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大野一雄フェスティバル2005(第2回)にて上演された大野慶人のソロ作品。自らの来歴を振り返り、大事なモーメントを与えてくれた人に感謝を捧げる構成で、父である舞踏家大野一雄の代表作「ラ・アルヘンチーナ頌」の最初のシーンで使われた帽子とケープをつけて踊る場面もある。カーテンコールでは慶人が一雄の車椅子を押して登場、万雷の拍手に囲まれた。各場のタイトルは次の通り。シティボーイ / 土方巽に、一心に感謝
「宮森敬子展記憶の海、Roseのプライド」(2023年3月1日〜4月9日/中村屋サロン美術館) にて、宮森作品と踊る新井英夫の即興ダンスプロジェクト。「新井さんのRose (私が勝手に呼んでいる、花、人間の持っている尊い何か)が見たいです…」と綴られた宮森とALS罹患後の新井との往復書簡の中で本プロジェクトのコンセプトが立ち上がっていった。展示会場の作品を順に巡りながら生まれた即興ダンスを阪巻正志
こぼれる言葉の順番 綴られる声、綴られない声、背骨、爪、影壊れた部分と戸惑う身体の風景綴りの間の空気を吸いながら観察者、過去、私、綴り言語や方向性の構成以前に、身体の風景と向き合うソロ・ダンス・パフォーマンス。存在の解体と再生、感情、セクシュアリティ、幾何学的な重みの領域。ゴミと肉体を振動させるコレア、リズミカルに積み重なる記憶の埃。沈黙の瞬間を切り取る。
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
(フライヤーより)十三-十五世紀の黄金のジャワ、モジョパイト時代の栄光が、華麗な舞と瞑想的なガムラン音楽の中に甦える。ジャワ芸術の粋、総勢四十名で本邦初演。[あらすじ]隠遁したモジョパイトの宰相ウドロの息子、ダマル・ウラン〈”輝く月”〉は、女王から、モジョパイトに叛旗を翻すメナ・ジンゴの討伐を命じられる。ダマル・ウランは、絶世の美男子ぶりと美しい言葉でメナ・ジンゴの2人の妻を魅了し、彼女らを通して
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
内省的なパフォーマンスに多くの支持者をもつ、佐藤ペチカのソロ新作。水槽を抱えて旧博物館動物園駅の階段を降り、地下空間で水と遊戯し、やがて大きな向日葵のオブジェをまとう佐藤ペチカは、幼虫から蝶へと変態して地上へ向かう。地上と地下、生と死、内と外の関係を変容させていく、静かなスリルに満ちた映像作品。
舞踏の現場’98 in KYUSHU
土方を通して土方の彼方へ。私を通して私の彼方へ。舞踏の現場、舞踏の現在はこの私の肉体の裡にある。ー原田伸雄 (公演フライヤーより)
テルプシコール企画舞踏新人シリーズ第28弾
大倉摩矢子、初の長編ソロ舞踏。自身の幼少期の体験や母への想いを基に即興舞踏で体現。第35回舞踊批評家協会賞 新人賞受賞作。まるで穴の中でぐるぐるとまわりつづけているかのようなあれやこれやの堂々めぐり。そこから飛び立つ白い鳥。穴をうめようとすることよりも穴のまんまでいいんじゃないか。ただしその穴の優しい暗さに溺れてしまうこと勿れ。そんな微熱に毒薬を。
「ささらもさら」とは、広島弁で“滅茶苦茶”の意。広島は、1945年、原子爆弾によって滅茶苦茶にされた。一瞬の光が全てを絶滅するかのように変えてしまった。作品テーマは、「原爆の過去、現在、未来」。原爆そのものを描くのではなく、それによって引き起こされた、人々の悲しみ、憎しみ、恐怖、怒りといった複雑な感情と、歴史的にも世界的にも止むことのない不条理な状況を、普遍的イメージとして舞踏化した作品である。
愉快痛快な一人芝居。三味線の音色に乗せてお届けする涙と笑いの人情話!昭和二十年頃に起きた、嘘のような本当の話に芝居ながらの嘘を交えてお届けする演劇版「曲馬団の女」原作は、十二代目田辺南鶴の作。戦時から終戦後の混乱する東京を舞台にした新作で、蘭という曲馬団(サーカス団)出身の女が主人公。最後には登場人物全員がハッピーになり、聴き手も幸せな気分になれる物語である。劇団「柿喰う客」の中屋敷法仁の演出によ
無駄な時間の記録
「無駄な時間の記録」は、2021年に開始した、スコアを元にダンスを立ち上げるプロジェクトです。このプロジェクトでは、スコアによってダンスを正確に記述・保存することより、それを用いることでダンスを一旦作者の身体から引き離し、それを巡ってフラットで開かれたコミュニケーションを立ち上げ、新たな表現の形を生み出していく可能性に着目しています。2021年は、4名のダンサー/振付家が、スコアを組み込んだ形でソ
―冬教え世界の果ての荒々しい土地を漂泊しようオオカミの国が私の国だ。(アメリカ先住民スー族のコトバより)冒頭で聞こえるのは、レニングラードに生まれアメリカ合衆国に亡命した詩人、ヨシフ・ブロツキー(1940-1996)の詩の朗読。ジャニス・ジョップリンの「サマータイム」で踊る雪雄子のソロ舞踏。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
ゲッティンゲンで開催された第一回マム・フェスティバルの一環として行われた。フェスティバルは一貫して、「舞踏とフリージャズ」をテーマとして例年開催、舞踏家、ジャズミュージシャンを招聘した。本作は、遠藤と高瀬、沖による即興的なセッション。
別離についての13編の詩からなる踊り手の自著『詩集 透明な綾』をモチーフに2つのソロダンスを上演。その日の体と場へ応答し即興性を歓迎する自作の[solo_a]、大谷悠による振付を踊る[solo_b]の2作。詩集に寄せて制作された、鈴木彩加による美術作品が会場に佇み、終演後にはIchizo Yoshiokaによる楽曲を配布。’25 11月、再構成・再創作した『透明な綾(11月、駒ヶ林にて)』を、下町
2007年東京初演。舞踏家みずからの分身を流木を用いた木偶人形であらわすことで、自他、自己、その他の人間状況をさまざまな局面から追求する作品。何ら意思をもたないヒトガタが最終景には人間の規格を超えて、より進化した存在へとなり変わる。メキシコシティにおいても現地の人形作家との共同作業のもとに上演され話題になった。
―もし、「舞踏」が舞台の上に現前だか、顕現だか、降臨だかしたならば喝采。未だかって、そのような舞踏の神が微笑んだ舞台にお目にかかった事はないけれど、こちらも手をこまねいている時間はない。神が愚図るようであれば、引きずり出すなり、燻り出すなりし、たとえ歪んでいようとも微笑んでもらはねばなるまい、それが舞踏への返礼というヤツだ。―プログラムより1971年に初の独舞踏公演を開いたその同じ場所で(当時は高
舞人として踊った五井輝が、前年の86年1月に死去した土方巽を追悼した公演。土方を思い出させる赤いスカートなどの衣装や音、音楽が随所に使われた。唇にはルージュを塗りたくり、背中一面に刻まれた風神雷神の入墨を見せ、剣山を自らの肉体に刺す。すべてをさらけ出して極度の集中をもって踊る五井に、「さながら土方の魂が降りたかのようだった」とThe Japan Times Weeklyのレビュー記事(1987年9
(フライヤーより)舞踏から出発し優しく過激な新しいDANCEを求めて活動する注目のUNO=MAN。今回の新作ではおとぎの国の裏話とでも呼べそうな不思議なメルヘンを描きます。
オーストラリアを代表する日本人アーティスト・舞踏家ゆみ・うみうまれによる新作「埋もれた茶碗ーOKUNI」BLACKCAT GALLERYで2022年に発表さました。コロナ禍ロックダウン中に撮影された見事な映像(製作:近藤武)に、ダンス、舞踏、演劇や歌に茶道を組み合わせた作品で、親密かつ壮大なソロ・パフォーマンス・インスタレーションです。1600年代初頭の日本の歴史的踊り手、巫女、歌舞伎の創始者であ
櫻井郁也ダンス
レンジェル・メニヘールトの戯曲「中国の不思議な役人」から得た刺激により生み出された、性・生死・虚実・聖俗など様々な境界をめぐるソロダンス作品。舞台上では、ダンスの展開と同時に電子信号による通信が交わされ続ける。2000年に開催された第4回シアターXインターナショナルダンスフェスティバルにて上演。
有科珠々舞踏作品
『桜影』は、有科珠々によるソロの振付作品です。3つの象徴的なキャラクターと3つの状況を描きます。彼らは桜の木の影でうごめく虫のように、質素で厳しい生活を送ります。第1部:黒衣の女幽霊と静かに暮らしていた喪服の女性が、突然の非常事態に見舞われます。爆撃、逃亡、没収、避難。彼女は平穏な日常生活に戻れるのでしょうか?第2部:私の小さな領土様々な人間や動物が自分の領土を愛し、守り、脱出する。小さな領地をめ
肉体の劇場
2008年の6月より“肉(肉体)”にちなんで、毎月29日に開催された連続舞踏公演シリーズ「肉体の劇場」の第1弾。第1部を「舞踏というジャンルの間口を拡げるような」自由で実験的な舞台、第2部を原田伸雄のソロ中心の舞踏という2部構成を基本とした。2011年5月29日をもって3年間の連続公演シリーズは幕を下ろした。「身体論がはやり、いつしか『肉体』という言葉が使われなくなったが、『身体』ではきれいすぎる
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第二夜の出演者とその
1986年ベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバルに参加した古川あんずが、ベルリン芸術アカデミーの庭で踊る。最初にミリアム・ゴルトシュミットによってドイツ語で朗読されるテキストは、土方巽による1985年の講演『衰弱体の採集』からの抜粋。池の中から始まる踊りには「MARY CAKEWALK 」「 FOR A.X. 」「 Last Tango in Berlin」と名がつけられている。
ヤマダ トウシ ソロマイム3
-91年より東京労音R'sアートコートの企画で実施してきたパントマイムシリーズ定期公演の3作品目作品:ちがう桜の樹バルーンガールエモーション(マスク)
セクシュアル・マイノリティとして差別される人々がいる一方で、傲慢さによって際立ち、美しさによって認められる人々がいる。年をとることは、衰え、醜さ、錆びつくことと同義ではない。この矛盾した二面性、内なる不調和こそが、物事を刷新するのである。ー岩名雅記
太田省吾の台詞劇にもとづく創作に挑んだ本作。使用テクストは、ひとりの老人と亡妻の幻影とのはかない交渉をめぐる「棲家」。太田の言語態への新たな応答を試みるきたまりの振付・演出。人物の関係性に潜む官能を静かにあぶり出す由良部正美の踊り。上演の時空間に独特の彩りと陰翳を与える野村誠のピアノと嵯峨治彦の馬頭琴。劇言語×ダンス×生演奏のクロスオーバーによって、生死の境域、記憶の情景が浮かびあがる。
遠藤は1970年代に渡欧し、マックス・ラインハルトセミナーに学び、以来長年ドイツと日本の二拠点で活動している。本作は東北大震災直後の日本に寄せる思いを作品化した。自然災害としての地震、人災としての原発事故、そして人々の悲しみと再生への希望が語られる。2012年10月、ハノーファーのTheaterwerkstattで初演。
屋上から見える風景は、向こうの山とつながっている。巨大な空気が、その隔たりを埋めている。はるか遠くの山のきわに、この目の先が通り着く。小さく立っている、螺旋階段の貯水塔。貯水塔は本当は小さくなんかないのだ。階段を登る人がいる。その人と私とが、同じ空気でつながっている。一直線。ひと連なり。その人は、そのことを知っているのか。その人が吸う息は、私が吸うのと同じのか。隔てるもののなにひとつない、この隔た
1986年にベルリンで開催されたヨーロッパ初の舞踏フェスティバル(主催:キュンストラーハウス・ベタニエン)への参加を控えた古川あんずのベルリン・フェス招聘記念公演。古川がベルリンに移住し、ブラウンシュヴァイク教育美術大学で教えるようになるのは、この5年後の1991年のことである。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
パフォーマンス作品《Ice Cream Torch / Ceremony》は、2014年から小林勇輝が継続的に発表しているプロジェクト「Life of Athletics」の最新作で、写真による三部作《Ice Cream Torch / Flag》《Ice Cream Torch / Relay》 《Ice Cream Torch / Flame》 とともに構成される。本作では、地上と地下とを繋ぐ
1997年夏、釜山国際海浜舞踊祭に参加する福士正一の活動を追ったドキュメンタリー。福士が自らの舞踊哲学を語るインタビューのほか、福士に強い影響を与えた舞踏家森繁哉と民俗学者赤坂憲雄の対談、共に活動する福士輝子等の話しを通して、ユニークな活動を浮き彫りにしている。釜山の市場や海岸で即興で踊りながら見知らぬ人々の中に入り、その場その場で心の交流を生み出す様は、福士の活動スタイルの真骨頂を表している。
コンテンポラリーダンス ソロ作品
新型コロナウィルスの蔓延からこれまで、長い時間をかけて、心の中の深く暗い部分に巣食い・広がって来たのは自分の死を・大事な人の死を恐れ、感染経路が分からないまま忍び寄ってくるウィルスや人々の行動に恐怖し、感染により社会から居場所を失ってしまう事に怯え、人を疑い・疑われる事が恐くなり、離れた家族と会えない事以上に帰って来て欲しくないと心の距離まで離れてしまう、人に心があるから生まれてくる、そんな沢山の
闇に蠢く魑魅魍魎、夜が明けると何処へともなく消えていくモノたちの祝祭の踊り。関美奈子とと共に振り付け、上演したデュエット "All Moonshine"(1989年)の一部をソロに振付し直し、それに吉岡由美子が新しい振付を加えた改訂版。朝と夜、生と死、光と闇など対極と見える二つのものは 密接に繋がり、絡まり合って私たちの世界を支えている。舞台上の二つの砂山と、それをつなぐ赤い光線がその2元世界の繋
HANAは宇宙に命をひらく。捧げものの命、億年の魂の記憶を抱き、HANAは闇から光へ、死から生への無垢を絶える事無く繰り返し、ひらき続ける。宇宙の始まりは愛HANAは星をみつめる。
ON LINEシアター
コロナ禍のロックダウン中、メルボルン在住のゆみうみうまれと映像作家・近藤武が制作した作品。出雲の阿国に着想を得て、歴史に埋もれた女性像を「茶碗」に見立て、さまざまなお茶を通して物語が展開する。ダン・ウエストのオリジナル音楽に只野徳子の三味線も加わり、2022年には『Buried Tea Bowl - OKUNI』として舞台化もされた。撮影は観客のいない能楽堂や劇場、メルボルンのうみうまれ・自宅など
コロナリポート
Sign:忙しなく動き続ける体と、短時間に凝縮した数多くの身振りで構成された10分間のダンス。振付を覚え練習することで、コロナ禍の滞留した時間を前に進めることを目的に制作された。Out:neji&co.のプロジェクト最終作。俳優によって上演されるテキストを用いた作品。2020~2023年を振り返りながら、過去から現在を通過した未来まで、私たちの生の「外」にある時間を想像する。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
絢爛・KENRAN(即興)
この作品は、岩名雅記が居を構えるフランス・ノルマンディーにあるスタジオLa Maison du Butoh Blanc(白踏館)を舞台に、1998年から岩名によって始められ、毎年開催されたフェスティバル“Festival des Arts Danse Directe (’直接的ダンス’)“ にて上演された。岩名の最初の妻が治癒の見込みのない難病を苦に自死したばかりの時で、そのため「Y」へ捧げられて
舞踏家・大野一雄が100歳を迎えた2006年10月から1年間は「大野一雄 100歳の年」として展覧会や公演など世界各国で様々な100歳を祝うイベントが開催された。中でもガラ公演「百花繚乱」にはピナ・バウシュの映像出演を含め国内外から実に23組の踊り手が集結、2日間にわたり密度の濃い舞台が繰り広げられた。両日ともカーテンコールには大野慶人の押す車椅子で大野一雄が登場した。以下は、第一夜の出演者とその
秀島実の6場からなるソロ舞踏公演。第6場の「O氏」は舞踏家の大野一雄のことで、秀島は1976年に完成した大野の映画「O氏の死者の書」に出演している。構成:Ⅰ 父の方向にⅡ 私は喜んで貰おうと思ったⅢ キャンディ キャンディ キャンディⅣ 南極ののペンギンⅤ 高田永子さん考 -トワのホホエミ- Ⅵ 「O氏と私」
(フライヤーより)シュールでコミカル、遊び心に富んだ作品を発表し、フランス国内でも根強いファンをもつ異色の振付家ドミニク・ボワヴァン。1998年の初来日の際に好評を博した「ワタシなりのダンスの歴史」の改訂版をひっさげて再来日。”ダンスはどこから来てどこに行くのか”ダンスの起源からロマンチックバレエを経て現在にいたるダンス表現の目まぐるしい移り変わりを1時間のソロダンスで表現する。1994年の初演か
この舞踏パフォーマンスは、無垢と暴力を並置するヘンリー・ダーガーのファンタジー世界にインスパイアされている。インターネットで見つけた実際の戦いの音が、無邪気さを象徴する身体の動きと対比される。この作品は、無力感を強いる信念というシステマティックな暴力に対する両義的な感情への問いかけを試みると同時に、この時代を特徴づける残忍な恐怖を想起させる。殺すための誕生 壊すために造る 存在消される 貼り付けら
モダンダンスのパイオニア、テッド・ショーンが歴史的なフェスティバルを創始したダンスセンター、ジェイコブズ・ピローは、2020年11月17日に火災に見舞われ消失した。この巨大な損失を記し、愛すべきジェイコブズ・ピローへのダンスアーティストと観客の思いを表すためにダンスフィルム制作が企画され、尾竹永子は雪に埋もれた焼け跡のなかで踊った。
ダンスの歴史にフォーカスをすることでダンスの「継承」と「再構築」の2つの視座からプログラムを構成した公演「ダンスの系譜学」で発表された中村恩恵による2作品。(共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場。2021年10月に愛知県芸術劇場にて初演)言葉にならなかった声に耳を澄ませた中村恩恵の作品『BLACK ROOM』と、イリ・キリアンが中村のために振り付けた『BLACKBIRD
東京芸術祭2022 芸劇オータムセレクション
現代社会におけるコミュニケーションの諸問題を独自の手法で描き出す劇作家・山本卓卓のテキストと、老若男女から電車や犬に至るまで25役を巧みに踊り演じ分けるダンサー・北尾亘の身体がコラボレート。国内外を旅して再演を続ける、演劇×ダンスの異色傑作。
「FLAMENCO GALA TOKYO 2022」は、1927年竣工の歴史的建造物であるスパニッシュ様式の洋館・小笠原伯爵邸を舞台に開催されたフラメンコ公演イベント。日本フラメンコ協会が、コロナ禍の文化支援事業「AFF2!(Arts for the Future 2)」を活用して主催した。来場者は邸宅内を巡りながら、パティオでの群舞やラウンジでの演奏、ダイニングをタブラオに見立てたステージを体験
範宙遊泳の山本卓卓が「私の演劇」を見つめ直し「演劇になる」ためのソロプロジェクト「私は演劇のすべてを経験し、演劇そのものになりたいのだ。そのために、やっぱり一回ぜんぶ自分でやろうと思った」古典落語の『らくだ』をモチーフに現代の上下関係(上司と部下)へと置き換える。上から下への力の構造を暴き、物語の途中で上下を反転させることで、人間の持つ愚かな暴力の連鎖と現代社会の不確かさを描く。かといってタッチは
櫻井郁也ダンスソロ
白紙還元をテーマに展開するソロダンス、そこに、息/呼吸を象徴するアコーディオンの独奏が同時展開してゆく。2005年に初演、2006年ポルトガル招聘公演にて生演奏版とレコーディング版の2バージョンに発展、2008年東京にて再演、2011年夏に東日本大震災鎮魂公演として改訂上演。本記録映像は2011年版。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅰ
「あんず動物紀」シリーズ第一弾。他にも虫やワニなどが取り上げられることとなるこのシリーズでは、「この世とあの世の混沌とした暗い記憶から呼び覚まされる」動物たちの声を作品化している。1987年フライブルク(ドイツ)にて初演。ー若者の窮極の目的地は やはりあの居心地のよい火の焚かれた部屋。まっ先に飛んできた犬。窓の中には案外な偽善者。ー
流れこむ景色があなたのからだをつつんでとかす― 俳優・辻村優子によるリラクゼーション型パフォーマンス「ほぐしばいシリーズ」の第3弾。観客は施術台の上で横になり、テキストの発話と手技による施術を体験します。発話される言葉は複数人から採取され、実際には存在しない景色を描写。辻村の語りと施術の交差により、観客の感覚の中に新たな〈景色〉が立ち上がります。
アンモナイトの爪番外編
「奇妙な物質のささやきⅡO」と題された、様々の舞踏家達による日替わり連続公演の一演目として上演された本作は、石井と大森のソロとデュオとで構成される。ソロパートは即興舞踏に重点を置いて自在に展開し、デュオパートもきっかけの申し合わせのみで進行した。緩やかな、また即興性が高い構成の中で、それぞれが他者の肉体といかに混ざり合えるのかを試みた。
尾竹永子ソロプロジェクト「A Body in Places」
2014年から、尾竹永子は歴史家・写真家のウィリアム・ジョンストンとともに福島を訪れ、各地で無観客パフォーマンスと撮影を行なった。本作は、5回の旅で撮影された写真をまとめた約60分のビデオ映像を劇場の壁面に映し出しながら、尾竹がパフォーマンスを行なったプログラムを25分に編集したダイジェスト。彼女の身体を通して、震災後の福島の現在、歴史と環境という大きな問題が私たちの前に立ち現れる。
Don't cry boy
村々を繋ぐ、ひくく小さな山の連なり北厳の四季に、悲哀を満たして石狩の水が流れていた。―チラシより五井輝の生まれ育った家からは、石狩川を挟んで向こうに音江山が見えた。標高730mの平べったい山は、沖里河山・無名山と共に音江連山として地元では親しまれている。
坂口修一リーディング公演
悪役レスラーの父親と、そんな父がどうしても好きになれない息子が衝突を繰り返しながらも、やがて本当の絆を結ぶまでを描く、中島らもの名作短編小説を演出・岩崎正裕、俳優・坂口修一によりリーディング公演として上演。プロレス好きの教師が、国語の授業で中島らもの「お父さんのバックドロップ」を読み上げる。合間に思わずプロレス豆知識が飛び出し、授業はたびたび中断する。とある生徒との確執のあった教師は、朗読を通して
舞踊公演
歴史的な文脈を踏まえつつ、斬新な切り口で歌舞伎作品を現代化してみせる木ノ下歌舞伎。本作『娘道成寺』は、2008年に『三番叟/娘道成寺』の二本立てで初演し、2012年に30分に短縮した長唄音源を用いて初上演。その後、2017年には長唄の録音音源をほぼ全曲使用した60分のフルヴァージョンとして再創作し、再演を重ねるたびに進化してきました。演出・振付・出演は、きたまり。長唄を基に、背景や心情から、演目そ
写真家・八木咲との共同制作作品。写真家とのライブセッションや、写真家自身プロジェクターを手に、空間に映像を投影したりなど、さまざまな仕掛けで舞台上に流れ続ける時間を「瞬間」に捉え直す。その行為は、まるで、過去と現在そして未来を少しずつずらしながら体験する時間旅行のようでもあり、観客はいつの間にか、自分自身の身体がカメラになったように、その空間をおもいおもいに切り取り始める。新しい「体験型」のダンス
ごがつに みれる たのしいもの明石スタジオ提携 Aiya HONDA Pantomime Cabarette作品:マイウェイ、ウェイター、レフェリー、トレンチコートの男、はじめてのデート、ブルースハープ
OSAKA DANCE EXPERIENCE
「一、無音であること。一、即興であること。一、1時間1本勝負であること。一、直径2mの光の輪の中で踊ること。一、周囲を観客に囲まれていること。以上の条件のもとで踊ります。私のダンスにとって真に必要なものとはいったい何か。~ かつて身体ひとつになってしまったところから始まったのが私のダンスなのですが、音楽もない小さな照明のなかから、はたして何を伝えることができるのでしょうか。」