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妊婦、産婦人科医、学者、不妊治療に苦しむ妻、子どもを持たない夫婦……等々、多彩な人たち約70人にインタビュー取材を行い、その膨大な証言を再構成して舞台化するドキュメンタリー・シアターの手法で「今、日本で子どもを産むとはどういうことか」、その実像に迫る。――「なぜ不妊治療に関する法律が日本にはないのか」「なぜ少子化に歯止めが掛からないのか」。出産・子育てにまつわる今の日本社会が抱える問題について、ま
【コンセプト】緊急事態宣言を伴う自粛期間に体感した「様変わりしていく社会と断絶された個人」をモチーフにした演劇作品です。新型コロナウイルス感染症の蔓延によって私たちは、未知の病原体との共存が求められています。そうした新たな生活は、私たちに戸惑いと恐怖、そして過去の生活様式への郷愁をもたらしました。また、世界の国や都市は日本以上に新型コロナウイルスの影響を受け、経済の格差、人間同士の分断が起きていま
日々ニュースで流れてはすぐに忘れられていく数々の出来事や問題と私たちの生活との距離について扱った作品。10分に再構成したバージョンの作品が、横浜ダンスコレクション2020 コンペティションⅡにて奨励賞受賞。
1991年3月、パキスタンのインダス川で川下りをしていた日本人大学生3人が 強盗団に誘拐される事件が起きた。3人のうち1人は伝達係として解放されたが、残りの2人は44日間、監禁される。彼らは帰国後、週刊誌のカメラマンに追われ、 激しいバッシングにさらされる。しかし、大学卒業後に彼が選んだ道はまさにその「週刊誌カメラマン」だった。実際に起きた事件をもとに、メディアの欺瞞、日本社会の同調圧力を描く。
「ここ」と「そこ」の隔たりについて。電車の中で起こる無自覚な身体と短い会話のコラージュを用いて無関心や無自覚の暴力性を扱った作品。
2022年、沖縄は本土復帰50年の節目を迎えた。「9人の迷える沖縄人(うちなーんちゅ)」(2015年初演)は、1972年の沖縄本土復帰当時と現在を行き来する二重構造の物語を通し、過去と現在の沖縄に暮らす人々の多様で複雑な立場や心情を浮き彫りにする作品である。沖縄で生まれ、生活する劇作家、演出家、出演者だからこそ描ける繊細な沖縄人の想いからは、今なお続く矛盾、怒り、迷いが発せられ、はたしてこれらは「
TRASHMASTERS vol.35
とある町。原発の産業廃棄物受け入れによる交付金で図書館や劇場など公的機関の建設を目論む首長は、受け入れに対する反対勢力との会合に参加した。会合は互いに相容れず散会に終わる。やがて、産廃を受け入れて町興しをしようとする市長側と、反対勢力の間で町が二分する……。震災から10年が経ち、東北では原発が再稼働するという。これは幸福か、それとも……。狂おしいほどに駆け引きが横行する町に未来はあるのか……。
舞台は「自由」が大いに拡大され、刑務所までもが半民営化されたリバタリアンの行政特区。日本でありながら、今の日本とはちょっと違う、そんな場所。ストーカー殺人、安楽死殺人、死刑廃止論、結婚制度、出産前DNA鑑定など、現代人の抱える答えの出ない問いを濃密な会話劇で展開します。アマヤドリのお家芸ともいえる群舞を封印し、音響効果を排した対話劇。2014年に好評を博した悪と自由の三部作第一弾の再演となります。
双子の少年たちの日記として描かれた原作小説『悪童日記』は、その文体が非常に無機質な点が特徴です。そこで今作品では、『悪童日記』の物語ではなく、文体を立体的に立ち上げることで、双子の目がとらえた戦時下の片田舎の風景を描くことに挑戦しました。5つの無機質な台と5人の俳優、抑揚を排した発語を使って、非常時にあらわになる人間の本質と、無機質な文体の奥にしまい込まれた双子の感情を炙り出します。
「街」と「街」の境界が、住民や通行人の多数決で日々変動する時代を描いたSF作品。特徴の乏しい場所はどの街にも属さず、宙ぶらりんの隙間として残されている。その隙間に暮らす文子は、恋人の斎藤から結婚と隣街への引っ越しを提案され、迷っていた。そんな中、空き巣の塩村が部屋に侵入し、私物を少しずつ持ち去っていく。やがて時間の流れと共に、変動する境界は街の隙間さえも飲み込もうとしていた。
時事ネタ劇団として現代を風刺してきた笑の内閣が、風刺そのものを風刺するため古典に進出。挑戦するは、風刺喜劇の大先輩モリエール。―1665年12月、モリエールがかねてから目をかけていた若手劇作家ジャン・ラシーヌによる裏切り行為が発覚する。育てた恩を仇で返したラシーヌに落とし前をつけさせるため、呼び出すモリエール。2人の長い夜がはじまる……。
2024年に日本初民間小型ロケットを開発・打ち上げを行う会社の軌跡を描いた物語である。2008年に制定された宇宙基本法により、民間の宇宙開発が可能になった。16年の月日が経ち、いよいよ宇宙に向けてロケットを飛ばせるようになる。しかし、打ち上げの失敗により予算は底をついてしまう。その後、買収の話が持ち上がった時、会社と社員の選んだ決断とは。人生の逆境をいかにして乗り越えるか、夢の本質が描かれる。
都内などで原因不明の高齢者連続死亡事案が発生した。死亡した全員の容姿がまるで若返ったような状態であること、彼らが同じ地区出身者であることが浮かび上がるー。調査のため、市役所職員の前田とともに山奥の集落に向かった佐知子は大雨の中、事故に遭ってしまう。ぼんやりと揺れる灯りの先に見たものは……。日本限界突破集落地獄外道祭文‼
シェイクスピアシリーズⅠ
イギリスの劇作家シェイクスピアの四大悲劇の一つである「マクベス」を題材に、社会に対する鋭いまなざしを持つ劇作で評価が高い、くるみざわしんが新解釈で戯曲を執筆。マクベスという暴君を、それを生み出した背後にある社会構造や人間関係などを現代社会とリンクさせ、男たちの闘争劇から女たちの物語へと再構築した。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
オンライン演劇。コロナ禍での「映像配信で実現する演劇体験」を追求した、全く新たな「隅田川物」として表現。江戸時代に隅田川で起きた落橋事故という大惨事。人々はこれを落語『永代橋』に昇華させた。この悲劇さえも笑いに変えて力強く生きる江戸の市井の文化に着目し、歌舞伎『八幡祭小望月賑』など隅田川ゆかりの古典作品群をコラージュ。コロナ禍に苦しむ現代と事故当時を重ね合わせ、カタストロフを乗り越える人間の逞しい
■あらすじ太古より山に住む謎のいきもの・獸(ケモノ)。〈青い山〉と〈白い山〉の間を走る、大きな谷の集落に住む山のひとびとは、獸ととくに接することなく、しかし存在は常に感じながら、日々共に生活してきた。あるとき、獸ははじめて人を殺す。憤った集落の男たちは討伐に向かうが、皆返り討ちに遭う。生き残った数少ない者たちは獸を恐れ、集落を捨てて山を降りる中、猟師・シラスは鋭い目で森を睨みつけながら 山を登り続
「空気読めないっていけないことなの!?」……相手の仕草や状況、雰囲気から気持ちを汲み取れず、言葉にしなければ意図している事を全く理解できないアスペルガー症候群の人達が、人間の機微に敏感でなくてはならない演劇をする事になった!試行錯誤しながらも、彼らの行き着く先には幸せがあるのか?
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
大手広告代理店DK2のコンサルティング部に勤める栗宮春子が劇作家の小野司に相談したのは、「前田の刃」で有名な食品加工機器メーカーのトップ「MAEDA」で実施予定の社内結婚推進キャンペーンのインターナルコミュニケーションについてである。「男性の育児参加の推奨のために保育室を設置しました」など、対外的な情報の発信はできてるものの、結局社内であまり使われていないという課題があった。また、男女の社員同士な
愉快痛快な一人芝居。三味線の音色に乗せてお届けする涙と笑いの人情話!昭和二十年頃に起きた、嘘のような本当の話に芝居ながらの嘘を交えてお届けする演劇版「曲馬団の女」原作は、十二代目田辺南鶴の作。戦時から終戦後の混乱する東京を舞台にした新作で、蘭という曲馬団(サーカス団)出身の女が主人公。最後には登場人物全員がハッピーになり、聴き手も幸せな気分になれる物語である。劇団「柿喰う客」の中屋敷法仁の演出によ
人は美談に殺されるーー人類の平均寿命が50歳まで低下した近未来。人々は早すぎる死を恐れ、人生の意味を渇望し、己の死に様に「美談」を求めるようになった。依頼人の求めに応じて美談をつくる「美談作家」はもてはやされ、売れっ子は巨万の富を築いた。ある時、大御所美談作家が駆け出しの貧乏美談作家に依頼する。「私の為に、この世で一番下らない美談を書いてくださらない?」二人の出会いが、社会を揺るがす恐ろしい美談を
3LDKの高見家に住むのは、会社勤めのお父さん、専業主婦のお母さん、バリバリキャリアウーマンの娘、大学生の息子。一見どこにでもありそうなフツーの一家だが、ある日、お母さんのお母さんが、アキレス腱を切ったことを理由に同居を求めてやってくる。なんとか同居を断りたい高見家だったが、追い打ちをかけるようにお父さんのお父さんまでもが独り暮らしの家を売り払い、同居を求めて乗り込んで来てしまう。ずるずると窮屈な
同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することに。しかし、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深
フリージャーナリスト「市井宗高」が紛争国に入り、消息を絶つ。母「順子」は無事を祈りつつ、毎日お百度参りをし、鶴を折る。宗高の友人で新聞記者の「司由起人」は順子に取材を重ねるが、宗高の妻「実花」は「これは自己責任だから」と言いだし、取材を拒否するよう順子を諫める。そんな折、テロ組織に拘束された宗高の無惨な姿がニュースで流される。一方、由起人には30歳過ぎてなお非正規雇用で苦しい生活を続ける弟「真奈人
『デカメロン』は14世紀のペストの流行拡大を背景に書かれた。では現代、コロナの騒擾を抜けだしたら私たちは何を語りあうのか。舞台は避難所。疫病、戦争、災害――人々が何から逃れているのかははっきりしない。舞台上では『人類への提言』という鼎談がおこなわれている。そこに突然闖入してくる『デカメロン』の中の物語、あるいは脈絡のない言葉の朗読。場面と場面の行間から私たちを取り囲む「悪夢」が見えて来る。
「自殺」に関わりのある人々、約70人ほどを目安にインタビュー取材を行い、そのインタビューから戯曲を構成するドキュメンタリー・シアター。その日本初のオリジナル作品。インタビューを行った人々は、親しい人を自殺でなくした経験を持つ「遺された者」、自ら自殺未遂経験を持つ「サバイバー」、自殺対策に取り組むNPOや自治体の担当者など「立ち上がる者」など多岐にわたる。 自殺にまつわる人々の話を単に並べて「自殺」
時は昭和。1964年東京オリンピックの裏で開かれていた、もう一つの『民族の祭典』――その名も【キリンピック】。人間ではなく妖怪がアスリートとして集合する、百鬼夜行のスポーツ大会!この物語は、世界初の妖怪五輪開催に向けて宮内庁の精鋭達が熱く命を燃やす、汗と涙と肉と神秘のドキュメンタリー。
館林美術館での滞在制作2年目。別館の同一空間を使っての2作品交互公演の1作品。被疑者は要人狙撃の現行犯、事件の真相をめぐり引き寄せられる運命、取り調べる者と取り調べられる者、両者を隔てるのは何か、そして浮き彫りになるこの国の「寂しさ」
この物語は、子どもの頃に児童養護施設で育った関谷兄妹、悠太・千沙が子ども食堂を立ち上げ、自分たちの人生のなかで芽生え、抱えた苦労や苦悩、小さな幸せ、そして社会との対立や葛藤を描いた現代劇である。
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
「男性の性暴力被害」を描いた作品。特班記者のコースケは、ベランダに金魚を飼っている。友人・ノゾミの影響だ。ある日、コースケが勤める編集部に、子どもの頃、ノゾミの父親から性暴力を受けたという男性がやってくる。甦る過去の記憶。ノゾミとともに過去に立ち向かおうとするコースケに、弟のリオはリスクを問う。男性の性暴力被害者たちが幼少期からの被害を告発する葛藤と、互いの存在を頼りに過去の自分と向き合いながら回
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。被疑者はそれぞれ「国家公務員」「精米店の女主人」「男子大学生」。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。それは
遊戯空間 シアターΧ提携公演
東日本大震災直後、福島在住の詩人和合亮一がTwitterで投稿した「詩の礫」は世界に拡散され大きな反響を呼んだ。震災以前からの旧友である篠本賢一は震災4ヶ月後にそれを舞台化して東京で上演。本作はそれから2年後、新作詩「廃炉詩篇」を舞台化したものである。原発廃炉の問題、放射能、汚染土、被災者たちの苦しみ、収束を見せぬ多くの課題に被災者の立場で向き合う詩人の声を、現代音楽と俳優の言葉、身体で劇化した作
一九九九年七月三一日。私は生まれた。それは奇しくもノストラダムスの予言の年。空から恐怖の大王が降って来るとされた年。世界が終わらなかった年。数学教師のお父さんと、国語教師のお母さんの下に生まれた私は、しっかり者のお姉ちゃんと一緒に育てられて二十年。二十歳になった今、地上百メートルの高さから落下している。さて。地上まで残り、99、98,97……第26回劇作家協会新人戯曲賞最終候補作品。死ぬまでの五秒
演劇をやめて久しい土井は、かつて出演した演劇作品の「演出家」の弟を名乗る人物から、演劇の上演を依頼される。そこで土井が受け取ったのは、アンドレイ・タルコフスキーのある映画をもとに書かれた、演劇と救済にまつわる、一本の奇妙な戯曲だった――。初演を経て、演出、演技を全面的にブラッシュアップした、東京公演版「フェイク・読書会演劇」。
とある政党の奥様会議が開かれた。市議会選挙を翌月に控えた対策会議だった。なんとしても議席数を増やすために家族総出の応援合戦を党から要請されたのだった。戸惑う女性もいれば、仲間を鼓舞する者もいる。それでも一致団結して選挙に臨むも残念ながら目標に到達することができなかった。責任追及の会議が開かれ、自己保身と責任転嫁の様相となるのだった・・・舞台は現代、議員を支えるオンナたちの話
「長い正月」は、とある家族の1924年から2024年までの"100年の正月"を定点観測する、ささやかな大河劇。「人生は短い。この正月は長い」がキャッチコピー。誰にも平等に訪れる"正月"という時間を100年の長いレンジで扱い、戦争、震災、コロナ…といった歴史的事象を織り交ぜつつも、市井の人々の暮らしと営みに光を当て、ドラマを見出した。戯曲は上演後、演劇批評誌「紙背」に掲載。
ある会社の新規プロジェクトに各部署から8人の社員が集められる。元企画推進局次長「氷室」はチームリーダーとして意欲に燃えるが、営業三課から来た女性幹部「浅間」も「私もリーダーを任されている」と言う。かくしてプロジェクト・チームはたちまち二分されて徐々に対立が起こり始め、それはパワハラ、セクハラ、誹謗中傷、強制排除へとエスカレートしていく。果たしてチームの面々は無事にプロジェクトを達成できるのか?――
いつの時代ともどこの時代とも知れぬ不可思議な小部屋。一人押し込められた男。代わる代る部屋を訪れる様々な人物から強制される尋問にも似た暴力的な会話。或いは彼らが執拗に聞かせる果てのない物語。そして男自身の見る不可思議な夢。それらが入り交じり、男はいつか時と空間を遥かに遡り、恐るべき陰謀の真っ只中に誘い込まれる。欺瞞と捏造まみれの文字で書かれた歴史の彼方、押しつぶされ、忘れ去られた男が辿り着いた、彼自
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
ある地方都市。「北原むつ美」が、訪ねてきた「串間ひさ子」に思い出の写真を見せつつ、夫の自慢話をしている。むつ美の夫は福島第一原発の元作業員で、既に亡くなっている。明日はその四十九日にあたる。訪ねてきたひさ子の夫は、今なお原発で廃炉に向けて過酷な仕事に従事する現役の作業員。そこにむつ美の義理の妹「泊川小春」が金を無心しに来る。やがて3人の女たちの話から、原発の廃炉作業に従事する作業員たちの理不尽な日
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
舞台は全面、激しく急な斜面。それはリビングの床だ。その家に一人、また一人と家族が戻ってくる。どうやら家族はバラバラに暮らしていたらしい。集まった家族は激しく傾いたその床にテーブルや椅子を釘で打ちつけ、重力に逆らい、滑り落ちそうになるのを堪えながら、なんでもないことのように団欒の準備を始める。誰かを待っているのだ。やがて最後の家族の一人が現れる。それは友達を殴って「傷害致死」で少年院に入っていた末の
いじめが原因で引きこもり気味の高校生アンはインターネットのブログサイト“千年ユニコーン”とのチャットに夢中になっている。アンの両親は離婚の調停中。孤立した心を癒すのは、「ユニコーン」の言葉だった…。アンの同級生マルオもまたいじめが原因で学校を退学している。アンとマルオは再会し、ある日、マルオからじぶんがユニコーンであることを告げられる。そして、マルオはじぶんが新しいノアとなり、世界を救う(滅ぼす)
仕事場、私生活。ちっとも上手くいかない。私は他の人と何かが違う。病院で検査を受けたら、ただの性格の問題と診断された。僕は/私はどうやら『普通』らしい。ここからどこに向かえばいいのか。発達障害グレーゾーンをテーマに描く、青年団リンク やしゃご第4回公演。
東京成人演劇部vol.1
大人計画主宰、松尾スズキが演劇部を始動。8050問題の親子、ドキュメンタリー作家志望の学生と教授を描く安藤玉恵との2人芝居。第71回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)受賞80代で認知症気味の母親エイコ(安藤玉恵)と、ニートでアルコール依存症の50代の息子オサム(松尾スズキ)。貧困生活を送っている2人を、ドキュメンタリー作家志望の女子大生アサダ(安藤玉恵・2役)が撮影し密着していた。エイコの年金を当てに
本作『ストリーム』は、コロナ下で起こった時間感覚の変化をテーマに制作された三部作『Sign』『Cue』『Out』のスピンオフとして、2020年から現在までの出来事を元にした、捩子のモノローグで構成されたソロ作品です。芸術活動、仕事、病、子育て、戦争、経済、死、ダンス…コロナだけではない、私たちの日常と生に並走する様々な“with-ウィズ”について話すことからパフォーマンスを立ち上げます。
第1回 人間座「田畑実」戯曲賞 受賞作品。秋から冬にかけて。豊かな緑色の町並みから、冬の白色に変わるまで。渋滞のテールランプの赤い灯りの線が、いつもそこに寄り添う。朝日ヶ丘は群馬県郊外に位置し、街全体が盆地にすっぽり収まっている。13年前に新しい高速道路が敷かれ、街の中央に大きなサービスエリアが置かれた。そこは次第に発達し、今では町の主産業になっている。朝日ヶ丘自体には、高速道路の入り口は存在しな
放浪生活を続ける作演出の実体験を元に作られた、異国の密室劇。学生時代に行った初演が好評を博し、4度目の再演。中東の安宿を舞台に、バックパッカーたちが集う。青年団の冒険王を彷彿とさせるが、舞台はその数十年後。あり得なく見えて、ものすごくあり得る話。パスポートを申請して、飛行機の切符を買って、成田エクスプレスに乗って。そしたら着いた。マジで着いた。バザールが立ち並び、街中には水パイプの香り。笑顔でよっ
とある町の外れにあるおもちゃリサイクル工場。いつもの社員と派遣パートの女達が働く部署に、お仕事マッチングアプリに登録したばかりの68歳の男が初めて仕事に来る。「おもちゃが一つ足りない」という些細な事件をきっかけに隠れていたそれぞれの心の中がみえてきて...。音楽やダンスも取り入れて客席と一体になる今作は子どもの心も掴み大人の心にも響く。人々の日々の営みをユーモアたっぷりに描いた、パショパショ流プロ
坂あがり相談室 plus
急な坂スタジオ主催の支援プログラム「坂あがり相談室 plus」に選出され、20日間滞在して制作された演劇展示作品(インスタレーション)。「街を記述すること」を指針に、作家がスタジオ周辺をリサーチしつつ戯曲を執筆。本物の要素と作家の想像によるフィクションを交錯させ、架空の街を創出した。模倣しようとして失敗した街と現実の街。本物にフィクションのインクを落とすことで輪郭が曖昧になり、やがて“新しい街”が
第32回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞した話題作『養生』の全国ツアー版。原体験をもとにショッピングモールや百貨店の内装夜勤現場を舞台に描いた本作は時間と空間が交錯しながら選択肢の少ない現代を生きる人々の姿を鋭くもユーモラスに映し出す。第68回岸田國士戯曲賞を受賞した池田亮がゆうめい結成10周年の集大成として戯曲・演出・美術をさらに進化させた、新たな代表作をカンパニー初となる6都市全国ツアーで上演。
2015年7月、安全保障関連法案が衆議院で可決された夜、歴史学者の父が自殺を選んだ。通夜に集まる三兄弟と、父の関係者たち。沖縄戦を生き延びた父は何故、この時に自殺を選んだのか、何が、誰が父を追い込んだのか、その責任は何処に、誰にあるのか。一家の中で議論が始まる。やがて議論は白熱し、戦後民主主義の問題点にまで言及することになる。
—— ただ、もう、生きなくちゃ。70年代に存在した流浪民「渓窩」を巡る、魂の漂流者たちのロードムービー演劇。灯篭のように街を揺蕩う少年少女たちしかしその苦悩は若者だけが抱える問題ではなかったそんな彼らに手を差し伸べる青年と或る映画を糸口に繋がった人々は聖地巡礼を始める河口のタワーマンションに辿り着いたその時、彼らの復讐劇は幕を閉じ、楽隊の音が力強く鳴り響く――
2001年9月11日、TVに映し出されたセンセーショナルな光景は、最初からどこか胡散臭かった。単純な「正義の物語」が広まり、人々は思考停止のまま「テロ=悪」と結論づけた。本当にそれでいいのか?私たちは何を見落としているのか?物語に巻き込まれたままでいいのか?北千住のテント劇場から、新たな視点で「9・11」を語り直す。
舞台は、ある地方都市。市の中心を流れる大きな「三宮川」が次第に水かさを増している。市の防災対策課では避難勧告の決断が下せない。やがて支流が氾濫、やがて一気に水かさを増した三宮川が決壊し、市役所へとあっという間に押し寄せてくる……。「災害対策の危うさ」をベースに描きながら、「非常事態が迫っていることを人はなぜ実感できないのか」「その想像力の欠如の原因となっているものは何か」。自然災害を目の前にしなが
2016年に起きた津久井やまゆり園事件を題材にした作品。能力と命の価値を結びつける能力主義の問題に対して演劇には何ができるかという問いかけのもと、「私たちはともに生きていくことができる」という感覚を共有することを目指して制作された。「生産性のない人間には生きる価値がない」と主張する青年と、重度の知的障害を持つ青年の魂が音楽を媒介にしてまじりあっていく様子を描く。
河野紗代子(音楽)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。「黄色」という色にどんな印象を抱くだろうか?太陽や星、菜の花やひまわりの元気で温かい色。反対に、踏切や信号、標識など危険を喚起する色。日本人には、黄色人種=アジア人ヘイトの問題があり、映画界では、紛争や貧困地域の描写に黄色い色を映像に重ねる「イエローフィルター」も近年問題視されている。本作では、「黄色」が持つ
演劇をやめて久しい土井は、かつて出演した演劇作品の「演出家」の弟を名乗る人物から、演劇の上演を依頼される。そこで土井が受け取ったのは、アンドレイ・タルコフスキーのある映画をもとに書かれた、演劇と救済にまつわる、一本の奇妙な戯曲だった――。ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”2024採択公演。
三つの部屋でそれぞれ別の取り調べが行われている。どの部屋でも、問い詰める側は「許せない」という「正義」を振りかざし、厳しい追及の手を少しもゆるめない。だが、疑われる側にもまた「なぜ悪い」という言い分があり、こちらにもどうしても譲れない「正義」がある。やがて、無関係だった三つの取り調べに共通する「思わぬ事件」が背後に浮かび上がる。果たして、「誰の言い分が正当なのか?」「正義とは何なのか?」。