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Co.山田うん×サントミューゼ
紙を使ったCo.山田うんの三部作。2023年12月麻布台ヒルズと2024年4月メキシコで上演した『EN』そして、上田市文化芸術センターサントミューゼ大スタジオで上演する今作『TEN』。2025年1月にKAAT神奈川芸術劇場にて群舞作品として『遠地点』を上演。2作品目のTENでは、観客回遊型で、サントミューゼの中庭など大スタジオにとどまらないパフォーマンスを行った。
『更地』の登場人物は男と女の二人だけ。二人はかつて自分たちの家があった場所にやってきて、自分たちの記憶を確かめていきます。自分たちの始まりはそのまま世界の始まりなんだと言ってしまえる二人。自分たちが知っていることだけが確かだけれど、私たちしか知らないことはなかったことかもしれないのです。
筒井潤+新長田で踊る人々
『新長田のダンス事情』のプロジェクト・コンセプトは「新長田で踊る人に会いにいく」、2009年4月に始動した継続プロジェクトです。稽古場訪問やインタビューを基盤に、数々のイベントを盛り込みながら、リサーチと実践を往復します。2013年に5年目を迎え、3名の演出家、振付家、現代美術作家らが「新長田で踊る人々」と出会いながら、新たな舞台作品をつくる試みを始めました。今回はその中で筒井潤との試みを中心に、
松原俊太郎による現代日本のフォークロア。舞台中央には一艘の舟。漁師、サラリーマン、女子高生…と様々な「日本人」が現れ、奇妙な共同体は舟に乗り込むーー。行き場を求めて右往左往する人々の姿は、不思議と深刻さからは無縁であり、祝祭空間としての劇場を強く意識させる。震災以降の日本社会に対する痛烈な批判でありながら、死者とともにあること、忘却についての哲学的論考を含む原作を一幕に再構成、地点の新しい境地を拓
ミラーボールが回る呪術の場、古今東西のエイリアンによって謡われるダンス現代に潜む様々な文化や進化の記憶の断片を寄せ集めた、キメラ状身体。それは、古くて新しい奇妙なエイリアンたち。現在であり過去であり未来である時間=無時間。世界はミラーボールが回るダンスフロア。人間も動物も、生命はみな踊る。ここにミラーボール主義を宣言する。
作品ノート:日本、トーゴ、台湾の異なるバックボーンを持つ4 名で製作された、日本のコンテンポラリーダンス作品。「ダンスの自明性を問うダンス作品」と銘打ち、‘基準がなく何でもありのダンス’とされている、日本のコンテンポラリーダンスにまつわる自明性と、その周辺を漂流する。あらゆる差別意識が表面化する現在の日本。渦中の我々だからこそ獲得し得る日本のコンテンポラリーダンスの力を、逃げるように追い求めていく
舞台は、日本の劣勢が決定的となった第2次大戦末期、フィリピン・レイテ島…。肺病を患った日本兵は、わずか数本の芋を渡されて中隊を追い出され、さらに野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否される。飢えと敵におびえながら、野火の煙が立ち上る原野をさまよい歩く日本兵は、律しがたい生への執着と絶対的な孤独の中で、かつて棄てた信仰に目覚めはじめる。ところが目の当たりにする現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切り、
レパートリーの創造 松田正隆 作・演出
ロームシアター京都「レパートリーの創造」第6弾として製作した、松田正隆の作・演出による新作。「松田正隆 海辺の町 二部作」として、「シーサイドタウン」(2021年初演)の再演とともに上演。【あらすじ】文化センターの職員である吉村、辻井、中野の三人は不安な日々を送っていた。来年度から運営が民間に移行するのにともない、職員が解雇されると告げられていたからだ。そんな時、中野の大学時代の友人がイベントの下
作品ノートdigitalisとは、ある花の名前。毒草でもあり、心臓の特効薬ともなる「毒にも薬にもならない役立たず」ではなく「毒にも薬にもなり」さらに美しい姿をしている人は「暴力的」であり「愛情」に満ち溢れている人は「暴力」によって、人と、社会と、世界とつながり、人は「愛」によって、人と、社会と、世界とつながっている現実から目をそらさずに、現実を受け止め、耐える力人々の空心を満たすための物我は時間の
親や周囲の人々から愛やケアを、無条件に与えられ続ける立場としての子供から、「成長すること」は、誰かにケアを与えるという表現の経験からくるだろう。その成長の過渡期にある息子の不安は、経済、能力、環境の不安定さから生まれるというよりも、むしろもっと根本的な意味においては、受けたいケアと与えたいケアの種類や配分が分からず、自身のケアのバランスを見失うことで生まれているのではないだろうか。アンバランスな愛
チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』東京公演にて行ったライブ配信「消しゴム山は見ている」。「消しゴム」のコンセプトを体現する独自のアプローチでお届けする映像配信は、劇場では体験できないもうひとつの『消しゴム山』。演劇という人間のための営みを通して、人間とモノ、それらを取り巻く環境とがフラットな関係で存在する世界を生み出すことはできるだろうか。2019年10月の『消しゴム山』京都初演から1年。劇
作品ノート:BANANAりんごはどれですか?バナナをさす。母親は言葉を失った。人の思いは、心の中で像をつくり、音と結びつき、言葉として発せられる。母親が笑う、私も笑う。ただそれだけのことだ。
静岡県掛川市にあった「掛川座(かけがわざ)」の閉館イベント「私達の掛川座よ さようなら」で、白虎社の出前芸術体が上演した「ニュー逢魔が時ー掛川座封印によせてー」の記録。掛川座は明治42年に建てられた回り舞台も備えた本格的な芝居小屋で、戦後には映画も上映した。村松友視の講演や『掛川座: ぼくのシネマパラダイス』の著書もある土屋智宏の詩の朗読など様々なプログラムの最後に白虎社が登場、女性舞踏手は花火、
螺旋曼荼羅海会は真言宗、天台宗の僧侶たちによって詠唱される新作声明。アメリカ・インディアンのナヴァホ族の創生神話に基づく儀式歌をテクストに、新進気鋭の作曲家桑原ゆうが「夜の歌」「風の歌」の挿入歌を作曲した。宇宙的な力を秘めたスパイラルガーデンの螺旋空間を立体マンダラに見立て、執り行われる曼陀羅供。僧侶の聲に気は充満し、大日如来を中心にコスモスが立ち上がり、胎蔵界金剛界の両曼荼羅がダイナミックに動き
認知症を患う祖父、施設への入所を頑なに拒む祖母。家のローンに子どもの学費、父母が離職して介護をするわけにはいかない。祖父の認知症が進み、祖母は転倒して入院・・・家族での介護に行き詰まる。祖父母を騙してグループホームに入所させるしかないのか?決断を迫られる横田家。全てを忘れてしまう前に、祖父が孫へ託した日記には回天特攻隊で突撃死を遂げた親友と、生き残ってしまった自身の壮絶な戦争体験が記されていた。
TOKYO DANCE TODAY #1
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の初回を飾った、近藤良平率いるダンスカンパニー「コンドルズ」の作品。未確認飛行物体接近!完全円形360度!完全限定3600秒!
1945年6月30日。秋田県の花岡(現大館市花岡)で、強制連行された中国人850人が、鹿島組の残酷な強制労働・虐待に耐えかねて抵抗蜂起するが鎮圧虐殺される事件がおこった。舞台は30年後の1975年、高校教師庄司は生徒たちに語り始める、30年前に何が起こったのかを。
コロナ禍の2021年3月に創作した本作は、内容/台詞を全てそっくり同じまま配役の性別を入れ替えたダブルキャスト、2つのバージョンで上演。また、振付に数々の受賞歴のある振付家/ダンサーの黒田育世氏を迎えた。ある冬の朝、主人公がやってしまった「おねしょ」から始まる。いささかの後悔と共に布団を干し、食事をしてから煙草を吸い、風呂に入る。そういったささやかな一日のスケッチが、主人公の一人言と共に描かれる。
(フライヤーより)見慣れたはずのものが未知のものに感じられ見た事ある風景が見た事がない風景に変わるときそれがJamais VU(ジャメビュ)それがダンス
北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ
劇場とアーティストが2年間タッグを組み、地域の人々や表現者との交流など時間をかけて『地域』を知る1年目を経て、2年目に劇場オリジナル作品を創作するシリーズ第2弾。近未来の研修施設を舞台に繰り広げる、ある疑似家族の物語。「家族」という関係は何を隠し、何をさらしてしまうのか?疑似家族だからこその「家族」への願いを描く。
作品ノート:寝室、トイレ、台所整えられた美しき家庭はみ出た祖母、はみ出た母、はみ出た私は膝を揃えて「お帰りなさい」と微笑むの。私は一体誰なのかしら。
普段作品創作する時、身の回りについて(人間関係、風景、生死など)思考しそのアイディアを拾い上げて膨らませています。今作はもう一歩思考を外へ、社会にも触れていこうと考え創作しました。というのも、耳にする情報から日々それらを考えざるを得ないような情報に、もっと言えば侵食されている感覚を覚えることがあります。今作を観ていただき、お客様にさまざまなことを想像して頂けたら幸いです。[作品ノート]事柄は日々形
(パンフレットより)おもえば、いつだって夜だった、たとえ朝がやってきたとしても、それは時間がそうさせているだけであって、夜であることに変わりはなかった。たまに笑ったのだとしても、それは夜に笑ったにすぎない。そうだ、夜だった、と我にかえって表情を失くすのだった。さいきん、ますます夜は暗闇を増すばかり、どうしたらこの暗闇から抜けることができるだろうか、なんてかんがえるだけ無駄かもしれない、もはや。だけ
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一般的に「勧進帳」は、弁慶が命がけで主である義経を守る姿に心を打たれた富樫が、ついに関を通過させることが物語の核となり、そこに至るまでの三人の攻防が眼目とされています。木ノ下歌舞伎では、原作でいわゆる脇役として扱われる関所の番人や義経の家来たちにも光を当て、彼らがそれぞれの境界に戸惑いながら生きる姿や、境界を超えようとして起きる摩擦を描き、弁慶・義経・富樫のドラマからすべての人間の<境界をめぐる物
作品ノート:高校生の時に流行っていた遊びがある。偶然相手と言葉が重なった時、先に ハッピーアイスクリームといったほうがサーティーワンを奢ってもらえるというものだ。他人と何かが重なった時、私達は他者との繋がりを感じ、ある種の幸福感を催す。私達は満たされようと、曖昧な自己を物質的に最も近い他者を 通して確認しようとする。それでも埋まらないループした不条理な世界に向けて、私は私から溶け出して洪水を起こそ
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビー能シアター
金剛流能楽師として活動している田中春奈氏を迎え、現代演劇の分野で活動する俳優とともに、三保の松原、富士山を臨む美しい春の情景の中、天女と人間のやりとりを通じて照らし出す天女の純粋さ、この世の美しさを描いた能の名作をベイビーシアターとして創作初演する。これまで何度も上演されてきた本作を新たに乳幼児向けに上演し、現代演劇との融合を行うことで、新たな舞台芸術の可能性を追求する。
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
Eラーニング(日本演出者協会)
⑦ 制作・プロデューサーこのシリーズでは、制作・プロデューサーの仕事について、講義と対談形式で詳しく紹介します。制作と一口に言ってもさまざまなタイプに分かれており、性格も得意分野も異なります。そこで「6つの志向性」という分類を用いて、制作という仕事そのものを再考するプログラムをお届けします。対談には志向性も業務形態も異なるゲストをお招きし、さまざまな制作者・プロデューサーの在り方をご紹介します。制
宮城聰が挑んだ、シェイクスピア晩年のハチャメチャ悲喜劇。絶望の日々にも、大いなる癒しは訪れる!幸福なシチリア王は、ある日、美しい妃と親友のボヘミア王の様子に、突如として浮気を疑い始める。不条理なまでの嫉妬から妃を責め立てる王。それを見た王子はショック死し、妃も後を追うように息を引き取り…。大切な人を失いようやく過ちに気づいた王は、悲しみと後悔にあけくれる。しかし16年後、すべての苦悩が癒される奇跡
Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021の「エリア50代」で初演された、笠井叡振付・平山素子のソロダンス『J.S.バッハ作曲“フーガの技法”1.2.6.9番によるダンス』が、スケールアップして再誕!クラシック、jazz、ポップス…と様々なフィールドで活動を展開する、片山柊(愛知公演)、佐藤浩一(横浜公演)という2人の若手ピアニストを迎え、ダンスと音楽で『フーガの技法』とい
舞台は海辺にあるお屋敷。そこには鳥類学者の男が住み、定期的に夕暮れ時に取りの数を数える夕べを開いている。カニが大発生したある日、スポーツカーでニワのビーナス像を壊したハトサブレ工場の女工は、その償いとしてお屋敷の住み込みとして働くこととなる。彼女の身請け金を捻出しようと工場長を殺す女工頭はその金を使い込み、お屋敷暮らしをねたむ女工仲間はラスベガスへと思いを馳せ、協会再建のためお屋敷でアルバイトをす
とある地方地域の市議会。市長の答弁の最中に議員席からいびきが聞こえてきた。市長は、その様子をSNSに投稿したことで議会議員たちから呼び出されることとなった。この作品は市長と議会の対立、及び議会側に寄り添うメディア、これらを他人事のように取り上げるネットメディアといった三つの要素をモチーフにし、地方政治の腐敗について原因と問題点を観客と共有し、積極的に政治に参加できる社会を目指し製作されました。
《継承と創造》
金剛流は能楽シテ方五流のうち、宗家が東京以外に居住する唯一の流儀で、その芸風は”舞金剛”と称されている。この舞には「豪快」「華麗」という対照的な演技の両方が含まれているが、本企画では、その”舞金剛”の魅力を能と舞囃子で体現している。能『石橋』は金剛永謹・龍謹の二人獅子、舞囃子は海獣猩々の酔態を模した『乱』、音を立てずに拍子を踏む金剛流の専有曲『雪』。舞台空間は美術家の大舩真言が手掛ける。
ヌトミック4年ぶりの劇場長編作品。9名の出演者により台詞、歌、ときにラップのような語りが、目まぐるしい時間軸の変化と合わせてシームレスに移り変わる、全編生演奏でおくる新作の日本語音楽劇。現代の東京を舞台に、数奇な人生を送った男が忘れられない思い出を語り出す。思い出はどこまでも飛躍して、多くの寄り道と間違いを犯しながら、少しずつ見えるはずのない世界へと繋がっていく……。
作品ノート:「この街は芸術迷子だ。」というフレーズがしっくり来る。利益至上主義国家である日本では都市の開発や機能性向上を掲げ、日々、街の外観が更新されている。反するかのように芸術は一方的に避けられ、事実活動が窮屈になっている。芸術の都と呼ばれるフランスでは芸術の地盤が整っているが、故にアートで溢れ返っており、表現の根源を見失う芸術家も多かった。表現できる環境を求め、自分の活動に適した街へ移住する芸
(フライヤーより)1992年にはじまった〈日韓ダンスフェスティバル〉は韓日の共通点と差異をともに受け止め、同時代に生きる若い芸術家の課題や問題点を切り開いてきた歴史があります。もちろん道のりはまだまだ続きます。この遥かな道のりに新たな風を起こし、国は違えど相通ずる個々の内なる姿を鮮明にし、21世紀のダンスの現場を構築していきたい…。そんな思いで、一時中断されていた〈日韓ダンスフェスティバル〉の名称
舞台は、東京芸術劇場の隣にある池袋西口公園。24 時間、通行人など、多様な人たちのコミュニティが形成されるこの場所に、高山は個室ユニットを連ねたインスタレーションを立ち上げた。1時間500 円の料金を支払えば、24 時間の滞在も可能。個室内では高山らが行った、公園を行き交ったりそこで暮らしたりする人々のインタビュー映像が約370人分鑑賞できる。また観客は、オプションメニューとして用意されている「避
(フライヤーより)1990年代後半、時代の要請を背景に花開いた〈バニョレ〉をキーワードとして2002年夏、第1回ダンスビエンナーレTOKYOを開催しました。〈バニョレ〉を、目指し、通過し、去りゆくものと捉え、次代のダンスの道を模索する試みでした。世界の各地から多くの才能が集まり、多くの作品が時代に訣別を告げていきました。灼熱の大地に、猛吹雪の大地に、緑あふれる大地に別れを告げて〈10,000年の旅
「夢幻能」の形式によって立ち現れるかつてない幽玄の『オセロー』シェイクスピア四大悲劇の一つ『オセロー』。黒い肌の傭兵将軍オセローが、部下の姦計から猜疑と嫉妬に狂った末、最愛の妻を手にかける――舞台はもちろん映画化もされるなど、今も世界中で上演され続けているこの傑作悲劇を、宮城聰は「夢幻能」の形式を用い、オセローに殺された妻デズデモーナの側から描くことで、痛切な「愛の物語」へと昇華させます。「夢幻能
『ボレロとヴァリエーション』は、1995年に初演された作品『ボレロ』を母胎としている。一組の男と女をつなぎ止め、あるいは突き放す時の流れに、ラヴェルの音楽「ボレロ」から聴きとった「いのちの絶えざるクレッシェンド」を畳みこんだ『ボレロ』。『ボレロとヴァリエーション』は、この『ボレロ』を踊るダンサーの実人生と『ボレロ』という舞台上の虚構の世界とが融合と離反を繰り返しながら、ゆるやかに進行していく。SP
(フライヤーより)一つの役を「動く俳優」と「語る俳優」が二人一役で演じるというユニークなスタイルで人間の喜怒哀楽をダイナミックに表現して脚光を浴びるク・ナウカ。この方法によって、日常を越えた巨大なスケールの人物を舞台に描くことが可能になりました。今回の作品は93年に利賀フェスや韓国でも上演され、代表作と言われてきた『サロメ』の完全新演出版。5年前、青山演劇フェスで旗揚げしたク・ナウカの、満を持して
TA-net舞台手話通訳養成講座(2018-2019年度/日本財団助成)の教材として書き下ろした30分程のお芝居(収録した三重公演の上演時間は37分)。3人の俳優が、家族(両親と息子)の30年間を演じます。舞台手話通訳、字幕、音声ガイドの観劇サポートがフルで導入された数少ない作品であり、上演前には事前舞台説明(10分)も行っています。
あらすじ:「ここじゃない、どこかに、オレたちの生きる場所がある!」三匹のネズミたちが大学病院の実験室から逃げ出した。そして、ちょっと元気のない少年元気との出会い。ある日、ネズミたちはふと考えた。「なんとかなるさ」を「なんとかしなくちゃ」に変えよう!それは、少年元気へのメッセージでもある。少年元気と三匹のネズミたちの珍騒動。
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
昭和のはじめ、食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸は荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。重労働と粗悪な飯で身体を悪くした漁夫や雑夫が、何人も北の海で死んでいく。「このままでは殺される」遂に自分たちの力でストライキを起こし“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、彼らは立ち上がった。もう一度。
KAATキッズ・プログラム2022
おとなもこどもも楽しめる「KAATキッズ・プログラム」の2022年新作は、天国と地獄の分かれ道で、なくした記憶を探すおしばい。2020年に上演を予定していたものの、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった本作が、2年の時を経てついに上演を迎えました。作・演出は、本作で自身初のキッズ・プログラムを手がけた松井周、そして主人公は、日本演劇界を代表する俳優・白石加代子が演じています。
スパック祝祭音楽劇ノ原点!冒険ハ此レヨリ始マル!スッテン転ンデ マタ起キテ… 愛し愛され旅する世界!世界をめぐるペール・ギュントが、あらゆる欲望を痛快に満たす冒険劇。今からおよそ150年前、劇作家イプセンがノルウェーの民話をもとに書き上げた壮大なドラマを、SPAC宮城聰は俳優の生演奏による躍動感あふれる音楽劇に仕立てた。主人公の歩む物語は、世界へと奔走する当時の〈日本〉と奇しくも重なり…?!宮城×
【作品ノート】「私は、私の身体を選んで、生まれてきた。この身体に起こる全てのことを、この身体で経験することを選んだ。そして、私はこの身体をどうするか、この身体とともにどう生きていくかを、自由に選ぶことができる。」もし、そう思えたら、あなたはあなたの人生の全てを愛することができますか?あなたの人生と、私の人生に、愛を込めて。
作品ノート:沢山の物が形を変えて僕たちの所に返ってくる。何の迷いもないメルヘンにおおわれた私たちは、また揺れる。紡いだ分だけやりたくなって、忘れた分だけ哀しくなった。自分達を取り戻す旅に出ようかと思っている所です。
四人の女性、軍人、夫たち。理想と忘却の狭間で生きる人間の姿が滑稽に描かれるチェーホフの最高傑作『三人姉妹』。三浦基の初期の代表作をまったく異なる演出で再上演。四つん這いで床の上を這いずり回り、組んず解れつしながらでなければ言葉のやり取りのできない登場人物たち。生き続けなければならない人間の、持て余された人生たちがそのまま運動量に変換され、充満する。世界一フィジカルな静劇。
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。「TOUCH - ふれる - #2」は最終成果となる公演だ。キーワードは「グラデーション」。7名のダンサーが固有の身体を軸にユニゾンを踊る。音楽は内田輝。自作楽器を調律し時間を立ち上げる。衣装はYANTOR。手紡ぎ手織りの素材で、作品の世界観を支える。始まりも終わりもない作品。
テレビゲームの世界に迷い込んだ、小学生の学とあかり。そこは闇の王が支配する恐ろしい世界だった…!現実の小学校生活とロールプレイングゲームの非日常世界が絡み合いながら展開する、冒険と友情の物語。
Futuristic Space は、時間が止まった世界の物語 です。どの時点で起こったことなのか、誰にもわかりません。ある、とてつもない出来事によって、色々な場所から見知らぬ人々が集まります。それぞれ が、複雑で暗い過去を隠し持ったまま、新たな現実 と向き合うのです。彼らは協力しあって、できる限り普通に感じられるような世界に似たものを作ろうとします。一人一人が抱える過去は、この物語を通して明らか
老人ホームに入居している97歳の岡谷正雄は、介護職員が提供するレクリエーションに腹を立てていた。彼は命を懸けることができるレクリエーションを欲し、介護職員は「生前葬をしましょう」と提案する。それから月に一度、岡谷は死ぬことになった。今日も岡谷のレクリエーション葬がはじまった。たまたま居合わせた入居者も参列することになる。そこで突然、岡谷はある入居者に対して、自分の息子「隆」だと、名前を連呼し始めて
MM
ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーによる象徴的で断片的なテキスト「メディアマテリアル」を、岸田理生が劇団「太虚(たお)」の為に独自の感性で詩劇として再構築し書き下ろした現代に響く作品です。メディアの激情が詩的な言葉と身体表現によって浮かび上がります。
ロームシアター京都 レパートリーの創造
自ら製作した人形を用いて美しくも不穏な物語を描くジゼル・ヴィエンヌが、2001年初演の『ショールームダミーズ』を京都で新たにリクリエイション。マゾッホの小説をモチーフにした本作は、マネキンとダンサーが共存する空間で、規範と欲望、快楽の関係を紐解こうとするもの。生命を持たないマネキンに対し、社会の中で互いに関係することを求められる“生身”の人間たち。彼女らが舞台上で繰り広げる物語は、観る者を思わぬ深
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
[作品ノート]闇に小さく光る、夜中のエアコン運転ランプをみあげる。窓から雪みる犬。いつもひとつきりの、そのカタチのゆくすえを。シーツに広がる雪原、ひとがたキエル。 *トンネルの中、走るからだに目隠ししてみえない百目で走ります。
東京芸術祭2022 芸劇オータムセレクション
現代社会におけるコミュニケーションの諸問題を独自の手法で描き出す劇作家・山本卓卓のテキストと、老若男女から電車や犬に至るまで25役を巧みに踊り演じ分けるダンサー・北尾亘の身体がコラボレート。国内外を旅して再演を続ける、演劇×ダンスの異色傑作。