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金子鈴幸が約一年半ぶりに作・演出を手がけた新作公演。2022年の日本においてどのような物語が【有効】なのか?という問いを出発点に、人間の持つ「どうしようもない部分」に光を当てるような作品となっている。とあるラーメン屋の店主、まさこ。彼女はラーメン界でも「元アイドル」という異色の肩書きで営業していた。「究極の一杯」を探求し、ラーメン道を日々邁進する彼女。その日もいつもと変わらない一日のはずだったが…
新宿八犬伝 全五巻
1985年6月21日-30日アシベホール(新宿歌舞伎町)にて初演。この戯曲で当時26歳の川村毅は1985年度第30回岸田國士戯曲賞を受賞した。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」に想を得た、シリーズ第一巻。架空都市・大火災の後の新宿歌舞伎町に、アスファルトから"物語の死者、夢の狩人"「騒!乱!情!痴!遊!戯!性!愛!」の八つの玉の精が闇の八犬士として蘇る。1991年に新巻「第三巻」「第四巻」を発表するにあ
作品ノート:丸山純子さんの《無音花》を初めて見た時、「ビニール袋がなぜこのような美しい花になるのだろう」ととても印象的でした。そして“再びよみがえる”という意味の “再生”という単語が頭に浮かびました。いちど死んだものがよみがえる。驚異的であり神秘的なことです。 個人的には過去になってしまった様々な感情が湧いてきました。今回の作品は『無・音・花』それぞれの文字がもつ印象、意味と象徴、そして《無音花
(パンフレットより)一月に書いた文章を眺めている。あれから、なにを経て。どんな音を聞いて、どんな光景を目に映して。どんな時間を過ごしてここまで巡り、辿りついただろう。想像もしていなかったようなことは、やはり起こる。それに伴って、線なんか引かれていなかったところに線は引かれていく。内側と外側があるのだと知る。部屋のなかで窓より外の世界を想像するのがこんなにも不安なことだった、だなんて。しかし、やはり
中年蜂フィメールno.20018とno.20019。この二匹の蜂、生まれて3日目まで女王蜂候補だった。働く庶民だと甘んずることができず、気持ちだけ貴族のまま、巣箱の中で働くフリをして生きてきた。そして届いた“黄紙”。中年蜂の宿命、内勤から外回り勤務への移動辞令だ。命はもう僅か。二匹は辞令を無視して巣箱を出ることを決意し、出発の夜・・。江本純子が静岡で煌めく「民」を取材し、仕上げた新作50分。
40歳を超えて定職につかない独身の男「正」がアパートの一室に独立国を作る。そのアパートの家賃は年老いた母親の年金生活で賄われている。「ガイド」と呼ばれる男に導かれ、日本からの亡命を試みる兄妹と「正」の母親が、その独立国を訪ねる。アパートの隣の部屋には、騒音に近い音楽を聴きながら洗濯物を干す女が住む。彼らは自らの領土を主張しながら、奇妙な同居生活を始める。日本人独特の親子のつながりや登場人物たちの孤
アイドルステージシリーズ 待望の新作公演、シリーズ第5弾『プライムーン』が上演!【あらすじ】大財閥の息子に生まれた赤河 望、青羽 朔、浅黄 宵の三人は、退屈な日々を送っていた。ある日三人は、朔の曾祖父が遺した一冊のノートに巡り合う。“みんなを照らす眩い光になれ…”誰に向けたかもわからない、たった一言のメッセージ。けれどその言葉は、どうしようもなく彼らを魅了した。「あの空に、俺達だけの新しい月を輝か
映画『田園に死す』(1974年公開)は寺山修司の自伝的映画とよばれ「世界のテラヤマ」の名を決定付けた作品。「母殺し」、「家出」、「蛍火」、「恐山」など寺山劇世界(ワールド)の集大成が、ここにあり、終生こだわり続けた《記憶とは何か?》《私とは何か?》というテーマを提示している。2009年流山児祥:企画制作、天野天街:脚色・演出、J・Aシーザー:音楽で上演。スズナリ連日超満員札止めのロングラン公演とな
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
あれから30年近くたっただろうか。未だに見えていないです。掴みかけては逃して、やり過ごして、疲れて寝る。寝るよ今日も。夢の見るよ。地獄のようなまぶしい夢を見るよ。沢山のさよらなに見守られながら、天国のような日々を鳴らす。また明日。
世界一小さな舞台空間から発信する「超演劇」。演劇を再生させる圧倒的「事件」。これは発明なんだ今も誰かがあの屋根裏に立て籠もっているそう考えただけでもう一日生きてみようかと思うことができるそういう発明なんだ初演以降、国内外でのツアーを数多く実施。海外では、ニューヨーク・パリ・ローマ・ウィーン・シビウ・フランクフルト・ブカレスト・ピッツバーグ・マイアミ・ソフィア・ヤルタ・テルニ等で上演している。また、
【Story】少年は、街で、沖縄生まれの祖母を持つヒツジに出会う。祖母の記憶の大阪をめぐる二人は、街を抜け、路地を走る。街にあふれる高層ビル、標識、インターネット、死者、影、人々の記憶。二人が目にしたのは、現在と過去、虚と実が交差した“オオサカ”だった。【Note】旅をするように世界各地で野外公演を行ってきた維新派。10年ぶりとなった大阪野外公演は周囲に川が流れ、舞台の奥には大阪の高層ビル群を臨む
とある美容室。雑談ばかりで一向に髪を切ろうとしない美容師と髪を切ってもらいたい客の押し問答や、ある高層マンションの地下室に住む血の繋がらない移民たちの他愛無い会話。そこから覗き始めるのは力や暴力に踏みにじられてきた人々の姿。その人々が生きようともがく姿。力によって傷ついた存在が、別の力を持って報復する愚かしさを描き、非戦だけでなく、過激化するSNS上の言葉の応酬に一石を投じることを試みた。ほろびて
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
おもむろにビニールプールを膨らませる15人の俳優。ビニールプールが完成すると、その中に胎児のように丸まって、眠りにつく。音楽が始まると、彼らは、それぞれの島に住む人々や、島の魂、妻に逃げられた若いパパや、ロンドンに居るイギリス人、ビニールプールの検品をしているアルバイトなど、様々な人物になっていく。リップシンクによる、コンセプトアルバム的な音楽シーンの連続で送る、人類の孤独を慈しむ音楽劇。
ナイロン100℃初期の代表作となった作品。南の孤島、浜辺に建つ一軒家。そこに集まる女達。平穏な夏を過ごすはずだった彼女たちを襲う数奇な運命。16年間に渡る、憎しみと許し、拒絶と理解、偶然と必然の物語。ケラリーノ・サンドロヴィッチとナイロン100℃が紡ぎだす、サスペンス・コメディの頂点。女性4人だけの出演者による濃密な作品は劇作家としての実力を広く知らしめ、この戯曲により岸田國士戯曲賞を受賞した。
東京都内にあるカトリック系私立女子中学校の会議室。そこに、集まる数人の男女。いじめ自殺死した子供の遺書に書かれていた、いじめ加害者の親たちである。それぞれ、年齢も、生活環境も、職業も違う親たちは、身勝手な事情から我が子を庇護する事に終始する。怒号飛び交う会議室。子供達のいじめを通して、それぞれの親たちの「顔」が浮き彫りになる。
気概ある若手達が新進気鋭の演出家 木村龍之介の下に集まりシェイクスピアの世界を14日間で立上げる。これからの日本のシェイクスピア作品を担う若手たちの挑戦を目撃せよ!ーーーーーーーージュリアスシーザーあらすじ:共和制末期のローマ帝国。紀元前44年3月15日のジュリアス・シーザー暗殺とその後をめぐる物語。宿敵を破ったシーザーが民衆の歓呼を浴びローマへ凱旋する。しかし護民官や貴族のなかには対抗勢力のなく
松井周が主宰する劇団サンプルの解散公演。「モツ宇宙(コスモ)」という腸の宇宙を世界の始まりと考えるコスモオルガン協会の信者達による、教祖ピグマリオが生まれて死んで復活するまでの宗教劇。 と同時に、放浪し、虐げられる信者達の生活を描く。 彼らの行き着く先に「救い」はあるのか? 人間は神にもなれず畜生にも堕ちきれない。理性からも野生からも自由になれない中途半端な人間たちが、信仰をもとに生き抜いていくサ
小泉は、あいちトリエンナーレからの委嘱を受け、アイスキュロス作のギリシャ悲劇『縛られたプロメテウス』を出発点に、VR技術を使った初の本格的演劇作品を制作した。未来を予見する能力をもちつつも、ゼウスから火を盗み、人間に与えた罪で永劫の苦しみに苛まれるプロメテウス。矛盾した存在であるプロメテウスは、人間の身体がもつ有限性と、それを乗り越えようとするテクノロジーの緊張関係として捉えることができる。 VR
映像、演劇、パフォーマンスなど、領域横断的に自在な活動を展開するチョイ・カファイは、過去2度にわたるKYOTO EXPERIMENTへの参加で上演されたいずれの作品でも、ダンスという表現への深い敬慕と入念なリサーチ、そして独自のアプローチを見せてきた。テクノロジーをある種“誤用”しながら、ダンス史におけるレジェンドたちの振付を復元した『Notion: Dance Fiction』。アジアを拠点に活
ノーラの決断は過去のもの?時を越えて響く注目の新演出!もうすぐクリスマス、ノーラは浮かれていた。可愛い我が子に、やさしい夫ヘルメル。夫の仕事も順風満帆だった。だが、ヘルメルの部下クログスタの訪問によってある重大な秘密が暴かれ、ノーラは自分が可愛がられるだけの「人形」であったと気づき…。女性解放運動にも大きな影響を与えた、「近代演劇の父」ヘンリック・イプセンの傑作社会劇。舞台をヨーロッパから昭和10
舞台は、東京芸術劇場の隣にある池袋西口公園。24 時間、通行人など、多様な人たちのコミュニティが形成されるこの場所に、高山は個室ユニットを連ねたインスタレーションを立ち上げた。1時間500 円の料金を支払えば、24 時間の滞在も可能。個室内では高山らが行った、公園を行き交ったりそこで暮らしたりする人々のインタビュー映像が約370人分鑑賞できる。また観客は、オプションメニューとして用意されている「避
”貧しい家に生まれた兄弟チルチルとミチルは、幸福の青い鳥を求めて冒険の旅へ出た。”世界中の人々に親しまれた童話劇を幼少期のメーテルリンクが運河の底で体験した「光」の記述をもとに再構成した、モメラス版『青い鳥』。
Noism初、映像のための舞踊作品。2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、世界中を取り巻く環境は大きく変化した。“公演の記録映像の配信”ではなく、この社会状況下だからこそ生まれる“映像で観ることを前提とした舞踊作品”として金森穣が創作したNoism初の「映像舞踊」。Filmyで現在有料配信中。
男は理想郷を探して彷徨い、人々は野生を求めて山を経巡る。京都を拠点に創作を行う劇団・烏丸ストロークロック。2011年の東日本大震災を契機に、日本人の自然観に大きな影響を与えたと考えられる山岳信仰を題材に選び、仙台での滞在制作といくつかの短編劇創作を経て、2018年に誕生した『まほろばの景』。ロームシアター京都と東京芸術劇場にて上演し、話題となった初演後、さらに東北地方の神楽や修験道に関する現地取材
俳優・ダンサーの森山未來が、文化交流使としてイスラエルに 滞在中、気鋭の振付家・ダンサー、エラ・ホチルドと「駈込み訴え」 を下敷きに共作し、2014 年にテルアビブで世界初演。2015 年には愛媛県・内子座での 1ヶ月間のレジデンスを経て日本 初演を果たし、さらに〈Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2015>の特別プログラムとして横浜・HONMOKU AREA-2 でも 上
文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現ができるものらしい。しかし、私たちは、まだ、その言葉を持っていない。この舞台は、そのことに気がついてしまった明治の若者たちの蒼い恍惚と苦悩を描く青春群像劇である。
第二次世界大戦後のイギリス。エニグマと呼ばれる複雑難解なドイツの暗号を解読し、イギリスを勝利へ導いたアラン・チューリング。しかし、誰も彼のその功績を知らない。この任務は戦争が終わっても決して口にしてはならなかったのだ。そしてもう一つ、彼には人に言えない秘密があった。同性愛が犯罪として扱われる時代、彼は同性愛者だった。ある日、空き巣被害にあったチューリングの自宅に一人の刑事がやってくる。あらゆる秘密
二兎社公演41
人気報道番組の放送開始まであと数時間。ある”懸念”をきっかけに、現場は対応に追われ始める。決定権を握るのは……空気?テレビ局の報道現場を通して現代の日本を覆う奇妙な”空気”の正体に迫り、観客を凍り付かせた戦慄の問題作。
1980年代に設立されたマレーシアのファイブ・アーツ・センターは、アクティビストやプロデューサーが主体的に参加する活動体として、彼の地のアートシーンにおいて強い存在感を放っている。本作『Baling(バリン)』の演出を務めるマーク・テは、そのファイブ・アーツ・センターの一員であり、演出家、キュレーター、研究者と多くの顔を持つ。本作で取り上げる「バリン会談」とは、1955年、現政権(マラヤ連邦)とマ
康二と麻衣は長い期間の不妊に悩んでいる。やがて治療を経て子供を授かるが、出生前診断によって、生まれてくる子供が障がいを持っている可能性を示される。康二は過去のとある経験から出産に反対するが、その事を知らない麻衣はその反対を押し切り出産を決意し…。
平和は言葉を作り、「笑」を生む。戦時中の人生体験は独特の日本の話芸を生んだ。戦争の苦労はなんのその、落語三昧に生きた話芸の天才二人の生き様とは?円生と志ん生、共に「昭和の名人」といわれる域まで芸を作り上げた噺家。リズムとテンポで軽妙な芸を得意とする兄弟子の志ん生と心に沁みる人情話を得意とした円生。性格の違う二人は戦時中の大連巡業から、戦後の生き方まで常に一緒、笑いとともにその奇想天外な行状行脚が史
時はとあるアイドルグループの解散が発表された2016年。泡之介とBBQは、学生時代の友人・午前二時の結婚式に向かうため、車で常磐自動車道を下っていく。目的地は仙台。10年前に同じく仙台を目指して3人で旅をした4日間を、10分の演劇にして余興で披露する予定だ。東京から守谷サービスエリア、会津若松、いわき、松島、石巻を巡る2016年の2人の旅路は2006年の3人の旅路と重なり、行ったり来たりを繰り返す
人は出会いの刹那を繰り返す。海で出会う子どもと老人、新宿バッティングセンターで出会う若者たち、海に住む夫婦。人々の姿が地層のように重なり、時にすれ違う。本作はムニ『カメラ・ラブズ・ミー!』(2022年、こまばアゴラ劇場)で上演された作品です。
ある日、綿子と不倫相手の木村が会っていた帰り道で、木村は車に轢かれてしまう。遠くから事故を見ていた綿子は助けずにその場を去り、大学講師の夫と、夫の連れ子である中学生の息子の居る家へと帰ってゆく。やがて綿子は訃報を聞くが家族の前では悲しむことができず、自身の行動を後悔し始める。そんな時、綿子は夫から家族関係の再構築を提案され、木村の死を抱えたまま流されるように再構築を始める。
時代が遺すは事実か真実か。吉良上野介、赤穂浪士、忠臣蔵...正義も悪も、世の中が変われば見方も変わる。歴史のからくりと人間のドラマが交錯する、現代(いま)をも鋭く切り取る物語が東憲司の手で再々演。討ち入り当日、密室でお犬様と炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介はどんな思いで首をはねられるまでの二時間を過ごしたのか。吉良の目線から、その知的な興味を駆使して語られるスリリングな舞台運びは、忠臣蔵のもう一つ
2007年に多重録音を発想の起点として創作された、柴幸男初期の短編演劇『反復かつ連続』。ひとりの俳優が演技を重ねることである家族の朝の風景を描き出す。13年振りの再創作、そして劇団初のオンライン演劇作品として上演された。
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
井上ひさしが『小林一茶』に続き“俳諧師”を題材に描いた今作は、40年にわたるこの芭蕉の俳人としての人生を、一人語りを中心に富士三十六景になぞらえて全三十六景で描きます。ほぼ一人芝居とは云え、めまぐるしい舞台転換、様々な景を支える黒子とも、芭蕉は絶妙な会話を重ね、その人生を彩り豊かにあぶりだします。苦悩する芭蕉がやがて到達した視点を描くだけではなく、人生の豊かさやその可能性の大きさを伝えています。
「微妙なバランスが崩れてしまうこと、そこからダンスが始まる。わたしは感覚を凍らせる眩暈を愛している。ポーの小説『メエルシュトレエムに呑まれて』の漁師のように、眩暈の世界に身をゆだねたい」。大野一雄フェスティバル2013参加作品。
【Story】たそがれどき。なみうちぎわ。静かに佇む廃船。流木、缶、船板、スポンジ、漂流瓶。少年は海が運んできたさまざまな漂流物を手に、旅への好奇心と想像力をふくらませ、この場所から海を越えて広がるアジアの島々に想いを募らせる。少年の想いは“海の道”へとつながっていく。【Note】本作品は20世紀三部作のアジア篇として上演した『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』を再構成した作品である。新たな脚本
ギリシャ悲劇「バッコスの信女」(エウリピデス作)のテーマや構造を大胆に咀嚼し現代版として描かれた新作劇。一見ふつうの主婦、人工授精によって生まれた獣人、去勢された犬、雌ホルスタインの霊魂たちによる合唱隊(コロス)が歌い上げる音楽劇。現代を彷徨う魂が奏でるドラマが、ヒトと動物の境を揺さぶり、私たちの秘めた欲望を刺激する。
人は美談に殺されるーー人類の平均寿命が50歳まで低下した近未来。人々は早すぎる死を恐れ、人生の意味を渇望し、己の死に様に「美談」を求めるようになった。依頼人の求めに応じて美談をつくる「美談作家」はもてはやされ、売れっ子は巨万の富を築いた。ある時、大御所美談作家が駆け出しの貧乏美談作家に依頼する。「私の為に、この世で一番下らない美談を書いてくださらない?」二人の出会いが、社会を揺るがす恐ろしい美談を
サミュエル・ベケットの20世紀を代表する戯曲「ゴドーを待ちながら」を下敷きに、待たれている男の一人芝居を描いた、いとうせいこうの92年の傑作「ゴドーは待たれながら」。KERAが10年以上にわたり大倉を口説き、この伝説の舞台が蘇りました。 本作品にゴドー以外の人物として唯一登場する「声」役は、芸劇の芸術監督でもある野田秀樹。いとう×KERA×大倉×野田の最強の布陣でお届けするナイロン100℃結成20
そこにいること。いやおうなくそこに「他者」がいることの魅力。いやおうなくそこに「他者」がいることの恐怖。レミングとは、ヨーロッパやアメリカの北部地方に生息するネズミに似た小形の動物。爆発的に大増殖して大群で移動する。本作品は上演地でダンサーを募集、選出して製作する新たな作品スタイルの提案でもある。カンパニーダンサーと地元ダンサーがそれぞれの身体の垣根をとり払ってつくる、シンプルな構造から生まれる作
おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのと
AV女優達の控室を舞台に、年齢を重ね様々な悩みを抱えながらも逞しく生きていく女たちの姿を描く。ブス会の代表作、初の再演。
「3.11以後の生活」を捉えるため、宮沢童夫が引いた補助線は「1986年の東京」だった。アイドル歌手の飛び降り自殺が盛んに報道され、チェルノブイリ原発事故が世界を震憾させた年の夏、屋上でビンゴゲームに興じる人々の姿は享楽的なようで、どこか乾いた虚無感をも漂わせる。その様子を眺めるのは、「欠落の女」「忘却の灯台守」、そして2011年に生きる映画学校の生徒たち。彼らの視線、撮影された映像をたどりつつ、
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
Noism0+Noism1
新潟を拠点に世界へ向けて創作と発信を続ける2つの芸術集団による初の共演。作曲家・原田敬子の「鬼」をテーマにした楽曲に、金森穣が創作した“新潟をテーマにした作品”。鬼伝説の由来を金工師、鉱山の歴史との関係から考察する1冊の研究書から、鬼=鉱山=佐渡(新潟)がつながり、佐渡に初めて遊郭を開いたとされる清音尼、役行者、そして「鬼」という3つのキーワードに基づいて音楽的インスピレーションから創作。
トリコ・A 演劇公演2021
脳性麻痺を患う主人公は、小さな町にある小さな寺で、両親と暮らしている。彼女の定位置は大きな松の木のある庭に面した縁側。ある時は父の読むお経とともに、ある時は縫い物をする母とともに、彼女の毎日は過ぎていた。ある日、父が倒れ、彼女のもとへ初めてヘルパーがやってくる。ところが主人公は、ヘルパーとどう接して良いのかわからない。彼女は悩む。私はヘルパーに、何をしてほしいのか。そもそも私はいったい、何を望んで
1972年日本への沖縄返還が行われることとなり、沖縄は大きく揺れていた。政治、市民の生活、そして裏社会、すべてが交錯し、火花を散らす。核や軍用地を巡る密約はほんとうにあったのか。現代日本の問題の縮図が噴出する1972年の沖縄を舞台に、政治とはなにか、外交とはなにか、生きるとはなにかを問いかける。
宮城聰が挑んだ、シェイクスピア晩年のハチャメチャ悲喜劇。絶望の日々にも、大いなる癒しは訪れる!幸福なシチリア王は、ある日、美しい妃と親友のボヘミア王の様子に、突如として浮気を疑い始める。不条理なまでの嫉妬から妃を責め立てる王。それを見た王子はショック死し、妃も後を追うように息を引き取り…。大切な人を失いようやく過ちに気づいた王は、悲しみと後悔にあけくれる。しかし16年後、すべての苦悩が癒される奇跡
[作品ノート]ビッグバンから生まれた音や光、そして人体も含め、ほぼ全ての物質からは何かしらの振動が発せられ ている。僕たちが発するバイブレーションは世界にどのような影響を及ぼしているのか。人々がどの様な生活を営み、どういった環境で生きてきたのかがそのままバイブレーションとして音源 化される、もしくは可視化されるということなのかもしれない。そんな僕たちのアウラは、クジラを正しい道筋へ導いてあげること
海と横丁の物語故郷の、海辺の町を舞台に、様々な人間模様や風景が描かれる。小池が故郷をモチーフに制作。日本という風土を強く意識させる。世界中の一流劇場で公演し続けてきた作品。演出家小池博史の原風景である、60年代の海辺の町をモチーフとした作品。 「船」とはその町と外の世界を結ぶもの、外の世界への出口でもある。ノスタル ジーに満ちた海辺の町の光景を詩情を湛えて描きつつ、人間の内にある素朴 で満たされな
────あーー! 何回死ねばいいの? もし、死んじゃっても、必ずわたしのいるところに、来て────何度も殺されるフフと、何度も助けるミチコのふたりは小さなループを作り、生活していた。ある日、そんなふたりのルームに映画を撮りたい男たちがやってきたことでループは歪む。撮影が開始されたルーム内で、生きているひと、死んでも死なないひと、もう死んだひとらがガチガチにぶつかりあい
「人生は芝居か?芝居こそが人生か?」ジャン・ルノワールの名作映画に着想を得た、絢爛豪華絵巻!「わからないわ、舞台でも人生でも、懸命に生きているのに。舞台だとうまくいくのに、人生だと愛するものを壊してしまう。どちらに真実があるの?どこまでが舞台で、どこからが人生?」主人公のカミーラはそう呟く。人生は舞台の上か下か。境目もない現実の世界で、求める幸せはどんな形をしているのだろう?山野を揺るがす打楽器の
明治七年、東西の話し言葉がテンデンバラバラだった頃。文部省官吏の南郷清之輔に「全国統一の話し言葉を制定せよ」という命令が下った。この日から、南郷家は、お国訛りをめぐって大騒ぎ。清之輔は、話し言葉の全国統一の前に、まず我が家のお国訛りによる大混乱におそわれる。カタコト英語しか喋れないピアニストの奏でる幻の「小学唱歌集」にのせて展開する、言語学的な悲喜劇の末、ついに清之輔が辿り着いた「文明開化語」とは
草サッカーの練習試合のために集まった町役場の職員たち。そして始まる作戦会議。だが、その内容は試合に勝つためのものではなく、なぜか負けるためのものだった。相手は町一番の大企業、いわゆる『接待サッカー』である。しかし、一人の新人職員がその作戦に異議を唱える。「僕、負けたくありません」圧倒的な正論に、ヘリクツで新人を丸め込もうと立ち向かう11人の戦士(同僚)たち‼最後に笑うのは正論か、ヘリクツか ――。