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『K――カフカと恋人たち』は、阿部日奈子の詩集『典雅ないきどおり』に収められた作品「K」を基盤としながら、カフカの小説、日記や書簡の断片を自由にコラージュする形で構成され、カフカと恋人たちの不思議な愛の「かたち」、男女の権力関係が探られた。舞台世界の表出は、物語や文学の再現ではなく、強度のある〈声〉や身体表現が駆使され、現代詩、舞踏、現代演劇、現代美術の思い切ったコラボレーションとして行われた。
《彼》と旅をする20世紀三部作#3
【Story】多くの島が広がるアジアの海、多島海。その南の海から、島づたいに日本にたどり着く道を、「海の道」と呼びます。 それらの島々を舞台にして、日本から東南アジアへ渡った人々、アジアから日本へ渡ってきた人々にまつわる様々な逸話をもとに、「20世紀の海の道」を描きます。【Note】〈彼〉と旅をする20世紀三部作の最終章となったアジア篇は、維新派史上最大の野外劇場にて上演。 劇場や舞台セットだけで
無秩序な空間、倒錯した世界で詩的な会話が交わされ、その中から観客が自己の想像力の中に答えを捜す。また、ガラガラと崩れ落ちる舞台セットの中で自分は誰なのかを観客に問いかけることによって、現実と虚構を見極めるという問題を観客に投げかける『星の王子さま』。東北地方を舞台に、血・母・故郷の二律相背反を主題にして、呪術的な言葉の世界が繰り広げられる『犬神』。俳優館、寺山に詩す!星の王子さま/犬神の二本立て。
王冠を捨てた恋で知られるエドワード8世とシンプソン夫人、彼らと関わりを持っていたアドルフ・ヒトラーの関係を、認知症「レビー小体病」を患っていた晩年のウォリス・シンプソンの視点で描く。野心と後悔と愛、老と死、そして、戦争と平和を考える大人のためのラブストーリー。
大金をめぐるifから始まる物語。40人余に及ぶ登場人物をたった6人の俳優ですべてこなすというトンデモナイ芝居ですが、大人のメルヘン童話を読むような軽い気持ちでご覧下さい。
FLOW series vol.2
本公演とは異なる手法を模索する実験的枠組〈FLOW series〉第二弾として、第一弾で上演した『悪態』を、『悪態_2307』へとタイトルを改めてリクリエーションし、金沢と大阪で上演。「Liminal Space」≒「境界的空間」と呼ばれるネットミームを引き続きモチーフに採用しつつ、「劇場への当て書き」をコンセプトに、上演空間に合わせた演出や作品内容へ修正を加え、作品のスケールアップを図った。
円佳(23歳 松本穂香)はやりたい事が見つからず、ひとまず海外に行く事を目標として、時給1000円でバイトシッターをしている。好きな人である誠也(24歳 藤原季節)の家に頻繁に寝泊まりしながら、生意気でシッターを奴隷扱いする男児・れん(5歳 平原テツ)の家から最近よく指名をもらっている。ある日、いつもの様にバイトへ向かうが、業務中に起きた災害によって円佳はれんと避難せざるを得なくなる。しかし避難所
もういちど、生きていることに恋をするためのささやかな物語。石田雄造。九州のとある町に暮らすその男の人生の、最後の一年で起きた不思議な出来事たち。幼い頃、64 歳の誕生日に死ぬことを予言された雄造は、平成 29 年 12 月、63 歳の誕生日を迎えた。それからの一年。出会い、別れ、再会。どこにでもあるそんな邂逅は、 けれど最後の時間を過ごす雄造にとってはかけがえないもの だった。
(フライヤーより)西暦2500世紀の超未来、考古学者が空中からある化石を発掘する。それはその時代すでに姿を消していた「演劇」というものの化石であった。考古学者は「演劇」の復元を試みる。’89年初演の名作『ゆるやかなトンビリラロの身だしなみ』を題材にした新作。1つの舞台上に複数の演劇、ダンス、パフォーマンスが併存する独自のスタイル→《ハイパー・コラージュ》を用いて、「演劇」そのものを「演劇」にします
井上ひさしが描く、漱石的学校での不思議なひと時。晩年の漱石に多大な影響を与えたと言われる「修善寺の大患」。作風のみならず本人の死生観にまで影響を与えた三十分間の意識の空白の中、「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「薤露行(かいろこう)」「こころ」などの多彩な漱石作品を思わせる登場人物たちが、各々が抱える「どうしようもない淋しさ」を埋めるために動き出す。"夏目漱石"評伝劇が鵜山仁の手によりこまつ座初
時代を超えて末永く上演される劇場のレパートリー演目を製作することを念頭に、2017年から継続して取り組むプロジェクト「レパートリーの創造」の第四弾として、松田正隆に戯曲執筆と演出を委嘱し製作した作品。【あらすじ】この国の西の果て、海辺の町。一軒の空き家に一人の男(シンジ)が住みはじめる。シンジは東京で職をなくし行き場を失い、故郷に帰ってきた。荒廃していく地方の町では凡庸なるファシズムが横行し、シン
―少年探偵団VS史上最強の敵―怪盗ルパンが狙う秘宝とは何か?1940年代の中国から日本へ。悪夢の暗闘と略奪が…。その時、明智探偵と少年探偵団は?
"1981年、早稲田大学大隈講堂で劇団「第三舞台」の旗揚げ作品として上演された、第三舞台の代表作を、紀伊國屋ホール開場50年記念公演として17年ぶりに上演。 本作は、上演される時期のの世相に沿う形で内容を常に進化させ、再演を行っている。 玩具メーカー「立花トーイ」の世界と、ベケット「ゴドーを待ちながら」を下敷きにした世界を、5人の登場人物が駆け巡る。 "
「Ultimate」最終、最高、究極。「Fancy」想像、空想、気まぐれ。「Ojisan」おじさん。去る夜、東北の港町に暮らす星野家の人々は太平洋に忽然と浮かぶUFOを目撃した。真っ暗な地上から見上げた空に漂う可笑しげな光。刹那、彼らは思い出したッ!否、覚醒したッ!!!・・・そう、ワレワレは宇宙人だったのだ!「I fancy you!!(だいちゅき!!)」今、地球の命運を賭けた星野家の大作戦が幕を
俳優・崎田ゆかりが立ち上げた「劇場」シリーズ第1作。同シリーズは崎田が公演主宰。テルプシコールは1981年設立の劇場で演劇や多くのダンス公演が行われてきた。『プロローグ』は崎田による脚本だが唯一の登場人物「女」により複数の戯曲の台詞が引用される。劇の後半は泉鏡花『天守物語』の姫路城天守に棲みつく妖怪・富姫の物語が劇場に住みつく「女」と重ねられる。俳優は劇場内外を駆け回り、客席でも演技をした。
(フライヤーより抜粋)近松が、南北が、黙阿弥が、天狗の魔風にキリキリ舞い。
2016 年日本社会に衝撃を与えた知的障害者を狙った大量殺人事件から作者が感じたことを出発に創作された。優生思想、老い、をテーマに現代社会の価値基準を問う批評性を持った作品。タイトルの「妖精」は「みえないもの」の隠喩。社会のなかでみえないようにされているものついての問題集である。一部は落語、二部は音楽、三部はセミナー、とそれぞれ異なったスタイルの三部から構成され、主に一人の俳優によって演じられる。
(フライヤーより)ハムレットの悲劇を召使いの口からのみ語らせてみたら?陽の当たる者は言葉を持てず、陽の当たらぬ者だけが喋りの自由を持つという現代マスコミの構造をハムレット劇に投影、僕らの生きている現代が胸に迫る”想い”とともに見えてきます。
国民的はなし家、円生と志ん生。うちひしがれた戦後の日本人を心底笑いで励ますことになるこの二人の大名人は、敗戦のときを満洲南端の都市大連で迎えていた。ソ連軍の侵攻と同時に大連は封鎖され、日本国からは見捨てられる。二人がふたたび祖国の地を踏んだのは、じつに六百日後のことであった。 戦禍の街を命からがら逃げまどう二人のはなし家。巡りあうのは、まるで地獄のような情景ばかり。住む家もなく、食べる物もなく、し
(フライヤーより)「黒蜥蜴」とは妖気の黒ビロードの上に純愛のダイヤがきらめく推理劇であるー三島由紀夫ー
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。2021年夏、ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後"命"の三部作」第三作が待望の再演。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。井上ひさしの遺志を受け継いだス
ある日突如広がり始めた「犬だけがかかる謎の病」を通して、感染と恐怖、排除と連帯をめぐる社会の縮図を描く。声と言葉だけで紡がれる寓話的世界が、観客の想像力に問いかける。音による臨場感と想像力で、不安と希望の狭間を描く朗読劇。コロナ禍で様々な制約が生まれた状況で上演を可能にするためにメンバーだけで受付やテクニカルスタッフも兼任したミニマルな公演。
2015年7月、安全保障関連法案が衆議院で可決された夜、歴史学者の父が自殺を選んだ。通夜に集まる三兄弟と、父の関係者たち。沖縄戦を生き延びた父は何故、この時に自殺を選んだのか、何が、誰が父を追い込んだのか、その責任は何処に、誰にあるのか。一家の中で議論が始まる。やがて議論は白熱し、戦後民主主義の問題点にまで言及することになる。
集まれない人々。リモートでつながりを持とうとする。しかし、やることは、簡単なテーブルゲームで遊ぶだけなのだ。その中の梨田という男は仕事はテレワークで一人暮らし。誰とも会えない生活を過ごしている。自分のことをヤドカリだと思い込むようになった。そうでもしないと自分が保てなくなったのだった。この世の中は海底で、息苦しいのはそのせいだと思っていた。妄想の中の彼は海の底でじっとしている。ただそれだけ。いつも
建物の中に国境線がひかれた─ 何も変わらないはずだったのにね。 ある時ヤツがふざけて言った。『この線から出たらダメってことにしよう』私はわざと線から手を出してやった。ヤツは笑いながらその手を押し返した。そんな戯れを繰り返した。そしてそれからどれくらい経ったっけ?遊びたくなったので、私は笑いながら手を差し出した、すると……ヤツは突然殴り掛かって来た。一切の笑顔を消して。 見えない線。線とは何かを巡る
道化を一人従えて、夜毎に荒野をさすらう重ね着の王様。彼は『王様は裸だ!』という子供の声によって、国中の笑いものになり、今は城を追われて隠遁者となった、裸の王様だった。アンデルセンの『裸の王様』とドン・キホーテの物語をモチーフにし、理想と現実の葛藤を描いた作品。第36回岸田戯曲賞受賞作。
すれ違う時間のなかで、彼はどんな記憶を彼女に残したろう。はっきりとそこにいるのに、キミはまるでずっと遠い果てからやってきた光がかろうじて描いただけの幻影のようだ。違う時間、違う場所で生きてきた人たちが時空を超えて出会い、やがて別れる。はじまって、それから、いつかおわる私たちに捧げる「初めての生」と「やり直しの死」の物語。
(フライヤーより)寄せては引き悠久の時を刻む海の波… 永遠と刹那、光と影ーアドリア海に臨んだ水の都「ヴェニス」を舞台にしたトーマス・マンの名作が男性だけの俳優集団スタジオライフにより、今夏、劇空間に甦ります。
駅前再開発計画を担当する区役所の坂田が住人調査のため入り込んだ駅裏のお化けアパートで出会ったのは「ああ、予言者が居てくれたらねえ」と嘆く住人たち。それは坂田が見ている幻想なのか、それともそのようなお化けアパートに住まざるを得ない住人たちのどうしようもない閉塞感なのか。そこに坂田の部下をはじめ、様々な予言を聞いたという闖入者たちが現れ、「予言」そのものに翻弄されていく。
『熊野』大実業家・宗盛は、愛人・ユヤを花見に誘う。しかし、ユヤは実家の母の病気を理由に帰郷を申し出、宗盛の誘いに応じない。そこへ隣室に住む朝子が現れ、ユヤの母からの手紙を持ってくる。『班女』中年の画家・実子は、花子という若い女を自宅に住まわせていた。花子は、吉雄という青年へ恋心を寄せ、再会を待つうちに気がおかしくなっていた。ある日、花子の姿が新聞記事となり、吉雄が実子たちのもとに現れる。
独りでは寂しすぎる街に迷いこんだ、それはそれは、恋でした。
第二次大戦前夜、野球、セックス、勉強、揺れ動く多感な少年期の思い出と家族愛を謳った心温まる自伝世界。
嘉永(1853)六年師走のある晩、我が身の先行きを悲観して両国橋から身を投げようとした狂言作者の二世河竹新七。ところが奇妙な行き掛かりで、無我夢中の新七が飛び込んだのは大川ではなく、川端にたつ一軒の小さなそば屋だった。柳橋裏河岸の「仁八そば」で出会った何とも風変わりな「仲間」たちが、次から次へと巻き起こす上を下への大騒動は、天下の御一新をはさんで、明治なかばに至るまでのじつに28年間におよぶことに
行くは天国 帰るは地獄会社員の岬智朗(袴田吉彦)と教師をしている関(安田顕)は高校からの同級生。人生の曲がり角にさしかかり、世間のしがらみや、ややこしい問題を抱えて行き詰まっていた二人の前に、高校生のときに「事故」で死んだはずの智朗の弟・達朗(平岡祐太)と同級生の遠山(内田滋)が突然現れる。15年ぶりの奇妙な再会に戸惑う智朗と関。だが二人は、次第に死者であるはずの達朗たうに馴染み、後ろめたさを感じ
1989年10月第3回青山演劇フェスティバルにて初演された作品のアンコール公演。当時まだ大阪を本拠地にしていた「劇団☆新感線」が大きく躍進する契機となった作品である。
突如現れた「アレ」によって避難指示区域となった街。高校二年の春から、かれこれ二十年引き籠もり続けるニシダ君はわずか十日で出産する謎の女ミクニとともに「軍隊作り」に着手する。そんな中、妹サチコは自分たちを捨てた父と密かに文通を始めるのだった。消えゆく風景と記憶。遠くの教会から届く鐘の音が呼び起こすのは、母が語った福音書―。伊豆野眸「家族三部作」の第二章。
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、レズビアンであるというカミングアウトを含んだ未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を聞き、それぞれの欲望について語りはじめようと
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を「聞く」ことからはじめようとする。
松井石根孫文、蒋介石と親交を結び誰よりも日中友好を願いながら戦犯として葬られた陸軍大将その男の悔恨と最期の日々
NYLON 100℃ 9th SESSION ノンストップサクセスストーリー
初期天井桟敷の名優、昭和精吾が、天井桟敷から万有引力を率いるJ・A・シーザーが、演劇団・螳螂によって上演された高取英の世界を、我母かほる、高田恵篤、神宮司修たちとともに繰り拡げる詩とエロスの幻惑の空間。全ての演劇ファン必見の夢の企画。
sunday play#3
およそ100人のある一日を5人の役者がサンプリング。そして、ある一日を超えて、永遠とか、そういうものに少しでも近づこうとする話。
1979年に劇作家・北村想が発表し、日本現代演劇における金字塔と称される作品を10年ぶりに北村自身が演出した1990年の再演。物語の舞台は、核戦争によって荒廃した関西のとある地方都市。放浪する旅芸人ゲサクとキョウコ、そして謎の男ヤスオ。3人の旅路の先に待っているものとは―。
イントレランスとは不寛容ということ。たとえば、青い惑星に逃げ込んだ宇宙人の喜びと哀しみを想像してみる。地球人に憧れる宇宙人と宇宙人になりたい地球人の日常と冒険を創造してみる。
ナイロン100℃ SIDE SESSION SPECIAL
ドイツの放送作家、ギュンター・アイヒによって1950年代に書かれたオムニバス放送劇『夢』。その中から舞台用にアレンジ可能と見なした3編を選び、オリジナルで書き下ろした3編を加えて上演。何十年も止まらない列車に閉じ込められて暮らしている家族の話『列車』、ある三流小説家が死の世界を経験する『死』など、6話6様の悪夢が繰り広げられる。「ナイロン100℃」史上初めての、笑いが一切ない作品。
日本理化学工業株式会社が昭和35年から取り組んでいる知的障がい者雇用をモチーフに描くことで、障がい者雇用の未来や問題点、何が妨げになっているのか、今後の課題などを観客と共有し、我々の中に存在している差別意識に改めて目を向けると共に、障がい者が当たり前に社会進出できる社会を作る為に市民にできる事は何か、観客と共に考え、より良い社会形成の為に行動できるよう企画しました。
日中戦争が泥沼化しつつあり、英米との関係も急速に悪化していた昭和16年春。あるベテラン夫婦漫才師が、中国大陸への慰問の旅に出る。この時の日本では、笑いという戦争とは対極のものを生業とする芸人でさえ戦争の歯車に巻き込まれていた。芸人を続けるには、戦争に協力するしか方法がなかったのだ。夫婦は10歳を過ぎたばかりの一人娘を内地に残して日中戦争の前線近くまで旅を続ける。同行の芸人仲間や、笑いに飢えた前線の
3LDKの高見家に住むのは、会社勤めのお父さん、専業主婦のお母さん、バリバリキャリアウーマンの娘、大学生の息子。一見どこにでもありそうなフツーの一家だが、ある日、お母さんのお母さんが、アキレス腱を切ったことを理由に同居を求めてやってくる。なんとか同居を断りたい高見家だったが、追い打ちをかけるようにお父さんのお父さんまでもが独り暮らしの家を売り払い、同居を求めて乗り込んで来てしまう。ずるずると窮屈な
淋しい放火魔ツトムが放ったマッチの火は、古い廃墟を灰にしただけでなく、その地に封印されていた古い物語を甦らせた。ツトムを巻き込んで、ロマンと愛憎のドラマが繰り広げられる。現代の物語作家・横内謙介の名を世に知らしめた初期の傑作。
杮落し特別公演
そこは、廃業した病院か…?15人の老若男女が一室にいる。どうやら昨夜、終電が行った後、そこへ集まってしまったらしい。世代間の対立と時代のストレスが、やがて、それぞれの今と背景を浮かび上がらせる。未来に希望を持てないことを、うすうす感じながらの現代を、私達は、どう生きて行くのだろう…。15人の登場人物達が、密室で、これまでと今を旅するが、その先に見える「人の消えた街」は、どう再生に向かうのか。
日印友好交流年記念事業として、範宙遊泳とThe Tadpole Repertoryが国際共同制作。よくあるとある街を舞台に、見知らぬ6人が、自分自身に、そして互いに向き合いながら、自分の居場所を探して時を織りなしていく。欲望と病、愛と寂しさ、影ある過去と霧がかる現在(いま)。そこにある事実はただ一つ、ここからは逃げ出せない、ということ——。
(あらすじ)深夜のキッチン。ケーキを焼く女と、それをからかう女。お互いに交わす言葉は交わらず、すれ違うが、次第に重なり、見えなかった関わり、言葉が現れる...Iccoka初の二人芝居作品。
旧約聖書『ヨブ記』を、現代日本の女性の物語として翻案。希帆はシングルマザーの風俗嬢だ。育児放棄し、仕事も欠勤し、転がり込んだ男の部屋で酒浸りになった彼女の元に、兄、大家、兄の弟分のチンピラが代わる代わる訪れては大量の「正しい」言葉を浴びせかける。旧約聖書のヨブはよかった。自分の受難を訴える言葉と、訴える相手の神もいた。でも希帆は言葉を持っていない。声なき人の声は、どのようにこの世界に現れるだろう?
わずかずつ、わずかずつ/気がつくたびに日1日と/部屋が狭くなってきている。11日前の水曜日/不安を抑え切れずに/金物屋から5メ—トル計のメジャ—を買ってきた/今日だって3回計測した/昨日より1回増やしたのだ/壁から壁。/決してその手は震えていなかったのに/部屋は一晩で23ミリメ—トルもちぢんでいた/一昨日から昨日にかけてが19ミリメートル/ついに20ミリメートルを超えた/部屋は加速度を増しているく
ロームシアター京都 × 京都芸術センター U35創造⽀援プログラム“KIPPU”
「村八分」「集団農場」「ブラック企業」といったムラ社会的な閉鎖コミュニティを舞台とした〈集団暴力シリーズ〉の集大成的作品。雪深い山奥にひっそりと佇む民宿を舞台に、野生動物たちと共生する一族と、村の人々との衝突を描く。過去シリーズにも通底していた「家族」というモチーフを前景化し、それらを繋ぐ「食」という営みに焦点を当てながら、原始的かつミニマムな共同体の呪いと可能性へと切り込んだ。
THEATRE E9 KYOTOのある京都・東九条の地域に移住してきたフリーアナウンサー・能政夕介と、芸術監督・あごうさとしによる演劇公演。1925年、日本で最初の放送「あーあー、聞こえますか?こちらは東京放送局であります」という歴史的な第一声から約100年。言葉の変遷に、都市計画の変更による新たなまちづくりが始まろうとしている東九条のまちの変遷を重ね合わせて、過去・現在・未来を見つめる企画。
娘の母はヒステリックで、男の兄は海に身投げし、女の子どもは生まれなかった。人生の断片が繋がった、境界のない溶け合う世界。「あなたの中には、私の母も、あの人の兄も、この人の生まれなかった子どもも、存在しているのです」アントン・チェーホフの名作戯曲「かもめ」を題材に、現代演劇の旗手が、新たに提唱する演劇の新形式。
岸田戯曲のとてつもない面白さと奥深さに打ちのめされたKERAが贈る「岸田國士一幕劇コレクション」第二弾。円形劇場を縦横無尽に駆け巡るパノラミックな和装劇!実直なパン屋一家(志賀廣太郎、長田奈麻、新谷真弓、森田甘露)を予期せぬ出来事が次々と襲い、茶の間がいきなり怒涛のSF的展開へ突入する表題作『麵麭屋文六の思案』と続編『遂に「知らん」文六』。無邪気な子どもたちの歌声が響く学園で、大人たちの愛憎劇が繰
アマヤドリ活動休止前最終公演となる本作品。『写真撮影』という日常にありふれた行為をモチーフに、日本人の生活様式を過去・現在・未来を行き来しつつ主宰の実体験をベースに描いた四世代に渡る家族の物語。家族の形を世代を超えた対話によって浮かび上がらせてあらためて観客に問いかける作品。
「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで他界した、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の代表作『銀幕迷宮-キネマ・ラビリンス-』。再演希望が最も高い、螳螂初期の魔界演劇が、今、満を持して下北沢・本多劇場に初登場!