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「イワーノフ」「桜の園」を斬新な角度から構成し、今年の春初演された「ザ・チェーホフ/イワーノフとラネーフスカヤ」に「ワーニャ叔父さん」を加えた鈴木忠志演出のチェーホフ決定版。近代日本の演劇に大きな影響を与えたチェーホフの集大成。
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壁なき演劇センターと国立ベトナム青年劇場による国際共同制作ベトナム現代演劇を代表する国立劇場の俳優と日本の俳優が融合し、舞台上で日本語とベトナム語が飛び交う現代感覚に彩られた情熱的でダイナミックでスピーディな『新たなチェーホフ劇』ワーニャとソーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきた。そこへ彼が後妻エレーナを連れてやって来る。そこでワーニャは今までの自分の彼への献身が無意味だったことを知る。
[作品ノート]優雅、華やか、焦燥、威嚇、陶酔、脱走、贅沢、 パッション、快感、ツクパヤ、うふふ、あはは、 ぶっちゃけ、モリシタマキ、ひっそり、びっしょり。 森下真樹をお楽しみください。
久門剛史のインスタレーションは、音や立体、光と影によって詩的情景を緻密に構成し、観るものの身体感覚へダイレクトに介入する。その空間は劇場的とも評され、また、2016年にはKYOTO EXPERIMENTで初演されたチェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』の舞台美術と音を担当するなど、徐々に舞台芸術への関心を高めてきた。その久門が、ロームシアター京都のサウスホールという、自身にとってかつてないスケー
1995年に斎藤歩が、ハンガリーの劇作家カリンティ・フリジェシュ「亀、もしくは居酒屋の中の気ちがい」という15分ほどの原作を脚色して上演以来、北海道各地や東京での上演を繰り返し、原作の母国であるハンガリー(ブタペスト、ペーチ、デブテツェン)をはじめ韓国(ソウル、仁川、大田)などの海外にも招聘され、高い評価を得てきた作品です。そもそもはグロテスクファンタジーと呼ばれるジャンルの精神療養サナトリウムを
失うことが進化だとすれば、僕たちはこれからもどんどん失うだろう。どんどん失って、いつかすぽんと消えてしまう。失ってゆく、というのはどういう感覚なんだろう。失いつつあるそのさなか、ひとはなにを思うのだろう。忘れることと失うことはいったいどのくらい違うのだろう。僕は毎晩僕の尾骶骨に問いかける。ちいさな骨が寄り添うように集まった、その名残の部分に問いかける—— ひとりの男とその妻、女、
AFTER RUSTは「錆の次には何が起こるのか?」という疑問をベースとしたソロ作品。人間の身体と精神両面での錆に着目し、物質が錆びた後には何が起こるのかを探求した作品です。クリエーションを行った昨年はちょうど30歳を迎えた節目の年でした。この数年ダンサーとしての仕事よりも振付や教える仕事が増え自分自身に集中できる時間が減り、徐々に体が錆びて劣化していくような感覚を感じていました。この錆と向き合い
派遣社員のマリ(綾乃彩)は、会社員のヨウ(薬丸翔)と共に暮らしている。マリは現在鬱(うつ)状態にあり、休職中。そんな中、ヨウが1ヶ月ほど海外出張へ行くことが決まる。気分転換にもなるし鬱もよくなるかもしれないからとヨウに誘われ、マリは一緒に行くことにする。しかし、滞在先のホテルは少しおかしなホテルだった。隣室には猫を探し続けている女(銀粉蝶)や、掃除をしても綺麗にならない掃除係、記憶にない昔の友人が
結婚願望の強い意地悪な二人の姉と、娘を玉の輿に乗せて出世しようと企む父親。その父娘を騙してまんまと末娘シンデレラを手にする王子様……。絵本や映画で親しんだ物語が、ロッシーニのオペラ『シンデレラ』にのって、いま「野外劇場」で生まれ変わる。世紀末の日本から21世紀に向けて送り届ける新しいヒロインとアンチ・ヒロインの物語。
(フライヤーより)青山円形劇場では、クラシック音楽のなかから動物や鳥や虫を描いた曲を集めてお芝居仕立てに構成した「五線譜のなかの動物たち」というコンサートを上演しています。こどもの城オリジナルのファミリー企画で5年間14回も続いている人気シリーズです。今回は、対象をファミリーだけに限定せず「五線譜のなかの動物たちスペシャル」として一般向けに上演いたします。これまでとはひと味もふた味も違った、”音楽
TA-net舞台手話通訳養成講座(2018-2019年度/日本財団助成)の教材として書き下ろした30分程のお芝居(収録した三重公演の上演時間は37分)。3人の俳優が、家族(両親と息子)の30年間を演じます。舞台手話通訳、字幕、音声ガイドの観劇サポートがフルで導入された数少ない作品であり、上演前には事前舞台説明(10分)も行っています。
横浜ダンスコレクション 1996 バニョレ国際振付賞ジャパンプラットフォーム ナショナル協議員賞受賞作品
末永く上演されるレパートリー作品を劇場が生みだすべく、ロームシアター京都が主体的にプロデュースする事業として、2017年度から開始したプログラム「レパートリーの創造」の第一弾となった本作。2015年に、監修・補綴・主宰の木ノ下裕一と、演出の糸井幸之介のタッグで初演された『心中天の網島』を、2017年ヴァージョンとして再創造(リクリエーション)した公演。【あらすじ】大阪天満の紙屋主人・治兵衛は、
作品ノート:「よく知っている底から水面を見上げ知らない水平線を思い浮かべず 音の届く先まで睡り どこかの花を想う」 これは「海」をモチーフにした作品の一部です。遠く離れた世界のことを簡単に知る ことができるようになった今だけど、どれだけ本当のことを見ることができるのだろうか。様々な海から眺める水平線の先は、想像するにはあまりにも遠い。自分が立って いる海の底にも、人の目に触れない流れがきっとたくさ
舞台上にゾロゾロと現れるのは、普段着の男女28人。誰もが一度は耳にしたことのあるポップソングをバックに黙々と身体を動かす彼らに、年齢や職業、 ダンスの経験をはじめ、特別な共通点はない。舞台手前でDJ役を務めるスタッフが突如舞台にあがり<プライベート·ダンサー>にのせて見事なダンスを披露したり、<ばら色の人生>では場内の照明がすべてピンクになったり……歌詞にあわせたペタな振付や演出に、観客は笑い、感
(パンフレットより)三年前にこの作品は一度、故郷の北海道伊達市で、終わりを迎えたはずだった。だけれどまたこうして取り組んでいるのは、この三年間で家という生命体そのものが、現在という時間のなかでどう在ればよいのか、という問題が自分のなかで、まるで変わってしまって、膨らみつづけていたからだろう。現在という時間は想像できているだろうか。あのころの食卓のこと。ひとりひとりの表情を。家という生命体の内臓は、
作品ノート:ところで、皆さんの心の闇はなんですか?夢を叶えるために押し殺してきた黒い闇。それは最後まで隠し通すことが出来るのでしょうか? その闇があってこそ到達できた場所があるのではないでしょうか?新作の『顔』は、松本清張著『顔』より着想を得て創作いたしました。「楽しい踊りが踊りたいなぁ〜」と日々思うのです。そのためには心の中でいつも突っかかる何かにじっと目を凝らさなければ。この作品は、これからず
とある老女。彼女は周りの人間から、それぞれが見たい姿を勝手に投影され、彼女自身が顧みられることはない。一方当人は、何もわからない風でいながらしたたかに生に執着している。社会から見えない存在にされても、息をしなくてはならない、なぜなら私は、生きているのだから・・・。人生の最終章。認知症を患いながらも周りの人間との関わりの中で、自分らしく生きることを選択する、老女の物語。
高層湿原・高山植物の宝庫「巨瀬」にうち寄せる二つの津波。アジアの盟主になろうとナチも真っ青の狂い咲き。そのためにゃ電気だ。巨瀬にダムを!「日本隅々焼け跡だらけです。復興が第一です、まずは電気です。巨瀬から水を取るというのはどうです?」二つの津波の中の巨瀬にぽつんと小さな山小屋があった。「恵蔵小屋」。小屋の住人たちはとても怒っている。巨瀬をなんだと思ってんだ!
関東圏郊外。三人姉妹が住む一軒家。長女は、知的障がい者である。親はもうなく、主に三女が家を仕切っている。次女が結婚し、夫と建てた新居への引っ越し日。引っ越し業者とともに作業をする姉妹たち。そこに、長女と結婚したいという男が現れる。
二人の演劇作家が一つの文学作品を異なる演出で連続上演する「文豪コネクション」。今回は夏目漱石の初期作品『坊っちゃん』を泉寛介(baghdad café )とくるみざわしん(光の領地)が構成・演出します。文豪たちの名作を様々な角度から再発見する「文豪コネクション」にぜひお越し下さい。なお、本作品は、大阪と愛知、二都市間での舞台芸術交流プロジェク「AAFリージョナル・シアター2014~大阪と愛知vol
『夏の名残のバラ』は、金森穣が、舞踊家として円熟期を迎えた井関佐和子の在り方にインスピレーションを受けて生まれた作品。2019年「森優貴/金森穣 Double Bill」にて『シネマトダンス―3つの小品』の中の1作品として初演。舞踊家とは如何なる存在か。そして舞踊家が齢を重ねるとは如何なることか。舞踊家の生き様をご覧ください。
公募出演者と共につくる、群衆が主人公となる白昼夢のような演劇作品。街にはたくさんの人が蠢いています。交差点でふと顔を上げた時にそこにいる多くの人たちの人生を一瞬想像しようとする時があります。しかし信号は青になり、人々はどこかに去っていきます。これからさき出会うことのない人たちがなんてたくさんいるんだ!そんなことしか思えないまま日々は過ぎていきます。しかし、演劇でならその想像の先を、青信号の先を考え
(フライヤーより)現代の社会に生きる私たちは、様々な技術の発展により、世界中で情報を瞬時に共有することができる豊かさを享受しています。しかし、その一方で、技術を持つ者と持たない者の間に格差が生じ、その格差は、民族や国家、人権や性、富める者と貧しき者の間に、争いをも生み出しています。ダンスも例外ではありません。ここ20~30年間で、世界中がダンスを共有し、その境界はたやすく超えられたかに見えますが、
統合失調症で失踪する友人をめぐる、青春物語。乱反射する肉体と感情 出来事を組成する「やってやってしまったこと」「伝えたかったこと」「言ってしまったこと」の乖離を圧倒的リアリズムで描く、唯一の加藤拓也の世界。更新されていく口語とドラマ演劇
この作品では、シェイクスピアの『マクベス』を題材に、「権力」について見つめています。障がいのある人にも、権力への欲望、社会的活躍を求める気持ちが当然あります。誰もの奥底に眠るこの欲望を、演劇を通じて見つめていたら、劇作家・永山智行さんの『配役』という台本にも出会い、劇世界がさらに膨らみました。見る価値のある舞台になっていると思います。
彫刻家・安藤榮作は2015年パレスチナのガザ地区の犠牲になった子どもたちに思いを寄せ小さな木彫人型を作り始めた。その年の暮れその木彫人型700体を展示した個展を行った。会場訪れた体奏家ダンスアーティストの新井英夫は心を揺さぶられ即興的にその空間で木彫人型を奏で踊った。その時二人は「いつか1000体の人型で来場者も巻き込んだライブパフォーマンスをしよう」と約束した。そして8年後の2023年、ALS罹
作品ノート:人間を含む自然物の衰え美しい自然サイクル腐る果物 老いる肌 無数の時が刻み込まれた自然物とその消滅と生成不自然な消滅垣間見える人間の欲今を生きる為の纏わりついて消えない欲生まれる抵抗と矛盾
「人生は芝居か?芝居こそが人生か?」ジャン・ルノワールの名作映画に着想を得た、絢爛豪華絵巻!「わからないわ、舞台でも人生でも、懸命に生きているのに。舞台だとうまくいくのに、人生だと愛するものを壊してしまう。どちらに真実があるの?どこまでが舞台で、どこからが人生?」主人公のカミーラはそう呟く。人生は舞台の上か下か。境目もない現実の世界で、求める幸せはどんな形をしているのだろう?山野を揺るがす打楽器の
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
室町時代、お家騒動にまきこまれる絵師の狩野元信と、彼を慕う遊女のみや。元信と結ばれず、死んだみやは、香を焚きしめた元信の部屋に、幽霊として戻ってくる。二人の恋愛を軸に、芸術と政治の相克が浮かびあがる。現在は歌舞伎や文楽でさえ行なわれていない、近松門左衛門原作の全編を一挙上演。
「コノ作品チョッとヤバいかもしれない。構成上「全裸」の景を置いた。完全な「真っ裸」、ものの勢でそのような仕儀と相成ったが、草月ホールに迷惑係らなくて「ホッ!」とだったかもしれない、イヤそんな事すら考えていなかったろう。今にして憶えばの話。」(武内)武内靖彦独舞集成・踏業22周年記念リサイタル。40周年には、同じく「舞踏よりの召喚」と銘打って記念リサイタルを開催した。
作品ノート:BANANAりんごはどれですか?バナナをさす。母親は言葉を失った。人の思いは、心の中で像をつくり、音と結びつき、言葉として発せられる。母親が笑う、私も笑う。ただそれだけのことだ。
過去にスペースノットブランクが上演した『舞台らしき舞台されど舞台』をセルフリメイクした『舞台らしきモニュメント』。「在る物」としての舞台を「現れる物」としてのモニュメントに代置し、上演(時間)と舞台(空間)の関係を見直そうとする純粋舞台。「舞台三部作」から変化した「物体三部作」の第一部。
音の体験やフィールドワークを起点に、独自の音空間を構築してきた荒木優光。シアターピースやインスタレーション作品を発表するほか、記録にまつわる作業集団ARCHIVES PAY、音楽グループNEW MANUKEのメンバーとしても活動する。今回、新作のモチーフとして荒木が興味を持ったのが「カスタムオーディオカー」。理想のサウンドを追求し、音響システムとビジュアルに粋を尽くしたあのクルマたちだ。夕闇に染ま
作品ノート:四人の女性を一人の女性が演じる。
もういちど、生きていることに恋をするためのささやかな物語。石田雄造。九州のとある町に暮らすその男の人生の、最後の一年で起きた不思議な出来事たち。幼い頃、64 歳の誕生日に死ぬことを予言された雄造は、平成 29 年 12 月、63 歳の誕生日を迎えた。それからの一年。出会い、別れ、再会。どこにでもあるそんな邂逅は、 けれど最後の時間を過ごす雄造にとってはかけがえないもの だった。
宮沢賢治作品 初演出となる演出家・宮城聰と、初の演劇台本に挑む小説家・山崎ナオコーラによる、異色のコラボレーションが実現。等身大の人形を駆使し、変幻自在の劇世界を追求した作品。詩人、童話作家として有名な宮沢賢治は、地質学や土壌学の専門家でもあり、貧困を極めていた当時の農民と生活をともにし、収穫量を改善しようと奮闘した。『グスコーブドリの伝記』は、そんな賢治の人生が反映された物語。「人間は自然とどう
作品ノート:日本人は働きすぎと言われている。適度に披露を得た肉体は「誰かのために尽くした」と単純なことを教えてくれる。しかし働き過ぎて肉体が過労死直前にまで辿り着けば、意味を失い、何も語れなくなる。言うなればこのダンス作品は“誰も救えない日本労働社会” へ視線を向けている。ここは横浜の歴史を積み上げ聳え立つ赤レンガ倉庫。 シンプルなこの空間に想像の橋を建造する。それは新たな時代へ架ける橋となる。働
北村明子はアジア各地を深くリサーチする「Cross Transit project」を展開してきたが、本作は「日本とアイルランド〜中央アジアへと発展していく長期国際共同制作」である。北村を含めた7人のダンサーの動きは、高度な制動と繊細な表現、そして刃物のような鋭利さに満ちている。人が営む生活の身振りにはその土地の文化が織り込まれているが、それらをダンスに取り込むことで観客の記憶に働きかけてくるよ
20世紀美術史に大きな足跡を残した芸術家、アルベルト・ジャコメッティ。極限まで切り詰められた痩身の塑像でよく知られているが、同時に多くの肖像画も残している。そのモデルとなった人たちの中に一人の日本人がいた。彼こそ矢内原伊作、ジャコメッティとの濃密な対話すべてを記録に残した男である。本作品では、伊作の残した対話記録を基盤としつつも、更にその上に別の層、とある父と子――すなわち演出家である危口(木口)
昭和のはじめ、食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸は荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。重労働と粗悪な飯で身体を悪くした漁夫や雑夫が、何人も北の海で死んでいく。「このままでは殺される」遂に自分たちの力でストライキを起こし“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、彼らは立ち上がった。もう一度。
“きたるべき世界はファンタジーからしか生まれない。”名作『モモ』につづく、ピエロの「ジョジョ」の物語。解散の危機にゆれるサーカス団に、巨大化学工場から“おいしい”話がもちかけられた。ただし、一座から少女エリを追い出すという条件付き…。現実を受け入れるか、大切なものを守るためにたたかうか――悩むピエロのジョジョや団員たち。けれど何も知らないエリはいつものようにお話をせがむ。ジョジョが語りはじめた恋と
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
シェイクスピアの『ヘンリー六世』から、シラーの『オルレアンの乙女』、バーナード・ショー『聖女ジョウン』、そして、ジャン・アヌイの『ひばり』まで、ジャンヌ・ダルクは、処刑される魔女、天使、悲劇のヒロイン、救国のひばり等々として様々に解釈されてきた。SPAC版『ジャンヌ・ダルク』は、アヌイの『ひばり』を原作としながら、チャッキリ節、真室川音頭、三階節、相馬盆唄などお馴染みの日本民謡に数々に乗って、野外
東北芸術工科大学主催の山形ビエンナーレ2022「現代山形考 藻が湖伝説」参加作品。第一部は文翔館議場ホールの前庭で山形の市街や文翔館の外観を背景に、庭内を集団で移動しながらゲーテ『ファウスト』の物語を上演。第二部は「現代山形考 藻が湖伝説」の展示会場となった議場ホールの中で登場人物は自身の旅路を会場内で自由に動き回りながら表現し、観客も自由に動き回り美術品や上演を鑑賞できる形式をとった。
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
2005年の横浜赤レンガ倉庫1号館での上演から10年。今回のダンサーは、当時の田畑真希 (2009年受賞者)、関かおり(2012年受賞者)など女性ダンサーから男性ダンサーへ...。 世界各地を巡回した話題作が、男性ダンサーのための作品として、再構築される。[作品ノート]例えば掌をひろげた場合なぜか小指から閉じたくなる、という今の身体思考の流行に逆らわないことでダンスが組み立てられています。「ワン◆
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
兄夫婦と弟は同じ家に住んでいる。妻への不信感から兄は弟に「妻と二人きりで一泊してきてほしい」と願い出る。そして、その間に起きたことを逐一報告するようにと。夏目漱石の『行人』のシチュエーションを借りて、変化していく三角関係の行き着く果てを描く。2016年Votage-2016 Kuandu Arts Festival参加作品。
松井周が主宰する劇団サンプルの解散公演。「モツ宇宙(コスモ)」という腸の宇宙を世界の始まりと考えるコスモオルガン協会の信者達による、教祖ピグマリオが生まれて死んで復活するまでの宗教劇。 と同時に、放浪し、虐げられる信者達の生活を描く。 彼らの行き着く先に「救い」はあるのか? 人間は神にもなれず畜生にも堕ちきれない。理性からも野生からも自由になれない中途半端な人間たちが、信仰をもとに生き抜いていくサ
出前芸術体 ーアートボデックー
日本のグランドキャバレーを模した香港のナイトクラブ ”ボルボ” における、白虎社の「出前芸術体」による「ミラクルレポート」スペシャルライブショー。白虎社が公演活動と並行して行っていた「出前芸術体」は、結婚式から一般家庭の誕生日パーティ、コンサートやCM出演まで場を選ばず、「舞踏」のイメージにとらわれない「よりスリリングな見世物(パフォーミングアーツ)」を目指して、「からだ」と「芸術」を出前した。
TOKYO DANCE TODAY #9
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。生年月日、出生地、血液型、三姉妹という共通点をもつ森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)。いつかは一緒に創作をと思い始めて数年、ユニークな劇場空間をもつ青山円形劇場にて、構想を共にし発表した作品。
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作品ノート:溢れる欲求は動物レベルで活動し続ける。内容や実質と対比される一定の外見的な姿をした混沌とする世界。よごれても、きれいでなくても、感情に素直な肉体ひとつを使って生きる。
作品ノート:今いるところから そしてとそれから を 考える。考えている。真っすぐな線を引く。どんどん引く。囲っていく。小さくなる。にじませる。ゆらいでいく。心配になる。超えていくために。まずは手をのばす。手をつなぐ。
辛くも全滅を免れた「東北バナナン軍団」の臨時幕営では、男たちが飢えに苦しんでいた。戦闘よりもむしろ飢餓で倒れていく仲間たちを救うべく、男は生き残りをかけた東北特産フルーツの生存戦略に身を投じていく…。
双子の少年たちの日記として描かれた原作小説『悪童日記』は、その文体が非常に無機質な点が特徴です。そこで今作品では、『悪童日記』の物語ではなく、文体を立体的に立ち上げることで、双子の目がとらえた戦時下の片田舎の風景を描くことに挑戦しました。5つの無機質な台と5人の俳優、抑揚を排した発語を使って、非常時にあらわになる人間の本質と、無機質な文体の奥にしまい込まれた双子の感情を炙り出します。
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