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1組のカップルが暮らす部屋のリビングに、共通の知人がふいに現れる。彼女が死んでいることを2人はもう知っていて、けれどもそれを迎え入れる。つかの間の再会と乾杯。なぜか、家に帰れなくなったという見ず知らずの他人も後から合流して過ごしていると、生きるものと死んだものの境目が溶け合って、いつの間にか夜が明ける。
マレーシアのクアラルンプールで過ごした幼少期の記憶を、作家自身が演じる一人芝居。2020年は、マレーシアが「2020年までに先進国入りする」と宣言した年であり、また二度目の東京オリンピックが開催される年でもあった。際限なく求められる成長・成果の象徴である2020年を横目で見つつ、そこへの違和感を子供の生きた一日一日の目盛の側から書いてみる。
日本海に面した小さな港町、金輪町。加瀬真治は三日間の行方不明の後、別人格となって発見された。医師の診断は脳の障害。不仲だった夫の変化に戸惑う妻の鳴海を置いて、真治は毎日散歩に出かける。同じ時期、田舎町に似合わない凄惨な事件が起きる。老婆が家族を惨殺し自殺するという事件で、一人生き残った孫娘も神経衰弱状態だという。その後、町に奇病が流行り出す。ある特定の概念を失い、それについて理解できなくなるという
東京成人演劇部vol.1
大人計画主宰、松尾スズキが演劇部を始動。8050問題の親子、ドキュメンタリー作家志望の学生と教授を描く安藤玉恵との2人芝居。第71回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)受賞80代で認知症気味の母親エイコ(安藤玉恵)と、ニートでアルコール依存症の50代の息子オサム(松尾スズキ)。貧困生活を送っている2人を、ドキュメンタリー作家志望の女子大生アサダ(安藤玉恵・2役)が撮影し密着していた。エイコの年金を当てに
カラフルな絵本の世界にようこそ!子どもから大人まで三世代で楽しめる年齢不問のエンターテインメント!ご存じ世界で初めて飛行に成功した ライト兄弟の物語!!︎ ではなく… ライト兄弟に憧れたある兄弟が、 亡き父の夢を果たす為 さまざまな困難に挑戦するおはなし
農業革命時、身体は生産材として重要な役割を担ってきた。しかし、時代の変化とともに、工業化と情報化が進み、身体を拡張する『脱身体/ポスト身体』の時代へと急速に変化してきている現代。本作では、失われゆく身体への価値を再提示するため、日本全国の農耕祭祀、考古学、民俗信仰などをリサーチし、日本文化の水脈を掘り下げていくことで、「様式化される以前の身体性」をテーマに創作される注目のダンス作品。
人は美談に殺されるーー人類の平均寿命が50歳まで低下した近未来。人々は早すぎる死を恐れ、人生の意味を渇望し、己の死に様に「美談」を求めるようになった。依頼人の求めに応じて美談をつくる「美談作家」はもてはやされ、売れっ子は巨万の富を築いた。ある時、大御所美談作家が駆け出しの貧乏美談作家に依頼する。「私の為に、この世で一番下らない美談を書いてくださらない?」二人の出会いが、社会を揺るがす恐ろしい美談を
職安に勤務する健二と看護婦の陽子。子どもの面倒、家事一切が健二の分担だ。陽子の後輩の多くが結婚を機に看護婦を辞めていく。看護婦の仕事は家族の協力、犠牲なくしては成り立たないのか?遂に過労で陽子は倒れる。健二は新聞に投書する。「十分な労働条件と休息がなぜないのか、看護婦のオヤジたちよ、あなたは辛くはないですか。このままでは私たちの家族は完全に破壊される…」。人間らしく生きるために働き家庭を築く。共働
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。
ダイエット、ピアッシング、リストカット……。強迫観念のように身体を変えること(傷つけること)に取りつかれた少女たちの心理を、3話オムニバスで描く。①ダイエッター「セリナ」:過酷なダイエットの果てにセリナは念願の痩身を手に入れるが、そこへ3年前のセリナ自身が現れ、「あんたは今なお嫌われ者だ」と詰め寄る。②ピアッシング「美咲」:美咲と麻美はピアッシングとタトゥに夢中。リストカットの過去を持つ二人は、体
・あらすじ少年時に同じ人物から性被害を受けたコースケとノゾミ。そしてコースケの弟リオ。場所はコースケの部屋。コースケはノゾミとリオを部屋に集め、彼らの被害を告発する記事への協力を依頼する。性被害の加害者は実は彼らの父親だった。しかし、告発する事で更なる迫害を受けると彼らは意見がぶつかり合い、コースケは抑えられていた精神状態が錯乱し刃物を彼らに向ける…。・概要少年性被害を取り上げた物語。“持続可能”
QoiQoi第4回本公演。アーツカウンシル東京単年助成カテゴリーⅠ採択。オリジナル作品を書き下ろし、外部の新たなキャスト・スタッフと共に作り上げた挑戦作。劇場は語らない。笑い。涙。歓喜の拍手。多くの人々をただひたすら見てきた。劇場は思い出す。繰り返してきた人々の営みを。観客の眼差し、キャストの汗。スタッフの真剣な横顔。劇場は語らない。劇場は覚えていた。劇場は全て覚えていた。
コロナ禍での上演となり、2004年初演の本作をパンデミック・バージョンとして再構成した。ツイッターの♯(ハッシュタグ)自殺で、出会った4人の物語。初演はその中の一人が「人間の盾」になりますが、2020では、目に見えない「自粛警察」に戦いを挑む。
世田谷シルク第14回公演
日本に似たとある国の化学工場、分析課。規則の厳しい工場で働くこの国の民たちは、ある日、外の国からの元プロレスラーという労働者を受けいれることに。ところが彼は、この国の言葉が話せない。外国人に免疫のない従業員達の反応は様々な一方、会社は外国人を増やして、自国の派遣社員を辞めさせる決断をしている。自分が普通と考えている習慣は、実は少し変かもしれない。そんな発見を外国人労働者の目線を通して見つける作品で
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
ラジオのスタジオ。一九五〇年代のB級SF映画「地球最終放送」(原題「たたかう女」)をノンストップトークする女性アナウンサー。たばこを取りにスタジオの外に出ようとするが、スタジオがオンボロで扉が開かない。ふと不安になり、片っ端から放送を聞いてみるが、他に放送している局はみつからない。知り合いに電話をかけまくるが通じない。「地球最終放送」の内容がほんとうになったのだろうか......。
1本の老木をめぐる3つの物語。時代の転換点に浮かび上がる多様な思考。チェーホフの名作『桜の園』をベースに矢内原美邦が独自の視点で描いた1本の老木をめぐる3つの物語。この木を伐るか、否か。そこにはそれぞれの主張があり、賛成があり、反対があり、いくら言葉を費やしても果たしてそこに正解はない。言葉は意味を失い、時間を失い、どこか遠くのほうをさまよいはじめる。もう誰も信じない... 君が「そうだ!」という
個人史と政治の関わりを独自の演劇的アプローチで掬い上げ、タイ演劇界でいまもっとも注目されている若手演出家ウィチャヤ・アータマート。本作はクンステン・フェスティバル・デザールや、ウィーン芸術週間をはじめとした多くの有力国際フェスティバルに招聘されるなど、高い評価をあつめる話題作だ。舞台はバンコクの小さなキッチン。登場する姉弟は毎年5月のある日をこのキッチンで一緒に過ごし、料理をしながら亡くなった父親
英国の小さな田舎町で平穏な年金生活を送っていたジムとヒルダの老夫婦。ある日突然ラジオから戦争勃発を伝えるニュースが流れ、ジムは大慌てで政府発行の“戦争に生き残るための手引き”と首っぴきで室内用核シェルターを作り始める。ヒルダの方は戦争など他人事、ひたすら家事に夢中でどっちが勝つと思う?など呑気な話をしている。二人にとって戦争といえば第二次世界大戦の思い出だけで核戦争の実感は少しもないが、政府のいう
戦後。「高度成長」の初め頃ー。村の人々は貧苦にあえいでいた。産まれたばかりの赤ちゃんが、昔ながらにコロコロ死んでゆく。雪深い山奥の村。医師に給料が払えない。「国保」係の高野は村を歩きまわる。滞納を整理できなければ病院がなりたたないのだ。無医村の恐ろしさを知っているのは誰よりも村の人々。だが、村の人々は金を払えない。八方ふさがりの村をどうすればいいのか。教育長、深田は考える。まだ封建色の強い家の中で
TRASHMASTERS vol.34
とある町の、台風による水害に苦しむ地方の、公民館。その日も台風は勢力を保ったまま接近していた。そこには青年団のメンバーが、祭りの開催について協議するために集められていた。祭りの開催から、災害対策、人命の格差まで話は及び、会議は紛糾する。やがて会議は終わり、解散したのだが……付近で土砂崩れが発生し公民館は停電、町の中心からも孤立する。そこに、土砂崩れに巻き込まれた青年団員が運び込まれてくる……
演奏舞台51年目の挑戦!完全新作オリジナル。[あらすじ]東京郊外。季節は春だというのに、孫の読書感想文を一生懸命 手伝っている元高校教師・源三。彼を尋ねてきたのは かつての教え子だった、斉藤順二。大量の原稿用紙。『羅生門』。散乱する肌着。些細な会話から次第に紐解かれていく事実。どこにでもあるような、どこにもないような、 小さく淡い、一個の家族の物語。
老人ホームサンライズで働き始める介護職員A子。彼女が体験する福祉の現場は想像以上に過酷なものだっ た。しかし、そこで入居者のB二郎と出会う。仕事に翻弄されながらも福祉という繋がりの中で2人の間に 生まれる友愛、そして1人の人を看取るまでを芝居で表現。後半は、B二郎の歩んできた道のりをたどる30 分間の舞踏で構成する、演劇とダンスを使った、A子とB二郎、ふたりの絆の物語。
カノン形式に沿って、2人の男女の出会いは何度も何度もリフレインし、男は幼児時代から大人へ向かって生き、女は老女から少女へ向かって生きながらすれ違いを繰り返す。2人はまるで現代の織り姫と彦星のようだ。電話で繋がってはむなしくその糸は切れてしまう。果たして2人は再び出会うことができるのか。
時事ネタ劇団として現代を風刺してきた笑の内閣が、風刺そのものを風刺するため古典に進出。挑戦するは、風刺喜劇の大先輩モリエール。―1665年12月、モリエールがかねてから目をかけていた若手劇作家ジャン・ラシーヌによる裏切り行為が発覚する。育てた恩を仇で返したラシーヌに落とし前をつけさせるため、呼び出すモリエール。2人の長い夜がはじまる……。
ファイル4577、通称ナビ・スマイル。本名年齢国籍不詳、性別男性。身長175センチ、測定誤差±2。体重64キロ、測定誤差±1。職業殺し屋。19××年のある夏の日。彼のもとに謎の依頼人がやって来る。そこからこのストーリーは始まる。宗教と奇跡。そして核とSDI。与えられた時間は、ONE WEEK。
四国の田舎で隕石を拾った天文マニアの男たちの物語。その隕石は見た者の思考を奪い、時間を止めてしまう。誰かの手を借りない限り目をそらすことはできず、一人で見たら最後、餓死するまで見続けることになる。もう一つの特徴は、見た者に恐ろしいほどの幸福感を与え、見た時間の記憶は無く、ただ幸福感だけが残される。天文マニアと隕石の出会いから、100年後の行く末までを、日常がズレで大状況になっていく「イキウメ・スタ
劇団青年座創立60周年記念公演 第三弾
大正七年米騒動が起こったその夏、愛は福井若狭の寒村で祖母を見送った。愛の父宇助は地場産業を興そうとしたがうまくいかず田圃を手離し、あげく中風で寝込んでいる。宇助の面倒を看、妾に産ませた鉱太郎と千吉まで引き取って育てる母しん。翌年、愛はしんの後押しもあって棺桶作りの角治のもとに嫁ぐ。角治の母いしは、盲目だったが死ぬまで「ふれごと」をして村を歩いた。いしの日常はいつも明るく生活の知恵あふれ、その中で愛
今作は、サミュエル・ベケットの戯曲「ロッカバイ」に触発され創作した。 「ロッカバイ」は、家の中で死と向かい合う老女の孤絶を描いていたが、今作は、公園にいる家を失った一人の女にフォーカスした。帰る家を失った女が、かつて住んでいた幻影の家に戻っていく思いにとらわれている。 コロナ禍で仕事や家を失い、公共の場でさらに孤独を深める人たち、その老い、死など現代社会の課題を鮮明に浮彫にする。さらに、今もなお世
ところは関東のある小都市、某不動産会社のバックアップで、リゾート開発をめざしていた保守党の市長が、愛人宅で急死した。後援会が後継者選びに苦心する間に、反対派閥の県議がはやばやと立候補を宣言し、不動産会社もそっちへ寝返る。あわてた市長派は、大学助教授である市長の娘婿に白羽の矢を立て、東京から呼び戻した。理想家肌の助教授は、教育文化都市の建設を説き、クリーン選挙を条件として立候補を承諾した。ところが選
気概ある若手達が新進気鋭の演出家 木村龍之介の下に集まりシェイクスピアの世界を14日間で立上げる。これからの日本のシェイクスピア作品を担う若手たちの挑戦を目撃せよ!ーーーーーーーージュリアスシーザーあらすじ:共和制末期のローマ帝国。紀元前44年3月15日のジュリアス・シーザー暗殺とその後をめぐる物語。宿敵を破ったシーザーが民衆の歓呼を浴びローマへ凱旋する。しかし護民官や貴族のなかには対抗勢力のなく
芸劇eyes
ある日、2つの家庭のリビングルームが、1つの空間に重なってしまう。1つは1945年、オーストリアとハンガリーの国境付近の村レヒニッツ。空想の旅に出ることが娯楽の三姉妹の家。もう1つは2024年の日本。高齢兄妹、泉縫(いずみ・ぬい)と妹の伊緒(いお)の暮らす家。1945年3月24日に起きた、パーティーの余興として200人のユダヤ人が殺されたという「レヒニッツの虐殺」までを過ごす三姉妹と、現代日本に住
劇団衛星のおくる大学の物語・第二弾。会場での参加、リモートでの参加、アーカイブ配信と3通りの参加の方法で、学会の世界をライブ感たっぷりに味わえる参加型演劇作品。架空の「日本超学際教育研究学会」を舞台に、研究者たちの思惑やプライド、研究者でない人たちの思惑や諸事情が、「複雑」に錯綜する、社会派悲喜劇。
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。被疑者はそれぞれ「国家公務員」「精米店の女主人」「男子大学生」。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。それは
ひきこもりとある家族の物語。舞台は、感染症が蔓延した都市。感染リスクから逃れるために地方に移住する人などもいる中、とある場所で夜中に「ひきこもりを治すことができる」と言われる人物に会うために集まった人々が、朝を迎えるまでを描いた物語。
「キミがどんなに世界に軽蔑されても、ボクはキミを軽蔑する世界のほうを軽蔑するし、してきた。」第66回岸田國士戯曲賞受賞作『バナナの花は食べられる』で描いた“人情”のその先、“愛”のフェーズ━━━本作をもって劇団公演では作家に専念すると宣言した山本卓卓が、夫婦という最小単位のコミュニティから日本社会を浮かび上がらせ、罵倒や暴力の先にある人間の優しさと愛を描く。
劇団青年座創立四拾周年記念公演:1
平将門をめぐる権謀術数に明け暮れた男達の汗と血潮と、そこにからみつく女達の激情に翻弄された人々の愛のものがたり。京都に壮大な平安文化を繰り展げてきた公家社会にしのびよる新しい勢力、武力をもってその存在を中央に認識されようとする時代に将門は生きた。いつの時代にも大きな転換期に登場する英雄にまつわるものがたりは哀しい。しかし、人々は、地にへばりついて生きながら、彼等のものがたりを語り継いできた。それは
世は南北朝時代、足利尊氏と新田義貞が天下をあらそう戦乱の時代。新田の家臣・塩谷判官[えんやはんがん]高貞は足利軍にやぶれ、降伏した・足利がうばった新田の財宝を返してもらうかわりに、塩谷は新田の愛人・勾当内侍[こうとうのないし]をさしだす。天下の美女を手に入れた尊氏の弟・直義[ただよし]は塩谷に心をゆるし、むほんのたくらみをあかして仲間にひきいれる。一方足利の重鎮・高師直[こうのもろのお]は、直義の
僕は、あくまで僕が行う演劇において、社会や未来や観客や人類に対しての「問い」を持つべきだという考えに取り憑かれて創作をしています。年齢や出身地なんか関係ない。運命や希望や絶望などとも関係ない。僕だけのオリジナルな、完全無欠かつ純粋無垢で邪悪で妖艶で現実的で蠱惑的で幻想的で残酷な「問い」を持つこと。かといってそれはさも「問い」らしくあらないこと。「問い」ぶらないこと。「問い」を生み出そうとか、そうい
物語は2001年から始まる。アマチュア天文家の二階堂と山田は、近所の山に落ちた隕石の破片を拾う。その隕石は、見る者に恐ろしいほどの幸福感をもたらす。一度目にしたら夢中になり、思考を奪い、目をそらすことができない隕石。その後、あらゆる都市に巨大な柱が降り注いだ。それは人々にあきれるほどの祝福を与え、静寂のうちに支配した。世界は大きく変わり、長い時間が経った今も、柱は人の生活を寄せ付けない。柱は人間に
青森県のとある町。市町村合併に反対し、現在は高齢化率が50%を超える自治体。 学校区単位の運動会は廃止され、地区運動会と一体化された。明日は来年廃止が決定した地域イベント「かかし祭り」が行われようとしている。地域おこし協力隊など新たな移住者の受け入れに苦慮しながらも、新旧町民による「まち」への問いかけが、思いもよらぬ展開へと発展する。
おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのと
「25年前の俺たちが、今の俺たちを見たらどう思いますかね」時代の狭間に生きる哀歓を描く、 ケラリーノ・サンドロヴィッチの新境地!1993年、バブル景気が終息した日本。旅行会社を経営する赤本建三(三宅弘城)は、東京郊外の一軒家に妻の亜子(坂井真紀)と娘の桃子(根本宗子)と住む。家には亜子の弟・光吉(赤堀雅秋)が居候し、その元妻・浩子(新谷真弓)が夜な夜な訪れる。だがある深夜、七ツ森豊(安井順平)の死
体外受精にスポットを当て「不妊治療の今」を男たちの視点で描く。パズルのように時間が往来する戯曲構成、劇場全体を待合室と見立てた舞台美術で、観客自身もまた翻弄される当事者であると思わせることを狙った作品。ある日、サラリーマンの藤枝は「㈱ファミリー・クラブ」という結婚相談所で、どこか風采のあがらない、芳野という男と出会う。芳野はファミリー・クラブで知り合った芳子という女性と2年前に結婚。芳野自身が完璧
1968年「広域108号事件」を題材。 死刑判決を受けた男が、自身の半生を物語る。
突如現れた「アレ」によって避難指示区域となった街。高校二年の春から、かれこれ二十年引き籠もり続けるニシダ君はわずか十日で出産する謎の女ミクニとともに「軍隊作り」に着手する。そんな中、妹サチコは自分たちを捨てた父と密かに文通を始めるのだった。消えゆく風景と記憶。遠くの教会から届く鐘の音が呼び起こすのは、母が語った福音書―。伊豆野眸「家族三部作」の第二章。
慶応二年冬、駿州清水仲町次郎長宅から祝言の歌が聞こえているが、現れた若い渡世人綾太郎は甲州黒駒一党の不穏な動きを告げる。次いで現れた新徴組取締役山岡鉄太郎が徳川の為に一肌ぬげと次郎長を口説くがはねつけられる。婚礼の夜は一転血しぶき散る修羅場となった。宿敵の出入は多数の死者を出して一旦おさまるが、次郎長の怒りはやがて伊勢荒神山の決闘へと発展する。喧嘩出入りに明け暮れる次郎長だが、時代は江戸から明治に
ニッポン全国、今夜もパソコン通信であちこちに会話の花が咲く。ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人もそんな仲間だ。ところが初めて直接に顔を合わせる「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまう。そしてある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが。指示に従ってヤリタイが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。それは小夜子にも天涯孤独にも届けられていた。シタイは何
政治家の演説、著名人のスピーチ、大学入学式での祝辞、中学校の校則など、さまざまな言葉を翻訳者たちの言葉として引用し、上演しました。
『かもめ』の中に、情熱を持ち続けることの難しさや拭いきれない孤独など、現代社会と通じる問題を照らす。新たな世界へ飛び立ちたいと願い戦いながらも希望を失い妥協していく人々と、傷つきながらも妥協を拒絶し再び立ち上がろうとする人々の人生を、冷たい視線から赤裸々に描くことを通して《今の社会において人はいかにして死に、又は生き続けられるのか? 現代の不安定な生を支え得るものは何であるのか?》について問い直す
シェイクスピアシリーズⅠ
イギリスの劇作家シェイクスピアの四大悲劇の一つである「マクベス」を題材に、社会に対する鋭いまなざしを持つ劇作で評価が高い、くるみざわしんが新解釈で戯曲を執筆。マクベスという暴君を、それを生み出した背後にある社会構造や人間関係などを現代社会とリンクさせ、男たちの闘争劇から女たちの物語へと再構築した。
大手広告代理店DK2のコンサルティング部に勤める栗宮春子が劇作家の小野司に相談したのは、「前田の刃」で有名な食品加工機器メーカーのトップ「MAEDA」で実施予定の社内結婚推進キャンペーンのインターナルコミュニケーションについてである。「男性の育児参加の推奨のために保育室を設置しました」など、対外的な情報の発信はできてるものの、結局社内であまり使われていないという課題があった。また、男女の社員同士な
集まれない人々。リモートでつながりを持とうとする。しかし、やることは、簡単なテーブルゲームで遊ぶだけなのだ。その中の梨田という男は仕事はテレワークで一人暮らし。誰とも会えない生活を過ごしている。自分のことをヤドカリだと思い込むようになった。そうでもしないと自分が保てなくなったのだった。この世の中は海底で、息苦しいのはそのせいだと思っていた。妄想の中の彼は海の底でじっとしている。ただそれだけ。いつも
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
高層湿原・高山植物の宝庫「巨瀬」にうち寄せる二つの津波。アジアの盟主になろうとナチも真っ青の狂い咲き。そのためにゃ電気だ。巨瀬にダムを!「日本隅々焼け跡だらけです。復興が第一です、まずは電気です。巨瀬から水を取るというのはどうです?」二つの津波の中の巨瀬にぽつんと小さな山小屋があった。「恵蔵小屋」。小屋の住人たちはとても怒っている。巨瀬をなんだと思ってんだ!
現在、演劇界で活躍中の劇作家と個性派俳優とのバトルは予想通りの舞台を誕生させた。劇作家が仕掛けたストーリー、装置、小道具、そして一人の紡ぎ出す台詞に二重、三重に隠された複数の声。たった一人の俳優が、これらに対峙し舞台空間を埋めていく作業は、まさに芝居の醍醐味そのものであった。今回の企画は、ひとり芝居に挑戦する若き劇作家の登場である。早稲田大学在学中に「劇団笑うバラ」を主宰し、現在は他劇団の役者を集
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビーシアター
テーマは、狩猟採集社会のコミュニケーション。「ひととどうぶつがはなしができて 森や風や、さまざまなものに心をかよわすことことができて、ひとびとは、うたうように おどるように おしゃべりをしている・・・。そんな場所がこの地球のどこかにあらならば、あかちゃんは誰よりもその場所のことがよくわかるのかもしれない・・・」森や動物と密接な関係をもつ狩猟採集社会の文化にインスピレーションをうけ創作された本作は、
新たな技術は新たな法を生み、新たな法は新たな犯罪を生む――。OEN(オリンポス経済ネットワーク)と呼ばれる未来の社会共同体。ある日、派遣社員である「私」は、ニュースの中に自らが働く医療施設の名前を見つける。それはある収容者の死亡事故だった。だが、事件の姿は調べるうちに変貌し、過去へ遡る物語は次第に全く別の様相を見せてゆく…。生=労働=尊厳=価値? 現代社会を生きる私たちの等しさを巡るブラックユーモ
お笑いのライブで知り合った楠木と菖蒲は、互いの友人を誘って親交を深めて行く。二人の紹介で知り合ったシトロネラとヒソップは恋に落ち、ほどなく結婚式をあげるが、その直後シトロネラは水を飲むと湖になってしまうという奇病に侵される。二人の闘病生活は次第に疲弊しついにシトロネラに死の宣告が訪れる。ボリス・ヴィアン作『うたかたの日々』を大胆にアレンジしSF的世界観をシュールな舞台表現で描いた乱舞する愛の讃歌。