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人の死を看取る日々を送る看護師の「楠美」はある日、自身が肺癌の末期であることを知る。直ちに入院を強いられるが、そう長くない余命であることを悟った楠美は家に帰ることを願う。その思いを汲んで楠美の母は「末期患者の在宅医療」を専門とする医師「渡良瀬」に娘の治療を託すのだが、渡良瀬は「医療に笑いを」を信条に、コスプレ姿で往診に来たりする「変わり者」だった。楠美の家族戸惑うが、やがて患者を第一に思う渡良瀬の
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『平家物語』を原作に、平清盛の五男・重衡をモデルとした叶昌景の物語を描く現代劇。宰相の息子・昌景は、謀反の疑いで流罪となった貴族の娘の処刑を命じられる。彼女は最期に母から授かった神像への祈りを願い、その姿に昌景は心を揺さぶられる。栄華の陰で一族は重い抑圧に苦しみ、昌景も望まぬ戦に心を蝕まれていた。やがて彼は、処刑した女に瓜二つの遊女と出会い、その正体と神像の謎へと迫っていく。
(フライヤーより)演劇界のお祭り野郎として名を馳せるプロデュース集団「ペーパーカンパニー」、今回もまた胸ときめきのキャストを揃え、さらに鈴木裕美を演出に起用、高品質のミステリアス・ドラマをお届けします。はっきり言って何かが起こる!?
マレーシアのクアラルンプールで過ごした幼少期の記憶を、作家自身が演じる一人芝居。2020年は、マレーシアが「2020年までに先進国入りする」と宣言した年であり、また二度目の東京オリンピックが開催される年でもあった。際限なく求められる成長・成果の象徴である2020年を横目で見つつ、そこへの違和感を子供の生きた一日一日の目盛の側から書いてみる。
ナイロン100℃初期の作品を、オダギリジョー、古田新太など新たなキャストによりKERA自身の演出でパルコ劇場にて上演。新聞各紙が煽り立てる、「変態コメディアン、アーバックルの正体」、「ハリウッドの殺人鬼アールバックルを許すな」。17年後の街を歩きながら、ビリーはデニーに言う。「実を言えば、私も初めのうちは疑っていたのです……」。デニーは少しずつ、ビリーの思い出に興味を抱き初めているようだ。腹を減ら
人気作家のゴーストライター疑惑を追う一人の記者がたどり着いた関東奥地の山村。古民家に滞在し、不気味な日々を過ごしながら、記者は件の作家を追い詰めていく。やがて『狼谷にもう一つの村がある』というメモを残して、 その記者は忽然と姿を消したのだった…
暗闇の中に響く「こえ」。「相手」は誰? 相手が「自分」ならば心の内との会話で、いつも暗闇の中を手探りで歩いている。外に広がる宇宙だけではなく、自身の中の「宇宙(暗闇)」。これに意識を向ける。この宇宙(的)孤独に意識を向ける。私たちはこんな場所にいる。暗闇を「あっちからこっちに流れていくだけ」の存在。「こえ」があり、「見る」ことはできる、それが唯一の私たちの「存在」を示している。
初夏。山あいの田舎町。父、母、兄と実家の工務店で暮らす田村鈴子は、家族間の静かな歪みに悩んでいた。表面的には仲の良い田村家だが、5年前、長女・千鶴が亡くなってから、その関係はどこかおかしくなっていた。ある昼下がり、千鶴の霊に憑りつかれた一人の女が、田村家を訪れる。それをきっかけに彼らの関係は大きく揺り動かされる。幻想的な夏の一幕をブラック・ユーモアを交えて軽妙に描く、さみしくも美しい家族劇。
クリスマスを祝うことを拒否する人々が集うペンションで、イブの夜に繰り広げられる、哀しくもおかしい人間模様。軽快な会話と笑いで見せる物語。
「表現の自由」という権利の重要さ、尊さを改めて認識してもらい、これらを抑圧しようとする、ネットやメディア等の「現代の検閲」のについて、当事者意識や必然性などを考察し、表現を規制し抑圧する正当性が本当にあるのか否かを観客に問いかけることで、表現活動への理解を深めることを目標とした。観客の芸術表現についての思想の成熟を促すことを目指し、全ての芸術表現への理解度を深める機会となることを目指し企画された。
『路地裏BABY』路地裏に捨てられた赤ん坊。生きるために必死に泣いた。赤ん坊を拾った路地裏のおいちゃんたちは、泣きやまない赤ん坊を必死にあやした。そんなある日があったから、この赤ん坊は生きのびられたのだ。『路地裏LADY』かつて自分が捨てられていた場所に佇む女。どんな人たちに助けられたのか、知らない。だけど助けてくれた人たちがいたから、自分はいまここにいるのだ。捨てられた赤ん坊がLADYになって、
浅見光彦と若者達に託された、戦後半世紀の誓いとは?「旅と歴史」編集部の依頼で長野県中野市を訪れた浅見光彦とフリーカメラマン・小内美由紀は八幡神社を巡礼している飯島という老人に会う。不思議な言葉を残して去った老人は、その後秋田で死体となって発見された。老人の足跡を辿って全国の八幡神社を訪ねるうちに、元文部官僚のこの老人の戦後の生き様と秘密を知ることになる。そして、今後は高知で文部省出身の若きエリート
四代目座長生瀬勝久のもと、前年『冬の絵空』で東京本格進出を果たした関西小劇場演劇界の重爆撃機「劇団そとばこまち」による1993年の作品。
走ってくる車に体当たりをし、自ら傷つくことで賠償金をせしめるという、奇妙な商売があった。間違えたら命を落とすのであるから、文字通り体を張っての商売である。これはその名人と言われた「当たり屋」が、家族を引き連れ、「体を傷つけなくても生きていける街」を目指して、旅立つ物語…。
COCOON PRODUCTION 2021
干拓事業の賛否に揺れる諫早湾の現実に絶望して町を去り、都会の片隅のブリキ店で暮らす蛍一(磯村勇斗)。店主の静雄(風間杜夫)は、まだらボケの詩人。ある時、詩人を先生と呼ぶ、実はさぐり屋のしらない二郎(岡田義徳)が現れる。その依頼主は月影小夜子(愛希れいか)。「ヒトか魚か分からぬコ」と呼ばれるやすみ(宮沢りえ)も、ある約束を果たしに現れる。彼女の足には、一条のきらめくものがはりついていて──。
人里離れた山奥にある個人病院。死の床にある院長は、かつて繰り返した結婚と離婚の末に生まれた、母親の違う自身の子どもたちを呼び集める。5人の兄弟姉妹とその配偶者たちは、自分たちを強引にひとくくりにする血縁に戸惑い、近くて遠い互いの存在をおずおずと探りあう。迎えた父の臨終には、悲しみではなく空しさが漂っていた。一年後。一周忌の法要に再び集まった「家族」は、自分たちに流れる「血」の底知れなさに直面する。
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
1994年に青年団プロデュース公演として、第七病棟の緑魔子を客演に迎え、「唐十郎さんや石橋蓮司さんが少女のイメージで捉える緑魔子さんとは違う現在の彼女」を登場させて話題となった。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』や『青森挽歌』、内田百閒の『阿房列車』、寺山修司の『コメット・イケヤ』などを題材にとり、3 人の男女の複雑に絡み合う想いを、行く先が定かでない曲がりくねった線路の上を走る列車に乗せて描く。
ひよわな漫画少年と、バンカラ・明石との友情を描いた「ゴッドファーザーの息子」、戦時中、蝶に魅入られ駆け巡る山で、一人の少年と出会う「ゼフィルス」、青春であるべき中学時代の軍事教練、勤労動員、大阪大空襲、そして終戦を描いた「紙の砦」。手塚治虫の3作品を原作に紡ぎだす、少年・大寒鉄郎の物語。
相愛橋のある横丁で傘屋を営む「おちょこ」は修理を頼みに来た客の「石川カナ」に恋をした。いつか彼女に「メリー・ポピンズの傘を持たせる」という夢を描きながらロマンチックな気分にひたるおちょこだが、瀕死の状態のところをおちょこに助けられて以来、傘屋に居候している檜垣は、カナがかつて人気歌手の子どもを産んだ挙句にショッキングな出来事を引き起こした張本人だと気づく。カナをめぐって次々と湧き上がる謎。おちょこ
現代スペイン演劇連続上演No.1
あぶない時代とあぶない街には美しい物語が潜んでいる。この物語は80年代後半のマドリッド旧市街に生れた現代のスペイン論であり、長い牛睡から覚めた現代のウエストサイドストーリーである。
これはももちの世界の新作舞台。舞台は架空の日本。1948年、巣鴨プリズンで死刑宣告を待っていたA級戦犯・桐野健人は、神の祝福を受けたことにより釈放される。その後、健人は初代皇帝として長年君臨し続けるが……。神の気まぐれに支配された世界で繰り広げられる、世にも奇妙な政治劇が現在日本を逆照射する。
どんなことでも賭け事にして遊ぶギャンブルグループがいる。SNSで出会った彼らは、何もかもを賭博に変える。賭けるものはお金や時間、権利、身体、同意があればなんだって。イカサマもバレなければオーケー。「アイツがイカサマをしているかどうか」だって、賭けの対象になるのだから。今夜もパーティがある。まず、次に扉を開いて現れるのは男か女か、賭けようじゃないか。
「人を許すこと」を描いていると言われるシェイクスピア最後の作品。しかし本作で『テンペスト』とは、主人公プロスペローが自分は「許されない」存在であることに気づく過程であり、四大悲劇のドラマの諸要素が静かにちりばめられていると解釈。嵐(テンペスト)はプロスペローの心のうちに吹き荒れる。2015年初演、2018年にルーマニアのクライオヴァ・シェイクスピア・フェスティバルに初参加した記念的作品。
教会の待合室。大きな窓ガラスがあり、葬儀の様子がよく見える場所。そこに集まった4人の女たちは、それぞれが亡くなった男の彼女だった。粛々と葬儀は執り行われていくが、待合室での女たちはそれとは関係なくそれぞれの世界を独走しはじめる。一人一人が違った悲しみをまとい耐えながら、それでも男が死んだ現実を咀嚼するように受け入れようとしている。しかし、受け止めきれない女もいる。死んでもなお依存し続けることで生き
劇団「双数姉妹」が青山円形劇場にて三度公演した、円形でしか為し得ない、円形のための芝居。1994年の初演。
日本理化学工業株式会社が昭和35年から取り組んでいる知的障がい者雇用をモチーフに描くことで、障がい者雇用の未来や問題点、何が妨げになっているのか、今後の課題などを観客と共有し、我々の中に存在している差別意識に改めて目を向けると共に、障がい者が当たり前に社会進出できる社会を作る為に市民にできる事は何か、観客と共に考え、より良い社会形成の為に行動できるよう企画しました。
もういちど、生きていることに恋をするためのささやかな物語。石田雄造。九州のとある町に暮らすその男の人生の、最後の一年で起きた不思議な出来事たち。幼い頃、64 歳の誕生日に死ぬことを予言された雄造は、平成 29 年 12 月、63 歳の誕生日を迎えた。それからの一年。出会い、別れ、再会。どこにでもあるそんな邂逅は、 けれど最後の時間を過ごす雄造にとってはかけがえないもの だった。
(フライヤーより)環状線ラプソディ『終着駅』翔べない天使(エンジェル)が数羽和(やすらぎ)もとめて輪を描く話[かいせつ]終戦直後の不思議に明るい猥雑さのなかで、漂うように死んでいった男たち——失われた戦後空間を見直す、静かな意志を秘めた結城昌治の秀作を今人気の若手劇団のホープたちが演じます。青山円形劇場の空間に、この秀作の感動がひそやかにうごめきはじめています。これはドラマでもミュージカルでもない
鴻上尚史主宰の「虚構の劇団」記念すべき第1回公演!グローブ・ジャングルとは、公園にある丸い形をしたジャングルジム。今日も、公園で、ぐるぐると、複雑な地球は回されることを待っている。ロンドンの日本人コミュニティを舞台に描かれるネット社会で傷付いた女性の再生の物語。
本作品は、 戦争で多くの国民を死に追いやった日本の 指導者たちの責任を問う、「戦争責任 問題」 扱い ますが、 登場人物たちが 使命を忘れるほど演劇 の稽古に のめり込んでしまう滑稽さ 、 人物の正体や思惑が徐々に明らかになっていくスリリン グさ、劇中歌「すみれの花咲く頃」の歌声があたたかな感動を呼び起こす様子など 、 そ の 根底 に あ る の は 時代を越えた演劇讃歌です。
夜の教室。集まった三人の同級生たち。彼女たちは、自分たちが書いた落書きが二十数年の時を経て、再び子どもたちの机に刻まれているという噂を確かめるためにやってきた。「ハサミ男がやって来る」――それは忌まわしい過去、彼女たち自身の傷跡だった。その男に傷つけられた彼女たちは、いかにして心の傷や消え去ることのない影と闘っていくのか。彼女たちの求めた、誰にも汚されない、何者にも脅かされない「丈夫な教室」とは。
昭和庶民伝三部作 第一部
昭和庶民伝三部作・第一部 紀伊國屋書店創業60年記念提携公演昭和15年の浅草。小さなレコード店「オデオン堂」に4人の家族と二人の間借り人が仲良く暮らしていた。しかし、陸軍に入隊していた長男の正一が脱走して「非国民の家」扱い。追手がかかり憲兵が住み込みで見張りをする始末。ところが長女・みさをがたくさんの傷痍軍人と交わしてきた文通ハガキの中から選んだ源次郎と結婚するにいたって、今度は一転「美談の家」に
相原志保が、短大時代に出会った友人・澤田まゆといつもの喫茶店でお茶をしている。今朝見た夢についてお話をしていると、見知らぬ人が会話に参加してきた!……のであるが、それはどうやら澤田まゆの高校時代の友人・上村岬で、相原志保とは以前にも会ったことがあるという。最初の出会いは去年の冬、、、冬?「あれ?そもそも今年の冬……あった?」「冬のことをまったく思い出せなくなってしまった」という症状が出始めた世界の
ある日突如広がり始めた「犬だけがかかる謎の病」を通して、感染と恐怖、排除と連帯をめぐる社会の縮図を描く。声と言葉だけで紡がれる寓話的世界が、観客の想像力に問いかける。音による臨場感と想像力で、不安と希望の狭間を描く朗読劇。コロナ禍で様々な制約が生まれた状況で上演を可能にするためにメンバーだけで受付やテクニカルスタッフも兼任したミニマルな公演。
明治七年、東西の話し言葉がテンデンバラバラだった頃。文部省官吏の南郷清之輔に「全国統一の話し言葉を制定せよ」という命令が下った。この日から、南郷家は、お国訛りをめぐって大騒ぎ。清之輔は、話し言葉の全国統一の前に、まず我が家のお国訛りによる大混乱におそわれる。カタコト英語しか喋れないピアニストの奏でる幻の「小学唱歌集」にのせて展開する、言語学的な悲喜劇の末、ついに清之輔が辿り着いた「文明開化語」とは
同棲相手がハトにしか見えなくなってしまっている佐智子は、マスコミがセンセーショナルに報道を続ける事件の国選弁護を担当することに。しかし、被告女性はあいまいな供述を繰り返すばかり。重要参考人の松川の記憶から関係者の調査をはじめた矢先、別の事件で十年近く逃亡を続ける指名手配犯の存在が浮き彫りとなる。細い糸をたぐるようにして彼女が辿り着いた先には、社会の隙間に落ち込んだ人々の織りなす回廊が、人間存在の深
libido:SFシリーズ
孤独な地中の世界。でも地中は覚えてるかもしれない、今の僕らを、そして地上の世界をーー枯れ果てた地上を彷徨い歩くヒト2人。地中に繋がる井戸を覗けば、モグラ、スパイ、役人、風呂屋、学芸員、管理人、モグラ、モグラ・・地下で見るのは夢か、うつつか。オリジナル脚本でお届けするlibido:SFシリーズ第2弾!
地震により電車が山の中腹で止まり、徒歩での移動をする長い行列。次の駅は鉄橋の先にある都会。前の駅は山奥の過疎化した元新興住宅地。人々はいずれかに向かう。小さな劇団を主宰している大学の先生と、若い妻。その妻が介抱する女は、足を捻挫した中学教師の女。彼女は元新興住宅地で起こした不倫による狭い世間の攻めから逃れ、都会に行く決心をして電車に乗ったという。そこに先生を恋い慕い、妻から奪うべく密かに電車に乗り
あらすじ・あるネジ工場で働いている男のもとに20年以上前に離婚した元妻との息子から会いたいと連絡が来る。同僚らと話すうちに息子の会いたいという理由が心配になって、再会をためらうようになる。
結婚してから毎日、昨晩食べた料理をネットにアップし続けている、ある夫婦の晩御飯の記録『ラストナイトレシピ』。結婚2年。仲の良かった夫婦だったが、妻が亡き人となった。妻の両親は残された夫に対し、娘の死を「申し訳ない」と言い、やたらと明るく振舞いながら今まで以上に夫に関わりをもとうとする。夫にはそれが疎ましい。しかし、大事な妻を生んでくれた親である。生前、妻が日々更新していた「ラストナイトレシピ」とい
音楽の手法でのマッシュアップは、異なる音源からトラックの一部をそれぞれ取り出してミックスし、一つの曲にするものである。本作は、短篇シリーズ『図書館的人生』で今まで上演されてきた『青の記憶』、『輪廻TM』、『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』、『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』、『東の海の笑わない「帝王」』、『いずれ誰もがコソ泥だ、後は野となれ山となれ』の六篇を使ったマッシュアップ。過去現在未来に存在する
劇場演劇部
わたしは毎日いつ友達が出来てもいいように手紙を持ち歩いていて、どこかふとしたタイミングにそのような、よい関係になってよさそうな人が見つかれば、そして、もし仲良くなれたなら、その日の帰り際にこれを渡す。いつかできる友達との、いつか来る別れにむけて、あらかじめ書いた手紙。それは「さようなら」から始まりたいから。宮古市唯一の高校演劇部が今年も開幕。部員は2人だけ、初対面。二人にしかできないこと、二人だか
原作は、2ちゃんねるの書き込みに基づく純愛ベストセラー。映画、ドラマに続いて登場した舞台版がこれだ。『TRICK』の堤幸彦が演出を手がけ、秋葉系ヲタクの主人公を武田真治が熱演する。舞台ならではの世界観が圧巻。
青年団プロデュース公演 vol.8
劇作家・演出家の松田正隆が、自身の生まれ育った長崎を舞台に描き、1998年第50回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞した代表作。演出・平田オリザとのコンビは、前年、第5回読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞した『月の岬』に次ぐ2作めとなる。職を無くし妻に家出される主人公と、彼を取り巻く人々の心情を、何気ない会話から細やかに映し出す。
賢愚いかなる王の下でも忠実なる僕として、 この国を縁の下で支え続け、 歴史の表舞台には登場せずとも不気味に栄え続ける一族小野氏。 小野妹子小野ヨーコ小野ヤスシ小野伸二小野ののか… そして「野狂(やきょう)」と呼ばれ、 ついに生死の境を越えた地獄の魔人小野篁(たかむら)。 その孫にして絶世の狂女小野小町は野に下り、 秘密の花園にて、恐ろしき時空召喚の禁術に手を染める。
なにをやってもうまくいかない男は、妻に先立たれた認知症の父親の面倒をみることになる。しかしその父親がトイレに入ったきりでなかなか出てこない。そこでおそるおそるトイレのドアを開けてみると、そこには、中身のないフニャフニャの父のぬけがらだけが残されていた。その後もさまざまな場所で脱皮を繰り返し、そのつど若返っていく父親は、しまいには男よりも若くなってしまう。
医療事務の仕事をしながら漫画を描く結月は、才能を信じきれずプロへの一歩を踏み出せずにいる。一方、外資系から中小企業に転職した桜子は社内改革に情熱を燃やしていた。偶然の出会いから同じ仕事に取り組むことになった二人は、価値観の違いから激しく衝突する。桜子の現実主義に反発してプロを目指そうとする結月と、自分の厳しさの裏に過去の痛みを見出す桜子。すれ違う二人は、やがてそれぞれの生き方を見つめ直していく。
電話や鍋など、さまざまな日用品=遺品を土で固められた舞台(能舞台を模している)に置き、語りはじめる五人の女優たち。彼女らは、イェリネクのテキストを舞台上で「伝達」しようとしているのだが、その試みは互いの突っ込みや言葉の奪い合いにより、うまく運ばない。「上演は失敗する」という印象的なフレーズと、不自由そうに発せられる「ペンも紙も失ったので、言葉を記録し、それを誰かに伝えるためには、ただこうして、頭で
(フライヤーより)可笑しくて切なくて摩訶不思議。そんな”夢”のような世界を描いてフェリーニを思わせる「遊◎機械/全自動シアター」が、今回、更なる”夢”の世界に挑戦します。舞台は、何故か未だ幕を開けることの出来ないとあるサーカス。そこに展開するのは一座の座長の見果てぬ夢とも白昼夢ともつかない幻想的な物語。飛べない人力飛行機、渡れない綱渡り、乗れない玉乗り、そして開かない幕…。白井晃、入魂の一作。
舞台せましと踊る若者たちが、素敵なメルヘンの世界をお届けします。 青い海にポッカリ浮かび上がった小さな島。この島から金鉱が発見され、貧しかった人々の心は浮かれ騒いでいます。ところが、そのかげに・・・今宵は年に一度のポセイドンの祭り。若者達は素晴らしい恋にめぐりあうため大忙し!!軽快なリズムにのせておくるミュージカルファンタジー。
過去にスペースノットブランクが上演した『舞台らしき舞台されど舞台』をセルフリメイクした『舞台らしきモニュメント』。「在る物」としての舞台を「現れる物」としてのモニュメントに代置し、上演(時間)と舞台(空間)の関係を見直そうとする純粋舞台。「舞台三部作」から変化した「物体三部作」の第一部。
生きることは絵空事、束の間の妄想にすぎない。うつつか夢か、光か影か、桜か雪か……真を求めて偽に出会う。舞台は百花繚乱元禄の世。あの「忠臣蔵」が、今、虚実の狭間に蘇る時は元禄。人気役者・沢村宗十郎(藤木直人)は豪商・天野屋利兵衛(生瀬勝久)に、娘のおかる(中越典子)を嫁にしたいと懇願するが、まったく相手にされない。大石内蔵助(橋本じゅん)は、主君・浅野内匠頭(中村まこと)が吉良上野介(粟根まこと)と
東京ノ温度2024年秋公演は、芥川龍之介の「童話」オマージュ作品です。純文学のイメージが強い芥川龍之介ですが、実は児童文学の執筆・普及にも熱心で、芥川自身が構想した童話集も刊行されています。今回はその芥川童話の世界を原点とした新作オリジナルストーリーを、Wキャストにて上演します。都内某所に、ひっそりとたたずむお屋敷がありました。そのお屋敷の主は「現代の魔術師」を名乗る、なんだか怪しげな人物でした。
「先の見えない創造」を続ける者の恍惚と不安、二つ我にあり!所詮この世は冥府魔道、ならば唄って歩けよ地獄のハイウェイ!歌とダンス、名優たちによる珠玉の演技で彩る青春残酷物語!!
大金をめぐるifから始まる物語。40人余に及ぶ登場人物をたった6人の俳優ですべてこなすというトンデモナイ芝居ですが、大人のメルヘン童話を読むような軽い気持ちでご覧下さい。
ある夫婦のはなし。子どもは10万人に1人の難病だった。海外での移植手術のために懸命な募金活動を行ったが、あと少しで目標額に届きそうな時に亡くなった。しばらくして。夫が妻に必要なくなったはずの募金活動を持ちかける。またしばらくして。ようやく目標額に達したその日。2人のもとに子どもが逃げ込んでくる。そこから事態は大きく変化していって・・・。
深い闇の中に、鋭く射し込むスポットライト。魂に響くヘンデルの名曲と台詞。苛酷な運命に操られる若者たちの悲劇を、幻想的な美しさと、力強いタッチで浮かびあがらせる。ワレリー・ベリャコーヴィチが世界を驚かせた魔法の演出!!天才演出家ワレリー、凄艶華麗なる剣幸、そして、抜群のアンサンブルで魅せるピッコロ劇団、ついに“劇突”。
「空気読めないっていけないことなの!?」……相手の仕草や状況、雰囲気から気持ちを汲み取れず、言葉にしなければ意図している事を全く理解できないアスペルガー症候群の人達が、人間の機微に敏感でなくてはならない演劇をする事になった!試行錯誤しながらも、彼らの行き着く先には幸せがあるのか?