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ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利しローマに凱旋する。民衆はタイタスに、空位だったローマ皇帝になるよう要望するがタイタスは固辞し、かわりに先帝の長男サターナイナスを指名する。新皇帝サターナイナスは、捕虜であるゴート人の女王タモーラを妻にする。タモーラはタイタスに強いうらみをもっている。愛人アーロンや息子たちを使い、皇后という立場を最大限に利用して、タイタス一家を次々
昭和15年、朝鮮・水原(スウォン)郡。日本政府による「創氏改名」の任にあたる日本人青年と、親日家でありながら改名を拒んでいる地主。その家に700年に渡り伝えられる、一族の系譜がつづられた「族譜」に圧倒されながらも説得を重ねるが、やがて地主の周辺で日本政府による圧力がかかり始める…。朝鮮半島における「創氏改名」政策の真実を描いた原作を舞台化。国家と文化のありようを問う。
太平洋戦争最大にして最悪の地上戦「沖縄戦」激戦地首里から数キロ北にそのガマはあった。
次世代に、そして全世界に語り継ぎたい明日への再生の物語「人類史の折り返し地点」 ―― 井上ひさし2020年紫綬褒章を受章した演出家・鵜山仁が捧げる、終戦から3年後のヒロシマを舞台に父と娘が織りなす命の会話
三島由紀夫没後五十年 プラス1
愛が見せる地獄・芸術という名の狂気。この世ならぬ様を描かんとする絵師の執念に、美しき乙女は命を差し出し業火の贄となる。幼年期の三島由紀夫が芸術と美への感性を育む素地であった歌舞伎。そのオマージュである「三島歌舞伎」の第一作『地獄變』、極彩色の世界を花組芝居が総力を挙げてネオかぶきへと昇華する!時は平安の頃。絵師・良秀は、天下一の腕前だと都で評判を得ていたが、高慢で変わり者だと噂される男だった。彼に
戦後日本を代表する作家、三島由紀夫がカンボジアの城塞都市遺跡アンコール・トムに着想を得て、実在のカンボジア王ジャヤ・ヴァルマン七世を主人公に描いた最後の戯曲による舞台。カンボジアの伝統舞踊、音楽の担い手を招聘して実現した国際共同制作作品。十二世紀末のカンボジア。栄華を極めた偉大な王が己の夢と希望を託し「アンコール・トム」そして「バイヨン寺院」を造営していく雄大なロマンをアンコール王朝の衰亡を背景に
久保田城完成祝いの余興に早駆け競争が行われ、与次郎の走りっぷりを見た義宜公の命令で、江戸と秋田を結ぶ特別な飛脚集団「狐組」が作られる。秋田の繁栄のために重大な情報を最速で運ぶのが仕事だ。しかし少しでも機密が漏れたら命はない。与次郎は妹のように大切に想うカエデを救う為に狐組に入り、人としての生き方を捨てる。与次郎の行く末を心配するカエデ。争いのない太平の世を目指す政光。愛する義宜公と離ればなれに暮ら
生きることは絵空事、束の間の妄想にすぎない。うつつか夢か、光か影か、桜か雪か……真を求めて偽に出会う。舞台は百花繚乱元禄の世。あの「忠臣蔵」が、今、虚実の狭間に蘇る時は元禄。人気役者・沢村宗十郎(藤木直人)は豪商・天野屋利兵衛(生瀬勝久)に、娘のおかる(中越典子)を嫁にしたいと懇願するが、まったく相手にされない。大石内蔵助(橋本じゅん)は、主君・浅野内匠頭(中村まこと)が吉良上野介(粟根まこと)と
ロームシアター京都が主体的に作品製作に取り組み、劇場のレパートリー演目として時代を超えて末永く上演されることを念頭にプロデュースする「レパートリーの創造」シリーズ第二弾として、2019年2月に上演された本作。演出、補綴、キャスト、スタッフ一丸となって壮大なスケールで描いた話題作の再演。【あらすじ】大名・高安家の跡取りである俊徳丸は、才能と容姿に恵まれたがゆえに異母兄弟の次郎丸から疎まれ、継母の玉手
一書に曰く、闇に覆われた神代の時代。磐戸にひきこもった太陽神アマテラスの魂をうつつの世に引き戻したものは、俳優(ワザオギ)の元祖アメノウズメ。そのオカメな若い女神が、逆さ桶の上で即興で演じた、ハレンチかつステキなバカ踊りだった。これが日本の演劇のはじまり。そしてこのワザオギの子孫を、どういうわけか猿女(サルメ)と呼ぶ。サルメの血は、いつの時代も踊り続ける宿命を負う。今この時代にも。サルメは生きてい
舞鶴に生まれ育った姉妹「みちよ」と「すみ」。二人の従姉妹で同じ家に住む「あきえ」。三人の女性の恋模様を、戦前の記憶、戦中の傷、戦後の生活とともに描きます。昭和を駆けぬけ、常によりそって生きてきた女性達の人生の記録。2018年~2020年に京都府舞鶴市で実施した「まいづる物語プロジェクト」。その集大成として執筆されるも、コロナ禍により上演できなかった戯曲『よりそう人』を、劇団で初上演した作品。
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
・「茄子娘」古典落語。茄子の精と和尚との不思議な邂逅と軽妙な会話を描く。演者は桂南楽。・「長屋の花見」古典落語。貧乏長屋の住人によるこっけいな花見の様子を描く。演者は桂銀治。・「対策は合言葉」自作落語。振込め詐欺対策で合言葉を考える母と息子の軽妙な会話を描く。演者は吉原馬雀。・「火焔太鼓」古典落語。貧乏な骨董商の夫婦がまさかの掘り出し物を見つける。演者は立川らく兵。
舞踏の誕生に深く関わった3人の舞踏家——土方巽、大野一雄、大野慶人の代表作を現代のダンサーが完全コピーする。踊り手の川村美紀子、川口隆夫、松岡大は、舞踏の精神を現代の手法で鋭く反応する、当代きっての3人。川村が土方巽の『疱瘡譚』、川口が大野一雄の『ラ・アルヘンチーナ頌』、松岡が大野慶人の『土方三章』を厳密に再現した。アーカイブ映像の慎重な分析と真摯な稽古によって、舞踏をいま・ここに引き継ぐ試みであ
あるニュース番組の内容が次々に改変させられる異様な状況を描いた『ザ・空気』( 2017 )、 国会記者会館の屋上を舞台に、日本独自の“記者クラブ制度”に着目し、メディアと政権の癒着に迫った『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』( 2018 ) に続く、“空気”シリーズの第三弾。再びテレビ局を舞台にした本作は、混迷を深める社会状況や現実の政治とシンクロさせ、今の日本の“空気”をリアルに体感させ
王冠を捨てた恋で知られるエドワード8世とシンプソン夫人、彼らと関わりを持っていたアドルフ・ヒトラーの関係を、認知症「レビー小体病」を患っていた晩年のウォリス・シンプソンの視点で描く。野心と後悔と愛、老と死、そして、戦争と平和を考える大人のためのラブストーリー。
全国初の県立劇団の門出を祝う祝祭劇。
地方都市。生きる希望を求め思い出の地へと辿り着いた青年・服部公平。かつて映画技師をしていた映画館は廃墟となり、街には行くあてのない孤児たちがいた。昭和24年1月GHQの提唱のもと、新少年法施行に伴い全国一斉に家庭裁判所が設立された。そして映画館は、新庁舎建設までの仮庁舎に。家庭裁判所としての初日。近藤判事は一枚の書類を目にする。やっかいな文字・・・窃盗傷害。連行されてきたのは、反抗的な目を持つ少年
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
太郎「ピリッとしたもんが食べたいな」次郎「カレーなんてどうでしょう」太郎「なんやそれ」時代は1905年夏。場所は大阪近郊、吹田村にある庄屋屋敷「浜家」の玄関。浜家の家族や奉公人を中心に、屋敷に出入りする村人や、各地を回る薬屋などの姿を活写する。その背景には日露戦争を機に国民国家へ変貌する日本の姿があった――
「もっと歴史を深く知りたくなるシリーズ」とは・・・教科書には載らないような歴史上の出来事を興味深く面白くエンターテインメントとして表現するシリーズ企画。第1弾企画「マルガリータ~戦国の天使たち~」は、戦国時代にヨーロッパへ渡った天正遣欧少年使節の生涯を描いた歴史小説「マルガリータ」(村木嵐著)を原作とする舞台。2014年9月27日(土)から10月5日(日)まで、EX THEATER ROPPONG
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
コドモ発射プロジェクト
予測不能な子供の閃きを元に、岩井秀人・森山未來・前野健太をはじめとする大人達が、右往左往しながら演劇作品に仕上げる、それが「コドモ発射プロジェクト」です。 野田秀樹の「子供の書いた台本をよってたかって演劇にすることはできないだろうか?」というアイディアから始まりました。 「ことば好き」の岩井、「からだ好き」の森山、「うた好き」の前野が集まり、 大人が描こうとしても描
劇団創立30周年
大化の改新は、謀略と殺戮のクーデターだった。中大兄皇子は、自ら槍を取って蘇我入鹿を刺した。真っ二つの天皇家が権力をめぐる争乱の中で繰りひろげる波乱のドラマ。
東京に、大きな空のあったころ。祖母から聞いた話と、祖父から聞けなかった話。その光と影を紡いで結ぶ物語。銭湯帰りに見上げる月を、ライカ犬を乗せた宇宙船スプートニクが横切ってゆく。この高台の町の片隅に、戦前から続く工業所を営む一家が暮らしていた・・。作者が自らの系譜を辿り、曾祖父母の人生をモチーフに創作。昭和四十四年の夏と、昭和三十三年の春夏秋冬を舞台に、戦後を生きた市井の人々を瑞々しく描く群像劇。
民主主義の理想に燃えた戦後。日本国憲法が生まれたその時代を伯爵家のクリスマスを舞台に描いた斎藤憐の傑作戯曲。オリジナル台本をもとに、丹野郁弓による新演出、客演の岡本健一をはじめスタッフ・キャストを一新しての上演。2018年三越劇場版の全国巡演。
日本の劇団羽衣は、東京下北沢の本多劇場で『人体』というタイトルの新作公演を行なっていた。しかしその公演は、次第に謎の存在に乗っ取られていく。謎の存在とは何か?人体を流れる血か!?人体に潜む愛か!?宇宙人か!?はたまた観客か!?今、人体たちの大冒険が始まる!FUKAIPRODUCE羽衣の妙ージカル『プラトニック・ボディ・スクラム』開幕!!表現活動や劇団員の生活の苦しみというディティールと、「ごっこ遊
「国家と芸術家」シリーズ
1920年代初頭に「乳白色の下地」という独自の技法を確立し、日本人として初めてパリで成功した画家、藤田嗣治。彼の人生の内、パリ時代(1913年~29年)と、日本に帰国後、トレードマークのおかっぱ頭を丸刈りにし、軍部の協力要請に従って、「アッツ島玉砕」等の戦争画の創作をしていく太平洋戦争時代(1938年~45年)を取り上げた評伝劇。
(フライヤーより)シュールでコミカル、遊び心に富んだ作品を発表し、フランス国内でも根強いファンをもつ異色の振付家ドミニク・ボワヴァン。1998年の初来日の際に好評を博した「ワタシなりのダンスの歴史」の改訂版をひっさげて再来日。”ダンスはどこから来てどこに行くのか”ダンスの起源からロマンチックバレエを経て現在にいたるダンス表現の目まぐるしい移り変わりを1時間のソロダンスで表現する。1994年の初演か
西洋、日本のさまざまな物語形式を取り入れ、日本人の奥底に眠る近親相姦的感情を浮かび上がらせた戯曲(1978年初演)を、“井上ひさし生誕77フェスティバル2012”の第七弾として上演された。平安時代の奥州・米田庄を舞台に、十五の夏に禁忌を犯した美しく仲睦まじい双子、稲若と日の浦姫と、二人の間に生まれた子供をめぐる数奇な運命を、井上ひさし流のユーモアを交えて描いた作品。
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語
1945年8月、朝鮮半島は35年の長きにわたる日本の支配から解放された。喜びに沸く半島で、在朝の日本人は大きな混乱に巻き込まれた。拘束され、裁かれる大日本帝国の公人たち。罪状は「支配の罪」。77年前、彼の地朝鮮半島で何が起こったのか?一人の日本人官僚の目を通して語られる「命の記憶」の物語。
戦後。「高度成長」の初め頃ー。村の人々は貧苦にあえいでいた。産まれたばかりの赤ちゃんが、昔ながらにコロコロ死んでゆく。雪深い山奥の村。医師に給料が払えない。「国保」係の高野は村を歩きまわる。滞納を整理できなければ病院がなりたたないのだ。無医村の恐ろしさを知っているのは誰よりも村の人々。だが、村の人々は金を払えない。八方ふさがりの村をどうすればいいのか。教育長、深田は考える。まだ封建色の強い家の中で
実在の人物である、文学者・医者のユダヤ系ポーランド人、ヤヌシュ・コルチャックの後半生を描く。第一次世界大戦後、ユダヤ系とポーランド系の孤児院を運営するコルチャック。その孤児院は、厳しい管理や強制ではなく、子ども達の自治を実践していた。子どもを一人の人間として尊重し、彼らの自治による世界を実現するという、革新的な彼の主張は、1989年に国連で制定された「子どもの権利条約」に生かされている。ナチスのユ
ガリラヤ領主ヘロデ。彼は妃の娘である王女サロメにただならぬ目線を向けているが、その目線に耐えられなくなったサロメは、自分のお目付け役である若いローマ人の男と関係を持つようになった。その逢瀬の際、預言者ヨカナーンの存在を知った彼女は、彼が閉じ込められている井戸に向かう。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて預言者を見てしまう。
目的のためなら手段を選ばない暴君と、権力の座に上りつめる新しい王。暴君を殺したのはいったい誰か───。シェイクスピアの歴史劇の面白さがぎっしり詰まったイングランド王リチャード二世の物語が、虚言・疫病・戦争に今なお翻弄され続ける現代を照らし出す。
アメリカの飛行士チャールズ・リンドバーグによる大西洋単独横断飛行の偉業を、ドイツの劇作家ブレヒトが取材した戯曲。アメリカ人飛行士が前世紀に大西洋を横断するという現代のタイの観客にとっては遠く離れた偉業を実感を伴った上演にするため、今を生きる6人のアーティスト(日本人2名、タイ人4名)が演出を行った。原作戯曲上で18に分割されたシーンのうち1~3シーンを各演出家が担当し、建物の中の一部屋を使い自身の
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
兄夫婦と弟は同じ家に住んでいる。妻への不信感から兄は弟に「妻と二人きりで一泊してきてほしい」と願い出る。そして、その間に起きたことを逐一報告するようにと。夏目漱石の『行人』のシチュエーションを借りて、変化していく三角関係の行き着く果てを描く。2016年Votage-2016 Kuandu Arts Festival参加作品。
時代が遺すは事実か真実か。吉良上野介、赤穂浪士、忠臣蔵...正義も悪も、世の中が変われば見方も変わる。歴史のからくりと人間のドラマが交錯する、現代(いま)をも鋭く切り取る物語が東憲司の手で再々演。討ち入り当日、密室でお犬様と炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介はどんな思いで首をはねられるまでの二時間を過ごしたのか。吉良の目線から、その知的な興味を駆使して語られるスリリングな舞台運びは、忠臣蔵のもう一つ
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
演出家の生西康典が、土方巽のテキスト「病める舞姫」と「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」を演劇作品化した。2人の演者はほとんど動かずに土方の言葉を発し、それらの言葉が地下空間を震わせていく。静寂、言葉、電車の走行音をはじめとした空間内の音。そのなかで震える身体。その揺らぎが見る者に伝わり、それぞれの異なる経験、あたらしい物語を生み出していく。本作では、その「揺らぎ」を映像作家の掛川康典が映像
劇団「柿喰う客」結成13年目に送る新作。13日の金曜日、恩師の13回忌に集まった美術系私立大学の同窓生13人を巡る物語が繰り広げられた。
喜劇昭和の世界三部作
『キネマと怪人』、『ブランキ殺し上海の春』と共に「喜劇昭和の世界」三部作を構成する。佐藤信は天皇制に切り込むべく、二・二六事件による戒厳令下の東京に架空の街を出現させ、阿部定事件を絡めながら昭和の終焉を描こうとした。なお、本作の巡業先だった沖縄での上演が不許可になり、裁判に発展した。これをきっかけに劇団は意識的に公有地を上演場所に選ぶことで全国の公有地を開放する運動をはじめる。
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。「TOUCH - ふれる - #2」は最終成果となる公演だ。キーワードは「グラデーション」。7名のダンサーが固有の身体を軸にユニゾンを踊る。音楽は内田輝。自作楽器を調律し時間を立ち上げる。衣装はYANTOR。手紡ぎ手織りの素材で、作品の世界観を支える。始まりも終わりもない作品。
清姫は、好きになった僧の安珍に再会の約束を破られ、彼を追ううち蛇に変身し、安珍の隠れた道成寺の鐘を巻いて焼き殺す。道成寺は和歌山県に現存し、多くの伝説がある寺。日本人はなぜこの物語が好きなのか? 「今昔物語集」や歌舞伎台本、郡虎彦「清姫」などの戯曲を編み込んだ、現代版のレビュー。
かつてとても美しかった谷があった。若い恋人たちや旅行者の多くが訪れたその谷は、しかしいつの頃からか若い恋人たちが生まれたばかりの自分たちの赤ん坊を投げ捨てに来る場所となってしまった。それも日に20体、30体という赤ん坊の遺体が投げ捨てられるようになった。あるときふらりと現れてその谷に住まうようになった盲目の老女リントリク。彼女は雨の日も嵐の日もただ捨てられた赤ん坊を拾い埋葬し続けた。最初は彼女の存
尾竹永子ソロプロジェクト「A Body in Places」
2014年から、尾竹永子は歴史家・写真家のウィリアム・ジョンストンとともに福島を訪れ、各地で無観客パフォーマンスと撮影を行なった。本作は、5回の旅で撮影された写真をまとめた約60分のビデオ映像を劇場の壁面に映し出しながら、尾竹がパフォーマンスを行なったプログラムを25分に編集したダイジェスト。彼女の身体を通して、震災後の福島の現在、歴史と環境という大きな問題が私たちの前に立ち現れる。
すれ違う愛情や嫉妬心、悲しみ、激情を古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」の幾多の登場人物からビーマとドラウパディという特徴的な人物を取り出し、古今東西に通じる男女の心の機微を、夏目漱石の「夢十夜」の形を借りて奏でる詩的で幻想的な作品です。
賃貸契約の一方的な破棄により、住む家をいきなり追い出されそうになる家族の物語。しかし人智の及ばない強大な力が見え隠れし始め、その問題自体が舞台上から消え去り———人間の世界を圧倒する存在が上演を支配し、まったく新しい世界が舞台上に立ち現れる。俳優たちはナラティブとは別の基準によって作られた振付を遂行し、次第に変態していく。音楽家もまた、楽譜に書き込まれた多彩な技法を用いて音楽を変容させる。6名の俳
日本が誇る浮世絵師、葛飾北斎。90年間の生涯で3万点を超える作品を残し、そのユニークな魅力は今でも多くの人に愛されています。今回わらび座の舞台では、生涯に渡って「生きる面白さ」を発見し続け、どこまでも納得のいく絵を求め描き続けた人間・葛飾北斎の生きざまを、日本発・オリジナルミュージカルとしてダイナミックに描きます。
東京裁判三部作 第二作
『夢の泪』は井上ひさしが新国立劇場のために書き下ろした「東京裁判三部作」の第2作目として、2003年に上演されました。「東京裁判三部作」は、01年『夢の裂け目』、06年『夢の痂』とともに、「戦争」そして「東京裁判」を当時の市井の人々の生活を借りて見つめ、「東京裁判」の、そして「戦争」の真実を改めて問うた作品群です。
2013年、大阪国際児童青少年アートフェスティバル2013 TACT/FESTにて、「子供の心が動く大人の作品」というコンセプトのもと“児童劇”として制作された演劇作品。飴屋法水本人と、パートナーであるコロスケ、そして娘のくるみの3名というリアルな家族によって演じられる本作は、ドキュメンタリーとフィクションの境界を行き来しながら、ある家族の朝ごはんの風景から始まり、やがて家は教室へと変貌する。生き
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
Tokyo Real Undergroundでアーティスティック・ディレクターを務める川口隆夫が振付・演出を手がけた新作。舞踏家・吉本大輔とコンテンポラリーダンサー・酒井直之。数世代を分かつふたりが、迷宮に棲む怪物を通して新たなダンスの地平を切り拓く。映像作家・鈴木章浩は単なる舞台公演の記録ではなく、’60年代のアンダーグラウンド・フィルムを思わせる映像世界へと誘う。―迷宮の奥深く暗いところで息を
日本を代表する幻想作家・泉鏡花彼の傑作であり、2019年に劇団グスタフで上演した「天守物語」と対をなす作品。シアターグスタフならではの舞台装置で山奥の苔むすような雰囲気を再現。わたなえベ佳英の脚色、演出家抱晴彦による演出、和楽器の生演奏で、新たな表現で泉鏡花の幻想世界の魅力を伝えるとともに、美しい日本語の響き、その魅力を伝えていく。【あらすじ】かつて妖怪と人間との間で交わされた約束が時を経て伝説と
謎の浮世絵師・東洲斎写楽。たった10ヶ月の間に、154点余の作品を残し、忽然と消えた東洲斎写楽、それは…誰?寛政6年(1794)1月。喜多川歌麿(小西遼生)の美人大首絵が大人気の江戸。己の絵で一儲けを企む男がいた。男の名は斎藤十郎兵衛(橋本さとし)。江戸・阿波藩蜂須賀家お抱えの能役者だ。ある日、友人・与七(東山義久・栗山航/Wキャスト)と共に繰り出した江戸の盛り場で、似顔絵描きと名乗る不思議な女・
もっと歴史を深く知りたくなるシリーズ第6弾舞台は、幕末に初めてアメリカの地を踏んだ日本人と言われ、その後の開国に大きな影響を与えた人物として有名なジョン万次郎の前半生を描く。14才の時に太平洋で遭難し、無人島で助けを待っていた土佐の漁師の万次郎は、偶然通りかかったアメリカの捕鯨船に助けられた。しかし、鎖国中の日本には帰ることが出来ず、そのままアメリカで暮らすこととなる。言葉も習慣も異なる地で、差別
世は南北朝時代、足利尊氏と新田義貞が天下をあらそう戦乱の時代。新田の家臣・塩谷判官[えんやはんがん]高貞は足利軍にやぶれ、降伏した・足利がうばった新田の財宝を返してもらうかわりに、塩谷は新田の愛人・勾当内侍[こうとうのないし]をさしだす。天下の美女を手に入れた尊氏の弟・直義[ただよし]は塩谷に心をゆるし、むほんのたくらみをあかして仲間にひきいれる。一方足利の重鎮・高師直[こうのもろのお]は、直義の
『小説神髄』『当世書生気質』で近代文学の誕生に貢献し日本初のシェイクスピア全巻完訳を成し遂げた巨人、坪内逍遙。しかしその人生は、挑戦と失敗の繰り返しだった...。江戸から明治へ。時代の狭間で、時に滑稽と笑われながら日本独自の新たな演劇の創造に情熱を燃やし続けた逍遙。彼の破れた夢の残照から現代を照射する!
こまつ座「戦後"命"の三部作」の記念すべき第一作。魅力あふれる新しい俳優を迎え堂々上演。