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宇宙旅行を企画する会社で働く主人公サルタは新たな旅行先の調査中に事故に遭い、氷で覆われた星に不時着。そこで彼は、20年前宇宙旅行のさなか、事故に遭遇し行方不明になった同級生達と再会する。彼らは当時の姿のまま、氷に包まれた惑星で救助を待ち続けていた。大人になれなかった彼らと、大人になってしまった私たちを巡る、約束と失望の物語——。2014年、2017年と好評を得たSF冒険活劇の待望の再演。
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この作品は、再演でもなく再現でもない。9人の身体の新たな起点だ。三東瑠璃は2024年12月末から2025年1月にかけて行う東京 – 北米ツアー公演のために、代表作:『Matou』、『Where we were born』を再構築した。本編は2024年12月末、すみだパークギャラリーささやにて収録。東京公演のみ上演された、Evoke Dance Studioによる、開場中パフォーマンスも併せて収録し
日本コンテンポラリーダンス界のゴッドマザー黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」黒沢美香の代表作「ジャズズ・ダンス」は、1992年に初演をむかえ、本公演で12回目の公演となります。ジャズ音楽の形式をダンス作品の構造に持ち込み、即興をベースとして進行される当作品は、ダンサーの力量や感性等によって大きく左右され、また公演毎に様々な表情を見せます。また、今回は生演奏でのミュージシャンとの共演により、舞台芸
身体障碍者の「障碍そのもの」を芸術に転化して身体表現を行ってきた態変が40周年を迎え、真正面からアフリカに挑みます。人類発祥の地と一説にいわれるアフリカから、偉大な旅が始まる第一部(グレートジャーニー)そうやって出て行ったポジティブな旅の連中が、第二部(奴隷船)では、巨悪な資本主義の根源である奴隷制度の時代に帰ってくる。その時、旅にもまれた連中がかき回す世界は、どんなうねりを発するのか?
(フライヤーより)日韓の劇場間ネットワークとして2003年スタート東京・青山円形劇場とソウル・シアターゼロとが共同で若手アーティストの作品上演の機会アーティストコミュニケーションの場として企画・制作参加アーティストは連続してソウルと東京で作品を上演している
「消失」し続ける身体。そして「消失」しても、なおそこに「在る」ダンス。創作活動の出発点となった劇場で、自身の原点と立ち向かう三部作。果てしない身体の探求 舞踊を捉え直すために必要な逸脱 ルーツへ その先の詩体へ。1「遺された軌跡」2「Vanish」3「風景とともに」
河野紗代子(ピアノ)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。精彩を欠く現代人のグレーな日常生活の中にも、コンクリートの狭間に咲くタンポポやグラフィティのような希望の鮮やかさが存在する。限りなく続くこの単調なコンクリートの世界をキャンバスに、ピアノとダンスでどんな絵を描けるか。
super reflection
万華鏡のように映し映され合いながら動き続ける複数の身体。ある瞬間に、通じ合えたような束の間の安堵を味わったり。またある瞬間には、はたと逃れようのない個/孤を自覚させられたり。肉体の間に働く求心的な引力と摩擦、衝突、その営みが「super reflection」となる瞬間を求め続けている。
この作品は、本作のために書かれたスコア『Into a dream』をもとにダンスの時間を立ち上げます。異なる身体言語を持つ3人のダンサーは未知のタイムラインの奏者であり、走者でもあります。ただ踊るのでもなく、ただ居るのでもなく、ただ感じるのでもない方法で、そのために、そのために、そのために、そのために、それより僕〈と〉踊りませんか。
第一部静寂な夜の部屋。しかしここはどこなのだろう。整然とした散乱があたりを支配している。略奪? 偽装現場か? 見えない塵がうず高く積もって層を成し、その一部がこちらを向いている。一人また一人と登場人物は何かを抱え踊り始める。頻繁に上体が折られ、足の間や膝下に手が行き交う。次第にダンスは自身を曝出し、虚ろな地上を撃つ強さでほとばしる。第二部冒頭ソロが始まる。デュオからトリオ、さらに展開していくシー
宮沢賢治は、よくわからない不確かな存在を「ガドルフの百合」と名付けました。ここにいるのかいないのか、そこにあるのかないのか、お互いの距離を感じなければいけない状況が、むしろ私たちの身体感覚を鋭くしている気がします。この作品は上郷クローブ座のある元上郷中学校全体を舞台にした回遊型パフォーマンスです。ダンスや演劇、美術、映像、音楽などが紡ぎ出す時間と場所へ、一緒に距離のない旅に出ます。
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Noism設立15周年記念作品。「Fratres」とはA.ペルトの同名楽曲のタイトルであり、ラテン語で親族、兄弟、同士を意味している。他者との関わりが先鋭的に希薄になりつつある現代社会において、同士を求め、集団活動を標榜する舞踊団として、本作品を発表することは、創作及びその実演によって“その意味するところ”を“集団的に”見出すためである。その祈り、その儀式こそが本作品の主題である。
作品ノート:フランスのレジデンスでは9つのマチを訪れ、 多くの人々との出会いがありました。 その人々の優しさとフランスの暖かい乾いた風は、 今も私の心に残っています。 フランスでは自分の人生を振り返る時間も沢山ありました。 もう一度戻りたい過去もあれば、 塗り替えたい過去もありました。 自分はなぜここにいるのか。 自分の歩んだ道は もしかして決められていたのでは。 そしてこれから進む道も...。
本作は、幻想的なロマンティックバレエ「ジゼル」をモチーフに現代版として翻案したディバイジングシアター作品です。ディバイジングシアターとは、既存の戯曲を用いず、演出家、振付家、俳優らで集団で作品を立ち上げる演劇創作の手法です。現代の日本に生きる人々のジェンダーやアイデンティティなどの様々な悩みや葛藤を、ダンスや音楽・ラップを盛り込み、エンターテインメントとして描きます。
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
彫刻家・安藤榮作は2015年パレスチナのガザ地区の犠牲になった子どもたちに思いを寄せ小さな木彫人型を作り始めた。その年の暮れその木彫人型700体を展示した個展を行った。会場訪れた体奏家ダンスアーティストの新井英夫は心を揺さぶられ即興的にその空間で木彫人型を奏で踊った。その時二人は「いつか1000体の人型で来場者も巻き込んだライブパフォーマンスをしよう」と約束した。そして8年後の2023年、ALS罹
「ゴドーを待ちながら」をモチーフに描く、世界劇団版不条理演劇!不条理演劇の頂点、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』をモチーフに描く、世界劇団版ベケット!そこには二人の浮浪者が佇んでいた。彼らが言葉を交わすうち、時代が歪んでいく。“これが夢か現実か、今が朝か夜かも分からない____。”
Dance New Air 2018
ある一定のルールと空間の中でスポーツが行われるように、小林は本作の中で自身のフィールドを構成する。性的な偏見や性差別的な筋書きに支配された人間により制限されることのない、自由なスタジアムをギャラリー空間に表すことを目指している。小林が問いかけるのは、危険と安全の狭間に立っている身 体的職業のどこに、その自由が存在するのか。運動競技における身体と、アーティストとしての身体、その双方のプロフェッショ
Minami Nakayashiki installation + performancetouch the ghost skin at BankART KAIKO時空のズレ 断絶を超えて私たちはふれあうことができるだろうか2020年よりスタートした映像×身体のインスタレーション+パフォーマンス作品を、横浜のオルタナティブスペースBankART KAIKOにて上演。
舞踊公演
歴史的な文脈を踏まえつつ、斬新な切り口で歌舞伎作品を現代化してみせる木ノ下歌舞伎。本作『娘道成寺』は、2008年に『三番叟/娘道成寺』の二本立てで初演し、2012年に30分に短縮した長唄音源を用いて初上演。その後、2017年には長唄の録音音源をほぼ全曲使用した60分のフルヴァージョンとして再創作し、再演を重ねるたびに進化してきました。演出・振付・出演は、きたまり。長唄を基に、背景や心情から、演目そ
東京芸術祭2022 芸劇オータムセレクション
現代社会におけるコミュニケーションの諸問題を独自の手法で描き出す劇作家・山本卓卓のテキストと、老若男女から電車や犬に至るまで25役を巧みに踊り演じ分けるダンサー・北尾亘の身体がコラボレート。国内外を旅して再演を続ける、演劇×ダンスの異色傑作。
ワハハ本舗全体公演
「ザッツエンターテインメント」という往年のハリウッドミュージカル映画の名場面ばかりを集めた映画があります。2006年に行われた今公演では、ワハハ本舗結成から誕生した数々のダンスショーやパフォーマンスを構成し、ワハハ版「ザッツエンターテイメント」として企画されたものです。ワハハならではのお客様参加型の演目も散りばめられていまして、十二分にワハハ本舗のエンタメ力を堪能できる内容となっております。
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
身体の中は小宇宙であるとよく言う。 エネルギー体である 私、あなた、社会、自 然、宇宙、 電子エネルギーにより、 それぞれが細かく振動する事 によって共鳴し合って世界の バランスを保っている。 そういった物理学の観点からモーション (動き)とエモーション(感情)、そしてそれ が世界にまで共鳴して 行くことを提示し た作品。かつて生きていた人、生活。肉 体は滅びても エネルギー体は滅びずにこ の地球
瀬戸内国際芸術祭2013より、小豆島での演劇活動を継続的に行ってきた劇団「ままごと」。これまで坂手エリアを中心に、島の歴史や記憶から創作した《おさんぽ演劇》や島民と共につくり上げた肝試し演劇《小豆島きもだめスイッチ》、珈琲や軽食のほかに演劇やダンスパフォーマンスも販売する喫茶店《喫茶ままごと》など、様々な形態の演劇作品を創作・上演してきた。瀬戸内国際芸術祭2019で上演したのは、ままごととダンサー
一人の女性が成長していく過程を軸に、鏡のなかにみる“自己”という存在と他者の“眼差し”から見える自己存在との矛盾を軸に、“世界/全体”からみた自己と他者の入子構造を描き出し、”世界/全体”と個との調和と関わりについて無限に映し返す。ラヴェルの組曲「鏡」の作曲から100年を経て再解釈。音楽をヴィジョンとして読み解き、身体と映像を通して、音楽の向こう側にある物語を視覚表現とともに翻訳する。
男は演出家。家では夫、父、息子。オイディプス演出中に発病し、入院する。癌と疑い、医師、家族、友人に真実を教えるよう迫る。嘘と隠蔽の中、彼はオイディプスと自らの行動を比較。不治と察しつつ、家族の思い遣りを傷つけまいとする。オイディプスに重ね合わせ死を見据えるうち、日本の風土や人情を容認する気持ちになる。クリスマス、友人と家族と共に、そのひと時を心から楽しもうとする。外にはすべての汚れを払う雪が舞う。
2020年に設立したダンスハウスDance Base Yokohama(DaBY/デイビー)のオープンを記念して、愛知県芸術劇場と共同で開催した公演 TRIAD DANCE PROJECT「ダンスの系譜学」(https://dancebase.yokohama/event_post/20210703-1003)。本公演では、国際的に活躍する神奈川県出身の3名のダンスアーティストである安藤洋子、酒井
せんとう。裸でたたかう。労りと労いとハピネス。
本作品では、グーチャ・マライーニ「ひつじのドリー」をモチーフにして、身体至上主義、コンテンポラリーダンスならではの、ダンスカンパニー「ブッシュマン」ならではの、「血と汗と土の匂いがする」作品創りに取り組みました。「ひつじのドリー」において、創作のヒントにするのは「クローン」や「アイデンティティーとは何か」という点、生命の定義とは何かを考えました。
「ワタクシというものをすべての起点としてしか考えられないことから来る不幸と幸福。それらを大きな器の中に入れてシェイクしたらどんな味になるのだろうか。からだという器からズブズブと零れ落ちてしまう蜜を持ったものたちは、そこここに痕跡を残し身を隠すことができない。巧妙に足跡を消しても匂いがあたりにかすかに残る。そのような人々はあきらめて、ダンスを踊る他はない。互いの匂いが混じりあい、私の匂いがかき消され
死の舞踏には二種類ある。宗教的観念に根ざすDanses des Morts、生き延びた人が死を茶化す要素もあるDanses Macabres。世界中に「死の愛好文化」の遺産がある。どの時代も、多産が飢饉や戦争による大量死と対抗したのだろう。バタバタと愛する者の死を経験し、死によって初めて生が価値づけられ、芸能は痛みを見極めることだと思い始めた。私の舞踊は最近、神や絶対者のための芸術であるより、儚い
川口隆夫による「舞踏についてのコンセプチュアル・パフォーマンス」。大野一雄の代表作の公演映像から、その踊りを完全コピーする。コピーに徹する川口のパフォーマンスが逆説的に大野一雄のダンスの魅力、スケール、謎を照射し、その反射光が川口隆夫というアーティストを輝かせる本作は、2013年の初演以来世界38都市で上演、2016年にはベッシー賞にノミネートされるなど大きな注目を集めている。本作は2021年6月
邦正美は1964年にカリフォルニア州立大学フラトン校の演劇学科准教授に就任、後に舞踊学科を創設し、学科長を務めた。邦の舞踊教育は全人的成長を促すことを主眼とし、学生達が「踊りの道具」となることなく、踊りを通して創造性を育むことを旨としていた。「カルミナ・ブラーナ」は1966年11月に邦が4場面を振付けたものの再演。「Eternal Now」は「カルミナ・ブラーナ」と共に66年11月に上演された作品
北村明子はアジア各地を深くリサーチする「Cross Transit project」を展開してきたが、本作は「日本とアイルランド〜中央アジアへと発展していく長期国際共同制作」である。北村を含めた7人のダンサーの動きは、高度な制動と繊細な表現、そして刃物のような鋭利さに満ちている。人が営む生活の身振りにはその土地の文化が織り込まれているが、それらをダンスに取り込むことで観客の記憶に働きかけてくるよ
世界ダンス体系Ⅱ
「1933年には、キング・コングは男性原理を象徴するものだった。半世紀後の今日では、それは、富の力の前に敗れ去ろうとする、全世界の「土」と「水」と「誇り」の象徴となった。今こそ、愛の不可能性に傷ついたキング・コングに、優しいエールを贈る時だ。まだ、まにあうだろうか。」ー古川あんず(プログラム解題より)プログラム:Act1.歯磨き夫人と宿六 / Act2.何処へ / Act3.濡衣 / Act4.神
岸田理生アバンギャルドフェスティバル リオフェス2024
寺山修司作「身毒丸」を岸田理生が台本を脚色、改定し、1995年、蜷川幸雄が演出、武田真治、白石加代子の主演で初演が公演、日本のみならず、ロンドン、バービカン劇場で大絶賛を得て、藤原竜也を天才新人と言わしめた。そんな「身毒丸」が令和の時代に「野外劇 身毒丸R」として復活。うだるような真夏の夜、月と星の灯りの元に夏風さやり、虚構と現実が蕩け合う。時代を廻り、世界の果てを越え、母子の物語は、何処へ辿り着
苦悩し、自由への脱出を決行する女の行動をテーマに、その心情を踊り上げる芙二三枝子のソロ作品。1962年初演。テーマは駈込み寺である鎌倉の東慶寺にちなむ。遠藤琢朗のテキストを鶴澤燕三の作曲で現人間国宝の竹本住太夫(当時は竹本文字大夫)が語り、「古井戸、道、ひでり、雨、風、雪」という場面展開を踊った。本映像は1968年3月の芙二三枝子創作舞踊公演で上演された時のもの。
櫻井郁也ダンス
レンジェル・メニヘールトの戯曲「中国の不思議な役人」から得た刺激により生み出された、性・生死・虚実・聖俗など様々な境界をめぐるソロダンス作品。舞台上では、ダンスの展開と同時に電子信号による通信が交わされ続ける。2000年に開催された第4回シアターXインターナショナルダンスフェスティバルにて上演。
うわすべりを紡いでいたら、いつのまにか愛だった。時間をかけて裏返したら、魂だった。近づきすぎたか、遠く離れすぎたか、見えなくなった。足音がしたので、応えたらやっぱり雨が降ってきた。たまたまそこにおっさんと一緒に雨宿りをした。しずかに。ほんとしずかに。ほんとグルービィに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ダンスボックス・ソロダンス・シリーズ」では、100席の小劇場空間ならではの緊密さを
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「宮森敬子展記憶の海、Roseのプライド」(2023年3月1日〜4月9日/中村屋サロン美術館) にて、宮森作品と踊る新井英夫の即興ダンスプロジェクト。「新井さんのRose (私が勝手に呼んでいる、花、人間の持っている尊い何か)が見たいです…」と綴られた宮森とALS罹患後の新井との往復書簡の中で本プロジェクトのコンセプトが立ち上がっていった。展示会場の作品を順に巡りながら生まれた即興ダンスを阪巻正志
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は最終公演、スペシャルin東京公演から紹介します。2009年5月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。鈴木ユキオ(金魚)
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Dance New Air 2020 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.3
二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって安住の場所はどこだったのか。 私の愛情はどこへ向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか。 それとも世界に私は属しているのだろうか。(イサム・ノグチ) 自身の生い立ちに起因する不確かな帰属意識に苦しみ、その救いを創作に求め続けた彫刻家、イサム・ノグチ。彼が建築家の谷口吉郎と共に手 がけた本会場「旧ノグチ・ルーム」は
すべてのものに光を注ぎ、輝かせ、西空の雲を金色に染めて沈んでいく太陽に、若人は呼びかける。1968年初演。「芸術の先生は自然だ」と父から教わった芙二三枝子は元々「太陽」が好きだったが、人間界の煩わしさから宇宙にテーマを求めた60年代に改めて「太陽」というテーマに目覚め、66年には大作「太陽風」を発表している。また68年は“踊りはすべての人のもの”という考えを核に門下生やその教え子の子供達との合同公
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夏目漱石の小説『こころ』を原作に、セリフを使わず身体と字幕のみで綴る無声のダンス劇本作のために録音されたクラシック音楽が静謐な空気を支え、随所にユーモアを交えながら重厚なテーマに向き合い、観る者の心に静かな余韻を残す舞台作品
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第一夜の出演者とその
「ゴドーを待ちながら」をモチーフに描く、世界劇団版不条理演劇!不条理演劇の頂点、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』をモチーフに描く、世界劇団版ベケット!そこには二人の浮浪者が佇んでいた。彼らが言葉を交わすうち、時代が歪んでいく。“これが夢か現実か、今が朝か夜かも分からない____。”
本作は、脳外科医ペンフィールドが提唱する「脳内のホムンクルス」という概念から、脳との繋がりの中で、本来は一番大きな面積を占めると言われる手、指先の「触覚」に着目した。未曾有の感染症の影響、テクノロジーの発達において、人と触れ合うことが圧倒的に減った今。「触覚の不在」をテーマに、現代社会を生きる「私」という人間のあり方、人との繋がりについてダンス、美術、映像、音楽から思考した作品。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅴ
「あんず動物紀」シリーズのうちの5作目にあたる、古川あんずのソロ作品。人間から離れている生き物を探究することでより人間がわかると考えていた古川は、原初の命に魅せられ、ロシアのフリーマーケットで手に入れた顕微鏡を愛用していた。作品は前半で虫の世界の目録的な提示、後半で虫というメタファーを通して人間世界を描く。1993年、ブラウンシュヴァイクにて初演。オランダ、フィンランド、ブラジル等各国で上演された
白虎社のイメージビデオ作品「ミラクルレポート」。ディレクション・編集は、ビデオアーティスト邱世原(きゅうせいげん)。「グルメ狂時代」、「ギガー」、「アリス」、「チャイナタウン」の4部作で、1986年の台湾ツアーの際に撮影された。
姿が見える時の心、心が見える時の姿…というようなダンスを目指す。常に、一人で踊ること、ソロダンスというものについて考えている。80年初頭に開始した頃、私はいつも不自由さだけを感じていた。たった一言の台詞がないことやそこに私のカラダを支える誰かがいないことを。ソロダンスが「意味を背負って一人で立つ」ことだとようやく分かり始めたのが、この「TOO BRIGHT TO SEE, TOO DARK TO
タビネズミは異常発生が起こると集団で移動し、時に河などで大量死するという。これは繁殖を適正に調整する淘汰の一種との説をも生み、人類の文化史観に影響を与えている。作品はタビネズミにおける死の舞踏を描く。異常発生の中、突如、舞踏狂が巻き起こる。盲目のネズミ(若松)を除く全群が乱舞し、嬉々として川に飛び込み溺死する。佇む盲目のネズミ。一転、人間に変身。場面は街角。傍らを、幼児の手をひく妊婦が通り過ぎる。
新たな切り口で脚本・演出が練り直され、初演から生まれ変わった “リクリエーション版“! アルバニアを代表する作家イスマイル・カダレの小説『砕かれた四月』を下敷きにしたサファリ・P固有のスタイルを駆使した身体、音、光、美術、身振りのアンサンブル作品母に遊びを禁じられて育ったネリネは、透き間風の吹きすさぶ荒涼とした心を隠して生きてきた。有名な小説家の恋人の座を得た彼女は、とある“しきたり”に縛られた山
何もない、あまり変化のない日常の繰り返しに、踏みとどまる事を選択する。