表示件数
「最期」を生きる苛烈な闘いの中に愛と生命の限りない尊さを謳いあげる。冬・12月。ある「ホスピス」に中年サラリーマン・森道夫が妻に連れられて入院してくる。そこには癌に冒され、残された日々を生きる様々な境遇の人がいた。今、クリスマスを前にロビーでは、病院あげて”補陀落渡海僧”の芝居を上演しようと話が盛り上がっていた。そして…。
北欧の夏。淡い緑のまぶしい自然の中で、白い夢のようにたゆたう愛と死と、罪と悔恨、そしてその果てに曙の光のように仄見える赦しの影…フィヨルドの暗い水底の静寂のうちに水死したエイヨルフの亡骸の、仰向けのまま大きく見開いた二つの瞳がそのすべてを見つめている――おそらくは、われわれの心の奥の闇の底まで。
劇団初のチェーホフ作品。湖畔の田舎屋敷を舞台に、作家志望の青年トレープレフと女優を夢見る乙女ニーナの関係を軸に、屋敷に集まる人々のさまざまな恋愛模様が描かれる。この群像劇を自己実現の病に苛まれた現代人の苦悩の姿と解釈し、「剥製たちのボードビル」として上演した。初演は2019年、劇団創立35周年記念公演。その後2023年にルーマニアのシビウ国際演劇祭に招聘され大きな話題となる。
遠くて近い国・アイルランド。詩的で浪漫的なシングと現実的で科学的なグレゴリー夫人。現実の中の壮大さと野性的なものを描いたダイナミックさ愚鈍なほど素朴で純真さを持った土着性と骨太な人間臭さをぜひお楽しみ下さい。
行き遅れた娘と男やもめの父を描いた、小津安二郎監督作品『秋刀魚の味』をモチーフに、2017年バー公演として外部に書き下ろし好評を博した同作品を全面改稿し、ブラッシュアップして再演。ギターを弾きたいと言い出した父と婚約破棄された娘、関西出身のバーの女、と謎のバイト。他者との会話を通して、すれ違い続けた親子が未来に一歩踏み出そうとする、東京の核家族の在り方と希望描いている。
舞台には電信柱が1本。その下にゴザを敷いて座り込んだ男が、通りかかった男に声をかける。「おままごと、せぇへんか?」そして誰も、これを断るわけにはいかない。我々の日常生活における、あらゆる厳粛なできごと、深刻な現実でさえ、いつの間にか「おままごと」に変質させられていく、悲惨で滑稽なものがたり。
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。
これは、 どこにでもある町の、よく眠ることができる夫婦の、 ある「静かな一日」のお話です。でも本当は「静かな一日」など、どこにもありません。私たちが住んでいる現実に「静かな一日」が、どこにもないっ!のと同じように。私たちは後ろ向きになって、徐々に、南に傾いていく家を見上げながら、日陰を選んで、畏れを飲み込み、日々を生きます。形は決して残りません。形は決して残りません。日々を、私たちはただ日々を積み
複雑な人はなんでもない顔をしている。優しさゆえに心の傷を隠し、自分に嘘をついて暮らす人たちが自由を獲得するまでのいくつかの形を、個性ある登場人物たちで描く。曖昧な自意識で生きる華子。夫を介護する愛人。踊る愛人の娘と友人。生きる意味を探す息子。この家族がホームレスの協花と出会うことで変わる、家族の解体と再生の物語。女性の自由を奪う見えない抑圧に輪郭をひき、個人の尊厳が守られる新しい共同体の姿を探す。
夫婦印プロデュース
舞台は、客あしらいに長けた小粋なお女将が女手一つで切り盛りをしている小さな居酒屋。彼女には息子が一人。ある日、やってきた生真面目そうなサラリーマン。彼には娘が一人。店の二階にある女将の部屋でイライラと閉店時間を待つ男。ようやく暖簾を下げて女将がやってくる。一方的に責め立てる男に最初は気圧されていたが、そこは世慣れた女将。<次第に形勢逆転。さて、コトの結末は…。世代を超えて笑える人情喜劇
髙山さなえの尼崎市第7回「近松賞」受賞戯曲を平田オリザが演出する。「だまされたことさえ、忘れてしまえるなら・・・」山深い田舎の集落。馬留徳三郎と妻のミネは二人でここに住んでいた。近所の認知症の年寄りや、介護施設から逃げて来る老人達が馬留家に集まり、仲良く助け合いながら生活していた。ある夏の日、徳三郎の息子、雅文から久しぶりに電話がかかって来た。仕事でトラブルがあり、部下が間もなく馬留家に訪れると言
その山と谷の成分を、感情と呼ぶ。雪子の葬儀に、親類や友人は誰ひとり参列しなかった。なぜなら、雪子のアドレス帳に書かれていたものは、すべて架空だったから。そして夫の元には、雪子の綴った日記と自転車だけが残されるのだが、日記帳はなぜか最後のページだけが破り取られており……
日本が誇る浮世絵師、葛飾北斎。90年間の生涯で3万点を超える作品を残し、そのユニークな魅力は今でも多くの人に愛されています。今回わらび座の舞台では、生涯に渡って「生きる面白さ」を発見し続け、どこまでも納得のいく絵を求め描き続けた人間・葛飾北斎の生きざまを、日本発・オリジナルミュージカルとしてダイナミックに描きます。
『かもめ』の中に、情熱を持ち続けることの難しさや拭いきれない孤独など、現代社会と通じる問題を照らす。新たな世界へ飛び立ちたいと願い戦いながらも希望を失い妥協していく人々と、傷つきながらも妥協を拒絶し再び立ち上がろうとする人々の人生を、冷たい視線から赤裸々に描くことを通して《今の社会において人はいかにして死に、又は生き続けられるのか? 現代の不安定な生を支え得るものは何であるのか?》について問い直す
与謝野晶子のその行動力と生活力そしてその才能は今もなお多くの人に愛され研究され続けている。短歌雑誌への投稿を通じて出会った鉄幹とのラブストーリー。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の台詞を縦横無尽に再構成し、ソネット詩や歌も加えて生み出された、もうひとつの『ロミオとジュリエット』。老夫婦の愛と別離を描いた物語。独創的な手腕で原作を巧みに再構成したのは、NTl『リーマン・トリロージー』のベン・パワー。翻訳監修はシェイクスピア37戯曲の完訳を成し遂げた松岡和子。老夫婦となったロミオとジュリエットを演じるのは、土居裕子と大森博史。荒井遼の演
フランス日常性演劇の代表的作家、ジャン・ポール・ヴェンゼルの作品の日本初演。ジョルジュは鉄鋼労働者であった。退職した彼は”アゴンダンジュを離れて”田舎に小さな家をかまえ、一室に作業場を作った。そして妻のマリーも静かな老後を夢みていた。しかし…。
日中戦争が泥沼化しつつあり、英米との関係も急速に悪化していた昭和16年春。あるベテラン夫婦漫才師が、中国大陸への慰問の旅に出る。この時の日本では、笑いという戦争とは対極のものを生業とする芸人でさえ戦争の歯車に巻き込まれていた。芸人を続けるには、戦争に協力するしか方法がなかったのだ。夫婦は10歳を過ぎたばかりの一人娘を内地に残して日中戦争の前線近くまで旅を続ける。同行の芸人仲間や、笑いに飢えた前線の
『3℃の飯より君が好き』:田舎町に引っ越してきた新婚の夫婦。夕方、帰宅した妻のお腹が突然膨らみ始めた。妻は「お腹に氷がいる」と言い出すのだが…。温度を切り口に夫婦の現在と未来を描いた二人芝居。 『メイクアップ!』:理沙と陽子はアンチ化粧派の中学3年生。だが、理沙は演劇部の公演のために舞台メイクをすることになる。「裏切り」を許せない陽子はある大きな行動に出る。心と容姿の変化に戸惑う中学生を描いた短編
私の心にそっと触れて
「記憶を廻る、ある医師と妻たちの愛憎劇―愛は記憶されるのか?」高齢化社会の難治の病であるアルツハイマー病。病気の進行により、記憶によって形作られる個人のライフ・ヒストリーが不確かとなり、パーソナリティーまでも変貌する時、愛はどう記憶されるのだろうか? 本作はアルツハイマー病で記憶を失っていく医師と、消えゆく過去に翻弄される家族の物語である。初演を改作、新たなキャストとTA-netによる同時舞台手話
海外でも評価が高いシアターモーメンツがシェイクスピアの「マクベス」を粗筋はそのままに90分にブラッシュアップし上演。魔女を「WEBに溢れる情報」と解釈し、家庭用のビニールゴミ袋で表現。より確かな幸せを求め中身のないゴミ袋に振り回されるマクベス夫妻と、実態の見えないネット上の言葉に翻弄される現代人を重ねた。また、本作は翌年マカオ国際青少年演劇祭に招聘され絶賛を受ける。
太郎「ピリッとしたもんが食べたいな」次郎「カレーなんてどうでしょう」太郎「なんやそれ」時代は1905年夏。場所は大阪近郊、吹田村にある庄屋屋敷「浜家」の玄関。浜家の家族や奉公人を中心に、屋敷に出入りする村人や、各地を回る薬屋などの姿を活写する。その背景には日露戦争を機に国民国家へ変貌する日本の姿があった――
1928年、築地小劇場第80回公演として、土方与志演出で上演。日本新劇のメッカといわれた築地小劇場が生まれて70年を記念して上演。妻の間男を殺した罪で拘留中の老俥夫は、予審判事と現場検証のためわが家に来ると、妻はまた次なる男と逢引きを重ねていた…。1920年代後半の世相と人情の機微を巧みに描き出した日本近代古典、里美弴の傑作戯曲。
かつての島流しのように森という異界に犯罪者たちが追いやられ、元々好き好んでそこに住んでいるものと共生していた。常にそれぞれの「最適解」がサジェストされる社会の中にあって、最適でない発言や行動は厳しく制限されるようになっており、そのことへの息苦しさもまた頂点に達しつつあった。犯罪者予備軍として社会から半ば排除されてしまった人々が形成する近未来の「森」を舞台にして展開されるSF会話劇。
そこは、日本海に面した温泉街。海と反対方向に車を走らせれば、桜山という低い山があり、春ともなればその名の通り、満開の桜が咲く。その温泉街にある小さな旅館「コウノ」。田渕鶴吉は長男・礼王が到着するのを待っている。先に着いた娘夫婦たちはそれぞれの時間を過ごしているらしい。鶴吉はガンだ。遺言状を書くために子どもたちを旅行に誘ったのだ。穏やかに話そうと思っていた鶴吉の思いとはうらはらに騒動を持ち込む子ども
尼崎の市営団地。向かい合った棟の向かい合ったふたつの部屋の灯り。そのふたつはまるで呼応する螢の光のように瞬いて-。角ひろみによる第4回近松賞受賞作品を、深津篤史(桃園会)が演出。
ある地方都市。「北原むつ美」が、訪ねてきた「串間ひさ子」に思い出の写真を見せつつ、夫の自慢話をしている。むつ美の夫は福島第一原発の元作業員で、既に亡くなっている。明日はその四十九日にあたる。訪ねてきたひさ子の夫は、今なお原発で廃炉に向けて過酷な仕事に従事する現役の作業員。そこにむつ美の義理の妹「泊川小春」が金を無心しに来る。やがて3人の女たちの話から、原発の廃炉作業に従事する作業員たちの理不尽な日
世は南北朝時代、足利尊氏と新田義貞が天下をあらそう戦乱の時代。新田の家臣・塩谷判官[えんやはんがん]高貞は足利軍にやぶれ、降伏した・足利がうばった新田の財宝を返してもらうかわりに、塩谷は新田の愛人・勾当内侍[こうとうのないし]をさしだす。天下の美女を手に入れた尊氏の弟・直義[ただよし]は塩谷に心をゆるし、むほんのたくらみをあかして仲間にひきいれる。一方足利の重鎮・高師直[こうのもろのお]は、直義の
コロナ禍で生まれた山本卓卓と川口智子の初タッグが送るSFヒューマン愛<ラブ>ドラマ!?鈴木光介の作曲と、出演者全員のバンド演奏でおくる、エンターテイメント劇場!ひとつの家に住んでいても言えないこと。隣の家に住んでいても聞こえないこと。本当かわからない過去のことや、知らないふりをする未来のこと。2組の夫婦の心の声に耳をすませて描く、現在の物語。
レパートリーシアター
不幸な主婦スーザンは、理想の家庭を夢想していた。と、美しい彼らが現実に現われ……。エイクボーンがトリッキーに描いた、中流家庭の主婦の狂気にいたる過程は、現代のわが国の多くの専業主婦の精神病理と重なっていく。劇団キンダースペースの瀬田ひろ美を中心に送る、夢とウツツの入り混じった二時間。この喜劇は、あなたの脳も壊すかもしれない。
これはたぶん、ストーカー的に誰かを好きな女の人の話で、その恋は全く報われていない、報われる気配がない(というか相手が実在するのかも怪しい)、のだけれど、それゆえにかえって独自の深化をとげて、不思議な塩梅で彼女を支えています。それは、執着といえば執着で、でも不思議とねじくれたところなくスキッとしている。他人に迷惑かけてない。ヘルシー!すっかり擦り切れて、ヤサグレかけていたところに降りそそぐ、甘い露。
1ヶ月間で5本の短編を組み合わせて30ステージを上演した『雨降りのヌエ』。その31日間、開館中は滞在し、上演以外の仕込み、場当たり、ミーティング、ばらしなど上演に関わることから、公演とは直接かかわらない過去作品の上演や、舞台美術のデッサン、対談イベントなど劇団員の文化の関心をイベントにして無料公開し続けた記録。演劇は上演だけでなく、その裏側や周辺を見ることができる企画のことが映像で伝えている。
「愛とは」「結婚とは」そして「人生とは」をヒューマンなタッチで描く”ネアカの喜劇”
2500年前の傑作『オイディプス王』を現代女性の見た悪夢としてとらえ、運命に翻弄される人間世界を描いた。ギリシア悲劇の世界を女優だけで演じた奇抜な演出は大きな反響を呼び、2002年の初演以来、国内外での再演も多い。2010年にはルーマニアのシビウ国際演劇祭でも上演。本映像は同年凱旋公演の模様を収録。
老いにより記憶が彷徨いだすようになった母。娘の名前をも忘れる中で、若き日の自身の初恋を思い出すようになる。だがその初恋は、夫とは違う男性との思い出だった。新婚旅行の思い出を彷徨いながら、夫婦が見つけた答えとは?舞台となるのは、宮崎と湘南、そして二つの地を繋ぐ海。これは、ある男と女の物語。母と娘の視点で、家族の心の揺れと再生が描かれる。劇団初のツアーとなる宮崎で幕をあけた作品の、東京凱旋公演を撮影。
『熊楠の家』は戯曲の達人小幡欣治氏が、南方熊楠の後半生を人間味豊かに描き、第19回菊田一夫演劇賞を受賞しました。『根岸庵律女』、『浅草物語』など小幡氏が劇団民藝に書き下ろした9作品のうちの記念すべき1作目。1995年初演の本作は2017年に丹野郁弓の新演出で上演。熊楠とその家族たちに光をあてた、ユーモアあふれる評伝劇。
大手広告代理店DK2のコンサルティング部に勤める栗宮春子が劇作家の小野司に相談したのは、「前田の刃」で有名な食品加工機器メーカーのトップ「MAEDA」で実施予定の社内結婚推進キャンペーンのインターナルコミュニケーションについてである。「男性の育児参加の推奨のために保育室を設置しました」など、対外的な情報の発信はできてるものの、結局社内であまり使われていないという課題があった。また、男女の社員同士な
社会とつながろうとして失敗した家族は海の上で暮らしていた。漂流するその家族たちにゆっくりとガレキが、家のガレキが、近づいてくる。ガレキは漂流家族たちの間をぬって海辺へと流れてゆく。家族たちは新しい社会とのつながりを求めてそのガレキを追うが…。
会社でうだつのあがらないトキオは、レイコに思いを寄せながら、自分が彼女にふさわしい男だと思えない。ある日、永遠の時を手に入れられるという「神になる本」を目にしたトキオは、輪廻転生を信じ、意を決してビルから飛び降りる。こうして生死を超えて、愛する人を追い続けるトキオの旅が始まる。だが、それは「オイディプス」「ロミオとジュリエット」、はたまた「サザエさん」といった、すべて「あらかじめ用意された物語」を
日本を心底恨みながら日本人を心から愛した魯迅。これはこの魯迅とその妻と、彼の臨終に立ち会った四人の日本人の滑稽な、しかしなかなか感動的な物語です。
<劇団初めての単独ツアー作品>昼でも薄暗い竹やぶの中にある思いを込めて踏み込んでいく夫婦。同じくして、自暴自棄になりその竹やぶで自殺しようとする男とそれに着いてきた後輩。事故により竹やぶに不時着した地球外生物の兄弟。すでに竹やぶに住んでいた親子。それぞれが出会って交わされていく対話から覗き観るそれぞれの思惑。
劇中講談「大石理玖物語」(旭堂南陵 作)
良妻賢母として名高かった大石内蔵助の妻・りく。彼女の本当の想いはどこにあったのか・・・。上方講談界の重鎮 旭堂南陵の筆による講談台本を元に工藤千夏が新たな解釈を加え一人芝居を書き下ろした。講談師・旭堂南明としても活躍する俳優・天明留理子の「講談に彩られたひとり芝居」。本作は前年2018年夏に近畿最古の芝居小屋、出石永楽館にて行われた「大石りく物語」をバージョンアップして新たな作品として上演された。
椿組2016年夏・花園神社野外劇
ご存知鶴屋南北の「東海道四谷怪談」。作家・立松和平が脚色した台本を西沢栄治が再構成演出。随所に歌舞伎の醍醐味を意識しつつ、野外ならではの仕掛け満載。あの中村勘九郎にして「外波山さんあの隠亡堀のアイデアを使わせて下さい」と言わしめた演出が冴えた作品となった。お岩役は松本紀保が務め話題に。総勢31人で繰り広げられ現在に蘇った江戸の残酷美、悪の華。
COCOON PRODUCTION 2023
青年が老婆を拾った。社会にうまく馴染めず、派遣のピエロの仕事でギリギリ生活をしている青年(竜星涼)。しかしそんなピエロ業も、決してうまくはいっていない。ある日、道端の老婆(高橋惠子)に手品で花束を渡すと、老婆はどこまでもついてきた。そして、青年の部屋にまで上がってきた。すぐに老婆を帰そうとするも…、青年と老婆の不思議な共同生活が始まっていく。青年を心配する兄夫婦(藤井隆/山田真歩)、仕事先の女性社
ある夫婦のはなし。子どもは10万人に1人の難病だった。海外での移植手術のために懸命な募金活動を行ったが、あと少しで目標額に届きそうな時に亡くなった。しばらくして。夫が妻に必要なくなったはずの募金活動を持ちかける。またしばらくして。ようやく目標額に達したその日。2人のもとに子どもが逃げ込んでくる。そこから事態は大きく変化していって・・・。
第68回岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』の記念事業として、作品モチーフとなった岐阜県高山市「こどものほんや ピースランド」にて舞台芸術文化の流布を目的に行った本事業は、各新聞社にも取り上げられ、会場全体を使った続編の回遊型上演を開催した。絵本屋の特徴を活かし託児せずに親子で全回参加できる鑑賞機会として、演劇不毛の地と呼ばれていた岐阜県高山市に訪れる幅広い世代への芸術復興に貢献した。
TA-net舞台手話通訳養成講座(2018-2019年度/日本財団助成)の教材として書き下ろした30分程のお芝居(収録した三重公演の上演時間は37分)。3人の俳優が、家族(両親と息子)の30年間を演じます。舞台手話通訳、字幕、音声ガイドの観劇サポートがフルで導入された数少ない作品であり、上演前には事前舞台説明(10分)も行っています。
昭和九年十二月二十四日月曜日。東京本郷区曙町にある理学博士寺田冬彦邸。主、冬彦がしかつめらしい顔で煙草をくわえている。別に、怒っているわけではない。普段のことである。まわりには妻りんをはじめ、個性豊かな家族が太陽系宇宙のように取り囲む。そこに突然彗星の如く事件が飛び込んできた!小春日和に雲が差し、雨からやがてしんしんと降る雪に変わる。招き猫が見守る中、寺田家の喜怒哀楽の一週間が過ぎてゆく。
岸田理生アバンギャルドフェスティバル リオフェス2024
寺山修司作「身毒丸」を岸田理生が台本を脚色、改定し、1995年、蜷川幸雄が演出、武田真治、白石加代子の主演で初演が公演、日本のみならず、ロンドン、バービカン劇場で大絶賛を得て、藤原竜也を天才新人と言わしめた。そんな「身毒丸」が令和の時代に「野外劇 身毒丸R」として復活。うだるような真夏の夜、月と星の灯りの元に夏風さやり、虚構と現実が蕩け合う。時代を廻り、世界の果てを越え、母子の物語は、何処へ辿り着
神戸版
実家で飼っていた犬・スーパーポチが亡くなったと義姉からの電話を受ける大阪で暮らす菫。菫は恋人の登とともに福井に帰省する。兄の洋は妻の直生と戻ることのない旅に出るのだと自らの死を匂わせ、菫に実家を託そうとする。亡くなったスーパーポチは菫に伝えたかったものは。
「キミがどんなに世界に軽蔑されても、ボクはキミを軽蔑する世界のほうを軽蔑するし、してきた。」第66回岸田國士戯曲賞受賞作『バナナの花は食べられる』で描いた“人情”のその先、“愛”のフェーズ━━━本作をもって劇団公演では作家に専念すると宣言した山本卓卓が、夫婦という最小単位のコミュニティから日本社会を浮かび上がらせ、罵倒や暴力の先にある人間の優しさと愛を描く。
ニッポン・イデオロギー
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
若い男女が経営する閉店間際の寂れた定食屋。そこで働く女は突然やってきた謎の夫婦によってつい最近冷やし中華が禁止されたことを知る。混乱する女に、夫婦は冷やし中華を提供するよう懇願するが…。はじめられなかった冷やし中華を皮切りに、出生とそれにまつわる人々の人生が浮かび上がっていく。
1997年度の演劇界は鐘下辰男の歳であった。「PW PRISONER OF WAR」「温室の前」「仮釈放」「どん底」の演出で、第5回読売演劇大賞の大賞・最優秀演出家賞を受賞。「仮釈放」が同賞で優秀作品賞を受賞。また第三十二回紀伊國屋演劇賞個人賞を文学座に書き下ろした「寒花」他で受賞。演劇集団THE・ガジラを創立して十年、鐘下辰男が描く日本人像の輪郭がようやく見えかけたといったところである。日本人い
演奏舞台51年目の挑戦!完全新作オリジナル。[あらすじ]東京郊外。季節は春だというのに、孫の読書感想文を一生懸命 手伝っている元高校教師・源三。彼を尋ねてきたのは かつての教え子だった、斉藤順二。大量の原稿用紙。『羅生門』。散乱する肌着。些細な会話から次第に紐解かれていく事実。どこにでもあるような、どこにもないような、 小さく淡い、一個の家族の物語。
トレイシー・レッツによる衝撃の話題作かつ問題作!場所はテキサス州ダラス市郊外。とあるトレーラーハウス。スミス一家、父アンセル、継母シャーラ、妹ドティーの3人が住んでおり、兄クリスは実母と一緒に別の場所に住んでいた。ある日、実母のせいで借金を抱え命が危なくなった兄クリスは、実母に多額の保険金がかけられており、受け取り人が妹ドティーであることを知る。そこで父アンセルと共謀し、表の顔は警官だが裏の顔は殺
走ってくる車に体当たりをし、自ら傷つくことで賠償金をせしめるという、奇妙な商売があった。間違えたら命を落とすのであるから、文字通り体を張っての商売である。これはその名人と言われた「当たり屋」が、家族を引き連れ、「体を傷つけなくても生きていける街」を目指して、旅立つ物語…。
「耳なし芳一」「雪おんな」を収録した「怪談」などで知られる小泉八雲と妻セツのゴーストリーな世界を描く。
日本の近代戯曲の父とも言われる岸田國士(きしだくにお)が、1925年に文藝春秋に発表した短編戯曲。ユニークポイント版は舞台を病室に移し、夫が過去を振り返るスタイルで上演した。
英国の小さな田舎町で平穏な年金生活を送っていたジムとヒルダの老夫婦。ある日突然ラジオから戦争勃発を伝えるニュースが流れ、ジムは大慌てで政府発行の“戦争に生き残るための手引き”と首っぴきで室内用核シェルターを作り始める。ヒルダの方は戦争など他人事、ひたすら家事に夢中でどっちが勝つと思う?など呑気な話をしている。二人にとって戦争といえば第二次世界大戦の思い出だけで核戦争の実感は少しもないが、政府のいう