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金氏徹平は、京都を拠点に国内外で作品を発表している彫刻家だが、美術という枠組みを軽々と飛び越えて、さまざまなアーティスト、スペシャリストとのコラボレーションを積極的に展開している。KYOTO EXPERIMENTへは2014年に参加。作品展示を開いた会場で、ミュージシャンらを巻きこんだ4つのパフォーマンスも見せた。今回、発表される新作は、自身の映像作品『Tower』、彫刻作品『White Disc
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
ミュージカル『刀剣乱舞』
名だたる刀剣が戦士の姿になった刀剣男士を育成し、歴史改変を目論む敵と戦う大人気PCブラウザ・スマホアプリゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」(DMM GAMES/Nitroplus)を原案とする、ミュージカル『刀剣乱舞』。本作はミュージカル『刀剣乱舞』に出演している髭切・膝丸の2振りによる公演で、日本が誇る様々な文化を紹介するプロジェクトである「日本博」にも参画しています。1部のミュージカルパートで
「国家と芸術家」シリーズ
ドイツの作家エーリヒ・ケストナーの作家人生の始まりとともにナチスが勃興し、両者が対立していく様子を、彼の映画業界の仲間たちやレニ・リーフェンシュタールとの交流を通して描く。抵抗の作家と呼ばれたケストナーは、1941年にゲッベルスの要請を受け、映画「ほら男爵の冒険」のシナリオを書いてしまう。1945年には、リーフェンシュタールと、疎開先のオーストリアの山村で、芸術家の倫理について議論を戦わせる。
いつも一緒だった四人。高校生だったある夏、二人が事故で死亡した。そして月日が流れ……今、四人は話に花を咲かせている。想い出話から現在のことまで話題は様々だ。しかし大人になった二人と高校生のままの死んだ二人の会話は食い違う。人と人 との関係。それはどうしたって相対的にならざるを得ず、しかしそれではどうにも消化できない個々の想いもあり……。そんな浮き世をシンプルに描いた作品。
おもむろにビニールプールを膨らませる15人の俳優。ビニールプールが完成すると、その中に胎児のように丸まって、眠りにつく。音楽が始まると、彼らは、それぞれの島に住む人々や、島の魂、妻に逃げられた若いパパや、ロンドンに居るイギリス人、ビニールプールの検品をしているアルバイトなど、様々な人物になっていく。リップシンクによる、コンセプトアルバム的な音楽シーンの連続で送る、人類の孤独を慈しむ音楽劇。
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース
穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュースの第二弾。穂の国とよはし芸術劇場の芸術文化アドバイザー(2017年当時、19年4月からアソシエイトアーティスト)であったアル☆カンパニーの平田満と劇場との共同企画。KAKUTAの桑原裕子の作・演出、平田満、井上加奈子、増子倭文江、中尾諭介、多田香織、小林勝也といった出演者により、2017年12月に豊橋、北九州、東京で上演。団地の一室を舞台に描かれた小さな作
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
謎の浮世絵師・東洲斎写楽。たった10ヶ月の間に、154点余の作品を残し、忽然と消えた東洲斎写楽、それは…誰?寛政6年(1794)1月。喜多川歌麿(小西遼生)の美人大首絵が大人気の江戸。己の絵で一儲けを企む男がいた。男の名は斎藤十郎兵衛(橋本さとし)。江戸・阿波藩蜂須賀家お抱えの能役者だ。ある日、友人・与七(東山義久・栗山航/Wキャスト)と共に繰り出した江戸の盛り場で、似顔絵描きと名乗る不思議な女・
江戸三味線音楽の変遷
幕府が開かれた後の江戸の三味線音楽がどのような変遷を辿ったのか明治9年(1876)から明治21年(1888)まで明治に入って年号が変わっても人々の意識がすぐ切り替わるわけではありません。まだ華やかに色濃く江戸の存在を残していた明治33年(1900)までを2回にわたって取り上げます。お話 竹内道敬常磐津「戎詣恋釣針(釣女)」(1883年) 浄瑠璃 常磐津初勢太夫、常磐津光勢太夫、常磐津千寿太夫、
この作品はコロナ禍で創作され「これぞソーシャル・ティスタンス・パフォーマンス!」と世界中で報じられた。特徴的なのは、舞台美術と一体化した「客席」である。三方を壁で囲われ、壁に空けられた穴から中をのぞき見るのだ。通常の舞台芸術でも、観客は暗い客席から一方的に明るい舞台を見ているわけで、いわば「のぞき」とは舞台芸術の本質なのである。カンパニーを主宰する浅井信好は多彩な顔を持っている。ヒップホップ出身で
ある日、綿子と不倫相手の木村が会っていた帰り道で、木村は車に轢かれてしまう。遠くから事故を見ていた綿子は助けずにその場を去り、大学講師の夫と、夫の連れ子である中学生の息子の居る家へと帰ってゆく。やがて綿子は訃報を聞くが家族の前では悲しむことができず、自身の行動を後悔し始める。そんな時、綿子は夫から家族関係の再構築を提案され、木村の死を抱えたまま流されるように再構築を始める。
『どんとゆけ』『どんとゆけ』の設定は、死刑執行に被害者遺族が関与できるという、架空の「死刑員制度」が施行されている世界。青森県津軽地方のある家に一人の死刑囚が連行されてくる。この家には獄中結婚により妻となった女性が暮らしており、これからここで死刑が執行される。死刑執行のために現れた被害者家族と、死刑囚の妻であることに酔いしれているような女と死刑囚らの、執行までの濃密な時間のドラマ。初演は2008年
YAMADA Un Co.
本作は東京芸術劇場で映像作品を作って有料配信し、劇場公演は地方でのみ行われた。 木々や花が溢れる庭で男女が踊るロマンティックなデュオから、無機質な病室でのダンス等、「視聴者の視線を強制的に導く映像の強み」を活かしている(むろん映像にあることは基本的に舞台上でも行われている)。 山田は「2020年のオマージュ」が本作のサブテーマだといっているが、それはコロナ禍や、延期された2020年東京オリンピック
音 も 立 て ず に 世 界 は 終 わ ろ う と し て い る一瞬だけ空が緑色に輝いてからというもの地球には異変が起こりはじめた。すべての犬が散歩に行かなくなり、猫は左にしか曲がらなくなった。すべての花は自ら捩じれて茎にこぶ結びをつくるようになり、カエルはそれまでの倍以上跳ね上がるようになった。電柱の足場のボルトはどうしてだろう確実に以前より延び、すべての道路標示はさらさらと粉になって方方
古典芸能である能の構造を脱構築し、身体と映像のコラボレーションによる現代の舞台芸術作品として甦らせた。コロナ禍によって失われたかに見える世界と、日食の瞬間にだけ地球からも見ることが出来る太陽コロナを重ねて描き、夢と現実の狭間の浜辺で、ありえたかもしれない過去/ありえるかもしれない未来として漂う自らの幽霊と邂逅する少女の姿が描かれる。
知っていますか?かつて、呪法劇という学問があったことを。それが、あまりに強大な力を持つがゆえ、歴史の闇に隠されたことを。呪法劇とは芝居をやると言う儀式によって、霊的なるものを地上に降臨させ超常的な力を借りることです。おぼんろは1600年代に残された伝説的な文献を日本で初めて翻訳し、当時の儀式を再現しました。『ゲマニョ幽霊』はロシア・ポーランド戦争が行われた頃、ラマエが描いた物語とされています。誰が
松本奈々子、西本健吾 / チーム・チープロ
3歳から20歳までバレエを踊り、その後自らの身体のあり方を問い直してきたパフォーマーの松本奈々子、主にドラマトゥルクの役割を担う西本健吾が共同で演出を行う「チーム・チープロ」は、綿密なリサーチを積み重ね、“身体”を媒介に個人の記憶と集団の記憶を再構築するパフォーマンスユニット。KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2021年・2022年の2年間にわたり京都芸術センターで制
本作は、2020年12月、山﨑広太と西村未奈により、フロリダ州立大学、マギーアレシー国立振付センター (MANCC)にて共同で創作を開始した新作『幽霊、他の、あるいは、あなた』のワークインプログレス。自然の複雑で静的な世界の中で、二人の異なる歴史、知覚、細分化された内部の風景を受け入れることができるフラクタルで気象のような身体、そして老いる時間を調査する。
東京芸術劇場が2015年に初めて制作した、こどものためのオリジナル作品。原作は松尾スズキの文/絵による 『気づかいルーシー』(千倉書房)、脚本・演出はノゾエ征爾。主人公のルーシーと、育ての親のおじいさん、飼い馬が互いに気づかいしすぎるあまりに引き起こす残念な悲喜劇が、オリジナルスコアの生演奏に乗せて、歌あり踊りありで展開する、ほろ苦くも楽しい舞台。2017年の再演に続き、2022年に再再演をおこな
MiMiBiドキュメンタリー
一言に「障がい者」と言っても、障がいの数、人の数だけ異なる身体性や感覚がある。障がいのある人と無い人とで単純に分けられるようなものではない。初めて Mi-Mi-Bi の練習を見た時に、世間一般で伝えられるような「障がい者」のイメージはなく、内側から見たら単純明快に「私とあなたは違うよね」という至極当たり前なことの中に自分自身も放り込まれていた気がした。「あなたと私は違う」の中では、障がい者も健常者
コドモ発射プロジェクト
予測不能な子供の閃きを元に、岩井秀人・森山未來・前野健太をはじめとする大人達が、右往左往しながら演劇作品に仕上げる、それが「コドモ発射プロジェクト」です。 野田秀樹の「子供の書いた台本をよってたかって演劇にすることはできないだろうか?」というアイディアから始まりました。 「ことば好き」の岩井、「からだ好き」の森山、「うた好き」の前野が集まり、 大人が描こうとしても描
三東はときに「怪物的なダンサー」と称される。繊細にして強靭。細胞の一つひとつを意識的に使った完璧な身体コントロールをもちながら、絶えずそれを凌駕する熱量のエネルギーがあふれ出してくるのだ。舞踏とは違うが、三東もまた重力を自らの力として踊るタイプのダンサーである。およそ通常の生物とは作動原理が違う。まるで体内に他の生き物が何匹も巣くっているような、予想のつかない動きの連続で、目を離すことができない。
フランス日常性演劇の代表的作家、ジャン・ポール・ヴェンゼルの作品の日本初演。ジョルジュは鉄鋼労働者であった。退職した彼は”アゴンダンジュを離れて”田舎に小さな家をかまえ、一室に作業場を作った。そして妻のマリーも静かな老後を夢みていた。しかし…。
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2年にわたりリサーチと制作に取り組んできた、松本奈々子と西本健吾によるパフォーマンス・ユニット「チーム・チープロ」。2021年にリサーチを開始したふたりが最初に掲げたテーマは「ワルツ」だった。コロナ禍で「接触」が憚られるなか、京都に存在したとされるダンス芸妓の史実を起点に戦前京都と現代と接続し、想像上の他者とワルツを踊る作品を発表。続
飴屋法水とロメオ・カステルッチによる、初のダブルビル上演。宮澤賢治のテキストから自由に発想し、それぞれ新作「じめん」(飴屋法水)、「わたくしという現象」(ロメオ・カステルッチ)を発表。二つの才能が宮澤賢治の世界を媒介に響きあう瞬間を、1000人もの観客が野外で同時に体験する。幼少のころから宮澤賢治の作品に親しんできた飴屋法水は、その作品世界にアクセスし、物質や生命をめぐる思索を繰り広げる。会場とな
(チラシより)いつだってずっと、もう何年も。どこか内側に在るシーンというシーンは、眼裏で目まぐるしくリフレインしている。最速のスピードを持って、脳内を駆けめぐる。あの季節の、あの湿度のなかを走りつづけている。もしくは、歩いている。校舎のなかを。休み時間、教室から教室へ。廊下を、歩いている。なんともない日々の眺め。しかし、その平穏さが一変する瞬間。いつのまにか忍びよっていた影に気づかずに、ある瞬間。
ダンスとラップ 島地保武×環ROY
ザ・フォーサイス・カンパニーでメインダンサーとして活躍していた島地保武は、噴出し続ける溶岩のように、無尽蔵に変化し続けるダンサーだ。そしてラッパーでミュージシャンの環ROYは、独自の進化を遂げて発展してきた日本語のラップの最先端にいる。圧倒的なフィジカルのダンサーと、言葉と音で迎え撃つラッパー。いかに予定調和的な安穏を排して、毎回初めて顔を合わせたような緊張と即興性を保てるかが鍵になる。観客が望む
宮沢賢治作品 初演出となる演出家・宮城聰と、初の演劇台本に挑む小説家・山崎ナオコーラによる、異色のコラボレーションが実現。等身大の人形を駆使し、変幻自在の劇世界を追求した作品。詩人、童話作家として有名な宮沢賢治は、地質学や土壌学の専門家でもあり、貧困を極めていた当時の農民と生活をともにし、収穫量を改善しようと奮闘した。『グスコーブドリの伝記』は、そんな賢治の人生が反映された物語。「人間は自然とどう
「松井周の標本室」は、劇作家・演出家の松井周が「演劇」を通して世の中に思いを巡らすためのスタディ・グループである。2020年~2022年度の活動を記録したドキュメンタリーが本作品。コロナ禍において、コミュニティを作り、オンライン会議や創作を通じて、各自のオルタナティブストーリーを生み出し、耳を傾けていく様を描く。このコミュニティでは、松井周というアーティストの好奇心を火種として様々な人間が互いに興
「雪墨」第95回地歌ライブ記念公演
「雪墨」は「白銀」と「墨痕」を端的に表し、雪がやがて融け、墨が和紙に滲むように、「古典と現代」、「様式と自由」、「東洋と西洋」などの輪郭が溶融したその果てに、それぞれの本来の姿が浮かび上がることを意図しています。古典の奏法や唱法は一切変えることなく、表現をさらに深く掘り下げ、日本を代表するジャズピアニスト佐藤允彦さんとのデュオを通じて地歌箏曲の魅力を際立たせたいと考えています。
人が生まれてから死ぬまでの約100年、星が誕生してから消滅するまでの約100億年。時報を合図に、団地で暮らす一家と星の一生を重ね描いた、柴幸男の代表作。2009年の初演で第54回岸田國士戯曲賞を受賞し、2011年の再演では全国6都市ツアーを敢行。2015年には東京と小豆島の2都市で再々演を行った。ゼロ年代演劇のマスターピースにしてクラシック。
あるニュース番組の内容が次々に改変させられる異様な状況を描いた『ザ・空気』( 2017 )、 国会記者会館の屋上を舞台に、日本独自の“記者クラブ制度”に着目し、メディアと政権の癒着に迫った『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』( 2018 ) に続く、“空気”シリーズの第三弾。再びテレビ局を舞台にした本作は、混迷を深める社会状況や現実の政治とシンクロさせ、今の日本の“空気”をリアルに体感させ
バイオテロで拡散したウイルスにより、人口が激減した世界を描く近未来SF。政治経済は混乱、社会基盤が破壊された数年後、感染者の中で奇跡的に回復した人々が存在することが明らかになる。彼らは免疫や代謝において人間をはるかに上回る身体に体質変化していた。変異は進化の過渡期であると主張し自らを「ノクス」と名乗るようになる。普通の人間は三割ほどになり、かつて日本と呼ばれた列島には、ノクス自治区が点在し、緩やか
会場はまさかの巨大スタジアム!パフォーミングアーツと、スポーツの狭間で繰り広げられる〈スペクタクル=見せ物〉人と人が殴りあい、肉体を衝突させあうスリリングなパフォーマンスで人々を魅了し、いまや現代アートの領域でも活発に活動するcontact Gonzo。舞台作品としては、写真家のホンマタカシを巻きこんだ作品や、パフォーマンスが発する音のみを多チャンネルスピーカーから聞かせる音響作品など、透徹した思
滑稽かつ批判的な眼差しから日常を切り取り、都市における無意識の振る舞いを人・物になって自在に演じてきたオル太が、2020年東京オリンピックを目前に、京都で初となるスタンドプレーを上演します。新国立競技場の構造モデルから設計したスタジアムを劇場に再現し、「自らが演じること」と「演じることを観ること」が演者と観客、都市と劇場のなかで入れ子構造で立ち上がり、人間の共存に結びついてきた行為を問いかけます。
1978年に宮崎駿が初監督したアニメーションシリーズ『未来少年コナン』を舞台化。日本ではミュージカル『100万回生きたねこ』や村上春樹原作の『ねじまき鳥クロニクル』などを手掛け、その唯一無二の空間演出で観客を魅了し続けているインバル・ピントと多彩なクリエイターダビッド・マンブッフが共に演出を担当。コンテンポラリーダンス、歌や音楽、美術、衣裳、照明などを巧みに操り、芸術的かつ身体的な表現で創る新しい
ままごと 瀬戸内国際芸術祭2022 ドキュメンタリー
「2022年秋、ままごとは、小豆島で『あゆみ(短編)』、豊島で『反復かつ連続』の公演を行いました。本映像はその公演前後の7日間の記録です。」瀬戸内国際芸術祭2013より、小豆島での演劇活動を継続的に行ってきた劇団「ままごと」。これまで坂手エリアを中心に、島の歴史や記憶から創作した《おさんぽ演劇》や島民と共につくり上げた肝試し演劇《小豆島きもだめスイッチ》、珈琲や軽食のほかに演劇やダンスパフォーマン
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。
TA-net舞台手話通訳養成講座(2018-2019年度/日本財団助成)の教材として書き下ろした30分程のお芝居(収録した三重公演の上演時間は37分)。3人の俳優が、家族(両親と息子)の30年間を演じます。舞台手話通訳、字幕、音声ガイドの観劇サポートがフルで導入された数少ない作品であり、上演前には事前舞台説明(10分)も行っています。
紀尾井たっぷり名曲 長唄
人々を魅了し続けてきた傑作に注目。長唄「勧進帳」は、能『安宅』をもとに歌舞伎化され、舞踊としても音楽としても人気が高い作品です。当代きっての名人で長唄三味線・人間国宝の杵屋勝国と、歌舞伎の第一線で活躍する唄方・杵屋勝四郎が大曲を務めます。お話は児玉竜一・早稲田大学文学学術院教授です。
ヒエラルキーのない関係性で実験的な創作に臨むドイツの女性パフォーマンス集団、She She Popは、ベルリンの壁によって東西にそれぞれ分かたれて育った女性たちや、メンバーの実母など、さまざまな人々とその人生の物語を舞台の上に招き入れてきた。思春期の少年少女たちの悲劇を描いたフランク・ヴェデキントの戯曲『春のめざめ』と、強烈な性描写で議論を巻き起こしたE.L.ジェームズのベストセラー官能小説『フィ
個人史と政治の関わりを独自の演劇的アプローチで掬い上げ、タイ演劇界でいまもっとも注目されている若手演出家ウィチャヤ・アータマート。本作はクンステン・フェスティバル・デザールや、ウィーン芸術週間をはじめとした多くの有力国際フェスティバルに招聘されるなど、高い評価をあつめる話題作だ。舞台はバンコクの小さなキッチン。登場する姉弟は毎年5月のある日をこのキッチンで一緒に過ごし、料理をしながら亡くなった父親
―これは井上ひさしが愛してやまない日本語に、不思議でかわいらしく、輝くような生命を与えてくれた、ある岩手花巻人の評伝劇―詩人にして童話作家、宗教家で音楽家、科学者で農業技師、土壌改良家で造園技師、教師で社会運動家。しなやかで堅固な信念を持ち、夭逝した宮沢賢治。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」そう信じた宮沢賢治が夢見たイーハトーボは果てしなく遠かった。
せんとう。裸でたたかう。労りと労いとハピネス。
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
東京観光の代名詞的存在のはとバスを実際に使い、東京オリンピック(1964)時に活躍された伝説的はとバスガイドをゲストに迎え、現役のはとバスガイド、Port Bパフォーマーの「バスガイド」とともに東京を辿った。現在の東京の基礎は東京オリンピック(1964)で作られたという見立てのもと、東京オリンピックのレガシーを巡りながら、当時と現在の東京を「オリンピック=競争」という観点から比較検討し、東京という
慶長17年 陰暦4月13日正午。豊前国小倉沖の舟島。宮本武蔵と佐々木小次郎が、たがいに睨みあっている。小次郎は愛刀「物干し竿」を抜き放ち、武蔵は背に隠した木刀を深く構える。武蔵「この勝負、おぬしの負けと決まった」。約束の刻限から半日近くも待たされた小次郎の苛立ちは、頂点に達していた。勝負は一撃で決まった。勝ったのは武蔵。後に「巌流島の決闘」と呼ばれることになる世紀の大一番は、一瞬のうちに終わる。…
プロジェクト大山と田上パルによるダンスと演劇のコラボレーション。1940年に上演された『日本』三部曲に想を得て制作された作品です。1940年は、アジア初となる東京オリンピックの開催が計画された年です。しかし日中戦争の長期化によりやむなく中止されます。その一方で、この年には皇紀2600年を祝う様々な記念行事が催されていきます。第一線の舞踊家達が賑々しく集う『日本』三部曲もそのひとつ。平和の祭典が中止
重大なミッションを果たすべく、イン・ビトゥイーン号が、四人の乗組員と一体のアンドロイドを載せて、宇宙を漂泊しています――『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では、内容的な〈リアリティ〉と形式的な〈リアリティ〉、どちらの〈リアリティ〉も複数、並列的に提示されます。演劇において、舞台の上で、せりふがある言語で発される……。そのことの意味・機能についても、『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』では複数のそれら
世界的に評価される村上春樹の傑作長編『ねじまき鳥クロニクル』を、イスラエルの奇才 インバル・ピントと気鋭のアミール・クリガーの演出、アミールと演劇界の俊英 藤田貴大の脚本で舞台化し、音楽を大友良英が手掛けた創造性豊かな意欲作。2020年の初演時に、公演期間の短縮を余儀なくされた伝説のステージが待望の再演。
「きりしとほろ上人伝」は芥川龍之介の童話を武智鉄二の演出により浪曲人形劇にしたもので、狂言の茂山七五三が演じた「レプロボス」という身丈三丈もある無心の大男が世の中で一番偉い人に仕えようとしてたどる人生修行のお話。芥川の文学作品に浪花節の節付けをし、糸あやつり人形に人間をからませた浪曲劇は当時まったく新しいものであり、「新しい叙事詩劇の発生に道をひらいた」と評された。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
「残月」 峰崎勾当 作曲 歌・三弦 藤本昭子 歌・箏 岡村慎太郎 尺八 藤原道山「八重衣」 石川勾当 作曲 歌・三弦 藤本昭子 箏 米川文子 尺八 善養寺惠介
舞台となるのは地方のとある会館。人気ミュージカルの1001回目の公演が始まるという空っぽのステージだ。実は1000回で公演は終了し舞台美術も廃棄済みだったが、主演俳優がどうしても追加公演を主張して、急遽やることになった。制作費が足りずスタッフも人手不足。舞台監督はメインは初めてという新人。ただでさえ不安なところに、主演女優は到着が遅れ、開幕数時間前だというのに舞台セットが到着していない! 本当に幕
舞台は近未来の美術館。ヨーロッパでは大きな戦争が起こり、そこから避難してきた絵画を前に、家族や恋人たちが、両親の世話や相続問題、進路や恋愛などについて断片的な会話を繰り返す。遠い戦争という大きな背景を前に、日々の生活を送る現代人の姿が克明に描写され、その中から現代社会の様々な問題点と危機があぶり出される。『東京ノート・インターナショナルバージョン』は、国際都市として変貌し、その変貌ゆえに苦悩も抱え
「底なし子が、引き受けた!」大人のための童話作家、糸瀬はづきは母親の死をきっかけに自身の過去を題材にした『底なし子の大冒険』を書き始める。現実と童話が錯綜する、生きる力を取り戻す物語。構想6年の舞台。渋谷悠、渾身の新作。
さいたまゴールド・シアター第7回公演
舞台は、東日本大震災から6年が経った福島。避難指示区域では、イノシシが我がもの顔に出没するようになっていた。添田家では、ある日長男の学がイノシシに襲われた。それを助けたのが復興本社に勤めるハタヤマ。学の父・添田良二はハタヤマに感謝したいと家に招き、ハタヤマの固辞にもかかわらず、妻のパエリアをご馳走することに拘る。一方、線路が見える丘の上には、毎日、若い男がやってきていた。線路も駅も流されたあの日、