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5人のダンサー達が、舞台という一つの空間を縦横無尽に駆け巡り、身体の持つ表現力の限界に挑む作品。ダンサーの存在そのものを起爆剤に、その圧倒的なエネルギーは見ている者に新たな創造性を掻き立てるダンスコラボレーションの集大成。
(フライヤーより)「元気の出るダンス」「明るいダンス」をモットーに〈ステイ•ヒア〉〈ダンス コレクション〉などのシリーズで次々と作品を発表している前田清実は1991年青山劇場での「青山バレエフェスティバル」でクラシックバレエにアプローチし、その鬼才ぶりを発揮した。ダンスの世界はいま大きく様がわりをし始めている。モダン、ジャズ、クラシックがそれぞれ融合し、単純なジャンルわけが難しくなってきている。前
本作は、2020年12月、山﨑広太と西村未奈により、フロリダ州立大学、マギーアレシー国立振付センター (MANCC)にて共同で創作を開始した新作『幽霊、他の、あるいは、あなた』のワークインプログレス。自然の複雑で静的な世界の中で、二人の異なる歴史、知覚、細分化された内部の風景を受け入れることができるフラクタルで気象のような身体、そして老いる時間を調査する。
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
(フライヤーより)西暦2500世紀の超未来、考古学者が空中からある化石を発掘する。それはその時代すでに姿を消していた「演劇」というものの化石であった。考古学者は「演劇」の復元を試みる。’89年初演の名作『ゆるやかなトンビリラロの身だしなみ』を題材にした新作。1つの舞台上に複数の演劇、ダンス、パフォーマンスが併存する独自のスタイル→《ハイパー・コラージュ》を用いて、「演劇」そのものを「演劇」にします
(フライヤーより)滅亡に瀕した地球にさいごの天使が羽をひろげるとき、ひかりはいのちになった。
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闇の底の底空の果ての果て潜っていく闇に着床する種いのちの珠を孕む垂直に あいだを紡ぎながら丁寧に歩を進める重力の底深い空そこに咲く花
DaBYアソシエイトコレオグラファーの鈴木竜が、他ジャンルのアーティストらと協働するコレクティブな手法で創作した作品を発表した「鈴木竜トリプルビル」で上演された3作品のうちのひとつ。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年12月に愛知県芸術劇場にて初演)4名のダンスアーティストらがそれぞれの振付を繰り返し入れ替えて踊る本作。「振り付ける」という非対称的な行為を
TOKYO DANCE TODAY #1
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の初回を飾った、近藤良平率いるダンスカンパニー「コンドルズ」の作品。未確認飛行物体接近!完全円形360度!完全限定3600秒!
幼い記憶から夏みたいなものを引っ張り出してたらいつの間にか朝になってた白い息が空に浮かんで重ねた裏返しとか普段通りの雨とか好きだった気がする嘘だった気がする沢山ある人生の中輝ける場所探せるだけで良いのかもしれないね(ワンダフルライフって なんだろうか)ああ なんか今なら唄える気がするよ一緒に歌ってくれないかワンコーラスでいいんだけど
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は別府公演から紹介します。2009年1月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
この作品は、本作のために書かれたスコア『Into a dream』をもとにダンスの時間を立ち上げます。異なる身体言語を持つ3人のダンサーは未知のタイムラインの奏者であり、走者でもあります。ただ踊るのでもなく、ただ居るのでもなく、ただ感じるのでもない方法で、そのために、そのために、そのために、そのために、それより僕〈と〉踊りませんか。
おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのと
(フライヤーより)シュールでコミカル、遊び心に富んだ作品を発表し、フランス国内でも根強いファンをもつ異色の振付家ドミニク・ボワヴァン。1998年の初来日の際に好評を博した「ワタシなりのダンスの歴史」の改訂版をひっさげて再来日。”ダンスはどこから来てどこに行くのか”ダンスの起源からロマンチックバレエを経て現在にいたるダンス表現の目まぐるしい移り変わりを1時間のソロダンスで表現する。1994年の初演か
9回目を迎える「踊りに行くぜ!!」は、毎年10月から12月北海道から沖縄まで全国を巡回公演する企画です。Vol.9は21地域で開催、参加アーティスト41組となりました。各地の公演の様子をシリーズでお届けしておりますので、どうぞお楽しみに!!今回は沖縄公演から紹介します。2009年2月“スカパー!シアターテレビジョン”にてレギュラー放送されたプログラムです。上演作品・カンパニー・アーティスト・作品コ
(フライヤーより)異文化の対峙と交流!日本人作曲家がシャーマニズムを主題に作曲し、フランス人たちが舞台化するサウンドスケープ。
【作品ノート】2019年頃に感じていた、何だか静かで人類が世界に退屈したような絶望感がある。それが前回の横浜ダンスコレクションで上演した「サイクロン・クロニクル」が纏っていた空気感でもあった。2020年2月以降、その絶望感が一気に沸点に達して吹きこぼれ、今も尚ぐらぐらと煮立っている。そして、その鍋の中に生成されているのはデカダン的な新たな終末感である。 その中で新しく作品を作ることになり、浮かび上
Dance New Air 2018 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.2
人と人が在る中に生まれる縁。人と関わることによって変化していく世界観。絡まり、千切れたり、先入観や見解に縛られた足かせをほどいて、隣にあるその縁を再び結んでいく。
幾つもの夜を超えて会いに行く。もしも変わり果てた姿であろうと、たどり着いてみせる。難しい考えを羅列すると虚しくなるけど、幾つもの夜を超えて会いに行く。すきま風が吹く度、ふと我に返ってしまうけど、きっとたどり着いてみせる。何をもらってたんだっけ。分からなくなっちゃったけど、幾つもの夜を超えて君に会いに行く。それだけは間違いない。
【作品ノート】「私は、私の身体を選んで、生まれてきた。この身体に起こる全てのことを、この身体で経験することを選んだ。そして、私はこの身体をどうするか、この身体とともにどう生きていくかを、自由に選ぶことができる。」もし、そう思えたら、あなたはあなたの人生の全てを愛することができますか?あなたの人生と、私の人生に、愛を込めて。
2022年10月21日(金)〜23日(日)、象の鼻テラスにて、ザ・フォーサイス・カンパニーをはじめ世界の第一線で活躍してきたアーティスト安藤洋子が率いる ZOU-NO-HANA BALLET PROJECT の実験的パフォーマンス「Walk Installation ARUKU vol.3」を開催しました。アーティストのジヨン・イ(韓国)による映像インスタレーションとともに、濃密なクリエーションを
TOKYO DANCE TODAY #8
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。世界的に活躍する中村恩恵が振付を手がけ、鈴木ユキオ、平原慎太郎の2人が共同振付・出演した作品。音楽・演奏はロック、ジャズ、現代音楽、ポップミュージック、あらゆる音楽シーンを横断、即興音楽とコンポジションの融合を図り、劇団「維新派」の音楽監督としても知られる内橋和久が務める。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
舞台上で、あかりを動かしたらどうなるかと言うアイデアと日本の美について考えるところから作品を作り始めた。IchIとは日本語で「1」を表すとともに、2つの「I」(英語でいう私)が何かを挟んで見つめている様である。すべての人は別の顔を持っている。私自身も私の中に住まう誰かを感じ、暗闇の中でその人に出会う。そして私はその人と話し始めた。この作品は天志が彼自身を探す旅である。愛のように、あるいは夢物語のよ
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
OrganWorks「人間を眼差す三部作」の一作目「聖獣- live with a sun」は2019年東京世田谷パブリックシアターで上演されたダンス作品。昆虫の世界を描くことで人間との類似点と相違点を導き出し、人間とは何かということを問う。ダンサーの身体性を昆虫の性質や習性を模倣し人間から遠ざければ遠ざける程人間の身体が見える構造になっている。
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漫画・アニメ・⼩説と様々なメディアミックスを展開している⼈気作品「⽂豪ストレイドッグス」。本作は、舞台シリーズ最終章として、TVアニメ「文豪ストレイドッグス」第3シーズンを原作に、舞台ならではの表現で「共喰い」のエピソードを描きました。
コンテンポラリーダンス ソロ作品
新型コロナウィルスの蔓延からこれまで、長い時間をかけて、心の中の深く暗い部分に巣食い・広がって来たのは自分の死を・大事な人の死を恐れ、感染経路が分からないまま忍び寄ってくるウィルスや人々の行動に恐怖し、感染により社会から居場所を失ってしまう事に怯え、人を疑い・疑われる事が恐くなり、離れた家族と会えない事以上に帰って来て欲しくないと心の距離まで離れてしまう、人に心があるから生まれてくる、そんな沢山の
モダンダンスのパイオニア、テッド・ショーンが歴史的なフェスティバルを創始したダンスセンター、ジェイコブズ・ピローは、2020年11月17日に火災に見舞われ消失した。この巨大な損失を記し、愛すべきジェイコブズ・ピローへのダンスアーティストと観客の思いを表すためにダンスフィルム制作が企画され、尾竹永子は雪に埋もれた焼け跡のなかで踊った。
文明のパレードであり、物質のパレードである。野外劇場で初演され、日本の「舞台芸術の新しい領域を開いた」と評される作品。台詞を全く用いず、従来の演劇、舞踊といった枠組みを越えて新たな劇表現を獲得したこの作品は、パパ・タラフマラの大きな転換点となった。人の生み出した物が、むしろ人を動かして先へ先へと進んでいく。そのような文明のエネルギーを視覚化し、生命と物のパレードとして描く。ロケットを想起さ せる7
中間アヤカ&コレオグラフィ
振付をダンスとしてその場に立ち上げること、振り付けられた身体をダンスさせることがダンサーの仕事だと信じて、これまで数え切れないほどの振付とともに舞台に立ってきました。私の身体は振付がなければ踊ることができなくて、その上そいつはたくさん踊りたい性質(たち)なのでつまりそれだけたくさんの振付(エサ)が必要なのです。振付はいつどんな場所にも、様々に形を変えて存在する。この世に存在するすべての振付をダンス
うわすべりを紡いでいたら、いつのまにか愛だった。時間をかけて裏返したら、魂だった。近づきすぎたか、遠く離れすぎたか、見えなくなった。足音がしたので、応えたらやっぱり雨が降ってきた。たまたまそこにおっさんと一緒に雨宿りをした。しずかに。ほんとしずかに。ほんとグルービィに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ダンスボックス・ソロダンス・シリーズ」では、100席の小劇場空間ならではの緊密さを
日本のコンテンポラリーダンス界を牽引する振付家の黒田育世が、Noism05から振付委嘱され2005年に初演した話題作。
TOKYO DANCE TODAY #9
青山円形劇場の空間を生かし独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第8弾。生年月日、出生地、血液型、三姉妹という共通点をもつ森下真樹(舞踏家)と束芋(現代美術家)。いつかは一緒に創作をと思い始めて数年、ユニークな劇場空間をもつ青山円形劇場にて、構想を共にし発表した作品。
YAMADA Un Co.
本作は東京芸術劇場で映像作品を作って有料配信し、劇場公演は地方でのみ行われた。 木々や花が溢れる庭で男女が踊るロマンティックなデュオから、無機質な病室でのダンス等、「視聴者の視線を強制的に導く映像の強み」を活かしている(むろん映像にあることは基本的に舞台上でも行われている)。 山田は「2020年のオマージュ」が本作のサブテーマだといっているが、それはコロナ禍や、延期された2020年東京オリンピック
就業人口約28万人、日本のGDP25%を占めるとも言う大手町・丸の内・有楽町エリア。この東京の中心で働く人たちは、何を考え、どのように生きるのか。 本作演出の倉田翠は、このエリアで働く30名以上のワーカーへのインタビューと11名の出演者=ワーカーとの約2ヶ月のワークショップを経て創作。有楽町のオフィスビルを”舞台”にしたパフォーマンスは、出演者と倉田とのコミュニケーションによって育まれる関係性から
Noism初、映像のための舞踊作品。2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、世界中を取り巻く環境は大きく変化した。“公演の記録映像の配信”ではなく、この社会状況下だからこそ生まれる“映像で観ることを前提とした舞踊作品”として金森穣が創作したNoism初の「映像舞踊」。Filmyで現在有料配信中。
(フライヤーより)世界の先駆的なコンテンポラリーダンスの関係者が2年に一度集う、ダンスビエンナーレ。その第1回を2002年夏に開催します。文化によるにぎわいの場を創造し、世界のダンスの動向や潮流を知り、ネットワークを広げ、ダンスや演劇の文化的土俵をさらに豊かにしたいと考えます。
Dance New Air 2016
私は「私」になる為に装う。舞台が求める「私」と私の間を埋めるため、衣装に着替えてステージに立つ。装うことで私は自分を護り、身を隠し、演出し,誇張し、ときに他を偽り、また威圧する。装いは私と「私」との輪郭の隙間を埋め、ときにはそれを消滅させる。「La Mode (ラ・モード)」は現代の宗教とも言われるファッションを軸に、浮かび上がる<境界>を視覚化させたパフォーマンス作品である。60分のこの作品の中
この作品の始まりは2006年夏のセッションハウスでの沖至さん、藤田佐和子さんとの即興セッションでした。その後岡山で、今回使用している曲を使っての作品の流れとタイトルの「青空散歩」が産まれました。この作品はさまざまな場所で上演する機会に恵まれ、再演を重ねるにつれ作品そのものも育っていっています。今回、東京での初演をこの中野テルプシコールで行います。現実と夢の間の、生と死の間の、時空をかいま見ることが
【作品ノート】光、音、映像、身体一あらゆるエレメントをハイブリッドに融合 することで「特定のエネルギー状態にある絵」を舞台上に現前 化させる梅田宏明の創作哲学は、実質的な処女作である本作 で早くも確立されている。写真芸術からダンスに転身した梅田 のなかには、「ダンスをグラフィックアートとして平面的に見せ たい」というビジョンが当初からあり、その構想を反映するか のようにここでは、速度感を持って明滅
Dance New Air 2018
選べない交われない戻れない許されない終われない分からないそれでも嬉しくてまだ止めないただただ身体がもげそうで
ダンス、ファッション、音楽、テクノロジーなどのコラボレーションによる新たな可能性を提示するパフォーミング・アーツ『Xhiasma-キアスマ』プロジェクト。 人が溢れる多忙な都市で、誰にも関わらず、一見自己完結が可能に思えてしまう毎日は、「生」の実感や、他者への関心も希薄になる。人と人との繋がりをコンセプトに創作・上演された『enchaîne』から2年、ダンサー・振付家の湯浅永麻、ファッションデザイ
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
戦争三部作最終章となる作品。本作より上村なおかが参加。イメージの根底にあるのは戦争によって荒廃した都市とその復興がもたらす記憶の変遷。広島や長崎、沖縄、911のNYを始め、有史においてこれまで世界において無数の都市が廃墟と化し、そしてその多くが、新たな都市として再興されてゆく。それらの時間経過と都市空間の変貌が、人々に刻まれた戦争の記憶を、一つの結晶に変えてゆく。語り継ぐことと忘れ去ること。その間
北村明子はアジア各地を深くリサーチする「Cross Transit project」を展開してきたが、本作は「日本とアイルランド〜中央アジアへと発展していく長期国際共同制作」である。北村を含めた7人のダンサーの動きは、高度な制動と繊細な表現、そして刃物のような鋭利さに満ちている。人が営む生活の身振りにはその土地の文化が織り込まれているが、それらをダンスに取り込むことで観客の記憶に働きかけてくるよ
Dance New Air 2014
幸せとは。無意識でも意識的でも、選んだ結果で今がある。 「赤い靴」を選ぶ人生、選ばない人生。「赤い靴」を履かずにいられない欲望の源は、何にあるのか、「赤い靴」に焦点を合わせない女は、何に怯えているのか。思いも掛けないきっかけで、もともと眠っていた種は目を覚ます。 女は無意識に危ないことを知っている。 それを幸せと呼ぶのか、呼ばないのか。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
【作品ノート】透明な沸点と露点そのブラックホールをすぎるとある青い世界に柔らかい光が溢れているはざまに耳を澄まし光の波紋をうつす瞳うねりつづける細胞のひとつひとつをミモザの花にしたら少しはこの世を灯せるだろうか
プロジェクト大山と田上パルによるダンスと演劇のコラボレーション。1940年に上演された『日本』三部曲に想を得て制作された作品です。1940年は、アジア初となる東京オリンピックの開催が計画された年です。しかし日中戦争の長期化によりやむなく中止されます。その一方で、この年には皇紀2600年を祝う様々な記念行事が催されていきます。第一線の舞踊家達が賑々しく集う『日本』三部曲もそのひとつ。平和の祭典が中止
生きづらさを感じるあなたたちへ。身体、社会、日本をえぐる。2008年、日本中を震撼させた秋葉原連続殺傷事件に触発され、「身体、社会、日本」をテーマに取り組んだ2008年作品。作品の上演に先立ち、フリーペーパーを刊行、身体を見失った現代の日本人に届けようとする試みをおこなった。ごみが散乱した舞台上にさらされた14人の男女の身体、伊東篤宏とHIKOによる生演奏、今ここに在る身体を直截的に描き切った作品
せんとう。裸でたたかう。労りと労いとハピネス。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
----〜である 存在する----自分自身であること----自分自身でありながら他者と存在すること----------他者と存在しながら自分自身である続けることアンビバレントな感情、自信、コンプレックス、独立、依存、競争、協力、諦めなどをキーワードとし、「存在する」ということについて身体的、心理的な側面から考察。
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
Dance New Air 2018
ある一定のルールと空間の中でスポーツが行われるように、小林は本作の中で自身のフィールドを構成する。性的な偏見や性差別的な筋書きに支配された人間により制限されることのない、自由なスタジアムをギャラリー空間に表すことを目指している。小林が問いかけるのは、危険と安全の狭間に立っている身 体的職業のどこに、その自由が存在するのか。運動競技における身体と、アーティストとしての身体、その双方のプロフェッショ