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2021年再演版
男性キャストのみによる、ごく小さな日常の一コマを巡る物語。しょうもないけれど、誰もが身に覚えのある小さな「裏切り」を素材とし、信頼とは何か? という胃の痛くなるようなテーマを浮かび上がらせます。とある休日、ロードバイクで旅行に出掛けたサラリーマン五人組は、山深い温泉宿に立ち寄った。ささいなことから言い争いを始める五人。口論は、やがて思わぬ方向に発展していき、遂には修復し得ないほどの混乱に……。
てがみ座 第十六回公演。北斎の異才を受け継ぎ、のちに『夜桜美人図』『吉原格子先之図』を描き出すお栄(応為)、その青春期の物語。【あらすじ】江戸後期、黒船が泰平の眠りを覚ます少し前。お栄は鬼才の絵師・葛飾北斎を父に持ち、物心つく前から絵筆を握ってきた。幼い頃から北斎工房の一員として、男の弟子たちにも引けを取らずに、代作もこなし枕絵も描いてきた。けれど本物の絵師になりたいと肝を据えたとき痛感する。北斎
集まれない人々。リモートでつながりを持とうとする。しかし、やることは、簡単なテーブルゲームで遊ぶだけなのだ。その中の梨田という男は仕事はテレワークで一人暮らし。誰とも会えない生活を過ごしている。自分のことをヤドカリだと思い込むようになった。そうでもしないと自分が保てなくなったのだった。この世の中は海底で、息苦しいのはそのせいだと思っていた。妄想の中の彼は海の底でじっとしている。ただそれだけ。いつも
(フライヤーより)10年前、つまり西暦2000年の12月24日に発生した、〈メリークリスマス〉という名前のウイルスによってトーキョーと呼ばれるアジアの一都市は破壊的な打撃を受ける。町は廃墟と化した。廃墟の象徴ともいうべき99階の建物もまた、いまでは使う者もいないまま、あたかも巨大なジャンクとして屹立している。廊下から、その扉をノックすれば、向こうからもノックする者がいるという。扉を開けて向こうから
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
この話は宇宙からのメッセージを受け取った人々が、その真偽を巡って葛藤する様子を描いたものである。宇宙開発が進む少し未来のある日、双子の寺尾兄弟(一人二役で演じる)は宇宙開発機構に勤めているが、そこで思わぬ陰謀が進んでいることを知り、それを阻止しようとする。危険を顧みず、機構を脱出して外部に情報を伝えようとするが行く手を阻まれてしまい・・・。登場人物に実在の人名・団体が登場するがこの舞台はすべてフィ
ある出入国在留管理局で、外国人が死亡した……。留学生であった彼女は、体調不良になり仮放免による外部の医療機関への診療を求めていた……。何故、彼女は入管内の医療機関で診療されたのか。入管内部の実態に、ある記者が迫る……。
「空気読めないっていけないことなの!?」……相手の仕草や状況、雰囲気から気持ちを汲み取れず、言葉にしなければ意図している事を全く理解できないアスペルガー症候群の人達が、人間の機微に敏感でなくてはならない演劇をする事になった!試行錯誤しながらも、彼らの行き着く先には幸せがあるのか?
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
舞鶴に生まれ育った姉妹「みちよ」と「すみ」。二人の従姉妹で同じ家に住む「あきえ」。三人の女性の恋模様を、戦前の記憶、戦中の傷、戦後の生活とともに描きます。昭和を駆けぬけ、常によりそって生きてきた女性達の人生の記録。2018年~2020年に京都府舞鶴市で実施した「まいづる物語プロジェクト」。その集大成として執筆されるも、コロナ禍により上演できなかった戯曲『よりそう人』を、劇団で初上演した作品。
2人の女。20年前。家庭にインターネットが普及した時代。匿名掲示板──。全く違う場所で生まれ育った女性2人が、インターネットで出会う。誰にも話せなかった家庭と世間に挟まれていた2人は、ようやく打ち明けられる場所をネットの中に見つけた。記憶の世界をぐるぐると巡りながら、それぞれの身に起こる出来事を経て、とある決断を下す現在までの20年間を描く。
歯痛、吐き気、生理不順……。人気作家・早智子の体を次々と異変が襲う。歯科・内科・産婦人科と、病院を転々と渡り歩いても原因はつかめない。だが理由は明白。早智子は尋常ならざる拒食と過食を繰り返していたのだ……。スリム(S)とファット(F)という身体の変化を繰り返す中で、早智子が自分の心の奥底に見たものは……? とどまることを知らない世のダイエットブームを背景に、過酷なダイエットに走る現代女性の深層心理
人は何によってできているのだろう。自分ではない「誰か」として、ぼろぼろ忘れながら、忘れ物を毎日しているような気分で生きている気もする。他者の知覚を追体験することはできるのか。「痕跡」「傷」について、顔を巡る旅をします。映像撮影に小宮山菜子さんを迎えての無観客配信作品です。
わずかずつ、わずかずつ/気がつくたびに日1日と/部屋が狭くなってきている。11日前の水曜日/不安を抑え切れずに/金物屋から5メ—トル計のメジャ—を買ってきた/今日だって3回計測した/昨日より1回増やしたのだ/壁から壁。/決してその手は震えていなかったのに/部屋は一晩で23ミリメ—トルもちぢんでいた/一昨日から昨日にかけてが19ミリメートル/ついに20ミリメートルを超えた/部屋は加速度を増しているく
青森県舞台芸術創造発信事業 PROJECT NOVEMBER'98公演 弘前劇場プロデュース vol.3
県内演劇人の共同作業で演劇を制作し、県内外で発表する『青森県舞台芸術創造発信事業』( PROJECT NOVEMBER'98)の公演。舞台はとある地方の湖に面した瀟洒なホテルのロビー。ひとつの家族の集合と離散を主旋律にして、いろいろな変奏曲が様々な登場人物によって演じられる。複雑に絡み合う物語を通して、一見平板な日常が、個人にとっては劇的な空間であることを描く。
とあるシェアハウスに住む10数名の男女が織りなす、必然的に生まれた恋愛にまつわる悲喜交々。人生を賭けたかれこれ、その帰路に立つこれから。だからこそ住人たちは歌い、踊り、泣き、叫ぶ。生きる活力に満ちあふれ、その無邪気さは老いも若きもなく、謳歌する。おそらくここが最後の地だから。
舞台「キノの旅」
2.5次元ミュージカル/舞台
青年団プロデュース公演
(フライヤーより)別役実氏の名作『マッチ売りの少女』を大胆に翻案し、さらに『AとBと一人の女』『象』といった初期作品群から、台詞を多数引用、コラージュする形で作品を作り上げる。初老の夫婦の食卓を、次々と訪れるマッチ売りの少女たち。その少女たちと、夫婦を中心とした街の人々との奇妙なやりとりを軸に、市民社会の脆弱さが浮かび上がってくる。
転校してみたら常識が通用しないやつらばかりだった。試験中に歌いだす不良、すぐに刃物を探す少女、ずっと話さない男。新しい環境に戸惑っていると、一人の教師が言った。「じゃあ、演劇部作る?」その一方で、家は崩壊しようとしていた。水は、すぐそこまで来ていた。フィクションを超える現実と戦う人々に送る 全然笑えないコメディ。「もう笑うしかないよ。だって、水浸しなんだもの。」
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日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人が初めて直接会う「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまい、ある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが届く。指示に従ってヤリタイたちが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。シタイは何の目的で白い粉を送ってきたのか? シタイは今どこにいるのか? そもそも、白い粉は何なのか? オンラインとオフライン。イメージと現実。生
色彩シリーズ
真珠のような雪に閉ざされた火葬場の待合室・・・2つの物語「サンフランシスコ発、バンクーバー行き」 一人の女が最初に愛した男と、最後に愛した男の物語「雪の通い路」 一人の男が一番長く愛した女と、最後に愛した女の物語
あたしは人の話を聞かない。あたしはあまり謝らない。あたしはたびたび遅刻をする。あたしは秘密を守らない。あたしは、あたしの話しかしない。あたしの癖に。二年前と、何も変わらない。柳瀬真由が夢見るとても幸せな日常と、それとはかけ離れた毎日を、スクランブルさせつつも真正面から捻くれて描く。
(フライヤーより)「このままこいつと結婚するんだろうなぁ……」そんな風に、マンネリしていた田山と恋人たま子。2人を引き裂いたのは、たま子の突然の死だった。悲しむでもなく、結構楽しく日常生活を送る田山をこっそり見守るたま子。そんなたま子を、天国へ連れて行こうとあの手この手で説得する天使・巴。-「死んだ人間は無力なんです」「納得いかないんだよなぁ」-’89年に東京サンシャインボーイズが上演、今年7月に
甘酸っぱい昔の想い出 恥ずかしいけど 時には、甘酸っぱさに浸りたいわのわ(和の輪)和をモチーフに輪を広げていこうという東京タンバリンの企画です。2019年秋に初の海外公演を成功させ、さらなる海外進出に向けて、発信している東京タンバリンわのわ。今回の新作では壮年男女の変わらぬ青春の甘酸っぱさを、茶道を通して、青春の甘酸っぱさの普遍性を描いていきます。
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
コロナ渦で閉鎖した彩の国さいたま芸術劇場の稽古場を舞台に、1回限りの本番をワンカット撮影し配信を実施。主人公の最初の台詞「そのうち次の年に僕が死ぬ番になっていた」などの印象的なフレーズ、またこの戯曲の特徴である大量のモノローグ、登場人物たちが感じる孤独や苛立つ姿はやがて、未曾有のパンデミックの最中稽古場に集まった演劇人たちと重なっていく。"演劇が立ち上がるさま"本公演のドキュメンタリー映像も作成・
第25回及び第26回OMS 戯曲賞佳作連続受賞した後に大賞を受賞した作品。人と人の関係性を戯曲により深く書き込み、創作した作品です。客演には、CoRich 舞台芸術まつり! 2018 春・グランプリを受賞し、コトリ会議に 3 回目の出演となるオパンポン創造社の野村有志、前回ツアーから連続出演する京都を拠点に活動する安住の地代表の中村彩乃、初参加の浜本克弥(小骨座)の 3 人を迎える。神戸アートビレ
「違います!」被告・吉田静子の悲痛な叫び声が法廷に響き渡った。その罪は放火殺人。夫と姑を焼死させたのだ。東京地方裁判所に集められた様々な職業の十二人の男たち。決めつけ、戸惑い、無関心、心配事、様々な人間模様の渦巻く中、真実に向き合わされた十二人の日本人が出した結論とは?昭和三年から十五年間、日本でも陪審裁判が行われていた。
(フライヤーより)暑かった。わけもなく切なかった。うれしいのに涙が出た。夕立に打たれた。虹の下で笑った。いろんなことが駆け抜けたあの夏の雲の下に、おじいちゃんはいた。
◎公演概要はたから聞けばニヤニヤ笑える、じんわり静かに心に沁みる、はしゃげない中年会話劇。今、「我々はどのように大人になり、しかして大人になれないのか」を問う。◎あらすじ11月21日友引。高校の同級生たちが居酒屋の個室に集まり、故・鈴木達夫について語り合う。思い出ばなしに興じるうちに、お互いの不幸を比べ始める。家族を持つもの、持たぬもの、夢をおうもの、おわぬもの、金を持つもの、持たぬもの。今は中年
こんにちは。杉並区に住んで20年になるペヤンヌマキです。 これまで半径10メートル以内で起きたみみっちいことを題材に演劇を作ってきましたが、なんと私の半径10メートル以内で壮絶な「道路問題」が起きていました!70年以上も前の道路計画がゾンビのように蘇った「都市計画道路」。道路ができると私が住んでいる場所は立ち退きになってしまいます。自分のことに精一杯で社会問題のことなんてこれっぽっちも考えてこなか
舞台は山頂の展望台にある寂れたビヤガーデン。その日の真夜中過ぎに、ある星が壊れてなくなってしまうのだという。それを見に集まってきた天文学研究会のメンバーとたまたま通りかかった旅人、ビヤガーデンの女店主が寒空 にビールを飲みながら語り合う。各々の記憶の中にある各々の「壊れた町」が交差する。それは混じり合うことなくそのまま各々の方向へ消えていく。「何ひとつ共有できないもの同士も、一瞬だけ、一点で交差す
三日月川に子供が落ちるという事件が頻繁に起こる。その奇妙な事件を取材に都会から記者がやってきた。行き先が分からぬままに乗った船で三日月川を下っていく。川の流れは「時」の流れ。男は不思議な時間を行き来する。流れ流され 辿り着く先は何処なのか。人間どうしが惹かれあう力と全ての物体が引き合う力「万有引力」=「Gravity」を重ね、全曲Micro To Macroオリジナル曲で繋ぐ46億年の奇蹟の物語。
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
そこは、日本海に面した温泉街。海と反対方向に車を走らせれば、桜山という低い山があり、春ともなればその名の通り、満開の桜が咲く。その温泉街にある小さな旅館「コウノ」。田渕鶴吉は長男・礼王が到着するのを待っている。先に着いた娘夫婦たちはそれぞれの時間を過ごしているらしい。鶴吉はガンだ。遺言状を書くために子どもたちを旅行に誘ったのだ。穏やかに話そうと思っていた鶴吉の思いとはうらはらに騒動を持ち込む子ども
老いにより記憶が彷徨いだすようになった母。娘の名前をも忘れる中で、若き日の自身の初恋を思い出すようになる。だがその初恋は、夫とは違う男性との思い出だった。新婚旅行の思い出を彷徨いながら、夫婦が見つけた答えとは?舞台となるのは、宮崎と湘南、そして二つの地を繋ぐ海。これは、ある男と女の物語。母と娘の視点で、家族の心の揺れと再生が描かれる。劇団初のツアーとなる宮崎で幕をあけた作品の、東京凱旋公演を撮影。
ひとりの死をきっかけに集まった高校の同級生たち。失われた時間を求めれば求めるほど、お互いの距離は遠くなる。さよならを言いだすまでの、はかなくも、うたかたのごとく消えゆく一夜を描く。
ひきこもりとある家族の物語。舞台は、感染症が蔓延した都市。感染リスクから逃れるために地方に移住する人などもいる中、とある場所で夜中に「ひきこもりを治すことができる」と言われる人物に会うために集まった人々が、朝を迎えるまでを描いた物語。
(フライヤーより)脚本は映画『月の輝く夜に』でアカデミー脚本賞を受賞したJ・P・シャンリィ、演出は映画『ロックよ、静かに流れよ』等の作品で邦画界期待の星の長崎俊一(舞台初演出)。この異色の取り合わせに、ご存じ平田満と話題の美保純が挑戦します。都会の片隅の小さなバーで、男と女が獣のように出会った。「作者ノート:彼らの気性は激しいがぼろぼろに傷ついている。口べただが話をしたくて堪らない。危険だがもろい
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。被疑者はそれぞれ「国家公務員」「精米店の女主人」「男子大学生」。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。それは
独裁政権下での人間の尊厳と正義を描く、チリの劇作家アリエル・ドーフマンの名作。1990年に発表されて以来、そのセンセーショナルな展開が世界中に衝撃を与え、今もなお繰り返し上演されています。演出家・弦巻啓太が若い頃から取り組みたいと熱望していたこの問題作を、2023年、青井陽治氏の翻訳でついに舞台化しました。
5周年記念公演として、劇団「iaku」の劇作家・横山拓也氏の代表作『人の気も知らないで』と町田マリーのオリジナル戯曲『かぞくららばい』を二本立て上演した作品。『人の気も知らないで』は全編大阪弁の小気味のいい会話劇。今作では設定を屋外に変え、満開の桜の木の下で同僚三人の女性がそれぞれの立場から議論する。『かぞくららばい』は、子育て、介護、夫婦、母への思いなど家族を取り巻くあらゆることをさりげなく散り
「母親が癌だった……」語り手が唐突に話し出す。場所はどこなのかはわからないが、職場やバイト先のような目的をもって強制的に集められる場所。語り手、ならびに聞き手たちはそこによく集まるメンバーで、仕事終りの、目的を果たした後のような時間をそこで過ごしている。語り手の話を真剣に聞こうとしながらも、徐々に聞き手たちの頭の中はズレていく。育ってきた環境もこれまでの経験もみんな違う。自分の想像で話の余白を埋め
1951年、瀬戸内の小島。広島で被爆し九死に一生を得た栗原学は、教師の仕事を続けながら将来のことを思い悩む。朝鮮戦争の軍需景気に支えられている島の生活。同僚や東京で働く同級生の言葉。そして教え子の存在…。1957年に劇団民藝で上演され大きな反響を呼んだ傑作を、青年劇場ならではのアンサンブルで、さわやかに描き出す。
遊園地再生事業団#6
大学の片隅に、校舎に囲まれた小さな庭がある。もう30年のあいだ、その場所のことを<知覚の庭>と学生たちは呼んだ。いまでは誰もその意味を知らず、庭のことをそう呼ぶのだと知る者さえ少なかった。荒れ果て、誰も近寄らず、ただの隙間のような場所でしかないが、かつてこの庭で、Marijuanaが育てられた。庭の土が、良質のMarijuanaを育てたという。1995年の秋。6人の学生が再び庭の土に種を蒔く。土は
美大生の橋本は、画家になりたかった。画材を買うために始めた夜勤の内装バイトで、気がついたら、正社員になっていた。橋本の働く百貨店内の画廊スペースで、人気画家になった同期の個展が決まる。なれなかったものに、まだなりたい。「何を、諦めれば──。」ゆうめい × ウンゲツィーファ、2つの現代演劇ワールドが織りなす100分間の夜勤劇。第34回下北沢演劇祭参加作品。
山中に住居を構えたある夫婦。猟期には、くくり罠で鹿や猪を捕獲、小さな畑で野菜もつくり、出来るかぎりの自給自足生活を目指した。娘は、幼い頃から当たり前に山で暮らしてきたが、徐々にこの生活に違和感をもち、また、周囲から「モモンバ」と呼ばれる母のことも嫌で、ついには山を降りて一人で生きていくことを選んだ。iakuの最新作は、親が形成した「家族価値」と、そこに縛られた子の生き方を見つめる。
「真の美しさや人間的感情を求める人生が、虚栄の美しさや幸福を暴力的に求める存在によって破壊され犠牲となっていく社会」という主題に光を当て、2つの世界が互いに理解共存することが不可能であることを通して、人間はいかに共存していくべきなのか?という問題に切り込む。ワーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきたが、彼が定年退職しその無能さが明らかになり、今までの自分の献身が全くの無意味だったことを知る。
レパートリーシアター
不幸な主婦スーザンは、理想の家庭を夢想していた。と、美しい彼らが現実に現われ……。エイクボーンがトリッキーに描いた、中流家庭の主婦の狂気にいたる過程は、現代のわが国の多くの専業主婦の精神病理と重なっていく。劇団キンダースペースの瀬田ひろ美を中心に送る、夢とウツツの入り混じった二時間。この喜劇は、あなたの脳も壊すかもしれない。
とある美容室。雑談ばかりで一向に髪を切ろうとしない美容師と髪を切ってもらいたい客の押し問答や、ある高層マンションの地下室に住む血の繋がらない移民たちの他愛無い会話。そこから覗き始めるのは力や暴力に踏みにじられてきた人々の姿。その人々が生きようともがく姿。力によって傷ついた存在が、別の力を持って報復する愚かしさを描き、非戦だけでなく、過激化するSNS上の言葉の応酬に一石を投じることを試みた。ほろびて
どこにでもある交差点には、欠かすことなく花が供えられている。通りかかる誰もが、それを見て察する。「ああ、ここで人が死んだのだ」1つの不幸な事故をめぐり、交わるはずのなかった人間関係が生まれた。めぐりめぐる、まじりまじわる、ぐるぐるぐるぐると、奇妙なワルツのように……。暴走する大人の事情―――ノンストップ・トラフィック・サスペンス。
(フライヤーより)時は、検閲厳しき昭和15年。劇団『笑の大学』座付作者と警視庁の検閲係。これは喜劇(コメディ)ではない。喜劇(コメディ)をテーマにした人間ドラマだ。
若き編集者・福島は運命の夜を迎えていた。今夜中に原稿を取ってこなければ、クビになるのは間違いない。彼が原稿を取りに向かうのは3人の作家。その名も、宮澤賢治、太宰治、中原中也。果たして作家たちの新作は無事に書き上がるのか。そもそも福島は、なぜ作家たちに会っているのか。抜きさしならない長い一夜の夜明けが近づいてくる。
これは、 どこにでもある町の、よく眠ることができる夫婦の、 ある「静かな一日」のお話です。でも本当は「静かな一日」など、どこにもありません。私たちが住んでいる現実に「静かな一日」が、どこにもないっ!のと同じように。私たちは後ろ向きになって、徐々に、南に傾いていく家を見上げながら、日陰を選んで、畏れを飲み込み、日々を生きます。形は決して残りません。形は決して残りません。日々を、私たちはただ日々を積み
昨年上演した『モモンバのくくり罠』で第27回鶴屋南北戯曲賞を受賞し、外部公演への書き下ろしでも高い評価を受けている横山拓也が、iaku初期話題作『流れんな』を全編広島弁に改稿、2024年版として上演
(フライヤーより)3年前私達は、青い実の浮かぶ海へ船出した。歳月は私達の傍らを弾よりも遠く、光より速く、高いビルディングもひとっ飛び。あたかも、その3年は軽く300年、3万年。
若者の生々しい感覚をずしりと描く注目の脚本家・谷 碧仁と人間存在の本質を骨太に追求し続ける演出家・シライケイタの初タッグで贈る家族の物語