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築野家。中年の兄弟が母の病室に訪れると、金沢さんという知らない初老の紳士がいた。母と親しい仲らしい。膵臓ガンを告知された母は、金沢さんと相談の結果、尊厳死を選びたいと言った。一方、田熊家。子供は作らないと約束して結婚した若い夫婦に、妊娠の予兆が。生活や仕事のことを考えると、産むことは選べない。選びたくない。時間は刻々と進む。死にゆく命と芽生えた命を目の前にした、2組の家族の議論を見つめる。
TA-net舞台手話通訳養成講座(2018-2019年度/日本財団助成)の教材として書き下ろした30分程のお芝居(収録した三重公演の上演時間は37分)。3人の俳優が、家族(両親と息子)の30年間を演じます。舞台手話通訳、字幕、音声ガイドの観劇サポートがフルで導入された数少ない作品であり、上演前には事前舞台説明(10分)も行っています。
今作は過去編と未来編の連作である。過去編は〈日差し〉の視点から〈森〉との婉曲しながらもシンプルな関係が描かれる。物語は二人の別れから始まり、その末、日差しは見たことはあるけどいつもと違う、過去とも未来ともつかない空間に漂着する。未来編では日差しと森の娘である〈春望〉が主人公となり〈陽子ひいばあちゃん〉を探す旅に出る。またインタールードとして現われる〈せかい〉の存在が作品世界全体を複雑に揺り動かす。
バイオテロで拡散したウイルスにより、人口が激減した世界を描く近未来SF。政治経済は混乱、社会基盤が破壊された数年後、感染者の中で奇跡的に回復した人々が存在することが明らかになる。彼らは免疫や代謝において人間をはるかに上回る身体に体質変化していた。変異は進化の過渡期であると主張し自らを「ノクス」と名乗るようになる。普通の人間は三割ほどになり、かつて日本と呼ばれた列島には、ノクス自治区が点在し、緩やか
1978年に宮崎駿が初監督したアニメーションシリーズ『未来少年コナン』を舞台化。日本ではミュージカル『100万回生きたねこ』や村上春樹原作の『ねじまき鳥クロニクル』などを手掛け、その唯一無二の空間演出で観客を魅了し続けているインバル・ピントと多彩なクリエイターダビッド・マンブッフが共に演出を担当。コンテンポラリーダンス、歌や音楽、美術、衣裳、照明などを巧みに操り、芸術的かつ身体的な表現で創る新しい
三東はときに「怪物的なダンサー」と称される。繊細にして強靭。細胞の一つひとつを意識的に使った完璧な身体コントロールをもちながら、絶えずそれを凌駕する熱量のエネルギーがあふれ出してくるのだ。舞踏とは違うが、三東もまた重力を自らの力として踊るタイプのダンサーである。およそ通常の生物とは作動原理が違う。まるで体内に他の生き物が何匹も巣くっているような、予想のつかない動きの連続で、目を離すことができない。
YAMADA Un Co.
本作は東京芸術劇場で映像作品を作って有料配信し、劇場公演は地方でのみ行われた。 木々や花が溢れる庭で男女が踊るロマンティックなデュオから、無機質な病室でのダンス等、「視聴者の視線を強制的に導く映像の強み」を活かしている(むろん映像にあることは基本的に舞台上でも行われている)。 山田は「2020年のオマージュ」が本作のサブテーマだといっているが、それはコロナ禍や、延期された2020年東京オリンピック
東京観光の代名詞的存在のはとバスを実際に使い、東京オリンピック(1964)時に活躍された伝説的はとバスガイドをゲストに迎え、現役のはとバスガイド、Port Bパフォーマーの「バスガイド」とともに東京を辿った。現在の東京の基礎は東京オリンピック(1964)で作られたという見立てのもと、東京オリンピックのレガシーを巡りながら、当時と現在の東京を「オリンピック=競争」という観点から比較検討し、東京という
―これは井上ひさしが愛してやまない日本語に、不思議でかわいらしく、輝くような生命を与えてくれた、ある岩手花巻人の評伝劇―詩人にして童話作家、宗教家で音楽家、科学者で農業技師、土壌改良家で造園技師、教師で社会運動家。しなやかで堅固な信念を持ち、夭逝した宮沢賢治。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」そう信じた宮沢賢治が夢見たイーハトーボは果てしなく遠かった。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
飴屋法水とロメオ・カステルッチによる、初のダブルビル上演。宮澤賢治のテキストから自由に発想し、それぞれ新作「じめん」(飴屋法水)、「わたくしという現象」(ロメオ・カステルッチ)を発表。二つの才能が宮澤賢治の世界を媒介に響きあう瞬間を、1000人もの観客が野外で同時に体験する。幼少のころから宮澤賢治の作品に親しんできた飴屋法水は、その作品世界にアクセスし、物質や生命をめぐる思索を繰り広げる。会場とな
紀尾井たっぷり名曲 長唄
人々を魅了し続けてきた傑作に注目。長唄「勧進帳」は、能『安宅』をもとに歌舞伎化され、舞踊としても音楽としても人気が高い作品です。当代きっての名人で長唄三味線・人間国宝の杵屋勝国と、歌舞伎の第一線で活躍する唄方・杵屋勝四郎が大曲を務めます。お話は児玉竜一・早稲田大学文学学術院教授です。
[作品ノート]ほぼタイトル通りの作品です。助成:公益財団法人セゾン文化財団協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、contact Gonzo
滑稽かつ批判的な眼差しから日常を切り取り、都市における無意識の振る舞いを人・物になって自在に演じてきたオル太が、2020年東京オリンピックを目前に、京都で初となるスタンドプレーを上演します。新国立競技場の構造モデルから設計したスタジアムを劇場に再現し、「自らが演じること」と「演じることを観ること」が演者と観客、都市と劇場のなかで入れ子構造で立ち上がり、人間の共存に結びついてきた行為を問いかけます。
「残月」 峰崎勾当 作曲 歌・三弦 藤本昭子 歌・箏 岡村慎太郎 尺八 藤原道山「八重衣」 石川勾当 作曲 歌・三弦 藤本昭子 箏 米川文子 尺八 善養寺惠介
長谷川達也を中心としたDAZZLEは、ストリートダンス出身ながら物語性のある作品を多数発表している特筆すべき存在だ。彼らの群舞は、従来のダンス言語とは異なる発想から展開しており、幅広い層の観客を一気に引き込んでいく。この作品は彼らの代表作であり、テキストを使いながら兄弟の自己犠牲の物語が重厚に描かれる。シビウ国際演劇祭で上演された際には、最後のシーンが始まる前に観客が総立ちで拍手を送っていた。本作
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
「自己紹介をさせてください。かまいませんか?」「はあ」「ありがとうございます。私は・・・」というようなことは、時々あることです。しかし、めったにない、という人も多いです。毎日既知の人とだけ会ってその日が終わる場合も多いから。私がそうです。なので、時にはあり得るこの自己紹介は、やはり新しい世界であり、非日常であり、とてつもない冒険でもあります。というわけで、とにかく自己紹介ばかりをする話を書いてみた
寂しさと不安を抱える女と男の会話劇「セクシードライバー」(09年初演/第54回岸田國士戯曲賞最終候補)を、21年コロナ禍の初春、無観客公演ならぬ"観客ひとり"公演と名付け、湾岸埠頭にて深夜3時開演の野外上演を決行。"観客ひとり"こと江本純子による80分の長回しRECの奇跡、それは映像としての奇跡だけではなく、演劇の奇跡にも重なる。そして仕上がった全編100分の天然野外劇シネマ、演劇=映画を成立させ
「長い正月」は、とある家族の1924年から2024年までの"100年の正月"を定点観測する、ささやかな大河劇。「人生は短い。この正月は長い」がキャッチコピー。誰にも平等に訪れる"正月"という時間を100年の長いレンジで扱い、戦争、震災、コロナ…といった歴史的事象を織り交ぜつつも、市井の人々の暮らしと営みに光を当て、ドラマを見出した。戯曲は上演後、演劇批評誌「紙背」に掲載。
宮沢賢治作品 初演出となる演出家・宮城聰と、初の演劇台本に挑む小説家・山崎ナオコーラによる、異色のコラボレーションが実現。等身大の人形を駆使し、変幻自在の劇世界を追求した作品。詩人、童話作家として有名な宮沢賢治は、地質学や土壌学の専門家でもあり、貧困を極めていた当時の農民と生活をともにし、収穫量を改善しようと奮闘した。『グスコーブドリの伝記』は、そんな賢治の人生が反映された物語。「人間は自然とどう
慶長17年 陰暦4月13日正午。豊前国小倉沖の舟島。宮本武蔵と佐々木小次郎が、たがいに睨みあっている。小次郎は愛刀「物干し竿」を抜き放ち、武蔵は背に隠した木刀を深く構える。武蔵「この勝負、おぬしの負けと決まった」。約束の刻限から半日近くも待たされた小次郎の苛立ちは、頂点に達していた。勝負は一撃で決まった。勝ったのは武蔵。後に「巌流島の決闘」と呼ばれることになる世紀の大一番は、一瞬のうちに終わる。…
康二と麻衣は長い期間の不妊に悩んでいる。やがて治療を経て子供を授かるが、出生前診断によって、生まれてくる子供が障がいを持っている可能性を示される。康二は過去のとある経験から出産に反対するが、その事を知らない麻衣はその反対を押し切り出産を決意し…。
ままごと 瀬戸内国際芸術祭2022 ドキュメンタリー
「2022年秋、ままごとは、小豆島で『あゆみ(短編)』、豊島で『反復かつ連続』の公演を行いました。本映像はその公演前後の7日間の記録です。」瀬戸内国際芸術祭2013より、小豆島での演劇活動を継続的に行ってきた劇団「ままごと」。これまで坂手エリアを中心に、島の歴史や記憶から創作した《おさんぽ演劇》や島民と共につくり上げた肝試し演劇《小豆島きもだめスイッチ》、珈琲や軽食のほかに演劇やダンスパフォーマン
「俺が代」は、日本国憲法や、文部省(当時)による教科書『あたらしい憲法のはなし』、そして尾崎行雄、芦田均などの演説をテキストとして用いながら、日本国憲法の本質を浮かび上がらせ、憲法やこの社会についての問いを共有するソロパフォーマンス。これまで愛知県芸術劇場、京都芸術センター、Festival Temps D' Images Cluj などにおいて上演されてきたかもめマシーンの代表作です。憲法という
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
40歳を超えて定職につかない独身の男「正」がアパートの一室に独立国を作る。そのアパートの家賃は年老いた母親の年金生活で賄われている。「ガイド」と呼ばれる男に導かれ、日本からの亡命を試みる兄妹と「正」の母親が、その独立国を訪ねる。アパートの隣の部屋には、騒音に近い音楽を聴きながら洗濯物を干す女が住む。彼らは自らの領土を主張しながら、奇妙な同居生活を始める。日本人独特の親子のつながりや登場人物たちの孤
コドモ発射プロジェクト
予測不能な子供の閃きを元に、岩井秀人・森山未來・前野健太をはじめとする大人達が、右往左往しながら演劇作品に仕上げる、それが「コドモ発射プロジェクト」です。 野田秀樹の「子供の書いた台本をよってたかって演劇にすることはできないだろうか?」というアイディアから始まりました。 「ことば好き」の岩井、「からだ好き」の森山、「うた好き」の前野が集まり、 大人が描こうとしても描
『どんとゆけ』『どんとゆけ』の設定は、死刑執行に被害者遺族が関与できるという、架空の「死刑員制度」が施行されている世界。青森県津軽地方のある家に一人の死刑囚が連行されてくる。この家には獄中結婚により妻となった女性が暮らしており、これからここで死刑が執行される。死刑執行のために現れた被害者家族と、死刑囚の妻であることに酔いしれているような女と死刑囚らの、執行までの濃密な時間のドラマ。初演は2008年
MiMiBiドキュメンタリー
一言に「障がい者」と言っても、障がいの数、人の数だけ異なる身体性や感覚がある。障がいのある人と無い人とで単純に分けられるようなものではない。初めて Mi-Mi-Bi の練習を見た時に、世間一般で伝えられるような「障がい者」のイメージはなく、内側から見たら単純明快に「私とあなたは違うよね」という至極当たり前なことの中に自分自身も放り込まれていた気がした。「あなたと私は違う」の中では、障がい者も健常者
ロシアを中心とした三国干渉により、朝鮮半島での影響力が弱まった日本は、新公司として三浦梧楼を赴任させる。1895年10月8日、三浦を中心とした「暗殺団」が朝鮮王朝の王妃を殺害した。この乙未事変は、その後の朝鮮半島の侵略・植民地支配の大きな節目となった。韓国・朝鮮人には決して忘れることのできないこの事件を日本で知る人は少ない。外交史上他に類をみない蛮行をめぐって繰り広げられる人間模様を描いた作品。
童話「ヘンゼルとグレーテル」をもとに、それを現代に置き換えた兄妹の物語。貧乏な家庭に育ち、両親から逃げてきた兄と妹が辿り着いたのは、深い森の中にある、お金持ちの別荘。その別荘にある高価な物たちを見て、兄妹の興味と欲が溢れ出していくが、物に触れるたび、逃げてきたはずの怖い両親からの記憶が襲いかかる。その場所は不思議な現象が起こり続ける〝おかしな家〟であった。その不思議な現象を、小沢自らが作り上げる舞
モダンダンスのパイオニア、テッド・ショーンが歴史的なフェスティバルを創始したダンスセンター、ジェイコブズ・ピローは、2020年11月17日に火災に見舞われ消失した。この巨大な損失を記し、愛すべきジェイコブズ・ピローへのダンスアーティストと観客の思いを表すためにダンスフィルム制作が企画され、尾竹永子は雪に埋もれた焼け跡のなかで踊った。
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
「松井周の標本室」は、劇作家・演出家の松井周が「演劇」を通して世の中に思いを巡らすためのスタディ・グループである。2020年~2022年度の活動を記録したドキュメンタリーが本作品。コロナ禍において、コミュニティを作り、オンライン会議や創作を通じて、各自のオルタナティブストーリーを生み出し、耳を傾けていく様を描く。このコミュニティでは、松井周というアーティストの好奇心を火種として様々な人間が互いに興
(チラシより)いつだってずっと、もう何年も。どこか内側に在るシーンというシーンは、眼裏で目まぐるしくリフレインしている。最速のスピードを持って、脳内を駆けめぐる。あの季節の、あの湿度のなかを走りつづけている。もしくは、歩いている。校舎のなかを。休み時間、教室から教室へ。廊下を、歩いている。なんともない日々の眺め。しかし、その平穏さが一変する瞬間。いつのまにか忍びよっていた影に気づかずに、ある瞬間。
いつも一緒だった四人。高校生だったある夏、二人が事故で死亡した。そして月日が流れ……今、四人は話に花を咲かせている。想い出話から現在のことまで話題は様々だ。しかし大人になった二人と高校生のままの死んだ二人の会話は食い違う。人と人 との関係。それはどうしたって相対的にならざるを得ず、しかしそれではどうにも消化できない個々の想いもあり……。そんな浮き世をシンプルに描いた作品。
楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~『楽屋』は清水邦夫氏の代表作で、日本で最も多く上演されている戯曲といわれる。チェーホフの『かもめ』や『三人姉妹』、シェイクスピアの『マクベス』、三好十郎の『斬られの仙太』などの戯曲をはじめ、さまざまな文学作品の言葉がふんだんに引用されている。登場人物は『かもめ』のニーナ役の女優と、その上演中の楽屋に住み着く女優だった幽霊の4人。名セリフの引用は、名作へのオマー
コロナ禍で生まれた山本卓卓と川口智子の初タッグが送るSFヒューマン愛<ラブ>ドラマ!?鈴木光介の作曲と、出演者全員のバンド演奏でおくる、エンターテイメント劇場!ひとつの家に住んでいても言えないこと。隣の家に住んでいても聞こえないこと。本当かわからない過去のことや、知らないふりをする未来のこと。2組の夫婦の心の声に耳をすませて描く、現在の物語。
人が生まれてから死ぬまでの約100年、星が誕生してから消滅するまでの約100億年。時報を合図に、団地で暮らす一家と星の一生を重ね描いた、柴幸男の代表作。2009年の初演で第54回岸田國士戯曲賞を受賞し、2011年の再演では全国6都市ツアーを敢行。2015年には東京と小豆島の2都市で再々演を行った。ゼロ年代演劇のマスターピースにしてクラシック。
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
いつ高シリーズvol.7
この雪が止むまで、図書室にいよう。テーブルを本でいっぱいにして、つまみ食いみたいにちょっとずつページをめくりながら過ごそう。朝についての印象的な書き出しからはじまる女子高生の話、気だるそうな主人公が日常のちょっとした謎を解いていくミステリー、異世界に転生したら全部うまくいくファンタジー。お気に入りのセンテンスを拾い集めながら代わる代わる本を読んで いく。そのうちウトウトしはじめて、気づいたら睡眠。
松本奈々子、西本健吾 / チーム・チープロ
3歳から20歳までバレエを踊り、その後自らの身体のあり方を問い直してきたパフォーマーの松本奈々子、主にドラマトゥルクの役割を担う西本健吾が共同で演出を行う「チーム・チープロ」は、綿密なリサーチを積み重ね、“身体”を媒介に個人の記憶と集団の記憶を再構築するパフォーマンスユニット。KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2021年・2022年の2年間にわたり京都芸術センターで制
謎の浮世絵師・東洲斎写楽。たった10ヶ月の間に、154点余の作品を残し、忽然と消えた東洲斎写楽、それは…誰?寛政6年(1794)1月。喜多川歌麿(小西遼生)の美人大首絵が大人気の江戸。己の絵で一儲けを企む男がいた。男の名は斎藤十郎兵衛(橋本さとし)。江戸・阿波藩蜂須賀家お抱えの能役者だ。ある日、友人・与七(東山義久・栗山航/Wキャスト)と共に繰り出した江戸の盛り場で、似顔絵描きと名乗る不思議な女・
ダンスとラップ 島地保武×環ROY
ザ・フォーサイス・カンパニーでメインダンサーとして活躍していた島地保武は、噴出し続ける溶岩のように、無尽蔵に変化し続けるダンサーだ。そしてラッパーでミュージシャンの環ROYは、独自の進化を遂げて発展してきた日本語のラップの最先端にいる。圧倒的なフィジカルのダンサーと、言葉と音で迎え撃つラッパー。いかに予定調和的な安穏を排して、毎回初めて顔を合わせたような緊張と即興性を保てるかが鍵になる。観客が望む
かつて庶民の希望であり、羨望の的だった「大衆演劇」移り変わる時代に翻弄され衰退する一座。その楽屋から漏れる光と影...そして夢。人情・縁...人生。数々の名台詞が、舞い散る雪のように降り積もる。女座長・中村梅子一座は、人気の老舗大衆演劇一座だった。しかし時代はまさに戦後の娯楽ブーム。役者は次々と去り、わずかに残った役者にも不平不満が渦を巻く。問題山積みの一座を救おうと、座長が運命をかけて演じた一世
会場はまさかの巨大スタジアム!パフォーミングアーツと、スポーツの狭間で繰り広げられる〈スペクタクル=見せ物〉人と人が殴りあい、肉体を衝突させあうスリリングなパフォーマンスで人々を魅了し、いまや現代アートの領域でも活発に活動するcontact Gonzo。舞台作品としては、写真家のホンマタカシを巻きこんだ作品や、パフォーマンスが発する音のみを多チャンネルスピーカーから聞かせる音響作品など、透徹した思
【Story】物語はワタルの亡き母への手紙で始まります。 ほそい路地、トンネル、坂道。初めて来たはずのこの島に、なぜだかワタルは郷愁感を覚えるのです。 成長したワタルは、ヒルコやカイと出会い、ともに遊んだり喧嘩したりしながら、 “海の学校”で犬島のことや生き物のこと、そして、地球や人類の歴史を学びます。 ある日、教室に水が流れ込み、“海の学校”があっという間にアジアの多島海へと変わると、 ワタルは
おもむろにビニールプールを膨らませる15人の俳優。ビニールプールが完成すると、その中に胎児のように丸まって、眠りにつく。音楽が始まると、彼らは、それぞれの島に住む人々や、島の魂、妻に逃げられた若いパパや、ロンドンに居るイギリス人、ビニールプールの検品をしているアルバイトなど、様々な人物になっていく。リップシンクによる、コンセプトアルバム的な音楽シーンの連続で送る、人類の孤独を慈しむ音楽劇。
ある日、綿子と不倫相手の木村が会っていた帰り道で、木村は車に轢かれてしまう。遠くから事故を見ていた綿子は助けずにその場を去り、大学講師の夫と、夫の連れ子である中学生の息子の居る家へと帰ってゆく。やがて綿子は訃報を聞くが家族の前では悲しむことができず、自身の行動を後悔し始める。そんな時、綿子は夫から家族関係の再構築を提案され、木村の死を抱えたまま流されるように再構築を始める。
音 も 立 て ず に 世 界 は 終 わ ろ う と し て い る一瞬だけ空が緑色に輝いてからというもの地球には異変が起こりはじめた。すべての犬が散歩に行かなくなり、猫は左にしか曲がらなくなった。すべての花は自ら捩じれて茎にこぶ結びをつくるようになり、カエルはそれまでの倍以上跳ね上がるようになった。電柱の足場のボルトはどうしてだろう確実に以前より延び、すべての道路標示はさらさらと粉になって方方
陰陽の哲学を身体で表現したダンス作品。堕ちていくようで、浮いている。脱けていくようで、迎えている。消えていくようで、生まれている。世界の陰と光の謳歌。阿吽山水の宇宙。
せんとう。裸でたたかう。労りと労いとハピネス。
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか明治9年(1876)から明治21年(1888)まで明治に入って年号が変わっても人々の意識がすぐ切り替わるわけではありません。まだ華やかに色濃く江戸の存在を残していた明治33年(1900)までを2回にわたって取り上げます。お話 竹内道敬常磐津「戎詣恋釣針(釣女)」(1883年) 浄瑠璃 常磐津初勢太夫、常磐津光勢太夫、常磐津千寿太夫、
古典芸能である能の構造を脱構築し、身体と映像のコラボレーションによる現代の舞台芸術作品として甦らせた。コロナ禍によって失われたかに見える世界と、日食の瞬間にだけ地球からも見ることが出来る太陽コロナを重ねて描き、夢と現実の狭間の浜辺で、ありえたかもしれない過去/ありえるかもしれない未来として漂う自らの幽霊と邂逅する少女の姿が描かれる。
プロジェクト大山と田上パルによるダンスと演劇のコラボレーション。1940年に上演された『日本』三部曲に想を得て制作された作品です。1940年は、アジア初となる東京オリンピックの開催が計画された年です。しかし日中戦争の長期化によりやむなく中止されます。その一方で、この年には皇紀2600年を祝う様々な記念行事が催されていきます。第一線の舞踊家達が賑々しく集う『日本』三部曲もそのひとつ。平和の祭典が中止
伝統舞踊である日本舞踊でもコンテンポラリー・ダンスの要素を取り入れる試みなどは行われてきたが、表層的な混合に終わることが多かった。例外的に二代目花柳壽應は、正統の日本舞踊を修めながら、モーリス・ベジャールの『ザ・カブキ』のアドバイザーを務めるなど、コンテンポラリー・ダンスにも造詣が深く数々の成果をあげてきた。今回の「ボレロ」の振付は、壽應の弟子として古典舞踊と創作舞踊の両面で薫陶を受けてきた花柳源
Nibroll結成立10周年作品 /日本ダンスフォーラム賞受賞作品
ねえちょっと、みてみてよ。腺、腺、腺、ばっかり。ぼくと犬に、あなたの猫に。誰かさんと一緒に暮らすこの部屋に。街行く他人の体の中に。全て乗り越えられない境界線。ただあるだけの境界性。ロールしながら、じっと見る。