表示件数
饗宴 茜さすセカイでキミと詠う
2.5次元ミュージカル/舞台
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。
南河内万歳一座座長、内藤裕敬書き下ろし作品。2005 年に豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、出石町、但東町 の 1 市 5 町が合併し、兵庫県下で最大面積の市“豊岡市”となった成り立ちを元に描いた。 市民の声や当時の様子を取材し、リアルとフィクションが交差するエピソード満載の内容で地元市民はもちろん、他の地域の方も“豊岡”を楽しめる作品。2020 年に初演した『豊岡かよっ!』から新たなエピソードを加
MANKAI STAGE『A3!』
2.5次元ミュージカル/舞台
大正七(一九一八)年十二月二十六日、宮沢賢治は、故郷花巻から東京に入院している妹・とし子の見舞いを目的に上野行きの夜行列車に乗り込んだ。その手には大きな革のトランクが握りしめられ、たくさんの願いが詰め込まれていた。「大好きな音楽を聞き、エスペラント語の勉強をする。そのためには家の重圧から逃れ、父の庇護の下を離れなければならない。そして何よりも真の生き方を探すことである」賢治は、東京に理想郷を求めて
”貧しい家に生まれた兄弟チルチルとミチルは、幸福の青い鳥を求めて冒険の旅へ出た。”世界中の人々に親しまれた童話劇を幼少期のメーテルリンクが運河の底で体験した「光」の記述をもとに再構成した、モメラス版『青い鳥』。
ゴーシュはひとりぼっちだ。金星交響楽団でセロを弾いているが…下手。楽団は10日後、音楽会でベートーベン第六交響曲を発表することになっている。 しかしゴーシュは、「このままでは音楽会には出られないぞ」と楽長に言われてしまう。真夜中、夢中になって練習していると一匹の三毛猫がたずねてきた。 その日から、ゴーシュと動物たちの不思議な夜が始まった。 動物たちのリクエストにこたえて悪戦苦闘! おかげで少しずつ
全国初の県立劇団の門出を祝う祝祭劇。
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
エディンバラ国際芸術祭参加 劇団 夢の遊眠社
1982年8月、当時26歳の野田が脱兎の勢いで執筆。同10月、駒場小劇場で初演。第27回岸田戯曲賞受賞作。以降1984年4月に本多劇場で再演、1987年8月にはエディンバラ国際芸術祭より正式招待され、野田にとって初めての海外公演となった。<あらすじ>1969年、アポロ11号の月面着陸を題材として、少年の夢を大胆に変容させ、奇想にあふれた物語。第27回岸田戯曲賞を受賞。連敗続きの元ボクサー「アポロ獣
ナイロン100℃ SIDE SESSION SPECIAL
ドイツの放送作家、ギュンター・アイヒによって1950年代に書かれたオムニバス放送劇『夢』。その中から舞台用にアレンジ可能と見なした3編を選び、オリジナルで書き下ろした3編を加えて上演。何十年も止まらない列車に閉じ込められて暮らしている家族の話『列車』、ある三流小説家が死の世界を経験する『死』など、6話6様の悪夢が繰り広げられる。「ナイロン100℃」史上初めての、笑いが一切ない作品。
椿組2018年夏・花園神社野外劇
椿組の前身「はみだし劇場」時代の1996年(26年前)同じく花園神社で上演した野外劇を再構成し、泉鏡花物お得意の花組芝居の加納幸和が演出したスペクタクル編。小劇場界の強者が集い魑魅魍魎の怪奇世界を大胆に、花園神社の土の舞台に華咲かせます!「天守物語」と「夜叉ケ池」のいいとこ取り。そこに泉鏡花の少年時代も加味させ独特の世界を展開させます。脚本は今は亡き高取英の耽美な世界が華開きます。松本紀保主演!
飴屋法水とロメオ・カステルッチによる、初のダブルビル上演。宮澤賢治のテキストから自由に発想し、それぞれ新作「じめん」(飴屋法水)、「わたくしという現象」(ロメオ・カステルッチ)を発表。二つの才能が宮澤賢治の世界を媒介に響きあう瞬間を、1000人もの観客が野外で同時に体験する。幼少のころから宮澤賢治の作品に親しんできた飴屋法水は、その作品世界にアクセスし、物質や生命をめぐる思索を繰り広げる。会場とな
(フライヤーより)遠い、はるかな昔から祖先たちが語りついできた民話には、豊かな人間のドラマが息づいています。簡潔な中に、人間のさまざまな喜びや悲しみが、時代を超えて今日の私たちに伝わってきます。「こどもの城 民話劇場」は、演劇、語り、舞踏、ミュージカルなど、いろいろな表現形式によって民話に流れる民族の心、姿を伝えることを目指します。芸術性の高い名作を系統的に上演するほか、「こどもの城」が主体的に新
人は出会いの刹那を繰り返す。海で出会う子どもと老人、新宿バッティングセンターで出会う若者たち、海に住む夫婦。人々の姿が地層のように重なり、時にすれ違う。本作はムニ『カメラ・ラブズ・ミー!』(2022年、こまばアゴラ劇場)で上演された作品です。
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。2021年夏、ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後"命"の三部作」第三作が待望の再演。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。井上ひさしの遺志を受け継いだス
────あーー! 何回死ねばいいの? もし、死んじゃっても、必ずわたしのいるところに、来て────何度も殺されるフフと、何度も助けるミチコのふたりは小さなループを作り、生活していた。ある日、そんなふたりのルームに映画を撮りたい男たちがやってきたことでループは歪む。撮影が開始されたルーム内で、生きているひと、死んでも死なないひと、もう死んだひとらがガチガチにぶつかりあい
楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~『楽屋』は清水邦夫氏の代表作で、日本で最も多く上演されている戯曲といわれる。チェーホフの『かもめ』や『三人姉妹』、シェイクスピアの『マクベス』、三好十郎の『斬られの仙太』などの戯曲をはじめ、さまざまな文学作品の言葉がふんだんに引用されている。登場人物は『かもめ』のニーナ役の女優と、その上演中の楽屋に住み着く女優だった幽霊の4人。名セリフの引用は、名作へのオマー
茨城県日立で炭鉱と坑夫の歴史をリサーチしたオル太が、神話の世界から近代化の時代を抜け、福島の原発事故を経て、延期されたオリンピックと常態化した緊急事態に振り回された日本の現在において信仰されている「神」とは、そのために捧げられている「労働」とは何かを問う。私たちの生きる都市はどのような「鉱山」で、日々そこで私たちはいかに身体と言葉を使い、使わされ、どこに運ばれ、何を掘り出し、また埋めるようにして生
楽しく不思議な世界を作り続けてきた劇団・ワワフラミンゴがシアター・イーストに登場。静かに喋る役者たちが静かに小活躍。かわいく、楽しいシーンがどこまでも続く。たった一人のダンスは必見。幻から「今」に迫る。とぼけと夢が混じる12月の物語。
時代から棄てられた廃駅のホームに、彼らが待つ幻の列車ははたしてやって来るのか?ある山あいの駅、すでに廃線となっているその駅に1人の女性がたたずんでいる。彼女は、この近くの丘にある精神病院へ、入院しているはずの弟を捜しにやってきたのだった。彼女がその廃れた駅で出会う、病院の医師、看護婦、そして患者たち。彼女の出現が、山あいの病院で孤独を抱えながら生きている彼らの間に、少しずつ波紋を広げていく。
近松門左衛門の「国性爺合戦」を下敷きに縦横無尽にアダプテーションする爽快スペクタル劇。近松門左衛門の「国性爺合戦」は17世紀の中国を舞台にした作品である。野田版は、国家というものが生まれつつある頃、(日本でいえば)3世紀ころの話になっている。あるところのある人々が、国という共同体を創ろうとしていた時代の物語。原作では漢人、日本人、満人、という三者の関係で描かれているものが、国家の外と内、中心と周縁
『銀幕迷宮-キネマラビリンス-』は、「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで死んだ、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の新作オリジナル作品です。監督カワシマに大鷹明良を配し、陰から妖へと変貌するその妻を美加理が演じ、青白く燃え上がるスクリーンの彼方に恐山の雪景が現出する時、亡霊たちが、闇を引き裂く叫びと共に浮上
舞台「ROAD59 -新時代任侠特区-」
2.5次元ミュージカル/舞台
ムカシ昔、夢か死、無か私…時代がかった駅舎めく礼拝堂めく病室めくその場所に、"新感染棄望X+零號(しんかんせんのぞみエクスプラスゼロゴウ)"出発のベルが鳴り響き、悪疫と戦争と殺人の惨禍が走馬灯のように繰り返し繰り広げられる。わたしの夢なのかわたしが夢なのか?わたしが見ているのかわたしが見られているのか?すべての存在の輪郭を滲ませながら強制収容の終着駅へ向かう、ナイトメア&フェアリイテイル。長大なモ
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
クリスマスの前夜、私、クララのもらった素敵な夢の贈り物は?目眩く機械仕掛の悪夢の一夜!何故なの?
それはローマ帝国史上、最凶最悪の皇帝にして、最年少の美少年皇帝。自らを太陽神ヘリオガバルスの化身として崇めさせ、誰も被ることのなかった黄金の冠を被った。異常性欲を持ち、不倫の妻を、処女の巫女をめとりながら、女装をし、奴隷男の妻となった。娼婦に変装し客を引いては、宮殿を自分の体を売る売春宿とした。彼は究極の快楽を求めた。それは饗宴の席で、客の上に何トンもの薔薇の花びらを降らせ、窒息する姿を楽しむとい
(フライヤーより)身近な題材から進化に迫る、優しいユーモアをたたえた舞台ー演劇ジャーナリスト 九鬼葉子
劇団夢の遊眠社第29回公演
初演は1985年、科学万博つくば'85エキスポホール、パルコ劇場など。1986年に国立代々木競技場第一体育館にて『石舞台七変化』三部作のひとつとして再演された。この三部作一挙上演は上演時間のべ6時間におよび、1日で26,400名の観客を動員するという偉業を成し遂げた。その後、1988年7月には第1回ニューヨーク国際芸術祭参加作品としてBAMマジェスティック・シアターで上演。同年7月にはパルテノン多
若き編集者・福島は運命の夜を迎えていた。今夜中に原稿を取ってこなければ、クビになるのは間違いない。彼が原稿を取りに向かうのは3人の作家。その名も、宮澤賢治、太宰治、中原中也。果たして作家たちの新作は無事に書き上がるのか。そもそも福島は、なぜ作家たちに会っているのか。抜きさしならない長い一夜の夜明けが近づいてくる。
こんにちは。杉並区に住んで20年になるペヤンヌマキです。 これまで半径10メートル以内で起きたみみっちいことを題材に演劇を作ってきましたが、なんと私の半径10メートル以内で壮絶な「道路問題」が起きていました!70年以上も前の道路計画がゾンビのように蘇った「都市計画道路」。道路ができると私が住んでいる場所は立ち退きになってしまいます。自分のことに精一杯で社会問題のことなんてこれっぽっちも考えてこなか
「夢幻能」の形式によって立ち現れるかつてない幽玄の『オセロー』シェイクスピア四大悲劇の一つ『オセロー』。黒い肌の傭兵将軍オセローが、部下の姦計から猜疑と嫉妬に狂った末、最愛の妻を手にかける――舞台はもちろん映画化もされるなど、今も世界中で上演され続けているこの傑作悲劇を、宮城聰は「夢幻能」の形式を用い、オセローに殺された妻デズデモーナの側から描くことで、痛切な「愛の物語」へと昇華させます。「夢幻能
世田谷シルク第10回公演
シーンは自殺した両親の葬式から始まる。その死因を探る委員会。残された盲の姉と弟は、両親が旅行者から借りたという金を返済していくことになるが、その最中に弟は若い女に出会い、自由を知る。また殺人を犯す。親類や町の人々は奇妙な親切心で刑務所の弟を援護するが、思い通りにならないとわかると激怒する。社会とその外側の世界を、孤独とともに舞台化。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
「真の美しさや人間的感情を求める人生が、虚栄の美しさや幸福を暴力的に求める存在によって破壊され犠牲となっていく社会」という主題に光を当て、2つの世界が互いに理解共存することが不可能であることを通して、人間はいかに共存していくべきなのか?という問題に切り込む。ワーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきたが、彼が定年退職しその無能さが明らかになり、今までの自分の献身が全くの無意味だったことを知る。
2人の女。20年前。家庭にインターネットが普及した時代。匿名掲示板──。全く違う場所で生まれ育った女性2人が、インターネットで出会う。誰にも話せなかった家庭と世間に挟まれていた2人は、ようやく打ち明けられる場所をネットの中に見つけた。記憶の世界をぐるぐると巡りながら、それぞれの身に起こる出来事を経て、とある決断を下す現在までの20年間を描く。
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
ポツドール vol.15
『愛の渦』(第50回岸田國士戯曲賞受賞)に続く、「渦」シリーズ第2弾。4つの部屋を同時進行で描くポツドール版ラブコメ。恋人のいない男女を引き合わせるパーティから始まり…。本音と嘘が何重にも交じり合った男女9人の恋愛の記録。
若手ダンサーを中心とした有名バレエガラ公演の第7回目。東京・パリ友好都市提携10周年を記念して、また1992年7月から12月にかけて東京で「パリ年‘92」が開催されていることを受けて、第7回はパリとフランスにちなんだ企画を軸として開催された。東京都が行う「パリ年’92」事業の一環として、8月7日、8日の公演ではフランスのスタンローバ児童バレエ団が出演し、『眠れる森の美女』を踊った。スタンローバ児童
いずみたくが『日本の日本人による日本人のためのミュージカル』として取り組んだ中に、ウィリアム・シェイクスピアの作品がありました。永きにわたり世界中で広く演じられてきた古典の台詞劇を日本人ならではの感性でミュージカルにしたものです。いずみたくが、若かりし頃、共に演劇を作った仲間に、青年劇場の瓜生正美がいます。いずみたくは、瓜生正美が手掛けた青年劇場の作品の多くで音楽を担当しています。「A Midsu
漫画・アニメ・⼩説と様々なメディアミックスを展開している⼈気作品「⽂豪ストレイドッグス」。本作は、舞台シリーズ最終章として、TVアニメ「文豪ストレイドッグス」第3シーズンを原作に、舞台ならではの表現で「共喰い」のエピソードを描きました。
この作品は、川崎の下請けの零細工場の経営者の安全管理無視から起こった災害事故、数名の労働者の焼死という悲劇を、背景にしています。劇はその前後の期間にわたり、焦点はこの工場で働く青年労働者の生き様、彼らの悩みや仲間同士の関係、愛情、対立、連帯、失望、希望に置かれています。また、彼らの使用者側、街でふれあう大企業を含む他企業の労働者、夜の歓楽街の息づかいなども描かれています。現代を反映して屈折した影を
『かもめ』の中に、情熱を持ち続けることの難しさや拭いきれない孤独など、現代社会と通じる問題を照らす。新たな世界へ飛び立ちたいと願い戦いながらも希望を失い妥協していく人々と、傷つきながらも妥協を拒絶し再び立ち上がろうとする人々の人生を、冷たい視線から赤裸々に描くことを通して《今の社会において人はいかにして死に、又は生き続けられるのか? 現代の不安定な生を支え得るものは何であるのか?》について問い直す
石井みどりが戦前に訪れた中国他、様々な夢の断片がコラージュされた作品。“夢はある時、においや色、光、熱の交錯などで夢幻の境地へ誘い、またある時は、まばたきの一瞬の間に想像的な旅となる。”
ウィリアム・シェイクスピア四大悲劇の中でも最高峰の名作「ハムレット」を、大胆にも男性5人で紡ぐミュージカルにアレンジし、ヒロイン、オフィーリアをはじめとした女性役もすべて、男性キャストが演じ、さらに1人のキャストが数々の登場人物を演じ分け、物語を展開します。「生きるべきか、死ぬべきか」などシェイクスピアの数々の名言・心理に迫る台詞を、胸に響く歌で綴る、挑戦的かつ刺激的な舞台です。いま注目の人気若手
岸野組がお送りする人情味溢れる時代劇ミュージカル!!こそ泥・金太は自称大泥棒・石川五右衛門の子孫。ところが泥棒としての実力はからっきし、ドジばっかりの現実から夢の中へと逃げ込む毎日。勿論、夢の中ではスーパーヒーロー。だが、それも夢の中だけでのこと。ある夜、偶然助けた記憶喪失の娘、そして執拗に彼女の命を狙う黒衣の殺人鬼。一念発起、娘を守ろうとする金太とそれを支える仲間達。だがそれは、彼らの運命を大き
ドキュメンタリー
ぽつねんとある自動販売機を止まり木のようにして集まる3人の人物の雑談から始まり、缶ジュースの風味が浸透するように境目なく様々な記憶や風景が現れては消え、過去や未来、人物がいるのかいないのかさえ揺蕩っていく。その中自動販売機だけは形を変えず、その場に存在し続ける。監視者なのか、なにかを促すモノリスなのか。感覚的なようで、人物たちの感情は一連のストーリーとして確かに繋がってるニュースタンダード会話劇。
初日の幕が開く直前、パレスチナの俳優が一人こない。俳優たちは、満席の客を前に、この危機をどう乗り越えようか途方に暮れる。すべてを賭けて稽古してきた日々を思いながら、俳優たちは即興で舞台をやり遂げようとする。ティティはパレスチナを語り、日本人、在日朝鮮人は自分を語る。わたしたちは何故演劇をやっているのか?わたしたち、とは何なのか?パレスチナと日本の異なった現実が交錯し、溶けあい、同時代を生きるわたし
大野一雄に師事していた研究生と大野一雄との群舞作品。1980年に大野一雄が海外デビューを果たしたナンシー国際演劇祭にて初演された。ひと月以上に渡るヨーロッパツアーからの帰国後に横浜の稽古場にて数人に披露されたものと考えられるが、上演日付は不明。ナンシー国際演劇祭のプログラムから把握できる配役は次の通り。胎児・馬:大野一雄 / 死神:池部篤治 / 太陽:中村森綱、秀島実 / 太陽を生む狂女、胎児の母
舞台「ROAD59 -新時代任侠特区-」
2.5次元ミュージカル/舞台
オスカー・ワイルド原作の名作童話を原作に、大人も子供も楽しめる、目にも楽しい朗読劇を創作。平和への祈りに満ちた視点で、温かくほろ苦く翻案したオリジナル戯曲です。「青色文庫 -其弐、文月の祈り-」と題した、古民家でのリーディング上演を、美しい映像作品にした本作。親子でもお楽しみいただけます。お客様からの熱い再演希望により、劇団のレパートリーとして繰り返し上演。大人の絵本のような、珠玉の短編作品。
バルコニーに佇む若い人たち、窓の外を眺めながらおしゃべりともいえない会話を交わしている。一方、PTSDの兵士と、こどもを兵士に撃ち殺された母親が対話しようとしている。更にこの世を司っている?ような、ユリズンという男が存在し、彼が笑うと世界では轟音が鳴り響き、地震が起こり、軍隊が派遣され、…3つのワールドは次第に絡まりあい、最終的に一つになっていく。ウイリアム・ブレイクの予言詩をもとに書かれた作品。
「あらゆるやわらかいものは、やがて硬いものの支配下におかれるだろう」と土方巽は言った。「硬いもの」とは何か。鉄か、風に耐える丸太の皮か、精神の硬度そのものか?「ヨーロッパの踊りは結晶、ダイヤモンドです。その皮をこうむいてね、朝顔ですよ、舞踏は」とも。舞踏とは何か、日本人の肉体とは何か。「花」「エロス」「結晶」をテーマにシャープで硬質な舞踏を展開、肉体のもつロマンティズム、エロティシズムを描く。
松井石根孫文、蒋介石と親交を結び誰よりも日中友好を願いながら戦犯として葬られた陸軍大将その男の悔恨と最期の日々
ロメオ・カステルッチと飴屋法水による、初のダブルビル上演。宮澤賢治のテキストから自由に発想し、それぞれ新作「わたくしという現象」(ロメオ・カステルッチ)、「じめん」(飴屋法水)を発表。二つの才能が宮澤賢治の世界を媒介に響きあう瞬間を、1000人もの観客が野外で同時に体験する。今回はじめて宮澤賢治の言葉に出会ったロメオ・カステルッチは、イタリア語に翻訳された多数の寓話や詩篇の中から「春と修羅・序」を
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
(フライヤーより)「夏の夜の夢」おれはキューピッドの矢が落ちた場所を目にとめておいた。それは西方の小さな花に落ち、純白であった花びらも恋の傷にいまは真紅に染まった。乙女たちはその花を「恋の三色スミレ」と呼んでいるそれを摘んでこい、いつか教えてやった花だ、その汁をしぼって眠るものの瞼に注いでおくと、男であろうと女であろうと、目が覚めて最初に見たものを夢中に恋してしまうのだ。「十二夜」あら、早まっては
その恋、気のせい!?いいえ、木の精のしわざかも・・・妖精、悪魔、人間が繰り広げる、SPAC「祝祭音楽劇」の真骨頂!世界的に活躍する劇作家・演出家の野田秀樹が、シェイクスピアの恋物語を大胆に潤色。富士山麓の「知られざる森」を舞台に、原作には登場しない悪魔メフィストフェレスを忍び込ませ、見る者を夢と悪夢のはざまへと誘う。その巧みな言葉遊びに、宮城聰ならではの機知に富んだ演出と躍動感あふれる打楽器のリズ