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~Innovative Incubation of Regional Arts~ 地域間新進芸術交流普及促進事業2024
ことばの読み書きが難しい高山は、会社の支援枠で働いている。高山の仕事は毎日シュレッダーで会社の機密書類や会議書類を粉砕すること。会社で交わされる同僚や上司の会話の文脈を読み取ることは難しく、会話に混ざることができない高山は、自分の仕事を黙々とこなす。高山は、ことばの習得をするために中学生の時から「ことばのノート」をつけており、高山が時間をかけて書いた、短い物語やことばの説明が綴られていた。
幻想の森に転がる思い出のかけら樅の木の下にポツンと置き放しになっていた子供のゴム長靴、その先に転がっていたジンの空き瓶。無意味でありながらどこか懐かしい連想。
「夢幻能」の形式によって立ち現れるかつてない幽玄の『オセロー』シェイクスピア四大悲劇の一つ『オセロー』。黒い肌の傭兵将軍オセローが、部下の姦計から猜疑と嫉妬に狂った末、最愛の妻を手にかける――舞台はもちろん映画化もされるなど、今も世界中で上演され続けているこの傑作悲劇を、宮城聰は「夢幻能」の形式を用い、オセローに殺された妻デズデモーナの側から描くことで、痛切な「愛の物語」へと昇華させます。「夢幻能
NODA・MAP番外公演
10秒に一度、何かが起こる……ユーモアと戦慄の75分!!演劇史に燦然と輝く野田秀樹最大の衝撃作!これまで10カ国14都市で上演、各地で称賛され続けてきた本作は、いつの時代でも繰り返される“報復の連鎖”を、観る者の想像力を刺激しながら描き出す。幕が開いたが最後、ひたすら落ちていくだけのジェットコースターにでも乗っているかのような物語。<STORY>家路を急ぐ平凡なサラリーマンの井戸が自宅の前で遭遇し
舞踊公演
歴史的な文脈を踏まえつつ、斬新な切り口で歌舞伎作品を現代化してみせる木ノ下歌舞伎。本作『娘道成寺』は、2008年に『三番叟/娘道成寺』の二本立てで初演し、2012年に30分に短縮した長唄音源を用いて初上演。その後、2017年には長唄の録音音源をほぼ全曲使用した60分のフルヴァージョンとして再創作し、再演を重ねるたびに進化してきました。演出・振付・出演は、きたまり。長唄を基に、背景や心情から、演目そ
あかちゃんとおとなのための音楽劇 ベイビーシアター
夫が、 死んだ妻を生き返らせるため地獄にやってくる。「振り返ってはならない」 たったひとつのこの約束を守り、 夫は妻と共に戻ってくることができるのか。ギリシャ神話をモチーフにしたオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を、歌やリトミックをベースにしたダンスとともに彩る。あかちゃんと、 あかちゃんを迎え入れた大人たちに贈る、愛の物語。
第13回青山バレエフェスティバルは「1998-1999 日本におけるフランス年 ~L’Année de la France au Japon~」の一環として開催された公演であり、公演の副題も「フランス」である。フランスにちなんだ振付家の作品や音楽などを中心に上演された。公演の目玉のひとつは、1998年5月にフランスの「バニョレ国際振付賞」国家選考・新人部門入賞作を受賞したベルナール・グランディエ振
チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』東京公演にて行ったライブ配信「消しゴム山は見ている」。「消しゴム」のコンセプトを体現する独自のアプローチでお届けする映像配信は、劇場では体験できないもうひとつの『消しゴム山』。演劇という人間のための営みを通して、人間とモノ、それらを取り巻く環境とがフラットな関係で存在する世界を生み出すことはできるだろうか。2019年10月の『消しゴム山』京都初演から1年。劇
シェイクスピアの『ヘンリー六世』から、シラーの『オルレアンの乙女』、バーナード・ショー『聖女ジョウン』、そして、ジャン・アヌイの『ひばり』まで、ジャンヌ・ダルクは、処刑される魔女、天使、悲劇のヒロイン、救国のひばり等々として様々に解釈されてきた。SPAC版『ジャンヌ・ダルク』は、アヌイの『ひばり』を原作としながら、チャッキリ節、真室川音頭、三階節、相馬盆唄などお馴染みの日本民謡に数々に乗って、野外
この作品の主人公は、原美術館そのものである。1938年に建設された私邸が私立の現代美術館として1979年に開館した。渡辺仁の手になる設計は、アール・デコが香るモダニズム建築の傑作とされる。本作の冒頭に出てくる、宇宙船の内部のような空間など、建物そのものが美術品だといえる。小ぶりな前庭は多くのダンサーからも愛され、数々のパフォーマンスが行われた。しかし残念ながら老朽化により閉館が決定。多くのアーティ
(パンフレットより)頭がキリキリする、はあ、八月、も、もう中間付近、僕、相変わらず、作品、つくっている、そりゃあ、汗だくになりながら、つくりまくっている、つくって、疲れて、今日もアパート帰る、帰って、部屋で、腐りきっている、ちょっと腐って、復活して、また、頭の中で、また作品、つくる、翌朝、作品つくりに、家を出る、駆け足、で、稽古場、に、向かう、そんなループの中、に、僕はいて、つくるつくる、を、繰り
いなばの白うさぎの物語は、北米先住民の伝承神話にも存在していた?!20世紀最大の思想家・文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースによる仮説を、演劇的想像力で読み解く壮大な祝祭音楽劇。
かつてヒロシマで負ったケロイドを、群衆に晒し喝采を浴びた「病人」。戦争の記憶が遠のき傷が輝きを失っても、もう一度あの街に出たいと願っている。一方「甥」は自分たちはただ静かに死を迎えるべきだと諭し、「看護婦」は子供を産みたいと話す・・・。
貧しい農村に身を置いた宮沢賢治は、儘ならぬ現実と崇高な理想、そのあわいで悪戦苦闘しながら、まっすぐに理想に向かおうとした。早世した彼の生涯を、父・政次郎は「天馬」に例えた。また、妹のトシも大変な才女でありながら、若くしてこの世を去っている。宝石のような二人に先立たれた親を想いながら、東北の俳優たちと『銀河鉄道の夜』を、賢治が愛した演劇を用いて、“劇”を、する。滅多に星空を見上げなくなった、わたした
群像のロマンを目指し、奔放な語り口で定石外れのウソを描こうとした織田作之助。その精神を受け継ぎ虚構をでっちあげ、織田の小説から夫婦のありようや下町の人間模様になつかしい大阪の人情をにじませた『オダサク、わが友』。本作は、北村想が脚本を書き下ろし、新国立劇場での作品上演にて評価の高い深津篤史が演出を手掛け、2011年3月に初演されました。今回、初演時のキャストに、新たなメンバーも加わり、予断を許さな
演劇を通して多くの知見を得て磨きあげられた人材をSPACの“宝”と捉え、近年は演出家としても活躍目覚ましい寺内亜矢子を起用。世界の舞台を経験した俳優たちとともに、鍛え抜かれた身体と音楽性豊かなセリフ術を活かし、子どもたちの発想力を刺激するインタラクティブな演劇作品に挑む。
TOKYO DANCE TODAY #2
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第2弾。「ク・ナウカ シアターカンパニー」の中心メンバーだった俳優の美加理による舞と、サウンドアートユニット「project suara」主宰の種子田郷による音楽が融合するパフォーマンス。
1組のカップルが暮らす部屋のリビングに、共通の知人がふいに現れる。彼女が死んでいることを2人はもう知っていて、けれどもそれを迎え入れる。つかの間の再会と乾杯。なぜか、家に帰れなくなったという見ず知らずの他人も後から合流して過ごしていると、生きるものと死んだものの境目が溶け合って、いつの間にか夜が明ける。
笑っちゃうほど刺激的喜劇王モリエールの代表作に、新たな風が吹き込まれる!ドケチな主人公アルパゴンが再婚相手に選んだのは、貧しい家の娘…しかも息子の恋人?!結婚をあきらめさせようとする息子たちに、助っ人も加わりだまし合いが始まった。が、その時アルパゴンの金が盗まれてしまう! 怒り狂ったアルパゴン、犯人探しの先に待ち受けるのは───フランス人演出家ジャン・ランベール=ヴィルドが、SPACの俳優とともに
ノーラの決断は過去のもの?時を越えて響く注目の新演出!もうすぐクリスマス、ノーラは浮かれていた。可愛い我が子に、やさしい夫ヘルメル。夫の仕事も順風満帆だった。だが、ヘルメルの部下クログスタの訪問によってある重大な秘密が暴かれ、ノーラは自分が可愛がられるだけの「人形」であったと気づき…。女性解放運動にも大きな影響を与えた、「近代演劇の父」ヘンリック・イプセンの傑作社会劇。舞台をヨーロッパから昭和10
(フライヤーより)世界の先駆的なコンテンポラリーダンスの関係者が2年に一度集う、ダンスビエンナーレ。その第1回を2002年夏に開催します。文化によるにぎわいの場を創造し、世界のダンスの動向や潮流を知り、ネットワークを広げ、ダンスや演劇の文化的土俵をさらに豊かにしたいと考えます。
“きたるべき世界はファンタジーからしか生まれない。”名作『モモ』につづく、ピエロの「ジョジョ」の物語。解散の危機にゆれるサーカス団に、巨大化学工場から“おいしい”話がもちかけられた。ただし、一座から少女エリを追い出すという条件付き…。現実を受け入れるか、大切なものを守るためにたたかうか――悩むピエロのジョジョや団員たち。けれど何も知らないエリはいつものようにお話をせがむ。ジョジョが語りはじめた恋と
「人生は芝居か?芝居こそが人生か?」ジャン・ルノワールの名作映画に着想を得た、絢爛豪華絵巻!「わからないわ、舞台でも人生でも、懸命に生きているのに。舞台だとうまくいくのに、人生だと愛するものを壊してしまう。どちらに真実があるの?どこまでが舞台で、どこからが人生?」主人公のカミーラはそう呟く。人生は舞台の上か下か。境目もない現実の世界で、求める幸せはどんな形をしているのだろう?山野を揺るがす打楽器の
二人の演劇作家が一つの文学作品を異なる演出で連続上演する「文豪コネクション」。今回は夏目漱石の初期作品『坊っちゃん』を泉寛介(baghdad café )とくるみざわしん(光の領地)が構成・演出します。文豪たちの名作を様々な角度から再発見する「文豪コネクション」にぜひお越し下さい。なお、本作品は、大阪と愛知、二都市間での舞台芸術交流プロジェク「AAFリージョナル・シアター2014~大阪と愛知vol
とある地方地域の市議会。市長の答弁の最中に議員席からいびきが聞こえてきた。市長は、その様子をSNSに投稿したことで議会議員たちから呼び出されることとなった。この作品は市長と議会の対立、及び議会側に寄り添うメディア、これらを他人事のように取り上げるネットメディアといった三つの要素をモチーフにし、地方政治の腐敗について原因と問題点を観客と共有し、積極的に政治に参加できる社会を目指し製作されました。
一般的に「勧進帳」は、弁慶が命がけで主である義経を守る姿に心を打たれた富樫が、ついに関を通過させることが物語の核となり、そこに至るまでの三人の攻防が眼目とされています。木ノ下歌舞伎では、原作でいわゆる脇役として扱われる関所の番人や義経の家来たちにも光を当て、彼らがそれぞれの境界に戸惑いながら生きる姿や、境界を超えようとして起きる摩擦を描き、弁慶・義経・富樫のドラマからすべての人間の<境界をめぐる物
財団法人地域創造と全国の公共ホールが、共同で質の高い演劇作品を製作し、その作品を共同製作に参加する各ホールで連続上演する企画。サディズムの語源ともなった侯爵、サド。『サド侯爵夫人』は、舞台には登場しないこのひとりの男をめぐる6人の女たちの物語である。
過去にスペースノットブランクが上演した『舞台らしき舞台されど舞台』をセルフリメイクした『舞台らしきモニュメント』。「在る物」としての舞台を「現れる物」としてのモニュメントに代置し、上演(時間)と舞台(空間)の関係を見直そうとする純粋舞台。「舞台三部作」から変化した「物体三部作」の第一部。
古代メソポタミアの英雄ギルガメシュ王と親友エンキドゥの壮大な冒険物語が、躍動感あふれる祝祭音楽劇に。世界的人形劇師・沢則行氏とのタッグで、巨大な森の守り手フンババが駿府城公園に現れる!フランス国立ケ・ブランリー美術館からの委嘱を受け、宮城聰がSPAC俳優陣と取り組む新作は、古代メソポタミアの冒険物語『ギルガメシュ叙事詩』。粘土板にくさび形文字で刻まれた古代文明の象徴にして現存する世界最古の文学作品
知らずして父を殺し、母を妻としたテーバイの王オイディプスは、真相を知り、自ら目を突き盲目となって放浪の旅にでる。闇を引き裂く琵琶の音に真相を知った人間の尊厳が光る。ギリシア悲劇の最高傑作が伝統的な様式の上に確立された現代の美学の中に甦える。モスクワで開催された第3回シアター・オリンピックスに招聘され、喝采を浴びた作品。
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」(初演1748年)をもとに、関ヶ原の合戦から100年、討ち入りという祭典に向かって疾走する若者たちを主人公に、平田オリザが書き下ろした新作を100人の県民出身者を得て、ワークショップ形式にて制作する群衆劇。“討ち入り”という大きな運命の浪に翻弄される若い義士たちの疾走ぶりを、恋愛、家族、経済的事情といった個別のエピソードを交えながら描いていく、駿河湾を背後に抱く清水港イベ
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビーシアター
テーマは、狩猟採集社会のコミュニケーション。「ひととどうぶつがはなしができて 森や風や、さまざまなものに心をかよわすことことができて、ひとびとは、うたうように おどるように おしゃべりをしている・・・。そんな場所がこの地球のどこかにあらならば、あかちゃんは誰よりもその場所のことがよくわかるのかもしれない・・・」森や動物と密接な関係をもつ狩猟採集社会の文化にインスピレーションをうけ創作された本作は、
とある県立高校。サッカー部の舞原健はモンスターペアレントの母のことを担任・浦川麻由に相談していた。そんな折、スクールカウンセラーの藤堂智絵が着任し、麻由と意気投合。その藤堂の相談室に、いの一番に訪れたサッカー部マネージャー奥野早織は「浦川先生と舞原くんが怪しい」と衝撃の告白をする。教育現場を舞台に、教師と生徒の関係、さらには生徒と親と学校の距離感等を丁寧に紡ぎ、届けるのは――「慈愛」。
坂本龍一、高谷史郎(ダムタイプ)による最新にして最後のシアターピースの日本初上演。『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』に続き坂本龍一が生前全曲を書き下ろし。高谷史郎とコンセプトを考案、創作。田中泯、宮田まゆみ(笙)、石原淋のパフォーマンスとサウンド/インスタレーション/ヴィジュアルアート。そのすべてが、光と水が交錯し幻出する、幾つもの「夢」とともに、劇場空間で融
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1980年代に設立されたマレーシアのファイブ・アーツ・センターは、アクティビストやプロデューサーが主体的に参加する活動体として、彼の地のアートシーンにおいて強い存在感を放っている。本作『Baling(バリン)』の演出を務めるマーク・テは、そのファイブ・アーツ・センターの一員であり、演出家、キュレーター、研究者と多くの顔を持つ。本作で取り上げる「バリン会談」とは、1955年、現政権(マラヤ連邦)とマ
結婚願望の強い意地悪な二人の姉と、娘を玉の輿に乗せて出世しようと企む父親。その父娘を騙してまんまと末娘シンデレラを手にする王子様……。絵本や映画で親しんだ物語が、ロッシーニのオペラ『シンデレラ』にのって、いま「野外劇場」で生まれ変わる。世紀末の日本から21世紀に向けて送り届ける新しいヒロインとアンチ・ヒロインの物語。
A Live vol. 3
バーチャルな新しいプラットフォームを探る目的でコロナ時に始動した、向井山朋子のオンライン・ライブシリーズ第3弾。本作は、ピアノ演奏とヴィンセント・ファン・ゴッホの絵画の対話をキーワードに、閉館後のゴッホ美術館(アムステルダム)にて撮影されました。近代絵画のイコン「ひまわり」を始めとした名画を前に、バロックからコンテンポラリーまでの楽曲の断片がまるでタペストリーのように展開する、夜の美術館ライブ。
『アンティゴネ』は、2017年、世界最高峰の演劇の祭典「アヴィニョン演劇祭」からの招聘を受け製作された。静岡市・駿府城公園でのプレ公演を経て、客席数約2,000のメイン会場「アヴィニョン法王庁中庭」で演劇祭のオープニング作品として上演。人を善悪に二分しない王女アンティゴネの思想に、「死ねばみな仏」という日本人の死生観を重ねた独創的な演出、舞台全面に水が張られた装置や、高さ30mの法王庁の壁面に俳優
フランスで『別れの唄』を大ヒットさせた平田オリザとロアン・グットマンのコンビが、日仏の学生と共に送る新作スペースコメディ。3023年、銀河系の様々な星に散らばった人類が、ふたたび地球を目指すことに。日本とフランスの青年たちが合同で過ごす宇宙船の中、異なる歴史を学んできた若者たちの喜悲劇が展開される。
ニッポン・イデオロギー
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
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9つのエリアで展開された豊岡演劇祭2022。劇場に限らず、魅力的なロケーションで実施された演目の数々には、多様な観客・演者が参加した。大小様々な演目は、熱気・笑い・悲しみ・静寂・興奮・活力・喜び・戸惑いなど、様々な情動を誘発する。映像作品『豊岡演劇祭2022の記録』は、その一部を映像によって追体験させてくれる、短い記録である。
あかちゃんとおとなのための舞台芸術ベイビー能シアター
金剛流能楽師として活動している田中春奈氏を迎え、現代演劇の分野で活動する俳優とともに、三保の松原、富士山を臨む美しい春の情景の中、天女と人間のやりとりを通じて照らし出す天女の純粋さ、この世の美しさを描いた能の名作をベイビーシアターとして創作初演する。これまで何度も上演されてきた本作を新たに乳幼児向けに上演し、現代演劇との融合を行うことで、新たな舞台芸術の可能性を追求する。
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テーバイの王クレオンと少女アンティゴネーの対立を「ナショナリズム」と「テロリズム」という図式に置き換え、国家の政治劇として描く。知的な分析力に優れた演出家のコンセプトが、SPACの俳優の身体と出会い、強度にシンプル化されたギリシア悲劇の世界を野外劇場「有度」に出現させる。
芸術は、いったい誰のもの?芸術とは、劇場とは?宮城聰が初めて挑む、骨太の社会派作品!原作は、1936年に書かれたクラウス・マンの小説『メフィスト』。当時、ドイツ最高の俳優と謳われ、国立劇場の芸術監督でもあった実在の人物グリュントゲンスをモデルとし、発禁状態にまでなった小説は、80年代にはフランスの太陽劇団により舞台化され、ハンガリーのサボー監督による映画でも知られる。時代に翻弄される天才俳優の姿を
「マスク」の舞台となるのは、JR 常磐線の車内。登場人物は、異なる時を生きる高校生たちである。2020年5月15日、新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除された翌日、感染症対策のためにマスクを着用して登校する高校生たち。2011年5月14日、放射線防護のためにマスクを着用し、避難先からサテライト校に通う高校生たち。2011年3月10日、マスクを着用せずに下校する高校生たち。出来事は過去に編入される
没後50年を越えた今もなお高い人気を誇る江戸川乱歩。小説『黒蜥蜴』は、明智小五郎シリーズの一篇として1934年に発表されました。日本一のダイヤと宝石商の美しい娘を狙う美貌の女盗賊・黒蜥蜴と、それに立ち向かう名探偵・明智小五郎。誰もが心躍る探偵活劇を、三島由紀夫は、1920年代の大阪から、高度経済成長期の東京に設定を変更。さらに原作では背景にあった恋愛や耽美的要素を前面に押し出すことで、情と知が幾重
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
近未来。東洋のガラパゴスと呼ばれている千久世島という離島は、かつてない賑わいを見せていた。国産みの神話に登場する島であると同時に、その島で発掘される「レアゲノム」という化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組換えに必要なものとして注目を集めているからだ。その島に住む男は、奇祭で弟を失う。ところがある日、弟は蘇り、まるで別人のように男の前に現れる。弟の存在は島の住民を狂わせていく。そしてそれは、島の存
TOKYO DANCE TODAY #1
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の初回を飾った、近藤良平率いるダンスカンパニー「コンドルズ」の作品。未確認飛行物体接近!完全円形360度!完全限定3600秒!
────あーー! 何回死ねばいいの? もし、死んじゃっても、必ずわたしのいるところに、来て────何度も殺されるフフと、何度も助けるミチコのふたりは小さなループを作り、生活していた。ある日、そんなふたりのルームに映画を撮りたい男たちがやってきたことでループは歪む。撮影が開始されたルーム内で、生きているひと、死んでも死なないひと、もう死んだひとらがガチガチにぶつかりあい
日本理化学工業株式会社が昭和35年から取り組んでいる知的障がい者雇用をモチーフに描くことで、障がい者雇用の未来や問題点、何が妨げになっているのか、今後の課題などを観客と共有し、我々の中に存在している差別意識に改めて目を向けると共に、障がい者が当たり前に社会進出できる社会を作る為に市民にできる事は何か、観客と共に考え、より良い社会形成の為に行動できるよう企画しました。
「源氏物語」末摘花・蓬生の巻よもとに描かれる女たちの夢と欲望。窮乏に耐えられず次々と屋敷を逃げ出す女官たちとそのなかでひたすら光源氏を待つ末摘花の姫。原田一樹演出による『しんしゃく源氏物語』は、待つ女として集約される末摘花のイメージを、彼女を取り巻く女達の複数の幻影のなかに解き放つことによって、他者=光源氏と豊かに出会うための〈女性性〉へと変換しようというものである。野外演劇という森のなかの空間を
目的のためなら手段を選ばない暴君と、権力の座に上りつめる新しい王。暴君を殺したのはいったい誰か───。シェイクスピアの歴史劇の面白さがぎっしり詰まったイングランド王リチャード二世の物語が、虚言・疫病・戦争に今なお翻弄され続ける現代を照らし出す。
近未来、夏。高原のサナトリウムには、不治の病におかされた患者たちが多く入院している。 下界から隔絶されたサナトリウムの面会室で、死を待つということの意味が、ゆっくりと流れる時間の中で 淡々と語られていく。 患者たちとそこを訪れる面会の人々や医師たちとの死や時間に対する観念の差異を浮き彫りにしながら、軽 妙な会話を交えて、サナトリウムでの何も起こらない静かな午後が描かれる。
イエイツが能に影響を受け創った作品を、重要有形文化財である代々木能舞台で、音楽家や俳優たちにより上演する試み。『猫と月』あらすじ:目の悪い男が足の悪い男を負ぶって、願いが叶う聖者がいるという泉に向かっている。願いが叶うなら、2人は何を望むのか。『鷹の井戸にて』あらすじ:その井戸には不死の水が湧くという。少女が井戸を守り、老人は水が湧くのを50年以上待つが飲めたことはない。ある日鷹に誘われて若者がや
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松井周が主宰する劇団サンプルの解散公演。「モツ宇宙(コスモ)」という腸の宇宙を世界の始まりと考えるコスモオルガン協会の信者達による、教祖ピグマリオが生まれて死んで復活するまでの宗教劇。 と同時に、放浪し、虐げられる信者達の生活を描く。 彼らの行き着く先に「救い」はあるのか? 人間は神にもなれず畜生にも堕ちきれない。理性からも野生からも自由になれない中途半端な人間たちが、信仰をもとに生き抜いていくサ