表示件数
大野一雄を世界的舞踏家に押し上げた代表作。1977年初演。「ラ・アルヘンチーナ」とはスペイン舞踊の革新者として知られるラ・アルヘンティーナ・アントニア・メルセのこと。大野一雄が1929年に帝国劇場でメルセの来日公演を見たときの深い感動が創作の源となっている。「頌」は讃えるの意。
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
セクシュアル・マイノリティとして差別される人々がいる一方で、傲慢さによって際立ち、美しさによって認められる人々がいる。年をとることは、衰え、醜さ、錆びつくことと同義ではない。この矛盾した二面性、内なる不調和こそが、物事を刷新するのである。ー岩名雅記
大倉摩矢子、初の長編ソロ舞踏。自身の幼少期の体験や母への想いを基に即興舞踏で体現。第35回舞踊批評家協会賞 新人賞受賞作。まるで穴の中でぐるぐるとまわりつづけているかのようなあれやこれやの堂々めぐり。そこから飛び立つ白い鳥。穴をうめようとすることよりも穴のまんまでいいんじゃないか。ただしその穴の優しい暗さに溺れてしまうこと勿れ。そんな微熱に毒薬を。
大橋可也&ダンサーズがドラマトゥルク長島確とともに2013年に始動したリサーチ型ダンスプロジェクト《ザ・ワールド》最終作品。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅰ
「あんず動物紀」シリーズ第一弾。他にも虫やワニなどが取り上げられることとなるこのシリーズでは、「この世とあの世の混沌とした暗い記憶から呼び覚まされる」動物たちの声を作品化している。1987年フライブルク(ドイツ)にて初演。ー若者の窮極の目的地は やはりあの居心地のよい火の焚かれた部屋。まっ先に飛んできた犬。窓の中には案外な偽善者。ー
50年にわたり舞踏家として活動している雪雄子の北国での生活を追う民族誌学映像作品。この映像は森と人、記憶から生命のかたちへの賛歌であり、森羅万象の宿る場で、日常の生活のなかから踊りが生まれる瞬間を記録したものである。2021年、米国地理学会や日本文化人類学会等で上映された。
櫻井郁也ダンス
レンジェル・メニヘールトの戯曲「中国の不思議な役人」から得た刺激により生み出された、性・生死・虚実・聖俗など様々な境界をめぐるソロダンス作品。舞台上では、ダンスの展開と同時に電子信号による通信が交わされ続ける。2000年に開催された第4回シアターXインターナショナルダンスフェスティバルにて上演。
1994年4月に始まった大野一雄全作品上演計画第1回公演「睡蓮」の追加公演。神奈川文化賞受賞記念。モネの「睡蓮」より想を得て、1987年6月にシュツットガルトで初演された。初演は、次男で共演者でもある大野慶人が全面的に演出した最初の作品。
サンパウロを拠点に活動する現代演劇のリーディングカンパニー「テアトロ・マクナイマ」のダンスシアター。テアトロ・マクナイマ主宰のアントゥネス・フィーリョと大野一雄とは、1980年にナンシー国際演劇祭で互いの作品に感動して以来、生涯にわたり深い交流があった。この作品は「大野一雄へのオマージュ」として、20世紀ブラジルの最も著名な歌手で映画俳優のカルメン・ミランダを通して、大野一雄の芸術を照射する。少女
日本の夏1960〜64
タイトルは、土方巽自身が自らの舞踏を表すアフォリズムとなっている。本作は、水戸芸術館での「日本の夏1960―64」の参加作品として、元藤燁子が構成・演出。1960年代前半期の美術における前衛活動を回顧する展覧会に、前衛美術家と協同した土方巽のオマージュとして発表。「肉体の叛乱」のフィナーレのシーンの巨大な写真パネルが吊られたエントランスのフロアで、元藤のほか、大野一雄、大野慶人らが踊った。
1986年にベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバル(主催:キュンストラーハウス・ベタニエン)への参加を控えた古川あんずのベルリン・フェス招聘記念公演。古川がベルリンに移住し、ブラウンシュヴァイク教育美術大学で教えるようになるのは、この5年後の1991年のことである。
第1回大野一雄フェスティバル(2004)参加作品。解体され再生中だったレストラン相生での特別公演。加藤郁也詩集『形而情學』による高井富子の「形而情學」シリーズは土方巽の演出で1967年に始まり、土方を始め大野一雄や笠井叡も出演した。
JADEフェスティバルの委嘱を受け、舞踏の創始者、土方巽の遺文集「美貌の青空」をタイトルに、土方へのオマージュを込めて創作されたKo&Edge.coの旗揚げ作品。
ガルシア マルケスの「100年の孤独」にインスピレーションを受けて創作された作品。また、少女時代、尾っぽのある人類が発見されたという記事を読んで膨らませた夢想とも重なり合っている。この有尾族最後の一人が100光年彼方の惑星に生まれていたらどうなるだろう。生まれた時から一人の人間は孤独を感じるのだろうか。孤独とはネガティブなものではなく、ユニークな唯一であることを引き受け、共同体を超えた宇宙とつなが
音楽の贈り物(ポトラッチ)
1985年3月から渋谷ジャンジャンにて行われたシリーズ「音楽の贈り物(ポトラッチ)」の第二弾。毎回様々なジャンルからの演奏家を招き、古川あんずのダンスとの共演を試みた。第一回は山下洋輔(ピアノ)、第三回は安倍圭子(マリンバ)、最終回には杵屋弥十介(三味線)が出演した。プログラム 1.ヒロシマのメンデルスゾーン / 2.アリババと40人の盗賊 / 3.シャーロック・ホームズの冒険
「キメラ」、「漂流教室」、「光の王国」のダンスビデオ作品三部作。白虎社は1987年9月にメルボルンのフェスティバルに参加、公演終了後にアボリジニーの聖地と言われる赤い砂漠等で撮影した。1987年東京国際ビデオビエンナーレにてグランプリ・ファンドを受賞。
(フライヤーより)詩、マイム、音楽、そして舞踏、現代の吟遊詩人による中世・ルネッサンスのスペクタクル
岩名雅記舞踏ソロ・1989ー1993年ヨーロッパ公演の記録。 ヘルシンキ:「即興」1993 / パリ:「すさび」 1989 (Espace Boris Vian)、「冷曲」1990 ・「光の肉」1991 (Théâtre des Amandiers)、「水引に胡蝶」1992 (Théâtre Montorgueil)、「しずがみ」1993 (Lavoir Moderne Parisien)
1983年の初演以来、1985年の東京公演では「<喧噪>や<愚行>を現代の視点でとらえ直す等の舞台芸術活性化への貢献」によって第17回舞踊批評家協会賞を受賞し、欧州ツアーでも熱狂的に迎えられた白虎社の代表作「ひばりと寝ジャカ」のオーストラリア初演。
ゲッティンゲンで開催された第一回マム・フェスティバルの一環として行われた。フェスティバルは一貫して、「舞踏とフリージャズ」をテーマとして例年開催、舞踏家、ジャズミュージシャンを招聘した。本作は、遠藤と高瀬、沖による即興的なセッション。
―もし、「舞踏」が舞台の上に現前だか、顕現だか、降臨だかしたならば喝采。未だかって、そのような舞踏の神が微笑んだ舞台にお目にかかった事はないけれど、こちらも手をこまねいている時間はない。神が愚図るようであれば、引きずり出すなり、燻り出すなりし、たとえ歪んでいようとも微笑んでもらはねばなるまい、それが舞踏への返礼というヤツだ。―プログラムより1971年に初の独舞踏公演を開いたその同じ場所で(当時は高
1994年に東京にて初演。96年に北米、ドイツ7都市で海外初演され、以後2007年まで海外の多くの都市で上演されている舞踏舎天鷄の代表作。「夜」をテーマに、さまざまな夢のかたちが、飛躍と変容に満ちた舞踏手法によって追求されている。
1999年からOguriとその妻Roxanneが続けているシリーズ「Flower of the Season」。その一環として上演されたOguriのソロ作品で、30年来のコラボレーターである作曲家のポール・チャベスも生で音風景をつくりだした。プログラムノートにはポール・ボウルズの言葉、「あと何回満月を眺めるか? せいぜい20回だろう。人は無限の機会があると思い込んでいる」が引用されていた。
白鳥と一緒に帰りたいと、思った。こう、こう、こう銀色の空の下聲の余韻が 静まり返った沼地に小さく 羽撃くー沼地へ私の躰を浸しに、私の躰を還しに。
舞踏の最初の作品とされる「禁色」初演から50周年を記念して、大野一雄フェスティバル2009にて同作を徹底解剖した三日間の第一夜。モダンダンス時代の土方巽と共演した小原明子をブラジルから招き、「禁色」前夜の情景を探った。アフタートークあり。
有科珠々舞踏作品
『ABSENCE (不在)』は、有科珠々が2005年にパリで制作した2人の出演者による舞踏作品です。2005年、ニューカレドニア・ヌメアのチバウ文化センター(Centre culturel Tjibaou)で上演され、同国初の舞踏作品としてメディアで話題になりました。全60分、二部構成。一部は有科珠々が演じる幽閉された古代の姫の孤独を描いたソロ。二部では保坂一平と共に、暴力と性愛の狂気を二人の身体
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
内省的なパフォーマンスに多くの支持者をもつ、佐藤ペチカのソロ新作。水槽を抱えて旧博物館動物園駅の階段を降り、地下空間で水と遊戯し、やがて大きな向日葵のオブジェをまとう佐藤ペチカは、幼虫から蝶へと変態して地上へ向かう。地上と地下、生と死、内と外の関係を変容させていく、静かなスリルに満ちた映像作品。
室伏鴻と山崎広太の即興バトル。舞台をリングに見立て、即興ダンスで競演する。当時苦境にあった山崎を支援する為に企画された歳末助け合い興行。
絢爛・KENRAN(即興)
この作品は、岩名雅記が居を構えるフランス・ノルマンディーにあるスタジオLa Maison du Butoh Blanc(白踏館)を舞台に、1998年から岩名によって始められ、毎年開催されたフェスティバル“Festival des Arts Danse Directe (’直接的ダンス’)“ にて上演された。岩名の最初の妻が治癒の見込みのない難病を苦に自死したばかりの時で、そのため「Y」へ捧げられて
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
人気コンテンポラリー・ダンサーの伊藤キムが繰り広げる秘密のパーティ、あるいは一夜の夢のようなパフォーマンス。伊藤ならではのユーモア、けれん味、アングラのイメージがエネルギッシュに炸裂する、見所たっぷりの49分の映像作品。伊藤キムとサックスの梅津和時の共演に加え、11名のダンサーたちが「東京令和アングラダンサーズ」として荒唐無稽に狂喜乱舞。
本作は、2020年12月、山﨑広太と西村未奈により、フロリダ州立大学、マギーアレシー国立振付センター (MANCC)にて共同で創作を開始した新作『幽霊、他の、あるいは、あなた』のワークインプログレス。自然の複雑で静的な世界の中で、二人の異なる歴史、知覚、細分化された内部の風景を受け入れることができるフラクタルで気象のような身体、そして老いる時間を調査する。
ガラス張りの劇場に沈む太陽と昇る月。《土地の記憶を吸う吸血鬼》をモチーフにしたパフォーマンスプロジェクト「ザ・ワールド」2017作品。東京オリンピックを直前に控え日々変貌する豊洲を舞台に、FALLING GOOD SUN、BAD MOON RISING の2作品を上演しました。1. 跛行者あるいは私たち出演:後藤ゆう、山本晴歌、田端春花、伊藤雅子、中原貴美子、秋山実優、高澤李子、高橋由佳2. 若い
大野一雄【赤レンガ倉庫】舞踏公演
横浜新港埠頭赤レンガ倉庫前の三号上屋にて総勢150人の出演者で上演された。曽我蕭白を始め、鰈や狼など多彩なイメージを花開かせながら、舞踏家だけでなく、音楽家や写真家、地元の合唱団までを巻き込んでの一大スペクタクル。映像はフル・バージョン。
ヘルシンキ市立ダンス・カンパニー委託作品。古川あんずは同カンパニーからの委託で1994年には『春の祭典』を、1995年には『KEPPI(杖)』を振付けている。本作では、アマゾン河で見た色が交わらないまま流れる水やアフリカの女性が壺に朝露を集める姿、ヘルシンキ沖の凍った海など、古川に印象を残した様々な「水」の体験が下敷きとなっている。Act1退屈した男 / 心の誕生 / 隻手音声 / 水の神話Act
川口隆夫による「舞踏についてのコンセプチュアル・パフォーマンス」。大野一雄の代表作の公演映像から、その踊りを完全コピーする。コピーに徹する川口のパフォーマンスが逆説的に大野一雄のダンスの魅力、スケール、謎を照射し、その反射光が川口隆夫というアーティストを輝かせる本作は、2013年の初演以来世界38都市で上演、2016年にはベッシー賞にノミネートされるなど大きな注目を集めている。本作は2021年6月
大野一雄の最も古い弟子の一人である上杉満代が踊る、第1回大野一雄フェスティバル(2004)参加作品。踊りは神奈川県立歴史博物館玄関前から始まり、舞姫はおびただしい数の大野一雄の衣装が吊り下げられている旧富士銀行(BankART1929 馬車道ホール、現東京藝術大学大学院)へと運ばれる。
遠藤は1970年代に渡欧し、マックス・ラインハルトセミナーに学び、以来長年ドイツと日本の二拠点で活動している。本作は東北大震災直後の日本に寄せる思いを作品化した。自然災害としての地震、人災としての原発事故、そして人々の悲しみと再生への希望が語られる。2012年10月、ハノーファーのTheaterwerkstattで初演。
複雑な人はなんでもない顔をしている。優しさゆえに心の傷を隠し、自分に嘘をついて暮らす人たちが自由を獲得するまでのいくつかの形を、個性ある登場人物たちで描く。曖昧な自意識で生きる華子。夫を介護する愛人。踊る愛人の娘と友人。生きる意味を探す息子。この家族がホームレスの協花と出会うことで変わる、家族の解体と再生の物語。女性の自由を奪う見えない抑圧に輪郭をひき、個人の尊厳が守られる新しい共同体の姿を探す。
土方メモリアル
舞踏の創始者<土方辰巳>の初期の軌跡を巡る総合企画。当時の貴重なフィルム作品の上映、舞踏の黎明期をともにしたゲストを迎えてのトーク、そして舞踏公演。土方巽へ捧げるオマージュ。エドガー・アランポー原作の『大鴉』は、30数年前土方が振付した元藤とのデュオ作品。公演直前に元藤が妊娠、待望の赤子と引き換えについに上演されなかった幻の作品。代わりに土方は誕生した我が子に「大鴉」と命名した。当時、土方はフォー
舞踏の誕生に深く関わった3人の舞踏家——土方巽、大野一雄、大野慶人の代表作を現代のダンサーが完全コピーする。踊り手の川村美紀子、川口隆夫、松岡大は、舞踏の精神を現代の手法で鋭く反応する、当代きっての3人。川村が土方巽の『疱瘡譚』、川口が大野一雄の『ラ・アルヘンチーナ頌』、松岡が大野慶人の『土方三章』を厳密に再現した。アーカイブ映像の慎重な分析と真摯な稽古によって、舞踏をいま・ここに引き継ぐ試みであ
本作品では、グーチャ・マライーニ「ひつじのドリー」をモチーフにして、身体至上主義、コンテンポラリーダンスならではの、ダンスカンパニー「ブッシュマン」ならではの、「血と汗と土の匂いがする」作品創りに取り組みました。「ひつじのドリー」において、創作のヒントにするのは「クローン」や「アイデンティティーとは何か」という点、生命の定義とは何かを考えました。
アジア・トライ
福岡を拠点にする劇衆上海素麵工場の作品の中で、上杉満代が振付と自らのソロを踊っている。本公演は大野一雄フェスティバルの一環として、アジア的祝祭をテーマに開催する「アジア・トライ」のプログラムとして上演された。上杉は敢えて車椅子で登場するなど、師大野一雄の姿も彷彿とする。
「Curious Fish - 奇妙な魚」は2001年、サンフランシスコ舞踏フェスティバルにて初演。その夏のエジンバラ・フェスティバル・フリンジで5つ星を獲得した。このダンス作品は水俣病と水銀中毒に着想を得ている。1970年代、日本では多くの場所で高度経済成長が引き起こした深刻な環境汚染に見舞われていた。ひどい悲劇の中、特に河や海は奇形の魚であふれた。猫や犬や鶏はそんな魚を食べ、死のダンスを踊った
ダンスがみたい!
「ダンスがみたい14.崩れる身体」参加作品。彼岸と此岸の間に揺れる男女のデュエット。2013年鳥居えびすの急逝により、本作は鳥居と田中陸奥子の最後のデュオ作品となった。
(フライヤーより)身近な題材から進化に迫る、優しいユーモアをたたえた舞台ー演劇ジャーナリスト 九鬼葉子
今貂子KYOTO舞踏館上演作品
KYOTO舞踏館は、歴史的な土蔵を改造して、定員8名の舞踏専用劇場として2016年7月開館。「秘色」はKYOTO舞踏館上演作品として、こけら落としの初日から毎週木曜のロングラン公演を続け、国内及び世界69か国から訪れた観客は間近で生の舞踏を体感した。新型コロナ感染症の影響で、2020年4月より休演。公演数はそれまでに378回を達成。映像は、無観客で2021年5月9日に収録された。
写真家・八木咲との共同制作作品。写真家とのライブセッションや、写真家自身プロジェクターを手に、空間に映像を投影したりなど、さまざまな仕掛けで舞台上に流れ続ける時間を「瞬間」に捉え直す。その行為は、まるで、過去と現在そして未来を少しずつずらしながら体験する時間旅行のようでもあり、観客はいつの間にか、自分自身の身体がカメラになったように、その空間をおもいおもいに切り取り始める。新しい「体験型」のダンス
自らの身体と向き合いながら唯一無二の表現を創り上げてきたハンディキャップのダンサーと、エクスペリメンタル/ジャズ/ポップ/ワールドほか様々なフィールドで活躍する音楽家が1対1で対峙した舞台公演。「障がい」とは何か?私たちを分け隔てるものは何か?私たちが多様性と呼んでいるコトの姿とは?パフォーミングアーツが提示する、ダイバーシティーの現在形。
暗闇に「肉市」の文字がジワジワと燃えて始まる。客席から盲目の老婆をさらい舞台で三味線を弾かせ、華麗に舞う石井。その後、黒子4人に抱えられ妖しいストリップを披露する。大きな布を覆った獅子舞の如き怪物が舞台を旋回。狂気の石井が大鎌を振回し枯れ草男の正体を暴く。鉄兜を被った男を電気グラインダーで研磨し、火花と黄燐の鬼火が暗闇の世界を彩る。最後に出演者をステージ上に並ばせ、石井の感謝の舞いでフィナーレ。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
「コノ作品チョッとヤバいかもしれない。構成上「全裸」の景を置いた。完全な「真っ裸」、ものの勢でそのような仕儀と相成ったが、草月ホールに迷惑係らなくて「ホッ!」とだったかもしれない、イヤそんな事すら考えていなかったろう。今にして憶えばの話。」(武内)武内靖彦独舞集成・踏業22周年記念リサイタル。40周年には、同じく「舞踏よりの召喚」と銘打って記念リサイタルを開催した。
秀島実の6場からなるソロ舞踏公演。第6場の「O氏」は舞踏家の大野一雄のことで、秀島は1976年に完成した大野の映画「O氏の死者の書」に出演している。構成:Ⅰ 父の方向にⅡ 私は喜んで貰おうと思ったⅢ キャンディ キャンディ キャンディⅣ 南極ののペンギンⅤ 高田永子さん考 -トワのホホエミ- Ⅵ 「O氏と私」
大野一雄全作品上演計画第4回公演。初演は1981年、土方巽演出。1995年の再演では大野慶人が演出し、劇場空間全体を母の胎内と見立てて舞台上にも客席を配置した。「胎児の夢」「宇宙の夢」「母の見た白晝夢」「鰈のダンス」「愛の夢」の五部構成。
1933年に発表された谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』は日本の美意識を探求した書として今尚、世界各国で翻訳されて読み継がれている。本作では、舞踏家の身体と精神に潜む陰影の美しさを蝋燭のたゆたう炎に照らし出すことで「暗闇の中から発見する新たな身体」をテーマに浅井信好がソロパフォーマンスとして上演。
さあクイズです。次のうち、心臓のないものが5つあります。どれでしょう。銀杏の木 / トマト / 幼虫 / ミミズ / 小夜啼鳥 / ホモサピエンス / サバ / オウムガイ / きのこ / 蛸 / 象 / ウイルス / 蜂 / あんず1941年、東條英機が「撤兵問題は心臓だ」と言った年、私の母は12歳。1965年、ベトナムはリベラリズムの心臓だとジョンソン大統領が北爆を始めた年、私は12歳。198
白虎社のイメージビデオ作品「ミラクルレポート」。ディレクション・編集は、ビデオアーティスト邱世原(きゅうせいげん)。「グルメ狂時代」、「ギガー」、「アリス」、「チャイナタウン」の4部作で、1986年の台湾ツアーの際に撮影された。
大野一雄の代表作。1981年初演。西洋料理を得意とし、琴をよくしたモダンな母親の想い出が核となっている。プログラムには、幼い子供達を亡くし拝む母のこと(「花電車」)、死の床にある母の言葉(「遺言」)などのテキストが掲載され、具体的なモチーフを伺い知ることも可能だが、舞台上の動きは抽象的である。作品中に登場する「おぜん」は、母を象徴している。
(フライヤーより)詩、マイム、音楽、そして舞踏、現代の吟遊詩人による中世=ルネッサンスのスペクタクル
出前芸術体 ーアートボデックー
日本のグランドキャバレーを模した香港のナイトクラブ ”ボルボ” における、白虎社の「出前芸術体」による「ミラクルレポート」スペシャルライブショー。白虎社が公演活動と並行して行っていた「出前芸術体」は、結婚式から一般家庭の誕生日パーティ、コンサートやCM出演まで場を選ばず、「舞踏」のイメージにとらわれない「よりスリリングな見世物(パフォーミングアーツ)」を目指して、「からだ」と「芸術」を出前した。