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烏丸ストロークロックと祭
この『祝・祝日』は、劇場や場に人が集まり、俳優が舞台で神楽を舞うことで作られる祭です。かつて、宮中でも鎮魂の呪法として舞われていた神楽は、いつしか山伏たちによって農村にも伝えられ里神楽とし広く伝播しました。山伏は祭りをとりおこない、神楽を舞うことで、人々と自然(カミ)とのつながりを作り、人々は制御不可能な存在を認識し折り合いをつけ、心の拠りどころとしていたのです。 そういった宗教的な幻想を持てなく
(チラシより)いつだってずっと、もう何年も。どこか内側に在るシーンというシーンは、眼裏で目まぐるしくリフレインしている。最速のスピードを持って、脳内を駆けめぐる。あの季節の、あの湿度のなかを走りつづけている。もしくは、歩いている。校舎のなかを。休み時間、教室から教室へ。廊下を、歩いている。なんともない日々の眺め。しかし、その平穏さが一変する瞬間。いつのまにか忍びよっていた影に気づかずに、ある瞬間。
2019年夏、自ら企画・プロデュースした2人芝居「命、ギガ長ス」は、認知症気味の母の年金を当てに生活する50代ニートでアルコール依存症の男という“8050問題”をテーマにした新作書き下ろし舞台だ。今回、最小限のスタッフで松尾が自ら作、演出、出演、美術、企画、プロデューサーを務め、並々ならぬ想いで取り組んだ舞台の稽古場にカメラが入り、初めての長期密着が行なわれた。稽古場の風景、俳優・演出家として取り
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ダンスとラップ 島地保武×環ROY
ザ・フォーサイス・カンパニーでメインダンサーとして活躍していた島地保武は、噴出し続ける溶岩のように、無尽蔵に変化し続けるダンサーだ。そしてラッパーでミュージシャンの環ROYは、独自の進化を遂げて発展してきた日本語のラップの最先端にいる。圧倒的なフィジカルのダンサーと、言葉と音で迎え撃つラッパー。いかに予定調和的な安穏を排して、毎回初めて顔を合わせたような緊張と即興性を保てるかが鍵になる。観客が望む
康二と麻衣は長い期間の不妊に悩んでいる。やがて治療を経て子供を授かるが、出生前診断によって、生まれてくる子供が障がいを持っている可能性を示される。康二は過去のとある経験から出産に反対するが、その事を知らない麻衣はその反対を押し切り出産を決意し…。
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
シェイクスピアの「真夏の夜の夢」をモチーフにしたファンタスチックな舞台劇。
「いますぐそいつを脱げ」「なぁに、世界なんてまた作ればいいんだ。2人で!今宵から!」世界的ベストセラー小説「百年の孤独」にパパ・タラフマラが挑む! 設立時からの念願が24年の時を経て実現した。超現実的で、生々しく、時にユーモラスな、ブエンディーア一族百年史。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」からインスパイアーされた本作は、現実と非現実の境目を自在に行き来しながら、性欲に溺れ、孤独に悶える、悲しくも
世界一小さな舞台空間から発信する「超演劇」。演劇を再生させる圧倒的「事件」。これは発明なんだ今も誰かがあの屋根裏に立て籠もっているそう考えただけでもう一日生きてみようかと思うことができるそういう発明なんだ初演以降、国内外でのツアーを数多く実施。海外では、ニューヨーク・パリ・ローマ・ウィーン・シビウ・フランクフルト・ブカレスト・ピッツバーグ・マイアミ・ソフィア・ヤルタ・テルニ等で上演している。また、
◆TVアニメ『ラブ米 -WE LOVE RICE-』とはまさかのお米擬人化!?伝説のお米ハーベスター「五穀米」に憧れて穀立稲穂学園に入学したひのひかりを中心に、廃校寸前の学園を救うべく、ささにしき、ひとめぼれ、あきたこまち、にこまるの5人で「ラブライス」を結成!現代版田楽であるハーベストショーを通じて米の人気復権を目指すが、果たして彼らはお米の人気を取り戻すことができるのか…!◆RICE on S
「夢幻能」の形式によって立ち現れるかつてない幽玄の『オセロー』シェイクスピア四大悲劇の一つ『オセロー』。黒い肌の傭兵将軍オセローが、部下の姦計から猜疑と嫉妬に狂った末、最愛の妻を手にかける――舞台はもちろん映画化もされるなど、今も世界中で上演され続けているこの傑作悲劇を、宮城聰は「夢幻能」の形式を用い、オセローに殺された妻デズデモーナの側から描くことで、痛切な「愛の物語」へと昇華させます。「夢幻能
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
【Story】たそがれどき。なみうちぎわ。静かに佇む廃船。流木、缶、船板、スポンジ、漂流瓶。少年は海が運んできたさまざまな漂流物を手に、旅への好奇心と想像力をふくらませ、この場所から海を越えて広がるアジアの島々に想いを募らせる。少年の想いは“海の道”へとつながっていく。【Note】本作品は20世紀三部作のアジア篇として上演した『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』を再構成した作品である。新たな脚本
2011年の東日本大震災をきっかけに岡田利規の演劇観は「フィクション」の有効性を探求することへと舵を切り、社会の中の緊張感や断絶を寓話的に描いた「現在地」(2012年)と「地面と床」(2013年)を発表しました。『部屋に流れる時間の旅』では、ふたたび震災後の社会背景を主題としながらも、社会での断絶が生じる以前の個々人の心の葛藤や恣意的な感情をきわめて細密に見つめ、拡張し、これまでにない新たな表象を
―これは井上ひさしが愛してやまない日本語に、不思議でかわいらしく、輝くような生命を与えてくれた、ある岩手花巻人の評伝劇―詩人にして童話作家、宗教家で音楽家、科学者で農業技師、土壌改良家で造園技師、教師で社会運動家。しなやかで堅固な信念を持ち、夭逝した宮沢賢治。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」そう信じた宮沢賢治が夢見たイーハトーボは果てしなく遠かった。
次世代に、そして全世界に語り継ぎたい明日への再生の物語「人類史の折り返し地点」 ―― 井上ひさし2020年紫綬褒章を受章した演出家・鵜山仁が捧げる、終戦から3年後のヒロシマを舞台に父と娘が織りなす命の会話
仏蘭西の或る森近くの別荘に住む、繪礼奴(母)と禰莉(娘)。父である瑠王は月に一度生活費を渡しに訪れる。いつもと様子の違う瑠王に耐え兼ね、家を出ていく繪礼奴。その態度に業を煮やした瑠王は、禰莉に真実を告白し、「もうここには現れないであろう」と去っていく。帰ってきた繪礼奴に禰莉は真偽を追求するが、正反対の告白を聞かされる。自分の部屋へ孤独な女の世界へと去って行く繪礼奴。独りになった禰莉は苦行に身を投ぜ
パワハラが起きてしまった劇団の稽古場とアルバイト先の往復で疲れ切ってしまった青年を主人公に、どうすればそんな厳しい毎日から抜け出すことができるのかを描いた「ハラスメント・コメディ」
映画『田園に死す』(1974年公開)は寺山修司の自伝的映画とよばれ「世界のテラヤマ」の名を決定付けた作品。「母殺し」、「家出」、「蛍火」、「恐山」など寺山劇世界(ワールド)の集大成が、ここにあり、終生こだわり続けた《記憶とは何か?》《私とは何か?》というテーマを提示している。2009年流山児祥:企画制作、天野天街:脚色・演出、J・Aシーザー:音楽で上演。スズナリ連日超満員札止めのロングラン公演とな
19世紀ロンドンに、人をさらう怪人「人攫(さら)いジャック」が現れた。次々と人を攫って行くジャックの正体は誰なのか。何が目的なのか。スコットランドヤードのオルソップ警部は捜査に乗り出したが、街の人々の推理合戦に巻き込まれていき…。25周年を迎えたヨーロッパ企画がお送りするミステリコメディ。
2021年に上演し、岸田國士戯曲賞を受賞した作品を、キャスト総入れ替えで再演。広島に住む家族の中で起こる問題と、それによって少しづつ変化していく関係性を、広島弁のセリフで緻密に描いた作品。
感情の神々・エモ神様から派遣されるおんたろうは、人間の怨念を解消するためにあの手この手でお手伝い。今回おんたろうが降り立ったのは、この春小学校の教師になったばかりの純...だけじゃなかった?!おんたろうは、小学校に渦巻くネガティブエネルギーを下げることができるのか...。
あれから30年近くたっただろうか。未だに見えていないです。掴みかけては逃して、やり過ごして、疲れて寝る。寝るよ今日も。夢の見るよ。地獄のようなまぶしい夢を見るよ。沢山のさよらなに見守られながら、天国のような日々を鳴らす。また明日。
2011年に起こった東日本大震災と、2020年以降の新型コロナウイルスによるパンデミックへの取材を元に、今を生きる人々の不安を多様な音楽と共に描いたパフォーマンス作品。2021年に東京での初演を経て、第66回岸田國士戯曲賞最終候補作品となった本作を、新演出で上演する。
ハイスクールプロデュースとは、関西で活躍する演劇人と現役高校生たちが一緒に芝居を創りあげる企画です。今回は、注目の若手作家・演出家/後藤はっちの新作書き下し作品を上演します。
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
厚木シアタープロジェクト ネクストステップ第9回公演劇団扉座第65回公演
昭和12年9月。浅草のレビュー小屋。 そこから突然姿を消した座付き作家・菊谷栄(有馬自由)は、いま、青森から満洲へ出兵しようとしていた。座員たちの最後のメッセージを届けようと、北乃祭(横山結衣)は故郷・青森へと向かう。祭が届ける、その伝令とは――?
ままごと 瀬戸内国際芸術祭2022 ドキュメンタリー
「2022年秋、ままごとは、小豆島で『あゆみ(短編)』、豊島で『反復かつ連続』の公演を行いました。本映像はその公演前後の7日間の記録です。」瀬戸内国際芸術祭2013より、小豆島での演劇活動を継続的に行ってきた劇団「ままごと」。これまで坂手エリアを中心に、島の歴史や記憶から創作した《おさんぽ演劇》や島民と共につくり上げた肝試し演劇《小豆島きもだめスイッチ》、珈琲や軽食のほかに演劇やダンスパフォーマン
ロメオ・カステルッチと飴屋法水による、初のダブルビル上演。宮澤賢治のテキストから自由に発想し、それぞれ新作「わたくしという現象」(ロメオ・カステルッチ)、「じめん」(飴屋法水)を発表。二つの才能が宮澤賢治の世界を媒介に響きあう瞬間を、1000人もの観客が野外で同時に体験する。今回はじめて宮澤賢治の言葉に出会ったロメオ・カステルッチは、イタリア語に翻訳された多数の寓話や詩篇の中から「春と修羅・序」を
第15回小田島雄志翻訳戯曲賞受賞『月は夜をゆく子のために』に続くトランスレーション・マターズ上演プロジェクト第2弾!森鴎外の翻訳と現代語翻訳で織りなす“市民悲劇”
日本現代演劇の潮流を変えた代表作、完全なる”再創造”90年代生まれの新キャストとともに放つ、集大成にして新たな挑戦が“演劇”をふたたび覚醒させ、”私たちの現在”を浮き彫りにする 2003年3月、アメリカ軍がイラク空爆を開始した日を含む5日間の東京の若者達の日常を描く「三月の5日間」。その言葉と身体の関係性を軸にした非類なき方法論によりそれまで当たり前とされてきた劇構造を根本から覆し、後に続く若手作
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
三好十郎が1950年に発表した大戦前後の日本を舞台にした『殺意(ストリップショウ)』。ナイトクラブのステージで、引退ショウを行うソロダンサー緑川美沙。南の小さな城下町に生まれ、愛国運動、敗戦を経て東京でダンサーになるまでの半生に秘められた激情を、自身最後のステージで語り出す。
俳優・ダンサーの森山未來が、文化交流使としてイスラエルに 滞在中、気鋭の振付家・ダンサー、エラ・ホチルドと「駈込み訴え」 を下敷きに共作し、2014 年にテルアビブで世界初演。2015 年には愛媛県・内子座での 1ヶ月間のレジデンスを経て日本 初演を果たし、さらに〈Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2015>の特別プログラムとして横浜・HONMOKU AREA-2 でも 上
サウンドパフォーマンス・ プラットフォーム特別公演
2012 年から継続している作曲家・安野太郎のライフワーク「ゾンビ音楽」は、その特異な音楽とビジュアルイメージを伴って世界的な評価を得てきた。元々「ゾンビ」という存在を通して現実の社会へのまなざしを持っていたゾンビ音楽は、近年において実際に取材やインタビューを通して実社会に切り込み、その現実を音楽と共に舞台に上げるという手法を獲得しつつある。いま、安野の前にはふたつの現実がある。「音楽大学を出ても
宮沢賢治作品 初演出となる演出家・宮城聰と、初の演劇台本に挑む小説家・山崎ナオコーラによる、異色のコラボレーションが実現。等身大の人形を駆使し、変幻自在の劇世界を追求した作品。詩人、童話作家として有名な宮沢賢治は、地質学や土壌学の専門家でもあり、貧困を極めていた当時の農民と生活をともにし、収穫量を改善しようと奮闘した。『グスコーブドリの伝記』は、そんな賢治の人生が反映された物語。「人間は自然とどう
ある日、綿子と不倫相手の木村が会っていた帰り道で、木村は車に轢かれてしまう。遠くから事故を見ていた綿子は助けずにその場を去り、大学講師の夫と、夫の連れ子である中学生の息子の居る家へと帰ってゆく。やがて綿子は訃報を聞くが家族の前では悲しむことができず、自身の行動を後悔し始める。そんな時、綿子は夫から家族関係の再構築を提案され、木村の死を抱えたまま流されるように再構築を始める。
「俺が代」は、日本国憲法や、文部省(当時)による教科書『あたらしい憲法のはなし』、そして尾崎行雄、芦田均などの演説をテキストとして用いながら、日本国憲法の本質を浮かび上がらせ、憲法やこの社会についての問いを共有するソロパフォーマンス。これまで愛知県芸術劇場、京都芸術センター、Festival Temps D' Images Cluj などにおいて上演されてきたかもめマシーンの代表作です。憲法という
AV女優達の控室を舞台に、年齢を重ね様々な悩みを抱えながらも逞しく生きていく女たちの姿を描く。ブス会の代表作、初の再演。
(パンフレットより)今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひ
―禁忌の愛にゆれる、日の浦姫の半生を描く平安一大絵巻―井上ひさしが文学座、杉村春子への当て書きで書き下ろした初期戯曲『日の浦姫物語』をこまつ座初上演。重厚な俳優陣とスタッフを迎え贈る日の浦姫の生涯を巡る一大絵巻!
1988年夏、横浜のJR貨物・東高島駅構内の運河に艀(はしけ)を浮かべ舞台にし、水と火を駆使した壮大な野外劇。作・演出の川村毅の地元・横浜市の協力により実現した。30名の第三エロチカ劇団員総出演に加え、エキストラコマンドも多数出演。当時20代の川村がテーマにしてきた、アンドロイド/人造人間/レプリカントを通して現代人に問う『ニッポン・ウォーズ』(84年)『ラスト・フランケンシュタイン』(86年)か
即興でもない、ディベートでもない。だれかになりかわって、生の対話をしているうちに自然と演技ができちゃう!?演劇を観るのはいいけど、やるのはちょっと…と思っている人もいつの間にか巻き込まれている、そんな未来のコミュニケーションツールが「なりかわり標本会議」です。会議そのものを筋書きなしで演劇にしたらどうなるのでしょうか―新しい演劇スタイルの可能性を模索します。
1954年民藝初演のアーサー・ミラーの傑作戯曲。1984年は滝沢修の新演出・主演で5度目の上演、文化庁移動芸術祭をふくむ全国公演を続け、翌年1月には東京でアンコール上演。
Noism初、映像のための舞踊作品。2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、世界中を取り巻く環境は大きく変化した。“公演の記録映像の配信”ではなく、この社会状況下だからこそ生まれる“映像で観ることを前提とした舞踊作品”として金森穣が創作したNoism初の「映像舞踊」。Filmyで現在有料配信中。
ミュージカル
動物たちが仲良く暮らす「ポカポカ村」に牛のカンタロー君が引っ越して来ます。カンタロー君は今まで暮らした村々で体の黒いブチブチをからかわれて、友達ができませんでした。心優しいポカポカ村の住民は彼を温かく迎え入れて、村のお祭りである羊さんの毛刈りを一緒に楽しみます。真っ白な羊さんの毛をみたカンタロー君は「これだっ!」とひらめき思い切った行動に出ます。でもその行動が、村中を巻き込んだ大事件に発展するので
さいたまゴールド・シアター第7回公演
舞台は、東日本大震災から6年が経った福島。避難指示区域では、イノシシが我がもの顔に出没するようになっていた。添田家では、ある日長男の学がイノシシに襲われた。それを助けたのが復興本社に勤めるハタヤマ。学の父・添田良二はハタヤマに感謝したいと家に招き、ハタヤマの固辞にもかかわらず、妻のパエリアをご馳走することに拘る。一方、線路が見える丘の上には、毎日、若い男がやってきていた。線路も駅も流されたあの日、
文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現ができるものらしい。しかし、私たちは、まだ、その言葉を持っていない。この舞台は、そのことに気がついてしまった明治の若者たちの蒼い恍惚と苦悩を描く青春群像劇である。
「微妙なバランスが崩れてしまうこと、そこからダンスが始まる。わたしは感覚を凍らせる眩暈を愛している。ポーの小説『メエルシュトレエムに呑まれて』の漁師のように、眩暈の世界に身をゆだねたい」。大野一雄フェスティバル2013参加作品。
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
【Story】少年は、街で、沖縄生まれの祖母を持つヒツジに出会う。祖母の記憶の大阪をめぐる二人は、街を抜け、路地を走る。街にあふれる高層ビル、標識、インターネット、死者、影、人々の記憶。二人が目にしたのは、現在と過去、虚と実が交差した“オオサカ”だった。【Note】旅をするように世界各地で野外公演を行ってきた維新派。10年ぶりとなった大阪野外公演は周囲に川が流れ、舞台の奥には大阪の高層ビル群を臨む
一人の女性が成長していく過程を軸に、鏡のなかにみる“自己”という存在と他者の“眼差し”から見える自己存在との矛盾を軸に、“世界/全体”からみた自己と他者の入子構造を描き出し、”世界/全体”と個との調和と関わりについて無限に映し返す。ラヴェルの組曲「鏡」の作曲から100年を経て再解釈。音楽をヴィジョンとして読み解き、身体と映像を通して、音楽の向こう側にある物語を視覚表現とともに翻訳する。
ナイロン100℃初期の代表作となった作品。南の孤島、浜辺に建つ一軒家。そこに集まる女達。平穏な夏を過ごすはずだった彼女たちを襲う数奇な運命。16年間に渡る、憎しみと許し、拒絶と理解、偶然と必然の物語。ケラリーノ・サンドロヴィッチとナイロン100℃が紡ぎだす、サスペンス・コメディの頂点。女性4人だけの出演者による濃密な作品は劇作家としての実力を広く知らしめ、この戯曲により岸田國士戯曲賞を受賞した。
香港にそびえる魔窟・九十九龍城。不法に増改築が重ねられたその建造物には、あらゆる欲望が渦巻き、不平等と悪がはびこっていた。ひしめく屋上民と看板民。無許可の肉屋。パチモン工場。インチキなショーパブ。黒社会。内偵を命じられた刑事・ヤンとリーは、遠隔監視システムを使って覗き見るも、やがて深入りし…。物語がオーバーフローする夜、世界の秘密がめくれだす。2年ぶりの本公演は、異常密度の魔窟劇。
遊園地再生事業団#11
舞台はとある中学校の教室。体育の授業中、こっそりと持ち物検査にやって来た5人の教師による不穏な会話劇。1997年に起きた14歳の少年による連続児童殺傷事件や翌年の教師刺殺事件をきっかけに、少年のナイフ所有が社会問題となったことを背景に創作された作品。
俳優の大倉孝二、劇作家・演出家ブルー&スカイが共同主宰し2014年旗揚げしたユニット「ジョンソン&ジャクソン」は、「くだらない、何の役にもたたない芝居作りを澄み切った思いで目指す」と標榜し、大倉とブルー&スカイの脚本・演出・出演の共同作業でコンスタントに上演。公演毎に二人に馴染み深い多彩な出演者を迎え、ジョンソン&ジャクソンにしか表現できない、何とも味わい深い“くだらなさ”を追求した作品を創作して
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
ダウンロード数700万突破のイケメン役者育成ゲーム『A3!(エースリー)』を舞台化したMANKAI STAGE『A3!』は、2018年の初演以降、舞台だけにとどまらずその枠を飛び出し常に全国で新しい花を咲かせています。本作品では冬組にスポットを当て、第二回公演『主人はミステリにご執心』、第三回公演『真夜中の住人』の2ストーリーを展開。紅葉のように色づく秋の季節を経て、降り積もる雪の結晶のようにきら