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わたしって、約60兆個の細胞でできてるんだってってことは、わたしが「わたし」って言うときそれは60兆個の細胞が大合唱していることになる『わたし!!!!!』ってミンナツナガッテイルの意味があなたにはわかっている?プラスチックプール は、日常にひそんだささいなアディクション(依存症)を生きる女たちのお話ですホントの私ってなんだろうだったら自分で決めたら?
本作はYCAMが展開する市民とアーティストが共同で作品を制作する長期型ワークショップシリーズ「meet the artist」という枠組みのなかで制作され、市民コラボレーターのリサーチをベースとした、YCAM初となる山口市中心商店街を舞台にしたツアー形式の作品である。観客は3人一組のグループとなって20分間隔でスタートし、ツアーマップとなる専用の路線図などを手に、商店街を約1.5km/90分かけて
目的のためなら手段を選ばない暴君と、権力の座に上りつめる新しい王。暴君を殺したのはいったい誰か───。シェイクスピアの歴史劇の面白さがぎっしり詰まったイングランド王リチャード二世の物語が、虚言・疫病・戦争に今なお翻弄され続ける現代を照らし出す。
能meets能
わかりにくいからこそ面白い能の、わかりやすく濃密な講座「能meets」。講座参加者からの一番多い感想「能公演がみたくなった」にお応えして生まれた能meets能。第二回の「国栖(くず)」は吉野山に住む国栖族という先住民が、敵に追われてやってきた天皇一行を必死の思いで守るお話。子方(子役)の出演も見どころです。本編に加え、仕舞や、「能と狂言の違い」講座は大変興味深く、必見です。本編後には公演直後のアフ
一粒萬倍の物語のコンセプトである「五穀豊穣への感謝と祈り」、そして「いただきますに込められて食の命への感謝の心」を、より深く理解してもらうため、作品解説や舞台裏映像、伝統芸能の所作に込められた意味、日本文化の源流など、多角的に紹介する。
わ芝居~その弐
昭和3年。天乃屋本家は旦那が事故死、番頭は病死、残ったのは跡取り娘の病弱なシズ一人。病弱な娘には婿の来手がなくこのままでは本家がつぶれると、親戚一同困っていた。せめて一代だけでも繋げれば、何とかなるかもと考え都合のいい男として白羽の矢が立ったのが手代・伊助であった。伊助は断れず、本家の旦那に就任してしまう。計画は順調に思われたのだが…。古典芸能とのコラボ企画として誕生した「わ芝居」シリーズ第二弾。
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を「聞く」ことからはじめようとする。
今回、あやめ十八番が取り上げるのは『活動写真の世界』。無声映画全盛の時代、日本では活動弁士と呼ばれる映画説明者が大活躍していました。日本では……と書くのは、この活動弁士という仕事が話芸に秀でた日本固有の文化であった為です。そんな彼らも、トーキー映画の台頭と共に、徐々にその活躍の場を奪われていきました。本作『六英花 朽葉』では、大正・昭和を舞台に活躍した活動弁士たち全盛の夏と、衰退の秋を描きます。
(フライヤーより)何かと戦うこと、深く傷つくこと、それを癒し乗り越えようとする力。“V”という名の戦争のあった1970年代アメリカ、その光と影を繊細なタッチで描いた原作は、「青春」の定義をこう教えてくれています。淡くほろ苦いこの戯曲を迎え撃つ演出には東京乾電池の綾田俊樹、出演も強力陣6名。『青春デンデケデケデケ』の主演など大林宣彦監督の映画で活躍中の林泰文(舞台初参加)、昨年の演劇フェスでも鴻上尚
創立20周年記念公演「Yamanote7481」3本立てのうちのひとつとして上演。俳優の頭脳と身体を材料に繰り広げられる独特のトレーニング《山の手メソッド》。それをエンターテイメントにまで昇華したのが「jam」。特別ゲストに劇団OB・清水宏氏と落語家・柳家花緑氏を迎え、山の手事情社俳優とのバトルロイヤルが実現した。稽古場のビビッドでゾクゾクするような興奮をたっぷりとお楽しみください。
能meets能
動かない・静か、そんなイメージが強い能において、派手な動きや、一番の見所である曽我兄弟対10人の斬組(殺陣)がある人気曲「夜討曽我」。敵討ちという物語性あり、前半と後半のコントラストも面白い人気曲でありながら登場人物の多さから上演の機会は稀。能「夜討曽我」他、仕舞、舞囃子も収録。事前講座では物語の内面や能の観方を解説。一般公募者による殺陣シーンの再現「能meets殺陣」と東京でのダイジェスト版も同
今年も花見は無理だった。心地よい風に葉桜が揺れる、5月の北国の港町。感染症対策のために産婦人科の駐車場に拵えられた簡易待合所には二人の男。道路を挟んだ向かいにあるグラウンドからは少年野球の賑やかな声が聞こえてくる。陽射しがまぶしい午後。父親になりたかった男と、父親であることから逃げ出した男。新たな命の誕生を待つ二人のセレナーデ。
賃貸契約の一方的な破棄により、住む家をいきなり追い出されそうになる家族の物語。しかし人智の及ばない強大な力が見え隠れし始め、その問題自体が舞台上から消え去り———人間の世界を圧倒する存在が上演を支配し、まったく新しい世界が舞台上に立ち現れる。俳優たちはナラティブとは別の基準によって作られた振付を遂行し、次第に変態していく。音楽家もまた、楽譜に書き込まれた多彩な技法を用いて音楽を変容させる。6名の俳
「私は東京生まれです」「2020年のオリンピックを歓迎します」「今年セックスをしていない人」…。「はい」か「いいえ」か、さまざまな問いかけに応えて舞台上を移動し、時には自らの経験や考えをマイクの前で語るのは、東京都の人口統計(国籍、年齢、性別、居住区、世帯構成)を反映した100人の市民。 23区を「代表」 する彼らが劇場空間に描き出した「トーキョー」は、 この都市の標準的な姿か、演じられたイメージ
障がいの有無を越えて共にダンスを創ることをコンセプトに、2016年より活動を続けているスクランブル・ダンスプロジェクトによる舞台「ROCKS」は、山海塾の松岡大が演出を行い、車椅子、半身不随、ダウン症など、様々な障がいのあるダンサーと、プロとして活躍するダンサーが共に創りあげたインテグレイテッドダンス作品です。
「都市」を「砂漠」に置き換え、「都市」の行く末を見つめ続けた、如月小春の鋭いまなざしが結晶した作品。
1959年ー神田淡路町で出会った青春安保、沖縄返還、バブル経済・・・昭和から平成への四十有余年のそれぞれの時間の行方・・・ニコライ堂の鐘は今日も静かに響き渡る
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
都会を捨てた男たちが 厳寒の東北で真っ赤な果実にすべてを賭けた。■ものがたり北の小さな村に建つ、小さな潰れた工場。そこに未だ出入りする工員たちがいた。理想を求め脱サラして挑んだりんご栽培に失敗し、さらにりんごを包むスチロール、いわゆるりんごパッキン工場にも失敗した工員たち。しかし未だ諦め切れず、何をしていいかもわからず、彼らはずうっとそこにいた。そんな中、一人の消えた工員がとってきた小仕事。トラッ
(フライヤーより)こどもの城オープン3周年記念として、ピアノ練習曲集「バイエル」を材料に、詩と歌と映像で味つけしたファミリー・コンサートをお贈りします。「せっかく美しい曲が集まっているのに、ただの練習曲にしておくのはもったいない」と、詩人たちが「バイエル」に楽しい詩をつけました。さらに映像もプラスして、「音楽の楽しさ」「詩の楽しさ」「みんなで歌う楽しさ」をお届けしたいと思います。ピアノを習っている
能楽公演 2020 ~新型コロナウイルス終息祈願~ 第2日
阿蘇宮の神主友成は旅の途中高砂の浦で、松の木陰を清める老夫婦に相生の松の謂れを尋ねた。老夫婦は自分達こそ相生の松の精だと明かし姿を消した。友成が住吉に行くと住吉明神が現れ颯爽と舞を舞い千秋万歳を祝うのであった。
「現代能楽集」連作
旧東独の劇作家ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』では、東欧の現実が、冷え冷えとして空無化した世界が描かれているのだが、しかし同時に、そこには空無化、冷えの果ての「熱」のようなもの、非業の死者たちの声、視線があり、それは深部で夢幻能の記憶の層、身体性と繋がっている。そのため上演は、能、現代演劇、ドイツ語朗唱の共同作業として取り組まれ、その試みを通してアクチュアルで、根源的な言語、身体の相が探
1998年2月、東京都国立市のホテルで、自動車用品会社社長ら3人が、仲良く1本のロープを分け合って首吊り心中を遂げた。3社はともに取引関係にあり、資金繰りに苦心した末の結果だった。うち1人は、かつてダービーも制した名馬のオーナー。絶頂期からどん底の破産まで運命を共にした3人は、自殺直前、一室集まり、酒を酌み交わし、出前した牛丼で最後の晩餐をとったという――舞台は菊屋牛丼店前。滑稽にして実直に生きた
「現代能楽集」連作
現代能『春と修羅』は、2012年に錬肉工房創立四十周年記念公演として、宮沢賢治の魅惑的な言語世界を手掛かりに、「現代能楽集」の連作の新たな展開が出来ればと上演された。この舞台では、物語世界の再現ではなく、詩集『春と修羅』を中心に、童話『かしはばやしの夜』、劇『飢餓陣営』、書簡、「農民芸術概論綱要」などの断片を再構成し、現代能として作品化された。また、2018年には決定版が再演された。
『銀幕迷宮-キネマラビリンス-』は、「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで死んだ、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の新作オリジナル作品です。監督カワシマに大鷹明良を配し、陰から妖へと変貌するその妻を美加理が演じ、青白く燃え上がるスクリーンの彼方に恐山の雪景が現出する時、亡霊たちが、闇を引き裂く叫びと共に浮上
ニッポン・イデオロギー
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
『聖ミカエラ学園漂流記』は、数十人の女生徒たちによる反逆のカーニバルを描く。それは暗黒の宝塚による金網デスマッチに駆け抜ける少女十字軍の叛乱なのである。悪魔と手を結ぶトリックスターには、美少女・美加理が扮し、「聖ミカエラ学園」は音を立てて崩れる。30余の女子中学生、女子高校生たちが歌うものは果たして何か? そして彼女たちは、どこに漂流するのか? 讃美歌と文部省唱歌の交叉する中、美少女・美加理が火を
若手バレエダンサーを中心としたガラ公演シリーズの第3回目。3日間にわたって計3公演が開催された。ヴァルナ国際バレエコンクールやキエフ国際バレエコンクールの上位入賞者などを中心に、将来を嘱望される国内外の若手バレエダンサーが多数出演している。第3回の芸術監督は工藤大貳。工藤大貳は東京で生まれ、服部・島田バレエ団を経てフランスに移住した。フランスでは著名な振付家の作品を踊る一方で、バレエ教師としてダン
スパック祝祭音楽劇ノ原点!冒険ハ此レヨリ始マル!スッテン転ンデ マタ起キテ… 愛し愛され旅する世界!世界をめぐるペール・ギュントが、あらゆる欲望を痛快に満たす冒険劇。今からおよそ150年前、劇作家イプセンがノルウェーの民話をもとに書き上げた壮大なドラマを、SPAC宮城聰は俳優の生演奏による躍動感あふれる音楽劇に仕立てた。主人公の歩む物語は、世界へと奔走する当時の〈日本〉と奇しくも重なり…?!宮城×
ローマ帝国の将軍タイタス・アンドロニカスは、ゴート族との戦いに勝利しローマに凱旋する。民衆はタイタスに、空位だったローマ皇帝になるよう要望するがタイタスは固辞し、かわりに先帝の長男サターナイナスを指名する。新皇帝サターナイナスは、捕虜であるゴート人の女王タモーラを妻にする。タモーラはタイタスに強いうらみをもっている。愛人アーロンや息子たちを使い、皇后という立場を最大限に利用して、タイタス一家を次々
文化庁芸術家在外研修経験者の「在外研修員の会(在研会)」による共同企画公演。文化庁芸術家在外研修は1967年に始まり、1989年の時点で約580名の芸術家を海外へ派遣している。「在研会」は1987年、在外研修を経た帰国者同士のネットワークの場として、文化庁の支援の下に誕生した。海外で研鑽を積んだ様々なジャンルの芸術家で構成されている。本公演は様々なジャンルで活躍する芸術家が、研修で上げた成果を発表
金鶏シリーズ
日本での放送開始100周年にあたり、あやめ十八番がテレビジョン放送開始までの軌跡を描いた”金鶏”シリーズ第二弾。テレビジョンと歌舞伎、文化と戦争についての物語。
「現代能楽集」連作
『オイディプス』公演は、「現代能楽集」の連作の一つとして、古典劇としてのギリシャ悲劇が、現代という時代、状況の中で、どのような意味を持ち、アクチュアルな問いを投げかけることが出来るのか、といった古典と現代の根源的な課題を問い直せればと上演された。テキストは、ソポクレスの『オイディプス王』を踏まえ、詩的言語を駆使して書き下ろされた詩人高柳誠のテキストを枠組みとし、夢幻能的な構造で構成されている。
舞台は近未来の美術館。ヨーロッパでは大きな戦争が起こり、そこから避難してきた絵画を前に、家族や恋人たちが、両親の世話や相続問題、進路や恋愛などについて断片的な会話を繰り返す。遠い戦争という大きな背景を前に、日々の生活を送る現代人の姿が克明に描写され、その中から現代社会の様々な問題点と危機があぶり出される。『東京ノート・インターナショナルバージョン』は、国際都市として変貌し、その変貌ゆえに苦悩も抱え
1989年10月第3回青山演劇フェスティバルにて初演された作品のアンコール公演。当時まだ大阪を本拠地にしていた「劇団☆新感線」が大きく躍進する契機となった作品である。
「阿波踊り」「沖揚げ音頭」「佐渡おけさ」など、日本全国の民謡や郷土芸能を掘り起こし伝承をしてきた劇団わらび座が、初めてヨーロッパで公演を行い、圧倒的評価を得たステージです。
1979年に劇作家・北村想が発表し、日本現代演劇における金字塔と称される作品を10年ぶりに北村自身が演出した1990年の再演。物語の舞台は、核戦争によって荒廃した関西のとある地方都市。放浪する旅芸人ゲサクとキョウコ、そして謎の男ヤスオ。3人の旅路の先に待っているものとは―。
アルベール・カミュのベストセラー小説『ペスト』をダンボールシアターが人形劇にしました。アルジェリアの港町オランにペストが蔓延し、都市が閉鎖される中、人々が絶望の中で生きる姿を描いた物語です。パンデミックによって大きく変化してしまった世の中。不安に駆られる日々を過ごす人々は、何を選択し、どう生きていくことができるのか。今や誰もが共感するこの作品を、コロナ禍に無観客公演にて上演し、映像に収めました。
屋上から見える風景は、向こうの山とつながっている。巨大な空気が、その隔たりを埋めている。はるか遠くの山のきわに、この目の先が通り着く。小さく立っている、螺旋階段の貯水塔。貯水塔は本当は小さくなんかないのだ。階段を登る人がいる。その人と私とが、同じ空気でつながっている。一直線。ひと連なり。その人は、そのことを知っているのか。その人が吸う息は、私が吸うのと同じのか。隔てるもののなにひとつない、この隔た
のと☆えれき二人芝居
西暦2040年。人類はアクトノイドと呼ばれる人造人間の発明に成功。しかし、そのプログラムに重大なバグが発見され、アクトノイドは即時回収、その姿は街から消える。 西暦2045年。ある晩起こった殺人事件。容疑者は舞台俳優、山田タロス。被害者は女優。公演終わり、山田の楽屋に一人の男が尋ねる。北海道警察サイバー犯罪対策課、牧内。牧内は山田に二つの疑いの持つ。一つは殺人事件の犯人として。もう一つは回収されず
『リビング』とは単純に「生きている」という意味です。「あるがままの」「現代の」「生活」という意味もあります。日本語だと「リビングルーム」の略語としても使う、かなり意味の広い言葉です。実現したいのは、私たち人間のちっぽけで不合理な存在のしかたを俯瞰できるような舞台です。《ハイパー・コラージュ》手法を駆使して今までにも増した新鮮な空間に出会いたいと考えています。(安田雅弘)
(フライヤーより)遊◎機械/全自動シアターの高泉淳子と白井晃が不思議の国のヴァイオリン弾き中西俊博とジョイントして贈るシャレた時間のア・ラ・カルト(一品料理)。青山円形劇場に突如現れたワンダーランドのレストラン、演劇+コンサート=素敵な素敵なショウの始まりです。はっきり言ってこんなの見たことない、見たことないのに何処かなつかしい…。さあ、何が飛び出すか?サンタの靴下を開ける気分、味わって下さい。
能楽公演 2020 ~新型コロナウイルス終息祈願~ 第8日
隠遁生活をしている西行と老桜の精が夜桜の舞う中、歌問答を重ねる幽玄な作品。
「国内ダンス留学@神戸」の参加者の卒業後の活動を考える場として始動します。企画の構造としては、国内外にて第一線で活躍している振付家を招聘し、卒業生はダンサーとして作品制作に取り組むことをベースにして、年毎によってアプローチを変えながら、強度のあるダンス作品の制作を目指します。そして、少しでも多くの魅力的なダンサーを輩出することも狙いの一つです。第1回目の今回は、イデビアン・クルーの振付家・井手茂太
古代三世紀、女王卑弥呼が治める邪馬台国。超大国の魏国より、邪馬台国への侵攻を企てる魏国の一方的な要求が記された勅書が送られてくる。卑弥呼は、戦いではなく人々の想像を遥かに越えた決断をくだした…。戦争が如何に無意味なものか、現代の世界情勢にも通じる壮大な古代叙事詩。
《継承と創造》
金剛流は能楽シテ方五流のうち、宗家が東京以外に居住する唯一の流儀で、その芸風は”舞金剛”と称されている。この舞には「豪快」「華麗」という対照的な演技の両方が含まれているが、本企画では、その”舞金剛”の魅力を能と舞囃子で体現している。能『石橋』は金剛永謹・龍謹の二人獅子、舞囃子は海獣猩々の酔態を模した『乱』、音を立てずに拍子を踏む金剛流の専有曲『雪』。舞台空間は美術家の大舩真言が手掛ける。
「現代能楽集」連作
能の本質的な構造を捉え返し、それを現代に開き、活かしていく「現代能楽集」シリーズの第一弾。主演女優関口綾子に一つの的を絞り、銕仙会能楽研修所の能舞台で上演された。スペインの現代作曲家フェデリーコ・モンポウの「沈黙の音楽」を中心的に用いて、能の老女物の秘曲『姨捨』の世界を身体的に深く読み込み、「現在」の言語素材、視座も加えながら新たな展開が試みられた。
即興でもない、ディベートでもない。だれかになりかわって、生の対話をしているうちに自然と演技ができちゃう!?演劇を観るのはいいけど、やるのはちょっと…と思っている人もいつの間にか巻き込まれている、そんな未来のコミュニケーションツールが「なりかわり標本会議」です。会議そのものを筋書きなしで演劇にしたらどうなるのでしょうか―新しい演劇スタイルの可能性を模索します。
劇団「柿喰う客」結成13年目に送る新作。13日の金曜日、恩師の13回忌に集まった美術系私立大学の同窓生13人を巡る物語が繰り広げられた。
振付家のジェローム・ベルと、タイ伝統舞踊家のピチェ・クランチェンが芸術的実践について互いに問い掛け合い検証する舞台『ピチェ・クランチェンと私』のアイデアをトレースする。舞台芸術の新たな価値を直向きに探究する[小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク]。演劇を通じて、人間と世界の虚実入り混じった仕組みを表現するユニット[サンプル]を主宰する劇作家・演出家・俳優の松井周。出自、創造性、世代など、あらゆ
清姫は、好きになった僧の安珍に再会の約束を破られ、彼を追ううち蛇に変身し、安珍の隠れた道成寺の鐘を巻いて焼き殺す。道成寺は和歌山県に現存し、多くの伝説がある寺。日本人はなぜこの物語が好きなのか? 「今昔物語集」や歌舞伎台本、郡虎彦「清姫」などの戯曲を編み込んだ、現代版のレビュー。
その外見から疎まれ続けたリチャード三世は、饒舌な語りによって周囲を惹きつけ権力を手にするものの、王座に上り詰めた途端その言葉は力を失う。本作ではリチャードを、形を持たず移り変わっていくものとして描き、どんな時代にも現れる言葉巧みな為政者の姿を浮かび上がらせる。「台詞を語る俳優の身体」は、「何者にもなりきらない」能という演劇の形式を借りて、リチャードを現代に描き出す。約100年前の坪内逍遥訳で上演。
文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現ができるものらしい。しかし、私たちは、まだ、その言葉を持っていない。この舞台は、そのことに気がついてしまった明治の若者たちの蒼い恍惚と苦悩を描く青春群像劇である。
隅田川のほとりを、記憶喪失の男が彷徨っている。夜になり、彼は、そこで声をかけてきた女の誘いで、彼女の家で夜を明かすことになる。そして彼女から、土地にまつわるある物語を聞かされる。それは、そこで行き倒れた男と幽霊の物語だ。そしてその物語はいつしか、男自身の姿と重なっていく。古典落語『粗忽長屋』が題材。旗揚げ公演『どさくさ』を下敷きに、過去作の要素が物語構造や台詞に溶け込んだセルフリミックス。
(フライヤーより)猛スピードで時代を駆け続けるダンスから見れば、時代は星虹(スターボー)なのだろうか?はじきだされた饒舌はやがて暗黒の磁場へと旋回し重力を失う。時代がダンスを要求しているのではなくて、ダンスが時代に別れを告げるとき、壮絶なダンスのパレードも旋回し始める。1966年早春のダンスコレクション 饒舌と静謐 旋回と浮遊 記憶と忘我 光と演奏 いま東京ダンスコレクション されど東京ダンスコレ
主人公「がっちゃん」は5歳の男の子。冷蔵庫のお母さんと仲良く暮らしています。幼なじみのケトルちゃん、テレビに掃除機、洗濯機にヒーターなど、お友達もたくさんいます。がっちゃんの冒険談は成長記のようであり、廃品家電の姿を通じて「物と地球と人」の未来像を問う絵本のような世界。13の登場人物は、実際に舞台に立つ俳優、舞台袖でセリフ発する人、そして映像でセリフを手話で表現する地元のろう者が演じました。
さあ、声を合わせて高らかにうたいましょう。日本中を虜にしたあの唄を。■ものがたりリゾート地の裏に密かに佇む小さな美しい村に移り住んできた夫婦。都会の喧騒から逃れるように、病を患っている妻とともに、ひっそりとそこに暮らしはじめた男。 ある日、庭仕事を始めた妻の元にゾンビたちが現われる。 夜な夜なゾンビと会話を交わす妻を心配に思う男。 やがて男にもゾンビたちが見え始める。男はゾンビたちを妻から引き離す
東日本大震災で被災された方々への支援を目的とするチャリティ公演。歴代日本伝統文化財団賞受賞者、全員の出演による。一、 「三番三」 山本泰太郎(第15回受賞者) 山本東次郎、山本凛太郎 他二、 大和楽「お祭り」 大和櫻笙(第14回受賞者) 大和楽社中 他三、 三弦・箏・尺八三重奏「さらし幻想曲」 山登松和(第5回受賞者) 遠藤千晶(第13回受賞者) 善養寺惠介(第6回受賞
神戸アートビレッジセンター(KAVC)プロデュース公演
裁判長 皆さんの前にいるのがひとりの人間であることを忘れないでください。この人物はみなさんと同じように夢を抱き、欲求を持ち、幸福を追求しているのです。ですから評決を下すにあたって、みなさんも人間であり続けてください。
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。