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シェイクスピアシリーズⅠ
イギリスの劇作家シェイクスピアの四大悲劇の一つである「マクベス」を題材に、社会に対する鋭いまなざしを持つ劇作で評価が高い、くるみざわしんが新解釈で戯曲を執筆。マクベスという暴君を、それを生み出した背後にある社会構造や人間関係などを現代社会とリンクさせ、男たちの闘争劇から女たちの物語へと再構築した。
ある地方都市。「北原むつ美」が、訪ねてきた「串間ひさ子」に思い出の写真を見せつつ、夫の自慢話をしている。むつ美の夫は福島第一原発の元作業員で、既に亡くなっている。明日はその四十九日にあたる。訪ねてきたひさ子の夫は、今なお原発で廃炉に向けて過酷な仕事に従事する現役の作業員。そこにむつ美の義理の妹「泊川小春」が金を無心しに来る。やがて3人の女たちの話から、原発の廃炉作業に従事する作業員たちの理不尽な日
世は南北朝時代、足利尊氏と新田義貞が天下をあらそう戦乱の時代。新田の家臣・塩谷判官[えんやはんがん]高貞は足利軍にやぶれ、降伏した・足利がうばった新田の財宝を返してもらうかわりに、塩谷は新田の愛人・勾当内侍[こうとうのないし]をさしだす。天下の美女を手に入れた尊氏の弟・直義[ただよし]は塩谷に心をゆるし、むほんのたくらみをあかして仲間にひきいれる。一方足利の重鎮・高師直[こうのもろのお]は、直義の
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
こまつ座「戦後"命"の三部作」の記念すべき第一作。魅力あふれる新しい俳優を迎え堂々上演。
時事ネタ劇団として現代を風刺してきた笑の内閣が、風刺そのものを風刺するため古典に進出。挑戦するは、風刺喜劇の大先輩モリエール。―1665年12月、モリエールがかねてから目をかけていた若手劇作家ジャン・ラシーヌによる裏切り行為が発覚する。育てた恩を仇で返したラシーヌに落とし前をつけさせるため、呼び出すモリエール。2人の長い夜がはじまる……。
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
2019年の三鷹で描かれた、公務を担う母と定年を迎えた父の別れ。女と男、妻と夫の、過去から今から次へのお話。実話を基に子が脚本を書いて演出し、実父も出演する、母と家族の歴史。
広告代理店に勤める赤星。バリバリの現役高校生・剣之介。年齢は違えど、二人にはともに熱い思いを寄せる相手があった。そしてまた周囲を気遣うあまり、どうしても打ち明けられないのも二人の共通点。 パラレルに描かれていく二つの恋物語は、やがて時間のラビリンスの中へと迷い込んでいく。果たして二つの恋の行方は? そして赤星と剣之介の関係は? 「シンデレラ」
「売り子」は絶えず可動式の椅子に座り、腰は2本の伸縮性のロープで結ばれ、その端はKIOSKの店舗の中に繋がれている。「店舗」=KIOSKと化した身体は、「店を開店し商品を並べる」という労働行為を、「機械的」動作に象徴化した反復運動によって表す。〈拘束された身体〉を駆使し労働をする女からは、被抑圧者の無情や自由の希求、労働の労苦とそれに熟練した誇りなど、様々な感情の様相が浮かび上がる。
ノーラの決断は過去のもの?時を越えて響く注目の新演出!もうすぐクリスマス、ノーラは浮かれていた。可愛い我が子に、やさしい夫ヘルメル。夫の仕事も順風満帆だった。だが、ヘルメルの部下クログスタの訪問によってある重大な秘密が暴かれ、ノーラは自分が可愛がられるだけの「人形」であったと気づき…。女性解放運動にも大きな影響を与えた、「近代演劇の父」ヘンリック・イプセンの傑作社会劇。舞台をヨーロッパから昭和10
我々が作るのは、歴史上初めて登場する女の王クレオパトラを、フェミニズムの視点から描く、歴史大河ドラマではない。これまで我々はフェミニズムの多くの側面を芝居にし続けてきた。今改めて我々は、フェミニズム芝居の原点をリメイクすることで、クレオパトラの半生を通じて「私こそ世界であり、世界こそ私である」女の生き様、等身大フェミニズムを実践する。
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
(フライヤーより)『魚の祭』は崩壊した「家族」の蘇生の物語である。この夏、あなたは「家族」に出会う……
東京下町、戦前からの老舗甘味処「笹本」。女将・諒子はかつて広告代理店に勤めるキャリアウーマンだった。時代はバブル景気真っ只中、男と肩を並べバリバリ仕事をこなし恋も遊びも贅沢に楽しんだ。四十を目前にした頃、両親が相次いで亡くなり、ようやく立ち止まった諒子。気づけば恋の相手は皆結婚、バブルも終わりお祭り騒ぎの毎日は終わった。諒子は退職し、両親が残した店を継ぐ決意をした。それから十数年、この小さな町での
3LDKの高見家に住むのは、会社勤めのお父さん、専業主婦のお母さん、バリバリキャリアウーマンの娘、大学生の息子。一見どこにでもありそうなフツーの一家だが、ある日、お母さんのお母さんが、アキレス腱を切ったことを理由に同居を求めてやってくる。なんとか同居を断りたい高見家だったが、追い打ちをかけるようにお父さんのお父さんまでもが独り暮らしの家を売り払い、同居を求めて乗り込んで来てしまう。ずるずると窮屈な
米・北東部ニューイングランド地方、ゴールデンポイントと呼ばれる湖があった。朝夕照らし出される湖面はまさに《黄金》に輝き、湖畔の閑静な別荘は都会の喧騒から離れ一夏を過ごす人々のやすらぎの場であった。間もなく80歳のノーマンは厳格で頑固ものでユーモアと教養を持ち合わせていたが、老いと忍び寄る<その時>への影におびえ苛立っていた。妻エセルは対照的に変わらぬ快活さを見せているが最近の夫が気がかりだ。夫婦の
1994年、戦後49年目の年に誕生した二人芝居『父と暮せば』。1995年より日本各地を巡る全国公演を開始。戦後60年を迎えた2005年までに、通算368ステージを数え、『紙屋町さくらホテル』『リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン』の原点ともなった。女優栗田桃子を迎えて、装いも新たに上演。次世代に語り継ぎたい、井上戯曲の傑作にしてこまつ座のライフワーク。
ものがたり 山の竹やぶにトラが住んでいた。名前はトラノトラゴロウといった。ある朝目をさますと、お誕生日のカードとトラゴロウの大好物の肉まんじゅうのプレゼントが置いてあった。早速食べようとしたトラゴロウに、カラスが行儀が悪いと注意する。仕方なくお皿とローソクを借りて戻ってきたが、肉まんじゅうがなくなっている。トラゴロウはカラスに騙されたと思ってかわりに食べてやろうと出かけていくのだが、今度は仇敵りょ
「自殺」に関わりのある人々、約70人ほどを目安にインタビュー取材を行い、そのインタビューから戯曲を構成するドキュメンタリー・シアター。その日本初のオリジナル作品。インタビューを行った人々は、親しい人を自殺でなくした経験を持つ「遺された者」、自ら自殺未遂経験を持つ「サバイバー」、自殺対策に取り組むNPOや自治体の担当者など「立ち上がる者」など多岐にわたる。 自殺にまつわる人々の話を単に並べて「自殺」
新たな技術は新たな法を生み、新たな法は新たな犯罪を生む――。OEN(オリンポス経済ネットワーク)と呼ばれる未来の社会共同体。ある日、派遣社員である「私」は、ニュースの中に自らが働く医療施設の名前を見つける。それはある収容者の死亡事故だった。だが、事件の姿は調べるうちに変貌し、過去へ遡る物語は次第に全く別の様相を見せてゆく…。生=労働=尊厳=価値? 現代社会を生きる私たちの等しさを巡るブラックユーモ
ダイエット、ピアッシング、リストカット……。強迫観念のように身体を変えること(傷つけること)に取りつかれた少女たちの心理を、3話オムニバスで描く。①ダイエッター「セリナ」:過酷なダイエットの果てにセリナは念願の痩身を手に入れるが、そこへ3年前のセリナ自身が現れ、「あんたは今なお嫌われ者だ」と詰め寄る。②ピアッシング「美咲」:美咲と麻美はピアッシングとタトゥに夢中。リストカットの過去を持つ二人は、体
河野紗代子(音楽)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。「黄色」という色にどんな印象を抱くだろうか?太陽や星、菜の花やひまわりの元気で温かい色。反対に、踏切や信号、標識など危険を喚起する色。日本人には、黄色人種=アジア人ヘイトの問題があり、映画界では、紛争や貧困地域の描写に黄色い色を映像に重ねる「イエローフィルター」も近年問題視されている。本作では、「黄色」が持つ
ある地方都市、金輪町。住宅地の十字路。その一角に住む人々から、不審者がいるとの通報が増えた。不審者達はどこからともなく現れ、消えていく。何をするわけでもなく、時折苦しそうな表情を見せる。目を離すと、いなくなっている。幽霊という噂が立つが、目撃者は皆、確実に存在していたと話す。人の住処につきものの、ありふれた怪奇現象。その片鱗を掴んだことが、大きな間違いだった_。
会社でうだつのあがらないトキオは、レイコに思いを寄せながら、自分が彼女にふさわしい男だと思えない。ある日、永遠の時を手に入れられるという「神になる本」を目にしたトキオは、輪廻転生を信じ、意を決してビルから飛び降りる。こうして生死を超えて、愛する人を追い続けるトキオの旅が始まる。だが、それは「オイディプス」「ロミオとジュリエット」、はたまた「サザエさん」といった、すべて「あらかじめ用意された物語」を
あらすじ「テメェのせいで組織が腐るんだよ!!」崇高な経営理念。野心的なビジョン。不可解な転落事故をきっかけに、すべてが狂い出す。夢と絶望が支配するブラックオフィスミステリー。
2025年一横須賀。「大深度有人潜水調査船しんかい12000」が初航行を行う。向かう先は、世界の最深部であるマリアナ海溝チャレンジャー海淵だ。一方、1875年一横須賀ではチャレンジャー号がマリアナでの深度調査を追え、停泊をしていた。事件をきっかけに過去と未来は繋がれ、深海の神秘や生命の起源についての仮説が浮き彫りになった時、未来へ託す壮大な夢がそこに現れた。
舞台は、ある地方都市。市の中心を流れる大きな「三宮川」が次第に水かさを増している。市の防災対策課では避難勧告の決断が下せない。やがて支流が氾濫、やがて一気に水かさを増した三宮川が決壊し、市役所へとあっという間に押し寄せてくる……。「災害対策の危うさ」をベースに描きながら、「非常事態が迫っていることを人はなぜ実感できないのか」「その想像力の欠如の原因となっているものは何か」。自然災害を目の前にしなが
農業革命時、身体は生産材として重要な役割を担ってきた。しかし、時代の変化とともに、工業化と情報化が進み、身体を拡張する『脱身体/ポスト身体』の時代へと急速に変化してきている現代。本作では、失われゆく身体への価値を再提示するため、日本全国の農耕祭祀、考古学、民俗信仰などをリサーチし、日本文化の水脈を掘り下げていくことで、「様式化される以前の身体性」をテーマに創作される注目のダンス作品。
とある地方地域の市議会。市長の答弁の最中に議員席からいびきが聞こえてきた。市長は、その様子をSNSに投稿したことで議会議員たちから呼び出されることとなった。この作品は安芸高田市長と議会の対立、及び議会側に寄り添うメディア、これらを他人事のように取り上げるネットメディアといった三つの要素をモチーフにし、地方政治の腐敗について原因と問題点を観客と共有し、積極的に政治に参加できる社会を目指し製作されまし
頑張り屋さんの13歳の少女Aが、難病の少女Bのケアについて、少女Bの母親から学校のクラスへの強い介入を受ける。自身もネグレクトを受け孤独な少女Aは、唯一心を許す担任の男性教師の中に自分の居場所を作るため、自ら少女Bのケアを買って出て、少女Bから男性担任教師との二人の時間を取り戻そうとする。幼い決意が招く、「罪と罰」の物語。「ほんの少し、ボタンを掛け違えた人の悲劇に寄り添う」がモットーの坂本企画が、
現在、演劇界で活躍中の劇作家と個性派俳優とのバトルは予想通りの舞台を誕生させた。劇作家が仕掛けたストーリー、装置、小道具、そして一人の紡ぎ出す台詞に二重、三重に隠された複数の声。たった一人の俳優が、これらに対峙し舞台空間を埋めていく作業は、まさに芝居の醍醐味そのものであった。今回の企画は、ひとり芝居に挑戦する若き劇作家の登場である。早稲田大学在学中に「劇団笑うバラ」を主宰し、現在は他劇団の役者を集
1組のカップルが暮らす部屋のリビングに、共通の知人がふいに現れる。彼女が死んでいることを2人はもう知っていて、けれどもそれを迎え入れる。つかの間の再会と乾杯。なぜか、家に帰れなくなったという見ず知らずの他人も後から合流して過ごしていると、生きるものと死んだものの境目が溶け合って、いつの間にか夜が明ける。
「男性の性暴力被害」を描いた作品。特班記者のコースケは、ベランダに金魚を飼っている。友人・ノゾミの影響だ。ある日、コースケが勤める編集部に、子どもの頃、ノゾミの父親から性暴力を受けたという男性がやってくる。甦る過去の記憶。ノゾミとともに過去に立ち向かおうとするコースケに、弟のリオはリスクを問う。男性の性暴力被害者たちが幼少期からの被害を告発する葛藤と、互いの存在を頼りに過去の自分と向き合いながら回
お笑いのライブで知り合った楠木と菖蒲は、互いの友人を誘って親交を深めて行く。二人の紹介で知り合ったシトロネラとヒソップは恋に落ち、ほどなく結婚式をあげるが、その直後シトロネラは水を飲むと湖になってしまうという奇病に侵される。二人の闘病生活は次第に疲弊しついにシトロネラに死の宣告が訪れる。ボリス・ヴィアン作『うたかたの日々』を大胆にアレンジしSF的世界観をシュールな舞台表現で描いた乱舞する愛の讃歌。
バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の大建設現場。自由奔放な協同組合の人気者、ワーリャを巡る男達。「安売り女」と陰口を叩かれながら、そんな事を気にも留めず我が道をゆくワーリャ。恋人、友人、仲間たちとの交流の中でワーリャは自立した大人の女性へと成長してゆく。彼女を変えたものは一体なんだったのか……恋愛、友情、そして働く人間たちの葛藤を描いた青春群像劇。
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビーシアター
テーマは、狩猟採集社会のコミュニケーション。「ひととどうぶつがはなしができて 森や風や、さまざまなものに心をかよわすことことができて、ひとびとは、うたうように おどるように おしゃべりをしている・・・。そんな場所がこの地球のどこかにあらならば、あかちゃんは誰よりもその場所のことがよくわかるのかもしれない・・・」森や動物と密接な関係をもつ狩猟採集社会の文化にインスピレーションをうけ創作された本作は、
こんにちは。杉並区に住んで20年になるペヤンヌマキです。 これまで半径10メートル以内で起きたみみっちいことを題材に演劇を作ってきましたが、なんと私の半径10メートル以内で壮絶な「道路問題」が起きていました!70年以上も前の道路計画がゾンビのように蘇った「都市計画道路」。道路ができると私が住んでいる場所は立ち退きになってしまいます。自分のことに精一杯で社会問題のことなんてこれっぽっちも考えてこなか
「ここ」と「そこ」の隔たりについて。電車の中で起こる無自覚な身体と短い会話のコラージュを用いて無関心や無自覚の暴力性を扱った作品。
直木賞受賞作家が描いた女傑を、実の娘が演ずる、熊谷真実の『鎮魂劇』!裸一貫から文字通り熊谷商店を切り盛りし、数々の苦境にも明るく立ち向かう「元気印」の女傑、熊谷清子。女優熊谷真実・美由紀を生み、永遠のヒーロー松田優作の闘病を見守った彼女を実の娘「熊谷真実」がひとりで演じきる話題作。
本作『ストリーム』は、コロナ下で起こった時間感覚の変化をテーマに制作された三部作『Sign』『Cue』『Out』のスピンオフとして、2020年から現在までの出来事を元にした、捩子のモノローグで構成されたソロ作品です。芸術活動、仕事、病、子育て、戦争、経済、死、ダンス…コロナだけではない、私たちの日常と生に並走する様々な“with-ウィズ”について話すことからパフォーマンスを立ち上げます。
ガンコ一徹、職人気質の社長が倒れた!!跡を継いだ息子は古い体質を改善しようと大改革を宣言!!が、従業員とのミゾは深まるばかり。働けど働けど報われない毎日。リーマンショック後の東京は大田区の町工場を舞台に、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、若者たちが大バトル。工場のおやこ三代を軸に様々な価値観がぶつかり合って、見えてきたものは・・・・・?
本公演
後悔は再生にたどり着けるか。人は誰でも過ちを犯す。その最悪の一つは偶然の巡り合わせであれ過失であれ他者の人生を踏み躙ること。自らが加害者であったことに気付いた時、良心ある人間は後悔する。ただし後悔の深さはそれぞれだ。人類が後悔を失った時、そこには文明の瓦解が待ち受ける。トルストイは良心によってこの瓦解を食い止めようとした。抱月はわが国の近代化をまず良心の浸透に求めようとした。文学者たちは、志半ばに
2024年に日本初民間小型ロケットを開発・打ち上げを行う会社の軌跡を描いた物語である。2008年に制定された宇宙基本法により、民間の宇宙開発が可能になった。16年の月日が経ち、いよいよ宇宙に向けてロケットを飛ばせるようになる。しかし、打ち上げの失敗により予算は底をついてしまう。その後、買収の話が持ち上がった時、会社と社員の選んだ決断とは。人生の逆境をいかにして乗り越えるか、夢の本質が描かれる。
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
壁なき演劇センターと国立ベトナム青年劇場による国際共同制作ベトナム現代演劇を代表する国立劇場の俳優と日本の俳優が融合し、舞台上で日本語とベトナム語が飛び交う現代感覚に彩られた情熱的でダイナミックでスピーディな『新たなチェーホフ劇』ワーニャとソーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきた。そこへ彼が後妻エレーナを連れてやって来る。そこでワーニャは今までの自分の彼への献身が無意味だったことを知る。
18世紀、文豪ゲーテの書簡小説「若きウェルテルの悩み」は理性が全てに勝るという啓蒙主義を背景に恋愛の挫折と自殺という不条理を描いた。本作品はこの設定を現代の小学生に移行。成人が演ずる子供には将来の夢と思春期の未熟が同居する。秘密の共有、孤立、イジメ、性への執着。上田テルオはその姿の絶望を転校前の友人に書き送る。ロッテと呼ばれる少女が現れ、小説の執筆を勧め、テルオは魂の救済とロッテへの恋に震える。
古城十忍の新作書き下ろし。男は「ある反政府集会」の中心的人物が自分の娘の恋人であることを知り、戸惑いながらもその恋人の日々の行動確認(行確=コウカク)を開始する。高校教師を務めるその娘はSNSによる誹謗中傷を受け、個人情報までもがネット上にさらされてしまう。そんなある日、男は自分自身が見知らぬ何者かに行確を受けていることに気がつく……。そして娘は、誹謗中傷の発端が意外な人物であったことを突き止める
愉快痛快な一人芝居。三味線の音色に乗せてお届けする涙と笑いの人情話!昭和二十年頃に起きた、嘘のような本当の話に芝居ながらの嘘を交えてお届けする演劇版「曲馬団の女」原作は、十二代目田辺南鶴の作。戦時から終戦後の混乱する東京を舞台にした新作で、蘭という曲馬団(サーカス団)出身の女が主人公。最後には登場人物全員がハッピーになり、聴き手も幸せな気分になれる物語である。劇団「柿喰う客」の中屋敷法仁の演出によ
琵琶湖では外来魚による固有種の生態系破壊が問題となっており、琵琶湖では外来魚のリリースは禁止され、湖周辺の釣りスポットに「外来魚回収BOX」なるゴミ箱が設置されている。しかし、釣り人の3割はこのBOXを生き物の命を粗末にする行為だと反対し、外来魚を湖に戻している。現地での取材を通じて、固有/外来/生命/生態系の対立を見つめ、両立を探った作品である。
ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人が初めて直接会う「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまい、ある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが届く。指示に従ってヤリタイたちが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。シタイは何の目的で白い粉を送ってきたのか? シタイは今どこにいるのか? そもそも、白い粉は何なのか? オンラインとオフライン。イメージと現実。
エゴ・サーチとは、インターネット上で、自分の本名やハンドルネームで検索すること。ある日、本名・プロフィールが自分と全く同じ人物のブログを発見し、正体をつきとめようと画策するうち、失っていた記憶を取り戻す男の物語。男の書く小説の世界と、なくした恋人との思い出の世界が多層的に描かれる。
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
「表現の自由」という権利の重要さ、尊さを改めて認識してもらい、これらを抑圧しようとする、ネットやメディア等の「現代の検閲」のについて、当事者意識や必然性などを考察し、表現を規制し抑圧する正当性が本当にあるのか否かを観客に問いかけることで、表現活動への理解を深めることを目標とした。観客の芸術表現についての思想の成熟を促すことを目指し、全ての芸術表現への理解度を深める機会となることを目指し企画された。
1本の老木をめぐる3つの物語。時代の転換点に浮かび上がる多様な思考。チェーホフの名作『桜の園』をベースに矢内原美邦が独自の視点で描いた1本の老木をめぐる3つの物語。この木を伐るか、否か。そこにはそれぞれの主張があり、賛成があり、反対があり、いくら言葉を費やしても果たしてそこに正解はない。言葉は意味を失い、時間を失い、どこか遠くのほうをさまよいはじめる。もう誰も信じない... 君が「そうだ!」という
教科書出版会社を舞台に、人間の良心と外部からの圧力との葛藤のドラマ。千田是也、ふじたあさや、青年劇場のトリオが、一冊の教科書づくりにかける男たちを通して、今日の教育に迫る。
椿組2023年春公演
「あんた、わたしの一生は小説よかもっと小説のごたるばい」 老女たちは薄羽かげろうのような私をはじきとばして、目のまえにずしりと坐りました。その姿には階級と民族と女とが、虹のようにひらいていると私には思えました。 『私は何かを一生懸命に探していたのです』・・・・森崎和江著「まっくら」より。 戦後、筑豊に生きる女炭坑夫ら百年の聲を聴き歩いた森崎和江。 彼女の出逢った男と女の物語・・・「負けられるか!」
青森県のとある町。市町村合併に反対し、現在は高齢化率が50%を超える自治体。 学校区単位の運動会は廃止され、地区運動会と一体化された。明日は来年廃止が決定した地域イベント「かかし祭り」が行われようとしている。地域おこし協力隊など新たな移住者の受け入れに苦慮しながらも、新旧町民による「まち」への問いかけが、思いもよらぬ展開へと発展する。
不幸にも子供に恵まれることのない夫婦と彼らの代理出産を請け負った夫婦との間に、様々なすれ違いや、苦悩、問題が横たわる。それでも二組の夫婦は、やがて産まれてくる子供への期待を高めていく。自分たちがそうであるように、人は、愛を信じて産まれ、生きているのだから……。
個人史と政治の関わりを独自の演劇的アプローチで掬い上げ、タイ演劇界でいまもっとも注目されている若手演出家ウィチャヤ・アータマート。本作はクンステン・フェスティバル・デザールや、ウィーン芸術週間をはじめとした多くの有力国際フェスティバルに招聘されるなど、高い評価をあつめる話題作だ。舞台はバンコクの小さなキッチン。登場する姉弟は毎年5月のある日をこのキッチンで一緒に過ごし、料理をしながら亡くなった父親