウナと愛し合い、彼女の父親の反対を押し切る形で、半ば駆け落ちのように結婚する。オセローを嫌う部下のイアーゴーは、自分を差し置いて昇進した同輩のキャシオーを妬んでいた。そこで、イアーゴーはキャシオーがデズデモウナと密通しているという嘘をオセローに告げる。イアーゴーの巧妙な話術により、オセローは真実と嘘、信頼と疑念の間で揺れ動いていく。
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
ゾンビ音楽でつづる死への行進。オペラの新領域がここに拓かれる! 死神に先導され、恐怖に踊りつつ死に赴く人々の列を描いた「死の舞踏」。死の普遍性を伝えるものとして、中世ヨーロッパ以来、さまざまな芸術作品、文学に引用されてきたイメージを、現代のアーティストによる「オペラ」として上演する試みがここに始まった。 クリエーションの起点となるのは、コンピューター制御された指がリコーダーやクラリネットなどの楽器
リサーチで得た土地の記憶、18年間過ごしてきた自身の体感からなる地元の風景を交えながらも、藤田が日々過ごす中で見聞きする些細な出来事、自身を含む同世代がそこに感じるであろう感情や違和感、等身大の視点から見える日常のリアルを切り取り、「equal」とは全く別の切り口で新たな作品を発表しました。
舞台「D.C.Ⅲ ~ダ・カーポⅢ~」
2.5次元ミュージカル/舞台
【Note】大阪を皮切りに、全国各地を巡演。プラスチックやメタルで出来た植物林、虫たち。 無人の廃墟の街で金属サーカスをする機械たち。 虹のイメージから、一瞬や永遠だけを抽出したイメージの連鎖。
マスクプレイミュージカル
日本昔話「桃太郎」がマスクプレイミュージカルに! 桃から生まれた桃太郎は、強くて優しくて、不思議な力を持った子どもでした。村では何度も鬼が襲ってきて、財産も食べ物も盗んでいくため、村の人は皆困り果てていました。「鬼退治に行く!」桃太郎は鬼ヶ島に向かう途中、犬、猿、きじと出会い仲間になります。諍いが絶えず、すれ違ったままの4人組でしたが、巨大な鬼王との戦いの中で、仲間を思いやる気持ちが芽生え、やがて
戦後間もない昭和20年代後半を舞台に、癖のある魅力的な登場人物と、民俗学や倫理学、妖怪など様々な分野の薀蓄(うんちく)がぎっしりと詰め込まれた不思議な世界観で多くのファンを獲得している京極夏彦の大人気小説「百鬼夜行シリーズ」。その中でも最高傑作の呼び声が高い『魍魎の匣』を舞台化!
-パントマイム たちざわー 初単独公演 『わー』 わーっと笑って わーっと驚いて わーっと喜んでくれるような新しい形のパントマイム!
佐賀県唐津市の郊外で先祖代々の土地を守り続けてきた専業農家。息子はアメリカに留学し、佐賀の農業大学で講師を務めながら農山漁村と都会の交流をめざす新しい観光業に燃えている。そんな折、農業高校からホームステイで受け入れた高校生はコンビニ依存で…。クローン牛に遺伝子組み換え、ダイオキシンに環境ホルモン。農業を取り巻く環境が大きく変わる中、食の安全を求めて「身土不二」の教えが再び浮かび上がる…。
1958年、大阪砲兵工廠跡地。大阪城が見下ろすこの場所に、その「廃墟」は存在した。かつて、アジア最大ともいわれた兵器工場は終戦間際、大規模な空襲を受けて、見渡す限り巨大なコンクリートと鉄骨の、瓦礫の山と化していた。そしてこの「廃墟」に夜な夜な侵入し、鉄くずを掘り起こし、それを売って生活の糧とする朝鮮人集団がいた。通称「アパッチ族」―しかし鉄屑は国有財産。ついに警察が取り締まりを始める。漆黒の闇の廃
ニッポン・イデオロギー
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
物語は、一九九七年に風船で海外渡航を決行し行方不明になった「風船おじさん」が題材。芝居はこの夢物語のような出来事を現実の犯罪をモチーフに数々の話題作を創ってきた山崎哲が、現代社会や今日の家庭の問題と絡めながらあぶり出してゆくもので、個性的で巧みな演技力を持つ蟹江がどう演じるか興味深い。
20世紀を代表する画家サルバドール・ダリとその妻ガラの生涯を描いたOFFICE SHIKA PRODUCE「ダリとガラ」。劇団鹿殺しの丸尾丸一郎が脚本と演出を手掛け、前時代の常識を破壊するような斬新なアートを体現し続けたダリの衝動と、生涯を通して彼のミューズであったガラの生き様を多彩なキャストで描いていく。
1964年(昭和39年)8月12日。津軽海峡で一隻の最新鋭船が産声を上げた。青函連絡船・津軽丸Ⅱ型の2号船、八甲田丸である。姉の津軽丸と妹の松前丸、大雪丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸と共に「海峡の女王」として華々しく任務に就いた八甲田丸。しかし、栄光は長く続かない。国鉄の慢性的な赤字により、経営は悪化。そして1988年(昭和63年)3月13日の青函トンネルの開通により、青函連絡船そのものが全廃されて
江戸音楽の巨匠たち~その人生と名曲
今日の私たちに伝えられてきている「江戸音楽」を、その時代にあって創り、育んだ巨匠たちに焦点を当てたシリーズ。第7回は暗殺された奇才 清元成立の背景 初世清元延寿太夫対談 竹内道敬、渡辺保「柏の若葉(寿祝柏若葉)」 浄瑠璃 清元若葉、清元延勇輝、清元延栄一 三味線 清元延秀佳、清元延八寿美 上調子 清元延栄勇美「保名(深山桜及兼樹振)」 浄瑠璃 清元清寿太夫、清元志寿子太夫、清元清美
饗宴 茜さすセカイでキミと詠う
2.5次元ミュージカル/舞台
(フライヤーより)かつて"人情"とか"思いやり"とか呼ばれたものが、日いち日失われつつある、と言われます。毎日のように、テレビやラジオにあふれる「笑い」も刺激ばかりがエスカレートして、心は少しもなごまない…。さあ、この春は、青山劇場へ。家族みんなで一緒に笑える、あの楽しさをおとどけします。「浪花の喜劇王」藤山寛美ひきいる松竹新喜劇が、青山通りに初お目通り。間もなく劇団創立40年。変わることなく人び
マスクプレイミュージカル
奇想天外なストーリーで冒険好きの子供達を夢中にさせた、L.F.バウム原作の名作童話をマスクプレイミュージカルに!ないものねだりの、かかし、ブリキ、ライオンが欲しかったものは、実はみんな最初から持っていたことに気づきます。そして主人公ドロシーの一番大切なものも、実は自分の足下に輝いていました!それぞれの成長を描いた、感動の冒険ファンタジー作品です。
日本の近代戯曲の父とも言われる岸田國士(きしだくにお)が、1925年に文藝春秋に発表した短編戯曲。ユニークポイント版は舞台を病室に移し、夫が過去を振り返るスタイルで上演した。
超歌劇『幕末Rock』
2.5次元ミュージカル/舞台
1879年琉球処分直後の若夏。国頭間切安波村から与那原へ薪を運ぶ山原船の上では、船頭が出向前の準備をしながら、海を眺めている。昨日までは嵐であったが、今日は穏やかである。その船に、那覇の辻遊郭に売られていく幼い娘カマドとアンマーが乗り込んでくる。アンマーはカマドを慰め、励まし、船頭にハーリー歌を歌うようたのむ。そのうちに、海に浮かんでいる遭難者に気づき、救助する。遭難者は昨日の嵐で遭難した阿佐地と
マスクプレイミュージカル
ある日のこと、白雪姫は旅姿の青年(王子)と出会い、2人に愛が芽生えました。しかし「この世で一番美しいのは白雪姫」と鏡の言った言葉に、女王は怒り白雪姫の命を奪おうとします。森の奥深くへ逃げた白雪姫は、洞窟で7人のこびと達に出会います。この世を恐れ憎んでいたこびと達でしたが、白雪姫の明るさと優しさに心を開き、楽しい幸せな共同生活が始まりました。しかし、女王の魔の手が再び迫ってきます・・・
井上ひさしが『小林一茶』に続き“俳諧師”を題材に描いた今作は、40年にわたるこの芭蕉の俳人としての人生を、一人語りを中心に富士三十六景になぞらえて全三十六景で描きます。ほぼ一人芝居とは云え、めまぐるしい舞台転換、様々な景を支える黒子とも、芭蕉は絶妙な会話を重ね、その人生を彩り豊かにあぶりだします。苦悩する芭蕉がやがて到達した視点を描くだけではなく、人生の豊かさやその可能性の大きさを伝えています。