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古川あんずは1991年にベルリンに移住し、1996年までブラウンシュヴァイク教育美術大学のパフォーミングアーツ学部で教鞭をとっていた。本作は、カフカの『変身』をベースに古川が学生達と創作した作品のダイジェスト版。タイトルの「Verwandlungsamt」は、『変身』の原題でもある「Die Verwandlung」と、事務局や管理局、役所などを表わす「Amt」から成る造語。
宮澤賢治作「注文の多い料理店 序」「注文の多い料理店」「土神と狐」の3作品を、手話、音楽、語り、の協奏によって、新たな表現の可能性を切り開く演劇作品。本作品では「手話パフォーマー/ろう者・コーダ」「バイオリニスト/視覚障害者」「語り手/ポランの会俳優」といった感覚や文化の異なるアーティストたちが異なる切り口で賢治の世界を表現し、それらが折り重なることで新たな演劇空間を生み出す。
ETV8文化ジャーナル
NHKの番組「ETV8文化ジャーナル」が白虎社について特集を組み、主宰の大須賀勇をゲストに迎え、白虎社人気の秘密をさぐる。「PARCOスーパースクール 白虎社的世界」、「白虎社東京公演 ひばりと寝ジャカ」(後楽園アイスパレス)、ビデオ作品「ミラクルレポート」、インドネシアツアー、熊野合宿など大須賀の多岐に渡る活動が紹介される。東京公演は大島渚、南伸坊、フランソワーズ・モレシャンなども観覧し、一般の
Dance New Air 2016
私は「私」になる為に装う。舞台が求める「私」と私の間を埋めるため、衣装に着替えてステージに立つ。装うことで私は自分を護り、身を隠し、演出し,誇張し、ときに他を偽り、また威圧する。装いは私と「私」との輪郭の隙間を埋め、ときにはそれを消滅させる。「La Mode (ラ・モード)」は現代の宗教とも言われるファッションを軸に、浮かび上がる<境界>を視覚化させたパフォーマンス作品である。60分のこの作品の中
1982年11月に実施された白虎社のインドネシアツアー記録。ジャカルタ、バンドン、ソロ、ジョグジャカルタ、バリ島で「秘鳴の森」を上演した。ガムランやレゴンダンスなど地元のアーティストとのコラボレーションも行い、音楽は松尾泰伸が巡行先の音楽家と共同作業した。このドキュメントでは公演準備や公演映像の他、バリ舞踊を踊る少女達など現地の人々の様子も収録、加えて大須賀勇の解説も挿入されており、白虎社の求めて
風の庭プロジェクト2007
ユニット風舞妙韻による俳句から生まれる風楽作品。第1回風の庭プロジェクトで構想・総合指導:田中トシ。アルテゾンス・ド・コーポ、ニレ・アートとのコラボレーションにより風の家(サンパウロ)の砂舞台で催された。それは家族、庭、コミュニテイーそして身体と自然を廻ぐるパフォーマンスアート。2007年サンパウロ州文化局文化活動プログラム(Pac)の助成で実現。
(フライヤーより抜粋)この1年、ずっとサンタさんは、ひとりでも多くの子に素敵なクリスマスをプレゼントすることを願ってきました。ミセスサンタも同じです。けれど、いつもひとり残されるミセスサンタは、今年はサンタさんのそりに内緒で乗り込みました。サンタさんとクリスマスにデートしたかったからです。ところが、途中である星に落ちてしまいました。そこは、けんかのたえないキャンデイーの星でした。さあ、ミセスサンタ
「ささらもさら」とは、広島弁で“滅茶苦茶”の意。広島は、1945年、原子爆弾によって滅茶苦茶にされた。一瞬の光が全てを絶滅するかのように変えてしまった。作品テーマは、「原爆の過去、現在、未来」。原爆そのものを描くのではなく、それによって引き起こされた、人々の悲しみ、憎しみ、恐怖、怒りといった複雑な感情と、歴史的にも世界的にも止むことのない不条理な状況を、普遍的イメージとして舞踏化した作品である。
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
白虎社のイメージビデオ作品「ミラクルレポート」。ディレクション・編集は、ビデオアーティスト邱世原(きゅうせいげん)。「グルメ狂時代」、「ギガー」、「アリス」、「チャイナタウン」の4部作で、1986年の台湾ツアーの際に撮影された。
記憶や物語が宿る媒体として10秒前後の「小さな振付」を収集し、コラージュするダンス作品。169個(2024年1月時点)ある「小さな振付」は、ささいな日常の出来事、いつかの記憶、風景と様々な背景や由来から成り、上演の場で出演者によってランダムに選択され、上演される。福留麻里のソロダンス作品としてスタートした本作を、俳優/パフォーマンスアート/ダンサーと専門領域の異なる出演者によってグループ作品として
この作品では光(Luminaire・リュミネール)がタイトルとなっているように、光が問題提示のシンボルであり同時に一つの答えとして、作品中一貫して様々な光が形を変えて現れる。テクノロジックなシャーマニズムの試み。日々加速し増幅する情報の氾濫、それは私たちが今ここに‘存在していることの大きな神秘をも覆い隠してしまう。原初の時代の、あるいは神話の中のシャーマンたちにはこんな問いが出てくるかもしれない。
「オノマトペ(擬音語・擬態語)」とは、短く簡潔に伝わりやすい感覚的な音と言葉の間のような存在。そんなかわいくてマンガ的なオノマトペが溢れる世界で、身体と言葉を使って多角的な視点から様々な表現方法で遊びます。ダンスにコントに即興での客席との共同作業に。ユーモラスな発想のオムニバスから一転、戦争の愚かさとその後に生まれる人々の希望も描きます。オノマトペを使った教育利用普及も視野に入れた画期的な作品です
(フライヤーより)十三-十五世紀の黄金のジャワ、モジョパイト時代の栄光が、華麗な舞と瞑想的なガムラン音楽の中に甦える。ジャワ芸術の粋、総勢四十名で本邦初演。[あらすじ]隠遁したモジョパイトの宰相ウドロの息子、ダマル・ウラン〈”輝く月”〉は、女王から、モジョパイトに叛旗を翻すメナ・ジンゴの討伐を命じられる。ダマル・ウランは、絶世の美男子ぶりと美しい言葉でメナ・ジンゴの2人の妻を魅了し、彼女らを通して
Saint Live Sparking 白虎社'82連続犠肢体行脚
1982年、Saint Live Sparkingと題し、白虎社が関西一円で行ったライブハウスツアーの編集映像。公演タイトルは『「サイレント独楽」-月より速く-』『「草の上の昼寝」-水から油へ-』『「ゾンネンシュターンの夏」-からっぽの世界-』。
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。第一弾「TOUCH - ふれる - #1」は「風」をモチーフに、移動し続け留まらない「風」に触発され、観客が「動かされる」体験を提供。風になびく舞台装置や衣装、空気(風)によって振動する音楽、「動かされる」出演者が全体で1個のインスタレーションとなり、新しい表現を創出した。
田に沈む数限りない歴史のあしあとを踏む砺波平野の風をめしませ、「嬶ァ烈伝」。城端町細野の田んぼの上に造られた野外劇場で、田の神様の力を借り、カミさん(嬶ァ)の底力を踊る。観客は開演2時間前の日の暮れる前から屋台や出し物も楽しんだ。
夏目漱石の小説『こころ』を原作に、セリフを使わず身体と字幕のみで綴る無声のダンス劇本作のために録音されたクラシック音楽が静謐な空気を支え、随所にユーモアを交えながら重厚なテーマに向き合い、観る者の心に静かな余韻を残す舞台作品
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
Dance New Air 2018
6月初旬、なんら先入観も持たず、会場にて行われる初回の打ち合わせに向かいました。そこには、僕たちにとっては初めて見る形状の 舞台となる、イサム・ノグチさんの石庭「天国」という名の作品が美しく広がっておりました。さらに、今回コラボレーションさせて頂く、草月流山田幸泉先生のシンプルな竹ひごという素材から織りなす、温かみと自然の美しさを追求した作品集とアイデアを拝見させて頂き、この環境でパフォーマンスを
一輪車作品の演劇的可能性を追求すること。オブジェクトシアターとして発展させること。技術を担保にしたパフォーマンスにおいて、おどかす派手なショーではなく、芸を作中に溶け込ませた演劇作品として発展することを目的に据えている。食事と排泄、ドレスの着脱、口紅を使う化粧などのシーンを一輪車の乗降とともに進行することで、器具が彼女の脚や背負った業など様々なメタファーに変化する異質な存在として描き出す。
梶井基次郎の詩に着想を得た SOUKI Performing Arts <SA KU RA>それは灼熱した生殖の幻覚させる後光と産卵を終えた何万匹もの薄羽かげろうの屍体美しさの中に潜む生と死の物語ーーー
白虎社は公演以外でも「出前芸術体」として、「からだ」と「芸術」を出前、一般家庭のパーティからコンサートやCM出演まで幅広く出没した。本映像には以下の白虎社出演部分が収められている。・石井聰亙監督「アインシュテルツェンテ・ノイバウテン 半分人間」(1986)・布袋寅泰ソロ・コンサート「GUITARHYTHM」より”WIND BLOWS INSIDE OF EYES”(1988)・TBSテレビ「ザ・ベ
時代を超えて愛され続ける宮澤賢治の童話を、原文のまま、一人でひとつの物語りをものがたる「一人語り」と、地の文章を語り手が語り、登場人物を数人で演ずる「語り合わせ」で上演。 【一人語り】さるのこしかけ気のいい火山弾いてふの実【語り合わせ】月夜のけだもの
歌舞伎ミュージカル
井原西鶴原作の浮世絵草子を知念正文が構成脚色。身を焦がす恋に命を燃やした美しい五人の女たちを歌う舞姫、石丸有里子が見事に演じ分ける。人形振り、ひきぬき、けれん……など、あらゆる歌舞伎の手法を駆使し、日舞はもちろん洋舞、アクロバットダンス、三味線の生演奏、肉体でみせる桜の踊り、火の踊り、舞扇の群舞と、盛りだくさんのエンターテイメント作品。
ここは落下する飛行船。上空1000000000kmで、ついに故障した飛行船。地面に到着するまでが、あと七日間の飛行船。四人の女と四人の男。何をして過ごそうか。
時は昭和。1964年東京オリンピックの裏で開かれていた、もう一つの『民族の祭典』――その名も【キリンピック】。人間ではなく妖怪がアスリートとして集合する、百鬼夜行のスポーツ大会!この物語は、世界初の妖怪五輪開催に向けて宮内庁の精鋭達が熱く命を燃やす、汗と涙と肉と神秘のドキュメンタリー。
自らの肉体を客観的に物質として扱うこと。あるいは概念やエネルギーといった不可視のものを、その肉体によって可視化すること。はたまた支配被支配の関係性や性差の問題について、不特定多数の他者に問いを投げかけること。それらを集団による圧倒的な動物性エネルギーの放射によって表現すること。それが『NINA-物質化する生け贄』という作品である。
Dance New Air 2018
青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
「鏡の中の鏡」は私と佐和子のための作品です。1人の男と1人の女が互いの心の深淵を覗き込み、その普遍性に辿り着くことで再び出会う事るそれは互いの裡なるアニマとアニムス(ユング心理学における裡なる女性と男性)と出会うという事です。(金森穣)
「11PM(いれぶんぴーえむ)」は日本テレビ系列で放映されたお色気から社会問題までを取り上げる伝説の深夜番組。本映像は、1985年(当時は番組が23時20分始まりで「11PM+20」と呼ばれた)、86年、88年の同番組に白虎社がゲスト出演した回を集めている。85年は「肉体は芸術です!? 脱いでじっくり考えよう!! ハダカ哲学バラエティー」、86年は「ハダカの芸術大集合!」と題され、大須賀勇へのイン
「場所にこびりついた記憶」と「記憶の空洞」をテーマに、メンバー各自の地元に赴き、その場の記憶を拾い上げ、その場に居た私たちにしか掴めないものを探した2週間の「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」そこから、記憶というテーマはずらさずに、演劇史や過去の創作物を進歩史観に照らし合わせ、ちぎってはつなげて生み出した「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」最終章。
時代を超えて愛され続ける宮澤賢治の童話を、原文のまま、一人でひとつの物語りをものがたる「一人語り」と、地の文章を語り手が語り、登場人物を数人で演ずる「語り合わせ」で上演。 【一人語り】注文の多い料理店よだかの星祭の晩とっこべとら子ひのきとひなげし 【語り合わせ】猫の事務所
ヘルシンキ市立ダンス・カンパニー委託作品。古川あんずは同カンパニーからの委託で1994年には『春の祭典』を、1995年には『KEPPI(杖)』を振付けている。本作では、アマゾン河で見た色が交わらないまま流れる水やアフリカの女性が壺に朝露を集める姿、ヘルシンキ沖の凍った海など、古川に印象を残した様々な「水」の体験が下敷きとなっている。Act1退屈した男 / 心の誕生 / 隻手音声 / 水の神話Act
文明のパレードであり、物質のパレードである。野外劇場で初演され、日本の「舞台芸術の新しい領域を開いた」と評される作品。台詞を全く用いず、従来の演劇、舞踊といった枠組みを越えて新たな劇表現を獲得したこの作品は、パパ・タラフマラの大きな転換点となった。人の生み出した物が、むしろ人を動かして先へ先へと進んでいく。そのような文明のエネルギーを視覚化し、生命と物のパレードとして描く。ロケットを想起さ せる7
Lightシリーズ
― 最近私は、新幹線に乗る機会がたびたびある中、車窓の向こうに広がる家、家、家に地を這う蔦のイメージを想いうかべた。生き物のような家、家、家…。そんな発想から今回の「家」の創作が始まった。どこへ辿り着いたのか自分でもわからない作品ではあるが、この家の中に入って行こうと思っている。― ケイ タケイ1969年から続く「Light」シリーズのPart53初演。まだ2類相当だった新型コロナウイルスの影響で
伊藤若冲生誕三百年/美空ひばり追悼公演
天に向かってピッピッピッと真っ直ぐに飛び上がる、あのひばりと頬杖をついて横にぐたっとして微笑んでいる寝ジャカとが、十字架のようにクロスして登場する。(中略)世界を測る測定器としての肉体の視点がテーマである(チラシより)1983年の初演以来、1985年の欧州ツアーでも熱狂的に迎えられた「ひばりと寝ジャカ」のヨコハマ・ニューバージョン。
Dance New Air 2018
選べない交われない戻れない許されない終われない分からないそれでも嬉しくてまだ止めないただただ身体がもげそうで
シェイクスピアの恋愛悲劇『ロミオとジュリエット』とプロコフィエフの音楽をもとにした、金森穣創作の劇的舞踊『ROMEO&JULIETS』。Noismの舞踊家に加えてSPAC-静岡県舞台芸術センターの俳優が出演。舞踊家達の雄弁な身体と旋律のように言葉を操る俳優の身体が、対峙しながらも重層的に鳴り響く。その先に現れるのは、舞踊でも演劇でもない「劇的舞踊」でしか描けない“ロミオとジュリエットたち”の物語。
super reflection
映像作品『super reflection [ver.0.1]』のメイキング映像
Dance New Air 2014
「アソビ」とは大人のゲーム。人生の贅沢な楽しみ。冒険、争い、 競争、芝居、ダンス、セックス...快楽、解放、高揚に身を委ねるあ らゆる行為。日本においてそれは男にだけ許された行為。女は そんな無駄な行為に身をやつすことなどできない。『ASOBI』は、ポルノグラフィーにしろフェティシズムにしろ、ある いは劇場で見るお芝居にしろ、そうした大人のゲームが基本的 に「のぞき」によって成り立っていることを暴
「いますぐそいつを脱げ」「なぁに、世界なんてまた作ればいいんだ。2人で!今宵から!」世界的ベストセラー小説「百年の孤独」にパパ・タラフマラが挑む! 設立時からの念願が24年の時を経て実現した。超現実的で、生々しく、時にユーモラスな、ブエンディーア一族百年史。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」からインスパイアーされた本作は、現実と非現実の境目を自在に行き来しながら、性欲に溺れ、孤独に悶える、悲しくも
ダンス、ファッション、音楽、テクノロジーなどのコラボレーションによる新たな可能性を提示するパフォーミング・アーツ『Xhiasma-キアスマ』プロジェクト。 人が溢れる多忙な都市で、誰にも関わらず、一見自己完結が可能に思えてしまう毎日は、「生」の実感や、他者への関心も希薄になる。人と人との繋がりをコンセプトに創作・上演された『enchaîne』から2年、ダンサー・振付家の湯浅永麻、ファッションデザイ
黒田育世の構成・演出・振付のBATIKによるコンテンポラリー・ダンス作品。少色とりどりの衣裳をまとった少女たちは広大な野原に集い、泣き、叫び、笑い、疲れ果てるまで踊り明かす。
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第二夜の出演者とその
弁天島海上野外劇場
白虎社の主宰である大須賀勇が芸術総監督を務めた「クマノ・スパーク(熊野国際アートフェスティバル)」の公演記録。セネガルからパーカッションのドゥドゥ・ニジャエ・ローズ、インド舞踊のシャクティ、モダン・ダンスの川上邦子舞踊研究所、女性だけの和太鼓グループ炎太鼓などが出演し、古代からの豊かな文化がある独特の地形を持つ熊野が国際的なアート発信の場になるとの大須賀の構想を実現。大須賀の総合演出による当該フェ
遠藤が20数名のダンサー達と作り上げた作品。学校校長であった遠藤の父親が、焼けた校舎の跡に芽吹いたメタセコイアに勇気づけられ、絶望の淵から学校の再興を決意した体験から、自然が人間にとって如何に大切かをテーマに作品制作に取り組んだ。
文化庁国際芸術交流支援事業 東京国際芸術祭
谷川渥『幻想の地誌学』をベースにした公演であり、1998年に続く2作目となる。「私は誰か?」と問うことは、もう一人の私を追い求める、探索の旅。影のような男の背中を追いかけ、さまざまな世界をさまよう。和栗と堅田(東雲舞踏)以外の出演者は、20代の若手やパントマイムグループSOUKIなど初めて舞踏に挑戦する。和栗の創作の基礎となる舞踏譜を用いながら、土方舞踏の根幹の一つでもある「変容」に取り組んでいる
上方落語『地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたはむれ)』よりともかくこの亡者の連中は、世間ずれしていると申しますか、世渡り上手と申しますか、クレージーといいますか、良く言えばファンキーといえるのでしょう・・・まぁ、閻魔様も手を焼く連中でございます。噺家が、言葉を用いて観客の想像力をかき立て、楽しませる芸であるのとは真逆に、SOUKIはマイムという黙芸で挑む。
「ストライプトストリート」(1986年頃) マイムトループ気球座
2023年12月3日に上演されたみんなでダンス in Ibaraki プロジェクト みんなでつくるダンス公演『だから、あなたと奏でるカラダ』上演までのプロセスを含めたドキュメンタリー映像
人間のいとおしさを謳いあげる大豆鼓ファームの、初の東北遠征公演。青葉城下に位置する大橋の下、広瀬川の流れの上に舞台・客席を設営、舞台バックの川面には高さ8メートルのステンドグラスを立ちあげた。川と共に生きる川原者たち―女はヨタカ、男は泥棒-が盗って笑って捕られて泣いて、泥無垢姿の人間模様を描き出す。公演は度重なる雨天にみまわれ、舞台の上にも川が流れる。路上時代から使われていたピアノはついにお釈迦と
アジア・トライ
福岡を拠点にする劇衆上海素麵工場の作品の中で、上杉満代が振付と自らのソロを踊っている。本公演は大野一雄フェスティバルの一環として、アジア的祝祭をテーマに開催する「アジア・トライ」のプログラムとして上演された。上杉は敢えて車椅子で登場するなど、師大野一雄の姿も彷彿とする。
(フライヤーより)ダンスシーンも、衣替え!show-case「だんすにGONE」は、あなたの抱いていたイメージをガラリと衣替え!今をトキメク4人の第三世代が、ダンス本来のダイナミズムをそれぞれのエナジーで、それぞれのまったく新しい感覚で発信。さあ、今、あなたの目の前に真新しい鮮烈な輝きが!!
80年代から作りためた小品をゴツゴツと並べたものを「ダンス☆ショー」と呼んできた。懐かしきリーダース・ダイジェストの通販で購入されたレコードを発見したことからまずは始まる。昭和の音楽が明るく単純な編曲で嬉々と演奏されていた。わたしは捻って捻り過ぎる癖があるので単純で明るい疑いのなさに圧倒される。単純で一本槍なダンス。凝らずにお遊戯のような動きで組み立てた小品の粒。初演新たな小品も織り混ぜてゴツゴツ
-「草野球チームが集まって作った名球会に、かつて八百長で地元を追われた男が帰ってくる。しかも不思議な〝なにか〟を引き連れて…。」役者5人だけで、こうのとりスタジアムの駐車場、放送室、グランドと場所を変えながら物語は展開します。野球へのLOVEが、すべてのLOVEへとつながっていく60分の喜劇です。
音楽の贈り物(ポトラッチ)
1985年3月から渋谷ジャンジャンにて行われたシリーズ「音楽の贈り物(ポトラッチ)」の第二弾。毎回様々なジャンルからの演奏家を招き、古川あんずのダンスとの共演を試みた。第一回は山下洋輔(ピアノ)、第三回は安倍圭子(マリンバ)、最終回には杵屋弥十介(三味線)が出演した。プログラム 1.ヒロシマのメンデルスゾーン / 2.アリババと40人の盗賊 / 3.シャーロック・ホームズの冒険
出前芸術体 ーアートボデックー
日本のグランドキャバレーを模した香港のナイトクラブ ”ボルボ” における、白虎社の「出前芸術体」による「ミラクルレポート」スペシャルライブショー。白虎社が公演活動と並行して行っていた「出前芸術体」は、結婚式から一般家庭の誕生日パーティ、コンサートやCM出演まで場を選ばず、「舞踏」のイメージにとらわれない「よりスリリングな見世物(パフォーミングアーツ)」を目指して、「からだ」と「芸術」を出前した。