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若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
大手広告代理店DK2のコンサルティング部に勤める栗宮春子が劇作家の小野司に相談したのは、「前田の刃」で有名な食品加工機器メーカーのトップ「MAEDA」で実施予定の社内結婚推進キャンペーンのインターナルコミュニケーションについてである。「男性の育児参加の推奨のために保育室を設置しました」など、対外的な情報の発信はできてるものの、結局社内であまり使われていないという課題があった。また、男女の社員同士な
『熊楠の家』は戯曲の達人小幡欣治氏が、南方熊楠の後半生を人間味豊かに描き、第19回菊田一夫演劇賞を受賞しました。『根岸庵律女』、『浅草物語』など小幡氏が劇団民藝に書き下ろした9作品のうちの記念すべき1作目。1995年初演の本作は2017年に丹野郁弓の新演出で上演。熊楠とその家族たちに光をあてた、ユーモアあふれる評伝劇。
“現代アイルランド演劇界のチェーホフ” ブライアン・フリールの名作。アイルランドの北西部、バリーベッグのはずれの村。ひっそりと暮らすマンディ姉妹はそれぞれの悩みや、緊張の中で助けあって生きている。この片田舎にも近代化の波が押しよせ、経済的な不如意に苦しみ、兄・ジャックの送還の余波でマンディ一家はだんだん崩壊していく・・・・・・。オリジナル曲にアイリッシュダンス、姉妹を取り巻く人物達との激しい言葉
コロナ禍で生まれた山本卓卓と川口智子の初タッグが送るSFヒューマン愛<ラブ>ドラマ!?鈴木光介の作曲と、出演者全員のバンド演奏でおくる、エンターテイメント劇場!ひとつの家に住んでいても言えないこと。隣の家に住んでいても聞こえないこと。本当かわからない過去のことや、知らないふりをする未来のこと。2組の夫婦の心の声に耳をすませて描く、現在の物語。
日本の近代戯曲の父とも言われる岸田國士(きしだくにお)が、1925年に文藝春秋に発表した短編戯曲。ユニークポイント版は舞台を病室に移し、夫が過去を振り返るスタイルで上演した。
3LDKの高見家に住むのは、会社勤めのお父さん、専業主婦のお母さん、バリバリキャリアウーマンの娘、大学生の息子。一見どこにでもありそうなフツーの一家だが、ある日、お母さんのお母さんが、アキレス腱を切ったことを理由に同居を求めてやってくる。なんとか同居を断りたい高見家だったが、追い打ちをかけるようにお父さんのお父さんまでもが独り暮らしの家を売り払い、同居を求めて乗り込んで来てしまう。ずるずると窮屈な
西洋、日本のさまざまな物語形式を取り入れ、日本人の奥底に眠る近親相姦的感情を浮かび上がらせた戯曲(1978年初演)を、“井上ひさし生誕77フェスティバル2012”の第七弾として上演された。平安時代の奥州・米田庄を舞台に、十五の夏に禁忌を犯した美しく仲睦まじい双子、稲若と日の浦姫と、二人の間に生まれた子供をめぐる数奇な運命を、井上ひさし流のユーモアを交えて描いた作品。
1928年、築地小劇場第80回公演として、土方与志演出で上演。日本新劇のメッカといわれた築地小劇場が生まれて70年を記念して上演。妻の間男を殺した罪で拘留中の老俥夫は、予審判事と現場検証のためわが家に来ると、妻はまた次なる男と逢引きを重ねていた…。1920年代後半の世相と人情の機微を巧みに描き出した日本近代古典、里美弴の傑作戯曲。
むかしむかしグルシニアの地にひとりの権勢ゆるぎない権力者がいた。ある復活祭の日曜に、貴族たちの反乱によって領主は首を刎ねられる。混乱のさなか衣裳選びに夢中だった領主婦人は、若君ミヘルを置き去りにして都から逃亡する。台所女中のグルシェは戦地に赴く兵士シモンと婚約し、置き去りにされた若君ミヘルを助ける。北の山国に住む兄のもとへむかうグルシェは、追ってくる兵隊の手を逃れ、知恵と力の限りをつくしてミヘルを
東京に、大きな空のあったころ。祖母から聞いた話と、祖父から聞けなかった話。その光と影を紡いで結ぶ物語。銭湯帰りに見上げる月を、ライカ犬を乗せた宇宙船スプートニクが横切ってゆく。この高台の町の片隅に、戦前から続く工業所を営む一家が暮らしていた・・。作者が自らの系譜を辿り、曾祖父母の人生をモチーフに創作。昭和四十四年の夏と、昭和三十三年の春夏秋冬を舞台に、戦後を生きた市井の人々を瑞々しく描く群像劇。
わ芝居~その弐
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、番頭は病死、残ったのは跡取り娘の病弱なシズ一人。病弱な娘には婿の来手がなくこのままでは本家がつぶれると、親戚一同困っていた。せめて一代だけでも繋げれば、何とかなるかもと考え都合のいい男として白羽の矢が立ったのが手代・伊助であった。伊助は断れず、本家の旦那に就任してしまう。計画は順調に思われたのだが…。古典芸能とのコラボ企画として誕生した「わ芝居」シリーズ第二弾。
父は息子探しで異郷の地、領主に捕まり大ピンチ。身代金ありゃ助かるが、世の中そんなに甘くない。母は皆とはぐれて一人寂しく尼になる。双子が二組!! 揃いもそろって瓜二つ、しかも名まで同じとくりゃ、ややこしいったらありゃしない。ところがそんな6人が、23年 時を経て、おんなじ場所に居合わせる!!!妻は夫を取り違え、夫は妻の妹に乗り換える?! 間違いに次ぐ間違いで、てんやわんやの大騒動!!!江戸時代の日本
社会とつながろうとして失敗した家族は海の上で暮らしていた。漂流するその家族たちにゆっくりとガレキが、家のガレキが、近づいてくる。ガレキは漂流家族たちの間をぬって海辺へと流れてゆく。家族たちは新しい社会とのつながりを求めてそのガレキを追うが…。
本作は佳梯かこの依頼で鄭義信が書き下ろし、2000年のクリスマスに名古屋で一夜のみ上演された。しかしながら、再演の声が高く、早くも翌年2月に再演。佳梯はその演技で、名古屋芸術創造賞を受賞。彼女の当たり役となり、その後も幾度となく上演されることとなる。鄭が率いる演劇ユニット「海のサーカス」で2002年12月に東京公演が実現。本映像はその東京初演時のもの。2006年には同配役で韓国公演も成功させた。古
フランス日常性演劇の代表的作家、ジャン・ポール・ヴェンゼルの作品の日本初演。ジョルジュは鉄鋼労働者であった。退職した彼は”アゴンダンジュを離れて”田舎に小さな家をかまえ、一室に作業場を作った。そして妻のマリーも静かな老後を夢みていた。しかし…。
ノーラの決断は過去のもの?時を越えて響く注目の新演出!もうすぐクリスマス、ノーラは浮かれていた。可愛い我が子に、やさしい夫ヘルメル。夫の仕事も順風満帆だった。だが、ヘルメルの部下クログスタの訪問によってある重大な秘密が暴かれ、ノーラは自分が可愛がられるだけの「人形」であったと気づき…。女性解放運動にも大きな影響を与えた、「近代演劇の父」ヘンリック・イプセンの傑作社会劇。舞台をヨーロッパから昭和10
「喪主の練習をしたい」と言い始めた母。ご近所さんのお葬式がグダグダで本当に酷かったらしく「自分が喪主をする時にああはなりたくない」と近所の葬儀屋と手を組んで一からお葬式を学んでいく。職人気質で頑固な夫、親になかなか言い出せない秘密を抱えた長女、大学受験を辞めようとしている長男。バラバラな方向を見ている家族が、やる気が空回りする葬儀プランナーの指示のもとお葬式のリハーサルをやらされることになるのだが
妊婦、産婦人科医、学者、不妊治療に苦しむ妻、子どもを持たない夫婦……等々、多彩な人たち約70人にインタビュー取材を行い、その膨大な証言を再構成して舞台化するドキュメンタリー・シアターの手法で「今、日本で子どもを産むとはどういうことか」、その実像に迫る。――「なぜ不妊治療に関する法律が日本にはないのか」「なぜ少子化に歯止めが掛からないのか」。出産・子育てにまつわる今の日本社会が抱える問題について、ま
『かもめ』の中に、情熱を持ち続けることの難しさや拭いきれない孤独など、現代社会と通じる問題を照らす。新たな世界へ飛び立ちたいと願い戦いながらも希望を失い妥協していく人々と、傷つきながらも妥協を拒絶し再び立ち上がろうとする人々の人生を、冷たい視線から赤裸々に描くことを通して《今の社会において人はいかにして死に、又は生き続けられるのか? 現代の不安定な生を支え得るものは何であるのか?》について問い直す
京都駅から南東に伸びる京阪沿線の高架下に、ポツリと佇むダイナー「water lily」。経営者の桐野京子は、コーダである20歳の息子、ひかると静かに暮らしていた。ある日、ひかるは恋人である森田優子をダイナーに連れてくる。すぐに意気投合する京子と優子であったが、次第に、優子に隠された過去が明らかになる。COVID-19が猛威を振るう中、宙に描く、あなたの指先が燃える時、悲劇が起こる。桃色声劇第二弾で
昭和の団塊世代を象徴する様な男、通称・九ちゃんは、同僚には疎まれるが何故かワンマン社長にはかわいがられている。社長は頑固一徹だが憎めない男、その妻は器量の大きな昭和の女だ。ある日、その社長が亡くなった。通夜の席、胸の内を熱く語る九ちゃんの姿を見た若い社員は、何故彼の仇名が「九ちゃん」なのかを知る。合理性と効率が求められる社会に変わりゆく中で、社長と九ちゃんと妻の間には、懐かしい昭和の人間味、友情が
夫婦印プロデュース
舞台は、客あしらいに長けた小粋なお女将が女手一つで切り盛りをしている小さな居酒屋。彼女には息子が一人。ある日、やってきた生真面目そうなサラリーマン。彼には娘が一人。店の二階にある女将の部屋でイライラと閉店時間を待つ男。ようやく暖簾を下げて女将がやってくる。一方的に責め立てる男に最初は気圧されていたが、そこは世慣れた女将。<次第に形勢逆転。さて、コトの結末は…。世代を超えて笑える人情喜劇
―禁忌の愛にゆれる、日の浦姫の半生を描く平安一大絵巻―井上ひさしが文学座、杉村春子への当て書きで書き下ろした初期戯曲『日の浦姫物語』をこまつ座初上演。重厚な俳優陣とスタッフを迎え贈る日の浦姫の生涯を巡る一大絵巻!
舞台には電信柱が1本。その下にゴザを敷いて座り込んだ男が、通りかかった男に声をかける。「おままごと、せぇへんか?」そして誰も、これを断るわけにはいかない。我々の日常生活における、あらゆる厳粛なできごと、深刻な現実でさえ、いつの間にか「おままごと」に変質させられていく、悲惨で滑稽なものがたり。
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」を下敷きにした鄭義信による日本未発表の音楽劇。2014年4月に韓国のソウル獎忠洞(チャンチュンドン)の国立劇場タロルム劇場で初演。元宝塚歌劇団月組男役トップスターの剣幸と、劇団☆新感線の右近健一を客演に迎え、ピッコロ劇団と関西で活躍する俳優陣が結集しておくる、歌って踊って笑って泣ける関西風シェイクスピア音楽劇。
1ヶ月間で5本の短編を組み合わせて30ステージを上演した『雨降りのヌエ』。その31日間、開館中は滞在し、上演以外の仕込み、場当たり、ミーティング、ばらしなど上演に関わることから、公演とは直接かかわらない過去作品の上演や、舞台美術のデッサン、対談イベントなど劇団員の文化の関心をイベントにして無料公開し続けた記録。演劇は上演だけでなく、その裏側や周辺を見ることができる企画のことが映像で伝えている。
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
1959年ー神田淡路町で出会った青春安保、沖縄返還、バブル経済・・・昭和から平成への四十有余年のそれぞれの時間の行方・・・ニコライ堂の鐘は今日も静かに響き渡る
「愛とは」「結婚とは」そして「人生とは」をヒューマンなタッチで描く”ネアカの喜劇”
神戸版
実家で飼っていた犬・スーパーポチが亡くなったと義姉からの電話を受ける大阪で暮らす菫。菫は恋人の登とともに福井に帰省する。兄の洋は妻の直生と戻ることのない旅に出るのだと自らの死を匂わせ、菫に実家を託そうとする。亡くなったスーパーポチは菫に伝えたかったものは。
これはたぶん、ストーカー的に誰かを好きな女の人の話で、その恋は全く報われていない、報われる気配がない(というか相手が実在するのかも怪しい)、のだけれど、それゆえにかえって独自の深化をとげて、不思議な塩梅で彼女を支えています。それは、執着といえば執着で、でも不思議とねじくれたところなくスキッとしている。他人に迷惑かけてない。ヘルシー!すっかり擦り切れて、ヤサグレかけていたところに降りそそぐ、甘い露。
髙山さなえの尼崎市第7回「近松賞」受賞戯曲を平田オリザが演出する。「だまされたことさえ、忘れてしまえるなら・・・」山深い田舎の集落。馬留徳三郎と妻のミネは二人でここに住んでいた。近所の認知症の年寄りや、介護施設から逃げて来る老人達が馬留家に集まり、仲良く助け合いながら生活していた。ある夏の日、徳三郎の息子、雅文から久しぶりに電話がかかって来た。仕事でトラブルがあり、部下が間もなく馬留家に訪れると言
英国の小さな田舎町で平穏な年金生活を送っていたジムとヒルダの老夫婦。ある日突然ラジオから戦争勃発を伝えるニュースが流れ、ジムは大慌てで政府発行の“戦争に生き残るための手引き”と首っぴきで室内用核シェルターを作り始める。ヒルダの方は戦争など他人事、ひたすら家事に夢中でどっちが勝つと思う?など呑気な話をしている。二人にとって戦争といえば第二次世界大戦の思い出だけで核戦争の実感は少しもないが、政府のいう
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
【あらすじ】舞台は南三陸沿いにある古ぼけた理髪店。夜の7時過ぎ、営業を終えた店内で、従業員の佳子が店主の倉田の髭を当たっている。佳子がこの店で働くようになって一月半、倉田にとって彼女の存在が密かな喜びとなりつつあった。佳子と二人きりで過ごすひとときに、胸がいっぱいの様子だが、店の外は濃い霧が立ち込め、何かが起こりそうな予感...。するとそこに、店の扉を開け一人の男が入ってきた。霧が晴れるまで休ませ
「最期」を生きる苛烈な闘いの中に愛と生命の限りない尊さを謳いあげる。冬・12月。ある「ホスピス」に中年サラリーマン・森道夫が妻に連れられて入院してくる。そこには癌に冒され、残された日々を生きる様々な境遇の人がいた。今、クリスマスを前にロビーでは、病院あげて”補陀落渡海僧”の芝居を上演しようと話が盛り上がっていた。そして…。
日本を心底恨みながら日本人を心から愛した魯迅。これはこの魯迅とその妻と、彼の臨終に立ち会った四人の日本人の滑稽な、しかしなかなか感動的な物語です。
体外受精にスポットを当て「不妊治療の今」を男たちの視点で描く。パズルのように時間が往来する戯曲構成、劇場全体を待合室と見立てた舞台美術で、観客自身もまた翻弄される当事者であると思わせることを狙った作品。ある日、サラリーマンの藤枝は「㈱ファミリー・クラブ」という結婚相談所で、どこか風采のあがらない、芳野という男と出会う。芳野はファミリー・クラブで知り合った芳子という女性と2年前に結婚。芳野自身が完璧
大金をめぐるifから始まる物語。40人余に及ぶ登場人物をたった6人の俳優ですべてこなすというトンデモナイ芝居ですが、大人のメルヘン童話を読むような軽い気持ちでご覧下さい。
レパートリーシアター
不幸な主婦スーザンは、理想の家庭を夢想していた。と、美しい彼らが現実に現われ……。エイクボーンがトリッキーに描いた、中流家庭の主婦の狂気にいたる過程は、現代のわが国の多くの専業主婦の精神病理と重なっていく。劇団キンダースペースの瀬田ひろ美を中心に送る、夢とウツツの入り混じった二時間。この喜劇は、あなたの脳も壊すかもしれない。
太郎「ピリッとしたもんが食べたいな」次郎「カレーなんてどうでしょう」太郎「なんやそれ」時代は1905年夏。場所は大阪近郊、吹田村にある庄屋屋敷「浜家」の玄関。浜家の家族や奉公人を中心に、屋敷に出入りする村人や、各地を回る薬屋などの姿を活写する。その背景には日露戦争を機に国民国家へ変貌する日本の姿があった――
トレイシー・レッツによる衝撃の話題作かつ問題作!場所はテキサス州ダラス市郊外。とあるトレーラーハウス。スミス一家、父アンセル、継母シャーラ、妹ドティーの3人が住んでおり、兄クリスは実母と一緒に別の場所に住んでいた。ある日、実母のせいで借金を抱え命が危なくなった兄クリスは、実母に多額の保険金がかけられており、受け取り人が妹ドティーであることを知る。そこで父アンセルと共謀し、表の顔は警官だが裏の顔は殺
夫が生きてることを願う女と、妻が死んでることを願う男が出会う。令和18年、度重なる大規模な土砂崩れによりインフラの一部が使えない状況が続き荒廃した日本。 行方不明の夫を探す女の隣に引っ越してきた、行方不明の妻を探す男。 女は夫が生きている事を願っているが、男は妻が死んでいて欲しいと願い、更地を掘り続ける。 噛み合わないふたりの交流の果てに二人は、ある共同作業をはじめる。ミズノオト・シアターカンパニ
東京郊外の星川眼科医院。医院長の賢一は、閉院を決意した。そして賢一は、医院に三〇年間勤め、彼の一人娘の母親代わりをもつとめた看護師の陽子に蓼科のコテージをプレゼントし、勇退。これで一件落着。ところが「先生、私、嘘をついていたんです。ここはどうしても、先生に辻褄を合わせていただかないと」「私、死ンジャウワ」とまでは言わないけど、ともかく、賢一、その嘘にノルことになって初冬の蓼科へ。陽子の看護学校時代
尼崎の市営団地。向かい合った棟の向かい合ったふたつの部屋の灯り。そのふたつはまるで呼応する螢の光のように瞬いて-。角ひろみによる第4回近松賞受賞作品を、深津篤史(桃園会)が演出。
会社でうだつのあがらないトキオは、レイコに思いを寄せながら、自分が彼女にふさわしい男だと思えない。ある日、永遠の時を手に入れられるという「神になる本」を目にしたトキオは、輪廻転生を信じ、意を決してビルから飛び降りる。こうして生死を超えて、愛する人を追い続けるトキオの旅が始まる。だが、それは「オイディプス」「ロミオとジュリエット」、はたまた「サザエさん」といった、すべて「あらかじめ用意された物語」を
走ってくる車に体当たりをし、自ら傷つくことで賠償金をせしめるという、奇妙な商売があった。間違えたら命を落とすのであるから、文字通り体を張っての商売である。これはその名人と言われた「当たり屋」が、家族を引き連れ、「体を傷つけなくても生きていける街」を目指して、旅立つ物語…。
ガンコ一徹、職人気質の社長が倒れた!!跡を継いだ息子は古い体質を改善しようと大改革を宣言!!が、従業員とのミゾは深まるばかり。働けど働けど報われない毎日。リーマンショック後の東京は大田区の町工場を舞台に、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、若者たちが大バトル。工場のおやこ三代を軸に様々な価値観がぶつかり合って、見えてきたものは・・・・・?
演奏舞台51年目の挑戦!完全新作オリジナル。[あらすじ]東京郊外。季節は春だというのに、孫の読書感想文を一生懸命 手伝っている元高校教師・源三。彼を尋ねてきたのは かつての教え子だった、斉藤順二。大量の原稿用紙。『羅生門』。散乱する肌着。些細な会話から次第に紐解かれていく事実。どこにでもあるような、どこにもないような、 小さく淡い、一個の家族の物語。
その山と谷の成分を、感情と呼ぶ。雪子の葬儀に、親類や友人は誰ひとり参列しなかった。なぜなら、雪子のアドレス帳に書かれていたものは、すべて架空だったから。そして夫の元には、雪子の綴った日記と自転車だけが残されるのだが、日記帳はなぜか最後のページだけが破り取られており……
不幸にも子供に恵まれることのない夫婦と彼らの代理出産を請け負った夫婦との間に、様々なすれ違いや、苦悩、問題が横たわる。それでも二組の夫婦は、やがて産まれてくる子供への期待を高めていく。自分たちがそうであるように、人は、愛を信じて産まれ、生きているのだから……。
COCOON PRODUCTION 2023
青年が老婆を拾った。社会にうまく馴染めず、派遣のピエロの仕事でギリギリ生活をしている青年(竜星涼)。しかしそんなピエロ業も、決してうまくはいっていない。ある日、道端の老婆(高橋惠子)に手品で花束を渡すと、老婆はどこまでもついてきた。そして、青年の部屋にまで上がってきた。すぐに老婆を帰そうとするも…、青年と老婆の不思議な共同生活が始まっていく。青年を心配する兄夫婦(藤井隆/山田真歩)、仕事先の女性社
YPAM ディレクション
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
色彩シリーズ
真珠のような雪に閉ざされた火葬場の待合室・・・2つの物語「サンフランシスコ発、バンクーバー行き」 一人の女が最初に愛した男と、最後に愛した男の物語「雪の通い路」 一人の男が一番長く愛した女と、最後に愛した女の物語
既成戯曲の演出シリーズ
2018年以降、演出家・大石達起が「既成戯曲の演出」をテーマに「gate」ディレクターを務めてきました。その発展版として上演された、「既成戯曲の演出シリーズ」のVOL.2。『わが町』でお馴染みのソーントン・ワイルダーの戯曲『特急寝台列車ハヤワサ号』を演出家・山口浩章氏(このしたやみ)をお迎えして上演しました。
日本が誇る浮世絵師、葛飾北斎。90年間の生涯で3万点を超える作品を残し、そのユニークな魅力は今でも多くの人に愛されています。今回わらび座の舞台では、生涯に渡って「生きる面白さ」を発見し続け、どこまでも納得のいく絵を求め描き続けた人間・葛飾北斎の生きざまを、日本発・オリジナルミュージカルとしてダイナミックに描きます。
昭和九年十二月二十四日月曜日。東京本郷区曙町にある理学博士寺田冬彦邸。主、冬彦がしかつめらしい顔で煙草をくわえている。別に、怒っているわけではない。普段のことである。まわりには妻りんをはじめ、個性豊かな家族が太陽系宇宙のように取り囲む。そこに突然彗星の如く事件が飛び込んできた!小春日和に雲が差し、雨からやがてしんしんと降る雪に変わる。招き猫が見守る中、寺田家の喜怒哀楽の一週間が過ぎてゆく。
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
TA-net舞台手話通訳養成講座(2018-2019年度/日本財団助成)の教材として書き下ろした30分程のお芝居(収録した三重公演の上演時間は37分)。3人の俳優が、家族(両親と息子)の30年間を演じます。舞台手話通訳、字幕、音声ガイドの観劇サポートがフルで導入された数少ない作品であり、上演前には事前舞台説明(10分)も行っています。