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結婚願望の強い意地悪な二人の姉と、娘を玉の輿に乗せて出世しようと企む父親。その父娘を騙してまんまと末娘シンデレラを手にする王子様……。絵本や映画で親しんだ物語が、ロッシーニのオペラ『シンデレラ』にのって、いま「野外劇場」で生まれ変わる。世紀末の日本から21世紀に向けて送り届ける新しいヒロインとアンチ・ヒロインの物語。
転校してみたら常識が通用しないやつらばかりだった。試験中に歌いだす不良、すぐに刃物を探す少女、ずっと話さない男。新しい環境に戸惑っていると、一人の教師が言った。「じゃあ、演劇部作る?」その一方で、家は崩壊しようとしていた。水は、すぐそこまで来ていた。フィクションを超える現実と戦う人々に送る 全然笑えないコメディ。「もう笑うしかないよ。だって、水浸しなんだもの。」
「えっと、一人とばして翔君なの」写真の説明をした人はそう言った。ああ、とばされたのは私。いつも忘れられる……だからなるべく派手な服を着ている。育った環境に強烈に縛られている愚かな家族。鎖から解き放たれていく様子を愉快に描く劇団代表作。
『銀幕迷宮-キネマラビリンス-』は、「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで死んだ、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の新作オリジナル作品です。監督カワシマに大鷹明良を配し、陰から妖へと変貌するその妻を美加理が演じ、青白く燃え上がるスクリーンの彼方に恐山の雪景が現出する時、亡霊たちが、闇を引き裂く叫びと共に浮上
シェイクスピアの「真夏の夜の夢」をモチーフにしたファンタスチックな舞台劇。
舞台『弱虫ペダル』
2.5次元ミュージカル/舞台
舞台は香港の九龍城砦を思わせるアジアのスラム、あるいは牢獄。ブルースに乗せた血みどろの男たちの生きざまを描くハードボイルド活劇として、不能の時代をブッとばすマシンガンのようにシェイクスピアを〈明るい虚無〉=世紀末に生き返らせる。
時は江戸時代。徳川家の財宝の在り処が示された三つの巻物を狙い、多くの忍びが暗躍していた。しかし、その巻物は厳重に守られ、ついぞ歴史の闇に消えていく。そして、令和2年。両親を亡くし夢も希望もなくなった令和に生きる少年・仁。「こんな時代に生きる意味なんかない」そう呟く彼の願いを叶えるために、座敷童達が力を合わせて立ち上がった。目指すは仁の先祖の忍者が生きる江戸時代。だがそれは、彼が持つ巻物を狙う妖怪達
文明のパレードであり、物質のパレードである。野外劇場で初演され、日本の「舞台芸術の新しい領域を開いた」と評される作品。台詞を全く用いず、従来の演劇、舞踊といった枠組みを越えて新たな劇表現を獲得したこの作品は、パパ・タラフマラの大きな転換点となった。人の生み出した物が、むしろ人を動かして先へ先へと進んでいく。そのような文明のエネルギーを視覚化し、生命と物のパレードとして描く。ロケットを想起さ せる7
頭にお皿をのせてたら、そりゃあ河童でしょう。かたたん。きこえてきたのは何の音。線路のむこう。逃げ水。湯気立ちのぼり。むかしむかし。水は口をきかなかったのよ。と。頭にお皿をのせたあの人は、教えてくれた。こととん。きこえてきたのは何の音。
太宰治の長編戯曲風小説(レーゼドラマ)を、軽快にかつ濃密にお届けする一幕劇。太平洋戦争開戦の直前・1941年初夏、太宰治はシェイクスピア『ハムレット』の翻案(パロディ)を書きあげた。登場人物たちの懸命で滑稽な生き方は、2024年に生きる私たちにどのように響くのか。豊岡演劇祭2022(於:出石永楽館)とSCOTサマー•シーズン2022(於:利賀山房)で好評を博した『新ハムレット』の東京•京都での再演
岸田戯曲のとてつもない面白さと奥深さに打ちのめされたKERAが贈る「岸田國士一幕劇コレクション」第二弾。円形劇場を縦横無尽に駆け巡るパノラミックな和装劇!実直なパン屋一家(志賀廣太郎、長田奈麻、新谷真弓、森田甘露)を予期せぬ出来事が次々と襲い、茶の間がいきなり怒涛のSF的展開へ突入する表題作『麵麭屋文六の思案』と続編『遂に「知らん」文六』。無邪気な子どもたちの歌声が響く学園で、大人たちの愛憎劇が繰
倉田翠が主宰するカンパニー・akakilikeが松本での滞在制作を経て上演。倉田の作品は、徹底的にフィクションでありながら、常に現実の自分自身と社会の間にある問題とつながっている。本作のテーマは「信仰」。人、動物、自然、宗教——人は何を拠り所として生きていくのか。結婚式という構造や、まつもと市民芸術館特有の舞台機構を作品に取り入れつつ、様々な背景を持つパフォーマーたちとダンスを立ち上げる。
伊藤若冲生誕三百年/美空ひばり追悼公演
天に向かってピッピッピッと真っ直ぐに飛び上がる、あのひばりと頬杖をついて横にぐたっとして微笑んでいる寝ジャカとが、十字架のようにクロスして登場する。(中略)世界を測る測定器としての肉体の視点がテーマである(チラシより)1983年の初演以来、1985年の欧州ツアーでも熱狂的に迎えられた「ひばりと寝ジャカ」のヨコハマ・ニューバージョン。
《彼》と旅をする20世紀三部作#1
【Story】1908年、ブラジルへの移民船、笠戸丸。日本人少年ノイチは、ポルトガル移民のアンと恋に落ちる。成長したノイチは、デモの夜に人を殺してしまう。ブラジルを離れることとなったノイチは、アンと先住民のチキノをつれて、南米中を転々とする。放浪の過程で、日本人排斥運動やクーデターに巻き込まれ、散り散りになってしまったノイチたち。彼らは再び出会うことはできるのだろうか。【Note】<彼>と旅をする
一般的にオジサンというと三十代から五十代後半までであろうか。五十代ともなれば男としてまだまだ花を咲かせたいと思う一方、もはやこれまで、そろそろ老後の心配でもしようかと思ったり、岐路に立つ年頃である。ここに愛しの女性を待っているようにしか見えない元気そうな五十代の三人の男がいる。・・・しかし、女性は現れない。・・・そのうち、男たちによる虚々実々の攻防戦が繰り広げられるはずだ。
Noism0+Noism1
新潟を拠点に世界へ向けて創作と発信を続ける2つの芸術集団による初の共演。作曲家・原田敬子の「鬼」をテーマにした楽曲に、金森穣が創作した“新潟をテーマにした作品”。鬼伝説の由来を金工師、鉱山の歴史との関係から考察する1冊の研究書から、鬼=鉱山=佐渡(新潟)がつながり、佐渡に初めて遊郭を開いたとされる清音尼、役行者、そして「鬼」という3つのキーワードに基づいて音楽的インスピレーションから創作。
【Story】物語はワタルの亡き母への手紙で始まります。 ほそい路地、トンネル、坂道。初めて来たはずのこの島に、なぜだかワタルは郷愁感を覚えるのです。 成長したワタルは、ヒルコやカイと出会い、ともに遊んだり喧嘩したりしながら、 “海の学校”で犬島のことや生き物のこと、そして、地球や人類の歴史を学びます。 ある日、教室に水が流れ込み、“海の学校”があっという間にアジアの多島海へと変わると、 ワタルは
作曲家・泉川は30歳。CMソング制作の仕事に追われながらも、このまま今の仕事を続けていいのかと、悩んでいた。そこへ仕事仲間の永田が若者たちを題材にしたミュージカル創りの話を持ちかける……。昭和30年代後半、日本は高度経済成長期で、仕事も職も増え、信じられないくらいの好景気に多くの人材が求められていた。義務教育を終えたばかりの若者は金の卵労働者と呼ばれ、学歴など不必要で労働の重要な手となった。そんな
舞台「D.C.Ⅲ ~ダ・カーポⅢ~」
2.5次元ミュージカル/舞台
《彼》と旅をする20世紀三部作#2
【Story】「呼吸機械 《彼》と旅をする20世紀三部作 #2」 舞台近景画像物語りの舞台は第二次世界大戦中の東欧。戦災孤児の少年カイ、アベル、イサク、そして少女オルガの4人は戦火の中をあてどなく彷徨います。地雷を怖れ、野草を食み、時には盗みを働きながらひたすら彼らは歩き続けます。そして彼らの前に現れるは旅芸人の一座…。【Note】伊吹山を背にして、客席から舞台奥の湖に向かって傾斜していく<びわ
【あらすじ】昭和49年、田中角栄は総理大臣を辞任、意気消沈しているところにロッキード事件が襲い、自民党を離党するもなおも裏で権力を操る院政時代が続く。若手の芽が摘まれることに業を煮やした竹下、金丸、小沢が一念発起、田中を裏切る。田中はショックで倒れ、歩くこともままならなくなる。それでも田中の復活を信じる新潟県民はトップ当選というエールを送るのだったが、巨星が堕ちる時は刻々と迫っていた。
舞台は1945年、ユダヤ人夫婦の経営する小さな紳士服のアトリエ。強制収容所送りになった夫を探す女、アメリカ兵を恋人に持つ女、二人の子どもを抱えて働く女、警察官を夫に持つ女、結婚して新しい人生を歩み始める女……。みなが貧しい中で助け合いながら、けなげに生きようとしているのだった。「この戯曲は私の母のために、また多くの縫製室で私が出会った、泣いたり笑ったりしているすべての人々のために書いたものである」
泉の辺りで休む旅芸人、二人。名前はおかめとひょっとこ。どうやら道に迷ったようだ。ひょっとこは知恵おくれのおかめに愛想をつかして別れたがっている。おかめはどこまでもついていくと言う。 旅に疲れたひょっとこは人形を取り出し、物語をはじめる。 アジアのどこか。日本のどこか。南の島。泉の辺りでクリーニング屋を営む三姉妹とその弟の物語。
夫婦に必要なのは、忍耐より隠し事なのか・・・?親友に必要なのは、誠意より共犯意識なのか・・・?ケラリーノ・サンドロヴィッチが初めて描く、熟年夫婦の倦怠と、彼らに翻弄される若者たちの日々。ひょんなことから、数十年ぶりの再会を果たした高校時代の同級生ニチカ(余貴美子)とミラ(高橋ひとみ)。ニチカは親から引き継いだ大会社を経営するググ(渡辺いっけい)、ミラは売れないカメラマン・ミクリ(高橋克実)とそれぞ
ダンスがみたい!—批評家推薦シリーズ—
ケイタケイは1969年9月、「LIGHT」でニューヨークデビュー。同年12月には「ランチ」を発表した。「LIGHT, Part 4 “ジクゾーパズル”」は1970年12月初演。2005年の「ダンスがみたい!7」では「批評家推薦シリーズ」として参加団体の選出の理由などが推薦者から明示された。ケイタケイを推薦したのは舞踊評論家の山野博大は、オックスフォードの舞踊事典に、伊藤道郎、森下洋子、土方巽などと
世紀を超えて世界中で親しまれているモンゴメリの名作『赤毛のアン』。グリーンゲイブルズを舞台に、想像力豊かなアンが紡ぎ出す美しい言葉の数々や、マリラやマシュウの愛情と心の友ダイアナとの友情を通して成長していくアンの姿。恵まれない孤児だったアンが、周囲の人を巻き込みながら繰り広げていく心豊かな世界は、今もって多くの人々の共感を呼んでいる。10代の俳優の躍動感ある明るくナイーブな心と、熟年の俳優たちの深
1958年、大阪砲兵工廠跡地。大阪城が見下ろすこの場所に、その「廃墟」は存在した。かつて、アジア最大ともいわれた兵器工場は終戦間際、大規模な空襲を受けて、見渡す限り巨大なコンクリートと鉄骨の、瓦礫の山と化していた。そしてこの「廃墟」に夜な夜な侵入し、鉄くずを掘り起こし、それを売って生活の糧とする朝鮮人集団がいた。通称「アパッチ族」―しかし鉄屑は国有財産。ついに警察が取り締まりを始める。漆黒の闇の廃
「記憶の沼」のみなそこから湧き上がり、吐き出され、吞み込まれてゆく数々の物語。地上でもあり水中でもあるような、あいまいな境界に繰り広げられる女性舞踏の饗宴。
(フライヤーより)遠くはるか、生と死、地上と天上、地球と銀河を結ぶ銀河鉄道。ブームにさきがけ昨年上演し大絶賛をいただいた舞台が、賢治生誕100年の今年、もう一度よみがえります。ぜひ、お見逃しなく。
主人公の男が押入れの奥から、昔よく履いていたズボンを見つけたことから始まる。それをコインランドリーの洗濯機に入れた所で、後ろのポケットに、何か大事なものを入れていたことを思い出す。ズボンは見当たらず、代わりに「あなたの過去を上演したいので、上演許可を!!」という、演劇部の女子高生たちが登場?!それを契機に「ラブレターを返して」と迫る昔の彼女など、彼の忘れたい過去が、記憶の渦の中から次々と現れて…。
維新後、官から支給された農地に入植した三代つづく開拓農家安倍林檎園。三代目園主正義は、林檎園経営に厭いて鉱山に手を出し、借金を重ねる。主人のいない林檎園を守るのは、正義の弟で作家志望の信胤、正義の娘道子と正義の母の寿々。常雇いの今朝吉に助けられながら何とか踏ん張ってきたが、とうとうこの土地を手放すことに・・・。「いや、おれたちは、ここを出てゆくほうがいいんだよ。ここにいるかぎり、頭にちょんまげをの
昭和38年(1963年)、秋の東京。オリンピア・スターパークは、アジア圏初のオリンピックとして、国を挙げて準備に余念のない東京五輪に合わせ建設されたホテルも備えた複合娯楽施設。12月の開館を前に、施設の宣伝のためにプレ・オープン・パーティは行われていた。しかし、この施設の施主だった実業家・諸星光作(山崎一)は既にこの世にいない。その遺志を継ぎ、娘・瞳(小池栄子)が切り盛りしており、瞳のいとこ・丸山
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
地域公共劇場連携事業
骨髄癌の少女と、兄妹同然に育った青年の会話。二人のやりとりが同じ病室の患者によって書かれた物語であったなら……。デビュー作『アサッテの人』で芥川賞を受賞した作家・諏訪哲史の同名長編小説を、同じ愛知県出身の天野天街(少年王者舘主宰)が舞台化。2010年、七ツ寺共同スタジオのプロデュース公演として話題を呼んだ名作が、13年振りに復活。オーディションで選ばれた新キャストと共に、三重・名古屋・高知の三都市
「この店はね、人生の落伍者のふきだまりなんでございます」芸術に憑かれた男たちの〝才能と世の中との折り合い〟を描く、激しく愚鈍極まりない物語、再び。1974年暮れのフランス、パリのモンマルトル。サン・ヴァンサン墓地の向かいにある地下酒場「レ・トロワ・ペロンヌ・ローンドゥ」はうだつが上がらない、パリの日本人の溜まり場となっていた。新米店員のスティーヴ(温水洋一)が店番をする店には、今夜もオブジェ作家の
結城雪斎が生きた東京という町と、苦闘した昭和という時代にこだわる物語を作ろうということから齋藤憐と佐藤信の初顔合わせで「昭和怪盗伝」が実現した。おもく暗い昭和のはじめ。鉄格子を挟んだ内と外、ひっそりと生きていた人がいて、笑いとばして、唄いとばして生きた人々がいた―。
W・シェイクスピアの名作を憎しみに焦点をあてた解釈で再構成し、レアティーズとの決闘をプロレスの肉弾戦で実現。くり返す因縁から抜け出せぬ人間のバカバカしさを描く。
能楽公演 2020 ~新型コロナウイルス終息祈願~ 第4日
旅人 盧生は邯鄲の里で不思議な枕を借りて一睡をすると、帝となり50年の栄華に酔うが、それは起きるまでの夢の出来事であった。
近松門左衛門の「国性爺合戦」を下敷きに縦横無尽にアダプテーションする爽快スペクタル劇。近松門左衛門の「国性爺合戦」は17世紀の中国を舞台にした作品である。野田版は、国家というものが生まれつつある頃、(日本でいえば)3世紀ころの話になっている。あるところのある人々が、国という共同体を創ろうとしていた時代の物語。原作では漢人、日本人、満人、という三者の関係で描かれているものが、国家の外と内、中心と周縁
1968年北国の夏の海辺に、突然出現した正体不明の女、煙に巻かれてしまう保養所の医師。二人が相手のことが気になりだして言葉を交わすようになったのは、しばらくたった音楽会の帰り道のことだった。二人は若くない。それが惹かれあった。普通の幸せをあまり貰っていなかった二人。ひとりぼっちだった二人。他の何百万人の男と女のように戦争で手ひどい仕打ちを受けた二人の慎ましいお話。そして、二人が別れる時がおとずれ、
あの日、変わらぬ信号を待っていた。青い空に赤信号、それは太陽だったかも知れない。押されないボタンのせい、でも私たちはそれに気づかない。そこから時間はたったのか、それとも刹那。ばらばらの断片を、とんとんと揃えたら。だれだろう。向こうにいるのは。だれだったろう。向こうにいたのは。
走れペン、刷り出せテプラ!謎を解くのは記録!密室で目を覚ました数人の男女。壁のモニターには謎の記号。そして手元には記録アイテム。「このタイプの暗号に対してレコーダーあまりに無力ですよね」「こう、部屋の色の情報を声で……」「人生においてこんなにペンがほしいと思ったことないですよ」記録を重ねて謎を解き、ここから脱出できるのか――?
1960年の土方巽の初リサイタルの舞台美術を委嘱された水谷勇夫は、土方巽の期待に創意工夫をもって応えて以来、土方の信頼を厚くし、二人は刎頸の友ともいうべき交流があった。画家、窯造作家として活躍していた水谷が、愛知県瀬戸の有形文化財の登り窯を舞台に「天地創造」をイメージして構想した舞踏作品を、土方巽の弟子であったサンフランシスコ在住の舞踏家玉野黄市が踊った。土方巽を追悼する作品でもあった。
いつも一緒だった四人。高校生だったある夏、二人が事故で死亡した。そして月日が流れ……今、四人は話に花を咲かせている。想い出話から現在のことまで話題は様々だ。しかし大人になった二人と高校生のままの死んだ二人の会話は食い違う。人と人 との関係。それはどうしたって相対的にならざるを得ず、しかしそれではどうにも消化できない個々の想いもあり……。そんな浮き世をシンプルに描いた作品。
白虎社のイメージビデオ作品「ミラクルレポート」。ディレクション・編集は、ビデオアーティスト邱世原(きゅうせいげん)。「グルメ狂時代」、「ギガー」、「アリス」、「チャイナタウン」の4部作で、1986年の台湾ツアーの際に撮影された。
【あらすじ】舞台は南三陸沿いにある古ぼけた理髪店。夜の7時過ぎ、営業を終えた店内で、従業員の佳子が店主の倉田の髭を当たっている。佳子がこの店で働くようになって一月半、倉田にとって彼女の存在が密かな喜びとなりつつあった。佳子と二人きりで過ごすひとときに、胸がいっぱいの様子だが、店の外は濃い霧が立ち込め、何かが起こりそうな予感...。するとそこに、店の扉を開け一人の男が入ってきた。霧が晴れるまで休ませ
クリスマスの前夜、私、クララのもらった素敵な夢の贈り物は?目眩く機械仕掛の悪夢の一夜!何故なの?
楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~『楽屋』は清水邦夫氏の代表作で、日本で最も多く上演されている戯曲といわれる。チェーホフの『かもめ』や『三人姉妹』、シェイクスピアの『マクベス』、三好十郎の『斬られの仙太』などの戯曲をはじめ、さまざまな文学作品の言葉がふんだんに引用されている。登場人物は『かもめ』のニーナ役の女優と、その上演中の楽屋に住み着く女優だった幽霊の4人。名セリフの引用は、名作へのオマー
岸野組がお送りする人情味溢れる時代劇ミュージカル!!こそ泥・金太は自称大泥棒・石川五右衛門の子孫。ところが泥棒としての実力はからっきし、ドジばっかりの現実から夢の中へと逃げ込む毎日。勿論、夢の中ではスーパーヒーロー。だが、それも夢の中だけでのこと。ある夜、偶然助けた記憶喪失の娘、そして執拗に彼女の命を狙う黒衣の殺人鬼。一念発起、娘を守ろうとする金太とそれを支える仲間達。だがそれは、彼らの運命を大き
1986年26歳にて岸田國士戯曲賞を受賞した川村毅による、翌1987年の新作『フリークス』はPARCO劇場提携により、パルコ・スペースパート3にて初演。翌88年ザ・スズナリにてDAISAN EROTICA Festivalと銘打ち、最新作『フリークス」と旧作『コックサッカー・ブルース』を同時上演。
米・北東部ニューイングランド地方、ゴールデンポイントと呼ばれる湖があった。朝夕照らし出される湖面はまさに《黄金》に輝き、湖畔の閑静な別荘は都会の喧騒から離れ一夏を過ごす人々のやすらぎの場であった。間もなく80歳のノーマンは厳格で頑固ものでユーモアと教養を持ち合わせていたが、老いと忍び寄る<その時>への影におびえ苛立っていた。妻エセルは対照的に変わらぬ快活さを見せているが最近の夫が気がかりだ。夫婦の
大空に向かって 空想の羽をいっぱいのばし じぶん自身の 美しいメルヘンを つくろう
天狗伝説が語られ、義経が修業を積んだ場として知られる京都・鞍馬山。平成30年9月4日に発生した台風第21号は鞍馬に多大なる被害を与えた。道を塞ぐ「倒木」をモチーフに、倒れてしまった命を起こしていくダンスパフォーマンス。無数の段ボールは、積まれて崩れるを繰り返す。”鞍馬の火祭”を劇場に巻き起こし、魂の踊りで命に火を灯す。自然の猛威という人間を超えたスケールの基盤に、身体で対峙する代表作を東京
「表現の自由」という権利の重要さ、尊さを改めて認識してもらい、これらを抑圧しようとする、ネットやメディア等の「現代の検閲」のについて、当事者意識や必然性などを考察し、表現を規制し抑圧する正当性が本当にあるのか否かを観客に問いかけることで、表現活動への理解を深めることを目標とした。観客の芸術表現についての思想の成熟を促すことを目指し、全ての芸術表現への理解度を深める機会となることを目指し企画された。
アメリカの新進劇作家トム・トポーの問題作。ブロードウェイで絶賛を博し、79年度ベスト・プレイに選ばれたスリリングな裁判劇。
室町時代、お家騒動にまきこまれる絵師の狩野元信と、彼を慕う遊女のみや。元信と結ばれず、死んだみやは、香を焚きしめた元信の部屋に、幽霊として戻ってくる。二人の恋愛を軸に、芸術と政治の相克が浮かびあがる。現在は歌舞伎や文楽でさえ行なわれていない、近松門左衛門原作の全編を一挙上演。
演劇計画Ⅱ-戯曲創作- 柳沼昭徳 作・演出
彼は闇の中、その者たちと共に高みに向かった。標高なのか、名誉なのか、精神なのか、そこに待っている高みがどのような類のものなのか、彼自身興味は失せていた。立ち止まり、黙々と進む人々の行列を眺め、感慨深くため息をついた。そしてかつての孤独と不安に思いをはせて、実は、この連帯こそが達すべき目的だったのかもしれない、そんな気分にもなった。けれど、体の震えも止まなければ、たずさえた骨も鳴きつづけていた。空が
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
河野紗代子(ピアノ)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。海は刻々と表情を変え、様々なブルーを見せてくれる。キラキラとした心躍る水色のブルー。時間の流れがゆっくりに感じる水中の瑠璃色のブルー。吸い込まれそうな夜の濃紺のブルー。荒れ狂った波の限りなく灰色に近いブルー。「青」という色が持つミステリアスな多面性をピアノとダンスで描く。