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(フライヤーより)俺はリトルリトル族のサン。森の住人と呼ばれてる。一年前、スノウホワイトってかわいいお姫さまを助けて大活躍したのはいいんだが、結局、彼女はとっとと隣国にお嫁に行ってしまい、残ったのは傷ついた仲間の七人だけ。それからみんなの仲もギクシャクしちまって、結局森の家には俺一人になっちまった。そこにまた人間の女が逃げ込んできた。名前はレッドローズ。しかも、性格はかなり悪い。でも、なぜか彼女の
次世代に、そして全世界に語り継ぎたい明日への再生の物語「人類史の折り返し地点」 ―― 井上ひさし2020年紫綬褒章を受章した演出家・鵜山仁が捧げる、終戦から3年後のヒロシマを舞台に父と娘が織りなす命の会話
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
本公演は1978年より連載中の魔夜峰央氏の人気作品「パタリロ!」の舞台化作品。「パタリロ!」は、マリネラ王国国王、パタリロ・ド・マリネール8世(通称:パタリロ)が周囲を巻き込んで起こす騒動を描く。テレビアニメのエンディングテーマにまでなったギャグ「クックロビン音頭」などでも知られている。今を時めく超・個性派俳優、加藤 諒が主人公・パタリロ殿下を演じ話題となった舞台「パタリロ!」が主人公・パタリロ殿
(フライヤーより)1982年5月5日、〝アラマせんせい″と〝げんごろう″という2人のキャラクターが、詩人・谷川俊太郎氏のことばから生まれました。アラマせんせいは、あわてんぼうで、おっちょこちょい、まるで先生らしくありません。でも、ことばであそび、ことばと戯れ、知らぬ間に日本語の楽しさや豊かさを私たちに伝えてくれるから不思議です。「ことばあそびには手も足もないから私が出かけていくしかないの」と、アラ
(パンフレットより)「四月の始まりと、異邦人が終わったあとの、あ、ストレンジャー」三月も、もう終わります、(つまりこの文章は、三月も、もう終わるって頃、ぼおんと、磨りガラスの窓の向こう、朝日が登り始めた、っていうのを、布団の中で眺めながら、書いています、)もう少しで、四月が始まります、『あ、ストレンジャー』は、四月の始まりに始まって、四月の始まりに終わります、(布団を出ることにします、机の上で林檎
あらすじ:いつも一緒にいる仲良しのサトシとリョウタ。ある日、街で怪しいおじいさんが目の前を通り過ぎます。おじいさんを付けていくと『なるほ堂』という店に入っていきました。あれ、ちょっと待てよ、ここにこんな店あったっけ?二人が中を覗くとそこには変な物や不思議な物がいっぱい!はてさて、『なるほ堂』とは一体……?彼らをまちうけているものは何でしょう。ファンタジックでリアルな冒険の始まりです。
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
(フライヤーより)『魚の祭』は崩壊した「家族」の蘇生の物語である。この夏、あなたは「家族」に出会う……
2人の女。20年前。家庭にインターネットが普及した時代。匿名掲示板──。全く違う場所で生まれ育った女性2人が、インターネットで出会う。誰にも話せなかった家庭と世間に挟まれていた2人は、ようやく打ち明けられる場所をネットの中に見つけた。記憶の世界をぐるぐると巡りながら、それぞれの身に起こる出来事を経て、とある決断を下す現在までの20年間を描く。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
(フライヤーより抜粋)ほら、これがトマトの種夏に食べる赤いトマト?そう、そしてこの種もトマト
長野県飯山小学校の教師瀬川丑松は誰にも言えない秘密があった。出自のことだ。常々父から身分を隠すことを訓戒とされていた。親友の土屋銀之助や生徒たちにも勿論黙っていた。しかし人権家猪子蓮太郎の著書に感化され、人生の葛藤を抱え深く悩むようになった。いっぽう丑松や銀之助のことが目障りだった校長は、新任の勝野文平を味方に引き入れ丑松たちを放りだす口実を探す。そんな時に丑松へ父親が亡くなった報せが届く。また敬
マームと誰かさん・ひとりめ
マームとジプシーを率いる藤田貴大が第56回岸田戯曲賞を受賞した直後、他ジャンルの作家との共作シリーズ「マームと誰かさん」を企画し、小さなギャラリーにて作品を発表。このシリーズはその後マームとジプシーに大きな影響を与えました。その第一弾は音楽家・大谷能生さんとのコラボレーション。
「俺が代」は、日本国憲法や、文部省(当時)による教科書『あたらしい憲法のはなし』、そして尾崎行雄、芦田均などの演説をテキストとして用いながら、日本国憲法の本質を浮かび上がらせ、憲法やこの社会についての問いを共有するソロパフォーマンス。これまで愛知県芸術劇場、京都芸術センター、Festival Temps D' Images Cluj などにおいて上演されてきたかもめマシーンの代表作です。憲法という
作品のベースとなったのは、組踊の「執心鐘入」と、そのもととなった、能楽の「道成寺」である。日本・沖縄で愛され続ける古典の傑作に、現代的な「愛」の解釈を加えた。「炎の鐘」は、沖縄伝統芸能の所作や舞踊をベースにその世界観を見事に表現した“新たな沖縄芸能の傑作”。愛し合っていると信じていた若松という青年の旅立ちに、激しく渦巻く女の執念はその身体を突き破り、女を蛇に変え、鬼に変える。そして灼熱の激情は、寺
大金をめぐるifから始まる物語。40人余に及ぶ登場人物をたった6人の俳優ですべてこなすというトンデモナイ芝居ですが、大人のメルヘン童話を読むような軽い気持ちでご覧下さい。
その世界には、小学生しかいない。そこでは「噂」が貨幣として流通し、6年生の支配に逆らうものは死ぬ。誰もが探している。1年生でも6年生を倒す禁断の力をもたらす矛盾の宝石、赤いエメラルドを。鳴りやまない永遠の下校チャイムが鳴りやむ前に、オレはゆく。その宝石の眠る、地平線まで続く運動場の果てへ!
「愛とは」「結婚とは」そして「人生とは」をヒューマンなタッチで描く”ネアカの喜劇”
1947年、敗戦2年後の沖縄――。 米軍基地から物資を盗み、東南アジア各地に売りさばく盗賊団「戦果アギヤー」たちの群れがあった。ある時、アギヤーはとんでもないものを盗んでしまう。 原子爆弾である。沖縄の領土化を目論む米軍にとっては一大事。 一方、アギヤーは、米軍撤退と沖縄独立を目指す「琉球独立党」と手を結ぶ。 一個の原子爆弾をめぐって沖縄が揺れ動く――!
第68回公演
誰か知る相愛橋のある横丁。すえたドブ川の袂にあるうらぶれの傘屋に、今、聖にして醜怪な万年少女が、おちょこの傘にさし飛んでくる。傘屋を営むおちょこは修理を頼みに来た客・石川カナに恋をした。いつか彼女に「メリー・ポピンズの傘を待たせる。」という夢を描くおちょこ。傘屋に居候している檜垣は、カナがかつて人気歌手の子どもを産んだ挙句にショッキングな出来事を引き起こした張本人だと気づく。檜垣はその歌手の元マネ
1997年度の演劇界は鐘下辰男の歳であった。「PW PRISONER OF WAR」「温室の前」「仮釈放」「どん底」の演出で、第5回読売演劇大賞の大賞・最優秀演出家賞を受賞。「仮釈放」が同賞で優秀作品賞を受賞。また第三十二回紀伊國屋演劇賞個人賞を文学座に書き下ろした「寒花」他で受賞。演劇集団THE・ガジラを創立して十年、鐘下辰男が描く日本人像の輪郭がようやく見えかけたといったところである。日本人い
「25年前の俺たちが、今の俺たちを見たらどう思いますかね」時代の狭間に生きる哀歓を描く、 ケラリーノ・サンドロヴィッチの新境地!1993年、バブル景気が終息した日本。旅行会社を経営する赤本建三(三宅弘城)は、東京郊外の一軒家に妻の亜子(坂井真紀)と娘の桃子(根本宗子)と住む。家には亜子の弟・光吉(赤堀雅秋)が居候し、その元妻・浩子(新谷真弓)が夜な夜な訪れる。だがある深夜、七ツ森豊(安井順平)の死
(フライヤーより)フランスの小説家 アレクサンドル・デュマ・フィスの長編小説。マリ・デュプレシ(1824~1847)というパリの高級娼婦をモデルに、主人公の回想形式で書かれた哀切悲痛な恋物語。
2002年、ひとりの母親(オンナ)が仁義なき戦いで咲き乱れる!■ものがたり貧しくもしたたかに生きる母と高校生の娘、父親代わりと母子家庭に居候している性的に不能で無職の男。キリスト教信者の母は娘を神の子と呼び愛情を注ぐが、母に反発する娘はチンピラと家を出てしまう。一人残された彼女を支えようとするやくざ男と勤務先の店長。しかし彼女への思いの強さが周囲に悪影響を及ぼし始め、人々を狂信的な行動へと走らせる
2013年、大阪国際児童青少年アートフェスティバル2013 TACT/FESTにて、「子供の心が動く大人の作品」というコンセプトのもと“児童劇”として制作された演劇作品。飴屋法水本人と、パートナーであるコロスケ、そして娘のくるみの3名というリアルな家族によって演じられる本作は、ドキュメンタリーとフィクションの境界を行き来しながら、ある家族の朝ごはんの風景から始まり、やがて家は教室へと変貌する。生き
のと☆えれき二人芝居
西暦2040年。人類はアクトノイドと呼ばれる人造人間の発明に成功。しかし、そのプログラムに重大なバグが発見され、アクトノイドは即時回収、その姿は街から消える。 西暦2045年。ある晩起こった殺人事件。容疑者は舞台俳優、山田タロス。被害者は女優。公演終わり、山田の楽屋に一人の男が尋ねる。北海道警察サイバー犯罪対策課、牧内。牧内は山田に二つの疑いの持つ。一つは殺人事件の犯人として。もう一つは回収されず
オペラシアターこんにゃく座創立25周年記念公演。大森博、大月秀幸をゲストに迎えた、林光と萩京子、ふたりの作曲家の共同作曲によるシェイクスピア・オペラ第三弾。
白石加代子「百物語」第十七夜
演出の鴨下さんが病気になられて、「百物語」が一時中断し、久しぶりの岩波ホールでの公演である。鴨下さんは「百物語」のコンセプトについて次のように語っている。「捨てるだけのものは全部捨てた、ヴィジュアル面もそうですが、第一覚えなくていいわけでしょ、だから記憶力も捨てた。相手役も捨てた。演劇の要素をどんどん捨てていった。だから僕は、演劇にはなりっこないと思っていた。ところが、そうやってどんどん捨てていっ
2.5次元ミュージカル/舞台
日本人にとって桃太郎とは?昔話の桃太郎、戦前のももたろう、戦後のモモタロー。そして現代のMOMOTROはどこへ行く。その後のその後の桃太郎のおはなし。
おやすまなさいは眠りたい人と寝て欲しくない人の話で、それは死にたい人と死なないで欲しい人の話でもあり、男とか女とか、年齢とか、そういうこと関係なくただそれだけをやりたいと思って書いた戯曲です。(前田司郎)
妻として、母として、歌人、詩人、評論家、小説家、童話作家として、懸命に生きた偉大なMOTHER与謝野晶子。その晶子と夫与謝野鉄幹の下、北原白秋、石川啄木、佐藤春夫、平野萬里、大杉栄、菅野須賀子、平塚明子らは集い、別れた。あの忌まわしい大逆事件を挟んだ明治42年から大正2年の5年間。若い彼らは文学に社会改革に、愛に命を燃やした。それはおかしくて、哀しくて、せつなくて、そして震えるほど美しい―。
都会の雑居ビルの地底で暮らす、人間と妖精の混血児である「地底妖精」が主人公。「地底妖精」はマッサージ師のモグラに養われている。モグラの営むマッサージ店に迷い込んだ女性や、女児たちの少女マンガについての会話などを交えながら物語は進行し、「地底妖精」は抑圧された己の欲望を解放する。変態的な自作自演の映像作品で注目される現代美術家の高田冬彦氏が舞台美術を担当。
アイドルステージシリーズ 待望の新作公演、シリーズ第5弾『プライムーン』が上演!【あらすじ】大財閥の息子に生まれた赤河 望、青羽 朔、浅黄 宵の三人は、退屈な日々を送っていた。ある日三人は、朔の曾祖父が遺した一冊のノートに巡り合う。“みんなを照らす眩い光になれ…”誰に向けたかもわからない、たった一言のメッセージ。けれどその言葉は、どうしようもなく彼らを魅了した。「あの空に、俺達だけの新しい月を輝か
東日本大震災とそれに続いて起きた原発事故を題材にした、ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクのテキストを舞台化。暗く、湿った場所に取り残され、演奏を続ける「第一ヴァイオリン」と「第二ヴァイオリン」の対話は、5人の男女によって演じられる。時には客席を指差し「わたしたち」「あなたたち」を強調する発語は、登場人物が死者であり、音であり、光であり、放射能でもあることとも響き合いつつ、主体/当事者の遍在を示
あらすじ いつか王子さまが……。銀行員の女のもとに中東の国の王子の花嫁を探しているという男が現れた。はたして、彼が話す国や王子は実在するのか……詐欺事件は、うさぎ庵流の迷宮へ。渡辺源四郎商店の俳優、工藤由佳子、工藤静香のために、うさぎ庵工藤千夏が作・演出。渡辺源四郎商店工藤支店というユニット名で発表された。
(フライヤーより)10年前、つまり西暦2000年の12月24日に発生した、〈メリークリスマス〉という名前のウイルスによってトーキョーと呼ばれるアジアの一都市は破壊的な打撃を受ける。町は廃墟と化した。廃墟の象徴ともいうべき99階の建物もまた、いまでは使う者もいないまま、あたかも巨大なジャンクとして屹立している。廊下から、その扉をノックすれば、向こうからもノックする者がいるという。扉を開けて向こうから
夏。サマー。でもって、タイムマシン。とある大学のSF研究会の部室にて。「昨日に行って、壊れる前のリモコンを取ってくると!」「そして、クーラーを復活させると!」昨日と今日の因果を巡り、辻褄あわせの大往復。20周年を迎えたヨーロッパ企画がおくる、13年ぶりのブルース。
「夢幻能」の形式によって立ち現れるかつてない幽玄の『オセロー』シェイクスピア四大悲劇の一つ『オセロー』。黒い肌の傭兵将軍オセローが、部下の姦計から猜疑と嫉妬に狂った末、最愛の妻を手にかける――舞台はもちろん映画化もされるなど、今も世界中で上演され続けているこの傑作悲劇を、宮城聰は「夢幻能」の形式を用い、オセローに殺された妻デズデモーナの側から描くことで、痛切な「愛の物語」へと昇華させます。「夢幻能
毛皮族10周年記念公演として2010年に制作。第55回岸田國士戯曲賞最終候補作。爆裂する生きる不条理。隣家からヘタクソなハレルヤ合唱が聞こえてくるクリスマス間近の冬の日。薄着のジェシカが舐めているアイスの棒にハワイ旅行当選の文字が浮かぶ。同じ街にはうっかり妻と呼ばれるうっかりしてばかりの女とその夫が印刷所を営んでいる。2人は貧しい暮らしに苦渋をなめる日々。森田と言う気の弱い男は言う事の聞かない妻を
その川には、龍の女が住むという。舞台は在りし日の東京。川や土と共に暮らす日々のあった頃。氷屋を営み、その財と力で名を馳せたある男と、その一族の物語。その年の氷の味は、初雪の色と龍の機嫌で決るらしい。川面を清める桜を待って、冬の星座が雪を降らす。梳いた黒髪、銀の帯、結んだ小指のその先に。「雪の白さに惑わされてはなりません。冷たく見えても、その下には、抗えないほど赤い血潮が隠れているのでございます。」
(フライヤーより抜粋)「おーい、人形劇がはじまるよ~!集まっておいで!」みんなが集まれば、その場で人形劇のはじまり、はじまり…。かわいい人形たちが話しかけてきたり、一緒にお芝居したり、みんなと友達になっちゃう!
世田谷シルク第10回公演
シーンは自殺した両親の葬式から始まる。その死因を探る委員会。残された盲の姉と弟は、両親が旅行者から借りたという金を返済していくことになるが、その最中に弟は若い女に出会い、自由を知る。また殺人を犯す。親類や町の人々は奇妙な親切心で刑務所の弟を援護するが、思い通りにならないとわかると激怒する。社会とその外側の世界を、孤独とともに舞台化。
佐藤貴史・加藤啓によるオムニバス・コント公演。小林顕作『胸に残る熱い想い』、竹村武司『チョーカー』、池田慎『平和』、徳尾浩司『新しいスポーツ』,またはブライアン『サティカティ』
清水・蜷川コンビがうち立てた現代日本演劇の金字塔!あの輝かしくも哀しかった青春の日々追憶と狂気、たぐりよせる愛の残照
舞台は、ある地方都市。市の中心を流れる大きな「三宮川」が次第に水かさを増している。市の防災対策課では避難勧告の決断が下せない。やがて支流が氾濫、やがて一気に水かさを増した三宮川が決壊し、市役所へとあっという間に押し寄せてくる……。「災害対策の危うさ」をベースに描きながら、「非常事態が迫っていることを人はなぜ実感できないのか」「その想像力の欠如の原因となっているものは何か」。自然災害を目の前にしなが
戦争の傷跡が街々にまだ色濃く残る時代、銀座の夜を華やかに彩る一角があった。ジャズが、ジルバが、熱狂の一夜をつくり出す、ここは進駐軍専用キャバレー”パラダイス オブ ギンザ”。三人の男女がここで出会う。通訳志願の学生清水誠、日経米兵ケン・ナカガワ、コーラスガールの青山優子。清水は忽ち優子の虜になるが、自らの心を隠し、ケンと優子の愛の仲立ちを買って出るのだが…。青年座のオリジナルミュージカルが誕生。
白い巨大な球体を囲む円形の舞台で、水に渇きを癒され、水で汚れを清め、愉快な宴会に興じる者たち。やがて旱魃がやってきて、雨乞いの踊りを捧げる。すると球体のてっぺんから水が吹き上がり慈雨となって降り注ぐ。歓喜した群衆は、しかし恵みをもたらしてくれた球体をバリバリと破壊してしまう。
正義の味方とは、それ自体が正義ではなく、正義の味方につく者のことである。ならば、味方につくべき正義を探さねばならぬ。私達の正義とは何か?それは家族?恋人?仕事?いや、私自身?社会正義が消失した今をさ迷う。
天竺を目指し旅する高丘親王が出会う数々の不思議な体験を描く幻想奇譚。澁澤龍彦の集大成といわれる遺作小説を原作に、時間錯誤、空間錯誤などさまざまなテーマが溢れ絡み合う世界で存在性や生と死を見つめる。伝説的舞台「平太郎化物日記」に続くITOプロジェクトと天野天街との共同創作2作目は、糸あやつりでしか成し得ない舞台芸術表現の不可能性へさらなる挑戦を果たした。2018年初演、2019年の再演を経た4年ぶり
坂口修一リーディング公演
悪役レスラーの父親と、そんな父がどうしても好きになれない息子が衝突を繰り返しながらも、やがて本当の絆を結ぶまでを描く、中島らもの名作短編小説を演出・岩崎正裕、俳優・坂口修一によりリーディング公演として上演。プロレス好きの教師が、国語の授業で中島らもの「お父さんのバックドロップ」を読み上げる。合間に思わずプロレス豆知識が飛び出し、授業はたびたび中断する。とある生徒との確執のあった教師は、朗読を通して
没後50年を越えた今もなお高い人気を誇る江戸川乱歩。小説『黒蜥蜴』は、明智小五郎シリーズの一篇として1934年に発表されました。日本一のダイヤと宝石商の美しい娘を狙う美貌の女盗賊・黒蜥蜴と、それに立ち向かう名探偵・明智小五郎。誰もが心躍る探偵活劇を、三島由紀夫は、1920年代の大阪から、高度経済成長期の東京に設定を変更。さらに原作では背景にあった恋愛や耽美的要素を前面に押し出すことで、情と知が幾重
人間が人間を差別することの愚かしさ、悲しさ、恐ろしさ・・・奴隷制や人種差別への反対を貫いた『アンクル・トムの小屋』の作者ストウ夫人は、遂にその朗読会を最後にしようと決め、なぜこの小説を書くに至ったか話し始めます。子育てに追われながらも幸せに暮らしていた頃のある悲しい出来事が、その後、彼女自身を奴隷解放運動へと導くのですが、その出来事とは・・・彼女が朗読する小説の一節は、そのまま劇中劇として上演さし
100人の宝物「子どもの頃のすごく嬉しかった思い出、すごく悲しかった思い出」を集め、スウェーデンからやってきた演出家バーント フーグルンド氏と劇団うりんこがステキなお芝居をつくりました。「長い年月生きている人も、子どもたちも同じように人生の宝物を持っている。」というメッセージが届くでしょう!
錬肉工房結成十周年記念、また新アトリエ杮落し公演として上演。即興性の課題を前面に出し、自在でラディカルな身体の、演技のあり方が探られた。そうした試みの中で、冒頭の場面で、那珂太郎の詩作品の言葉と格闘していた演技者によって初めて、破裂音を伴って分節言語が解体され、言葉の深層の意味生成の、発生の根源的な現場に下降するという事態が生起し、新たな身体=意識=言語の領域が垣間見られた。
「明日のハナコ」は、2021年福井県の高校の演劇大会で、コロナ禍無観客の中で上演されました。その後、なんとも不幸なことになってしまいました。大会のテレビで中継が予定されていたのですが、「ハナコ」だけが放送されず、脚本集は生徒さんが読めないように顧問の先生が預かり、未だ収録されたDVDは作者の手に渡っていません。理由は「個人を特定や、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念してい
(フライヤーより)愉快で不気味、かつ優雅
青森の鍛冶屋の息子として生まれた志功は、幼い頃から絵の才能に恵まれてはいたが、強度の近眼。家業が立ち行かなくなり、裁判所の給仕になった時に眼鏡を与えられ、「先生、見えすぎます!」と躍りあがった志功は、絵への情熱が爆発し、画家になる決心をする。ゴッホに触発され、画業のために上京した志功は、挫折を繰り返しながらもついに帝展に入選。凱旋した故郷で、運命の人、チヤと出会い結婚する。チヤの愛情に包まれ、世界
近松門左衛門原作の人形浄瑠璃を現代人形劇として全段取り組む。劇団創立40周年記念作品として上演。国立文楽劇場の舞台機能を駆使しようと演出された。劇団の役者総出演の作品でもある。資料は、1989年3月26日にNHK芸術劇場にて放映されたもの。