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(フライヤーより抜粋)近松が、南北が、黙阿弥が、天狗の魔風にキリキリ舞い。
大正七(一九一八)年十二月二十六日、宮沢賢治は、故郷花巻から東京に入院している妹・とし子の見舞いを目的に上野行きの夜行列車に乗り込んだ。その手には大きな革のトランクが握りしめられ、たくさんの願いが詰め込まれていた。「大好きな音楽を聞き、エスペラント語の勉強をする。そのためには家の重圧から逃れ、父の庇護の下を離れなければならない。そして何よりも真の生き方を探すことである」賢治は、東京に理想郷を求めて
1950年代、敗戦前の若手エリート官僚が久しぶりに集い久闊を叙す。やがて酒が進むうちに話は二人の故人に収斂する。一人は首相近衛文麿。近衛を知る参加者が近衛を演じ、近衛の最大の失策、日中戦争長期化の経緯が語られる。もう一人は外相松岡洋右。また別の一人が松岡を演じ、アメリカの警戒レベルを引き上げた三国同盟締結の経緯が語られる。更に語られる「帰還不能点」南部仏印進駐。大日本帝国を破滅させた文官たちの物語
終戦間近の日本、昭和を代表する喜劇人 古川ロッパはスランプに陥っていた。新進気鋭の喜劇俳優 榎本健一、通称エノケンが台頭してきた事がキッカケだった。軽快な動きで笑いを取るエノケンの姿と比べ古臭い自身のスタイルに悩むロッパ。そんな中、2人に共演の依頼が舞い込んでくる――。日本人の笑い、そのルーツに迫る野心作。
「明日のハナコ」は、2021年福井県の高校の演劇大会で、コロナ禍無観客の中で上演されました。その後、なんとも不幸なことになってしまいました。大会のテレビで中継が予定されていたのですが、「ハナコ」だけが放送されず、脚本集は生徒さんが読めないように顧問の先生が預かり、未だ収録されたDVDは作者の手に渡っていません。理由は「個人を特定や、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念してい
2007年に旗揚げ準備公演でスタートした『虚構の劇団』の解散公演として上演した『日本人のへそ』(作:井上ひさし、演出:鴻上尚史)吃音症患者を集めた治療劇として、浅草のストリッパー、ヘレン天津の半生を劇中劇で描き、そこから物語は二転三転していく。井上ひさしさんの若い才気とエネルギーに満ちあふれたデビュー作に、虚構の劇団の総力を上げて、真正面から取り組んだ意欲作。
1942年、アメリカ。ルーズベルト大統領の行政命令により、十一万人の日系人が強制収用所送りとなった。収容所の数は国内に十か所。前年の真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまり、アメリカは日系人の隔離政策を行ったのだ。 自国民を日系であるという理由だけで市民権を剥奪し、収容所に閉じこめ監視する。合衆国憲法違反である。 さて、舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯マンザナ。バラックの強制収容所の一室。 朗読劇上演
昭和4年、上野は谷中の太平洋画会研究所のアトリエで真剣に裸婦のデッサンに取り組む若き画家、靉光(あいみつ)、井上長三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介たち。そんな頃、まだすすきと大根畑におおわれた低湿地帯、池袋にポツリポツリとアトリエが建ち始める。貧乏画家たちは、一人また一人とそこに集まり、やがてその一帯は芸術家の街と化した。そろいもそろって酒好き、女好き、喧嘩っ早い。けれどいったん絵を描きはじめた
晴れた日の野球場。企業対抗野球選手権に、名もなき中小企業が進出した。即席応援団も勢いに乗るところだが、試合が始まると言うのに人が集まらない。どうにか応援団の形が整ったもののかり出された駆り出されたのは一癖も二癖もある個性豊かな社員ばかり。当然のごとく、仕事への不満、オフィスラブ、出世競争など人間関係の愛憎劇が次々に繰り広げられていく。そして肝心の試合も二転三転・・・。果たして、試合の行方はどうなる
『リセット』の3つのコンセプト-〈登場人物をリセットする〉この芝居には過去の作品に登場した人物がキャラクターもそのままに、続編のように再登場します。例えば『ONとOFFのセレナーデ』の葬儀屋のヤリタイと看護婦の深町、『眠れる森の死体』の外科医の猪瀬・境など。つまり、過去の作品の登場人物たちがこの『リセット』という作品にリセットされるわけです。〈観客がリセットする〉この作品では時間的つながり、登場人
青山円形劇場プロデュース
1989年の初演から25年間年末の風物詩として上演され、多くの観客に愛された作品の4回めとなる1992年の公演。クリスマスの夜のフレンチレストラン「ア・ラ・カルト」を舞台に、訪れた客達が繰り広げるドラマを、アラカルト((フランス語)a là carte)に例えて描いたオムニバス形式の物語。「役者と音楽家の…」というサブタイトル通り、ミュージシャンの生演奏と共に芝居が進行される。
TRASHMASTERS vol.34
とある町の、台風による水害に苦しむ地方の、公民館。その日も台風は勢力を保ったまま接近していた。そこには青年団のメンバーが、祭りの開催について協議するために集められていた。祭りの開催から、災害対策、人命の格差まで話は及び、会議は紛糾する。やがて会議は終わり、解散したのだが……付近で土砂崩れが発生し公民館は停電、町の中心からも孤立する。そこに、土砂崩れに巻き込まれた青年団員が運び込まれてくる……
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昔は裕福だったが今は没落している廻一家がある日、ボロアパートに引っ越してくる。その日は長女・想子(新谷真弓)が日航機墜落事故で亡くなった命日。墓参りだけはしようと、アル中の母親・澄代(峯村リエ)は家族を促すが、ぐうたらな父親・時雄(佐藤誓)も、長男・時次(大倉孝二)も次女・春江(長田奈麻)も無反応。そんな絵に描いたような崩壊家族をなぜか大家夫婦(原金太郎・池谷のぶえ)はアパートから追い出そうとして
ぼんぼん盆の十六日に地獄の地獄の蓋があく ────夭折した明治の女流作家・一葉を取り巻く5人の女性たちが織りなすこの世とあの世の境界線。景気で浮かれる上層と下層の間で、美しい文体で時代ともに生き抜いたあらゆる階級の女性達の頂上から底までを見た一葉...。24歳6か月の若さでこの世を去るまで多くの名作を発表した夭折した天才女流作家の"奇跡の14か月"とは...。
三谷幸喜の書き下ろし作品。小説「ジキル博士とハイド氏」をベースにしたコメディ。19世紀末のロンドンを舞台に片岡愛之助、今作が初舞台となった優香、藤井隆らが出演。二重人格をテーマに据えたロバート・ルイス・スティーヴンソン著作の怪奇小説「ジキル博士とハイド氏」に着想を得た、シチュエーションコメディ。「ただ面白いだけの、笑った後に何も残らない喜劇を創りたい」と三谷が語るように、彼自身が感じる普遍的な笑い
東京郊外の築40年ほどの一軒家を改装して作られたシェアハウス。2階に大家の春山夫妻が住み、個室の5部屋には、シングルマザー、外国人就労者、引きこもり中年などの面々が住んでいる。妻の喜代子は、食事会を開いて住人たちの相談に乗るなど、まるで母親のような存在だった。その喜代子が怪我で入院し、夫の秀夫がその代わりを務めることに――。シェアハウスで起こる身近な問題を通して、多様性を認める社会の大切さを描く。
いつの時代だって、若者の言葉は『乱れて』いた。いつの時代だって、それを許せないオトナがいた。新旧世代の葛藤をコミカルに描きながら、現代日本の言語状況に迫る知的コメディ。「見れる」「来れる」「食べれる」……日本語の乱れの象徴としてよく話題になる『ら抜き言葉』。現代の若者の話し言葉の乱れを題材にしながら、言葉と生きる姿勢の深いかかわりに着目した傑作喜劇。
【Story】「風景画」は、ある場所に俳優と観客が参加する三次元の絵画です。「風景画」は、幾何学的風景論です。「風景画」は、身体的風景論です。【Note】維新派は、野外に仮設の劇場を建て、膨大な量の美術装置を使って多くの公演をしていましたが、「風景画」では、大がかりな劇場や装置は作らず、俳優の身体のみで深く風景に関わることをテーマにしました。「風景画」の最初の舞台となったのは、犬島の、現在は使われ
若き編集者・福島は運命の夜を迎えていた。今夜中に原稿を取ってこなければ、クビになるのは間違いない。彼が原稿を取りに向かうのは3人の作家。その名も、宮澤賢治、太宰治、中原中也。果たして作家たちの新作は無事に書き上がるのか。そもそも福島は、なぜ作家たちに会っているのか。抜きさしならない長い一夜の夜明けが近づいてくる。
M.エンデの『モモ』と『桃太郎』が交錯する老劇作家ジジと女優モモの時空を超えた恋-。
(フライヤーより)愛と夢とナンセンスが炸裂する最強・最高の関西演劇人が一堂に会して贈る”男のための男の演劇”、そう、それが「青木さん家の奥さん」。作・演出は関西一のタフガイこと南河内万歳一座の内藤裕敬。あの玄関の向こうにいる”青木さん家の奥さん”とは誰か?それぞれの玄関の向こうにある”家庭の事情”とは何か?そして、それぞれのヒトの胸のうちにある”人生の事情”とは?突っ走るような肉体の演技からほとば
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語
第二次大戦前夜、野球、セックス、勉強、揺れ動く多感な少年期の思い出と家族愛を謳った心温まる自伝世界。
『才能があるのは俺のほうだ』 日本漫画文化の草創期、北沢楽天と岡本一平という二人の天才が現れる。 天才同士の葛藤と苦悩を描き漫画文化のルーツにせまる。
衝撃的な内容と大胆な演出でこの年の話題をよんだKERA&ナイロン初の艶笑劇。妻とのセックスの最中に火事を出し、家と末娘を失った中年サラリーマン、ウツキ。妻一筋のまじめな彼だったが、コンビニで働く18歳の少女フミに魅かれ、不倫に走る。フミの父親は白痴の美少女マリィを誘拐し、マンションに監禁していた。ラブホテルに連れ込んだ女性から金を盗る若者、警察の職を悪用して女性にSM関係を強要する警官、そして彼ら
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(フライヤーより)一年の締めくくりにはこの笑顔。そう、とあるレストランの一日をショートショートのお芝居とファンタスティックな音楽でつづる「à la carte(ア・ラ・カルト)」。楽しくって、セツなくって、今年もいろいろあったよなとか、来年も(は?)いいことありますようにとか、そんなことを少しシミジミ思っちゃいましょうか?だって、ほらね。目の前にはこんなにおいしそうなニッコリがあるんだものね。
(フライヤーより)一つの役を「動く俳優」と「語る俳優」が二人一役で演じるというユニークなスタイルで人間の喜怒哀楽をダイナミックに表現して脚光を浴びるク・ナウカ。この方法によって、日常を越えた巨大なスケールの人物を舞台に描くことが可能になりました。今回の作品は93年に利賀フェスや韓国でも上演され、代表作と言われてきた『サロメ』の完全新演出版。5年前、青山演劇フェスで旗揚げしたク・ナウカの、満を持して
青年座・セレクションvol.2
昭和二年生まれの流行作曲家の河津昭治には、昭和二〇年八月一五日を境に封じ込めた「過去」があった。教え子で婚約者の悠子は、積極的に安保改定阻止デモに参加するのだが、昭治はその行動についていけない。そんな時、かつての自分と同じように狂信的な右翼思想にとらわれている少年と出会う。昭和三五(一九六〇)年の大政治闘争の渦の中、昭治の思想の振り子は再び大きく揺れ始め、封じこめていたはずのあの「過去」を浮き彫り
1945年8月、朝鮮半島は35年の長きにわたる日本の支配から解放された。喜びに沸く半島で、在朝の日本人は大きな混乱に巻き込まれた。拘束され、裁かれる大日本帝国の公人たち。罪状は「支配の罪」。77年前、彼の地朝鮮半島で何が起こったのか?一人の日本人官僚の目を通して語られる「命の記憶」の物語。
1本の老木をめぐる3つの物語。時代の転換点に浮かび上がる多様な思考。チェーホフの名作『桜の園』をベースに矢内原美邦が独自の視点で描いた1本の老木をめぐる3つの物語。この木を伐るか、否か。そこにはそれぞれの主張があり、賛成があり、反対があり、いくら言葉を費やしても果たしてそこに正解はない。言葉は意味を失い、時間を失い、どこか遠くのほうをさまよいはじめる。もう誰も信じない... 君が「そうだ!」という
走ってくる車に体当たりをし、自ら傷つくことで賠償金をせしめるという、奇妙な商売があった。間違えたら命を落とすのであるから、文字通り体を張っての商売である。これはその名人と言われた「当たり屋」が、家族を引き連れ、「体を傷つけなくても生きていける街」を目指して、旅立つ物語…。
アウシュビッツ博物館(ポーランド)から東京のホロコースト教育資料センターに貸し出された茶色い古びたかばん。かばんには、ハンナ・ブレイディ 1931年5月16日生まれ ドイツ語で“孤児”と大きく書いてありました。ハンナは、どんな女の子だったの?劇団銅鑼アトリエ、東京芸術劇場ほか様々な場所で・・・あなたとハンナを探す旅が始まります。
世田谷シルク第10回公演
シーンは自殺した両親の葬式から始まる。その死因を探る委員会。残された盲の姉と弟は、両親が旅行者から借りたという金を返済していくことになるが、その最中に弟は若い女に出会い、自由を知る。また殺人を犯す。親類や町の人々は奇妙な親切心で刑務所の弟を援護するが、思い通りにならないとわかると激怒する。社会とその外側の世界を、孤独とともに舞台化。
ジャーナリストの寺泊は、菜食の人気料理家、橋本和夫に取材を申し込む。戦前に食餌療法を提唱していた長谷川卯太郎という医師を調べていた寺泊は、長谷川と橋本の容姿がよく似ていたことに興味を持ち、ある仮説を立てて取材に望んだ。プロフィールに謎の多い橋本は長谷川卯太郎の孫で、菜食のルーツはそこにあると考えていた。橋本はそれを聞いて否定した。実は橋本は偽名で、自分は長谷川卯太郎本人だと言う。本当なら122歳に
あるニュース番組の内容が次々に改変させられる異様な状況を描いた『ザ・空気』( 2017 )、 国会記者会館の屋上を舞台に、日本独自の“記者クラブ制度”に着目し、メディアと政権の癒着に迫った『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』( 2018 ) に続く、“空気”シリーズの第三弾。再びテレビ局を舞台にした本作は、混迷を深める社会状況や現実の政治とシンクロさせ、今の日本の“空気”をリアルに体感させ
岸田戯曲のとてつもない面白さと奥深さに打ちのめされたKERAが贈る「岸田國士一幕劇コレクション」第二弾。円形劇場を縦横無尽に駆け巡るパノラミックな和装劇!実直なパン屋一家(志賀廣太郎、長田奈麻、新谷真弓、森田甘露)を予期せぬ出来事が次々と襲い、茶の間がいきなり怒涛のSF的展開へ突入する表題作『麵麭屋文六の思案』と続編『遂に「知らん」文六』。無邪気な子どもたちの歌声が響く学園で、大人たちの愛憎劇が繰
円佳(23歳 松本穂香)はやりたい事が見つからず、ひとまず海外に行く事を目標として、時給1000円でバイトシッターをしている。好きな人である誠也(24歳 藤原季節)の家に頻繁に寝泊まりしながら、生意気でシッターを奴隷扱いする男児・れん(5歳 平原テツ)の家から最近よく指名をもらっている。ある日、いつもの様にバイトへ向かうが、業務中に起きた災害によって円佳はれんと避難せざるを得なくなる。しかし避難所
道化を一人従えて、夜毎に荒野をさすらう重ね着の王様。彼は『王様は裸だ!』という子供の声によって、国中の笑いものになり、今は城を追われて隠遁者となった、裸の王様だった。アンデルセンの『裸の王様』とドン・キホーテの物語をモチーフにし、理想と現実の葛藤を描いた作品。第36回岸田戯曲賞受賞作。
1988年、劇団健康での初演以来、再演を繰り返すKERAの代表作にして唯一の私戯曲。波音の聞こえる浜辺の病院で、みのすけ少年はちょっと知恵の足りない仲間の患者達と脱走計画を企てている。そんな患者達を阻止しようとする医者や看護婦たち。彼等はスパイで、患者を逃がさないように見張っている。だが患者達は、その症状のせいなのかまったく集中力がなく、脱出は難航する。一方、その脱走劇と同時進行で、ボケ始めたみの
劇団「ラッパ屋」第19回公演。戦前から戦中にかけての日本映画界の物語。無声映画からトーキーへ。痛快な活劇から戦意高揚の国策映画へ。時代の変遷に巻き込まれる映画人の悲喜こもごもを、大部屋俳優からスターへ駆け上がっていく主人公・紅三十郎を中心に描く。
(あらすじ)深夜のキッチン。ケーキを焼く女と、それをからかう女。お互いに交わす言葉は交わらず、すれ違うが、次第に重なり、見えなかった関わり、言葉が現れる...Iccoka初の二人芝居作品。
ある日、綿子と不倫相手の木村が会っていた帰り道で、木村は車に轢かれてしまう。遠くから事故を見ていた綿子は助けずにその場を去り、大学講師の夫と、夫の連れ子である中学生の息子の居る家へと帰ってゆく。やがて綿子は訃報を聞くが家族の前では悲しむことができず、自身の行動を後悔し始める。そんな時、綿子は夫から家族関係の再構築を提案され、木村の死を抱えたまま流されるように再構築を始める。
55歳の万里子は家を飛び出した。「専業主婦に見切りをつけて、離婚覚悟の一大決心、あとは野となれ山となれ」飛び込んだ先は大衆演劇の旅一座。座員は三人だけである。三人は一座を立て直す為に新作の創作に取り掛かるが上手くいかない。次第にそれぞれの過去とかかえる苦悩が浮かび上がる。そして三人は大衆演劇の神様:長谷川伸の世界を目指し始める。果たして、一座の復活をかけた新作は完成するのか。大衆演劇を舞台に繰り広
昭和の団塊世代を象徴する様な男、通称・九ちゃんは、同僚には疎まれるが何故かワンマン社長にはかわいがられている。社長は頑固一徹だが憎めない男、その妻は器量の大きな昭和の女だ。ある日、その社長が亡くなった。通夜の席、胸の内を熱く語る九ちゃんの姿を見た若い社員は、何故彼の仇名が「九ちゃん」なのかを知る。合理性と効率が求められる社会に変わりゆく中で、社長と九ちゃんと妻の間には、懐かしい昭和の人間味、友情が
《彼》と旅をする20世紀三部作#2
【Story】「呼吸機械 《彼》と旅をする20世紀三部作 #2」 舞台近景画像物語りの舞台は第二次世界大戦中の東欧。戦災孤児の少年カイ、アベル、イサク、そして少女オルガの4人は戦火の中をあてどなく彷徨います。地雷を怖れ、野草を食み、時には盗みを働きながらひたすら彼らは歩き続けます。そして彼らの前に現れるは旅芸人の一座…。【Note】伊吹山を背にして、客席から舞台奥の湖に向かって傾斜していく<びわ
(フライヤーより)鴻上尚史、久しぶりの新作。今回のキーワードは”救済”と”癒し”。「ども。久しぶりの新作です。今回は少人数の芝居です。/自己啓発セミナーや新興宗教ブームが過ぎた後、明らかになったのは、もっとひりひりした”何か”のようです。新興宗教ブームなどを見ていると教祖が新興宗教を作るのではなく信者が新興宗教、つまり教祖を作っているように思えます。/人間の”夢みつづける力”は、一体何を生むのか。
遊園地再生事業団#11
舞台はとある中学校の教室。体育の授業中、こっそりと持ち物検査にやって来た5人の教師による不穏な会話劇。1997年に起きた14歳の少年による連続児童殺傷事件や翌年の教師刺殺事件をきっかけに、少年のナイフ所有が社会問題となったことを背景に創作された作品。
日本アニメ(ジャパニメーション)はなぜ世界中の子供たちを魅了するのかーー。 奇跡に奇跡が重なって、ジャパニメーションの現在がある。 生い立ちの感動的な瞬間を舞台化し その黎明期を虚実を織り混ぜながら真相に迫るーー
多くの愛人たちに告げる「グッドバイ」ー昭和23年を舞台に、不埒な色男と怪力大食いの美女が巻き起こす恋愛狂騒劇(スクリューボール・コメディ)!!太宰治未完の原作をベースにKERAが描き出したコメディを生瀬勝久演出のもと新たに紡ぎ出す!昭和23年の春。GHQ占領下の東京。文芸雑誌『オベリスク』の編集長、田島周二(仲村トオル)は、編集の仕事の傍ら、闇商売の手伝いで大儲け。複数の愛人を持つ生活を送っていた
全世界の登録数は700万人超の紹介制ネットカジノ「K2」を匿名で運営する美菜。「K2」内で最も人気を誇るオンライン型育成カジノゲーム『earth』は、ユーザー間で「アス」「けつあな」と呼ばれ親しまれ、『流せ、すべてのセンス。』というキャッチコピーには宗教家である美菜の思想が反映されており、ゲーム内にユーザー独自の地球を作り、歴史も価値観も生き方もすべて自由に変えられる星育成システムで話題を呼んだ。
東京にあるビルメンテナンス会社・美装総合サービス。社長の紘子、ベテランの直美、シングルマザーの美鶴、22歳の健太らはビルの清掃にやりがいを感じながら仕事をしている。そんなある日、越田と遥が新型コードレス掃除機の営業にやってくる、いいことづくめのこの掃除機。従業員の負担が少しでも減れば…と紘子は一台お試し購入することに。ところがその実態は真っ赤なウソだった!!!
CBGK Premium Stage リーディングドラマ
それは、一通の間違いメールから始まった。男優と女優が読み上げるメールで紡ぐ、特別な大人のためのラブストーリー。2011年秋、渋谷の中心地に誕生した劇場「CBGKシブゲキ!!」。客席数242席、最後列でも舞台上の演者の表情がわかりその息づかいが届く距離の、ユニークなカルチャーの創造基地です。この劇場から発信するリーディングドラマ「Re:」(アールイー)は、A.R.ガーニーの名作「ラヴ・レターズ」のよ
遊◎機械/全自動シアター第11回公演
『僕の時間の深呼吸―僕は夜中に台所でこっそり懐中時計を呑みこんだ―』と並ぶ、「遊◎機械/全自動シアター」の人気作。1987年に初演された作品の再演である。高泉淳子演じるロイド眼鏡、蝶ネクタイ、半ズボンにランドセルという姿の小学生・山田のぼる君が不思議世界を次々と経験していく。
劇団「双数姉妹」が青山円形劇場にて三度公演した、円形でしか為し得ない、円形のための芝居。1994年の初演。
(フライヤーより)ハムレットの悲劇を召使いの口からのみ語らせてみたら?陽の当たる者は言葉を持てず、陽の当たらぬ者だけが喋りの自由を持つという現代マスコミの構造をハムレット劇に投影、僕らの生きている現代が胸に迫る”想い”とともに見えてきます。
『放浪記』で一躍文壇の寵児に躍り出た女流作家・林芙美子。奔放に生きてきた人生を写すが如く、原稿用紙に向かっていた。世間の風は戦争へ突入すべく、日増しにきな臭さが強まりはじめていたそんな中で、芙美子は人生の切り売りだけで小説を書くことに行き詰まりを感じていた。そして、時流にあわないという理由で出版した本が発禁処分されてしまう。芙美子につきまとい、金儲けを企むプロデューサー三木孝は、"戦さはもうかると
僕たちの一夜の奇妙なアルバイト。それは明日取り壊される古い屋敷の床下に埋めらえた”ある物”を掘り起こすことだった。正義と邪悪が交錯し、夢と絶望が裏取引を繰り返す都会の真ん中に、忽然と姿を現した現代の羅生門で、僕たちが見たものはいったい何か―――。
人は果たして他人になり切れるか東北羽前国平畠藩...そこは一面の紅花の里。瓜二つの紅花問屋の当主になりすまそうとした江戸の金物拾いの徳言葉、習慣を捨て、自ら証明するものを失っていく。騙したつもりが騙されて、替え玉になったつもりの徳を待ち受けていたのは...