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ゾンビ音楽でつづる死への行進。オペラの新領域がここに拓かれる! 死神に先導され、恐怖に踊りつつ死に赴く人々の列を描いた「死の舞踏」。死の普遍性を伝えるものとして、中世ヨーロッパ以来、さまざまな芸術作品、文学に引用されてきたイメージを、現代のアーティストによる「オペラ」として上演する試みがここに始まった。 クリエーションの起点となるのは、コンピューター制御された指がリコーダーやクラリネットなどの楽器
『放浪記』で一躍文壇の寵児に躍り出た女流作家・林芙美子。奔放に生きてきた人生を写すが如く、原稿用紙に向かっていた。世間の風は戦争へ突入すべく、日増しにきな臭さが強まりはじめていたそんな中で、芙美子は人生の切り売りだけで小説を書くことに行き詰まりを感じていた。そして、時流にあわないという理由で出版した本が発禁処分されてしまう。芙美子につきまとい、金儲けを企むプロデューサー三木孝は、"戦さはもうかると
1887年、アリゾナ州トゥームストーン、寂れかけた西部の町に、かつて悪名をはせた名うてのガンマンたちが続々と集まってくる。彼らはかつてこの町で行われた伝説のガンファイト「OK牧場の決闘」をショーとして再現するために集められたのだ。企画したのはサム・クレメンズ(マーク・トウェイン)。全米から集まった見物客の前でショーは無事に終わり、ガンマンたちは大金を手にする。しかしそれは企画者サムの仕掛けた罠であ
京都駅から南東に伸びる京阪沿線の高架下に、ポツリと佇むダイナー「water lily」。経営者の桐野京子は、コーダである20歳の息子、ひかると静かに暮らしていた。ある日、ひかるは恋人である森田優子をダイナーに連れてくる。すぐに意気投合する京子と優子であったが、次第に、優子に隠された過去が明らかになる。COVID-19が猛威を振るう中、宙に描く、あなたの指先が燃える時、悲劇が起こる。桃色声劇第二弾で
松原俊太郎による現代日本のフォークロア。舞台中央には一艘の舟。漁師、サラリーマン、女子高生…と様々な「日本人」が現れ、奇妙な共同体は舟に乗り込むーー。行き場を求めて右往左往する人々の姿は、不思議と深刻さからは無縁であり、祝祭空間としての劇場を強く意識させる。震災以降の日本社会に対する痛烈な批判でありながら、死者とともにあること、忘却についての哲学的論考を含む原作を一幕に再構成、地点の新しい境地を拓
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
文明のパレードであり、物質のパレードである。野外劇場で初演され、日本の「舞台芸術の新しい領域を開いた」と評される作品。台詞を全く用いず、従来の演劇、舞踊といった枠組みを越えて新たな劇表現を獲得したこの作品は、パパ・タラフマラの大きな転換点となった。人の生み出した物が、むしろ人を動かして先へ先へと進んでいく。そのような文明のエネルギーを視覚化し、生命と物のパレードとして描く。ロケットを想起さ せる7
本公演では、「らしい身体の上演の可能性/困難性」をテーマに掲げ、俳優に限らず、観客や舞台機構といった広義の他者が存在し、互いに影響を及ぼし合う上演空間の中で、そうした他者の影響に晒されながらも、その人らしさを備えた身体がいかにして実現可能なのか、あるいは不可能なのかを探る。
『更地』の登場人物は男と女の二人だけ。二人はかつて自分たちの家があった場所にやってきて、自分たちの記憶を確かめていきます。自分たちの始まりはそのまま世界の始まりなんだと言ってしまえる二人。自分たちが知っていることだけが確かだけれど、私たちしか知らないことはなかったことかもしれないのです。
いつ高シリーズ
誰もいない夜の校舎でひとりきり、昼間に集めた声を聴く。それがあたしの唯一のたのしみ。昼間の校舎に、あたしはいない。あたしは、あたしのいなかった時間を盗み聞きして、あたしのいなかった校舎を歩く。昼と夜を重ね合わせるんだ。
弦巻楽団演技講座
開講10周年を迎えた弦巻楽団演技講座が、弘前劇場主宰・長谷川孝治の名作である『冬の入口』を上演。現代口語演劇の一つと高く評価された、等身大の人間の「生」がまるごと描かれた会話劇。死を受け入れる家族や部下、死をきっかけに右往左往する人々。誰もがいつかは迎える、冬の入口の物語。
何かを盗みたい時は、最初に必ず、信用させるんだ戦争が激しくなる中、祖母の家に疎開した双子。しかし祖母は二人を労働力として酷使する。双子はこの悪夢を生き抜く為に、自らの精神と身体を鍛え始める。戦況は厳しくなるが、双子は靴屋・将校・神父など様々な人間に助けられ、時には利用し合って生き延びていく。そして戦争が終わり、父が訪ねてきた。その時、二人のとった行動とは。
「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで他界した、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の代表作『銀幕迷宮-キネマ・ラビリンス-』。再演希望が最も高い、螳螂初期の魔界演劇が、今、満を持して下北沢・本多劇場に初登場!
-済州島に吹き荒れた狂風から逃れるため、海を越え大阪に身を寄せた幼い双子のソラとトンア。あれから半世紀以上が経った。ふるさと済州島で暮らす父母を想い、それぞれの人生を懸命に生きる二人。ようとして知れない父母の消息を追って、初老になったソラは一人で済州島に帰ることを決意する。戦後、海を渡り大阪へやってきた在日コリアン1世のその後の物語。済州4.3事件の渦中に大阪へ渡ってきた人々を描いた小説「風の声」
あなたは嘘をつきますか?日常の曖昧な返事を含めて今までの人生で何回くらい嘘をついてきたか考えた事がありますか?例えば子供に「サンタさんはいるよ」と善良な嘘をつく時に、小さな痛みを感じますか?世の中は「言った、言わない」話で揉め事が絶えません。誰かが自分の尺度で真実を良いように解釈し「嘘」を正当化すれば、戦争だって起きる訳です。果たして嘘は必要なのか否か。人を騙すことは善なのか悪なのか。「芝居を見る
永井愛が2003年に他劇団に書き下ろした人気作を、自らの演出で上演。セレブな専業主婦だった秋子は、夫の会社が倒産したため、働くことを決意。しかし、パートタイマーとして採用されたスーパー「フレッシュかねだ」は、あらゆる不正が横行するディストピア的世界だった。正義感が強く世間知らずで他のスタッフから浮いてしまう秋子は、大手企業をリストラされ、この店で屈辱に耐えながら働く貫井と心を通わせるようになるが…
美術家小沢剛の演出は、3.11後の世界に向き合うイェリネクのテキストの複雑さと生々しさにストレートに呼応する、雑多で具体的な体験に満ちたものだった。美術展を模した会場に並ぶのは、イェリネクのテキストがそのまま刻み込まれた絵画や写真、オブジェ。やがて、静かな鑑賞の時間を引き裂くようにバタバタと類人猿が現れる。牛の遺体を引きずり、床に叩き付けて見せる彼は、悲嘆に暮れているのだろうか。やがて、制御の利か
2024年新札発行モデルの津田梅子を扱った舞台上演は関西ではまだほとんどなく、加えてその生涯を知るきっかけもあまりない。彼女は「津田塾大学」の創設者である以上に「日本の女性教育の向上」に大きく貢献した人物でもある。その生涯の一部を新進気鋭作家・南出謙吾が描くことで今の社会に「女性の地位」に対して改めて一石を投じたい。
進駐軍の占領下で、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。親を亡くし、子を亡くし、夫を亡くし、友を亡くした人びとが、世の中の新しい枠組みの中で、無我夢中に生きていた。ひとり息子の健太郎を戦地に失った愛敬稲荷神社の神主牛木公磨も、今では近くに住む五人の未亡人たちと寄り合って、闇米の調達に奔走している。そんなある夏の日。思いもかけず、死んだはずの健太郎が愛敬稲荷神社にひょっこりと帰還する
シェイクスピアシリーズⅠ
イギリスの劇作家シェイクスピアの四大悲劇の一つである「マクベス」を題材に、社会に対する鋭いまなざしを持つ劇作で評価が高い、くるみざわしんが新解釈で戯曲を執筆。マクベスという暴君を、それを生み出した背後にある社会構造や人間関係などを現代社会とリンクさせ、男たちの闘争劇から女たちの物語へと再構築した。
当初は座付き作家を持たず集団創作による作品づくりを行っていたが、1991年初演の「ラ・ヴィータ」より、高泉淳子の戯曲を白井晃が演出するというスタイルが定着した。
かつてヒロシマで負ったケロイドを、群衆に晒し喝采を浴びた「病人」。戦争の記憶が遠のき傷が輝きを失っても、もう一度あの街に出たいと願っている。一方「甥」は自分たちはただ静かに死を迎えるべきだと諭し、「看護婦」は子供を産みたいと話す・・・。
(フライヤーより)「黒蜥蜴」とは妖気の黒ビロードの上に純愛のダイヤがきらめく推理劇であるー三島由紀夫ー
【Note】都会の廃校体育館を劇場に改造した公演。 大戦直後の都市浮浪児たちが繰り広げる冒険活劇。屋内に「青空」をつくりこんだ。 回転舞台の焼跡オオサカがやがて高層ビルの未来都市に。
西洋、日本のさまざまな物語形式を取り入れ、日本人の奥底に眠る近親相姦的感情を浮かび上がらせた戯曲(1978年初演)を、“井上ひさし生誕77フェスティバル2012”の第七弾として上演された。平安時代の奥州・米田庄を舞台に、十五の夏に禁忌を犯した美しく仲睦まじい双子、稲若と日の浦姫と、二人の間に生まれた子供をめぐる数奇な運命を、井上ひさし流のユーモアを交えて描いた作品。
「真の美しさや人間的感情を求める人生が、虚栄の美しさや幸福を暴力的に求める存在によって破壊され犠牲となっていく社会」という主題に光を当て、2つの世界が互いに理解共存することが不可能であることを通して、人間はいかに共存していくべきなのか?という問題に切り込む。ワーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきたが、彼が定年退職しその無能さが明らかになり、今までの自分の献身が全くの無意味だったことを知る。
本作は、大学卒業を前に海外に卒業旅行へ行く男子学生たちの旅行劇。彼らには、友人の1人を急性アルコール中毒で亡くした過去がある。友人を殺してしまった罪悪感によって彼らは絆を深めてきたのだが、その絆は友情なのか友情とはまた別のものなのか、そして彼らの絆は卒業とコロナ禍を機に消えてしまうのか。コロナによって奪われ消えてしまった尊い時間や、家族・友人との絆や記憶について観客に考えさせる機会を創出したい。
とある地方都市の写真館。この店は、街で一番古いというほどではないものの、現在の店主、坂下良成で二代目になっている程度には老舗である。しかし、フィルムカメラからデジタルカメラへの移行の時期に、少々後れを取ったため、経営は苦しい。それなりの借金とそれなりの財産を持ち、それなりの腕でそれなりの稼ぎを得ている。また、フィルム現像機を未だに備えているため、フィルムカメラ好きが訪れる店でもある。最近多いのは、
いま・ここにいる人間のためだけではない演劇は可能か?人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在するような世界を演劇によって生み出すことはできるのだろうか? 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市では、失われた住民の暮らしを取り戻すべく、津波被害を防ぐ高台の造成工事が行われている。もとの地面から嵩上げされる高さは10メートル以上。そのための土砂は、周辺の山をその原型を留めな
(フライヤーより)遊◎機械/全自動シアターの高泉淳子と白井晃が不思議の国のヴァイオリン弾き中西俊博とジョイントして贈るシャレた時間のア・ラ・カルト(一品料理)。青山円形劇場に突如現れたワンダーランドのレストラン、演劇+コンサート=素敵な素敵なショウの始まりです。はっきり言ってこんなの見たことない、見たことないのに何処かなつかしい…。さあ、何が飛び出すか?サンタの靴下を開ける気分、味わって下さい。
江戸末期――。田中儀右衛門は、十代前半で既に地元・久留米で「からくり師」として注目を集めていた。彼が、久留米がすりの創始者・井上伝の求めに応じ、花や蝶などの洒落た柄を織り込む技法を開発し、地元産業の発展に貢献したのが十五歳のときだった。発明の面白さに魅了された儀右衛門は、からくり人形を見せる見世物小屋の興行師として大阪で活躍する。その後、大塩平八郎と出会い、〈仕事の使命〉に開眼する儀右衛門。だが、
地下の安宿では、今日も朝からたわいない喧嘩が始まる。饅頭売りのクワシニャー、病身の妻・アンナを顧みない錠前屋のクレーシチ、男爵と呼ばれる男はナースチャーに茶々を入れる。宿の主人コストイリョフが女房のワシリーサの行方を訪ねに降りてくれば、こそ泥のペーペルと衝突する。行き場の無い人間達がふきだまるそんな宿に、巡礼のルカが来る。彼の啓示めいた一言ひとことが、やがて波紋のように宿の住人の心に広がっていく。
ある朝目を覚ました女は、妙な既視感に襲われる。「私また、昨日にいる--。」その夜から夢に現れた鴉とともに、繰り返される一日からの脱出を試みる彼女だが……。やがて起こる日食、そして鴉によって語られる「盗まれた手紙」の正体とは?エドガー・アラン・ポーからパウル・ツェランに至る西洋詩の系譜と、2000年代日本のオタクカルチャーが形成した「セカイ系」を融合させ、現代の会話劇として舞台化。
演劇を通して多くの知見を得て磨きあげられた人材をSPACの“宝”と捉え、近年は演出家としても活躍目覚ましい寺内亜矢子を起用。世界の舞台を経験した俳優たちとともに、鍛え抜かれた身体と音楽性豊かなセリフ術を活かし、子どもたちの発想力を刺激するインタラクティブな演劇作品に挑む。
阿佐ヶ谷スパイダースの3人ともうひとりで紡ぐもうひとつの世界■ものがたり 3人とひとりと長い椅子 そしてどうしようもなく夜 ばくばくと 呑まれていくのか 恐るべきものへ
江戸末期――。田中儀右衛門は、十代前半で既に地元・久留米で「からくり師」として注目を集めていた。彼が、久留米がすりの創始者・井上伝の求めに応じ、花や蝶などの洒落た柄を織り込む技法を開発し、地元産業の発展に貢献したのが十五歳のときだった。発明の面白さに魅了された儀右衛門は、からくり人形を見せる見世物小屋の興行師として大阪で活躍する。その後、大塩平八郎と出会い、〈仕事の使命〉に開眼する儀右衛門。だが、
超個性派俳優、遂に激突!絶妙且つ軽快な会話によって繰り広げられる、少しほろ苦い大人のコメディ!!!20年前に建てられた瀟酒なマンション「ヴィラ・グランデ 青山」の中庭に民谷史章(竹中直人)と、その友人であり仕事仲間でもある陣野圭作(生瀬勝久)がいる。二人は、はそれぞれこのマンションの一室を同時期に購入したが、陣野は最近、母親とのの同居を決めて引っ越した。二人はここで知り合い、20年余りの間にたくさ
2016 年日本社会に衝撃を与えた知的障害者を狙った大量殺人事件から作者が感じたことを出発に創作された。優生思想、老い、をテーマに現代社会の価値基準を問う批評性を持った作品。タイトルの「妖精」は「みえないもの」の隠喩。社会のなかでみえないようにされているものついての問題集である。一部は落語、二部は音楽、三部はセミナー、とそれぞれ異なったスタイルの三部から構成され、主に一人の俳優によって演じられる。
かつてウクレレの生産量世界一だった群馬県。田舎の古い家のお盆の一日を描くことで、その土地の歴史と日本の戦後史の一断面を描いた静かな演劇。2020年上演予定だったがコロナで中止。座組を維持したまま翌年コロナ禍での上演となった。
父が死んだ。「死んでしまえ!」と何度も思ったあの父が、医療ミスで死んだ。医者として最先端技術に邁進していた父。その死に対して意外にも浮かぶ無念の思い。父と母の出会いから別れまで一つの夫婦の物語を岩井は見つめ直す。父は何を信じ、母は何を信じていたのか。生きる意味とは何か。なぜ一緒に生き続けたのか。人と人が共に生きるとはどういうことなのか。たくさんの記憶と出来事を辿るその先に答えは見つかるのだろうか。
世田谷シルク第14回公演
前作「工場」から数年後。工場内では自国の社員は減り、外国人労働者が多く出入りしている。新しい社長は統制のとりづらい彼らを強制帰国させようと考える。外国人の主人公は、従順さがアピールできる運動会を推薦するが仲間たちは大反対。そんな中、寮ではストライキが起き、彼らの雇用はより危機的状況に陥る。工場エリアには、夕暮れになると観光客がやってくる。そこで工場夜景を撮る彼らの写真には、労働者の心までは写らない
[Story]伊勢をめざす旅に出た少年ワタル。奈良の山中で道に迷ったワタルは、不思議な生き物を見ます。導かれるままに辿りついた曽爾村で、ハルという腕白な子どもに出会います。2人は、村祭りで一緒に獅子舞を見たり、雨の中、秘密の洞窟を探検したり、ワタルは迷子になっていたことも忘れ、ハルと村中を巡ります。彼らを傍で静かに見つめているのは、成長して曽爾村を再び訪れたワタルです。成長した彼もまた人生の岐路に
感情の神々・エモ神様から派遣されるおんたろうは、人間の怨念を解消するためにあの手この手でお手伝い。今回おんたろうが降り立ったのは、この春小学校の教師になったばかりの純...だけじゃなかった?!おんたろうは、小学校に渦巻くネガティブエネルギーを下げることができるのか...。
東京郊外の築40年ほどの一軒家を改装して作られたシェアハウス。2階に大家の春山夫妻が住み、個室の5部屋には、シングルマザー、外国人就労者、引きこもり中年などの面々が住んでいる。妻の喜代子は、食事会を開いて住人たちの相談に乗るなど、まるで母親のような存在だった。その喜代子が怪我で入院し、夫の秀夫がその代わりを務めることに――。シェアハウスで起こる身近な問題を通して、多様性を認める社会の大切さを描く。
路上
雑遊オープンの頃からひらひらと続けてきた、川村毅・新作+小林勝也・主演<都市を彷徨う男が巻き込まれる形而上的スラプスティック・コメディ>路上シリーズ。2020年 劇場の灯が消えCovid 19厳戒態勢の中、雑遊にて上演した新作『路上5―東京自粛』から2年半。あの新宿の根無し草、村上・田宮・セシルが帰ってきた! 劇作家たちの場として、雑遊にて2022年一年間を掛けて開催したT Crossroad 短
「柴まだわかんないの?」「あ、わかったかも。」■ものがたりチンピラになりきれない男は、仕事のため暫くの間地元を離れるという仲間から庭の防空壕に暮らしている人々の世話を依頼される。小学校時代の同級生ら4人を15年間閉じ込めているというのだ。不便な地下生活にもかかわらず、無邪気で無垢な彼ら。世間に愛想を尽かした在日外国人の男も純粋でどこか甘美な地下生活に魅せられていく。束の間の交流は、仕事を失敗し帰郷
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
さびれた芝居小屋の淋しい楽屋。遠くから客入れの演歌が流れ込んでくるやいなや、大衆演劇女座長・五月洋子は、座員一同に檄を飛ばし始める。開演前の化粧支度の最中も、口上や十八番の演目である「伊三郎別れ旅」の母と子が再会する場面の稽古に余念がない。そこへ捨てた息子との対面を、と出演依頼を携えたお客がやってきた・・・。うってかわって、クリスマス間近の芝居小屋の楽屋。大衆演劇の座長・市川辰三は。夜の部も迫った
ブレヒトルネッサンス
劇団創立20周年記念公演。明治初年、「お江戸」から「東京」と名がかわった品川の宿。泣く子も黙る大悪党、剃刀左平次を真ん中に、泥棒と乞食と娼婦たちがくりひろげる三つ巴の仁義なき戦い。「金」と「セックス」の栄光をもとめて、最後に笑う者はいったい誰か?黒色テント「ブレヒトルネッサンス」第一弾。
一輪車作品の演劇的可能性を追求すること。オブジェクトシアターとして発展させること。技術を担保にしたパフォーマンスにおいて、おどかす派手なショーではなく、芸を作中に溶け込ませた演劇作品として発展することを目的に据えている。食事と排泄、ドレスの着脱、口紅を使う化粧などのシーンを一輪車の乗降とともに進行することで、器具が彼女の脚や背負った業など様々なメタファーに変化する異質な存在として描き出す。
認知症の父がひとり残されたい家。兄はその家を売却し父を施設に入れようとするが、そこには死んだはずの弟の霊が棲んでいた。石川を舞台に、片付けられない家と感情を描く静かな物語。
何回も言うけど、政治の話じゃねぇんです。■ものがたりファシズム再来の新日本帝国。そこでは一切の表現活動が禁止されていたが、アル中を中心に構成された反体制グループ「山崎」の人々は、収容所に送られることを覚悟でショーの準備を進めていた。しかし仲間の密告によりショーは開演直前に一斉検挙、バレエを踊り続けたリーダーの妻は殺されてしまう(第一部)。特効警察の施設で体制側に協力する元「山崎」の主要メンバー。仲
CBGK Premium Stage リーディングドラマ
それは、一通の間違いメールから始まった。男優と女優が読み上げるメールで紡ぐ、特別な大人のためのラブストーリー。2011年秋、渋谷の中心地に誕生した劇場「CBGKシブゲキ!!」。客席数242席、最後列でも舞台上の演者の表情がわかりその息づかいが届く距離の、ユニークなカルチャーの創造基地です。この劇場から発信するリーディングドラマ「Re:」(アールイー)は、A.R.ガーニーの名作「ラヴ・レターズ」のよ
王冠を捨てた恋で知られるエドワード8世とシンプソン夫人、彼らと関わりを持っていたアドルフ・ヒトラーの関係を、認知症「レビー小体病」を患っていた晩年のウォリス・シンプソンの視点で描く。野心と後悔と愛、老と死、そして、戦争と平和を考える大人のためのラブストーリー。
数年前、映画館で海賊版制作者を捕まえた岡は監督を志し、俳優の相葉とのモキュメンタリーを撮影する。彼らはハートランドという店に立ち寄り、そこで様々な人々と出会う。しかし、店の様子が変わっており、岡は須田という人物がそこにいることを知る。欲求と不確かな存在を描く一夜のフィクション。
東京都内にあるカトリック系私立女子中学校の会議室。そこに、集まる数人の男女。いじめ自殺死した子供の遺書に書かれていた、いじめ加害者の親たちである。それぞれ、年齢も、生活環境も、職業も違う親たちは、身勝手な事情から我が子を庇護する事に終始する。怒号飛び交う会議室。子供達のいじめを通して、それぞれの親たちの「顔」が浮き彫りになる。
ぼんぼん盆の十六日に地獄の地獄の蓋があく ────夭折した明治の女流作家・一葉を取り巻く5人の女性たちが織りなすこの世とあの世の境界線。景気で浮かれる上層と下層の間で、美しい文体で時代ともに生き抜いたあらゆる階級の女性達の頂上から底までを見た一葉...。24歳6か月の若さでこの世を去るまで多くの名作を発表した夭折した天才女流作家の"奇跡の14か月"とは...。
演劇集団saladbowlの現メンバーと元メンバーの恋宵(アクターズ仙台 現座長)がタッグを組んで実現した合同公演。現実に近いファンタジーと、ファンタジーのような現実が混在する短編を六つ上演します。作品迷い道路地裏の薬笑みを浮かべて蝶二本線を見つめて、
《彼》と旅をする20世紀三部作#1
【Story】1908年、ブラジルへの移民船、笠戸丸。日本人少年ノイチは、ポルトガル移民のアンと恋に落ちる。成長したノイチは、デモの夜に人を殺してしまう。ブラジルを離れることとなったノイチは、アンと先住民のチキノをつれて、南米中を転々とする。放浪の過程で、日本人排斥運動やクーデターに巻き込まれ、散り散りになってしまったノイチたち。彼らは再び出会うことはできるのだろうか。【Note】<彼>と旅をする
数々の戯曲賞で受賞歴を持つ気鋭の劇作家くるみざわしんの新作。人間のいなくなった犬の街にそびえ立つ直径300mの観覧車がある日動き始める。ゴンドラに飛び乗った4匹の犬たちによるほとばしる主張のぶつけ合い。悲しくも滑稽で美しい寓話劇。文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞した笠井 友仁による照明・演出、サカイヒロトによる映像・舞台美術、岸本昌也によるビジュアルデザインなどメンバーによるスタッフワークも見どこ