表示件数
東京成人演劇部vol.1
大人計画主宰、松尾スズキが演劇部を始動。8050問題の親子、ドキュメンタリー作家志望の学生と教授を描く安藤玉恵との2人芝居。第71回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)受賞80代で認知症気味の母親エイコ(安藤玉恵)と、ニートでアルコール依存症の50代の息子オサム(松尾スズキ)。貧困生活を送っている2人を、ドキュメンタリー作家志望の女子大生アサダ(安藤玉恵・2役)が撮影し密着していた。エイコの年金を当てに
次世代に、そして全世界に語り継ぎたい明日への再生の物語「人類史の折り返し地点」 ―― 井上ひさし2020年紫綬褒章を受章した演出家・鵜山仁が捧げる、終戦から3年後のヒロシマを舞台に父と娘が織りなす命の会話
(パンフレットより)三年前にこの作品は一度、故郷の北海道伊達市で、終わりを迎えたはずだった。だけれどまたこうして取り組んでいるのは、この三年間で家という生命体そのものが、現在という時間のなかでどう在ればよいのか、という問題が自分のなかで、まるで変わってしまって、膨らみつづけていたからだろう。現在という時間は想像できているだろうか。あのころの食卓のこと。ひとりひとりの表情を。家という生命体の内臓は、
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
研究者、活動家、学生、 旧東ドイツの市民など、国籍も職業もさまざまな人々がその実人生と『資本論』とのかかわりについて語るパフォーマンス。ステージには大きな本棚(そこには大量の「資本論」文庫版が並ぶ)が設置され、出演者はその中に腰掛けたり、時には棚から顔だけ出したりと、常にリラックスしたムードを漂わせている。ギャンブル依存症患者や投資詐欺で訴えられたコンサルタント、政治犯を父に持つマルクス研究者……
円・こどもステージ
不思議の国の不思議の森で帽子屋がお茶会を開く。そこにはアリスやチシャ猫、三月兎などの不思議な登場人物(?)たちが集ってくる。そこで東の国からの使者が、東の国の文化「ジャン・ケン・ポン」を伝えようとする。彼は果して不思議の国に「ジャン・ケン・ポン」を伝えることができるだろうか。
【あらすじ】昭和49年、田中角栄は総理大臣を辞任、意気消沈しているところにロッキード事件が襲い、自民党を離党するもなおも裏で権力を操る院政時代が続く。若手の芽が摘まれることに業を煮やした竹下、金丸、小沢が一念発起、田中を裏切る。田中はショックで倒れ、歩くこともままならなくなる。それでも田中の復活を信じる新潟県民はトップ当選というエールを送るのだったが、巨星が堕ちる時は刻々と迫っていた。
そこにいること。いやおうなくそこに「他者」がいることの魅力。いやおうなくそこに「他者」がいることの恐怖。レミングとは、ヨーロッパやアメリカの北部地方に生息するネズミに似た小形の動物。爆発的に大増殖して大群で移動する。本作品は上演地でダンサーを募集、選出して製作する新たな作品スタイルの提案でもある。カンパニーダンサーと地元ダンサーがそれぞれの身体の垣根をとり払ってつくる、シンプルな構造から生まれる作
都会から遠く離れた山里にある、名もない湯治宿にやって来た人形師の親子。父親の方は身の丈が三尺ほどしかない小人症の老人で、息子は表情がなく仮面のような顔をしている。ふたりは上演依頼の手紙を貰ってこの宿に来たが、地元の湯治客に訊いても、ここは無人宿で、そんな手紙を出す者などいないと言う。依頼主不明のまま、帰る手段がなくなり、仕方なく一泊することに。風変りな親子と湯治客らの奇妙な一夜がゆっくりと過ぎてゆ
【あらすじ】近未来。ある北の町が高レベル核廃棄物の最終処分場となった。無害になるまで10万年。核のゴミを誰が見届けるのか?そして誕生する原子力ロボット「むつ」。むつは人類を救えるのか?【解説】第52回岸田戯曲賞にノミネートされた渡辺源四郎商店版と第60回全国高等学校演劇大会優秀賞の青森中央高校版をベースに改変された。日本最大の演劇祭フェスティバル/トーキョー14の招聘公演。渡辺源四郎商店+客演+青
【Story】主人公の少女aは、夏休みの間、マンションの自分の部屋で一日中テレビばかり見て過ごしています。テレビを見ながらうたたねをしてしまった少女aの夢の中にもテレビのスポーツ番組やドラマ、ニュースの画像が現われます。舞台はこの少女の夢の世界から始まります。やがて目覚めた少女aは去年事故でなくなった弟のワタルの墓参りに出掛けます。弟の墓地は周りをビルに囲まれた小高い丘の都会にはちょっと珍しい場所
Futuristic Space は、時間が止まった世界の物語 です。どの時点で起こったことなのか、誰にもわかりません。ある、とてつもない出来事によって、色々な場所から見知らぬ人々が集まります。それぞれ が、複雑で暗い過去を隠し持ったまま、新たな現実 と向き合うのです。彼らは協力しあって、できる限り普通に感じられるような世界に似たものを作ろうとします。一人一人が抱える過去は、この物語を通して明らか
おもむろにビニールプールを膨らませる15人の俳優。ビニールプールが完成すると、その中に胎児のように丸まって、眠りにつく。音楽が始まると、彼らは、それぞれの島に住む人々や、島の魂、妻に逃げられた若いパパや、ロンドンに居るイギリス人、ビニールプールの検品をしているアルバイトなど、様々な人物になっていく。リップシンクによる、コンセプトアルバム的な音楽シーンの連続で送る、人類の孤独を慈しむ音楽劇。
ノーラの決断は過去のもの?時を越えて響く注目の新演出!もうすぐクリスマス、ノーラは浮かれていた。可愛い我が子に、やさしい夫ヘルメル。夫の仕事も順風満帆だった。だが、ヘルメルの部下クログスタの訪問によってある重大な秘密が暴かれ、ノーラは自分が可愛がられるだけの「人形」であったと気づき…。女性解放運動にも大きな影響を与えた、「近代演劇の父」ヘンリック・イプセンの傑作社会劇。舞台をヨーロッパから昭和10
第15回小田島雄志翻訳戯曲賞受賞『月は夜をゆく子のために』に続くトランスレーション・マターズ上演プロジェクト第2弾!森鴎外の翻訳と現代語翻訳で織りなす“市民悲劇”
DaBYアソシエイトコレオグラファーの鈴木竜が、他ジャンルのアーティストらと協働するコレクティブな手法で創作した作品を発表した「鈴木竜トリプルビル」で上演された3作品のうちのひとつ。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年12月に愛知県芸術劇場にて初演)2022年に大幅なリクリエイションを行い、「DaBYパフォーミングアーツ・セレクション2022 in Tok
◆TVアニメ『ラブ米 -WE LOVE RICE-』とはまさかのお米擬人化!?伝説のお米ハーベスター「五穀米」に憧れて穀立稲穂学園に入学したひのひかりを中心に、廃校寸前の学園を救うべく、ささにしき、ひとめぼれ、あきたこまち、にこまるの5人で「ラブライス」を結成!現代版田楽であるハーベストショーを通じて米の人気復権を目指すが、果たして彼らはお米の人気を取り戻すことができるのか…!◆RICE on S
遊園地再生事業団#11
舞台はとある中学校の教室。体育の授業中、こっそりと持ち物検査にやって来た5人の教師による不穏な会話劇。1997年に起きた14歳の少年による連続児童殺傷事件や翌年の教師刺殺事件をきっかけに、少年のナイフ所有が社会問題となったことを背景に創作された作品。
KAAT × Port B
芸術や都市の祝祭を更新しようとした、19世紀ドイツの歌劇王ヒャルト・ワーグナーによる歌合戦オペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の「上演」に挑んだプロジェクト。8年ぶりの劇場帰還となった高山は、⺠衆芸術として描かれた “歌合戦”を現代のラップバトルに読み替え、“ストリートのオペラ”と呼ばれるヒップホップに接続し、劇場空間を現代の「歌い手」たちに解放した。ストリート化された劇場は、初日に開催さ
江口隆哉・宮操子が1933年にドイツで発表した作品「手術室」。唯一残っている一枚の写真、江口自身のコメントと短いレビューから、江口・宮がマリー・ヴィグマンから学んだ本質を探りつつ、「手術室」を再構成する。Dance Archive Project2015にて初演。
あかちゃんとおとなのための演劇・ベイビーシアター
蛇口からしたたる一筋の水をめぐって、無言の人間がさまざまな姿態を見せる。1980年代の伝説的舞台、太田省吾の戯曲『水の駅』を、あかちゃんと大人のための演劇(ベイビーシアター)として全く新しい演出で上演します。極端に遅い動作で一瞬の生を切り取る手法を生かし、流浪する人間の姿を確かに描いた本戯曲。その中の人間の生の描写をあかちゃんと一緒に見ようという試みです。
井上ひさしが『小林一茶』に続き“俳諧師”を題材に描いた今作は、40年にわたるこの芭蕉の俳人としての人生を、一人語りを中心に富士三十六景になぞらえて全三十六景で描きます。ほぼ一人芝居とは云え、めまぐるしい舞台転換、様々な景を支える黒子とも、芭蕉は絶妙な会話を重ね、その人生を彩り豊かにあぶりだします。苦悩する芭蕉がやがて到達した視点を描くだけではなく、人生の豊かさやその可能性の大きさを伝えています。
男たちの陰謀と嫉妬、渦巻く憎悪に翻弄されながらしたたかに生きる女――。ルネサンス期のイタリアに実在し、かのヴィクトル・ユゴーが描いた稀代の悪女、ルクレツィア・ボルジア。人を殺めることも厭わない鬼女の顔に、生き別れた息子を想う母の情愛が見え隠れし…。オペラでも知られるルクレツィアの物語を、宮城は大胆にも同時期の日本、すなわち戦国時代後期に置き替えました。舞台は駿府城公園、群雄割拠の戦乱を逞しく生きる
【あらすじ】昭和46年、田中角栄は総理大臣への野望を自覚していた。しかし現総理である佐藤栄作は実兄岸信介の意向により福田赳夫に禅譲することを決めていた。日本列島改造論を引っ提げ国内経済を重視する田中と憲法改正を是とし節度ある生活を目指す福田、どちらの政治思想が世の中を動かすのか、思想と金が飛び交う史上最大の「戦争」の火ぶたが切って落とされた。
(チラシより)いつだってずっと、もう何年も。どこか内側に在るシーンというシーンは、眼裏で目まぐるしくリフレインしている。最速のスピードを持って、脳内を駆けめぐる。あの季節の、あの湿度のなかを走りつづけている。もしくは、歩いている。校舎のなかを。休み時間、教室から教室へ。廊下を、歩いている。なんともない日々の眺め。しかし、その平穏さが一変する瞬間。いつのまにか忍びよっていた影に気づかずに、ある瞬間。
舞台は近未来の美術館。ヨーロッパでは大きな戦争が起こり、そこから避難してきた絵画を前に、家族や恋人たちが、両親の世話や相続問題、進路や恋愛などについて断片的な会話を繰り返す。遠い戦争という大きな背景を前に、日々の生活を送る現代人の姿が克明に描写され、その中から現代社会の様々な問題点と危機があぶり出される。『東京ノート・インターナショナルバージョン』は、国際都市として変貌し、その変貌ゆえに苦悩も抱え
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。2021年夏、ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後"命"の三部作」第三作が待望の再演。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。井上ひさしの遺志を受け継いだス
”貧しい家に生まれた兄弟チルチルとミチルは、幸福の青い鳥を求めて冒険の旅へ出た。”世界中の人々に親しまれた童話劇を幼少期のメーテルリンクが運河の底で体験した「光」の記述をもとに再構成した、モメラス版『青い鳥』。
康二と麻衣は長い期間の不妊に悩んでいる。やがて治療を経て子供を授かるが、出生前診断によって、生まれてくる子供が障がいを持っている可能性を示される。康二は過去のとある経験から出産に反対するが、その事を知らない麻衣はその反対を押し切り出産を決意し…。
映画『田園に死す』(1974年公開)は寺山修司の自伝的映画とよばれ「世界のテラヤマ」の名を決定付けた作品。「母殺し」、「家出」、「蛍火」、「恐山」など寺山劇世界(ワールド)の集大成が、ここにあり、終生こだわり続けた《記憶とは何か?》《私とは何か?》というテーマを提示している。2009年流山児祥:企画制作、天野天街:脚色・演出、J・Aシーザー:音楽で上演。スズナリ連日超満員札止めのロングラン公演とな
おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのと
男は理想郷を探して彷徨い、人々は野生を求めて山を経巡る。京都を拠点に創作を行う劇団・烏丸ストロークロック。2011年の東日本大震災を契機に、日本人の自然観に大きな影響を与えたと考えられる山岳信仰を題材に選び、仙台での滞在制作といくつかの短編劇創作を経て、2018年に誕生した『まほろばの景』。ロームシアター京都と東京芸術劇場にて上演し、話題となった初演後、さらに東北地方の神楽や修験道に関する現地取材
東京観光の代名詞的存在のはとバスを実際に使い、東京オリンピック(1964)時に活躍された伝説的はとバスガイドをゲストに迎え、現役のはとバスガイド、Port Bパフォーマーの「バスガイド」とともに東京を辿った。現在の東京の基礎は東京オリンピック(1964)で作られたという見立てのもと、東京オリンピックのレガシーを巡りながら、当時と現在の東京を「オリンピック=競争」という観点から比較検討し、東京という
Choreographとは、規制でもあり、創造でもあります。創造は自由だとも言われますが、全ての事象は常に何かに規制されているとも言えます。例えばこの作品も横浜赤レンガ倉庫で2月に初演するということは“Choreograph” されているわけです。当然私たちの生活も規制無しには考えられません。現代は常に歴史に規制されているとも言えます。そして未来は現代の私たちによって規制されていく。それは決して不
ひな壇状の空間。縄跳びやダンスなど女子高生たちが思い思いに遊び、そこに時報音、胎児の超音波画像、鳥のさえずりなどが重なっていく。平田オリザの戯曲「転校生」を、マルチクリエイター・飴屋法水は、「本物の女子高生を演者にする」リアルと、「時空を超越した空間で演じる」フィクションの両面から立ち上げた。女子高生の日常に風穴を開けるのは、転校生を名乗る初老の女性。他愛もないお喋りの合間に、社会の不平等と不条理
三好十郎が1950年に発表した大戦前後の日本を舞台にした『殺意(ストリップショウ)』。ナイトクラブのステージで、引退ショウを行うソロダンサー緑川美沙。南の小さな城下町に生まれ、愛国運動、敗戦を経て東京でダンサーになるまでの半生に秘められた激情を、自身最後のステージで語り出す。
(フライヤーより抜粋)「場所と思い出」「雰囲気のある死体」といった別役氏の戯曲を読んでは、あまりのくだらなさに何度も吹き出し、電車の中や図書館で恥ずかしい思いをしていた高校時代の私にとって、別役実という人は”ナンセンス・コメディの巨匠”でした。─ケラリーノ・サンドロヴィッチ
進駐軍の占領下で、今日を生き抜くために人びとは闇の売り買いに必死だった。親を亡くし、子を亡くし、夫を亡くし、友を亡くした人びとが、世の中の新しい枠組みの中で、無我夢中に生きていた。ひとり息子の健太郎を戦地に失った愛敬稲荷神社の神主牛木公磨も、今では近くに住む五人の未亡人たちと寄り合って、闇米の調達に奔走している。そんなある夏の日。思いもかけず、死んだはずの健太郎が愛敬稲荷神社にひょっこりと帰還する
2008年の結成から日本の現代サーカス界を牽引してきたカンパニー・ながめくらしつ2016年上演作品。カンパニー主宰のジャグラー・目黒陽介が演出を務め、比類なきチェロ奏者・坂本弘道とゲストミュージシャンによる生演奏、美術家・カミイケタクヤの作品によって重層的に支えられた舞台空間で、高い技術を持つ9名の演者がジャグリング、エアリアル、ダンス、アクロバットほか多様な身体表現を以て、独創的でサイトスペシフ
これは、 どこにでもある町の、よく眠ることができる夫婦の、 ある「静かな一日」のお話です。でも本当は「静かな一日」など、どこにもありません。私たちが住んでいる現実に「静かな一日」が、どこにもないっ!のと同じように。私たちは後ろ向きになって、徐々に、南に傾いていく家を見上げながら、日陰を選んで、畏れを飲み込み、日々を生きます。形は決して残りません。形は決して残りません。日々を、私たちはただ日々を積み
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
コドモ発射プロジェクト
予測不能な子供の閃きを元に、岩井秀人・森山未來・前野健太をはじめとする大人達が、右往左往しながら演劇作品に仕上げる、それが「コドモ発射プロジェクト」です。 野田秀樹の「子供の書いた台本をよってたかって演劇にすることはできないだろうか?」というアイディアから始まりました。 「ことば好き」の岩井、「からだ好き」の森山、「うた好き」の前野が集まり、 大人が描こうとしても描
「極私的」という言葉を発明した快快の恩師、詩人・鈴木志郎康を原作にした舞台です。快快がフラットな関係で共同制作を続けているのも、瑣末な事にこだわるのも、彼の影響かもしれません。彼の詩にはとにかく、ごちゃごちゃと自身の日々のことが書かれます。詩がそのまま本人です。なので、鈴木志郎康を原作にする=鈴木志郎康という人を原作にする、といえます。その詩人は、かっこつけず/リラックスしすぎず/適度に緊張し/頭
ワールドカップが開催される為、再開発によって⽴ち退きを迫られている、啓二(鳥谷宏之)と離婚した妻が建てた、とある地方の喫茶店。娘の可奈(村上穂乃佳)は啓司と親子で喫茶店を営み、いずれ継ぐのだろうとぼんやり考えていた。が、しかし、周りの友達や知り合いは立ち退きや、結婚などによってどんどんと地元を離れることを決めていく。可奈と啓司はただ二人、地元に取り残されてゆき…
19世紀ロンドンに、人をさらう怪人「人攫(さら)いジャック」が現れた。次々と人を攫って行くジャックの正体は誰なのか。何が目的なのか。スコットランドヤードのオルソップ警部は捜査に乗り出したが、街の人々の推理合戦に巻き込まれていき…。25周年を迎えたヨーロッパ企画がお送りするミステリコメディ。
草サッカーの練習試合のために集まった町役場の職員たち。そして始まる作戦会議。だが、その内容は試合に勝つためのものではなく、なぜか負けるためのものだった。相手は町一番の大企業、いわゆる『接待サッカー』である。しかし、一人の新人職員がその作戦に異議を唱える。「僕、負けたくありません」圧倒的な正論に、ヘリクツで新人を丸め込もうと立ち向かう11人の戦士(同僚)たち‼最後に笑うのは正論か、ヘリクツか ――。
「ヘッダ・ガーブレル」を、三東瑠璃の演出・振り付けで立ち上げたコンテンポラリー・ダンス作品。三東自身がヘッダとして出演し、Co. Ruri Mitoのダンサー青柳万智子、安心院かな、金愛珠、斉藤稚紗冬がコロスで出演。さらに映像出演として森山未來、杉山剛志、中村あさき、宮河愛一郎が登場。
ダンスの歴史にフォーカスをすることでダンスの「継承」と「再構築」の2つの視座からプログラムを構成した公演「ダンスの系譜学」で発表された酒井はな出演の2作品。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年10月に愛知県芸術劇場にて初演)世界中のバレエダンサーが踊り続けてきたフォーキン原作による『瀕死の白鳥』を、日本を代表するダンサーの酒井はなが、演劇作家の岡田利規と取
[作品ノート]ほぼタイトル通りの作品です。助成:公益財団法人セゾン文化財団協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、contact Gonzo
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
滑稽かつ批判的な眼差しから日常を切り取り、都市における無意識の振る舞いを人・物になって自在に演じてきたオル太が、2020年東京オリンピックを目前に、京都で初となるスタンドプレーを上演します。新国立競技場の構造モデルから設計したスタジアムを劇場に再現し、「自らが演じること」と「演じることを観ること」が演者と観客、都市と劇場のなかで入れ子構造で立ち上がり、人間の共存に結びついてきた行為を問いかけます。
サウンドパフォーマンス・ プラットフォーム特別公演
2012 年から継続している作曲家・安野太郎のライフワーク「ゾンビ音楽」は、その特異な音楽とビジュアルイメージを伴って世界的な評価を得てきた。元々「ゾンビ」という存在を通して現実の社会へのまなざしを持っていたゾンビ音楽は、近年において実際に取材やインタビューを通して実社会に切り込み、その現実を音楽と共に舞台に上げるという手法を獲得しつつある。いま、安野の前にはふたつの現実がある。「音楽大学を出ても
ウィリアム・シェイクスピア四大悲劇の中でも最高峰の名作「ハムレット」を、大胆にも男性5人で紡ぐミュージカルにアレンジし、ヒロイン、オフィーリアをはじめとした女性役もすべて、男性キャストが演じ、さらに1人のキャストが数々の登場人物を演じ分け、物語を展開します。「生きるべきか、死ぬべきか」などシェイクスピアの数々の名言・心理に迫る台詞を、胸に響く歌で綴る、挑戦的かつ刺激的な舞台です。いま注目の人気若手
海と横丁の物語故郷の、海辺の町を舞台に、様々な人間模様や風景が描かれる。小池が故郷をモチーフに制作。日本という風土を強く意識させる。世界中の一流劇場で公演し続けてきた作品。演出家小池博史の原風景である、60年代の海辺の町をモチーフとした作品。 「船」とはその町と外の世界を結ぶもの、外の世界への出口でもある。ノスタル ジーに満ちた海辺の町の光景を詩情を湛えて描きつつ、人間の内にある素朴 で満たされな
Noism0+Noism1
新潟を拠点に世界へ向けて創作と発信を続ける2つの芸術集団による初の共演。作曲家・原田敬子の「鬼」をテーマにした楽曲に、金森穣が創作した“新潟をテーマにした作品”。鬼伝説の由来を金工師、鉱山の歴史との関係から考察する1冊の研究書から、鬼=鉱山=佐渡(新潟)がつながり、佐渡に初めて遊郭を開いたとされる清音尼、役行者、そして「鬼」という3つのキーワードに基づいて音楽的インスピレーションから創作。
スパック祝祭音楽劇ノ原点!冒険ハ此レヨリ始マル!スッテン転ンデ マタ起キテ… 愛し愛され旅する世界!世界をめぐるペール・ギュントが、あらゆる欲望を痛快に満たす冒険劇。今からおよそ150年前、劇作家イプセンがノルウェーの民話をもとに書き上げた壮大なドラマを、SPAC宮城聰は俳優の生演奏による躍動感あふれる音楽劇に仕立てた。主人公の歩む物語は、世界へと奔走する当時の〈日本〉と奇しくも重なり…?!宮城×
テアトルフォンテ開館一周年記念シリーズ
1994年4月に始まった大野一雄全作品上演計画第2回公演。1977年土方巽の演出により初演、1980年にナンシー国際演劇祭で発表され、世界のダンスシーンに衝撃を与えた大野一雄の代表作。学生の頃に見たスペイン舞踊の舞姫アルヘンチーナを讃える。
あるとき鶏がささやいた。そのままでいいのか。お前はコントロールする側じゃないか。支配する喜びを知れ。だがなにも実現できなかった。またあるとき牛がいなないた。そのままでいいじゃないか。大きいからこそできることがある。実現できる喜びを知れ。だがコントロール不能だった。中国は言う。鶏口なるも牛後となるなかれ。日本はどうだ?“起業”をテーマにパラレルワールドに描く2つの物語。はたらくすべてのひとたちへ。
「3.11以後の生活」を捉えるため、宮沢童夫が引いた補助線は「1986年の東京」だった。アイドル歌手の飛び降り自殺が盛んに報道され、チェルノブイリ原発事故が世界を震憾させた年の夏、屋上でビンゴゲームに興じる人々の姿は享楽的なようで、どこか乾いた虚無感をも漂わせる。その様子を眺めるのは、「欠落の女」「忘却の灯台守」、そして2011年に生きる映画学校の生徒たち。彼らの視線、撮影された映像をたどりつつ、
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!