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青森県は六戸町犬落瀬村(ろくのへまち、いぬおとせむら)。あるタバコ農家の収穫と選別の一日。震災や昨今の嫌煙ブームの影響でタバコの売り上げは激減。このままでは離農を余儀なくされた数軒が、苦渋の選択の末、生活の為に手をだしたのは・・・長く続けてきたタバコ栽培のノウハウを活かし、愛する家族のため、農家としての誇りのため、可愛い孫のために大金を稼ぐ!
罪を犯した女の一生を辿る、滑稽ながら切ない怪作。現在活動休止中のガレキの太鼓が、「女だらけの人間賛歌」と銘打って行った。旗揚げ2年目で、口コミサイト全国4位に躍進した代表作の、再演。アゴラ劇場の前を、キャンセル待ちが長い列を作った。肩を震わせ泣いたあの子の、人生の物語ひざまずいて許しを乞えば、どこから始められるだろう私が何かをやったとて、誰に関係なんぞあるあなたが何かをやったとて、私の目には入らな
全世界の登録数は700万人超の紹介制ネットカジノ「K2」を匿名で運営する美菜。「K2」内で最も人気を誇るオンライン型育成カジノゲーム『earth』は、ユーザー間で「アス」「けつあな」と呼ばれ親しまれ、『流せ、すべてのセンス。』というキャッチコピーには宗教家である美菜の思想が反映されており、ゲーム内にユーザー独自の地球を作り、歴史も価値観も生き方もすべて自由に変えられる星育成システムで話題を呼んだ。
あらすじ いつか王子さまが……。銀行員の女のもとに中東の国の王子の花嫁を探しているという男が現れた。はたして、彼が話す国や王子は実在するのか……詐欺事件は、うさぎ庵流の迷宮へ。渡辺源四郎商店の俳優、工藤由佳子、工藤静香のために、うさぎ庵工藤千夏が作・演出。渡辺源四郎商店工藤支店というユニット名で発表された。
1908年(明治41年)、日本鉄道がスコットランドに発注した比羅夫丸と田村丸が青函航路に就航。日本に初めて導入される最新鋭のタービン船である。日露戦争に勝った日本は世界の一等国の仲間入り。近代化はどんどん進んでゆく。比羅夫丸と田村丸は日本の物流を支える主役として脚光を浴び続けるが、その栄光は長く続かない。本作は運輸史、船舶史の観点で捉え直す明治、大正、昭和である。
2016 年日本社会に衝撃を与えた知的障害者を狙った大量殺人事件から作者が感じたことを出発に創作された。優生思想、老い、をテーマに現代社会の価値基準を問う批評性を持った作品。タイトルの「妖精」は「みえないもの」の隠喩。社会のなかでみえないようにされているものついての問題集である。一部は落語、二部は音楽、三部はセミナー、とそれぞれ異なったスタイルの三部から構成され、主に一人の俳優によって演じられる。
ある日、次女が帰ると家中が何者かによって荒らされている。簡単に考えれば空き巣だが、現金など金目のものに手をつけられていないことが、なおのこと何が目的で行われたことなのか、不安を増大させる。
ある汚いシェアハウスに、日本人と中国人とベトナム人が住んでいました。皆は貧乏ながらに割と楽しく暮らしていましたが、ひとりひとり、悩みを持っていました。ある日、技能実習生のベトナム人が、一通の手紙を残して失踪してしまいました。そこには、ギリ判別できる文字で「ごめんなさい」と書いてありました。2020年、日本の夏の話。
(フライヤーより)ユニークな演劇理論と演劇様式で大きな注目を浴びている青年団。舞台に繰り広げられるのは、一見とりとめのない日常のお喋り。が、いつの間にか緻密でユーモラスな”劇的”世界の迷宮に引きずり込まれます。「新しい言文一致」に基づく「新しい現代口語ドラマ」を提唱する同劇団、『暗愚小傳』ではこの方法のもと、高村光太郎、智恵子の1910年代から40年代まで四つの時代の日常シーンを描きながら、詩人が
太郎「ピリッとしたもんが食べたいな」次郎「カレーなんてどうでしょう」太郎「なんやそれ」時代は1905年夏。場所は大阪近郊、吹田村にある庄屋屋敷「浜家」の玄関。浜家の家族や奉公人を中心に、屋敷に出入りする村人や、各地を回る薬屋などの姿を活写する。その背景には日露戦争を機に国民国家へ変貌する日本の姿があった――
とある美容室。雑談ばかりで一向に髪を切ろうとしない美容師と髪を切ってもらいたい客の押し問答や、ある高層マンションの地下室に住む血の繋がらない移民たちの他愛無い会話。そこから覗き始めるのは力や暴力に踏みにじられてきた人々の姿。その人々が生きようともがく姿。力によって傷ついた存在が、別の力を持って報復する愚かしさを描き、非戦だけでなく、過激化するSNS上の言葉の応酬に一石を投じることを試みた。ほろびて
山道を走る、ピンク色の車。その車には若い夫婦が乗っていた。ワガママな妻と“いないもの”とされている夫。彼らはヒッチハイクをしていた一人の女を興味本位で車に乗せる。そして意気投合した女と妻は、あたらしい生活を始めるための旅に出るが、二人の旅先には“いないはず”の夫がいた。
烏丸ストロークロック×五色劇場
広島原爆投下、復興と分断、今なお、連帯を乞うて広島原爆投下、広島の観光名所の一つ「平和記念公園」。その緑豊かな公園は昔、「中島地区」と呼ばれる賑やかな繁華街だった。そこで栗原チエ子は生まれ育った。二〇一六年、初夏の平和記念公園。無数の木々の生い茂る広大な公園を、チエ子は介護者と共に歩く。脳裏に浮かび上がる、かつて存在した中島地区と人々は、やがてチエ子の眼前に現れる。「うちゃあ何も見えとらんかった」
202×年、ヨーロッパの大戦で死亡した天才科学者の脳だけが生きのこる。その脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話。
小学生の頃、いじめられていた女が見違えるように綺麗になって同窓会の二次会に現れた。しかし、そこには見知らぬ女がおり、自分もクラスメイトだと言って同窓会に参加する。そして彼女は誰も触れたがらない、それぞれの過去について話し始めた。
その川には、龍の女が住むという。舞台は在りし日の東京。川や土と共に暮らす日々のあった頃。氷屋を営み、その財と力で名を馳せたある男と、その一族の物語。その年の氷の味は、初雪の色と龍の機嫌で決るらしい。川面を清める桜を待って、冬の星座が雪を降らす。梳いた黒髪、銀の帯、結んだ小指のその先に。「雪の白さに惑わされてはなりません。冷たく見えても、その下には、抗えないほど赤い血潮が隠れているのでございます。」
閉じていること。だからスペースが生まれる。開かれる。ドラマはそこから生まれる。これは作品の作り方の話でもある。といっても、いつもそういう作り方をしているのだけど。今回が特別なのではない。しかし、今回はあえて、閉じている、という事を強調しておく。僕たち自身も閉じていた。そこに意味があったのだと思う。これからは変わってもいいかもしれない。開かれたカンパニー?ダンス?に。ハードコアダンスってとっつきづら
人は何によってできているのだろう。自分ではない「誰か」として、ぼろぼろ忘れながら、忘れ物を毎日しているような気分で生きている気もする。他者の知覚を追体験することはできるのか。「痕跡」「傷」について、顔を巡る旅をします。映像撮影に小宮山菜子さんを迎えての無観客配信作品です。
日本の某国立大学の生物学実験室。遺伝子操作の技術が急速に進む中、猿を人間へと進化させる「ネアンデルタール作戦」はより進展し、作戦をいよいよ実行へと移そうと全国から猿の専門家たちが続々とこの研究室にやってくる。遺伝や進化などの最先端技術の話題から、自分たちの恋愛や結婚といった日常にまで飛び交う雑談。日本が世界に誇る「猿学」から、独自の人間論、日本人論が展開していく。
近未来の架空の戦時下、南方の島に囚われた日本人兵士たち。舞台上では、時代も、敵も、特定されてはいない。戦争はいつ終わるとも知れず、捕虜たちは、日本に帰国する希望も持てない。祖国は荒廃し、帰国しても、そこに幸せが待っているとは、到底考えられない。一方、南の島での生活は、何不自由なく、時間はゆっくりと、怠惰に過ぎていく。何もすることのない、生き続けることに何の目的も見いだせない捕虜たちの、おそろしいほ
私たちは、家族だった。結婚式場の控え室。新婦の女はウェディングドレスに身を包み、煙草に火をつける。彼女の視線の先には、初老の男たち二人。夫婦のようにも見える彼らのやり取りを“娘”である女は慣れた様子で眺めていた。“父”の一人である男の走馬灯として語られる、奇妙な家族のありふれた物語。
長野県のとある村にある公民館。近隣との合併により村が二つに分かれるという問題を抱えながらも、毎年恒例のお祭りの準備をする若妻会の女たち。御神輿の飾りを作ったり、男性が舞を舞うための男性器を模した木の棒に赤い絵具を塗り直しながら、女たちの戦いは静かに始まる。認知症の親を抱えた妻、シングルマザーとして子を生む女、その子の父親が自分の夫ではないかと疑う妻、彼女たちは激しい言葉を用いて相手を攻撃する。村が
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
高校の同級生カナコの突然の事故死から一ヶ月後、東京に住むわたしと地元高知に住むマナカの二人は須磨に住む高校の同級生、藤くんに会いに行くことになる。旅の途中、ヒッチハイクをしていた松田さんとサービスエリアで出会うが。本作はムニ『カメラ・ラブズ・ミー!』(2022年、こまばアゴラ劇場)で上演された作品です。
高原のサナトリウムで静養する人、働く人、面会に訪れる人…。静かな日常のさりげない会話の中にも、死は確実に存在する。平田オリザが新たに見つめ直す「生と死」。1991年初演の名作を、青年団若手公演+こまばアゴラ演劇学校“無隣館”修了公演として9年ぶりに再演。
変人か、偉人か? 狂人か、天才か? 志願兵として前線にいたウィトゲンシュタインが、暗号混じりの 文章で日記帳に書きつけた『論理哲学論考』の草稿、そこから浮かび上がる、軍隊生活、死との戦い、「仕 事」への責務と欲求、愛、そして自殺の誘惑。かの有名な「語り得ぬことについて人は沈黙せねばならない」 という言葉の裏に隠されたウィトゲンシュタインの真意と祈りを、戦火の東部戦線という背景が炙り出す。
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■あらすじ太古より山に住む謎のいきもの・獸(ケモノ)。〈青い山〉と〈白い山〉の間を走る、大きな谷の集落に住む山のひとびとは、獸ととくに接することなく、しかし存在は常に感じながら、日々共に生活してきた。あるとき、獸ははじめて人を殺す。憤った集落の男たちは討伐に向かうが、皆返り討ちに遭う。生き残った数少ない者たちは獸を恐れ、集落を捨てて山を降りる中、猟師・シラスは鋭い目で森を睨みつけながら 山を登り続
いっしゅんのじかんをつかまえるだいじにふくろにとっておくはてさてごあんないこっちのじかんとあっちのじかんぶつけてみたらどうなるか?しりたいひとはいらっしゃいみてみたいならいらっしゃい
江戸川乱歩の児童文学の金字塔。変装を得意とする盗賊「怪人二十面相」と日本一の名探偵「明智小五郎」との、力と力、知恵と知恵が火花を散らす大闘争の物語。子供の頃、誰もがワクワクしながらページをめくったあの興奮はそのままに、肉薄すればするほど揺らぐ二十面相の「存在」をつまびらかにあぶり出す。作曲家の増田真結氏を迎え、「光と音」、「身体と音」で織り成す、全く新しい『怪人二十面相』。
岸田國士初期の名作「葉桜」をモチーフに、横山拓也が現代的な視点から母娘を描く「あたしら葉桜」を、二本同時上演。口語劇のパイオニアといえる岸田戯曲とiaku の関西弁口語を並べることで、その影響や系譜を確認し、エンタテインメントに昇華する。演出は、iaku で長く横山とコンビを組んできた上田一軒。キャストには第20 回(2017 年度)関西現代演劇俳優賞・女優賞の林英世と同・奨励賞の松原由希子の関西
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
あれから30年近くたっただろうか。未だに見えていないです。掴みかけては逃して、やり過ごして、疲れて寝る。寝るよ今日も。夢の見るよ。地獄のようなまぶしい夢を見るよ。沢山のさよらなに見守られながら、天国のような日々を鳴らす。また明日。
婚期をのがした三姉妹が「もうこうなったら身内しかいない」と親戚の男たちを自分たちの家に招く。長女に「若い女子との合コンがある」と誘われてやってきた男たちは、それが呼び出す口実で三姉妹しかいないことを知る。男たちが意気消沈する中、三姉妹も男たちも一緒に酒を飲み盛り上がる。そしてしばらくすると、男たちは眠ってしまう。実は、長女がその酒に睡眠薬を入れていたのだ。三姉妹も意識がもうろうとする中、「一緒に眠
谷崎潤一郎の『痴人の愛』を、男女逆転させペヤンヌマキ独自の視点で現代的に描くブス会版『痴人の愛』。仕事人間の40歳独身女性の“私”は美しい少年ナオミと出会い、「小鳥を飼うような心持」で同棲を始める。人見知りで垢抜けない少年だったナオミは次第にその美貌を利用して奔放な振る舞いを見せるようになり・・・。
何人かの不倫してる人に話を聞かせてもらって笑っちゃうくらい興味深かったので、それを集めて一人の女の人の話にします。女の人に限らず、倫理的なコトって、当たり前だけど誰もいないところでは、つまりいわゆる社会ってものが存在しない場面では全く意味がなくて、人生はそういう、ちゃんとした社会の中の時間と、ちゃんとしてない時間が交互にやってくるわけで、みんな、その狭間でウワーとなってるんじゃないかしら。
北海道空知地方、夕張。1980年代初頭。かつて良質な製鉄用コークスを産出し、高度経済成長を支えたこの地方の鉱山も、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていた。「石炭から石油へ」「炭鉱から観光へ」国策で推し進められてきたはずの産業は、急激な転換を迫られ、混迷し、国からも企業からも見放され衰退していく。それから約20年後、2000年代、財政破綻後の夕張。再建の道は絶望的とされ
小説家を志して、芸大に進学した千夏と、縫製工場で働く母・昭子。決して裕福ではないが、笑いの絶えない母娘の二人暮らし。その裏には、小さなわだかまりが横たわっているが、そこに触れないことが暗黙の了解となっている。あるとき、昭子の会社に中途採用でやってきた木村からの提案で、サーカスを観に行く約束が交わされた。ひょんなことから、千夏の幼馴染で、密かに思いを寄せる光輝と、昭子の同僚で、千夏が憧れる女性、透子
人は出会いの刹那を繰り返す。海で出会う子どもと老人、新宿バッティングセンターで出会う若者たち、海に住む夫婦。人々の姿が地層のように重なり、時にすれ違う。本作はムニ『カメラ・ラブズ・ミー!』(2022年、こまばアゴラ劇場)で上演された作品です。
その日、男はその地に向かっていた。あらゆる公共の交通機関が止まった。しかし、男はその地に行かなければならなかった・・・。
美大生時代に「天才じゃ天才じゃ」と言われた「佐藤」と、その友人のいたって凡人な「山田」。ある日、佐藤が忽然と姿を消す。「海外に修行に行った」「あまりの芸術性の高さに発狂した」などの憶測が飛び交い、時だけが過ぎた。そして2年後のある日、突如山田は佐藤に呼び出される。「会って、話したいことがある」受話器越しのかすれた声に、不安にかられる山田。約束の場所に着くとそこには変わり果てた佐藤の姿。逃げ出したく
(パンフレットより)「マームとジプシー的、真夜中の考察と、季節の移り変わりとは無関係に、移行していく真夜中のイメージ。で、朝は訪れるのか、どうか、っていう。」というわけで、今回は、真夜中、という時間にだけに取り組んだ、でもしかし、果たして、この真夜中に、朝は訪れるのか。今夜もまた、夜が明けないまま、朝を迎えることになるのだろうか。僕は、これからも、終わることのない真夜中、を、行くのだろうか。また、
火野葦平の戦前のベストセラー小説『麦と兵隊』をモチーフに、砂漠の中で行軍を続ける人々を描く不条理劇。2005年の初演以来、待望の再演。この行軍は、どこまで続くのか…そして彼らは、どこに行こうとしているのか…。
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を「聞く」ことからはじめようとする。
上でもなく、下でもない。野外のようでもあり、また室内。家族のようでもありまた他人同士でもあるような。コーヒーカップをテーブルに置くとそこは野外の芝生である。 ―じゅんじゅんじゅんじゅんを振付に迎えて製作。舞台美術に大阪のクリエイティヴ集団graf、音楽製作にdumb typeの山中透が全面協力した。モノクロームサーカスの身体を100%活かしつつも、新たな世界観へ導く意欲作
様々な女性の恋愛を描いたひとつの町で起こる3話オムニバス。■ものがたり(1)新製品の開発に励むおもちゃ会社の社員たち。遊び半分で匿名投函の目安箱を設けたところ、上司と部下のドロドロ不倫など同僚の裏の顔を告発する内容が多発する。(2)自宅マンションの隙き間に挟まった子供を助けたいが、ダンスパーティーにも行きたくてたまらない夫婦。遊び仲間の乱入は事態を悪化させていく。(3)芸能事務所と称して若者をスカ
組織は腐敗する、革命は堕落する。いかなる組織も、いかなる革命も。都市近郊の閑静な住宅街。ごく平凡な家庭が、二つのテロを企てる過激派集団のアジトになっている。空港突入と大使館襲撃。日常を引きずりながら突き進む、彼らの革命はどこへ向かっているのだろうか。2017年4月に入学したこまばアゴラ演劇学校“無隣館”3期生と青年団有志による合同公演として、 2012年に上演された『革命日記』を6年ぶりに再演。A
1組のカップルが暮らす部屋のリビングに、共通の知人がふいに現れる。彼女が死んでいることを2人はもう知っていて、けれどもそれを迎え入れる。つかの間の再会と乾杯。なぜか、家に帰れなくなったという見ず知らずの他人も後から合流して過ごしていると、生きるものと死んだものの境目が溶け合って、いつの間にか夜が明ける。
日本を逃げ出す富裕層の倦怠と衰退を描く問題作に“無隣館”の一期生が挑む。彼らの挑戦は希望の船出となるのだろうか。近未来、南へと向かう豪華客船に乗り合わせた日本人。それぞれの想いを胸に、船はゆっくりと進んで行く。はたして、彼らは、なぜ南を目指すのか、南には、何があるのか。
築野家。中年の兄弟が母の病室に訪れると、金沢さんという知らない初老の紳士がいた。母と親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、尊厳死を選びたいと言った。一方、田熊家。子供は作らないと約束して結婚した若い夫婦に、妊娠の予兆が。生活や仕事のことを考えると、産むことは選べない。選びたくない。時間は刻々と進む。死にゆく命と芽生えた命を目の前にした、2組の家族の議論を見つめる。
畑澤聖悟が死刑員制度という架空の制度を土台に作・演出した『どんとゆけ』『あしたはどっちだ』に登場する青木しのの前日譚として、工藤千夏が作・演出を担当した作品。元・医師が死刑囚という設定の物語は、死刑、安楽死・尊厳死について深く考えさせる。
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、レズビアンであるというカミングアウトを含んだ未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を聞き、それぞれの欲望について語りはじめようと
ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
何処かの地方都市、とある葬儀場の祭壇脇のフリースペース。椅子が数脚おかれた参列者が気楽に腰を下ろせる空間だ。楡原家の質素な通夜読経を終えた比較的穏やかな時間帯なのだが、故人を偲ぶ関係者に加え、遅れてきた弔問客、明日の告別式を前に、打ち合わせや準備にせわしい斎場スタッフでいささかバタバタしてもいる。どうやらたまたま重なった地元の名士の葬儀が、影響してもいるらしい。そんな中、行方不明だった家族の情報が
海岸沿いに透明な壁が建てられた。その壁を通して眺める海は、いくつもの過去が折り重なってみえるらしい。 たくさんの人たちが壁のもとに集まってくる。目の見えない綱渡り師、透明人間の恋人を探す女性、窓ガラス清掃をする元役者、スノードームをつくる 観光客、ミノタウロスとくだんのあいだに生まれた未来のみえないこども。「私、フチになりたいんだ。麦わら帽子のフチとか、ルパンが盗む絵画の額縁とか、コップのフチ子と
観音林まりあは、おのぼりさん。東京での生活にいつまで経っても慣れない上に、いつも鼻がムズムズ、喉もイガイガ。「私、東京にアレルギーなんだ」騙されてもほだされても友達のKちゃんとZちゃんに励まされ、彼女は今日もマスクにメガネのフル装備で、街に立つ。地方と東京、方言と標準語を行きつ戻りつ、一人のさまよえる魂の歌を津軽弁の調べにのせてお届けします。
シェイクスピア のロマンス劇『冬物語』を原典に、作中で描かれなかった16年の「時」を描く。『冬物語』では、「時」という登場人物の語りで、あっという間に飛び越えられてしまう16年間の歳月。「王妃ハーマイオニとはどんな人物だったのか」「16年の歳月を経て、再び人前に現れるまで、一体彼女に何が起こったのか」を出発点に、物語を創造する。『冬物語』というタイトルは、「寒い冬、外に出る愉しみが制限される状況下
20XX年、TOKYO。世はまさに空前の落語ブーム。かつて都内に二つしかなかった落語協会の数は今や百を超え、一億総落語家時代を迎えようとするその影で、一人の師匠が自身の噺家人生にひっそりと幕を下ろそうとしていた……。もうなにもかも冬の時代にMrs.fictionsが送る、高座の上の人生讃歌。
第25回及び第26回OMS 戯曲賞佳作連続受賞した後に大賞を受賞した作品。人と人の関係性を戯曲により深く書き込み、創作した作品です。客演には、CoRich 舞台芸術まつり! 2018 春・グランプリを受賞し、コトリ会議に 3 回目の出演となるオパンポン創造社の野村有志、前回ツアーから連続出演する京都を拠点に活動する安住の地代表の中村彩乃、初参加の浜本克弥(小骨座)の 3 人を迎える。神戸アートビレ
仕事場、私生活。ちっとも上手くいかない。私は他の人と何かが違う。病院で検査を受けたら、ただの性格の問題と診断された。僕は/私はどうやら『普通』らしい。ここからどこに向かえばいいのか。発達障害グレーゾーンをテーマに描く、青年団リンク やしゃご第4回公演。