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転校してみたら常識が通用しないやつらばかりだった。試験中に歌いだす不良、すぐに刃物を探す少女、ずっと話さない男。新しい環境に戸惑っていると、一人の教師が言った。「じゃあ、演劇部作る?」その一方で、家は崩壊しようとしていた。水は、すぐそこまで来ていた。フィクションを超える現実と戦う人々に送る 全然笑えないコメディ。「もう笑うしかないよ。だって、水浸しなんだもの。」
「街」と「街」の境界が、住民や通行人の多数決で日々変動する時代を描いたSF作品。特徴の乏しい場所はどの街にも属さず、宙ぶらりんの隙間として残されている。その隙間に暮らす文子は、恋人の斎藤から結婚と隣街への引っ越しを提案され、迷っていた。そんな中、空き巣の塩村が部屋に侵入し、私物を少しずつ持ち去っていく。やがて時間の流れと共に、変動する境界は街の隙間さえも飲み込もうとしていた。
本公演では、「らしい身体の上演の可能性/困難性」をテーマに掲げ、俳優に限らず、観客や舞台機構といった広義の他者が存在し、互いに影響を及ぼし合う上演空間の中で、そうした他者の影響に晒されながらも、その人らしさを備えた身体がいかにして実現可能なのか、あるいは不可能なのかを探る。
人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
金子鈴幸が約一年半ぶりに作・演出を手がけた新作公演。2022年の日本においてどのような物語が【有効】なのか?という問いを出発点に、人間の持つ「どうしようもない部分」に光を当てるような作品となっている。とあるラーメン屋の店主、まさこ。彼女はラーメン界でも「元アイドル」という異色の肩書きで営業していた。「究極の一杯」を探求し、ラーメン道を日々邁進する彼女。その日もいつもと変わらない一日のはずだったが…
青森県のとある町。市町村合併に反対し、現在は高齢化率が50%を超える自治体。 学校区単位の運動会は廃止され、地区運動会と一体化された。明日は来年廃止が決定した地域イベント「かかし祭り」が行われようとしている。地域おこし協力隊など新たな移住者の受け入れに苦慮しながらも、新旧町民による「まち」への問いかけが、思いもよらぬ展開へと発展する。
殺人事件の犯人は双子で、主犯格の弟「幸司」は死刑、補助役の兄「憲司」は無期懲役がそれぞれ確定する。刑務官たちは死刑囚となった幸司と日々接するうちに、「死刑の在り方」について自らに問い直していく。というのも死刑囚となった幸司は驚くほどの真人間へと更正していくのだが、無期懲役の憲司は自分の罪に真摯に向き合っているとは言い難かったからである。刑務官たちの心は揺れる。死刑は廃止すべきと考える者、刑が確定し
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
わずかずつ、わずかずつ/気がつくたびに日1日と/部屋が狭くなってきている。11日前の水曜日/不安を抑え切れずに/金物屋から5メ—トル計のメジャ—を買ってきた/今日だって3回計測した/昨日より1回増やしたのだ/壁から壁。/決してその手は震えていなかったのに/部屋は一晩で23ミリメ—トルもちぢんでいた/一昨日から昨日にかけてが19ミリメートル/ついに20ミリメートルを超えた/部屋は加速度を増しているく
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
2006年6月、沼田中央病院では7名の研修医たちが医師としての基礎的な能力を身に着けるため日々切磋琢磨している。1年目研修医たちはそれぞれの技術習得に夢中、2年目研修医はそろそろ研修終了後の進路も気になり始めている。ある日、2年目研修医杉下が当直研修明けの朝、研修病院探しのための診療参加型医療実習「クリニカルクラークシップ」に参加するため医学生松井敬がやってくる。第24回劇作家協会新人戯曲賞1次通
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュースの第二弾。穂の国とよはし芸術劇場の芸術文化アドバイザー(2017年当時、19年4月からアソシエイトアーティスト)であったアル☆カンパニーの平田満と劇場との共同企画。KAKUTAの桑原裕子の作・演出、平田満、井上加奈子、増子倭文江、中尾諭介、多田香織、小林勝也といった出演者により、2017年12月に豊橋、北九州、東京で上演。団地の一室を舞台に描かれた小さな作
館林美術館での滞在制作2年目。別館の同一空間を使っての2作品交互公演の1作品。被疑者は要人狙撃の現行犯、事件の真相をめぐり引き寄せられる運命、取り調べる者と取り調べられる者、両者を隔てるのは何か、そして浮き彫りになるこの国の「寂しさ」
下北ウェーブ2019
本多劇場主催「下北ウェーブ2019」にて選出・上演。初演(題『うたたね姫』)は2014年、松戸市での滞在制作を通し、再開発される街と、そこに適応できない人々の姿を描いた。再創作版では、かつて自ら書いた戯曲に共感できないという違和感を出発点に、普段の知覚外にある社会事象を扱った。「その程度で悩むな」という意見の暴力性と向き合うことで、見えにくい痛みや、世界の多様性をあぶり出した。
編集者の郡内は、作家・麦川に突如「明日、あなたにラリアットしたい」と電話をかける。奇妙な相談を持ちかける郡内に対して、麦川は一つの条件を出す。それは、中学時代の同級生・図雲雪次をみつけだすこと。まれな人たちが巻き起こす、たのしい復讐劇。
TRASHMASTERS vol.35
とある町。原発の産業廃棄物受け入れによる交付金で図書館や劇場など公的機関の建設を目論む首長は、受け入れに対する反対勢力との会合に参加した。会合は互いに相容れず散会に終わる。やがて、産廃を受け入れて町興しをしようとする市長側と、反対勢力の間で町が二分する……。震災から10年が経ち、東北では原発が再稼働するという。これは幸福か、それとも……。狂おしいほどに駆け引きが横行する町に未来はあるのか……。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
ダイエット、ピアッシング、リストカット……。強迫観念のように身体を変えること(傷つけること)に取りつかれた少女たちの心理を、3話オムニバスで描く。①ダイエッター「セリナ」:過酷なダイエットの果てにセリナは念願の痩身を手に入れるが、そこへ3年前のセリナ自身が現れ、「あんたは今なお嫌われ者だ」と詰め寄る。②ピアッシング「美咲」:美咲と麻美はピアッシングとタトゥに夢中。リストカットの過去を持つ二人は、体
戦後。「高度成長」の初め頃ー。村の人々は貧苦にあえいでいた。産まれたばかりの赤ちゃんが、昔ながらにコロコロ死んでゆく。雪深い山奥の村。医師に給料が払えない。「国保」係の高野は村を歩きまわる。滞納を整理できなければ病院がなりたたないのだ。無医村の恐ろしさを知っているのは誰よりも村の人々。だが、村の人々は金を払えない。八方ふさがりの村をどうすればいいのか。教育長、深田は考える。まだ封建色の強い家の中で
ここは落下する飛行船。上空1000000000kmで、ついに故障した飛行船。地面に到着するまでが、あと七日間の飛行船。四人の女と四人の男。何をして過ごそうか。
太田家のリビング。父、正夫の前に、水先案内人と名乗る男が現れ「あなたは一年前に死んでいる」と告げられる。正夫は突然の宣告を信じようとしないが、死を受け入れる代わりに、自分が死んだ後、家族がどう生きているかを見たいと言い、水先案内人は渋々家族のもとに連れて行く。そこで見た現在の家族の現状に胸を痛める正夫は、案内人の姿を借り、それぞれに言葉を投げかける。そして再び家族が揃ったとき、これまで語られなかっ
いつ高シリーズvol.7
この雪が止むまで、図書室にいよう。テーブルを本でいっぱいにして、つまみ食いみたいにちょっとずつページをめくりながら過ごそう。朝についての印象的な書き出しからはじまる女子高生の話、気だるそうな主人公が日常のちょっとした謎を解いていくミステリー、異世界に転生したら全部うまくいくファンタジー。お気に入りのセンテンスを拾い集めながら代わる代わる本を読んで いく。そのうちウトウトしはじめて、気づいたら睡眠。
広告代理店に勤める赤星。バリバリの現役高校生・剣之介。年齢は違えど、二人にはともに熱い思いを寄せる相手があった。そしてまた周囲を気遣うあまり、どうしても打ち明けられないのも二人の共通点。 パラレルに描かれていく二つの恋物語は、やがて時間のラビリンスの中へと迷い込んでいく。果たして二つの恋の行方は? そして赤星と剣之介の関係は? 「シンデレラ」
同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することに。しかし、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深
色彩シリーズ
「小さな差別や偏見がやがて大きな戦いを生み出す」舞台は2001年9月アメリカ同時多発テロ直前のニューヨーク。 仙台の出版社に勤務する男がリフレッシュ休暇を利用してニューヨークを訪れた。「東洋人の中年男性絵画モデル募集」のアルバイトに応募する。モデルを探していたのはダウンタウンにアトリエを持つ女流画家。「家族の肖像」と題する作品制作のため、デッサンをしながらふたりはお互いを理解していく
相原志保が、短大時代に出会った友人・澤田まゆといつもの喫茶店でお茶をしている。今朝見た夢についてお話をしていると、見知らぬ人が会話に参加してきた!……のであるが、それはどうやら澤田まゆの高校時代の友人・上村岬で、相原志保とは以前にも会ったことがあるという。最初の出会いは去年の冬、、、冬?「あれ?そもそも今年の冬……あった?」「冬のことをまったく思い出せなくなってしまった」という症状が出始めた世界の
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。
ある夫婦のはなし。子どもは10万人に1人の難病だった。海外での移植手術のために懸命な募金活動を行ったが、あと少しで目標額に届きそうな時に亡くなった。しばらくして。夫が妻に必要なくなったはずの募金活動を持ちかける。またしばらくして。ようやく目標額に達したその日。2人のもとに子どもが逃げ込んでくる。そこから事態は大きく変化していって・・・。
昼間の公園で中年の男女が話をしている。ふたりは友人で、ふざけ合ってばかりいる。男の妻は入院中で、これからお見舞いに行くところらしい。何かを待つわけでもなく、何かをするわけでもなく、ただ時間を過ごしている。なんにも起きないけど大事なおはなし。
6人姉妹のとある一日。家庭や子ども、仕事を持つ生活の中で、それぞれの価値観がぶつかったり、励まし合ったり……。女6人、この姉妹は仲が良いのか悪いのか?個性あふれるキャストでお送りする、20代から40代の6人姉妹の赤裸々ドタバタ物語。
舞台はとある関西地方都市。時は1月3日、4日の両日。超高層団地にある小さな空き地。荒れ放題のその場所は誰が言うともなく「こやまさんちのにわ」と呼ばれている。そこに集う団地の住人。お互いの名前も知らず職業も分からない。ただ彼らの間をつなぐのは、この場所をめぐるたわいもない噂話。団地内で今夏起きた三件の殺人事件は未だ解決をしていない。登場する住人たちは皆、死の影とセックスの匂いをはらんでいる。現実感覚
「長い正月」は、とある家族の1924年から2024年までの"100年の正月"を定点観測する、ささやかな大河劇。「人生は短い。この正月は長い」がキャッチコピー。誰にも平等に訪れる"正月"という時間を100年の長いレンジで扱い、戦争、震災、コロナ…といった歴史的事象を織り交ぜつつも、市井の人々の暮らしと営みに光を当て、ドラマを見出した。戯曲は上演後、演劇批評誌「紙背」に掲載。
色彩シリーズ
震災から10数年後の宮城県沿岸部にある「海の見えるホスピス」で余命宣告を受けた人達が命を見つめる、死と再生の物語。
7月28日の夜、大型の爆撃機が数十機飛来しマチを爆撃した。周辺に疎開していた者達は当局から出された通告により帰宅しており、被害を増大させた。爆撃のさなか、迎撃の戦闘機による体当たり攻撃により、一機の爆撃機がムラの山中に墜落。搭乗員は残らず死んだかに見えたが、一匹の鬼が村人・ショウスケによって確保され、獣医・タロウ宅に保護されたのだった。
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
シリーズ|加害について
今より遥かに人口が減った日本。空き部屋が目立つようになった郊外の団地は、小さな病院や売店を団地内に併設させ、介護が必要な人々を積極的に招き入れる簡易的な老人ホームのような役割を持つようになっていた。理想のコミュニティとはなんだろうか? ここではない何処かか、あるいはここを住み良くすることか。分断と分断のあいだにある暮らしを想像する「シリーズ|加害について」第二作。
都市生活と観光のように、現在と過去/未来、現実と想像など異なる二地点を行き来する身体のあり方を「ヴァカンス的身体」と定義し、城崎国際アートセンターにて一ヶ月に渡る滞在リサーチを行った。市民とのワークショップで浮かび上がった個々人の喪失の風景、竹野の地質遺産が持つ時間的積層、都市開発が加速する地元・福岡の空襲の痕跡。それらのあらゆる距離と接続し、現在地に還元していくための身体を獲得する旅に出る。
クリスマス禁止令が施行されている近未来、命がけでクリスマスを守ろうとしている人々がいた……。畑澤聖悟、工藤千夏の共作作品。風刺に満ちたブラックコメディ。あなたは何を信じ、何を守るのか。なべげんがお送りするクリスマス・ドラマの決定版。
北海道空知地方、夕張。1980年代初頭。かつて良質な製鉄用コークスを産出し、高度経済成長を支えたこの地方の鉱山も、エネルギー政策の転換や、安い海外炭の普及により閉山に追いやられていた。「石炭から石油へ」「炭鉱から観光へ」国策で推し進められてきたはずの産業は、急激な転換を迫られ、混迷し、国からも企業からも見放され衰退していく。それから約20年後、2000年代、財政破綻後の夕張。再建の道は絶望的とされ
昇進が決まり東京の本社に移動することになった娘、文は父親をひとり実家に置いていくことに不安を覚えていた。そこで、文は父のかつての同級生で、寡婦である道子との再婚を斡旋する。しかし、父と道子が再会し距離を縮めていく様子を見ていた文は亡くなった母親のことを慮らずにはいられなかった。複雑な想いを抱えたまま東京への出発の日は近づいていく。文と父の暮らしている町の様子と町の子どもたちの成長を文の移り行く心情
なにが正しくて、なにが間違っているのか。誰かの記憶か、いつかの夢か? 記憶が曖昧で、分からない。この光のない小さな部屋の外に、本当に世界はあるのだろうか…。何もかも“記録”することで薄れていく“記憶”や、モビリティが高くなりあらゆる境界線が曖昧になっていく社会、そして自分がいる世界から脱することのできない閉塞感やその中で生きる人間像を、光のない小さな部屋に閉じ込められた3人により描き出す。
世田谷シルク第14回公演
日本に似たとある国の化学工場、分析課。規則の厳しい工場で働くこの国の民たちは、ある日、外の国からの元プロレスラーという労働者を受けいれることに。ところが彼は、この国の言葉が話せない。外国人に免疫のない従業員達の反応は様々な一方、会社は外国人を増やして、自国の派遣社員を辞めさせる決断をしている。自分が普通と考えている習慣は、実は少し変かもしれない。そんな発見を外国人労働者の目線を通して見つける作品で
「母親が癌だった……」語り手が唐突に話し出す。場所はどこなのかはわからないが、職場やバイト先のような目的をもって強制的に集められる場所。語り手、ならびに聞き手たちはそこによく集まるメンバーで、仕事終りの、目的を果たした後のような時間をそこで過ごしている。語り手の話を真剣に聞こうとしながらも、徐々に聞き手たちの頭の中はズレていく。育ってきた環境もこれまでの経験もみんな違う。自分の想像で話の余白を埋め
獣三作
正木円治は、“寝取られ”の性癖を持つ夫婦やカップルとSNSで出会い、公認で依頼者のパートナーとセックスをする活動をしている。ある日、円治は星野夫婦から、精子提供という名の“孕ませ”の依頼を受ける。悩む円治だったが、認知はしないことを約束し依頼を引き受ける。医療機関を介さずに精子提供を行う男と、第三者に寝取られる事で愛を確認し合う夫婦の、現在とこれまで。生きづらい世の中を描いた《人と人と人》の物語。
THEATRE E9 KYOTO アソシエイト・アーティスト公演
純子は同棲している彼氏からある童話を聴かされる。そこでは彼氏が元々蛙魚という生き物であったことが語られるが、そんなフィクションめいた話を純子は何故か信じ始めてしまう。また、その話の結末にてルクレという蛙魚の友達のような存在が死んだまま水底に捨てられたことを純子は忘れられないでいた。純子は、バイト先の同僚の野口と虚構の旅に出て少しでもルクレに近づこうとする。そして、彼女は水底で、ある女性と邂逅する。
「自殺」に関わりのある人々、約70人ほどを目安にインタビュー取材を行い、そのインタビューから戯曲を構成するドキュメンタリー・シアター。その日本初のオリジナル作品。インタビューを行った人々は、親しい人を自殺でなくした経験を持つ「遺された者」、自ら自殺未遂経験を持つ「サバイバー」、自殺対策に取り組むNPOや自治体の担当者など「立ち上がる者」など多岐にわたる。 自殺にまつわる人々の話を単に並べて「自殺」
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を「聞く」ことからはじめようとする。
TRASHMASTERS vol.34
とある町の、台風による水害に苦しむ地方の、公民館。その日も台風は勢力を保ったまま接近していた。そこには青年団のメンバーが、祭りの開催について協議するために集められていた。祭りの開催から、災害対策、人命の格差まで話は及び、会議は紛糾する。やがて会議は終わり、解散したのだが……付近で土砂崩れが発生し公民館は停電、町の中心からも孤立する。そこに、土砂崩れに巻き込まれた青年団員が運び込まれてくる……
「表現の自由」という権利の重要さ、尊さを改めて認識してもらい、これらを抑圧しようとする、ネットやメディア等の「現代の検閲」のについて、当事者意識や必然性などを考察し、表現を規制し抑圧する正当性が本当にあるのか否かを観客に問いかけることで、表現活動への理解を深めることを目標とした。観客の芸術表現についての思想の成熟を促すことを目指し、全ての芸術表現への理解度を深める機会となることを目指し企画された。
演劇をやめて久しい土井は、かつて出演した演劇作品の「演出家」の弟を名乗る人物から、演劇の上演を依頼される。そこで土井が受け取ったのは、アンドレイ・タルコフスキーのある映画をもとに書かれた、演劇と救済にまつわる、一本の奇妙な戯曲だった――。ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”2024採択公演。
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
5周年記念公演として、劇団「iaku」の劇作家・横山拓也氏の代表作『人の気も知らないで』と町田マリーのオリジナル戯曲『かぞくららばい』を二本立て上演した作品。『人の気も知らないで』は全編大阪弁の小気味のいい会話劇。今作では設定を屋外に変え、満開の桜の木の下で同僚三人の女性がそれぞれの立場から議論する。『かぞくららばい』は、子育て、介護、夫婦、母への思いなど家族を取り巻くあらゆることをさりげなく散り
コロナ禍で生まれた山本卓卓と川口智子の初タッグが送るSFヒューマン愛<ラブ>ドラマ!?鈴木光介の作曲と、出演者全員のバンド演奏でおくる、エンターテイメント劇場!ひとつの家に住んでいても言えないこと。隣の家に住んでいても聞こえないこと。本当かわからない過去のことや、知らないふりをする未来のこと。2組の夫婦の心の声に耳をすませて描く、現在の物語。
とある大学の解剖棟の地下の旧校舎と新校舎をつなぐ一本の連絡通路が舞台。そこに派遣アルバイトのアプリの指示で、深夜の大学にやってきた3人の女性。それとバイトで呼ばれた医学部生の2人。そのバイト内容は48体の研究用の献体(死体)を、旧校舎から新校舎へひたすら移動させることで。深夜にひたすら献体を運ぶ5人。そんな中、派遣アルバイトの1人が、献体が動いたのを目撃する。
第68回岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』の記念事業として、作品モチーフとなった岐阜県高山市「こどものほんや ピースランド」にて舞台芸術文化の流布を目的に行った本事業は、各新聞社にも取り上げられ、会場全体を使った続編の回遊型上演を開催した。絵本屋の特徴を活かし託児せずに親子で全回参加できる鑑賞機会として、演劇不毛の地と呼ばれていた岐阜県高山市に訪れる幅広い世代への芸術復興に貢献した。
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
高校の同級生カナコの突然の事故死から一ヶ月後、東京に住むわたしと地元高知に住むマナカの二人は須磨に住む高校の同級生、藤くんに会いに行くことになる。旅の途中、ヒッチハイクをしていた松田さんとサービスエリアで出会うが。本作はムニ『カメラ・ラブズ・ミー!』(2022年、こまばアゴラ劇場)で上演された作品です。
ロボット、アンドロイド、クローン、そして人間の「存在」への問いを描いた作品。ダンス寄りな身体と切り離された言葉で表現の可能性を探る。
これはたぶん、ストーカー的に誰かを好きな女の人の話で、その恋は全く報われていない、報われる気配がない(というか相手が実在するのかも怪しい)、のだけれど、それゆえにかえって独自の深化をとげて、不思議な塩梅で彼女を支えています。それは、執着といえば執着で、でも不思議とねじくれたところなくスキッとしている。他人に迷惑かけてない。ヘルシー!すっかり擦り切れて、ヤサグレかけていたところに降りそそぐ、甘い露。
「わたしは、フィクションなんかに救われない」。大量消費されるフィクションを疑い、その危うさを見つめ、それでもなおフィクションをつくり続ける葛藤をテーマに、売れない小説家と周りの人間関係を描き、この物語の隙間から逃れ出ようとする“役を持たない男”がフィクションの虚構を暴き出す。東京で生まれ育ち、下町に住みながら人々の生活、息づかいを作品として紡いできた山田が、瑞々しい感性で描いた群像劇。