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弁天島海上野外劇場
白虎社の主宰である大須賀勇が芸術総監督を務めた「クマノ・スパーク(熊野国際アートフェスティバル)」での、白虎社と豪華音楽陣による月光夜想曲、『月神(つきがみ)さんの輝く都』の映像記録。大須賀の総合演出による当該フェスティバルのみのオリジナル作品。<自然との融合>をめざすこのフェスティバル期間だけ、那智湾に浮かぶ弁天島へ約130mの仮設橋が架けられ、弁天島の大岩を背景とした海上野外劇場が出現した。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
Tokyo Real Undergroundでアーティスティック・ディレクターを務める川口隆夫が振付・演出を手がけた新作。舞踏家・吉本大輔とコンテンポラリーダンサー・酒井直之。数世代を分かつふたりが、迷宮に棲む怪物を通して新たなダンスの地平を切り拓く。映像作家・鈴木章浩は単なる舞台公演の記録ではなく、’60年代のアンダーグラウンド・フィルムを思わせる映像世界へと誘う。―迷宮の奥深く暗いところで息を
AsiaTOPAフェスティバル
「ButohBAR番狂わせ」第二弾の本作品はASIA TOPAフェスティバルで上演され、初日前、完売し大好評を博した。メルボルン在住の舞踏アーティストゆみうみうまれ演出のもと、舞踏、演劇、歌、キャバレエ、ビジュアルアートが融合し、屋内外の儀式的かつキテレツなパフォーマンスで「美しくも不完全な番狂わせ」をテーマとしている。静けさとカオスが行き来する中、舞踏マスター・竹之内淳志氏、音楽家小宮広子氏を含
ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅰ
「あんず動物紀」シリーズ第一弾。他にも虫やワニなどが取り上げられることとなるこのシリーズでは、「この世とあの世の混沌とした暗い記憶から呼び覚まされる」動物たちの声を作品化している。1987年フライブルク(ドイツ)にて初演。ー若者の窮極の目的地は やはりあの居心地のよい火の焚かれた部屋。まっ先に飛んできた犬。窓の中には案外な偽善者。ー
歌舞伎ミュージカル
井原西鶴原作の浮世絵草子を知念正文が構成脚色。身を焦がす恋に命を燃やした美しい五人の女たちを歌う舞姫、石丸有里子が見事に演じ分ける。人形振り、ひきぬき、けれん……など、あらゆる歌舞伎の手法を駆使し、日舞はもちろん洋舞、アクロバットダンス、三味線の生演奏、肉体でみせる桜の踊り、火の踊り、舞扇の群舞と、盛りだくさんのエンターテイメント作品。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅲ
「あんず動物紀」シリーズのうちの3作目となる「鳥」の初演。チラシにはダ・ヴィンチの次の言葉が引用されている。「大地は、その上に憩える一羽の鳥によって動かされる。」プログラム: 1.スーパーマン / 2.ジャスミン・キスミン / 3.月の兎
白虎社結成十周年+南方熊楠没後五十周年記念企画〈伝染するメディア〉シリーズ三部作Ⅰ天の巻
博物学者・南方熊楠のマルチメディア的好奇心に支えられた天地創造神話。1984年初演。1988年の第一回東京国際演劇祭では、50度にはなろうかという大テントの中で、「目的完成を欠いたこれほどの愚行は世界広しといえども、白虎社以外にはないだろう」(「別冊太陽 60’s~90’s」1991年平凡社)という舞台だった。本映像は、白虎社結成10年を記念して、その野外編として神奈川県藤沢市、熊楠も住んでいた和
Dance New Air 2014
迷い蝶というものがある。台風で予期せぬ場所に飛ばされ、海 を渡っても、その同一性を作り替えて生き続ける蝶のことだ。こ の共同制作もまた、たくさんの問いに導かれ海を渡り、相手の 中に自分を探す旅路を続けながら他者との新たな関わり方を 発見する。 “Suwung”とは、“目には見えないが、何かがそこに存在する ことを感じる”、という感覚を表すジャワ語である“。空”の中に存 在を感じ、現実と虚構を合理的
和太鼓+ダンスユニット<まだこばやし>による初の単独長編公演。「それぞれが」「鳴る」「共鳴する」をテーマに、打楽器とダンス、声や歌、演劇的表現に加え、ハーモニカなど他楽器の使用、儀式と照明効果の融合など、音楽的身体×身体的音楽パフォーマンスの可能性を追求した80分。人との距離が遠くなった時でも、響き渡る生のエネルギーは空間を駆け抜け、みんなを巻き込んで、どんどん世界へと共鳴していく。
Dance New Air 2016
私事だが最近結婚して、あらためて家族というものを目の当たりにしている。こちらの家族とあちらの家族、ぜんぜん違う。そこから生じる夫婦ふたりの生活スタイル・行動様式も当然違う。で、それぞれ両手を必死に伸ばして、わずかに触れ合う指先がその先の腕を互いにつかみ、ガッチリと離さないようにする。そうして家族は成立する。ひとつの細胞がどんどん分裂していくのが生命への過程ならば、家族は別々の個体がひとつに結合して
ソノノチ ランドスケープシアター
向こうのほうから 風が吹いてくる。そこにずっとあったもの、立っていたもの、流れていたもの。建っていたもの、聞こえていたもの、営まれていたもの。それらのあいだを通るとき 見えない姿を少しだけ 感じとることができる。わたしたちは 長いあいだ それらを待っていたような気がする。タイトルの「かざまち(風待ち) 」は船が出航する際、順風を待つ様子を指します。きっとこれから、もっと世界がよくなるように。
同人五人で作り上げた新作作品。冬から春へと移ろう季節の中で、地中から芽を出し、真っ直ぐと成長していく「つくし」の様子を表現する。「雪」「風』「太陽』「つくし」の四部構成となっている。凛とした自然の美しさ。つくしにちょっかいをかけるいたずらな娘心。春の訪れを陽気に知らせる、それぞれの妖精たち。最後は鮮やかな春を迎えて、芽を出したつくしが喜びを祝い、賑やかに舞い踊る一曲。
出前芸術体 ーアートボデックー
1992年、神楽坂に「大人向けのディスコ」をコンセプトに開店した「神楽坂TwinStar(ツインスター)」。そのオープニング記念スペシャル・ライブに白虎社が「出前芸術体」として登場、花魁ショーや金粉ショー等を繰り広げた。白虎社が公演活動と並行して行っていた「出前芸術体」は、結婚式から一般家庭の誕生日パーティ、コンサートやCM出演まで場を選ばず、「舞踏」のイメージにとらわれない「よりスリリングな見世
十数年ぶりに故郷に戻ってきた女性。「変わらないようで、変わっている」風景を眺めているうち、幼少期の自分に出会う。不思議と鮮明な彼女との出会いは、女性の今後を好転させるきっかけとなった。景色を眺め、思い出しているようで、思い出せていない。「私、小さい頃、タイムスリップ、した。」
風の庭プロジェクト2007
ユニット風舞妙韻による俳句から生まれる風楽作品。第1回風の庭プロジェクトで構想・総合指導:田中トシ。アルテゾンス・ド・コーポ、ニレ・アートとのコラボレーションにより風の家(サンパウロ)の砂舞台で催された。それは家族、庭、コミュニテイーそして身体と自然を廻ぐるパフォーマンスアート。2007年サンパウロ州文化局文化活動プログラム(Pac)の助成で実現。
「100通りのありがとうミュージカル」は、震災の記憶と教訓を風化させないため、そして震災を経験していない子どもたちにもその記憶と教訓を伝えるため、地域や時空を超えて人類共通の財産となるように、という思いが込められています。
GOSADOUー娯作動ー誤ちはときに軋轢を生みそれは他者にとって娯しく作用する ようこそ!娯作動の世界へ!
『夏の名残のバラ』は、金森穣が、舞踊家として円熟期を迎えた井関佐和子の在り方にインスピレーションを受けて生まれた作品。2019年「森優貴/金森穣 Double Bill」にて『シネマトダンス―3つの小品』の中の1作品として初演。舞踊家とは如何なる存在か。そして舞踊家が齢を重ねるとは如何なることか。舞踊家の生き様をご覧ください。
上方落語『地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたはむれ)』よりともかくこの亡者の連中は、世間ずれしていると申しますか、世渡り上手と申しますか、クレージーといいますか、良く言えばファンキーといえるのでしょう・・・まぁ、閻魔様も手を焼く連中でございます。噺家が、言葉を用いて観客の想像力をかき立て、楽しませる芸であるのとは真逆に、SOUKIはマイムという黙芸で挑む。
「ダンスの持つ抗えない魅力を、ダンサー自身が取り戻す事」を第一のテーマに、踊り尽くした末の、意味や記号から解き放たれた体から初めて生まれる関係性を提示した作品。「欲望も抑圧も、産まれた時からお皿に並べられていて、好きも嫌いもないままについ手が伸びちゃう程には食っちゃ寝て、その分大きくなったら誰かに食べられて、どんどこシェアされて循環してるこの体の緑。かなり。」
eX...it !
1995年から4年に一回 ブルーリン城にてデルタライと吉岡由美子の主催で開催されてきた舞踏フェスティバル最終回のビデオ記録。Ex の接頭語は内から外へ、のベクトルを持つ。experience, exchange, explore, experiment! をモットーに相違を超えて、お互いに切磋琢磨し、それぞれの舞踏の熟成、深化を目指し、毎回、多くの参加者、講師と 共に、時には喧々囂々 口論しながら
TOUCH - ふれる -
Co.Ruri Mitoは2021年より「TOUCH - ふれる -」というプロジェクトを3年間発展させてきた。「TOUCH - ふれる - #2」は最終成果となる公演だ。キーワードは「グラデーション」。7名のダンサーが固有の身体を軸にユニゾンを踊る。音楽は内田輝。自作楽器を調律し時間を立ち上げる。衣装はYANTOR。手紡ぎ手織りの素材で、作品の世界観を支える。始まりも終わりもない作品。
賃貸契約の一方的な破棄により、住む家をいきなり追い出されそうになる家族の物語。しかし人智の及ばない強大な力が見え隠れし始め、その問題自体が舞台上から消え去り———人間の世界を圧倒する存在が上演を支配し、まったく新しい世界が舞台上に立ち現れる。俳優たちはナラティブとは別の基準によって作られた振付を遂行し、次第に変態していく。音楽家もまた、楽譜に書き込まれた多彩な技法を用いて音楽を変容させる。6名の俳
白虎社は公演以外でも「出前芸術体」として、「からだ」と「芸術」を出前、一般家庭のパーティからコンサートやCM出演まで幅広く出没した。本映像には以下の白虎社出演部分が収められている。・石井聰亙監督「アインシュテルツェンテ・ノイバウテン 半分人間」(1986)・布袋寅泰ソロ・コンサート「GUITARHYTHM」より”WIND BLOWS INSIDE OF EYES”(1988)・TBSテレビ「ザ・ベ
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
「鏡の中の鏡」は私と佐和子のための作品です。1人の男と1人の女が互いの心の深淵を覗き込み、その普遍性に辿り着くことで再び出会う事るそれは互いの裡なるアニマとアニムス(ユング心理学における裡なる女性と男性)と出会うという事です。(金森穣)
Dance New Air 2016
私は「私」になる為に装う。舞台が求める「私」と私の間を埋めるため、衣装に着替えてステージに立つ。装うことで私は自分を護り、身を隠し、演出し,誇張し、ときに他を偽り、また威圧する。装いは私と「私」との輪郭の隙間を埋め、ときにはそれを消滅させる。「La Mode (ラ・モード)」は現代の宗教とも言われるファッションを軸に、浮かび上がる<境界>を視覚化させたパフォーマンス作品である。60分のこの作品の中
ヘルシンキ市立ダンス・カンパニー委託作品。古川あんずは同カンパニーからの委託で1994年には『春の祭典』を、1995年には『KEPPI(杖)』を振付けている。本作では、アマゾン河で見た色が交わらないまま流れる水やアフリカの女性が壺に朝露を集める姿、ヘルシンキ沖の凍った海など、古川に印象を残した様々な「水」の体験が下敷きとなっている。Act1退屈した男 / 心の誕生 / 隻手音声 / 水の神話Act
舞踏50年の記念に土方巽に捧げる公演として『幻想の地誌学』に続き、谷川渥『肉体の迷宮』を舞台化した作品である。「自分と異形の肉体との微妙な距離」を和栗自身の舞踏の支えに、自分という迷宮に取り組む。コンテンポラリーダンサーの関と共に、6人の女性舞踏手と土方舞踏譜を元に作品を制作している。その後も海外でのツアーや新作公演など、和栗の精力的な活動は続くが、日本国内において自身のカンパニー好善社としての公
Dance New Air 2014
幸せとは。無意識でも意識的でも、選んだ結果で今がある。 「赤い靴」を選ぶ人生、選ばない人生。「赤い靴」を履かずにいられない欲望の源は、何にあるのか、「赤い靴」に焦点を合わせない女は、何に怯えているのか。思いも掛けないきっかけで、もともと眠っていた種は目を覚ます。 女は無意識に危ないことを知っている。 それを幸せと呼ぶのか、呼ばないのか。
JADEフェスティバルの委嘱を受け、舞踏の創始者、土方巽の遺文集「美貌の青空」をタイトルに、土方へのオマージュを込めて創作されたKo&Edge.coの旗揚げ作品。
「ストライプトストリート」(1986年頃) マイムトループ気球座
あらすじいなくなった親友にそっくりのヒサダさんに出会うカップル。夫がいなくなり、姪と暮らしている女、近所に住むおばさん。日常がちょっと変に歪んでいく、ふたりの遠出。遠くに行きたいけど、行けない。今いる場所に、かつていた場所が重なっていく。これは都市生活者冒険譚である。
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
Dance New Air 2020 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.3
二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって安住の場所はどこだったのか。 私の愛情はどこへ向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか。 それとも世界に私は属しているのだろうか。(イサム・ノグチ) 自身の生い立ちに起因する不確かな帰属意識に苦しみ、その救いを創作に求め続けた彫刻家、イサム・ノグチ。彼が建築家の谷口吉郎と共に手 がけた本会場「旧ノグチ・ルーム」は
自らの肉体を客観的に物質として扱うこと。あるいは概念やエネルギーといった不可視のものを、その肉体によって可視化すること。はたまた支配被支配の関係性や性差の問題について、不特定多数の他者に問いを投げかけること。それらを集団による圧倒的な動物性エネルギーの放射によって表現すること。それが『NINA-物質化する生け贄』という作品である。
2020年初演したCo.Ruri Mitoの代表作。コロナ禍の真っ只中で、7名のダンサーとクリエイションを行い、施設利用の条件が緩和された10月に上演した作品。個と群の関係性をテーマにし、「自分の身体とはどこからどこまでか」という問いを投げかけ、生命の根源に迫る。私たちの存在とその相互作用を探求する試み。曖昧な身体の境界線を通じて、個の消滅や集結の解釈を観る者に委ねる。
梶井基次郎の詩に着想を得た SOUKI Performing Arts <SA KU RA>それは灼熱した生殖の幻覚させる後光と産卵を終えた何万匹もの薄羽かげろうの屍体美しさの中に潜む生と死の物語ーーー
下北ウェーブ2019
本多劇場主催「下北ウェーブ2019」にて選出・上演。初演(題『うたたね姫』)は2014年、松戸市での滞在制作を通し、再開発される街と、そこに適応できない人々の姿を描いた。再創作版では、かつて自ら書いた戯曲に共感できないという違和感を出発点に、普段の知覚外にある社会事象を扱った。「その程度で悩むな」という意見の暴力性と向き合うことで、見えにくい痛みや、世界の多様性をあぶり出した。
夕日を浴びて畑から馬車に乗って帰宅する少女たち、威勢よく滑走するたくましい少女たちの姿に感動とインスピレーションを受けた作品。1961年にユバ農場に入植した小原明子が弓場農場で創作した最初の踊り。
黒田育世の構成・演出・振付のBATIKによるコンテンポラリー・ダンス作品。少色とりどりの衣裳をまとった少女たちは広大な野原に集い、泣き、叫び、笑い、疲れ果てるまで踊り明かす。
ダンスがみたい!—批評家推薦シリーズ—
ケイタケイは1969年9月、「LIGHT」でニューヨークデビュー。同年12月には「ランチ」を発表した。「LIGHT, Part 4 “ジクゾーパズル”」は1970年12月初演。2005年の「ダンスがみたい!7」では「批評家推薦シリーズ」として参加団体の選出の理由などが推薦者から明示された。ケイタケイを推薦したのは舞踊評論家の山野博大は、オックスフォードの舞踊事典に、伊藤道郎、森下洋子、土方巽などと
遠藤が20数名のダンサー達と作り上げた作品。学校校長であった遠藤の父親が、焼けた校舎の跡に芽吹いたメタセコイアに勇気づけられ、絶望の淵から学校の再興を決意した体験から、自然が人間にとって如何に大切かをテーマに作品制作に取り組んだ。
「Caddy! Caddy! Caddy!」は、フォークナーの小説『響と怒り』、『アブサロム、アブサロム!』、短編小説『エミリーへのバラ』の抽象的な描写を題材にしたライブサウンドスコアとダイナミックなインスタレーションを伴う作品です。ダンスは、閉塞感、束縛、悲しみ、孤独、勇気を表現します。最終的には、ステージが無数の光の色の糸が空間に広がる息をのむようなフィナーレへと展開します。シンプルな照明の変
「11PM(いれぶんぴーえむ)」は日本テレビ系列で放映されたお色気から社会問題までを取り上げる伝説の深夜番組。本映像は、1985年(当時は番組が23時20分始まりで「11PM+20」と呼ばれた)、86年、88年の同番組に白虎社がゲスト出演した回を集めている。85年は「肉体は芸術です!? 脱いでじっくり考えよう!! ハダカ哲学バラエティー」、86年は「ハダカの芸術大集合!」と題され、大須賀勇へのイン
Dance New Air 2018
選べない交われない戻れない許されない終われない分からないそれでも嬉しくてまだ止めないただただ身体がもげそうで
「ささらもさら」とは、広島弁で“滅茶苦茶”の意。広島は、1945年、原子爆弾によって滅茶苦茶にされた。一瞬の光が全てを絶滅するかのように変えてしまった。作品テーマは、「原爆の過去、現在、未来」。原爆そのものを描くのではなく、それによって引き起こされた、人々の悲しみ、憎しみ、恐怖、怒りといった複雑な感情と、歴史的にも世界的にも止むことのない不条理な状況を、普遍的イメージとして舞踏化した作品である。
ここは落下する飛行船。上空1000000000kmで、ついに故障した飛行船。地面に到着するまでが、あと七日間の飛行船。四人の女と四人の男。何をして過ごそうか。
(フライヤーより)十三-十五世紀の黄金のジャワ、モジョパイト時代の栄光が、華麗な舞と瞑想的なガムラン音楽の中に甦える。ジャワ芸術の粋、総勢四十名で本邦初演。[あらすじ]隠遁したモジョパイトの宰相ウドロの息子、ダマル・ウラン〈”輝く月”〉は、女王から、モジョパイトに叛旗を翻すメナ・ジンゴの討伐を命じられる。ダマル・ウランは、絶世の美男子ぶりと美しい言葉でメナ・ジンゴの2人の妻を魅了し、彼女らを通して
――綺麗な毒には花がある。 『完璧な女子力』を求める女子高生は、森の奥に建つ巨大なメイド喫茶でアルバイトを始める。勤務初日の夜、メイド長が突然死。騒めくメイド達は「これは『御主人様』の仕業だ」と噂する。店には、メイドを次々殺していく、怪人『御主人様』の呪いがかかっていた。 耽美!耽美!暴力的耽美!演劇集団白昼夢が、虚構で性別を破壊する。
ミラーボールが回る呪術の場、古今東西のエイリアンによって謡われるダンス現代に潜む様々な文化や進化の記憶の断片を寄せ集めた、キメラ状身体。それは、古くて新しい奇妙なエイリアンたち。現在であり過去であり未来である時間=無時間。世界はミラーボールが回るダンスフロア。人間も動物も、生命はみな踊る。ここにミラーボール主義を宣言する。
五條《妹の力》シリーズ第3弾
舞踏カンパニー倚羅座は、芸能の源流にみられる魂振り(命の活性化)の力を現代のアヴァンギャルドな舞踏に蘇らせることをめざし、白虎社出身の今貂子により2000年に結成、京都を拠点に活動を続ける。2007年から2016年までは、旧花街に残る歌舞練場での毎年の公演に取り組んだ。「孔雀船」は魔を破る孔雀明王をモチーフに第3作目として制作。和の伝統的劇場、長唄の生演奏での公演は毎回多くの観客で賑わった。
田に沈む数限りない歴史のあしあとを踏む砺波平野の風をめしませ、「嬶ァ烈伝」。城端町細野の田んぼの上に造られた野外劇場で、田の神様の力を借り、カミさん(嬶ァ)の底力を踊る。観客は開演2時間前の日の暮れる前から屋台や出し物も楽しんだ。
舞踊とは非言語表現である。だからこそ好きに発言(表現)できると思ったら大間違いである。社会的意味を持たない言語だからこそ、より観客の想像力に訴えかける言語(踊り)でなければならない。饒舌である必要はない。沈黙を恐れてはならない。人間(観客)には、聞こえない言葉を聞き取る能力があるのだから。(金森穣)
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舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第二夜の出演者とその
(フライヤーより抜粋)この1年、ずっとサンタさんは、ひとりでも多くの子に素敵なクリスマスをプレゼントすることを願ってきました。ミセスサンタも同じです。けれど、いつもひとり残されるミセスサンタは、今年はサンタさんのそりに内緒で乗り込みました。サンタさんとクリスマスにデートしたかったからです。ところが、途中である星に落ちてしまいました。そこは、けんかのたえないキャンデイーの星でした。さあ、ミセスサンタ
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
EX TELEVISION
白虎社のビデオ作品「光の王国」(オーストラリアにて撮影、東京国際ビデオビエンナーレグランプリ受賞)から始まり、番組レギュラーの上岡龍太郎が大須賀にインタビューする形で番組が進む。「出前芸術体」のビデオ、「熊野夏季舞踏+芸能文化セミナー体験合宿」についての取材映像、ニコンCM(ヨーロッパ・バージョン)なども挟みながら、大須賀の人物像や芸術観、白虎社の活動を広く紹介する。