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(フライヤーより)1992年にはじまった〈日韓ダンスフェスティバル〉は韓日の共通点と差異をともに受け止め、同時代に生きる若い芸術家の課題や問題点を切り開いてきた歴史があります。もちろん道のりはまだまだ続きます。この遥かな道のりに新たな風を起こし、国は違えど相通ずる個々の内なる姿を鮮明にし、21世紀のダンスの現場を構築していきたい…。そんな思いで、一時中断されていた〈日韓ダンスフェスティバル〉の名称
ダンサー笠井叡と、天才ピアニスト高橋悠治の共演。2006年から2人は6回にわたる実験的セッションに取り組みました。今回高橋悠治が弾くのは、バッハ最後の未完の大作『フーガの技法』。この『フーガの技法』による笠井叡の新作ソロ。ダンサーの宿命とはー作者が同時に作品、作品が同時に作者であるーという迷宮の内部でのみ美を想像すること。この予感に45年間にわたって駆り立てられてきたカサイが宇宙の万華鏡『フーガの
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
戦争三部作最終章となる作品。本作より上村なおかが参加。イメージの根底にあるのは戦争によって荒廃した都市とその復興がもたらす記憶の変遷。広島や長崎、沖縄、911のNYを始め、有史においてこれまで世界において無数の都市が廃墟と化し、そしてその多くが、新たな都市として再興されてゆく。それらの時間経過と都市空間の変貌が、人々に刻まれた戦争の記憶を、一つの結晶に変えてゆく。語り継ぐことと忘れ去ること。その間
国内外の劇場やフェスティバルに招聘された、akakilike代表作のひとつ。演出家と写真家の共同制作企画として制作された。生命保険について語り続ける「父」と、それを取り囲む「家族」のような者たち。「兄」のような写真家は黙々とセルフポートレートを取り続ける――家族という構造から逃れることの難しさ、その構造の儚さ、そして成長することの残酷さを演劇/写真/ダンスの境界線を行き来しながら浮かびあがらせる。
自らの身体と向き合いながら唯一無二の表現を創り上げてきたハンディキャップのダンサーと、エクスペリメンタル/ジャズ/ポップ/ワールドほか様々なフィールドで活躍する音楽家が1対1で対峙した舞台公演。「障がい」とは何か?私たちを分け隔てるものは何か?私たちが多様性と呼んでいるコトの姿とは?パフォーミングアーツが提示する、ダイバーシティーの現在形。
別離についての13編の詩からなる踊り手の自著『詩集 透明な綾』をモチーフに2つのソロダンスを上演。その日の体と場へ応答し即興性を歓迎する自作の[solo_a]、大谷悠による振付を踊る[solo_b]の2作。詩集に寄せて制作された、鈴木彩加による美術作品が会場に佇み、終演後にはIchizo Yoshiokaによる楽曲を配布。’25 11月、再構成・再創作した『透明な綾(11月、駒ヶ林にて)』を、下町
まだ見ぬ「春」を渇望し、これまでどれだけの人が、自らを捧げたのだろうか。世界を支配する暗い「冬」は、わたしたちからなにを奪い、なにを創り出そうとしているのだろうか。「祭典」という名の儀式は、本当に人々を救ったのか。わたしたちは、まだ本当の「春」をしらないのだ。
Dance Performance LIVE
舞踊家の苫野美亜が国内で活躍しているバレエダンサー達とともに、日本ユニセフ協会の協力を得て開催したチャリティーコンサート。ピアノ・ヴァイオリン・チェロの音色とオリジナリティ溢れるダンサーとの共演。
尾竹永子ソロプロジェクト「A Body in Places」
2014年から、尾竹永子は歴史家・写真家のウィリアム・ジョンストンとともに福島を訪れ、各地で無観客パフォーマンスと撮影を行なった。本作は、5回の旅で撮影された写真をまとめた約60分のビデオ映像を劇場の壁面に映し出しながら、尾竹がパフォーマンスを行なったプログラムを25分に編集したダイジェスト。彼女の身体を通して、震災後の福島の現在、歴史と環境という大きな問題が私たちの前に立ち現れる。
タビネズミは異常発生が起こると集団で移動し、時に河などで大量死するという。これは繁殖を適正に調整する淘汰の一種との説をも生み、人類の文化史観に影響を与えている。作品はタビネズミにおける死の舞踏を描く。異常発生の中、突如、舞踏狂が巻き起こる。盲目のネズミ(若松)を除く全群が乱舞し、嬉々として川に飛び込み溺死する。佇む盲目のネズミ。一転、人間に変身。場面は街角。傍らを、幼児の手をひく妊婦が通り過ぎる。
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瀬戸内国際芸術祭2013より、小豆島での演劇活動を継続的に行ってきた劇団「ままごと」。これまで坂手エリアを中心に、島の歴史や記憶から創作した《おさんぽ演劇》や島民と共につくり上げた肝試し演劇《小豆島きもだめスイッチ》、珈琲や軽食のほかに演劇やダンスパフォーマンスも販売する喫茶店《喫茶ままごと》など、様々な形態の演劇作品を創作・上演してきた。瀬戸内国際芸術祭2019で上演したのは、ままごととダンサー
何もない、あまり変化のない日常の繰り返しに、踏みとどまる事を選択する。
(フライヤーより)日韓の劇場間ネットワークとして2003年スタート東京・青山円形劇場とソウル・シアターゼロとが共同で若手アーティストの作品上演の機会アーティストコミュニケーションの場として企画・制作参加アーティストは連続してソウルと東京で作品を上演している
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2023年12月3日に上演されたみんなでダンス in Ibaraki プロジェクト みんなでつくるダンス公演『だから、あなたと奏でるカラダ』上演までのプロセスを含めたドキュメンタリー映像
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編集者でもあった室野井が2017年に58歳で亡くなった翌年、踊りや身体をめぐって公的私的に綴られたエッセイをまとめた本『ダンサーは消える』が発行された。室野井洋子にはソロ公演の写真や動画が多く残されているが、本作は同名タイトルのビデオアンソロジーで、1983年の初舞台から2017年のギャラリー犬養(札幌)での踊りまで、順にその軌跡を辿る。
(フライヤーより)HIMIKOにインスパイアされていく中韓日・東アジアの新星アーティストたち男と女の無限の循環-HIMIKO=太陽への回帰闇と光・色彩とムーブメントによる2003年最も注目のダンスパフォーマンス
この作品は、本作のために書かれたスコア『Into a dream』をもとにダンスの時間を立ち上げます。異なる身体言語を持つ3人のダンサーは未知のタイムラインの奏者であり、走者でもあります。ただ踊るのでもなく、ただ居るのでもなく、ただ感じるのでもない方法で、そのために、そのために、そのために、そのために、それより僕〈と〉踊りませんか。
博士の生命に対する執着から産み出された不完全な生命体の物語。愛する人の死を受け止められない。愛する人と過ごす幸せな未来を願う人々。生から死、死から生の輪廻の輪から外され壊れていく一人の男。命と云う神秘に見せられ、ただ全てを知りたかった一人の博士。恐ろしく悲しい物語だ。
空の下で生まれ、空と共に生きていること、そして空の中へ死んでいくこと、逞しく 軽やかに、そこはかとなく、一瞬一瞬がここにあることを願いながら生まれてきた踊りの物語。岡登志子と垣尾優による共同制作。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
内省的なパフォーマンスに多くの支持者をもつ、佐藤ペチカのソロ新作。水槽を抱えて旧博物館動物園駅の階段を降り、地下空間で水と遊戯し、やがて大きな向日葵のオブジェをまとう佐藤ペチカは、幼虫から蝶へと変態して地上へ向かう。地上と地下、生と死、内と外の関係を変容させていく、静かなスリルに満ちた映像作品。
開けてはいけない箱を誘惑に負けて開けてしまったパンドラ。箱から飛び出した災いと希望が現代の芸能界を舞台に繰り広げられる。不幸、病気、欲望、絶望、嫉妬などさまざまな災いに見舞われる人々。どん底まで落ちた人々にも最後の最後には必ず希望がある。それぞれの災いを乗り越えて希望へとたどり着く人々。
新人Hソケリッサ!インド路上ダンスプロジェクト2024
新人Hソケリッサ!初海外公演を追ったドキュメンタリー。インド・ゴア州パナジにて一般向けダンスワークショップを実施し、営業中の公設市場内で新作『Super Stranger』を上演。およびオールドデリーの低カースト民が住む地区の路上にてソロダンスを行った。環境に馴染まない「よそ者」として存在することを通じて、便利さや物質的な豊かさの中で人間の本質を見失いつつある都市に生きる身体に問いを投げかける。
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビーシアター
テーマは、狩猟採集社会のコミュニケーション。「ひととどうぶつがはなしができて 森や風や、さまざまなものに心をかよわすことことができて、ひとびとは、うたうように おどるように おしゃべりをしている・・・。そんな場所がこの地球のどこかにあらならば、あかちゃんは誰よりもその場所のことがよくわかるのかもしれない・・・」森や動物と密接な関係をもつ狩猟採集社会の文化にインスピレーションをうけ創作された本作は、
太田省吾の台詞劇にもとづく創作に挑んだ本作。使用テクストは、ひとりの老人と亡妻の幻影とのはかない交渉をめぐる「棲家」。太田の言語態への新たな応答を試みるきたまりの振付・演出。人物の関係性に潜む官能を静かにあぶり出す由良部正美の踊り。上演の時空間に独特の彩りと陰翳を与える野村誠のピアノと嵯峨治彦の馬頭琴。劇言語×ダンス×生演奏のクロスオーバーによって、生死の境域、記憶の情景が浮かびあがる。
てのひらをしたへ向ければ我が下あり手の甲は自由にならぬところかななか指にしばらく水を飲ませけり俳人 阿部青鞋は体の部分を詠みこんだ句を多く残している。五七五の形で保存された言葉は踊られる日を密かに期待し、じっと待っていたかのようだった。詩によって体を日常との膠着状態から引き剥がし、改めて眺めてみる。青鞋の句を五十句、ダンススコアとして構成し踊るデュオダンス作品。
土地に伝わる民俗芸能のように、自身が暮らす都市から生まれる芸能をつくる試みとして始動したシリーズ作品第一弾。
Dance New Air 2014
「アソビ」とは大人のゲーム。人生の贅沢な楽しみ。冒険、争い、 競争、芝居、ダンス、セックス...快楽、解放、高揚に身を委ねるあ らゆる行為。日本においてそれは男にだけ許された行為。女は そんな無駄な行為に身をやつすことなどできない。『ASOBI』は、ポルノグラフィーにしろフェティシズムにしろ、ある いは劇場で見るお芝居にしろ、そうした大人のゲームが基本的 に「のぞき」によって成り立っていることを暴
【作品ノート】2019年頃に感じていた、何だか静かで人類が世界に退屈したような絶望感がある。それが前回の横浜ダンスコレクションで上演した「サイクロン・クロニクル」が纏っていた空気感でもあった。2020年2月以降、その絶望感が一気に沸点に達して吹きこぼれ、今も尚ぐらぐらと煮立っている。そして、その鍋の中に生成されているのはデカダン的な新たな終末感である。 その中で新しく作品を作ることになり、浮かび上
傍観を許さない、目と心を奪う強靭なダンサーとダンス・BATIK=黒田育世新作。舞台。大きく円形に張り出し。後方横幅一杯にトタンの壁。構成。ワイヤで浮遊、穏やかに口笛を吹く育チャンは、母に呼ばれ喜び。しかし、他の子に依る母をみて、激しく嘆き、痙攣。母のスカート下で治まる。が安息も一時。母の心はしばし離れ、子は孤独な自分に出会うこととなる。愛されつつ疎まれる、母を感じながら失い続けていく、痛切な幼児体
(フライヤーより)韓日ダンスフェスティバル(ソウル)日韓の若い才能たちの出会い「日韓ダンスコンタクト」日韓ダンス交流と韓国ダンスのいま「コリア ダンス ミュージアム」
凹 へこみ、じやなくて「くぼみ」と読みます。 予期せぬくぼみに足止め喰らって困惑している私達、、、 でもこの場所は確かに何かを見つける場所でもあり気付きの場所でもある。 そう信じてその「何か」を探そうと思います。 願わくば劇場に足を運んで下さった貴方の前で見つけたい、と思います。(コロナ禍での企画公演)
MiMiBiドキュメンタリー
一言に「障がい者」と言っても、障がいの数、人の数だけ異なる身体性や感覚がある。障がいのある人と無い人とで単純に分けられるようなものではない。初めて Mi-Mi-Bi の練習を見た時に、世間一般で伝えられるような「障がい者」のイメージはなく、内側から見たら単純明快に「私とあなたは違うよね」という至極当たり前なことの中に自分自身も放り込まれていた気がした。「あなたと私は違う」の中では、障がい者も健常者
ひとまたぎすれば済むことなのに、なかなかできません。でもその後のことをすでに知っているような気もするのです。ですから、ちょっと確かめて来ようと思います。ついでにGRAYのことも調べてみます。ルーツはBLACKなのかWHITEなのか・・・待っていてくださいね。私が探し出して来ますから。
(フライヤーより)シュールでコミカル、遊び心に富んだ作品を発表し、フランス国内でも根強いファンをもつ異色の振付家ドミニク・ボワヴァン。1998年の初来日の際に好評を博した「ワタシなりのダンスの歴史」の改訂版をひっさげて再来日。”ダンスはどこから来てどこに行くのか”ダンスの起源からロマンチックバレエを経て現在にいたるダンス表現の目まぐるしい移り変わりを1時間のソロダンスで表現する。1994年の初演か
巌流島の決闘に向かうまでの佐々木小次郎の旅を大胆に脚色した本作は、パフォーマンス性の高い作品作りに定評のあるウォーリー木下が作・演出を務め、関西を拠点にパントマイムの第一線で活躍するマイム俳優のいいむろなおきが出演する、身体表現と映像のコラボレーションで魅せるパフォーマンス演劇である。本作は 2008 年に大阪・HEP HALL での初演後、韓国の招聘公演を経て13 年ぶり
『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage
2.5次元ミュージカル/舞台
一人の女性が成長していく過程を軸に、鏡のなかにみる“自己”という存在と他者の“眼差し”から見える自己存在との矛盾を軸に、“世界/全体”からみた自己と他者の入子構造を描き出し、”世界/全体”と個との調和と関わりについて無限に映し返す。ラヴェルの組曲「鏡」の作曲から100年を経て再解釈。音楽をヴィジョンとして読み解き、身体と映像を通して、音楽の向こう側にある物語を視覚表現とともに翻訳する。
弁天島海上野外劇場
白虎社の主宰である大須賀勇が芸術総監督を務めた「クマノ・スパーク(熊野国際アートフェスティバル)」の公演記録。セネガルからパーカッションのドゥドゥ・ニジャエ・ローズ、インド舞踊のシャクティ、モダン・ダンスの川上邦子舞踊研究所、女性だけの和太鼓グループ炎太鼓などが出演し、古代からの豊かな文化がある独特の地形を持つ熊野が国際的なアート発信の場になるとの大須賀の構想を実現。大須賀の総合演出による当該フェ
和太鼓+ダンスユニット<まだこばやし>による初の単独長編公演。「それぞれが」「鳴る」「共鳴する」をテーマに、打楽器とダンス、声や歌、演劇的表現に加え、ハーモニカなど他楽器の使用、儀式と照明効果の融合など、音楽的身体×身体的音楽パフォーマンスの可能性を追求した80分。人との距離が遠くなった時でも、響き渡る生のエネルギーは空間を駆け抜け、みんなを巻き込んで、どんどん世界へと共鳴していく。
アイホールダンスコレクション
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陰陽の哲学を身体で表現したダンス作品。堕ちていくようで、浮いている。脱けていくようで、迎えている。消えていくようで、生まれている。世界の陰と光の謳歌。阿吽山水の宇宙。
閉じていること。だからスペースが生まれる。開かれる。ドラマはそこから生まれる。これは作品の作り方の話でもある。といっても、いつもそういう作り方をしているのだけど。今回が特別なのではない。しかし、今回はあえて、閉じている、という事を強調しておく。僕たち自身も閉じていた。そこに意味があったのだと思う。これからは変わってもいいかもしれない。開かれたカンパニー?ダンス?に。ハードコアダンスってとっつきづら
スフィアメックスでの『階(キザハシ)で踊る』から1年半ぶりの山田せつ子のソロダンス。ロンドン、ニューヨーク、サンクトペテルブルグ、ソウル、トロント、アヴィニョン、サンフランシスコ、世界が驚嘆した山田せつ子のソロダンス。ダンスはどのようにして生まれてくるのかー深い直観に貫かれたフォルムの変容は、見るものを踊りの発生の場に誘う。「ダンサーは見られることに耐えるための仕掛けをからだに持っている」なぜ踊る
「ダンステレポーテーション」展
2020年5月にDance Base Yokohama(DaBY)のオープニングイベントとして予定されていたTRIAD DANCE DAYSにて、山﨑広太が振付ディレクターを務めるサイトスペシフィック・ダンスが中止になったことにより、唐津絵理(DaBY/愛知県芸術劇場)が企画・総合ディレクターとなる新プロジェクト「ダンステレポーテーション」が始動した。オンラインでの対話から始まる創作を経て、生まれ
双子の少年たちの日記として描かれた原作小説『悪童日記』は、その文体が非常に無機質な点が特徴です。そこで今作品では、『悪童日記』の物語ではなく、文体を立体的に立ち上げることで、双子の目がとらえた戦時下の片田舎の風景を描くことに挑戦しました。5つの無機質な台と5人の俳優、抑揚を排した発語を使って、非常時にあらわになる人間の本質と、無機質な文体の奥にしまい込まれた双子の感情を炙り出します。
岩下徹×梅津和時 即興セッション
岩下徹は1989年以来、谷川俊太郎氏の「みみをすます」(福音館書店刊)という詩のタイトルをかりて、野外など劇場ではない場所で、無音の即興ソロダンスを続けてきた。豊岡演劇祭2022特別版である今公演は、梅津和時氏を共演に迎え、近畿最古の芝居小屋である出石永楽館で、「みみをすます」。この即興の場では、ダンスと音の間には何の取り決めもない。永楽館とダンス、音、観客とでつむぐ時間の中で、私達は何に「みみを
400才のサメ
北極海を泳ぐサメが400年以上生きているということがわかったというニュースに着想を得た、彫刻とダンスの公演。400年生きるということを想像し、大石麻央の制作した400才のサメの彫刻を荒悠平が着てパフォーマンスする。生活をしながら時間の感覚が弛緩していき、記憶や思考が曖昧になりながらもそこに存在する様子が描かれる。
本企画では、観客と演者の距離を取り払い、劇場空間では感じられない一体感を創出します。第一部は音楽×ダンス(芸術)の魅力を間近に感じていただける機会とします。 第二部は距離の近さを活かしたトークセッションを、スペシャルゲストにコシノヒロコ氏、髙島崚輔芦屋市長、野村大祐芦屋市教育長、苫野一徳芦屋市教育アドバイザーをお迎えし、【教育×哲学×芸術】をテーマに、カジュアルな雰囲気で来場者の方々と共に対話の
街で出会った不思議な動き、思いがけない動作、街路のざわめきや呼吸、リズム、ダンスそのものである街の光景を舞台化し、今年1月フランスで上演、好評を博した「ラ・リュー(道)」にシェイクスピアの「真夏の夜の夢」のイメージを重ねた作品。ガロッタが芸術監督を務めるフランス国立グルノーブル舞踊団と静岡県舞台芸術センターの専属舞踊団SPACダンスの合同公演。
(フライヤーより)世界の先駆的なコンテンポラリーダンスの関係者が2年に一度集う、ダンスビエンナーレ。その第1回を2002年夏に開催します。文化によるにぎわいの場を創造し、世界のダンスの動向や潮流を知り、ネットワークを広げ、ダンスや演劇の文化的土俵をさらに豊かにしたいと考えます。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
最小単位の「ひとつの身体」は舞台上でどう変容するのか---。「ひとつの身体」とは何か、という謎。上村なおかソロダンス第4弾。出演者は上村なおか、ひとり。
アダムとイヴは蛇に勧められ知恵の実を食べ、神の怒りを買う。楽園を追われた人類は、知恵により世界を創り、楽しい都会の生活がもたらされる。人間は変化・進化するが、異常者も生む。暴行を受けた少女は精神を病み両親は苦悩する。医師団はアダムとイヴ、蛇の二重性を持つ。療養の地で少女は蛇を踏み、ショックから快方に向かう。蛇の助けで知の世界に帰る…神話が現代に再生する。人間の喜びが自然と混じりあって表現される。
コンテンポラリーダンス ソロ作品
新型コロナウィルスの蔓延からこれまで、長い時間をかけて、心の中の深く暗い部分に巣食い・広がって来たのは自分の死を・大事な人の死を恐れ、感染経路が分からないまま忍び寄ってくるウィルスや人々の行動に恐怖し、感染により社会から居場所を失ってしまう事に怯え、人を疑い・疑われる事が恐くなり、離れた家族と会えない事以上に帰って来て欲しくないと心の距離まで離れてしまう、人に心があるから生まれてくる、そんな沢山の
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第一夜の出演者とその