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青森市内にある県立高校合宿所。3年2組のサマーキャンプ。2泊3日の学習合宿である。館内で「ともこを見た」という女子が早退する。ともこは学校の屋上から転落死したクラスメート。サマーキャンプは騒然となるのだが……。
2012年、チェルフィッチュと岡田利規は、また新たなそして重要な変化の局面を迎えることとなりました。2011年3月11日に起きた東日本大震災とその後の原発事故によって大きく変わってしまった日本の社会状況に影響を受け、変化した岡田自身の演劇に対する態度が、まぎれもなく本作品に反映されています。不吉な雲と、村が破壊するという噂。噂を信じるのか、信じないのか。状況に対して変化するのか、しないのか。「村」
都内郊外マンション。住人は城田兄弟、兄トモユキ。弟アユム。兄には知的障がいがある。弟の口利きで、兄弟ともに工場で働き、弟の恋人の舞子や幼馴染の西の協力を得て兄弟は平和に生きていた。アユムと舞子は彼女の両親に結婚の挨拶に行くが、兄の障がいを理由に反対される。兄の誕生日。工場の皆や友人を交えての誕生日会。その日、トモユキが施設に入ることが出席者に露見。弟は周りの人間から糾弾される。
(フライヤーより)「黒蜥蜴」とは妖気の黒ビロードの上に純愛のダイヤがきらめく推理劇であるー三島由紀夫ー
戦後、復員してきた松尾大吉(六角精児)が妻・弥生(冨樫真)の元に帰ると、そこには二人の女・番場(秋野暢子)と小梅(川島なおみ)が居候していた。しかし、弥生たちは大吉が死んだものと思い込み、既に葬式もあげてしまっていた。その上、弥生が本当に待っていたのは戦争のどさくさで結婚してしまった大吉ではなく、番場の息子・裕介だった。立場のない大吉を目の前に、裕介の帰りをそれぞれの思いで待っている番場と小梅と弥
認知症の父がひとり残されたい家。兄はその家を売却し父を施設に入れようとするが、そこには死んだはずの弟の霊が棲んでいた。石川を舞台に、片付けられない家と感情を描く静かな物語。
いのちのかたりつぎ 〜色とりどりの物語がつむぐ、震災のこと〜
津波に飲み込まれていく車を運転する男とAI搭載のカーナビゲーションとの最後の会話−震災直後の壮絶な緊張感の中で消え入るいのちの灯火。被災地で生まれたラジオドラマ作品を、3.11を描いた作品に向き合い続けた表現者たちが結集して舞台作品に昇華させた。時間が経ったからこそ向き合えることを、改めて言葉にして次の世代へ語り継いでいきたい。
いつの時代だって、若者の言葉は『乱れて』いた。いつの時代だって、それを許せないオトナがいた。新旧世代の葛藤をコミカルに描きながら、現代日本の言語状況に迫る知的コメディ。「見れる」「来れる」「食べれる」……日本語の乱れの象徴としてよく話題になる『ら抜き言葉』。現代の若者の話し言葉の乱れを題材にしながら、言葉と生きる姿勢の深いかかわりに着目した傑作喜劇。
その外見から疎まれ続けたリチャード三世は、饒舌な語りによって周囲を惹きつけ権力を手にするものの、王座に上り詰めた途端その言葉は力を失う。本作ではリチャードを、形を持たず移り変わっていくものとして描き、どんな時代にも現れる言葉巧みな為政者の姿を浮かび上がらせる。「台詞を語る俳優の身体」は、「何者にもなりきらない」能という演劇の形式を借りて、リチャードを現代に描き出す。約100年前の坪内逍遥訳で上演。
お笑いのライブで知り合った楠木と菖蒲は、互いの友人を誘って親交を深めて行く。二人の紹介で知り合ったシトロネラとヒソップは恋に落ち、ほどなく結婚式をあげるが、その直後シトロネラは水を飲むと湖になってしまうという奇病に侵される。二人の闘病生活は次第に疲弊しついにシトロネラに死の宣告が訪れる。ボリス・ヴィアン作『うたかたの日々』を大胆にアレンジしSF的世界観をシュールな舞台表現で描いた乱舞する愛の讃歌。
平和は言葉を作り、「笑」を生む。戦時中の人生体験は独特の日本の話芸を生んだ。戦争の苦労はなんのその、落語三昧に生きた話芸の天才二人の生き様とは?円生と志ん生、共に「昭和の名人」といわれる域まで芸を作り上げた噺家。リズムとテンポで軽妙な芸を得意とする兄弟子の志ん生と心に沁みる人情話を得意とした円生。性格の違う二人は戦時中の大連巡業から、戦後の生き方まで常に一緒、笑いとともにその奇想天外な行状行脚が史
2016 年日本社会に衝撃を与えた知的障害者を狙った大量殺人事件から作者が感じたことを出発に創作された。優生思想、老い、をテーマに現代社会の価値基準を問う批評性を持った作品。タイトルの「妖精」は「みえないもの」の隠喩。社会のなかでみえないようにされているものついての問題集である。一部は落語、二部は音楽、三部はセミナー、とそれぞれ異なったスタイルの三部から構成され、主に一人の俳優によって演じられる。
教会の待合室。大きな窓ガラスがあり、葬儀の様子がよく見える場所。そこに集まった4人の女たちは、それぞれが亡くなった男の彼女だった。粛々と葬儀は執り行われていくが、待合室での女たちはそれとは関係なくそれぞれの世界を独走しはじめる。一人一人が違った悲しみをまとい耐えながら、それでも男が死んだ現実を咀嚼するように受け入れようとしている。しかし、受け止めきれない女もいる。死んでもなお依存し続けることで生き
(フライヤーより)寄せては引き悠久の時を刻む海の波… 永遠と刹那、光と影ーアドリア海に臨んだ水の都「ヴェニス」を舞台にしたトーマス・マンの名作が男性だけの俳優集団スタジオライフにより、今夏、劇空間に甦ります。
ローマの隣国ヴォルサイとの戦いで、都コリオライを陥落させた将軍ケイアス・マーシャスは、コリオレイナスの名を与えられる。しかし、民衆への軽蔑を隠さない傲慢の前にその武勲も色あせ、ついにコリオレイナスはローマを追放されてしまう……。ロンドン五輪を記念して開催されたワールド・シェイクスピア・フェスティバルの一環として、ロンドン・グローブ座からの依頼で制作された地点初のシェイクスピア劇。
(フライヤーより)それは、地球の上から学校というものが姿を消してしまった時代。子供たちの教育は、すべてパソコンによって行われていた。レミは中学二年生。パパとママとオバアチャンの三人と暮らしている、ごく普通の女の子。そんなレミの家で、ある日、とんでもない事件が起こる。変わり者のオバアチャンが、街の古道具屋でアンドロイドを買ってきたのだ。それは、一〇〇年前に作られた、理科の先生。名前はケンジ1996。
「あの木は誰よりも知ってるのよ。ベイカー家の秘密を」。二人の女性の友情を軸に、慈悲なき世界で秘密に翻弄される人々を巧みにコラージュ。人生を超えた視点から生の営みを俯瞰する、ケラリーノ・サンドロヴィッチ会心の年代記、再び!ずっとずっと昔の良き時代。狼に襲われた少年を救い上げた伝説を持つ楡の木を、取り囲むように建てられたベイカー家の館。ここに住むのは楡の木に助けられた少年の息子で、今は銀行家のウィリア
『K――カフカと恋人たち』は、阿部日奈子の詩集『典雅ないきどおり』に収められた作品「K」を基盤としながら、カフカの小説、日記や書簡の断片を自由にコラージュする形で構成され、カフカと恋人たちの不思議な愛の「かたち」、男女の権力関係が探られた。舞台世界の表出は、物語や文学の再現ではなく、強度のある〈声〉や身体表現が駆使され、現代詩、舞踏、現代演劇、現代美術の思い切ったコラボレーションとして行われた。
舞台は大正時代。新潟市内の竹山病院産婦人科医長:荻野久作の診察室。そこに一人の女性:とめがやってくる。久作の見合い相手として病院に呼ばれたとめは、当時としてはかなり背が高いが、一目見るなり久作は彼女の虜になってしまう。しかし、診察以外では女性と何を話していいのかわからない久作は仕事のことしかしゃべれない。飾らぬその人柄に惹かれたのかまんざらでもなさそう。そして久作はプロポーズ。しかしその言葉は「僕
(フライヤーより)あなたの忘れていた「自画像」をお返しします。
数年前、映画館で海賊版制作者を捕まえた岡は監督を志し、俳優の相葉とのモキュメンタリーを撮影する。彼らはハートランドという店に立ち寄り、そこで様々な人々と出会う。しかし、店の様子が変わっており、岡は須田という人物がそこにいることを知る。欲求と不確かな存在を描く一夜のフィクション。
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
金子鈴幸が約一年半ぶりに作・演出を手がけた新作公演。2022年の日本においてどのような物語が【有効】なのか?という問いを出発点に、人間の持つ「どうしようもない部分」に光を当てるような作品となっている。とあるラーメン屋の店主、まさこ。彼女はラーメン界でも「元アイドル」という異色の肩書きで営業していた。「究極の一杯」を探求し、ラーメン道を日々邁進する彼女。その日もいつもと変わらない一日のはずだったが…
西瓜糖第9回公演
昭和40年代の東京 文化人類学の教授である城戸崎裕介(中尾)は妻・志穂(山像)娘・裕子(磯部)と平穏で暖かな日々を送っていた。そこに不意に訪れた輝くばかりの田舎の青年、坂幹人(三津谷)。そしてまた、導かれるようにやってくる一人の女――澤野麻巳(奥山)。一つ屋根の下に集う者たちの糸が、少しずつ少しずつ絡まりだし、不協和音を奏でていく……。
レパートリーシアター
不幸な主婦スーザンは、理想の家庭を夢想していた。と、美しい彼らが現実に現われ……。エイクボーンがトリッキーに描いた、中流家庭の主婦の狂気にいたる過程は、現代のわが国の多くの専業主婦の精神病理と重なっていく。劇団キンダースペースの瀬田ひろ美を中心に送る、夢とウツツの入り混じった二時間。この喜劇は、あなたの脳も壊すかもしれない。
大人気覆面マンガ家・夢宮鈴世が亡くなった。連載中の『スパ戦士グローカスの娘』が多額の制作費・宣伝費をかけて配信されるのを直前にして担当編集者・大庭津奈子は死因含めその事実を伏せ、チーフアシスタントだった申徹に夢宮鈴世として描き続けるよう依頼する。申徹は夢宮鈴世として描くことを了承する。大庭が元漫画家のフーコー三原だったことが露呈する。申徹の作家としての実存性と、出版や創作をめぐる構造が対立する。
音楽の手法でのマッシュアップは、異なる音源からトラックの一部をそれぞれ取り出してミックスし、一つの曲にするものである。本作は、短篇シリーズ『図書館的人生』で今まで上演されてきた『青の記憶』、『輪廻TM』、『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』、『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』、『東の海の笑わない「帝王」』、『いずれ誰もがコソ泥だ、後は野となれ山となれ』の六篇を使ったマッシュアップ。過去現在未来に存在する
夏目漱石の名作「坊つちゃん」の主人公に、モデルはいるか?それは誰か?漱石自身か?「吾輩は猫である」の猫たちが「坊つちゃん」の登場人物に扮して 解き明かす 文芸探偵ドラマ!
独裁政権下での人間の尊厳と正義を描く、チリの劇作家アリエル・ドーフマンの名作。1990年に発表されて以来、そのセンセーショナルな展開が世界中に衝撃を与え、今もなお繰り返し上演されています。演出家・弦巻啓太が若い頃から取り組みたいと熱望していたこの問題作を、2023年、青井陽治氏の翻訳でついに舞台化しました。
世田谷シルク第10回公演
シーンは自殺した両親の葬式から始まる。その死因を探る委員会。残された盲の姉と弟は、両親が旅行者から借りたという金を返済していくことになるが、その最中に弟は若い女に出会い、自由を知る。また殺人を犯す。親類や町の人々は奇妙な親切心で刑務所の弟を援護するが、思い通りにならないとわかると激怒する。社会とその外側の世界を、孤独とともに舞台化。
沈黙と禁忌を破った娘は、ついに王を訴える。恋人が加勢し、侍従が引き止め、一般人が乱入し、王は思い悩む……これは混線するリアリティショー? それとも繰り返し再生されるテープレコーダー? 第63回岸田國士戯曲賞受賞作『山山』に次いで松原俊太郎が地点に書き下ろした本作のテーマは、「天皇制」。本作はコロナ禍にあって劇場での鑑賞を前提とした〈劇場版〉と〈オンライン版〉の2バージョンが制作された。
気高き城の薔薇よ…私に眠るディオスの力よ…主に応えて今こそ示せ!〈薔薇の花嫁〉〈未知のデュエリスト〉絶対運命黙示録のリズムにのせて天上ウテナが剣をとる。世界を革命するために―⁉世界の殻を破壊せよ!天上ウテナが、姫宮アンシーが、魔界の百万の剣士と戦う!人気アニメ映画版公開直前に夢の企画が実現。月蝕歌劇団が舞台化!
竹生企画第四弾
竹中直人×倉持裕×生瀬勝久竹生企画第四弾新作公演2025年11月本多劇場にて上演決定!「終わり」がちらつく小惑星の衝突によって世界が滅亡すると発表されてからしばらく経って、だったらこれまでしてこなかったことをして生きようという者と、これまでと変わらず生きようとする者とに分かれ、それぞれ別々のブロックで暮らすことになる。舞台は後者のブロックにある一軒家。滅亡までは約三年。「終わり」が目の前をちらつく
第二次世界大戦後のイギリス。エニグマと呼ばれる複雑難解なドイツの暗号を解読し、イギリスを勝利へ導いたアラン・チューリング。しかし、誰も彼のその功績を知らない。この任務は戦争が終わっても決して口にしてはならなかったのだ。そしてもう一つ、彼には人に言えない秘密があった。同性愛が犯罪として扱われる時代、彼は同性愛者だった。ある日、空き巣被害にあったチューリングの自宅に一人の刑事がやってくる。あらゆる秘密
英国演劇界の寵児、サラ·ケインの遺稿となった戯曲を飴屋法水が演出、ホーメイ (喉歌)歌手の山川冬樹と様々な国籍の職業俳優ではない役者と共に作り上げた舞台。劇場の観客席が今作の舞台。それと対面して、いつもの舞台上には特設の観客席が用意されており、ダークな照明の中、舞台前面では血のように赤いプールの水が滑らかに光っている。11人の役者たちはケインの詩のように書き連ねられた言葉を、彼らにとっての外国語=
東京都のゴミ収集袋に指定がなく,中身の見えない黒いゴミ袋が全盛だった1990年。うち捨てられた失踪中の弁護士、ゴミ収集を生業とする者たち、夜ごと集まり「パパ」と呼ばれる初老の男にゴミを届ける娘たち、娘を探す夫婦・・・ビルの谷間の高架下で出会った孤独な魂が、救済の雪を待望する。同時に「不特定多数の娘を持った『リア王』の物語」として、フェミニズム問題をも視座に入れたシェイクスピア作品への新解釈を示す。
本公演は俳優・崎田ゆかりが俳優とは何か、劇場とは何かを探究するために立ち上げた演劇企画「劇場」シリーズの第2作として上演された。使用テキストは『少女仮面』アングラ演劇の寵児・唐十郎。実在した宝塚男役スター春日野八千代が登場し、舞台に疲れた春日野八千代が、少女・貝との交流から変化する様が描かれる。演じるとは何か、自分は何者なのかというというを通じて演劇そのものがテーマとして扱われている。
(フライヤーより)西暦2500世紀の超未来、考古学者が空中からある化石を発掘する。それはその時代すでに姿を消していた「演劇」というものの化石であった。考古学者は「演劇」の復元を試みる。’89年初演の名作『ゆるやかなトンビリラロの身だしなみ』を題材にした新作。1つの舞台上に複数の演劇、ダンス、パフォーマンスが併存する独自のスタイル→《ハイパー・コラージュ》を用いて、「演劇」そのものを「演劇」にします
【Story】「風景画」は、ある場所に俳優と観客が参加する三次元の絵画です。「風景画」は、幾何学的風景論です。「風景画」は、身体的風景論です。【Note】維新派は、野外に仮設の劇場を建て、膨大な量の美術装置を使って多くの公演をしていましたが、「風景画」では、大がかりな劇場や装置は作らず、俳優の身体のみで深く風景に関わることをテーマにしました。「風景画」の最初の舞台となったのは、犬島の、現在は使われ
なにが正しくて、なにが間違っているのか。誰かの記憶か、いつかの夢か? 記憶が曖昧で、分からない。この光のない小さな部屋の外に、本当に世界はあるのだろうか…。何もかも“記録”することで薄れていく“記憶”や、モビリティが高くなりあらゆる境界線が曖昧になっていく社会、そして自分がいる世界から脱することのできない閉塞感やその中で生きる人間像を、光のない小さな部屋に閉じ込められた3人により描き出す。
日印友好交流年記念事業として、範宙遊泳とThe Tadpole Repertoryが国際共同制作。よくあるとある街を舞台に、見知らぬ6人が、自分自身に、そして互いに向き合いながら、自分の居場所を探して時を織りなしていく。欲望と病、愛と寂しさ、影ある過去と霧がかる現在(いま)。そこにある事実はただ一つ、ここからは逃げ出せない、ということ——。
【あらすじ】舞台は南三陸沿いにある古ぼけた理髪店。夜の7時過ぎ、営業を終えた店内で、従業員の佳子が店主の倉田の髭を当たっている。佳子がこの店で働くようになって一月半、倉田にとって彼女の存在が密かな喜びとなりつつあった。佳子と二人きりで過ごすひとときに、胸がいっぱいの様子だが、店の外は濃い霧が立ち込め、何かが起こりそうな予感...。するとそこに、店の扉を開け一人の男が入ってきた。霧が晴れるまで休ませ
―これは井上ひさしが愛してやまない日本語に、不思議でかわいらしく、輝くような生命を与えてくれた、ある岩手花巻人の評伝劇―詩人にして童話作家、宗教家で音楽家、科学者で農業技師、土壌改良家で造園技師、教師で社会運動家。しなやかで堅固な信念を持ち、夭逝した宮沢賢治。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」そう信じた宮沢賢治が夢見たイーハトーボは果てしなく遠かった。
何回も言うけど、政治の話じゃねぇんです。■ものがたりファシズム再来の新日本帝国。そこでは一切の表現活動が禁止されていたが、アル中を中心に構成された反体制グループ「山崎」の人々は、収容所に送られることを覚悟でショーの準備を進めていた。しかし仲間の密告によりショーは開演直前に一斉検挙、バレエを踊り続けたリーダーの妻は殺されてしまう(第一部)。特効警察の施設で体制側に協力する元「山崎」の主要メンバー。仲
電話や鍋など、さまざまな日用品=遺品を土で固められた舞台(能舞台を模している)に置き、語りはじめる五人の女優たち。彼女らは、イェリネクのテキストを舞台上で「伝達」しようとしているのだが、その試みは互いの突っ込みや言葉の奪い合いにより、うまく運ばない。「上演は失敗する」という印象的なフレーズと、不自由そうに発せられる「ペンも紙も失ったので、言葉を記録し、それを誰かに伝えるためには、ただこうして、頭で
日本・セルビア演劇交流プロジェクト
【日本初演、五人の俳優、十五人の登場人物、三つの愛の物語】かつては希望の象徴だった町。そこに集まった三世代の男女5人。信じていた全てが崩れ落ち、都会の無秩序な繋がりの中、愛に飢え、自分の居場所もない。それでもなりふり構わず人生に挑み続け、辿り着いた先に見えた世界は、天国か地獄か!? 紛争後のセルビアそして世界の「リアル」を描いた、セルビアン・ブラック・コメディーを本邦初訳で日本初上演。
父が死んだ。「死んでしまえ!」と何度も思ったあの父が、医療ミスで死んだ。医者として最先端技術に邁進していた父。その死に対して意外にも浮かぶ無念の思い。父と母の出会いから別れまで一つの夫婦の物語を岩井は見つめ直す。父は何を信じ、母は何を信じていたのか。生きる意味とは何か。なぜ一緒に生き続けたのか。人と人が共に生きるとはどういうことなのか。たくさんの記憶と出来事を辿るその先に答えは見つかるのだろうか。
色彩シリーズ
震災から10数年後の宮城県沿岸部にある「海の見えるホスピス」で余命宣告を受けた人達が命を見つめる、死と再生の物語。
日本を代表する芸術家 岡本太郎。その父親にして明治初めに一世を風靡した漫画家 岡本一平と妻 岡本かの子の奇妙な愛の物語。 明治四年、当時新聞記者でもあった岡本一平はロンドンで行われる海軍軍縮会議の取材の為、家族全員で豪華貨客船「箱根丸」に乗り込みロンドンへと旅立った。取材を兼ねた家族旅行、だがその裏で一平はある思惑を隠していた。それは愛する妻かの子を殺す事だった――
(フライヤーより抜粋)さつき荘は古い。何人もの住人が入れ替り立ち替わり、七つの部屋を通りすぎていった。学生、サラリーマン、新聞配達員、浪人、占い師、片目の運転手、手品師、宗教屋、世間のダニ、酒屋の店員、花屋の店員、プータロー、等々……そして今、九月。さつき荘には、六人の男達が住んでいる。
2015年の国勢調査で日本の人口は初めて減少に転じた。人口減少により行政サービスが満足に行えなくなった自治体とその住民の「ふるさとの存続」をかけた悪戦苦闘の日々を描く。今後、日本各地で深刻な問題として直面するであろう「自治体消滅」について、その現状と行く末、またその対策を考える古城十忍のオリジナル作品の再演。メインキャスト10名に一部ダブルキャストで上演する。
『父と暮せば』で原爆投下後のヒロシマを描いた井上ひさしが、桜隊の史実をもとに原爆投下直前の広島の3日間を舞台に、戦時下でも演劇を愛し、芝居の力を信じ、「一人ではできないことをしている、一人の人間の力をはるかに超えたなにか大きなもの、なにか豊かなもの、なにかたのしいもの、それを望んで、それをたしかに手にいれている」と身も心も捧げた人々の苦難と喜びを、笑いと歌声を交えながら描く“演劇讃歌”の物語。
戦争で肉親をなくす不幸にもめげず けなげに生きる少女の感動の物語 戦争を知らない世代におくる
洋食屋を営む水野洸一は人前でご飯が食べられず、妻である里奈ともここしばらく食事を共にしていない。二人は10年以上付き合って結婚し、初めての人と結ばれた「理想の結婚」と周りから囃し立てられているが、里奈は洸一以外を知らない事に不安を抱えている。店の向かいにはテレビや雑誌で取り上げられる店が立ち、洸一は店の再起や関係の修復もかけて、人前で食べられない事の克服を測る為、治療に通い始める。それから再び里奈
M.エンデの『モモ』と『桃太郎』が交錯する老劇作家ジジと女優モモの時空を超えた恋-。
多くの愛人たちに告げる「グッドバイ」ー昭和23年を舞台に、不埒な色男と怪力大食いの美女が巻き起こす恋愛狂騒劇(スクリューボール・コメディ)!!太宰治未完の原作をベースにKERAが描き出したコメディを生瀬勝久演出のもと新たに紡ぎ出す!昭和23年の春。GHQ占領下の東京。文芸雑誌『オベリスク』の編集長、田島周二(仲村トオル)は、編集の仕事の傍ら、闇商売の手伝いで大儲け。複数の愛人を持つ生活を送っていた
その手紙にはこうあった。三日後に、赤ん坊を殺す。■ものがたり阿佐ヶ谷スパイダース初の男のみの公演は、姉の死の直後、その恋人の男がデリバリーヘルスを呼んでいたことを知った弟の3年に渡る3話構成の復讐劇。1話目は蝉だと言い張って木に貼り付いた男と、彼に住みつかれてしまった刑事との間の奇妙な友情の話。2話目はある誘拐事件を元に慌ただしく捜査を始める、意外に暇な新宿の刑事たちの姿をコミカルに描く。3話目は
これはももちの世界の新作舞台。舞台は架空の日本。1948年、巣鴨プリズンで死刑宣告を待っていたA級戦犯・桐野健人は、神の祝福を受けたことにより釈放される。その後、健人は初代皇帝として長年君臨し続けるが……。神の気まぐれに支配された世界で繰り広げられる、世にも奇妙な政治劇が現在日本を逆照射する。
2つの劇場で、2つの物語が、絡み合いながら並行して2時間リアルタイムに進行するノンストップシチュエーションコメディ!!その2ndでの上演作品は「ファイティング・ブロードキャスト」出演者が来ない、スタッフが足りない、セットが違う…。生放送成功のために奮闘するケーブルTV局の物語。
とある県立高校。サッカー部の舞原健はモンスターペアレントの母のことを担任・浦川麻由に相談していた。そんな折、スクールカウンセラーの藤堂智絵が着任し、麻由と意気投合。その藤堂の相談室に、いの一番に訪れたサッカー部マネージャー奥野早織は「浦川先生と舞原くんが怪しい」と衝撃の告白をする。教育現場を舞台に、教師と生徒の関係、さらには生徒と親と学校の距離感等を丁寧に紡ぎ、届けるのは――「慈愛」。