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港で開かれているネズミたちのパーティ。そこに傷だらけの島ネズミ忠太が転がり込んでくる。残忍な暴力と恐怖で故郷の島を支配している、巨大な白イタチのノロイを倒す力を貸して欲しいと言う忠太、街ネズミたちは冷たかった。だがガンバと仲間たちは冒険の海へと船出する。
東京にあるビルメンテナンス会社・美装総合サービス。社長の紘子、ベテランの直美、シングルマザーの美鶴、22歳の健太らはビルの清掃にやりがいを感じながら仕事をしている。そんなある日、越田と遥が新型コードレス掃除機の営業にやってくる、いいことづくめのこの掃除機。従業員の負担が少しでも減れば…と紘子は一台お試し購入することに。ところがその実態は真っ赤なウソだった!!!
寄宿学校を経営する二人の教育者、カレンとマーサが生徒メアリに同性愛者であるという噂を流され学校はつぶれてしまう。カレンは婚約者ジョーマーサとの仲を疑っていると考え別れてしまう。マーサは自分が同性愛者であること否定していたが実はカレンを愛していたと気づき自殺する。「大人」を生きる子どもと「大人」を生きる大人と「子ども」を生きる大人の物語。
陸の孤島と化した別荘で次々と起こる出来事・・・アメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」の不思議な歌詞に秘められた謎。「クレメンタイン」とは一体誰なのか。美しい別荘に集まった人々のそれぞれの思惑が交錯し、遂には事件が起きる!
1945年8月9日、戸坂潤は獄死した。戦争が終わるわずか数日前のこと。時は遡ること13年前。「野蛮で反知性的なファシズムに対し、我々はあくまでも知性を武器にして闘い抜く」と、戸坂潤は岡邦雄、三枝博音と共に唯物論研究会を立ち上げた。しかし「危険思想を広める恐れがある」と特高警察の監視が始まり、やがて集会禁止から執筆禁止に。それでも彼の楽天性が奪われることはなかった。
「教科書から消えた文豪」シリーズ。「父帰る」、「息子」、「あにいもうと」。教科書にも掲載されなくなった文豪の作品をあえて取り上げ、舞台化するシリーズ企画。今回は『家族の絆』をテーマに三作品を選びました。物語は懐かしいのに何故か新鮮で、肉親の愛情の深さ、かけがえのなさといった変わりようがないものを描いています。そして、見失いかけた家族の有り様と、現代の我々が失いかけている、或るいは失ってしまった日本
むかしむかしグルシニアの地にひとりの権勢ゆるぎない権力者がいた。ある復活祭の日曜に、貴族たちの反乱によって領主は首を刎ねられる。混乱のさなか衣裳選びに夢中だった領主婦人は、若君ミヘルを置き去りにして都から逃亡する。台所女中のグルシェは戦地に赴く兵士シモンと婚約し、置き去りにされた若君ミヘルを助ける。北の山国に住む兄のもとへむかうグルシェは、追ってくる兵隊の手を逃れ、知恵と力の限りをつくしてミヘルを
舞台は20世紀初頭ロシアの貧民街にある木賃宿。そこに巣くう泥棒、アル中の役者、巡礼者、男爵、靴屋、帽子屋、浮浪者の群れ。一つの殺人が浮き彫りにしていく裏切り、苦悩。そして人々のしたたかな姿。今日も酒をあおり、歌でやり過ごす一日が暮れていく。
そこは、日本海に面した温泉街。海と反対方向に車を走らせれば、桜山という低い山があり、春ともなればその名の通り、満開の桜が咲く。その温泉街にある小さな旅館「コウノ」。田渕鶴吉は長男・礼王が到着するのを待っている。先に着いた娘夫婦たちはそれぞれの時間を過ごしているらしい。鶴吉はガンだ。遺言状を書くために子どもたちを旅行に誘ったのだ。穏やかに話そうと思っていた鶴吉の思いとはうらはらに騒動を持ち込む子ども
ねずみのちゅうたはなまけもの。いつも寝てばかりいる。おなかがすいて買ってきたチーズをどこかに落としてしまった。どうやら猫が取ったらしい。ねこにどんな仕返しをしてやろうかと考る。床屋になってねこの大事なひげをちょん切ってやろうか、それとも海賊になってねこを海にジャボンとつけてやろうか、それともサーカスでねこに綱渡りをさせてやろうか…。ところが、そのねこがチーズをひろって返しに来てくれました。実はこの
20世紀の幕開き、ある英国貴族軍人と日本人女性の間に芽生えた愛。それは20世紀の激動の時代に翻弄され、数奇な軌跡を辿っていった……十数年前に発見された、英国軍人から日本人女性に送られた日本語による千通に及ぶ手紙をもとにNHKラジオの特別番組「日本人になりたかった男」が放送されたのは昭和62年夏。大きな反響を呼ぶ。そして、二人をめぐる家族の物語として「ピーチブロッサムへ」が出版された。1902年「憧
太平洋戦争末期、日本の敗戦を見通しながらも対応に追われる一人の皇族と、戦況を憂い、人心を一新して本土決戦に備えようとする将軍。一方、戦争に一人息子を召集され、悶々の日々を送る下町の靴職人。この靴職人が屑屋に売り払った「伝家の宝物」をきっかけにこの三人が出会うことになるが…。戦後50年、飯沢匡追悼公演として、飯沢喜劇の代表作を上演。2019年、別演出にて再演。
英国の小さな田舎町で平穏な年金生活を送っていたジムとヒルダの老夫婦。ある日突然ラジオから戦争勃発を伝えるニュースが流れ、ジムは大慌てで政府発行の“戦争に生き残るための手引き”と首っぴきで室内用核シェルターを作り始める。ヒルダの方は戦争など他人事、ひたすら家事に夢中でどっちが勝つと思う?など呑気な話をしている。二人にとって戦争といえば第二次世界大戦の思い出だけで核戦争の実感は少しもないが、政府のいう
紡げども、紡げども・・・・舞台は諏訪のある製糸会社、労働争議があちこちで起こり始めていた頃。うねるような時代の波に押し流されるように動き出す、跡取り息子と女工の親子二代にわたる愛の物語。数奇な糸車に絡め捕られた愛おしいものたちへの挽歌です。
NHK編「戦争を知っていますかー語り継ぐ女たちの体験」を乾氏が構成。第一話「満州からの最終列車は燃えた」 第二話「艦砲の嵐をくぐりぬけて」 第三話「母さん、水をちょうだい」 第四話「ムッちゃんはどこへいったの」
この劇は、不条理演劇における代表的な作品のひとつとされている。中村伸郎によるこの「授業」は渋谷ジャンジャンでロングラン上演された演目で、中村の代表作といえる。
慶応二年冬、駿州清水仲町次郎長宅から祝言の歌が聞こえているが、現れた若い渡世人綾太郎は甲州黒駒一党の不穏な動きを告げる。次いで現れた新徴組取締役山岡鉄太郎が徳川の為に一肌ぬげと次郎長を口説くがはねつけられる。婚礼の夜は一転血しぶき散る修羅場となった。宿敵の出入は多数の死者を出して一旦おさまるが、次郎長の怒りはやがて伊勢荒神山の決闘へと発展する。喧嘩出入りに明け暮れる次郎長だが、時代は江戸から明治に
1945年6月30日。秋田県の花岡(現大館市花岡)で、強制連行された中国人850人が、鹿島組の残酷な強制労働・虐待に耐えかねて抵抗蜂起するが鎮圧虐殺される事件がおこった。舞台は30年後の1975年、高校教師庄司は生徒たちに語り始める、30年前に何が起こったのかを。
昭和九年十二月二十四日月曜日。東京本郷区曙町にある理学博士寺田冬彦邸。主、冬彦がしかつめらしい顔で煙草をくわえている。別に、怒っているわけではない。普段のことである。まわりには妻りんをはじめ、個性豊かな家族が太陽系宇宙のように取り囲む。そこに突然彗星の如く事件が飛び込んできた!小春日和に雲が差し、雨からやがてしんしんと降る雪に変わる。招き猫が見守る中、寺田家の喜怒哀楽の一週間が過ぎてゆく。
日中戦争たけなわな昭和14年。京都の路地裏に住むウメコは、アホやしょんべんたれやといじめられ十日も家から出てこない。今日もふかしたてのお芋を悪ガキデベソに取り上げられて泣いている。そこの現れたのが現人神(天皇陛下)とも知り合いという自称ウメコ婆さん。一人ぼっちのウメコとしわくちゃウメコは、なぜか一緒にくらしはじめた。
アウシュビッツからの生還者ピーター・シンガーは大戦後英国に上陸。収容所でのリンチがもとで精神に障害を負った元政治犯マニックをパートナーに、不動産業者として再出発。折からの好景気の波に乗り、巨万の富を築いた。得意の絶頂にあるシンガーは、しかし、収容所をともに生き抜いた「同志」ステファンと再会する。そして過去へと遡る旅が始まる。
1911年、日本初の女性文芸誌「青鞜」が創刊。これに刺激を受けた伊藤野枝は、平塚らいてうを慕って九州から上京してくる。青鞜社で働くことになった野枝は、女学校時代の教師・辻潤と結婚、子供をもうけるが、しだいに無政府主義者・大杉栄に惹かれていくのだった――。近代国家への道を歩き始めた日本で、女性の解放を求めた新しい女たちと社会変革を目指す男たちが実名で登場し、男と女の関係から様々な女性の生き方を描き出
第一部「春の軍隊」は、突如出現した国籍不明の軍隊の戦闘で折角建てたばかりの夢のマイホームを、めちゃめちゃに壊される中年サラリーマンの物語。第二部「接触」は、授業中に餡パンを食べて、死刑を宣告される学生たちの話―SF風でスリリングな展開と、随所にあふれる笑い、ゾッとする恐ろしさをひめて、右旋回の速度をはやめる今日の日本に警告する鋭い風刺。飯沢喜劇ならではの痛快さ。
結婚式前夜に繰り広げられるコメディープレイ花嫁とその友人である花嫁付添い人との女同士の友情とは、結婚とは?結婚式前夜花婿までまきこんでくりひろげられる結婚式前夜の大騒動。オーストラリアの作家の初作品
「愛とは」「結婚とは」そして「人生とは」をヒューマンなタッチで描く”ネアカの喜劇”
同じ高校の演劇部員だった同級生のハルコとフミヨは、やがて女優と脚本家として違う道を歩き始めることになった。それぞれの道には、それぞれの出会いと別れがあり、ある時は離れ、ある時は近づき、そして交差しながら人生の時を刻んでいく。1970年から5年ごとに描かれた7つの短篇が、ネックレスの珠のようにつながって一篇の物語を編む。2013年初演。その後全国を巡演し、2022年までの公演数は195回を数える。※
カナダのある町の法廷、被告席にいるのは若いネイティブ・インディアンのリタ・ジョー。判事の尋問の間、リタの回想は限りなく膨らむ。あるときは故郷の部落での懐かしい日々、、あるときは町に出てきてからの辛くみじめな暮らしだったりーーいつしかリタの罪名は次々と増えて行く・・・。けれどどんなに判事に諭されてもリタには罪の意識が確かなモノとして存在しない。文明社会の価値観が、自然のままに生きてきたネイティブたち
バルニエ石鹸の社員クリスチャンは、会社の機構を見事に操って大金をつかみ、社長令嬢に求婚する。ところが彼が「社長令嬢」と思い込んだのは人違いで、本当の社長令嬢は運転手と熱い仲。しかも子供まで出来ているとあって父親のバルニエ社長は大弱り。そこへ玉の輿で男爵夫人となって家を出て行くお手伝いが、カバンを取り違えて出て行ってしまう。カバンには会社の裏金が入っていたため、バルニエ社長の困惑は絶頂に…。
「最期」を生きる苛烈な闘いの中に愛と生命の限りない尊さを謳いあげる。冬・12月。ある「ホスピス」に中年サラリーマン・森道夫が妻に連れられて入院してくる。そこには癌に冒され、残された日々を生きる様々な境遇の人がいた。今、クリスマスを前にロビーでは、病院あげて”補陀落渡海僧”の芝居を上演しようと話が盛り上がっていた。そして…。
1991年2月4日、早朝。天草・鬼木岬の民宿。一人の男が変死体で発見された。年齢は68歳。男は毎年この日、民宿の主人と二人「椰子の実」の歌を歌い、たおれた戦友を弔ってきた。県警による捜査が開始された。自殺か他殺か。疑いは連れの女、二人を追ってきた妻、そして民宿のすべての人々に向けられる。千田夏光氏の作品をもとに、あの戦争体験を若い世代に語り続けてきた瓜生正美が贈る社会派推理劇。
「違います!」被告・吉田静子の悲痛な叫び声が法廷に響き渡った。その罪は放火殺人。夫と姑を焼死させたのだ。東京地方裁判所に集められた様々な職業の十二人の男たち。決めつけ、戸惑い、無関心、心配事、様々な人間模様の渦巻く中、真実に向き合わされた十二人の日本人が出した結論とは?昭和三年から十五年間、日本でも陪審裁判が行われていた。
”KDD事件”から想を得ておくる爆笑風刺喜劇。
万事不器用なピエールとおきゃんなポーランド娘マリー。名もなく貧しい二人が、パリの古びた実験室で出会い、世界に羽ばたくまでの、笑いと奇知と恋に彩られた、てんやわんやのコメディ。1990年度、モリエール最優秀作家、演出家、装置家、私立劇場演目、各賞受賞の傑作喜劇。
舞台は大恐慌とファシズムの足音に揺れる昭和初頭。学生街本郷の素人下宿「四丁目ハウス」に展開する人間模様をあたたかい眼差しで描きだしてゆきます。作者小山祐士氏の処女作。
妻が町内会の温泉旅行中に心臓麻痺で突然亡くなった。康夫は、長年連れ添った妻の急死を受け入れることができず取り乱してしまう。日常生活の中に悲しみを埋めていく中、5人娘たちの思い出話から康夫が知らない妻民子の姿が浮かび上がってくる。王貞治が世界ホームラン記録を達成しようとしていた1977年夏。一枚のレコードに刻まれた夫婦の記録と記憶から、哀しくて可笑しくて、どこか懐かしい家族のドラマが展開する。
1955年度ピューリッツァ賞、ニューヨーク劇評家賞受賞作品。アメリカ南部の農園主とその妻、二人の息子ら家族の情念と欲望を描き、様々な欺瞞の下に隠されている人間の真実を露呈している。
戦後の日本演劇界を代表する、劇作家・宮本研の円熟期を飾る傑作戯曲。貧しさゆえに、遠く海をへだてた南洋に身を堕としていった女性たちの群像を、日露戦争を背景に描く。時代の波に翻弄され、悲惨な運命にもてあそばれながらも、逞しく生きた女たち-。
マサチューセッツ州セイラムでの魔女裁判を描いたアーサー・ミラーの傑作戯曲。1962年民藝により日本初演した代表的な演目を新訳、新演出により14年ぶり3度目の上演。
今だからこそ、全ての子供たちに触れてもらいたい新美南吉の童話、そのいくつかをオリジナル脚本で描きます。絵本の扉の鍵を預かる「鍵おばさん」が、南吉の生涯に触れながら、まるで誰かの頭の中を覗いているような、楽しい絵本の世界を案内します。今回は「手袋を買いに」、「うた時計」、「花のき村と盗賊たち」をお届けします。演目:「手袋を買いに」「うた時計」「花のき村の盗人たち」
人間が人間を差別することの愚かしさ、悲しさ、恐ろしさ・・・奴隷制や人種差別への反対を貫いた『アンクル・トムの小屋』の作者ストウ夫人は、遂にその朗読会を最後にしようと決め、なぜこの小説を書くに至ったか話し始めます。子育てに追われながらも幸せに暮らしていた頃のある悲しい出来事が、その後、彼女自身を奴隷解放運動へと導くのですが、その出来事とは・・・彼女が朗読する小説の一節は、そのまま劇中劇として上演さし
2025年一横須賀。「大深度有人潜水調査船しんかい12000」が初航行を行う。向かう先は、世界の最深部であるマリアナ海溝チャレンジャー海淵だ。一方、1875年一横須賀ではチャレンジャー号がマリアナでの深度調査を追え、停泊をしていた。事件をきっかけに過去と未来は繋がれ、深海の神秘や生命の起源についての仮説が浮き彫りになった時、未来へ託す壮大な夢がそこに現れた。
8月15日、長崎平和公園の午後 人ひとり通らない砂利の道を 太陽がやいていた40年前の夏閃光、爆音、海鳴り、そして、あの雲 あのあと 美しい色と形の雲を見た者は生きのこったそしてー真夏の昼下がり 原爆を投下したパイロット アメリカの英雄 その人が長崎に出現した 心を病む男…彼はいったい何を求め この地にやってきたのだろうか―「ザ・パイロット」はことしの夏の物語であるこの舞台で起きるすべての事件は私
生きる喜びを、爆笑と感動で描く本格的民話劇!いかなる苦境に直面しても、未来に向かって立ち上がる勇気と生命力を謳い上げた民話劇。一本の大杉を、力を合わせて守ろうとする主人公と共に、子供たちが生きる喜びや自然と共にあることの素晴らしさを知り、自分自身の可能性に自信を持ってもらいたいと願い制作しました。
原作小説はフランスの文豪エミール・ゾラが19世紀パリで生きる下層階級の人間群像を描いた名作。ソビエトで脚色されたバージョンを北海道をはじめ各地で上演し、東京では追加公演をおこなった。
四代続いた和菓子屋の若旦那。今は売れっ子恋愛小説家。18歳も若い妻をもらってウキウキ気分。そこへ先妻の幽霊が現れた。「嫉妬して出てきたのか!」「まさか。お義母さんよ。私はあの世でも姑で苦労してるのよ。」そう言って息抜きさせてと、居座ってしまった。そこへ母の幽霊も現れた。ニッコリ微笑んで、「あら、嫁が二人になったのね。ウフフフフ!!」さあ、てんやわんやの大騒動が始まった。母と息子、夫と妻、嫁と姑…家
1951年、瀬戸内の小島。広島で被爆し九死に一生を得た栗原学は、教師の仕事を続けながら将来のことを思い悩む。朝鮮戦争の軍需景気に支えられている島の生活。同僚や東京で働く同級生の言葉。そして教え子の存在…。1957年に劇団民藝で上演され大きな反響を呼んだ傑作を、青年劇場ならではのアンサンブルで、さわやかに描き出す。
イギリスの田舎町ウインザーを舞台に繰り広げられる喜劇。酒と女には目がない活力にあふれた憎めない男、フォルスタフが二人の人妻に散々な目にあわされるエピソードを軸に、旧い秩序意識から解放されて人間中心の時代へと目覚めていく市民たちの姿を、楽しい笑いの中にいきいきと描いた作品です。
1945年6月30日。秋田県の花岡(現大館市花岡)で、強制連行された中国人850人が、鹿島組の残酷な強制労働・虐待に耐えかねて抵抗蜂起するが鎮圧虐殺される事件がおこった。舞台は30年後の1975年、高校教師庄司は生徒たちに語り始める、30年前に何が起こったのかを。
名作「どん底」で知られるゴーリキーの作品。旧体制を死にものぐるいで護ろうとする者と、新時代に生きようとする者との闘争を今日的視点で描きます。
円・こどもステージ
ヤーノシュの絵本「おばけリンゴ」に、作者の谷川俊太郎がイメージを膨らませて戯曲化した作品。生演奏の楽士などと共に観客と舞台との一体感ある楽しい劇空間が創造される。
東のはずれに、ある島があった。街には多くの人が溢れ、人々は行列になって進んでいく。行列の先には真っ赤に燃える炎があった――――。五輪の聖火、命の灯、誹謗の炎上、祈りの煙。社会を焼き尽くす数多の炎を、芥川龍之介の「アグニの神」をモチーフに描く。世界劇団が全人類に捧げる人間賛歌。身体と言葉を燃やし、炎の創成記を紡ぎ出す
時代から棄てられた廃駅のホームに、彼らが待つ幻の列車ははたしてやって来るのか?ある山あいの駅、すでに廃線となっているその駅に1人の女性がたたずんでいる。彼女は、この近くの丘にある精神病院へ、入院しているはずの弟を捜しにやってきたのだった。彼女がその廃れた駅で出会う、病院の医師、看護婦、そして患者たち。彼女の出現が、山あいの病院で孤独を抱えながら生きている彼らの間に、少しずつ波紋を広げていく。
祖国ソビエトに忠誠を誓う女検察官ニノチカは特命をおびて花のパリに乗り込んだ。あでやかなパリの香りに染まりつつあった先乗り三人組もささやかな贅沢は徹底的に糾弾された。彼女の崇高な理想の前には資本主義社会の常識は通用しなかった。勿論、恋や愛などは存在さえしない。とは云え処はパリ、甘い夜霧は、木石の如くき彼女の身体を、やさしく包みはじめていた…パリの街を背景に、貴族出のパリジャンとのラブロマンス。恋の鞘
大杉栄と伊藤野枝の娘として生まれたルイズ。彼女は国賊の娘として周囲の特異な視線にさらされながら、自分の生き方を探し続ける。姉・魔子の攻撃的で、自虐的な生き方と対照的な静かな暮らしを選択したルイズの目に、次第に父、母の残してくれた思想がはっきりと浮かびが上がってくる。関東大震災、第二次世界大戦、戦後の復興を背景に、ルイズの半生が描かれる大作。立原りゅうと山内久のコンビが、松下竜一の原作を見事に脚色、
17才の友子は脳性麻痺で自分で動くことはできないが、両親や兄、ボランティアで唯一の友達の静香に囲まれて平穏に暮らしていた。ある日、友子の前に光という少年が現れる。夢…、初めての恋。母の心に戸惑いが、静香の心に嫉妬が芽生えようとしていた。「命」、「生きること」の大切さを描き、2005年まで合計440回の全国公演を続けた作品。2002年、アシテジ・フェスティバルinソウルにフリンジ参加、世宗文化会館で
米・北東部ニューイングランド地方、ゴールデンポイントと呼ばれる湖があった。朝夕照らし出される湖面はまさに《黄金》に輝き、湖畔の閑静な別荘は都会の喧騒から離れ一夏を過ごす人々のやすらぎの場であった。間もなく80歳のノーマンは厳格で頑固ものでユーモアと教養を持ち合わせていたが、老いと忍び寄る<その時>への影におびえ苛立っていた。妻エセルは対照的に変わらぬ快活さを見せているが最近の夫が気がかりだ。夫婦の
木下順二・宇野重吉コンビによる民話劇の上演。木下順二作「おんにょろ盛衰記」「三年寝太郎」の2本立て公演として〈宇野重吉一座〉ののぼりを立てて全国の市町村を巡演。
文学座創立55周年記念
昭和のはじめ、東京下町、袋物製造販売業「近常」の細工場。職人たちが電燈の下、とりとめない会話をかわしながら夜なべをしている。奥では年季明けの職人を祝う赤飯が炊かれ、肴や白味噌の椀の仕度がされている。十年の年季奉公のあと、この日一人前の印電師(高級ななめし皮を扱う職人)の門出を迎える秀太郎。職場を変える夫に従い、今夜未知の北海道に旅立つ女中のおせん。それぞれの「かどで」
昭和42年、九州地方の農村、炭鉱事故で正気を失った豊市は、母と妻に献身的に支えられながら暮らしていたが、「六十八代和泉式部」を名乗る尼僧に魅かれて巡礼団のあとを追った…。「和泉式部伝説」を材に描く、人間の業と生への希求、そして終わりなき漂泊。厳しい現実に立ち向かう人々の姿と「伝説」が響き合い、私たちの生きる今を鋭く照射する。絶望から人々を救うのは、愛か、信仰か…。
昭和のはじめ、食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸は荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。重労働と粗悪な飯で身体を悪くした漁夫や雑夫が、何人も北の海で死んでいく。「このままでは殺される」遂に自分たちの力でストライキを起こし“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、彼らは立ち上がった。もう一度。