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ドローンが出前をする通天閣のおひざもとでは、AI搭載の炊飯器が、将棋や漫才もしてけつかる! シンギュラリティを予兆する、SF新喜劇(コメディ)。
ワハハ本舗全体公演
この公演企画としては、シェイクスピア劇専門の旅一座として結成された「青空シェイクスピア座」が、紆余曲折を経て、殿堂のグローブ座で公演が打てるようになった物語を、漫才やダンスやパフォーマンスを劇中劇にふんだんに盛り込みショースタイルありの構成で、一座の奮闘劇を描いた作品です。シェイクスピア作品のタイトルや登場人物をモチーフにワハハ本舗ならではの表現スタイルが楽しめます。
物語は陸奥の一隅、鄙びた商店を襲った強盗放火事件から始まる、一万年の昔、日本の地よりさらに東北へ移動せざるをえなかったある縄文の一族の物語。そこには争うことを避け続ける臆病者の知恵があった。千島列島、カムチャッカ、アリューシャンを越えて氷河溶解のベーリング海峡。一本の縄を頼りに奇跡の海峡越えを果たして初めてアメリカ大陸を踏みしめた臆病者達こそ、北南米先住民の祖先となるモンゴロイド。その「争わぬ知恵
色彩シリーズ
男はカメラマン。女は耳のモデル。待ち合わせに女はウエディングドレスで現れた。「結婚しましょう!」突然のプロポーズ。逃げ込んだのは、オレンジ色の夕焼けに染まった住宅展示場のモデルルーム。
「ここは新世界のはずれです。 しょうもない串カツ屋の娘がうちです」 「きて屋」に集うおっさんたちと、切り盛りするマナツ。 通天閣を見上げれば、飛びかうドローンの群れ。 野良ロボットはうろつき、炊飯器は将棋を指す。 飛田更地はVRの楽園。そして来てけつかるシンギュラリティ…。 テクノロジーとおっさんが切り結ぶ、SF人情喜劇。 「新世界コメディ」、大阪弁で送りまっさ。
QoiQoi第4回本公演。アーツカウンシル東京単年助成カテゴリーⅠ採択。オリジナル作品を書き下ろし、外部の新たなキャスト・スタッフと共に作り上げた挑戦作。劇場は語らない。笑い。涙。歓喜の拍手。多くの人々をただひたすら見てきた。劇場は思い出す。繰り返してきた人々の営みを。観客の眼差し、キャストの汗。スタッフの真剣な横顔。劇場は語らない。劇場は覚えていた。劇場は全て覚えていた。
-「草野球チームが集まって作った名球会に、かつて八百長で地元を追われた男が帰ってくる。しかも不思議な〝なにか〟を引き連れて…。」役者5人だけで、こうのとりスタジアムの駐車場、放送室、グランドと場所を変えながら物語は展開します。野球へのLOVEが、すべてのLOVEへとつながっていく60分の喜劇です。
東海道中膝栗毛弥次郎兵衛と喜多八の珍道中を新内界のホープ、多賀太夫の弾き語りにのせてコミカルに展開します。本朝二十四孝上杉家の息女、八重垣姫の一途な恋の力が生み出す、奇跡の物語です。
パパは真面目でつまらない人間だったので、早いうちにママに逃げられました。以来、私たちを男手ひとつで養ってきましたが、私が高校生だったある日に過労で死にました。私たちはパパの死を笑って生きてきました。パパの保険金が尽き、パパがローンで買ったこのウチを売ろうと書斎を整理していたら、パパの日記が発見されました。パパの裏の顔と本当の仕事、ママとの運命の出会い、ある女の影と熱烈な恋愛、巧妙に仕組まれた計画、
「現代能楽集」連作
「現代能楽集」の連作の一つで、銕仙会能楽研修所の能舞台で上演。現代演劇、能、音響彫刻、コンピュータ音楽の共同作業で取り組まれた。テキストには、W・B・イエイツの詩劇『鷹の井戸』をもとにした、横道萬里雄の新作能『鷹姫』を基盤にしながらも、他の言語素材も加え、自由にコラージュする形で再構成されている。そして作業の共通の課題としては、〈即興性〉、〈偶然性〉、プロセスの問題に的が絞られ、能を現代に活かす試
とある地方地域の市議会。市長の答弁の最中に議員席からいびきが聞こえてきた。市長は、その様子をSNSに投稿したことで議会議員たちから呼び出されることとなった。この作品は安芸高田市長と議会の対立、及び議会側に寄り添うメディア、これらを他人事のように取り上げるネットメディアといった三つの要素をモチーフにし、地方政治の腐敗について原因と問題点を観客と共有し、積極的に政治に参加できる社会を目指し製作されまし
玉造小劇店配給芝居vol.24
明治初期。元武士家系であった鈴木家に万太郎と千次郎という兄弟があった。兄が育子という妻をもらうのだが、料理がとにかく不味い。初めてのお正月にお節料理を出してくるのだが、好物の高野豆腐も喉を通らない程に不味かった。しかし万太郎は「美味い…」と、つい言ってしまう。ここから鈴木家の料理は下降の一途を辿るのである。大正になると、万太郎と次女の家族の時代になる。大正12年には関東大震災が発生。それを逃れ、長
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。
”貧しい家に生まれた兄弟チルチルとミチルは、幸福の青い鳥を求めて冒険の旅へ出た。”世界中の人々に親しまれた童話劇を幼少期のメーテルリンクが運河の底で体験した「光」の記述をもとに再構成した、モメラス版『青い鳥』。
色彩シリーズ
「小さな差別や偏見がやがて大きな戦いを生み出す」舞台は2001年9月アメリカ同時多発テロ直前のニューヨーク。 仙台の出版社に勤務する男がリフレッシュ休暇を利用してニューヨークを訪れた。「東洋人の中年男性絵画モデル募集」のアルバイトに応募する。モデルを探していたのはダウンタウンにアトリエを持つ女流画家。「家族の肖像」と題する作品制作のため、デッサンをしながらふたりはお互いを理解していく
メルヘンと詩。シュールとエロチシズムと犯罪の幻想音楽劇。月よりも、もっと遠い場所・・・・それは〈劇場〉! 寺山修司十三回忌となる1995年、再演希望No.1の声に応え、演出家に生田萬をむかえて幻想音楽劇『青ひげ公の城』を上演。寺山修司が魔術的幻想音楽劇と名付けた『青ひげ公の城』はペローやグリムの童話などで知られる、次々と花嫁を娶っては殺害した青ひげ伝説がモチーフ。そこは今、まさに『青ひげ公の城』と
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
三蔵法師一行が印度に経を求め、道中で様々な妖怪と戦いながら旅する物語。『西遊真詮』から幾つかのエピソードが選ばれ、演出スタッフと俳優たちによるワークショップを経て舞台化された。当時、68/71黒色テントは新たなテーマとして「物語る演劇」と「アジア演劇」を立て、創作方法を模索していた。本作はその第一弾にあたる。80年、フィリピン教育演劇協会(PETA)主催の「インターナショナルワークショップ」でも上
あなたに、私を好きなまま死んで欲しいと思うのは、わがままだろうか。そこは、願えば誰でも不老不死になれる未来。それでもヒラサカ ミツは、不老不死になるつもりはなかった。彼女にとって生きることは苦痛であり、終わりのない生は地獄だと感じていたからだ。そして、パートナーであるタチバナ アサの愛情が、いつか冷めるであろうことに耐えられそうになかったからでもある。訪れるいくつかの出会いと別れを経て、ミツは、人
某県某市の「広庭」地区。住民による行政サービス代行が始まって数年。さまざまな事情を抱えた住民委員全員が集まって今日、「この先、広庭地区を存続させるか消滅させるか」という重要な問題の結論を出すことになったのだが、多数決の結果はなんと、全員が「消滅賛成」。なぜ住民委員は全員が消滅に手を挙げたのか。――いよいよ人口減少社会に足を踏み入れた日本。もはやこの「自治体消滅」の問題は絵空事ではない。これまで当た
現代社会に生きる人間はほとんど、誰かの思想による誘導や影響を受けていて、無意識のうちに「規範/ルール」という在り方の中を生きている。街の構造や建築物ひとつをとっても思想が現れ、人々はそれを自然と受け入れながら生活していく。ゆるやかな誘導や構造設計が、支配へと変わっていく道もあるのではないか。それはすでに小さな単位で生み出されているのではないか。誰かを操作することは快楽なのだろうか、権力者はその力に
夏。サマー。でもって、タイムマシン。とある大学のSF研究会の部室にて。「昨日に行って、壊れる前のリモコンを取ってくると!」「そして、クーラーを復活させると!」昨日と今日の因果を巡り、辻褄あわせの大往復。20周年を迎えたヨーロッパ企画がおくる、13年ぶりのブルース。
舞台は、第二次世界大戦が終わって間もない日本。戦時中に掘られた横穴の中で、3人の男女が出会い、生き埋めになる。生死の極限状態で、彼らの思想と挫折、そして後悔が語られる。彼らはどう生きたかったのか、そしてどう生きられなかったのか。本公演ではこの戯曲を、ワンルームマンションの一室を穴と見立て、彼らの苦しみを現代の閉塞感と生き苦しさに重ね、女性の一人芝居として上演した。
「都市」を「砂漠」に置き換え、「都市」の行く末を見つめ続けた、如月小春の鋭いまなざしが結晶した作品。
"1981年、早稲田大学大隈講堂で劇団「第三舞台」の旗揚げ作品として上演された、第三舞台の代表作を、紀伊國屋ホール開場50年記念公演として17年ぶりに上演。 本作は、上演される時期のの世相に沿う形で内容を常に進化させ、再演を行っている。 玩具メーカー「立花トーイ」の世界と、ベケット「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした世界を、5人の登場人物が駆け巡る。 "
集まれない人々。リモートでつながりを持とうとする。しかし、やることは、簡単なテーブルゲームで遊ぶだけなのだ。その中の梨田という男は仕事はテレワークで一人暮らし。誰とも会えない生活を過ごしている。自分のことをヤドカリだと思い込むようになった。そうでもしないと自分が保てなくなったのだった。この世の中は海底で、息苦しいのはそのせいだと思っていた。妄想の中の彼は海の底でじっとしている。ただそれだけ。いつも
1980年『月蝕歌劇団』、1981『黄金箱』につづく流山児祥(演出)+高取英(劇作)の戦前派三部作の完結編。昭和15年(1940年)、東京を、怪奇紅マントの噂が席巻した。「婦女子を誘拐し凌辱する」紅マントの噂とはいったい何だったのか?日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)へとうつりゆく戦争下、当局は、紙芝居「紅マント」を弾圧、焼却した。燃えていく紙芝居は、紅マントの噂を消滅させたというよ
シェイクスピアシリーズⅡ
シェイクスピアが造形した暴君のなかでも最高峰の暴君・リチャード三世を、社会を鋭く考察する劇作家くるみざわしんが、さまざまなタイプの暴君が暴れまわり、力を振るっている現代社会にリンクさせ、暴君である「リチャード三世」を、どう決着をつけるのかを課題とし、改作。独自の身体表現と実験的で洗練された演出でHMP版リチャード三世として再構築した。
あらすじ いつか王子さまが……。銀行員の女のもとに中東の国の王子の花嫁を探しているという男が現れた。はたして、彼が話す国や王子は実在するのか……詐欺事件は、うさぎ庵流の迷宮へ。渡辺源四郎商店の俳優、工藤由佳子、工藤静香のために、うさぎ庵工藤千夏が作・演出。渡辺源四郎商店工藤支店というユニット名で発表された。
あなたは嘘をつきますか?日常の曖昧な返事を含めて今までの人生で何回くらい嘘をついてきたか考えた事がありますか?例えば子供に「サンタさんはいるよ」と善良な嘘をつく時に、小さな痛みを感じますか?世の中は「言った、言わない」話で揉め事が絶えません。誰かが自分の尺度で真実を良いように解釈し「嘘」を正当化すれば、戦争だって起きる訳です。果たして嘘は必要なのか否か。人を騙すことは善なのか悪なのか。「芝居を見る
夜逃げした誰かのアパート、その捨てられた箪笥の中からびっくり仰天街ヘ迷い込む!先行き不透明な中、我々はどこに向かっているのだろうか。気が付けばそこは、入り口も出口もわからぬびっくり仰天街。逃げ出すつもりが近付いたり、堂々巡りの現代と私たちを遊んだ作品。
見たか、と俺は問うた。高峰はただ、頷いた。「ああ、真の美の人を動かすことあのとおりさ、君は 、 – 躑躅は美なりしなり。されどただ赤かりしのみ –「君は、お手のものだ、 君なら、 わかるだろう。」泉鏡花の「外科室」を元に、とある視点で紡ぐ詩的演劇作品。
グランドフィナーレ! 扇町ミュージアムスクエア最終公演
さよなら、バイバイと、今ある社会からオサラバしよう。どうせ経済のチキンレースは続き、ブレーキのかけ所を逸し、取り返しがつかなくなり、衰退の一途を辿る。人が、そこに居ることから出直さなけりゃ。デジタルを恐れよう。
地下世界にようこそ。私たちの暮らしを体験してみませんか?地上の皆様の来訪を心待ちにしています。フィクションで描かれる地下世界が好きです。それは、人々が円満に暮らす理想郷を彷彿とさせるから。一方、現実では否応なく社会と付き合わなくてはいけません。たとえ、どんな関係であっても。今回は、どんなに嘘をついても生々しい演劇を使って、お芝居という共同体を作ってみます。
(フライヤーより)一つの役を「動く俳優」と「語る俳優」が二人一役で演じるというユニークなスタイルで人間の喜怒哀楽をダイナミックに表現して脚光を浴びるク・ナウカ。この方法によって、日常を越えた巨大なスケールの人物を舞台に描くことが可能になりました。今回の作品は93年に利賀フェスや韓国でも上演され、代表作と言われてきた『サロメ』の完全新演出版。5年前、青山演劇フェスで旗揚げしたク・ナウカの、満を持して
チェーホフの『三人姉妹』をワークショップにより解体し、再構成した。時代設定は現代の日本とし、即興的な場面やメタシアター的要素も入れ込んでいる。
美大生の橋本は、画家になりたかった。画材を買うために始めた夜勤の内装バイトで、気がついたら、正社員になっていた。橋本の働く百貨店内の画廊スペースで、人気画家になった同期の個展が決まる。なれなかったものに、まだなりたい。「何を、諦めれば──。」ゆうめい × ウンゲツィーファ、2つの現代演劇ワールドが織りなす100分間の夜勤劇。第34回下北沢演劇祭参加作品。
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。被疑者はそれぞれ「国家公務員」「精米店の女主人」「男子大学生」。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。それは
陸の孤島と化し、立ち退きを迫られた病院を舞台に、わざわざ通院してくる老人や幽体離脱できる入院患者など、病院に集う人々の人間模様を描きながら、神の存在の有無にも踏み込む。
ちがう空間、ちがう世界の物語–人と自然が共存する豊かな町・スターシア。まわりを森や山に囲まれた平野部に位置するその町の民たちは、険しい危地を超える術を持たず内部だけでひっそりと暮らしていた。何者にも侵されぬ聖地のように、世界の事を知らぬまま。それはこれからも続いていくはずだった。森の向こうから一人の少年がやってくるまでは。
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
古典作品を未来の設定に置き換え、新たな視点で共感を得ようという試み。本作はシェイクスピア『ロミオとジュリエット』を題材に、500年後の未来を描きます。未だ因縁に縛られたモンタギュー家とキャピュレット家。ある日ロメオは、ごみ溜めの中に捨てられている一体のアンドロイドと出会い一目惚れするが、彼女はキャピュレット家の謹製ジュリエッタだった。
「明日のハナコ」は、2021年福井県の高校の演劇大会で、コロナ禍無観客の中で上演されました。その後、なんとも不幸なことになってしまいました。大会のテレビで中継が予定されていたのですが、「ハナコ」だけが放送されず、脚本集は生徒さんが読めないように顧問の先生が預かり、未だ収録されたDVDは作者の手に渡っていません。理由は「個人を特定や、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念してい
「現代能楽集」連作
能の本質的な構造を捉え返し、それを現代に開き、活かしていく「現代能楽集」シリーズの第一弾。主演女優関口綾子に一つの的を絞り、銕仙会能楽研修所の能舞台で上演された。スペインの現代作曲家フェデリーコ・モンポウの「沈黙の音楽」を中心的に用いて、能の老女物の秘曲『姨捨』の世界を身体的に深く読み込み、「現在」の言語素材、視座も加えながら新たな展開が試みられた。
(フライヤーより)身近な題材から進化に迫る、優しいユーモアをたたえた舞台ー演劇ジャーナリスト 九鬼葉子
劇作家如月小春の上演台本に、演出家如月小春が「演出ノート」「構成写真」で演技指導する。演じるのはBOYS&GIRLSだ!
「俺の頭ん中にゃちっちゃな部屋があって、木造モルタルのその古いアパートで 誰かがひっそりと待ってるんだ。そこから俺は出かけたのに違いないが、出かけてもなんだかそこに帰るために出かけてるみたいでね、どこかに踏み込んで「おかえり」なんて声かけられたら、俺、狂うかもしれない。」地図を売り歩く中年のサラリーマンが迷い込んだ古いアパート。平家なのに中に入ると大きな階段のあるアパートの、その階段から、男の幼い
熱くて切ない新感覚ファンタジーが人気の劇団ショウダウン。今回は荒野に響く撃鉄と硫黄の狂詩曲。北米、ニューメキシコの町に、史実から抹消された一人のアウトローがいた。「最強の臆病者」、決闘の恐怖から逃げ出し、銃を捨てた男を人々はそう呼ぶ。しかし、平和な片田舎の町が野盗の集団に襲われた時、男は一人の少女を守るため、再びその手に銃を取る。「撃鉄の子守唄」、それは失われた物語、それは、失われるべき物語。
第25回及び第26回OMS 戯曲賞佳作連続受賞した後に大賞を受賞した作品。人と人の関係性を戯曲により深く書き込み、創作した作品です。客演には、CoRich 舞台芸術まつり! 2018 春・グランプリを受賞し、コトリ会議に 3 回目の出演となるオパンポン創造社の野村有志、前回ツアーから連続出演する京都を拠点に活動する安住の地代表の中村彩乃、初参加の浜本克弥(小骨座)の 3 人を迎える。神戸アートビレ
ロック・ケチャ・オペラ
演劇実験室◉万有引力第3回公演(及び第6回公演)。3作目にして、初めて劇団外から共同構成台本に堂本正樹氏を迎え、更にはアヤナ舞踏団のダンサー陣、ゲストミュージシャンを招き、トータル・シアターを試みた意欲作。バリ島の伝統芸能ケチャとロック・オペラ、演劇と舞踏が渾然一体となるイメージの饗宴により、観客を目眩く一大叙事詩世界へと導く。
時は昭和。1964年東京オリンピックの裏で開かれていた、もう一つの『民族の祭典』――その名も【キリンピック】。人間ではなく妖怪がアスリートとして集合する、百鬼夜行のスポーツ大会!この物語は、世界初の妖怪五輪開催に向けて宮内庁の精鋭達が熱く命を燃やす、汗と涙と肉と神秘のドキュメンタリー。
2007年に旗揚げ準備公演でスタートした『虚構の劇団』の解散公演として上演した『日本人のへそ』(作:井上ひさし、演出:鴻上尚史)吃音症患者を集めた治療劇として、浅草のストリッパー、ヘレン天津の半生を劇中劇で描き、そこから物語は二転三転していく。井上ひさしさんの若い才気とエネルギーに満ちあふれたデビュー作に、虚構の劇団の総力を上げて、真正面から取り組んだ意欲作。
あらすじ:場面はエレベーター。3人が乗っているところに遠藤が乗り込み、清掃員の蒼木が「何階ですか?」と尋ねる。遠藤が「5階です」と答えると、短い昇降の後、再び遠藤がエレベーターに乗り込む場面に戻ってしまう。困惑した4人はループから抜け出そうと3階で降りたり共通点を探したり試行錯誤するが、最後には「どうせ繰り返すなら死んでも生き返るのでは」と考え、自殺を試みる人まで現れる。
何日君再来
品行方正児童会第8回公演。フェスティバルのテーマである「ガリバー旅行記」を異空間と捉え、詩人・高村光太郎と母を探す少年の出会い、曖昧屋の人々とその客の家庭、町を渡り歩くサーカスの母娘などの情景を描く。特徴ある円形劇場の舞台を素のままで使用し、持ち込まれる道具と音響効果のみで場面を演出、時に客席通路まで俳優を配して観客それぞれを取り囲む異空間を仕立てた。
全国縦断興行2021
■全国縦断興行とは?我々は毎年、ワゴン一台に小さな劇を乗せて全国を回っています。2021年は10都市で公演しました。舞台セット・音響・照明・衣装・小道具・スタッフ・役者、全てを乗せて巡演いたします。■あらすじ朝、引き落としがうまく行かなくて電気が止まっていた。昼、バイトをクビになった。夜、バンド仲間の二人が密かにつきあっていて、妊娠をきっかけに夢を捨てた。結果私が捨てられた。しかも私はこっそりギタ
パワハラが起きてしまった劇団の稽古場とアルバイト先の往復で疲れ切ってしまった青年を主人公に、どうすればそんな厳しい毎日から抜け出すことができるのかを描いた「ハラスメント・コメディ」