表示件数
Dance New Air 2016
私は「私」になる為に装う。舞台が求める「私」と私の間を埋めるため、衣装に着替えてステージに立つ。装うことで私は自分を護り、身を隠し、演出し,誇張し、ときに他を偽り、また威圧する。装いは私と「私」との輪郭の隙間を埋め、ときにはそれを消滅させる。「La Mode (ラ・モード)」は現代の宗教とも言われるファッションを軸に、浮かび上がる<境界>を視覚化させたパフォーマンス作品である。60分のこの作品の中
Noism初、映像のための舞踊作品。2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、世界中を取り巻く環境は大きく変化した。“公演の記録映像の配信”ではなく、この社会状況下だからこそ生まれる“映像で観ることを前提とした舞踊作品”として金森穣が創作したNoism初の「映像舞踊」。Filmyで現在有料配信中。
ああ いいなせいせいするな風が吹くし山はぼんやり
閉じていること。だからスペースが生まれる。開かれる。ドラマはそこから生まれる。これは作品の作り方の話でもある。といっても、いつもそういう作り方をしているのだけど。今回が特別なのではない。しかし、今回はあえて、閉じている、という事を強調しておく。僕たち自身も閉じていた。そこに意味があったのだと思う。これからは変わってもいいかもしれない。開かれたカンパニー?ダンス?に。ハードコアダンスってとっつきづら
青い鳥スペシャル! クラウド ナイン ー銀色の雲の上で― アンコール公演
Dance New Air 2014
「アソビ」とは大人のゲーム。人生の贅沢な楽しみ。冒険、争い、 競争、芝居、ダンス、セックス...快楽、解放、高揚に身を委ねるあ らゆる行為。日本においてそれは男にだけ許された行為。女は そんな無駄な行為に身をやつすことなどできない。『ASOBI』は、ポルノグラフィーにしろフェティシズムにしろ、ある いは劇場で見るお芝居にしろ、そうした大人のゲームが基本的 に「のぞき」によって成り立っていることを暴
Dance New Air 2016
「ディクテ」とは 韓国系アメリカ人アーティスト、作家であるテレサ・ハッキョン・チャにより1982年 に出版された叙情詩的実験書。多様な文体による文章、図案、写真、他言語を用いて、テ レサ・ハッキョン・チャ自身、チャの母親、朝鮮独立闘争3・1に関わったユ・グアンス ン、カール・ドライヤー監督の無声映画におけるジャンヌ・ダルク、19世紀カソリック 教徒聖女テレーズ・マルタンなどのメタファーを行き来し、
自らの身体と向き合いながら唯一無二の表現を創り上げてきたハンディキャップのダンサーと、エクスペリメンタル/ジャズ/ポップ/ワールドほか様々なフィールドで活躍する音楽家が1対1で対峙した舞台公演。「障がい」とは何か?私たちを分け隔てるものは何か?私たちが多様性と呼んでいるコトの姿とは?パフォーミングアーツが提示する、ダイバーシティーの現在形。
舞台上にゾロゾロと現れるのは、普段着の男女28人。誰もが一度は耳にしたことのあるポップソングをバックに黙々と身体を動かす彼らに、年齢や職業、 ダンスの経験をはじめ、特別な共通点はない。舞台手前でDJ役を務めるスタッフが突如舞台にあがり<プライベート·ダンサー>にのせて見事なダンスを披露したり、<ばら色の人生>では場内の照明がすべてピンクになったり……歌詞にあわせたペタな振付や演出に、観客は笑い、感
一人の女性が成長していく過程を軸に、鏡のなかにみる“自己”という存在と他者の“眼差し”から見える自己存在との矛盾を軸に、“世界/全体”からみた自己と他者の入子構造を描き出し、”世界/全体”と個との調和と関わりについて無限に映し返す。ラヴェルの組曲「鏡」の作曲から100年を経て再解釈。音楽をヴィジョンとして読み解き、身体と映像を通して、音楽の向こう側にある物語を視覚表現とともに翻訳する。
東京を拠点に活動するコンテンポラリーダンサー・振付家平山素子と、スウェーデンを拠点に活躍するダンサー・振付家の工藤聡による、国際共同ダンスプロジェクトかつて同じ教室で時を過ごした 2 人のダンサーが、それぞれのあゆみを重ね、いま再び舞台で出会う。
(フライヤーより)猛スピードで時代を駆け続けるダンスから見れば、時代は星虹(スターボー)なのだろうか?はじきだされた饒舌はやがて暗黒の磁場へと旋回し重力を失う。時代がダンスを要求しているのではなくて、ダンスが時代に別れを告げるとき、壮絶なダンスのパレードも旋回し始める。1966年早春のダンスコレクション 饒舌と静謐 旋回と浮遊 記憶と忘我 光と演奏 いま東京ダンスコレクション されど東京ダンスコレ
時は昭和。1964年東京オリンピックの裏で開かれていた、もう一つの『民族の祭典』――その名も【キリンピック】。人間ではなく妖怪がアスリートとして集合する、百鬼夜行のスポーツ大会!この物語は、世界初の妖怪五輪開催に向けて宮内庁の精鋭達が熱く命を燃やす、汗と涙と肉と神秘のドキュメンタリー。
最小単位の「ひとつの身体」は舞台上でどう変容するのか---。「ひとつの身体」とは何か、という謎。上村なおかソロダンス第4弾。出演者は上村なおか、ひとり。
人への想いが強いほど何度も何度も過ちを繰り返す僕達。他者や自分のエゴに傷つきながら、這う様に生きているのです。それでも。そんな僕達でも。生きている事を愛おしいとさえ思えたら。きっと世界は違って見える。
てのひらをしたへ向ければ我が下あり手の甲は自由にならぬところかななか指にしばらく水を飲ませけり俳人 阿部青鞋は体の部分を詠みこんだ句を多く残している。五七五の形で保存された言葉は踊られる日を密かに期待し、じっと待っていたかのようだった。詩によって体を日常との膠着状態から引き剥がし、改めて眺めてみる。青鞋の句を五十句、ダンススコアとして構成し踊るデュオダンス作品。
島根県西部の伝統芸能「石見神楽(いわみかぐら)」と、コンテンポラリーダンスがコラボレーションした創作舞台。演目の「鍾馗(しょうき)」は唐の玄宗皇帝の夢にあらわれ魔を祓い、病をいやしたとの故事に由来する神を指し、日本でも古くから人々に親しまれてきた。本作では石見神楽の人気演目のひとつでもある『鍾馗』をダンサー・振付家の藤田善宏が演出。現代的なモチーフを随所に散りばめ、ソロから群舞まで多数の見所を配し
DaBYアソシエイトコレオグラファーの鈴木竜が、他ジャンルのアーティストらと協働するコレクティブな手法で創作した作品を発表した「鈴木竜トリプルビル」で上演された3作品のうちのひとつ。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年12月に愛知県芸術劇場にて初演)4名のダンスアーティストらがそれぞれの振付を繰り返し入れ替えて踊る本作。「振り付ける」という非対称的な行為を
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は八戸公演と福岡公演から紹介します。2008年11月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティ
「カルメン」のオペラ台本はメリメの原作とは大きく異なる。メリメはドラマの外部に視点(旅する学者)を置いているのである。私はその語り部に重点を置き、語られた物語の"物語"として、他に類を見ない、唯一無二のNoism版「カルメン」を創作したいと思う。(金森穣)
「菓」は植物の生態からインスパイアされたものをテーマとし、坂田有妃子の父親の死に感じた想いも重ね合わせた。たとえば植物が成長していくときに出す「エチレン」というフェロモンは、秋の紅葉など葉が色づく現象を起こす。それは目には見えない植物同士の信号のようで、ささやいている言葉のようにも感じ、そして植物同士の猛烈な競争や駆け引きが起こっているようにも捉える。繰り返す生死をミクロの視点から切り取り作品にし
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
福島原子力発電所の爆発事故と、それに続く日本政府を含めた核発電所を取り巻く状況に驚きと後悔を感じて、改めて情報や知識、知恵という概念を捉えようと試みた作品。振付に白井剛を、中心となる砂漠の老人には舞踏家の吉本大輔を迎え、音楽はヴァイオリニストの辺見康孝が舞台上で演奏を続け、パフォーマーの川口隆夫・平井優子・カズマ グレンと共に、幾人ものプログラマーが映像・音響ともに関わり、舞台を作り上げている。
2008年の結成から日本の現代サーカス界を牽引してきたカンパニー・ながめくらしつ2016年上演作品。カンパニー主宰のジャグラー・目黒陽介が演出を務め、比類なきチェロ奏者・坂本弘道とゲストミュージシャンによる生演奏、美術家・カミイケタクヤの作品によって重層的に支えられた舞台空間で、高い技術を持つ9名の演者がジャグリング、エアリアル、ダンス、アクロバットほか多様な身体表現を以て、独創的でサイトスペシフ
今回の公演タイトル「Antipiol(アンティピオル)」は、「分裂症の少女の手記」(セシュエー著)の本のなかで実際に病院で腫物に使われていた軟膏の名前。少女は精神疾患で入院中に聞こえた幻聴の声をアンティピオルさんと呼ぶ。嘲笑し命令する声のアンティピオルとの闘い。彼女だけでなく誰でも心の中にある自分でもわからない感情、押さえつけられた思い、トラウマなどが何かのきっかけでアンティピオルのように現れるも
「ゴドーを待ちながら」をモチーフに描く、世界劇団版不条理演劇!不条理演劇の頂点、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』をモチーフに描く、世界劇団版ベケット!そこには二人の浮浪者が佇んでいた。彼らが言葉を交わすうち、時代が歪んでいく。“これが夢か現実か、今が朝か夜かも分からない____。”
ガラス張りの劇場に沈む太陽と昇る月。《土地の記憶を吸う吸血鬼》をモチーフにしたパフォーマンスプロジェクト「ザ・ワールド」2017作品。東京オリンピックを直前に控え日々変貌する豊洲を舞台に、FALLING GOOD SUN、BAD MOON RISING の2作品を上演しました。1. 跛行者あるいは私たち出演:後藤ゆう、山本晴歌、田端春花、伊藤雅子、中原貴美子、秋山実優、高澤李子、高橋由佳2. 若い
Dance New Air 2018
選べない交われない戻れない許されない終われない分からないそれでも嬉しくてまだ止めないただただ身体がもげそうで
夏目漱石の小説『こころ』を原作に、セリフを使わず身体と字幕のみで綴る無声のダンス劇本作のために録音されたクラシック音楽が静謐な空気を支え、随所にユーモアを交えながら重厚なテーマに向き合い、観る者の心に静かな余韻を残す舞台作品
傍観を許さない、目と心を奪う強靭なダンサーとダンス・BATIK=黒田育世新作。舞台。大きく円形に張り出し。後方横幅一杯にトタンの壁。構成。ワイヤで浮遊、穏やかに口笛を吹く育チャンは、母に呼ばれ喜び。しかし、他の子に依る母をみて、激しく嘆き、痙攣。母のスカート下で治まる。が安息も一時。母の心はしばし離れ、子は孤独な自分に出会うこととなる。愛されつつ疎まれる、母を感じながら失い続けていく、痛切な幼児体
沈黙に満ちた静寂の中、一組の男女が踊っている。身体を伸縮させ、空間を変容させながら、沈黙の対話を続けている。沈黙に満ちた静寂の中、音楽が生まれる。空間を明滅させ、身体を変容させながら、沈黙を奏で始める。沈黙と沈黙の拮抗。その間に生まれる第3の沈黙。再び訪れた静寂の中、一組の男女が踊っている。そこにある静寂は、かつてのそれとは異なる沈黙に満ちている。(金森穣)
(フライヤーより)アメリカからヨーロッパへと発信されたダンスは、いま様々な国で受信されて同時多発に演舞をはじめた。まるで21世紀のダンスシーンを予感させるように………。様々なダンスシーンを展開してきた青山円形劇場は、世界最大のシャンパンハウス モエ・エ・シャンドン社の特別協賛を得て、ヌーベル・ダンスの新しい潮流──マリレン・ブルーケール・ダンス・カンパニーICOSAÉDREの初来日公演を1992年
まるでユーレイとの交信…?ノン・コンタクトワークのための習作ーーー本作では、物理的に触れ合わずにコンタクトする“ノン・コンタクトワーク”のアイディアを試みています。これにより、ソロであってソロではない踊りを出現させます。鑑賞者は画面を通してダンサーの身体を見ることで、視覚的にそのコンタクトを目撃します。或いは、画面から現実のダンサーへと視線を移動させるとき、そこに見えてくるものがあるかもしれません
KAVC 新しい劇場のためのwork:02
コロナ禍をエンターテイメント化した実験作。新型コロナウイルスの無い世界からやって来た人々が無菌を感染させて行く。劇場観劇と配信観劇の二種類のチケットを販売。
私たちはカラダのことを知っているようで私たちはカラダのことをまだ知っていないあなたの中にある私私の中にあるあなた私はまだ私を見たことがないあなたを通して私を見る私を通してあなたは見る凹凸世界は変わり続け身体は変わり続け凹凸私たちの最後の破片を探す旅は続く私たちのカラダはまだ不完全だから身体を所有した時から私たちの旅は始まった
本作『ストリーム』は、コロナ下で起こった時間感覚の変化をテーマに制作された三部作『Sign』『Cue』『Out』のスピンオフとして、2020年から現在までの出来事を元にした、捩子のモノローグで構成されたソロ作品です。芸術活動、仕事、病、子育て、戦争、経済、死、ダンス…コロナだけではない、私たちの日常と生に並走する様々な“with-ウィズ”について話すことからパフォーマンスを立ち上げます。
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第一夜の出演者とその
…の手触り
人と、人ではない、人の形をしたものの物語。沼津ラクーン8階という、街を一望出来る廃墟のような空間全体を舞台とし、この作品のために作られたチェロソナタの生演奏とともに、長井望美の人形とダンサーの安岡あこが出会い、言葉を交わさず、触れずに心を通わせるパフォーマンス。演出は目黒陽介。
本シリーズであえて“実験”の二文字を掲げるのは、この実験が作者である私自身にとっての実験であるからに他ならない。音楽や物語など、私にとっては外部の既存のものから得る刺激によって創作するのではなく、まずは空間及び動きの法則を仮定し、そこから何が生みだされるのかを創作過程において研究/記録すること。その科学的アプローチこそが本創作(実験)の趣旨である。(金森穣)
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第二夜の出演者とその
2003年「踊りに行くぜ!!」vol.4より、毎年その年の話題になって作品を紹介する場として, 「踊りに行くぜ!!」SPECIAL IN TOKYOと銘打ち、最終公演を行ってきた。また、2008年5月―2009年5月まで毎月演劇・ダンスの専門チャンネル“スカパー!シアターテレビジョン(シアテレ)”にて、毎月内容を変えてレギュラー放送を行っていた。今回は、そのシアテレの一回目2008年5月の放送を行
就業人口約28万人、日本のGDP25%を占めるとも言う大手町・丸の内・有楽町エリア。この東京の中心で働く人たちは、何を考え、どのように生きるのか。 本作演出の倉田翠は、このエリアで働く30名以上のワーカーへのインタビューと11名の出演者=ワーカーとの約2ヶ月のワークショップを経て創作。有楽町のオフィスビルを”舞台”にしたパフォーマンスは、出演者と倉田とのコミュニケーションによって育まれる関係性から
和太鼓+ダンスユニット<まだこばやし>による初の単独長編公演。「それぞれが」「鳴る」「共鳴する」をテーマに、打楽器とダンス、声や歌、演劇的表現に加え、ハーモニカなど他楽器の使用、儀式と照明効果の融合など、音楽的身体×身体的音楽パフォーマンスの可能性を追求した80分。人との距離が遠くなった時でも、響き渡る生のエネルギーは空間を駆け抜け、みんなを巻き込んで、どんどん世界へと共鳴していく。
Noism0+Noism1 ディアギレフ生誕150周年
「東西文化の融合」を20年来のテーマとしている金森穣が、オペラ『蝶々夫人』に影響を与えたともいえるピエール・ロティの小説『お菊さん』をもとに新たに台本を書き起こした上で振付。ストラヴィンスキーの「結婚」で踊る舞踊家たちは全員人形として描かれ、ロティが描写(蔑視)する日本人を隠喩している。Noism×鼓童「鬼」と同時上演され、本作品も「鬼」をテーマとしている。
土地に伝わる民俗芸能のように、自身が暮らす都市から生まれる芸能をつくる試みとして始動したシリーズ作品第一弾。
十数年ぶりに故郷に戻ってきた女性。「変わらないようで、変わっている」風景を眺めているうち、幼少期の自分に出会う。不思議と鮮明な彼女との出会いは、女性の今後を好転させるきっかけとなった。景色を眺め、思い出しているようで、思い出せていない。「私、小さい頃、タイムスリップ、した。」
青い鳥スペシャル! クラウド ナイン ー銀色の雲の上で― アンコール公演
〜曖昧な静謐の中。「からだが置き去りにされるのが怖かった。」まだ少し怒ったような不安そうな顔でカウラはそう云った。ババカールの号泣よりもドキっとした。だってなんだか本当っぽい。〜この作品は、JANT-BIへの共同振付作品「RWANDA/Fagaala」コレスポンスダンスであるが故に、素の自分をストイックに問いたい。かつてモーリス・ベジャールとセネガルでダンスの学校「ムードラ」を共に開講したジェンメ
この作品では光(Luminaire・リュミネール)がタイトルとなっているように、光が問題提示のシンボルであり同時に一つの答えとして、作品中一貫して様々な光が形を変えて現れる。テクノロジックなシャーマニズムの試み。日々加速し増幅する情報の氾濫、それは私たちが今ここに‘存在していることの大きな神秘をも覆い隠してしまう。原初の時代の、あるいは神話の中のシャーマンたちにはこんな問いが出てくるかもしれない。
(フライヤーより抜粋)猛スピードで駆け抜けるダンスからみれば、時代は星虹なのだろうか?はじき出された饒舌はやがて暗黒の磁場へと旋回し、重力を失うダンスが時代に別れを告げる時、アジアに舞い降りる若龍たち
KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2年にわたりリサーチと制作に取り組んできた、松本奈々子と西本健吾によるパフォーマンス・ユニット「チーム・チープロ」。2021年にリサーチを開始したふたりが最初に掲げたテーマは「ワルツ」だった。コロナ禍で「接触」が憚られるなか、京都に存在したとされるダンス芸妓の史実を起点に戦前京都と現代と接続し、想像上の他者とワルツを踊る作品を発表。続
無駄な時間の記録
「無駄な時間の記録」は、2021年に開始した、スコアを元にダンスを立ち上げるプロジェクトです。このプロジェクトでは、スコアによってダンスを正確に記述・保存することより、それを用いることでダンスを一旦作者の身体から引き離し、それを巡ってフラットで開かれたコミュニケーションを立ち上げ、新たな表現の形を生み出していく可能性に着目しています。2021年は、4名のダンサー/振付家が、スコアを組み込んだ形でソ
(フライヤーより)滅亡に瀕した地球にさいごの天使が羽をひろげるとき、ひかりはいのちになった。
風の庭プロジェクト2007
ユニット風舞妙韻による俳句から生まれる風楽作品。第1回風の庭プロジェクトで構想・総合指導:田中トシ。アルテゾンス・ド・コーポ、ニレ・アートとのコラボレーションにより風の家(サンパウロ)の砂舞台で催された。それは家族、庭、コミュニテイーそして身体と自然を廻ぐるパフォーマンスアート。2007年サンパウロ州文化局文化活動プログラム(Pac)の助成で実現。
YAMADA Un Co.
本作は東京芸術劇場で映像作品を作って有料配信し、劇場公演は地方でのみ行われた。 木々や花が溢れる庭で男女が踊るロマンティックなデュオから、無機質な病室でのダンス等、「視聴者の視線を強制的に導く映像の強み」を活かしている(むろん映像にあることは基本的に舞台上でも行われている)。 山田は「2020年のオマージュ」が本作のサブテーマだといっているが、それはコロナ禍や、延期された2020年東京オリンピック
(フライヤーより)アンドロイドは夢を見る。静止した地球が見ている太古の夢を……。「昔、ヒトは翼をもち、光のなかを翔んでいた。」託された幾千万の想いがひとりの少女に光の翼を与えた。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
ガラス張りの劇場に沈む太陽と昇る月。《土地の記憶を吸う吸血鬼》をモチーフにしたパフォーマンスプロジェクト「ザ・ワールド」2017年作品。
海と横丁の物語故郷の、海辺の町を舞台に、様々な人間模様や風景が描かれる。小池が故郷をモチーフに制作。日本という風土を強く意識させる。世界中の一流劇場で公演し続けてきた作品。演出家小池博史の原風景である、60年代の海辺の町をモチーフとした作品。 「船」とはその町と外の世界を結ぶもの、外の世界への出口でもある。ノスタル ジーに満ちた海辺の町の光景を詩情を湛えて描きつつ、人間の内にある素朴 で満たされな
『夏の名残のバラ』は、金森穣が、舞踊家として円熟期を迎えた井関佐和子の在り方にインスピレーションを受けて生まれた作品。2019年「森優貴/金森穣 Double Bill」にて『シネマトダンス―3つの小品』の中の1作品として初演。舞踊家とは如何なる存在か。そして舞踊家が齢を重ねるとは如何なることか。舞踊家の生き様をご覧ください。