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風に色があるか否かは知らないがうつろう風のなかには、確かにそれぞれの景色が棲んでいる。風の景色を見た時から人は踊りを知る。しあわせなことに景色を見たのが、少年の頃であれば、少年は必ずダンサーになる。だが不幸なことに、知らなければ何事もなく終わってしまったであろう人生のなかばで風の景色を知ってしまった人は哀しい。
【Story】たそがれどき。なみうちぎわ。静かに佇む廃船。流木、缶、船板、スポンジ、漂流瓶。少年は海が運んできたさまざまな漂流物を手に、旅への好奇心と想像力をふくらませ、この場所から海を越えて広がるアジアの島々に想いを募らせる。少年の想いは“海の道”へとつながっていく。【Note】本作品は20世紀三部作のアジア篇として上演した『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』を再構成した作品である。新たな脚本
あの「パリ、テキサス」の原点がここに――。荒野をゆく孤独の影。愛と憎しみのブルースが聞こえる。優しさなんかいらない。これが俺たちの本当の愛。
河野紗代子(ピアノ)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。海は刻々と表情を変え、様々なブルーを見せてくれる。キラキラとした心躍る水色のブルー。時間の流れがゆっくりに感じる水中の瑠璃色のブルー。吸い込まれそうな夜の濃紺のブルー。荒れ狂った波の限りなく灰色に近いブルー。「青」という色が持つミステリアスな多面性をピアノとダンスで描く。
彼にとって、彼女は一切であった。娘であり、母であり、獣であり、マドンナであった…。すぐれた東洋美術史学者であり、類まれな万葉調の歌人であり、また独創を重んじた書家として名を成した會津八一。そんな彼の、遠縁の娘きい子との神聖な恋。彼を慕って集まってきた教え子たち。彼らがやがて巻き込まれていく、幾つかの過激な事件、そして戦争の影…。
会社でうだつのあがらないトキオは、レイコに思いを寄せながら、自分が彼女にふさわしい男だと思えない。ある日、永遠の時を手に入れられるという「神になる本」を目にしたトキオは、輪廻転生を信じ、意を決してビルから飛び降りる。こうして生死を超えて、愛する人を追い続けるトキオの旅が始まる。だが、それは「オイディプス」「ロミオとジュリエット」、はたまた「サザエさん」といった、すべて「あらかじめ用意された物語」を
錬肉工房結成十周年記念、また新アトリエ杮落し公演として上演。即興性の課題を前面に出し、自在でラディカルな身体の、演技のあり方が探られた。そうした試みの中で、冒頭の場面で、那珂太郎の詩作品の言葉と格闘していた演技者によって初めて、破裂音を伴って分節言語が解体され、言葉の深層の意味生成の、発生の根源的な現場に下降するという事態が生起し、新たな身体=意識=言語の領域が垣間見られた。
「この店はね、人生の落伍者のふきだまりなんでございます」芸術に憑かれた男たちの〝才能と世の中との折り合い〟を描く、激しく愚鈍極まりない物語、再び。1974年暮れのフランス、パリのモンマルトル。サン・ヴァンサン墓地の向かいにある地下酒場「レ・トロワ・ペロンヌ・ローンドゥ」はうだつが上がらない、パリの日本人の溜まり場となっていた。新米店員のスティーヴ(温水洋一)が店番をする店には、今夜もオブジェ作家の
歌舞伎ミュージカル
井原西鶴原作の浮世絵草子を知念正文が構成脚色。身を焦がす恋に命を燃やした美しい五人の女たちを歌う舞姫、石丸有里子が見事に演じ分ける。人形振り、ひきぬき、けれん……など、あらゆる歌舞伎の手法を駆使し、日舞はもちろん洋舞、アクロバットダンス、三味線の生演奏、肉体でみせる桜の踊り、火の踊り、舞扇の群舞と、盛りだくさんのエンターテイメント作品。
『むこうの世界』へ旅立つことを夢見て、さすらう人々の群れ。いつしか、その夢は立ち消え、現実的世界に引き戻されてしまう…。寺山修司没後十年、鄭義信が寺山の劇世界をベースに描く少年の希望と世界の果て。寺山劇の単なる復元ではなく、全編に寺山作品の断片をちりばめ、寺山が愛用した「世界の果て」というモチーフを使いながら鄭自身の劇世界に寺山修司を引き寄せる形で新しい物語を作り上げた。
六人の修道女を巡るマジックリアルな群像劇いつかわからないが、一世紀ほど過去を思わせる。どこかわからないが、ヨーロッパを思わせる山の麓に建つ、山荘。その石造りの山荘は半世紀ほど前、村の人々によって建てられ、以降も村人が管理している。かつては祠だったその場所は、キリスト教で言うところの聖人をまつり讃えるべく建てられた。ちょうど百年前、村の長老が病に倒れ、ある修道院から修道院長が呼ばれた。彼女の祈りによ
「国家と芸術家」シリーズ
カレル・チャペックの作家人生を、チェコスロバキア共和国の誕生と消滅(1918年~1939年)の出来事と対比させながら、カレルが、国家や民主主義とどう向き合い、ファシズムにどう抵抗したのか、を描く。兄で芸術家(画家・作家)のヨゼフ、恋人(やがて妻になる)で女優のオルガ、ユダヤ人の軍医で作家の親友ランゲル、交流のあったチェコスロバキアの初代大統領トマーシュ・マサリク等が活躍する群像劇。
ロベルタ・リマは、自らの身体そのものをテーマとしながら、アーティストと鑑賞者それぞれの役割に問いを投げかける作品を制作してきた。そこで用いられるメディアは、写真や映像、インスタレーションなど、さまざまだ。昨年の秋、リマは一週間にわたって京都・伏見の招徳酒造で女性杜氏の仕事に立ち会い、日本酒の醸造過程だけではなく、ひとりの女性が杜氏となった軌跡に触れた。酒造りを統括する杜氏は長らく男性によって営まれ
遊園地再生事業団#11
舞台はとある中学校の教室。体育の授業中、こっそりと持ち物検査にやって来た5人の教師による不穏な会話劇。1997年に起きた14歳の少年による連続児童殺傷事件や翌年の教師刺殺事件をきっかけに、少年のナイフ所有が社会問題となったことを背景に創作された作品。
ある神父・マスターが管理するバーチャル・リアリティ(仮想世界)の中で、体や心に傷を負った人々がもう一度人生をやり直したいと思う姿を描く近未来の怖くて悲しい喜劇。7つの戒律を持つバーチャル・リアリティの世界で、人々は本当に人生をリセットできるのだろうか。
三谷幸喜書き下ろし・演出による、ちょっとほろ苦い大人のロマンティックコメディ。今は亡き女性シンガーと組み、かつては様々なポピュラーソングを発表、ヒット曲を連発して来た作曲家と作詞家二人の男。彼女の7周忌に開かれる追悼コンサートのために久しぶりに顔を合わせた彼らは、彼女に愛されていのは自分だとお互いに言い張りのだが…。
マグカル・シアター in KAAT
神奈川県で実施している“マグカル・シアター”の中から年間一団体にKAATでの上演機会を提供する“マグカル・シアター in KAAT”に選出されての創作。この作品は人類学者の深海菊絵氏監修のもと「ポリアモリー(POLYAMORY)」(同時に複数の人と合意のうえで愛の関係を築く生きかた)について描かれた演劇です。今作では、他者がどのように世界に触れているのか、という問いを演劇でひろげています。
あらしのよるに小屋の中で、オオカミのガブとヤギのメイが出会った。真っ暗で顔も見えない。さあ、どうなる?ちがった者どうしが共に生きる、勇気と友情の大切さを考える。
”羽衣伝説””浦島太郎”古典世界にところをかりて織りなす、現代に甦る”きぬと竜吉”の道行き……めぐりて、めぐる人の世の妖かしの世界秋元松代珠玉の名扁、市原悦子期待に応え再演!
慶応二年冬、駿州清水仲町次郎長宅から祝言の歌が聞こえているが、現れた若い渡世人綾太郎は甲州黒駒一党の不穏な動きを告げる。次いで現れた新徴組取締役山岡鉄太郎が徳川の為に一肌ぬげと次郎長を口説くがはねつけられる。婚礼の夜は一転血しぶき散る修羅場となった。宿敵の出入は多数の死者を出して一旦おさまるが、次郎長の怒りはやがて伊勢荒神山の決闘へと発展する。喧嘩出入りに明け暮れる次郎長だが、時代は江戸から明治に
日本現代演劇の潮流を変えた代表作、完全なる”再創造”90年代生まれの新キャストとともに放つ、集大成にして新たな挑戦が“演劇”をふたたび覚醒させ、”私たちの現在”を浮き彫りにする 2003年3月、アメリカ軍がイラク空爆を開始した日を含む5日間の東京の若者達の日常を描く「三月の5日間」。その言葉と身体の関係性を軸にした非類なき方法論によりそれまで当たり前とされてきた劇構造を根本から覆し、後に続く若手作
かもめマシーンが取り組む「電話演劇」は、電話回線を介して俳優と観客の1対1で「上演」する演劇作品。サミュエル・ベケット原作の「もしもし、わたしじゃないし」に続く第2弾として上演されたのは、1930-40年代という激動の時代を生きた思想家シモーヌ・ヴェイユのテキストによる「もしもし、シモーヌさん」。観客は、ビル屋上に出現する特設の「電話ボックス」に設置された黒電話のダイヤルを回すと、上演が始まる。
能楽を旅する – Journey through Nohgaku – 彦根城 特別公演
粟津が原にやって来た木曽の僧が神前で涙を流す女と出会う。女は、実はかつて木曽義仲に仕えていた巴御前の亡霊で、夜になると甲冑姿で現れ、義仲最期の有様を物語るのだった。女武者の忠義と奮戦が描かれる異色の修羅能。
小説家・宇佐美章が亡くなって、まもなく100日法要。蓼科の山荘に暮らす未亡人・加奈に呼ばれた3人の男たちが訪ねてくる。引き出しの奥に残されていた一枚の写真を巡り、事態は思わぬ方向へと転がっていく・・・
平成28年度文化庁新進芸術家海外研修制度の研修員として、イギリスのDerby Theatreで1年間研修した大澤遊の演出公演。田舎に住むジャックは架空の弟「アーネスト」を訪ねる名目で、たびたびロンドンへ遊びにでかけていた。ロンドンでは「アーネスト」と名乗り、友人アルジャノンのいとこであるグウェンドレンに恋い焦がれるジャック。あることからアルジャノンはジャックの嘘を見抜き問いつめると、田舎ではジャッ
のどかな春の日、ブンナは仲間の制止も聞かず、未知の世界を求めて椎の木に登ります。ブンナは夢にみた天国だと思いました。しかし、そこは怖い鳶の餌ぐらでした。百舌、雀、蛇、鼠、牛蛙が次々に捕らえられ運ばれてきます。そして、死を目前に壮絶な“生きるための戦い”を繰り広げます。蛙の天敵もまた弱肉強食の自然界に生きていたのです。想像を絶する世界に遭遇するブンナ。夏がきて秋から冬、季節はめぐる…。
文化庁芸術家在外研修経験者の「在外研修員の会(在研会)」による共同企画公演。文化庁芸術家在外研修は1967年に始まり、1989年の時点で約580名の芸術家を海外へ派遣している。「在研会」は1987年、在外研修を経た帰国者同士のネットワークの場として、文化庁の支援の下に誕生した。海外で研鑽を積んだ様々なジャンルの芸術家で構成されている。本公演は様々なジャンルで活躍する芸術家が、研修で上げた成果を発表
研究者、活動家、学生、 旧東ドイツの市民など、国籍も職業もさまざまな人々がその実人生と『資本論』とのかかわりについて語るパフォーマンス。ステージには大きな本棚(そこには大量の「資本論」文庫版が並ぶ)が設置され、出演者はその中に腰掛けたり、時には棚から顔だけ出したりと、常にリラックスしたムードを漂わせている。ギャンブル依存症患者や投資詐欺で訴えられたコンサルタント、政治犯を父に持つマルクス研究者……
ニューヨーク郊外にある豪華な邸宅。今夜は市長補佐官チャールズ・ブロック氏と妻マイラの結婚10周年記念パーティだ。招かれた客はいずれも上流階級のそうそうたるメンバーばかり。最初に到着したのは弁護士夫妻。ところが当のブロック夫妻はもちろん、メイドもコックも誰もいない。邸宅中を探してみると二階の寝室でブロック氏が耳たぶを撃ち抜いて血だらけになっていた。真相がわかるまでは友の異変を隠しておこうと大奮闘の弁
ケムリ研究室 (ケラリーノ・サンドロヴィッチ 緒川たまき) 第3弾。STORY 何十年か、百数十年か先の、どこかの国のお話――。 地球の人口は以前の3割ほどに減少。繰り返された極度の寒暖により、植物はほとんどが死滅。生き残った動物たちは人間の食料とされ、今や目にすることは珍しい。 残ったのは昆虫、限られた鳥類、爬虫類、深海魚に変種の貝。 極端な気候の中で生活するため、都市では巨大な冷暖房装置が稼
新長田アートマフィア2022 実録
神戸市長田区の新長田地域を中心に独自の拠点を運営しながら、表現活動を支援する人々の集合体[新長田アートマフィア]。各々の拠点は、病院、クライミング・ジム、古民家、コミュニティ・スペース、多世代シェアハウス、アトリエ、事務所、劇場、自宅のように用途も属性も多岐にわたります。2017年、新長田アートマフィアからダンス部が生まれました。まちに関わる仕事も表現活動のようである、彼らの普段の活動と新作上演と
1947年、敗戦2年後の沖縄――。 米軍基地から物資を盗み、東南アジア各地に売りさばく盗賊団「戦果アギヤー」たちの群れがあった。ある時、アギヤーはとんでもないものを盗んでしまう。 原子爆弾である。沖縄の領土化を目論む米軍にとっては一大事。 一方、アギヤーは、米軍撤退と沖縄独立を目指す「琉球独立党」と手を結ぶ。 一個の原子爆弾をめぐって沖縄が揺れ動く――!
「日本の劇」戯曲賞2010最優秀賞を受賞した今井一隆の作品。北関東のとある小さな町。ガラス屋に婿養子に入った兄(信一)のもとへ、弟(信二)が金の無心に訪れる。信二は過去に法事の金を使い込んだことがあり、信一にそのことを蒸し返されると、用事を言い出せぬまま帰って行く。そしてそのまま行方知れずになった。信二が父から継いだ工場が倒産し、兄弟たちの実家は人手に渡ろうとしていた。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅰ
「あんず動物紀」シリーズ第一弾。他にも虫やワニなどが取り上げられることとなるこのシリーズでは、「この世とあの世の混沌とした暗い記憶から呼び覚まされる」動物たちの声を作品化している。1987年フライブルク(ドイツ)にて初演。ー若者の窮極の目的地は やはりあの居心地のよい火の焚かれた部屋。まっ先に飛んできた犬。窓の中には案外な偽善者。ー
(フライヤーより)ただいま語り申す御物語 国を申さば丹後の国 金焼き地蔵の御本地を あらあら説きたてひろめ申すに これも一度は人間にておわします(天下一説教与七郎 正本より)
ロームシアター京都 × 京都芸術センター U35創造⽀援プログラム“KIPPU”
「村八分」「集団農場」「ブラック企業」といったムラ社会的な閉鎖コミュニティを舞台とした〈集団暴力シリーズ〉の集大成的作品。雪深い山奥にひっそりと佇む民宿を舞台に、野生動物たちと共生する一族と、村の人々との衝突を描く。過去シリーズにも通底していた「家族」というモチーフを前景化し、それらを繋ぐ「食」という営みに焦点を当てながら、原始的かつミニマムな共同体の呪いと可能性へと切り込んだ。
〈遊行の景色〉においては、<移動>を主題に、演劇を固定した場所性から解放し、より多義的な関係の渦のなかに投げ出してみることが試みられた。檜枝岐、および利賀の野外を観客とともに移動しつつ、身体、映像、オブジェ、マシン音楽が多層的に交錯するなか、〈移動〉の理由を、「風景」に定住する私たちの〈狭生感〉を、逆説的に追求する上演となった。
[Story]伊勢をめざす旅に出た少年ワタル。奈良の山中で道に迷ったワタルは、不思議な生き物を見ます。導かれるままに辿りついた曽爾村で、ハルという腕白な子どもに出会います。2人は、村祭りで一緒に獅子舞を見たり、雨の中、秘密の洞窟を探検したり、ワタルは迷子になっていたことも忘れ、ハルと村中を巡ります。彼らを傍で静かに見つめているのは、成長して曽爾村を再び訪れたワタルです。成長した彼もまた人生の岐路に
楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~『楽屋』は清水邦夫氏の代表作で、日本で最も多く上演されている戯曲といわれる。チェーホフの『かもめ』や『三人姉妹』、シェイクスピアの『マクベス』、三好十郎の『斬られの仙太』などの戯曲をはじめ、さまざまな文学作品の言葉がふんだんに引用されている。登場人物は『かもめ』のニーナ役の女優と、その上演中の楽屋に住み着く女優だった幽霊の4人。名セリフの引用は、名作へのオマー
とりふね舞踏舎旗揚げ公演で1992年に初演され、アヴィニョン演劇祭やニューヨーク、京都上賀茂神社など、国内外で上演を重ねている作品。子を置いて自死した友人の作家・鈴木いづみをモデルに、三上賀代が修士論文で明らかにした「土方舞踏譜」を使って振付・構成されている。例えば前半の「子を抱く幽霊の通過」の舞踏譜は「子を抱く幽霊の通過―流れる首―子を抱く-月光―シーツ-天井の糸―オーイ」。後半の景は「愛の日々
舞台「D.C.Ⅲ ~ダ・カーポⅢ~」
2.5次元ミュージカル/舞台
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
2020年第20回AAF戯曲賞特別賞を受賞した作品。コロナ禍による緊急事態宣言中の2020年の日本を主な舞台に、当時を生きた人々へのインタビュー、ニュース、社会情勢をもとに書かれた50本の短編作品を、長編として編纂したもの。緊急事態宣言中にDV避難を余儀なくされた若者を軸に展開される、コロナ禍を舞台にした群像劇。
鈴木忠志率いる劇団SCOTとインドネシアの俳優による、2021年11月に初演された国際共同制作作品。劇団SCOTは2015年から5年に渡り鈴木忠志演出、日本・インドネシア・中国の俳優による『デュオニュソス』(国際交流基金アジアセンターとの共同企画)を制作。この成果をさらに発展させるべく、インドネシアのプロデューサー、レスツ・クスマニングルムのもと継続的に「スズキ・トレーニング・メソッド」の訓練を行
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W・シェイクスピアの名作を憎しみに焦点をあてた解釈で再構成し、レアティーズとの決闘をプロレスの肉弾戦で実現。くり返す因縁から抜け出せぬ人間のバカバカしさを描く。
劇団青年座創立60周年記念公演 第三弾
大正七年米騒動が起こったその夏、愛は福井若狭の寒村で祖母を見送った。愛の父宇助は地場産業を興そうとしたがうまくいかず田圃を手離し、あげく中風で寝込んでいる。宇助の面倒を看、妾に産ませた鉱太郎と千吉まで引き取って育てる母しん。翌年、愛はしんの後押しもあって棺桶作りの角治のもとに嫁ぐ。角治の母いしは、盲目だったが死ぬまで「ふれごと」をして村を歩いた。いしの日常はいつも明るく生活の知恵あふれ、その中で愛
椿組2022年夏・花園神社野外劇
ご存じ歌舞伎狂言「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」は、大阪ヤンキー達の泥にまみれた大立ち回りで有名なお話しだ!それを幕末の江戸に移し、大胆に脚色したのが今回のわかぎ版「夏祭・花之井哀歌」油照りする大江戸花之井、夏祭の宵宮におこった惨劇! 男の強欲と女の意気地がぶつかり合うーーー 血と泥と怨念まみれた殺し場に映えるは、真っ赤な下帯、浮かぶ刺青・・・ “待ってまし
進駐軍の占領下で、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。親を亡くし、子を亡くし、夫を亡くし、友を亡くした人びとが、世の中の新しい枠組みの中で、無我夢中に生きていた。ひとり息子の健太郎を戦地に失った愛敬稲荷神社の神主牛木公磨も、今では近くに住む五人の未亡人たちと寄り合って、闇米の調達に奔走している。そんなある夏の日。思いもかけず、死んだはずの健太郎が愛敬稲荷神社にひょっこりと帰還する
2011年の東日本大震災をきっかけに岡田利規の演劇観は「フィクション」の有効性を探求することへと舵を切り、社会の中の緊張感や断絶を寓話的に描いた「現在地」(2012年)と「地面と床」(2013年)を発表しました。『部屋に流れる時間の旅』では、ふたたび震災後の社会背景を主題としながらも、社会での断絶が生じる以前の個々人の心の葛藤や恣意的な感情をきわめて細密に見つめ、拡張し、これまでにない新たな表象を
東京郊外にある今は珍しい下宿屋。夢を求め大志を抱き若者たちが集っていたのは昔のこと。大家の4兄妹と、今は行き場のない愉快なおじさん達が面白おかしくすみ暮らしている。そんな下宿にかつて一世を風靡した巨大な女レスラーが入居してくる。もりあがるおじさんたち。しかし、その下宿に奇妙なことが起き始め・・・ 懐かしい下宿物へのオマージュを込めて送る、「動物電気の昭和まんが劇場」です。
1951年、瀬戸内の小島。広島で被爆し九死に一生を得た栗原学は、教師の仕事を続けながら将来のことを思い悩む。朝鮮戦争の軍需景気に支えられている島の生活。同僚や東京で働く同級生の言葉。そして教え子の存在…。1957年に劇団民藝で上演され大きな反響を呼んだ傑作を、青年劇場ならではのアンサンブルで、さわやかに描き出す。
19世紀、フランス、若きラウールはカリオストロ伯爵夫人こと、ジョセフィーヌ・パルサモと運命的な出会いをする彼女の本当の姿を知らないラウールはその美貌と神秘さに魅了され、自ら抗争と愛情の渦に飛び込んでいく。悲報をめぐり対立するカリオストロ伯爵夫人とボーマニャン。恋人のクラリスと夫人の間で揺れ動くラウール。これは人間のエゴの物語。ラウールのエゴ、カリオストロ伯爵夫人のエゴ、エゴは愛をエサに欲望を知識と
いつも一緒だった四人。高校生だったある夏、二人が事故で死亡した。そして月日が流れ……今、四人は話に花を咲かせている。想い出話から現在のことまで話題は様々だ。しかし大人になった二人と高校生のままの死んだ二人の会話は食い違う。人と人 との関係。それはどうしたって相対的にならざるを得ず、しかしそれではどうにも消化できない個々の想いもあり……。そんな浮き世をシンプルに描いた作品。
あの長い南北之芝居を、筋書きはそのままで2時間に収めて上演するために脚色された作品。横内には珍しく、世界もテーマも原作のままである。
(フライヤーより)トンガリぼうしの魔法つかい、プリンさんのもとに、アメリカのチャックとサリーからSOS⁉「お願い、すぐにアメリカに来て!」二人の住む町で、凶悪な銀行強盗ビリー・ザ・キャットがあばれまわっているのだ。チャックは「拳銃を持たせればアメリカで一番」と評判のブルドッグ・ホリディに弟子入り。ビリーと決闘だ!場所は、町はずれのサボテン牧場。はたしてチャックはビリーに勝てるだろうか。心配するパパ
ファイル4577、通称ナビ・スマイル。本名年齢国籍不詳、性別男性。身長175センチ、測定誤差±2。体重64キロ、測定誤差±1。職業殺し屋。19××年のある夏の日。彼のもとに謎の依頼人がやって来る。そこからこのストーリーは始まる。宗教と奇跡。そして核とSDI。与えられた時間は、ONE WEEK。
(フライヤーより抜粋)何ということはない、日常生活のすきまから、ちょっとだけ顔をだしているおもろくて、やがて哀しき出来事達。そんな、誰もが持っている些細な出来事達を、紡いで、紡いで、少~しだけお見せします。子供部屋に生まれ、育ち、いろいろあってやがて最後に見るものは…。
あるニュース番組の内容が次々に改変させられる異様な状況を描いた『ザ・空気』( 2017 )、 国会記者会館の屋上を舞台に、日本独自の“記者クラブ制度”に着目し、メディアと政権の癒着に迫った『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』( 2018 ) に続く、“空気”シリーズの第三弾。再びテレビ局を舞台にした本作は、混迷を深める社会状況や現実の政治とシンクロさせ、今の日本の“空気”をリアルに体感させ
船主・弥三郎が北前船「夢千丸」の初出航を準備している。北前船は南から北へ、北から南へと食糧を、衣服を、唄を、踊りを、そして夢を積んで、日本海を行き来する。一方で、海の総合商社である北前船は板子一枚下は地獄、命がけの仕事。そんな夢千丸の乗組員の中に、弥三郎に憧れる少々生意気な若者、喜一がいた。 辿りついた港でさらに思いがけないことに出会う。 「北前船はただ荷物を運んでいるわけじゃねえ」。弥三郎の魂が