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「ささらもさら」とは、広島弁で“滅茶苦茶”の意。広島は、1945年、原子爆弾によって滅茶苦茶にされた。一瞬の光が全てを絶滅するかのように変えてしまった。作品テーマは、「原爆の過去、現在、未来」。原爆そのものを描くのではなく、それによって引き起こされた、人々の悲しみ、憎しみ、恐怖、怒りといった複雑な感情と、歴史的にも世界的にも止むことのない不条理な状況を、普遍的イメージとして舞踏化した作品である。
今までの生きてきたこと、出逢い、全ての軌跡があり生かされている。そして、ここから紡ぎ出される未来がある。変わりゆく時代において今ここで出来ることの可能性へ。からだ丸ごと飛び込み生ききりたいと思います。
舞踏の現場’98 in KYUSHU
土方を通して土方の彼方へ。私を通して私の彼方へ。舞踏の現場、舞踏の現在はこの私の肉体の裡にある。ー原田伸雄 (公演フライヤーより)
2020年のパンデミック時に月灯りの移動劇場が発表した「ソーシャルディスタンス円形劇場」は30枚のドアに模したパネルに開けたれた穴から内部で行われるパフォーマンスを覗き見るという画期的な鑑賞方法によって、世界各国から注目を集めた。本作では、2名のダンサーと2名の演奏家による即興のパフォーマンスである。極限まで研ぎ澄まされた音と身体の饗宴。
この舞踏パフォーマンスは、無垢と暴力を並置するヘンリー・ダーガーのファンタジー世界にインスパイアされている。インターネットで見つけた実際の戦いの音が、無邪気さを象徴する身体の動きと対比される。この作品は、無力感を強いる信念というシステマティックな暴力に対する両義的な感情への問いかけを試みると同時に、この時代を特徴づける残忍な恐怖を想起させる。殺すための誕生 壊すために造る 存在消される 貼り付けら
舞人として踊った五井輝が、前年の86年1月に死去した土方巽を追悼した公演。土方を思い出させる赤いスカートなどの衣装や音、音楽が随所に使われた。唇にはルージュを塗りたくり、背中一面に刻まれた風神雷神の入墨を見せ、剣山を自らの肉体に刺す。すべてをさらけ出して極度の集中をもって踊る五井に、「さながら土方の魂が降りたかのようだった」とThe Japan Times Weeklyのレビュー記事(1987年9
ガルシア マルケスの「100年の孤独」にインスピレーションを受けて創作された作品。また、少女時代、尾っぽのある人類が発見されたという記事を読んで膨らませた夢想とも重なり合っている。この有尾族最後の一人が100光年彼方の惑星に生まれていたらどうなるだろう。生まれた時から一人の人間は孤独を感じるのだろうか。孤独とはネガティブなものではなく、ユニークな唯一であることを引き受け、共同体を超えた宇宙とつなが
遠藤は1970年代に渡欧し、マックス・ラインハルトセミナーに学び、以来長年ドイツと日本の二拠点で活動している。本作は東北大震災直後の日本に寄せる思いを作品化した。自然災害としての地震、人災としての原発事故、そして人々の悲しみと再生への希望が語られる。2012年10月、ハノーファーのTheaterwerkstattで初演。
川口隆夫による「舞踏についてのコンセプチュアル・パフォーマンス」。大野一雄の代表作の公演映像から、その踊りを完全コピーする。コピーに徹する川口のパフォーマンスが逆説的に大野一雄のダンスの魅力、スケール、謎を照射し、その反射光が川口隆夫というアーティストを輝かせる本作は、2013年の初演以来世界38都市で上演、2016年にはベッシー賞にノミネートされるなど大きな注目を集めている。本作は2021年6月
大野一雄フェスティバル2005(第2回)にて上演された大野慶人のソロ作品。自らの来歴を振り返り、大事なモーメントを与えてくれた人に感謝を捧げる構成で、父である舞踏家大野一雄の代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」の最初のシーンで使われた帽子とケープをつけて踊る場面もある。カーテンコールでは慶人が一雄の車椅子を押して登場、万雷の拍手に囲まれた。各場のタイトルは次の通り。シティボーイ / 土方巽に、一心に感謝
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅲ
「あんず動物紀」シリーズのうちの3作目となる「鳥」の初演。チラシにはダ・ヴィンチの次の言葉が引用されている。「大地は、その上に憩える一羽の鳥によって動かされる。」プログラム: 1.スーパーマン / 2.ジャスミン・キスミン / 3.月の兎
写真家・八木咲との共同制作作品。写真家とのライブセッションや、写真家自身プロジェクターを手に、空間に映像を投影したりなど、さまざまな仕掛けで舞台上に流れ続ける時間を「瞬間」に捉え直す。その行為は、まるで、過去と現在そして未来を少しずつずらしながら体験する時間旅行のようでもあり、観客はいつの間にか、自分自身の身体がカメラになったように、その空間をおもいおもいに切り取り始める。新しい「体験型」のダンス
1997年夏、釜山国際海浜舞踊祭に参加する福士正一の活動を追ったドキュメンタリー。福士が自らの舞踊哲学を語るインタビューのほか、福士に強い影響を与えた舞踏家森繁哉と民俗学者赤坂憲雄の対談、共に活動する福士輝子等の話しを通して、ユニークな活動を浮き彫りにしている。釜山の市場や海岸で即興で踊りながら見知らぬ人々の中に入り、その場その場で心の交流を生み出す様は、福士の活動スタイルの真骨頂を表している。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅰ
「あんず動物紀」シリーズ第一弾。他にも虫やワニなどが取り上げられることとなるこのシリーズでは、「この世とあの世の混沌とした暗い記憶から呼び覚まされる」動物たちの声を作品化している。1987年フライブルク(ドイツ)にて初演。ー若者の窮極の目的地は やはりあの居心地のよい火の焚かれた部屋。まっ先に飛んできた犬。窓の中には案外な偽善者。ー
音楽の贈り物(ポトラッチ)
1985年3月から渋谷ジャンジャンにて行われたシリーズ「音楽の贈り物(ポトラッチ)」の第二弾。毎回様々なジャンルからの演奏家を招き、古川あんずのダンスとの共演を試みた。第一回は山下洋輔(ピアノ)、第三回は安倍圭子(マリンバ)、最終回には杵屋弥十介(三味線)が出演した。プログラム 1.ヒロシマのメンデルスゾーン / 2.アリババと40人の盗賊 / 3.シャーロック・ホームズの冒険
舞踏の誕生に深く関わった3人の舞踏家——土方巽、大野一雄、大野慶人の代表作を現代のダンサーが完全コピーする。踊り手の川村美紀子、川口隆夫、松岡大は、舞踏の精神を現代の手法で鋭く反応する、当代きっての3人。川村が土方巽の『疱瘡譚』、川口が大野一雄の『ラ・アルヘンチーナ頌』、松岡が大野慶人の『土方三章』を厳密に再現した。アーカイブ映像の慎重な分析と真摯な稽古によって、舞踏をいま・ここに引き継ぐ試みであ
京ラクシュミー座 定例公演
サックスのシンプルな呼吸から触発され、自然に出来上がった作品です。わたくしの場合は音がとても重要な起爆剤になります。サックス奏者と今ここでたったふたりで創り上げていく歓びがわたくしの體を通して溢れています。そこから、あなたはわたし、わたしはあなた、わたしはすべて、すべてはわたし、あなたはすべて、すべてはあなた‥。どんどん統一意識に近づき、祈りが生まれました。
今貂子KYOTO舞踏館上演作品
KYOTO舞踏館は、歴史的な土蔵を改造して、定員8名の舞踏専用劇場として2016年7月開館。「秘色」はKYOTO舞踏館上演作品として、こけら落としの初日から毎週木曜のロングラン公演を続け、国内及び世界69か国から訪れた観客は間近で生の舞踏を体感した。新型コロナ感染症の影響で、2020年4月より休演。公演数はそれまでに378回を達成。映像は、無観客で2021年5月9日に収録された。
遠藤が終生のテーマとする「死」を探求した作品。死によって肉体と魂が遊離し、魂は目に見えないなにかとして私達の周りに漂っている。遠藤は「幽霊」を演じることで、舞踊家のリアルな身体とともにある「幻」のような何かを表現している。2019年パラチ (ブラジル) の文化センター、セスキ・シーロ (SESC Silo) で初演。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
パフォーマンス作品《Ice Cream Torch / Ceremony》は、2014年から小林勇輝が継続的に発表しているプロジェクト「Life of Athletics」の最新作で、写真による三部作《Ice Cream Torch / Flag》《Ice Cream Torch / Relay》 《Ice Cream Torch / Flame》 とともに構成される。本作では、地上と地下とを繋ぐ
ダンスの歴史にフォーカスをすることでダンスの「継承」と「再構築」の2つの視座からプログラムを構成した公演「ダンスの系譜学」で発表された中村恩恵による2作品。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年10月に愛知県芸術劇場にて初演)言葉にならなかった声に耳を澄ませた中村恩恵の作品『BLACK ROOM』と、イリ・キリアンが中村のために振り付けた『BLACKBIRD
フランスを代表する著名な現代詩人、ジャン ・デイブの最新詩作「アントニオ・ グラムシ」をもとに構成された、武藤直美の舞踏と著者自身の朗読によるパフォーマンス作品。1926年から亡くなるまでムッソリーニ政権によって投獄された、イタリア共産党の創設者であり哲学者アントニオ・ グラムシ。ロシアで出会った妻のジュリア、彼の収監期間中獄中ノートとその執筆を助ける二人の義姉妹タチアナとタニア、哲学者とその文書
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第一夜の出演者とその
舞踊公演
歴史的な文脈を踏まえつつ、斬新な切り口で歌舞伎作品を現代化してみせる木ノ下歌舞伎。本作『娘道成寺』は、2008年に『三番叟/娘道成寺』の二本立てで初演し、2012年に30分に短縮した長唄音源を用いて初上演。その後、2017年には長唄の録音音源をほぼ全曲使用した60分のフルヴァージョンとして再創作し、再演を重ねるたびに進化してきました。演出・振付・出演は、きたまり。長唄を基に、背景や心情から、演目そ
福士正一は青森を拠点にオドラデク道路劇場を主宰する舞踏家。青森市役所に35年間勤務しながら、路上や劇場での舞踏活動を国内外で活発に行ってきた。本作は2017年5月フランス旅公演の記録である。ストラスブール、ニームの街中、学校、ギャラリーなど各所で踊り、居合わせた人々と舞踏を通して交流する様が活写されている。パリでは、ベルタン・ポワレ劇場での舞踏フェスティバルに参加した。
DANCE DANCE DANCE@YOKOHAMA2021連携企画
舞踏家上杉満代の独舞と高松真樹子の映像とのコラボレーション作品である。この公演は2021年秋まだコロナ禍の大きな制限のある状況で行われた。感染症を回避するため多くの公演がリアルでは行われなくなり、舞台作品がデジタル情報として発信されることが常態となる中で、あらためて「リアル」の意味を問い直す意図をもっていた。会場は横浜黄金町高架下に設けられた広場で、通行人も行き交いする、開かれた特別な環境が選ばれ
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
愉快痛快な一人芝居。三味線の音色に乗せてお届けする涙と笑いの人情話!昭和二十年頃に起きた、嘘のような本当の話に芝居ながらの嘘を交えてお届けする演劇版「曲馬団の女」原作は、十二代目田辺南鶴の作。戦時から終戦後の混乱する東京を舞台にした新作で、蘭という曲馬団(サーカス団)出身の女が主人公。最後には登場人物全員がハッピーになり、聴き手も幸せな気分になれる物語である。劇団「柿喰う客」の中屋敷法仁の演出によ
岩名雅記舞踏ソロ・1989ー1993年ヨーロッパ公演の記録。 ヘルシンキ:「即興」1993 / パリ:「すさび」 1989 (Espace Boris Vian)、「冷曲」1990 ・「光の肉」1991 (Théâtre des Amandiers)、「水引に胡蝶」1992 (Théâtre Montorgueil)、「しずがみ」1993 (Lavoir Moderne Parisien)
(フライヤーより)十三-十五世紀の黄金のジャワ、モジョパイト時代の栄光が、華麗な舞と瞑想的なガムラン音楽の中に甦える。ジャワ芸術の粋、総勢四十名で本邦初演。[あらすじ]隠遁したモジョパイトの宰相ウドロの息子、ダマル・ウラン〈”輝く月”〉は、女王から、モジョパイトに叛旗を翻すメナ・ジンゴの討伐を命じられる。ダマル・ウランは、絶世の美男子ぶりと美しい言葉でメナ・ジンゴの2人の妻を魅了し、彼女らを通して
(フライヤーより)舞踏から出発し優しく過激な新しいDANCEを求めて活動する注目のUNO=MAN。今回の新作ではおとぎの国の裏話とでも呼べそうな不思議なメルヘンを描きます。
舞踏50年の記念に土方巽に捧げる公演として『幻想の地誌学』に続き、谷川渥『肉体の迷宮』を舞台化した作品である。「自分と異形の肉体との微妙な距離」を和栗自身の舞踏の支えに、自分という迷宮に取り組む。コンテンポラリーダンサーの関と共に、6人の女性舞踏手と土方舞踏譜を元に作品を制作している。その後も海外でのツアーや新作公演など、和栗の精力的な活動は続くが、日本国内において自身のカンパニー好善社としての公
1986年ベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバルに参加した古川あんずが、ベルリン芸術アカデミーの庭で踊る。最初にミリアム・ゴルトシュミットによってドイツ語で朗読されるテキストは、土方巽による1985年の講演『衰弱体の採集』からの抜粋。池の中から始まる踊りには「MARY CAKEWALK 」「 FOR A.X. 」「 Last Tango in Berlin」と名がつけられている。
コンテンポラリーダンス ソロ作品
新型コロナウィルスの蔓延からこれまで、長い時間をかけて、心の中の深く暗い部分に巣食い・広がって来たのは自分の死を・大事な人の死を恐れ、感染経路が分からないまま忍び寄ってくるウィルスや人々の行動に恐怖し、感染により社会から居場所を失ってしまう事に怯え、人を疑い・疑われる事が恐くなり、離れた家族と会えない事以上に帰って来て欲しくないと心の距離まで離れてしまう、人に心があるから生まれてくる、そんな沢山の
闇に蠢く魑魅魍魎、夜が明けると何処へともなく消えていくモノたちの祝祭の踊り。関美奈子とと共に振り付け、上演したデュエット "All Moonshine"(1989年)の一部をソロに振付し直し、それに吉岡由美子が新しい振付を加えた改訂版。朝と夜、生と死、光と闇など対極と見える二つのものは 密接に繋がり、絡まり合って私たちの世界を支えている。舞台上の二つの砂山と、それをつなぐ赤い光線がその2元世界の繋
舞踏家・大野一雄は2010年6月1日に103歳で亡くなった。その年、世界各地で追悼の集いが行われたが、2004年から毎年開かれていた「大野一雄フェスティバル」も11月から12月にかけて、「大野一雄の世界」を共有することを主眼に開催された。オープニング公演を含む三夜は「終わりのない舞踏会」として同フェスティバルのそれまでの参加者や公募参加者などによる短い作品を連続上演した。「O氏への旅 O氏からの旅
50年にわたり舞踏家として活動している雪雄子の北国での生活を追う民族誌学映像作品。この映像は森と人、記憶から生命のかたちへの賛歌であり、森羅万象の宿る場で、日常の生活のなかから踊りが生まれる瞬間を記録したものである。2021年、米国地理学会や日本文化人類学会等で上映された。
こぼれる言葉の順番 綴られる声、綴られない声、背骨、爪、影壊れた部分と戸惑う身体の風景綴りの間の空気を吸いながら観察者、過去、私、綴り言語や方向性の構成以前に、身体の風景と向き合うソロ・ダンス・パフォーマンス。存在の解体と再生、感情、セクシュアリティ、幾何学的な重みの領域。ゴミと肉体を振動させるコレア、リズミカルに積み重なる記憶の埃。沈黙の瞬間を切り取る。
肉体の劇場
2008年の6月より“肉(肉体)”にちなんで、毎月29日に開催された連続舞踏公演シリーズ「肉体の劇場」の第1弾。第1部を「舞踏というジャンルの間口を拡げるような」自由で実験的な舞台、第2部を原田伸雄のソロ中心の舞踏という2部構成を基本とした。2011年5月29日をもって3年間の連続公演シリーズは幕を下ろした。「身体論がはやり、いつしか『肉体』という言葉が使われなくなったが、『身体』ではきれいすぎる
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
内省的なパフォーマンスに多くの支持者をもつ、佐藤ペチカのソロ新作。水槽を抱えて旧博物館動物園駅の階段を降り、地下空間で水と遊戯し、やがて大きな向日葵のオブジェをまとう佐藤ペチカは、幼虫から蝶へと変態して地上へ向かう。地上と地下、生と死、内と外の関係を変容させていく、静かなスリルに満ちた映像作品。
尾竹永子ソロプロジェクト「A Body in Places」
2014年から、尾竹永子は歴史家・写真家のウィリアム・ジョンストンとともに福島を訪れ、各地で無観客パフォーマンスと撮影を行なった。本作は、5回の旅で撮影された写真をまとめた約60分のビデオ映像を劇場の壁面に映し出しながら、尾竹がパフォーマンスを行なったプログラムを25分に編集したダイジェスト。彼女の身体を通して、震災後の福島の現在、歴史と環境という大きな問題が私たちの前に立ち現れる。
TOKYO DANCE TODAY #3
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の第3弾。ダンサー、振付家として様々な分野のアーティストとコラボレーションし、ジャンル横断的に活躍する森下真樹の構成・演出・振付・出演による作品。
2007年東京初演。舞踏家みずからの分身を流木を用いた木偶人形であらわすことで、自他、自己、その他の人間状況をさまざまな局面から追求する作品。何ら意思をもたないヒトガタが最終景には人間の規格を超えて、より進化した存在へとなり変わる。メキシコシティにおいても現地の人形作家との共同作業のもとに上演され話題になった。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
秀島実の6場からなるソロ舞踏公演。第6場の「O氏」は舞踏家の大野一雄のことで、秀島は1976年に完成した大野の映画「O氏の死者の書」に出演している。構成:Ⅰ 父の方向にⅡ 私は喜んで貰おうと思ったⅢ キャンディ キャンディ キャンディⅣ 南極ののペンギンⅤ 高田永子さん考 -トワのホホエミ- Ⅵ 「O氏と私」
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅳ
「あんず動物紀」シリーズのうち4作目の古川あんずソロ作品。1991年、東京にて初演。何時間もじっと横たわっているワニの時間感覚にインスピレーションを得て制作された。古川によると、ワニの時間は始まりも終わりもない。顔が赤くなるまで呼吸を止めてみると、その時間が味わえるという。初演時のプログラム:1.チクタクワニの学習 2.法外に無茶に興奮している処女プアプア
HANAは宇宙に命をひらく。捧げものの命、億年の魂の記憶を抱き、HANAは闇から光へ、死から生への無垢を絶える事無く繰り返し、ひらき続ける。宇宙の始まりは愛HANAは星をみつめる。
大野一雄、大野慶人を敬愛して止まないアノーニと、大野慶人とのコラボレーション。2010年に「Antony and the Ohnos」で初共演を果した二人は、その後ロンドンとサンパウロで再演を重ね、本作で再び相見えた。「たしかな心と眼」の冒頭、舞台上のスクリーンにウィリアム・クラインが1961年に撮影した土方巽、大野一雄、大野慶人の写真が投影され、舞踏の創世記を活写したイメージの中から大野慶人が登
無駄な時間の記録
「無駄な時間の記録」は、2021年に開始した、スコアを元にダンスを立ち上げるプロジェクトです。このプロジェクトでは、スコアによってダンスを正確に記述・保存することより、それを用いることでダンスを一旦作者の身体から引き離し、それを巡ってフラットで開かれたコミュニケーションを立ち上げ、新たな表現の形を生み出していく可能性に着目しています。2021年は、4名のダンサー/振付家が、スコアを組み込んだ形でソ
松本奈々子、西本健吾 / チーム・チープロ
3歳から20歳までバレエを踊り、その後自らの身体のあり方を問い直してきたパフォーマーの松本奈々子、主にドラマトゥルクの役割を担う西本健吾が共同で演出を行う「チーム・チープロ」は、綿密なリサーチを積み重ね、“身体”を媒介に個人の記憶と集団の記憶を再構築するパフォーマンスユニット。KYOTO EXPERIMENT初の公募プロジェクトで選出され、2021年・2022年の2年間にわたり京都芸術センターで制
白鳥と一緒に帰りたいと、思った。こう、こう、こう銀色の空の下聲の余韻が 静まり返った沼地に小さく 羽撃くー沼地へ私の躰を浸しに、私の躰を還しに。
サンキュー手塚ソロライブVol.18
パントマイムエンターテイナーであるサンキュー手塚。年に1度開催しているソロライブの18回目。博士が作る、一見役に立たないようなロボットがあるキッカケで暴走し、街を破壊していく。ロボットの暴走を止めるには、世界のリーダーたちが一堂に会し話し合う必要がある。2020年7月に開催予定だったソロ公演を、コロナ禍のため9月に延期。その間に2020年の状況をも示唆するような脚本に書き換えて上演した。
イギリス児童文学の傑作、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に触発され、構想された作品。白兎に導かれ、白い闇の中、眠りの中の非連続のシュールな世界が繰り広げられる。アジアのアリスを求めて驚きと可笑しさばかりのノンセンスワールド。
本作『ストリーム』は、コロナ下で起こった時間感覚の変化をテーマに制作された三部作『Sign』『Cue』『Out』のスピンオフとして、2020年から現在までの出来事を元にした、捩子のモノローグで構成されたソロ作品です。芸術活動、仕事、病、子育て、戦争、経済、死、ダンス…コロナだけではない、私たちの日常と生に並走する様々な“with-ウィズ”について話すことからパフォーマンスを立ち上げます。
坂口修一リーディング公演
悪役レスラーの父親と、そんな父がどうしても好きになれない息子が衝突を繰り返しながらも、やがて本当の絆を結ぶまでを描く、中島らもの名作短編小説を演出・岩崎正裕、俳優・坂口修一によりリーディング公演として上演。プロレス好きの教師が、国語の授業で中島らもの「お父さんのバックドロップ」を読み上げる。合間に思わずプロレス豆知識が飛び出し、授業はたびたび中断する。とある生徒との確執のあった教師は、朗読を通して
Don't cry boy
村々を繋ぐ、ひくく小さな山の連なり北厳の四季に、悲哀を満たして石狩の水が流れていた。―チラシより五井輝の生まれ育った家からは、石狩川を挟んで向こうに音江山が見えた。標高730mの平べったい山は、沖里河山・無名山と共に音江連山として地元では親しまれている。
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
(フライヤーより)犬も歩けば吸い込まれそうな夏の空がそこにあった
セクシュアル・マイノリティとして差別される人々がいる一方で、傲慢さによって際立ち、美しさによって認められる人々がいる。年をとることは、衰え、醜さ、錆びつくことと同義ではない。この矛盾した二面性、内なる不調和こそが、物事を刷新するのである。ー岩名雅記